よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

コロナウイルスの影響で各種イベント中止相次ぐ

2020-02-21 05:17:25 | 日記

日本国内でコロナウイルスが蔓延しています。

3月開催の東京マラソンは、エリートのみ、名古屋ウィーメンズマラソンは、エントリーのみの開催になり、規模が大幅に縮小されました。

昨日(20日)は、九州福岡でも感染が確認されました。

それにより、明日(22日)から開催の第22回みやざき小林霧島連山絶景ウォークが中止になってしまいました。

第22回みやざきツーデーマーチこばやし霧島連山絶景ウオークの 中止について

2020/02/20

大会実施に向け、準備を進めておりましたが、国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大する中、2月20日11時頃、九州管内(福岡市)で新型コロナウイルスの感染者が確認されたことから、感染拡大のリスクが高まり、参加者やボランティアの安全確保のため、標記大会の中止を判断いたしました。

今後の対応については、大会ホームページでお知らせいたします。
皆様のご理解をいただきます様、何卒よろしくお願いいたします。

小生、3月は、京都、唐津、4月は、久留米、飯田のウォーキング大会に参加予定ですが、開催が行われるかどうか、わかりません。

一刻も早い終息を願っています。

 

 


浦添ツーデーマーチ「てだこウォーク2020」2日目20km(沖縄県浦添市)

2020-02-13 20:41:40 | ウォーキング

2/9(日)浦添てだこウォーク2日目20kmコース。今日は昨日に比べ天気もいいし風も少しおさまっています。

7:30出発式。8:00 20kmコーススタート。

  

浦添中学校の近くには、「浦添間切番所跡」の説明文がありました。「浦添郵便局北側からこの辺りにかけては、かつて浦添間切の番所がありました。『間切』とは現在の市町村に相当する

琉球王国時代の行政区画のことで、『番所』は今日の役所にあたります。番所には地頭代をはじめとする地方役人が置かれ、首里王府の命を受け、間切内の行政を担っていました。

また、国王の普天満宮参詣の際には休憩所に利用されました。1881年(明治14)に訪れた上杉茂憲県令(今でいう県知事)の記録によると、番所は門を南西に構え、老松が枝を広げ、

フクギ、ソテツが植え連ねられているとあり、植裁のゆき届いた美しい施設であったことがわかります。番所は、1897年(明治30)に間切役場、1908年(明治41)には村役場と改められ、

沖縄戦で損壊するまで浦添の行政の中心施設でした。なお、1882年(明治15)には浦添小学校が敷地内に開校し、浦添の学校発祥の地としても重要な場所です。」(説明文より)

コースは今日も浦添城址を通ります。

  

ディーグガマとは、鍾乳洞が陥没してできた「御嶽(うたき)」※(琉球の信仰における祭祀などを行う施設)です。デイゴの木が合った洞穴(ガマ)が名前の由来。

1713年に成立した地誌「琉球国由来記」には、浦添市内について記されており、その中に、渡嘉敷嶽という名前が見られ、それがディーグガマにあたると考えられています。(説明文より)

  

昨日と同じ「浦添グスクようどれ館」が給水所。ここは、5k、10kコースのチェックポイントになっています。

   

  

  

  

ブルーシールアイスクリームは、浦添が本社です。

  

10kmとの分岐点を過ぎると、西海岸に向かいます。昨日は強風おまけに向かい風で苦労しました。今日もトレードマークの風車を外して歩きます。

  

海の方に島?みたいなものが見えますので写真をアップして撮りましたら、消波ブロックでした。

  

チェックポイントは、昨日と同じ結の町です。

 

コースは、これから米軍キャンプキンザーに入ります。5ゲート前で身分証明書とゼッケンを提示します。基地内は、撮影禁止ですので写真はありません。

キャンプキンザーは、浦添市西部から浦添市北部にかけて長さ約3km、国道58号から西海岸にかけて幅約1km、市面積の約14%を占めています。戦後から沖縄の本土復帰前にかけて、

軍需物資の貯蔵や補給、修理などのための巨大な倉庫群・兵舎が建設され、米陸軍の極東随一の総合補給基地となりました。

ウォーキング大会で米軍キャンプの中を歩くなんて他の大会では、見られません。ところどころに軍人さんが警備しています。手で敬礼のポーズをすると笑って敬礼してくれました。

広大な敷地の中を約1時間かけて歩きました。

  

  

宮城自治会では、月桃茶をいただきました。

 

朝方は晴れて気持ち良かったのですが、急に雲行きが怪しくなってきました。ゴールまであと2kmぐらい。

この2kmが長いです。なんだか、ゴールまでの迷路を歩いているみたいです。

12:20 ゴールしました。GPSを見てみると21,79kmありました。

 

2日間の参加者は約7000人だそうです。アップダウンに悩ませられましたが、浦添市の各自治会や、個人的にお接待される方など浦添市の皆さんがこの大会を盛り上げようと

いう姿には、感激しました。機会があればまた参加したい大会です。

追伸:沖縄グルメ

   

 


第19回うらそえツーデーマーチ「てだこウォーク2020」1日目30km(沖縄県浦添市)

2020-02-11 19:17:38 | ウォーキング

2/8~9に行われた浦添ツーデーマーチ「てだこウォーク2020」に参加しました。沖縄の大会は、名護ツーデーマーチ(2回参加)に続き3回目の参加です。

てだこ」というのは、「太陽の子」という意味です。琉球第二の王統として栄えた「英祖王」の敬称でもありました。父親は、恵祖(伊祖城主)で、その妻は太陽が懐に入る夢を見て、

