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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第24回九州国際スリーデーマーチ3日目10km(熊本県八代市)

2018-05-17 14:20:20 | オールジャパンウオーキングカップ

5/13(日)九州国際3DM3日目。昨日までの2日間はいい天気でのウォーキングでしたが、今日は朝から曇り空。いつ雨が降ってもおかしくないくらいです。

一応、ポンチョを着て傘をさしてのウォーキングです。今日は、本当は、20kmを歩く予定でしたが、家内が昼から松橋(まつばせ)の友達に会う約束をしていますので

10kmコースに変更。7:30 30kmコースと一緒にスタート。出発の「激」は、ロシア女性の方。

   

  

  

3,7km地点が30k、20k、10kの分岐点。

  

これから本町アーケード街を歩きます。朝が早いためか、まだ商店は開いていません。

八代亜紀さんは、1日目14時から会場でミニコンサートを行われましたが、昨日は、八代でコンサートをされました。

   

塩屋八幡宮は、八代妙見祭の原型をつくり上げたといわれる八代城主細川三斎公が、大分の宇佐八幡宮の御分霊を迎え祀られたお宮です。

明暦元年(1655年)旧暦10月25日に、時の八代城主松井興長(まついおきなが)公時代に現在地に社殿が築かれて以来、親しみ祀られてきた社です。

その御鎮座の記念日である11月25日の例祭は、今も「しおやのまつり」の愛称で、市民に愛され受け継がれています。

妙見祭では神幸行列の御旅所(おたびしょ)となっており、11月22日に神様が「お下り(おくだり)」され、翌23日の早朝に塩屋八幡宮から「お上り(おのぼり)」行列が妙見宮に向け出発します。

  

歩いていると右側にモダンな建物が見えてきます。これは、八代市立博物館です。周りには、皐月が咲き出していました。

 

松浜軒は、元禄元年(1688)、八代城主松井直之公が母崇芳院尼のために建てたお茶屋です。当時この辺りには松が茂り、八代海を見渡せる浜辺であったことから松浜軒と名づけられました。

別名「浜の茶屋」とも呼ばれていました。(国指定名勝) 四季折々の花々が咲き、特に6月上旬には約5,000本の肥後花ショウブが大輪の花を咲かせ、多くの人々の目を楽しませます。

また松井家に伝わる家宝を展示する松井文庫の資料館があり、宮本武蔵ゆかりの「戦気」の軸や手彫りの木刀も展示されています。(八代観光HPより)

  

コースは、八代城址に入ります。

元和5年(1619)の大地震でそれまでの麦島城が崩壊したため、加藤正方が麦島城北方に新たに築いたのが八代城で、同8年(1622)に竣工しました。

石垣に石灰岩を使用し別名白鷺城ともよばれます。加藤家改易の後、寛永9年(1632)細川三斎(忠興)が入城、正保3年(1646)には松井興長が入城し以後松井氏九代の居城となりました。

一国一城令の例外として熊本城以外に認められた城で、八代の地が幕府から重要視されていたことがわかります。(八代観光HPより)

   

八代城址には、「八代宮」があります。明治維新以降、南朝の功労者を祀る神社の創建運動が各地で起こり、懐良親王の墓所のある八代の住民からも、懐良親王と良成親王を祀る神社を創建し、

鎌倉宮・井伊谷宮と並ぶ官幣中社にしてほしいという請願が何度かなされました。住民である徳富忠七や八代宮創立発起担当人の村上忠三らは、墓所から遠くない松江城(八代城)の址に神社を建て

ことを求めました。これを請けて1880年(明治13年)に太政官が熊本県に創立を命じ、懐良親王を祭神とし、良成親王を配祀する神社が八代宮の名で願い通りに造られることとなりました。

  

  

八代宮の参道から本町アーケード街に入ります。このあたりは、八代の歓楽街でしょうか、クラブやキャバレー、スナックなどが建ち並んでいます。

キャバレー「白馬」は、歌手八代亜紀さんがアマ時代、ここで歌っていました。

  

8,3km地点の八代ハーモニーホールがチェックポイントですが、私たちが来るのが早かったせいか、まだ準備がされていませんでした。

  

