江戸時代、庶民から親しまれた「お伊勢お蔭参り」。
私もそういう歳になったのか、お伊勢さんに御参りに行ってみたくなり、5/24~25に行われる「伊勢志摩ツーデーウオーク」に合わせ行ってきました。
5/23博多を6:05の新幹線で新大阪へ。環状線で鶴橋駅へ。それから近鉄特急で伊勢市駅。伊勢市駅には、10:55到着。
伊勢市駅のJR側を歩いていけば、伊勢神宮外宮に行けますが、昔の参拝方法は、二見浦で禊を受けて外宮、内宮に行くそうですので私もそれに合わせ
先ず、二見浦に行くことにしました。伊勢市駅から二見浦までは、快速「みえ号」で6分ほど。11:22到着。
二見浦駅は「ふたみのうらえき」というのが正式の名称だそうです。ただ、どういうわけか、ICカードは使えませんでした。
駅前の夫婦岩表参道を歩いていると、古い歴史あるお土産屋さんや旅館が立ち並んでいます。
街道歩きが好きな私には、とてもたまらない光景です。
朝日館は、この写真の右側にも旧館がありました。パノラマでも入りきれませんでした。
歩いていると、お正月のしめ飾りに「蘇民将来子孫家門」と書かれています。
近くのお店に立ち寄りお話を聞かせて頂きました。
昔、伊勢の地を旅した「須佐之男命」が、夕暮れに泊まる所がなくて困り果て、将来兄弟に宿を頼んだ。富裕な「巨旦(こたん)将来」は、それを断り、
貧しくとも心優しい「蘇民将来」が快く、自分の家に泊めてもてなした。
須佐之男命が大いに喜び、一夜の恩返しに茅の輪を与えた。「後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と茅の輪を以ちて、腰に付けたれば免れなむ」と言い残した。
以来、蘇民家は、疫病が流行っても免れ、代々栄えたという。
この二見では、「蘇民将来子孫家門」の守り札をしめ縄に付けて年中門口に飾り、無病息災を願うそうです。
また、しめ縄の歴史としては、日本書紀では、天岩戸から出てこられた天照大神が再びひきこもることがないように、岩戸の入口に張り巡らした縄がその起源だそうです。
伊勢市の二見以外では、「笑門」「千客万来」などのしめ飾りもあります。因みに「笑門」は、「蘇民将来子孫家門」縮めた「将門」で、さらにこれが、「平将門」に通じるのを嫌って「笑門」になったといわれている。
旅館街を出ると、両側に松が植わった参道に出ます。
海岸の所に本居宣長の歌碑が建っています。宣長は松坂に住んでいてこの二見浦には、何回も来ているそうです。
歌碑は、「かはらじな 波はこゆとも 二見がた妹背の岩の かたき契りは」
「夫婦の契りは、二見浦の夫婦岩のように堅固で変わるものでないと悟した」 という意味です。
右側には、明治時代に建てられ、大正天皇が御幼少の頃、お泊りになられた「賓日館(ひんじつかん)」があります。
現在は、二見町に寄贈され、資料館となっています。
二見興玉神社の鳥居にやってきました。ここは、「浜参宮」と呼ばれ、
古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で禊(沐浴)を行うのが慣わしであった。現代ではそれに代わるものとして、
二見興玉神社で霊草無垢塩草での祓い清めを受ける。これに使う幣は、興玉神石付近で採れる海草(アマモ)である。
現在、神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持行事への参加者は浜参宮を行う。
二見興玉神社の祭神は、猿田彦大神と宇迦御魂大神(うかのもたまのおおかみ)です。
猿田彦大神は、天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれています。この神の神使は、蛙とされており、
神社参拝の後に神徳を受けた人々が、神社の境内にカエルの塑像を献納する。このため、境内には無数のカエルの石像が並んでいる。
この神社の授与品もまた「無事カエル」「貸した物がカエル」「お金がカエル」(カエルと帰る・返るの掛詞)と呼ばれるカエルをモチーフにしたものである。
境内の手水場には、蛙の置物があります。
この鳥居から見る夫婦岩が本流だそうです。夏至の時には、夫婦岩の男岩、女岩から日が昇ってきます。また、朝日の下に200kmも離れた富士山が見えることがあります。
夫婦岩の5本のしめ縄が鳥居の役割をしているそうです。
我が福岡にも二見ヶ浦・夫婦岩があります。朝日の伊勢二見浦に対し、夕陽の福岡・二見ヶ浦です。
何年か前に伊勢の二見浦の朝日を見て、夕陽の福岡・二見ヶ浦を見に行こうという弾丸ツアーがあったそうです。
因みに福岡の夏至の頃の二見ヶ浦の夕陽は、下記の写真です。(2011.07/05撮影)。尚、福岡の二見ヶ浦がある所の地名も「志摩町」です。何か関係するのでしょうか?
この日は、夫婦岩の沖の方で「藻刈神事」が行われていました。夫婦岩を過ぎ契橋を渡ると「契りの松」があります。
契りの松とは、案内板によると
「江戸時代末期、お蔭参り、抜け参りと伊勢参詣が最も賑わった頃、阿波国(徳島県)より、若い男女がこの二見浦の浜で身を海水に浴み、塩垢離(みそぎ)をし、
着物を松の木にかけて結び、夫婦の契りと子孫繁栄を祈願した所から、「ちぎりの松」と呼ばれている。
昭和28年9月25日台風13号により流出したままであったが、平成3年5月23日ここにおよそ40年ぶりに昔ながらに再現したものである。」と書かれています。
然し、この二見浦の夫婦岩、何回見ても飽きません。いつの日か、時間に余裕ができたらこの二見の夫婦岩からの朝日を見て、その足で福岡・志摩の夕陽を見てみたいものです。
そんなことを考えながら、次の目的地「伊勢神宮外宮」に向かいました。