英祖を身ごもったといわれ、その神号が「英祖のてだこ」となりました。(浦添市HPより)

2/7、福岡発14:55の飛行機で那覇へ。那覇からゆいレールでおもろまちのホテルに着きました。沖縄は、18度。福岡と比べ約10度違います。

    

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2/8 浦添てだこウォーク1日目30km。

出発式が7:30からなので朝食はどうしようか?と考えていましたら、ホテル側がてだこウォークの期間中、特別に6:00から朝食を出してくれましたので、お腹を空かさず大会に参加できました。

てだこウォークの会場の横には、プロ野球ヤクルトスワローズがキャンプを張っています。つば九郎神社がありました。

会場では、首里城復興支援の募金箱が置かれていましたので少額ですが、寄付させていただきました。

  

8:00、30kmのスタートです。今日は気温は高いのですが、風が強く、時々小雨が降っています。

浦添市には、「浦添八景」というのがあります。そのうちの一つ「浦添市美術館」。漆芸専門の全国初の美術館であり、樹木の中にいくつもの八角塔を連ねている建物も個性的です。

  

安波茶橋」は、宿道「中頭方西街道」の途中にある小湾川の上流にかかる橋で、北橋と南橋からなっています。浦添出身の尚寧王の命により、1597年、浦添から首里迄の道が整備され、

その際に橋も石橋になったといわれています。

  

  

経塚駅を過ぎ、前田トンネルの手前に大きな虹が見えてきました。

王城朝薫(たまぐすくちょうくん)」は、組踊という琉球の歌舞劇を創始しました。中国や日本の故事、琉球の民話を題材に琉球舞踊や琉球音楽を基礎として発展しました。

  

グリーンハイツ公民館の所が最初の給水所。ちょっと休憩し、浦添城址に向かいます。

  

浦添城址は、首里城以前の中山の王城で、1260年代に英祖王が築いたといわれています。14世紀には高麗瓦葺の正殿を中心に堀や石積城壁で囲まれた巨大なグスク(城)となり、

周辺には、王陵・寺院・大きな池・有力者の屋敷・集落などがあったと考えられています。のちの首里城の原型となったそうです。

  

浦添城址からの眺め

    

浦添グスクの北側崖下には、「浦添ようどれ」といわれる王陵があります。浦添ようどれは、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、咸淳年間(1265-1274年)に英祖王が築いたと

いわれています。その後、1620年に、浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、王自身もここに葬られました。岸壁に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。

向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。「ようどれ」とは琉球語の夕凪です。 (沖縄観光チャンネルより)

  

当山の石畳道」琉球王国時代に首里城と地方の役所を結ぶ宿道に川には橋をかけ坂には石畳に整備しました。首里城から浦添を通って宜野湾にいたる普天間街道の一部です。
琉球国王はこの当山の石畳道を通って普天間宮へ参拝していたそうです。現在修復保存されている部分は全長約200m・幅3mほどですが、「馬ドゥケーラシ(馬転ばし)」と呼ばれる、

馬が転ぶ程の急坂が続き交通の難所として知られていました。

  

当山公民館では、サーターアンダーギーなどの接待を受けました。

  

「西原つなひき橋」という名の橋を見つけました。西原地区では八月中旬約300年の歴史と伝統を誇る「西原大綱引き」が行われます。

  

11:20首里城に到着。那覇市首里にあった琉球王朝の王城。かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地に築城され、県内最大規模を誇った。城は外郭と内郭からなり、

御庭(うなー)と呼ばれる広場に面して立つ正殿・北殿・南殿・奉神門などの建物は内郭に集中している。内郭には瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門(ろうこくもん)など9つの門が、外郭には歓会門、

久慶門など4つのアーチ門があった。戦前は正殿などが国宝であったが、1945年(昭和20)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残った。

本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。2000年(平成12)には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。(コトバンクより)

昨年2019年10月31日未明に火災が発生し、正殿と北殿、南殿が全焼しました。 

  

  

  

 

再びコースに戻ります。浦添高校の横を通り、内間西公園へ。

時間はもうすぐ13時になろうとしています。お腹もすいてきました。なんと、雑炊の接待です。お腹の中にしみこみます。おかわりもどうぞということでしたが、あまり食べすぎると

歩けなくなりますので一杯だけにしました。ホントおいしかったです。

  

  

国立劇場の所、結の街がチェックポイントです。急いで信号を渡ろうとしましたら、縁石に足をとられ、転んでしまいました。幸い、かすり傷ぐらいでしたので持っていた救急絆創膏を貼りました。

やはり急いでいても足元に気を付けなければいけませんね。(笑)

  

チェックポイントの後、西海岸に向かいます。

 

西海岸(臨港道路浦添線)は、昨年3月全面開通し、その沿線沿いには、ショッピングセンターが昨年夏開店しました。

 

今日は、沖縄地方には、海上波浪注意報が発表され、とても風が強いです。おまけに向かい風で体力を消耗しそうです。

あまりにも風が強いため、トレードマークの「風車」を外して歩きます。カーミージー橋の所では、飛ばされそうになります。

カーミージー橋を渡り、右折します。牧港の所では、東シナ海で採れた「あおさ」のスープをいただきました。

 

14:55 やっとゴールしました。コースは、アップダウンが多くとても疲れました。しかし、各所で住民の方のお接待がありがたかったです。

 

15:00からは、ウォーカーの集いに参加しました。

今日のGPSです。途中でバッテリーが切れましたので28,5kmで止まっています。公称は30kmになっていましたが、GPSでは、33kmになっていました。