約30分ぐらい待ち、チェック印をもらい再びウォーキング開始します。

萩原橋では、正規の時間にスタートした10kmコースの人とすれ違いました。

10:10  ゴールしました。

  

3日間の参加者は下記です。いっそでウォークは、八代の幼稚園、保育園、小中学校、高校の生徒さんが参加されました。

余談になりますが、「八代」という地名の由来が気になりましたので調べました。肥後国誌には、八代の地名の由来は、社(やしろ)で天照皇大神の山陵が、上古にこの地にあったので

「やしろ」と言われるようになったと記されています。

  

今日は、そんなにひどい雨には、遭いませんでしたが、ポンチョを着ていたため蒸し暑く、汗を流すため、八代市東陽町の温泉施設に行ってきました。

東陽町は、石工の町として知られています。

 

 

来週は、福井県若狭町の「三方五湖ツーデーマーチ」に参加します。

 


第24回九州国際スリーデーマーチ2日目20km(熊本県八代市)

2018-05-16 17:06:30 | オールジャパンウオーキングカップ

4/12(土)昨日と同じ5時過ぎに福岡の自宅を出発し八代には7時15分に到着。

今日は、歩友北九州のNさんご夫妻も参加されます。20kmの出発は8:30」からですのでゆっくりしていましたら、Nさんが40kmと一緒にフライングスタートされていましたので

あわてて私たちもアンカーさんと一緒にスタートします。

  

  

約4kmで「新八代駅」。新八代駅の横には、元プロ野球ソフトバンクホークス松中信彦スポーツミュージアムです。松中選手は、平成の三冠王です。

  

ここでは、トマトの接待がありました。ロシアの方からフラッグをいただきましたので、私の「鯉のぼり」をプレゼントしました。

  

  

島田踏切です。鹿児島本線の鳥栖行が過ぎてからしばらくしても踏切のバーが開きません。5分ぐらいたって下りが来ました。

八代にしては長い踏切です。

千丁イ草の里公園が1回目のチェックポイントです。やっと北九州のNさん、長崎のSさんに追いつきました。

ここでは、白玉ぜんざい、おにぎりなどが振る舞われました。また、おにぎりは、お昼にとパックに入れていただきました。

  

  

Nさん、Sさんとこれから一緒に歩きます。

  

イ草の神様を祀った「岩崎神社」です。

今から500年前(1505年)、八代市千丁町太牟田の上土(あげつち)城主 岩崎主馬(しゅめ)忠久公は、村の人々の生活が豊かに栄えるようにと初めてい草を植え、育てることを教えました。

その後、全国で天候が悪く人々が苦しむ中、太牟田の村人はい草からむしろを作り、この窮地を乗り越えました。このご恩に感謝して、岩崎公はい草の神様としてお奉りしてあります。

い草の里 千丁町では、い草の神様岩崎公を岩崎神社に祀り、毎年い草の豊年を願って、年2回春と秋に祭りが開催されます。(八代観光より)

昨年は、ここがチェックポイントでしたが、今年は、イ草公園に変わりました。

  

薩摩街道「九里木」というのは、熊本城下から薩摩に向かって一里木、二里木と進んでここが九番目の木(九里木)があった所です。

   

歩いていると民家で「オープンガーデン」の看板がありましたので、ちょっと寄ってみました。よく手入れされたお庭には、バラの花が咲いていました。

  

13、4km地点の「龍峯コミュニティセンター」が給水所。熊本特産の「デコポン」がサービスです。

  

  

2回目のチェックポイントが「八代神社(妙見宮)」です。ここでは、5k、10kコースの合流点で今日は、天気がいいからか、親子連れで参加の方がいらっしゃいました。

  

  

12:10 20kmコースゴールしました。

  

 

 

 


第24回九州国際スリーデーマーチ1日目20km(熊本県八代市)

2018-05-15 17:59:36 | オールジャパンウオーキングカップ

4/11~13日まで熊本県八代市で行われた「第24回九州国際スリーデーマーチ」に参加しました。

本来ならば、八代か熊本で宿泊する予定でしたが、ホテルの手配が遅れ、主だったホテルは、空いてなく、仕方ないので3日間福岡から通勤?することにしました。

  

この大会、国際マーチングリーグ公式大会ですので海外の方も参加されています。オーストラリア、オランダ、シンガポール、デンマーク、ドイツ、ノルウェイ、ロシア、ベルギー・・・・・・・

出発の「激」は、パンフに載っている岡山のMさん、横浜のTさんご夫婦です。

  

8:30  20km水島・万葉の里コーススタート。

 

 

 約6km地点が「水島」。

水島は、球磨川河口の堤防から50mほど離れた所にある小さな島です。日本書紀の景行天皇18年4月の条に、「天皇がこの島で食事をなさろうとした際、水が無かったので、小左(おひだり)という人が、

天地の神々に祈ったところ冷水が湧き出したので、それを天皇に差し上げることができた。そのためこの島を水島と呼ぶ」という記述があります。

万葉集では長田王により「聞きし如まこと貴く奇しくも神さび居るかこれの水島(人の言うように、貴く不思議にも神々しく見えることよこの島は)」と歌われています。(八代観光HPより)

  

水島の少し先が1回目のチェックポイント。ここでは、八代特産の「トマト」などが振る舞われました。

代地域は冬春トマトの生産では日本一の産地。害虫が嫌う黄色灯を利用することで、減農薬栽培されたトマトのはちべえ(八代平野の略)や、塩トマトと呼ばれる品種のトマトがつくられています。

塩トマトは、小玉で皮は硬いが肉厚。糖度も高い。八代の干拓地特有の塩分やミネラルを多く含んだ土壌で栽培される。塩トマトの旬は2月から3月です。

  

 

  

球磨川河口の干潟では、「蝦蛄(シャコ)」を獲られている方がいました。この時期のシャコは、産卵期を迎え美味しいです。酒のおつまみには、最高ですね。

  

コースは、田園地帯を歩き、千鳥橋を渡ります。

13,8km地点の八代ふる里物産村が2回目のチェックポイント。ここでは、給水所も兼ねていました。今日は、天気も良く、空気が乾いているのでしょうか、喉が渇きます。

 

八代ドライブスクールから高速のガードを潜り高速に隣接する道路を歩きます。今日は、アップダウンが少なく歩きやすいと思いましたが、ここでそのアップダウンが待っていました。

  

12:10 20kmコースゴールしました。予定していた時間より20分も早くゴールです。

 


第32回飯田やまびこマーチ2日目風越山コース20km(長野県飯田市)

2018-05-07 17:58:00 | オールジャパンウオーキングカップ

4/29(日)第32回飯田やまびこマーチ風越山コース2日目20km

今日は、6:30からJML、KKMLの表彰がありますのでホテルの朝食は、パスして6:00にチェックアウトしました。(ここのホテルの朝食はボリューム満点なんですが・・・・)

先週は、私がオールジャパンの表彰、今回は家内がオールジャパンの表彰を受けました。副賞は、飯田東中学校の生徒さんがリンゴ並木のリンゴから作られたリンゴジャムです。

市販されておらず、かなり高級なジャムです。

   

7:00 昨日と同様に「信濃の国」の音楽と共に、30k、20k同時スタートです。

 

中央道の所から坂道になります。リンゴや梨の間の道を登って行きます。

 

昨年と同じコースですので、大体のコース図は、把握しているのですが、それでもきつい坂です。

柏原のトイレ休憩で暑いのでウィンドブレーカー1枚脱ぎます。

  

約5km地点の山田体育館が1回目のチェックポイント。

  

水分を補給し、再び歩き出します。見晴らしのいいところに「嫁ぎたる・・・・・」の歌碑が建っています。嫁いだ娘のことを思う母の心境がよく出ていますね。

  

  

コースは山の中に入ります。

  

途中こんな看板も立っていました。

  

  

コースは、高森町に入ります。昨年は、牛牧神社の桜が綺麗でしたので入って見学しましたが、今年の桜はもう葉桜です。パスしました。

    

20k、30kの分岐点を過ぎると南アルプスが見える場所があります。今日は、天気はいいのですが、山の方には、霞みがかかっています。

  

歩いていると、子供さんの声で「頑張って下さい」という声がします。この子たちが私達ウォーカーを応援していました。

「松源寺」は、昨年の大河ドラマ「直虎」で直虎のお父さんが井伊谷城から逃げ、匿われた所です。

  

  

松岡城址からは、急な下りになります。松岡城址を下りてくると、30kの先頭の方から追い越されました。

   

「元善光寺」です。長野市の善光寺が創建される前に御本尊があったことから「元善光寺」と呼ばれました。長野の善光寺とこの元善光寺の両方にお詣りしないと片詣りと言い伝えられています。

  

麻績(おみ)の里が、2回目のチェックポイント。麻績の里の桜の名所の舞台桜も葉桜でした。

  

コースは広い道に出ました。ここは、昨日歩いた所です。三宣亭の坂道も休まず登っていけました。

  

「上海楼」は、中華そばで有名ですが、まだ11時前ですけど行列ができています。

歩いていて気付いたのですが、飯田は、老舗の和菓子屋さんが多く見かけます。飯田の和菓子の文かは、「茶の湯」の文化と深い関係があります。

飯田の「茶の湯」の文化を語る時に忘れてはならないのが、名水「猿庫(さるくら)の泉」。江戸時代、茶の湯に適した水を求めて諸国を歩いていた僧侶で茶道家の不蔵庵龍渓宗匠

(ふぞうあんりゅうけいそうしょう)が、飯田市の北西にある風越山(かざこしやま)の山麓に探し当てたといわれています。「猿庫の泉」に代表されるような清らかな水が豊富だったことが、

飯田での茶の湯文化の発展を後押ししたといえるでしょう。また、飯田藩主が「茶の湯」に熱心だったこともその発展の一因。藩主堀公は、「茶の湯」を愛し、「猿庫の泉」へ毎朝早馬を駆けさせ、

水を汲ませて茶を点てていた、なんていう話も伝えられているそうです。「茶の湯」が盛んになった飯田では、武家だけでなく大地主や豪商の屋敷にも次々に茶室が建てられたんだそうです。

茶の湯文化の発展とともに、京菓子のようなお菓子を製造するお店が出てきました。これが、“和菓子のまち・飯田”の原点です。(楽園信州より)

 

  

11:05 ゴールしました。

 

飯田からの帰りのバスは、ネットで14:30発を予約していたのですが、あまりにも早くゴールしたのでバスの事務所に時間の変更を申し出ましたが、ネットで予約しているため一旦キャンセルして

もう一度申し込みをしないといけない、その節は、キャンセル料も発生すると言われ、バス出発まで飯田市内を歩いて散策しました。

お昼は、上海楼でなく、駅前の「新京亭」という中華そば屋さんに入りました。ここでも行列ができていました。

先ず、ビールです。歩いて汗をかいたあとのビールは格別です。

  

メインの「中華そば」。魚介類からの出汁でしょうか、いつも博多の豚骨ラーメンを食べている私には、新鮮な感覚です。すっきりとした食感です。おいしかった。

  

飯田市には、焼肉屋さんが約70軒あり、人口1万人当たりの焼肉屋さんが5,32軒と全国平均1,7軒を大きく上回っています。

今回のウォーキングコースにも「焼肉コース」がありました。

「三連蔵」なまこ壁に囲まれた江戸時代の土蔵。内部は改良されギャラリーやバー、店舗などに活用されています。

 

今日飯田市では、リンゴ並木の所で「ゆるキャラinリンゴ並木」というイベントが行われています。

長野県からのゆるキャラが集まっていました。

  

最後は、おいしいコーヒーです。

  

14:30 高速バスで名古屋へ、名古屋から新幹線で博多に帰りました。

また来年も参加してみたいなぁ~。今年は見れなかったけど天竜川沿いのきれいな桜も見てみたいです。

 


第32回飯田やまびこマーチ1日目「舟下りコース21km」(長野県飯田市)

2018-05-06 12:15:47 | オールジャパンウオーキングカップ

4/28~29日長野県飯田市で行われる「第32回飯田やまびこマーチ」に参加しました。今年も「舟下り21kmコース」です。

6:50から、40k、舟下りコース、太平コースの出発式。スタートの「激」は、飯田市出身の歌手「小沢あきこさん」です。

7:00 長野県の歌「信濃の国」の歌でスタート。   信濃の国は、十州に 境連ぬる国にして・・・・・

  

約1時間で舟下りの弁天港到着。ここまで4,6km。ここが第1回目のチェックポイント。

  

この舟下り、定員は26名。私たちは3番舟に乗船します。

   

   ハア 天竜 下ればヨ   ホホイノサッサ しぶきに濡れてヨ   咲いた皐に エー   咲いた皐に 虹の橋   ホンニ アレワサノ 虹の橋  

乗船すると、舟から、民謡「天竜くだれば」が流れてきます。これは、昭和8年(1933)の楽曲で市丸さんが歌っています。

私達の舟には、昨年も一緒だった岐阜の若夫婦と同舟になりました。波が来るとビニールを広げてそれを防ぎます。

  

 

8:45  時又港に到着。今日は、2~3日前の雨で川の水が多かったせいか、いつもより、早く着きました。乗ってきた舟は、トラックでスタート地点の弁天港まで搬送されます。

 

時又港下船後再びウォーキング開始。ゴールまであと16km強。

  

  

 天竜峡駅で地元の「昭和乙女の会」の方から接待を受けます。リンゴ、甘酒、お漬物・・・・・・

  

天竜峡橋から折り返し、今度は、天竜川の対岸を歩きます。昨年の大会では(4/22,23開催)では、この一帯桜が満開でしたが、今年は全国的に桜の開花が早く、また大会の日程が1週間ほど

遅かったせいか、もう桜は葉桜になっていました。(右の写真が昨年の桜です)

  

中には、まだ残っている八重桜もありました。

  

このコース楽しみの一つがこれです。  今年も用意していただきました。リンゴ入りトン汁・・・・・・・・おいしかった。

  

舟下りの時、通った「天竜橋」を渡ります。

  

今日は、天気も良くとても暑いです。チェックポイントまでは、まだ遠いし、どこか、コンビニでもあれば、水分補給するのですが・・・・・・

歩いていてもコンビニを見つけることができません。 (せめて旭松あたりに給水所を設けてもらえればと思います。)

水神橋で40k、16k、と合流。チェックポイントの松尾公民館までもう少し。

松尾公民館に到着。やっと水分にありつきました。ここで「愛知のTさんご夫婦」と遭遇。Tさんご夫婦は、スタート時、「福岡の〇〇さん」というプラカードを掲げられていましたので

ハイタッチしてスタートしたのですが、どうして私の名前を御存じなのかな?(Tさんご夫妻は、色々な大会で会ってお顔は存じていました)

聞いてみると、諏訪のアリババさんの御友達だそうです。昨晩、アリババさんからTさんの方に連絡があったそうです。友達の輪がつながっていきますね。(笑)

  

伊那八幡駅を過ぎ、最後の難所三宣亭の坂を登ります。昨年は、ここで2回休憩して登ったななどと思いながら息を整え登りきりました。

  

12:20 ゴールしました。

  

今日は16:00からウォーカーの集いがあります。16時まではまだ時間がありますので、ホテルに帰って着替えようと思います。

ホテルでは、冷たいお茶と一二三饅頭が用意されていました。(とても感激です!)

 

  

ウォーカーの集いは、 飯田市公民館で16時から行われました。牧野市長のあいさつの後、婦人会の皆さんの心のこもった手作りの料理で皆さんと懇談しました。

   

 


第21回久留米つつじマーチ1日目20km(福岡県久留米市)

2018-04-24 21:35:55 | オールジャパンウオーキングカップ

4/21~22は、地元福岡県久留米市で行われる「第21回久留米つつじマーチ」に参加しました。

我が家(福岡市内)から、久留米の会場まで高速道を使うと40分で着きます。今年で9回目(1回は熊本地震で中止)の参加です。

今日の天気は快晴、日中は暑くなりそうです。

 

今回も40kmと一緒にフライングスタートです。7:30スタート。

  

高良内小学校では、名物おじさんがハイタッチで応援されています。

  

高良内小学校が給水所。水分を補給し、これからこのコースの難所の上り坂です。

  

満開のツツジが迎えてくれます。

  

  

 

最後の上り坂です。

  

ツツジ公園がチェックポイント。

  

少し休憩して再びスタート。降りて行った所が20k、40kの分岐点。

  

分岐点を過ぎて、民家の庭先を歩き、果樹園畑に来ました。

果樹園畑を見ていたのでしょうね。気が付くと自分がバターンと倒れています。見ると木の根っこが・・・・・・・これに引っかかって転びました。

家内に見てもらうと鼻の所と鼻の下を切っていました。すぐ救急絆創膏で傷の手当をしましたが、どうも見かけが悪くなっています。

そこでマスクを着け歩き出しました。

  

山川小学校が2回目のチェックポイント。ここでは、味噌汁が振る舞われました。

  

筑後国府跡・・・7世紀末当時、久留米市は“筑後国”と呼ばれており、現在の合川町一帯はその国府が置かれていたことで知られています。「筑後国府跡」と呼ばれるこの遺構は、

発掘調査の結果、第1期から4期まで3回も移転していたこと、約500年間にわたって続いたこと、そして、出土品などからそれぞれの特徴も少しずつ分かってきています。現在は、

埋め戻された一部の発掘現場が残されているのみですが、当時の政治・経済・文化・交通などの拠点として栄えた国府の歴史を知る上で貴重な遺跡として、平成8年には国指定の史跡になっています!

  

川沿いの道にやってきました。ここで今日の各コースと合流します。このあと、百年公園を経てゴールの中央公園へ。

12:10 無事(?)ゴールしました。

 

 

  

17:00からは、久留米つつじマーチウェルカムパーティです。会場は、六つ門の「くるめりあ六つ門」。

  

   

この席で私が「オールジャパン」(47都道府県の大会に参加そして完歩)達成の表彰を受けました。

副賞は、久留米の富有柿です。秋になって送ってくるのが楽しみです。

  


第20回(2018年)ふくしま吾妻荒川・花見山ツーデーマーチ2日目23km荒川コース(福島市)

2018-04-14 22:09:57 | オールジャパンウオーキングカップ

4/8(日)朝から時々霧雨が降るような天気です。予報では雨は降らないそうですが、念のためポンチョを持っていきます

今日も31kmと一緒にフライングスタートです。福島県庁の所には、河野広中氏の銅像がありました。

河野広中氏は、幕末の戊辰戦争で三春藩を官軍支持にまとめ官軍参謀の板垣退助を知った。維新後、若松県官吏。明治8年福島に政治結社・石陽社を結成、東北地方の自由民権運動の先駆けとなる

その後、自由党結成に参加し幹部として活躍。13年国会開設の請願書を政府に提出。一方、14年福島県会議長となり、翌年着任した県令三島通庸と対立、福島事件に連座、下獄。

22年出獄、翌年第1回衆院議員選に出馬、以後14回当選。30年自由党を脱党、憲政本党入り。35年衆院議長。38年日露講和反対運動を起こし日比谷焼打ち事件で投獄され

、翌年釈放。大正4年第2次大隈内閣の農商務相となる。(コトバンクより)

 

   

コースは、荒川に出てきました。このころから細かい雨が降ってきました。風もちょっと強くなってきました。

 

荒川の桜並木にやってきました。荒川の桜並木は、福島市中心部を流れる清流、荒川沿いに広がる、河川敷の約1キロにわたり、ソメイヨシノ約220本が連なっています。

晴天時は背景にそびえる吾妻連峰を眺めながら花見を楽しめる絶景スポットです。

 

見事な桜並木です。

  

 

  

荒川橋の所が23k、31kの分岐点です。23kは、橋を渡り福島市民家園の方に向かいます。

  

福島市民家園は、敷地110,000㎡の園内に江戸時代から明治時代にかけての県北地方の民家を中心に梁川村(現伊達市)の芝居小屋、福島市内商人宿、料亭、板倉、

会津地方の民家等を移築復元し、庭や畑とともに当時の環境を再現しています。

 

 

  

この民家園が最初のチェックポイント。中通りで獲れたリンゴやキュウイの接待がありました。

このあたりは、福島でも高地にあるのでしょうか、少し肌寒いです。

 

2回目のチェックポイントは、吾妻学習センターです。ここでは、豚汁をいただきました。ここまで18,2km、ゴールまであと5km。現在11時半。ゴールは12:30ごろかな?

  

豚汁をいただき再び出発します。野田中央公園を通ります。

  

高湯街道の道標がありました。

高湯街道(たかゆかいどう)は、福島市都心部から高湯温泉に至る温泉街道です。 福島駅西口の数十メートルを除いて福島県道70号福島吾妻裏磐梯線大半の区間が該当します。

高湯ゲート(有料時代の高湯料金所)以西から「磐梯吾妻道路(磐梯吾妻スカイライン)」と路線名が変わります。

  

福島駅西口から地下道を通り東口へ。東口では、何かイベントが行われていました。

 

12:35無事ゴールしました。発表された参加人数は、計算が間違っているようです。10人プラスの計1202人です。

  

福島市の町中を歩くと、朝ドラに古関裕而さんをと、要望する幟がありました。

   

このあと福島駅から新幹線で三嶋に移動しました。明日から3日間東海道を歩いてきます。


第20回(2018年)ふくしま吾妻荒川・花見山ツーデーマーチ1日目23km花見山コース(福島市)

2018-04-13 17:13:02 | オールジャパンウオーキングカップ

4/7~8 ふくしま吾妻荒川花見山ツーデーマーチに参加するため、4/6(金)福岡空港から飛行機で羽田へ。品川からは、青春18きっぷで福島に向かいました。

青春18きっぷで福島までは約5時間かかりますので、途中、宇都宮で下車し、宇都宮みんみんで宇都宮餃子をいただきました。宇都宮みんみんは、駅前のホテルにも支店ができているのですね。

   

今日は東京の方で風の為、架線に何か引っかかったりしてダイヤが乱れていましたが、午後6時半福島駅に到着しました。

第20回ふくしま吾妻荒川・花見山ツーデーマーチ

この大会、実は4年前にも参加しており、この時の会場は福島県庁前だったと記憶していますが、今回会場は福島駅東口「街なか広場」に変わっていました。

泊まったホテルからは、徒歩5分ぐらいで行けます。4年前は、他に観光もしていましたので2日間とも10kmでしたが、今回両日とも20kmのコースにエントリーしました。 

7時半、まだ膝の状態が万全ではないため、スローペースですので、30kmコースと一緒にフライングスタートします。

今日は、曇り空ですが、いつ雨が降るかわからないので雨具の準備をしました。

  

県立美術館を通り、信夫山(しのぶやま)(275m)に向かいます。

  

ここからは、吾妻連峰が見えます。吾妻小富士には、「雪うさぎ」が見えています。早春のころになると山肌に残る雪がうさぎのような形に見えることから、

この残雪は「雪うさぎ(吾妻の雪うさぎ)」と呼ばれ、福島市民に春の訪れを知らせる風物詩となっています。昔から雪うさぎが見えるようになると、農家の人々が苗代に種をまき始めたところから、

「種まきうさぎ」とも呼ばれています。

  

  

福島東稜高校から春日町緑地へ行きます。ここには側道の横に水路が流れており、鉛筆のオブジェなどが置かれております。

  

右側には、福島市音楽堂。この音楽堂の所に作曲家「古関裕而記念館」があります。古関裕而さんは、福島市大町の生まれ。戦前においては「露営の歌」「暁に祈る」、戦後では、

「とんがり帽子の歌」「長崎の鐘」「君の名は」また、昭和39年(1964)東京オリンピックでは選手の入場曲「オリンピックマーチ」を作曲されました。

福島市のマンホールは、羽黒神社の「わらじ祭り」が描かれています。

  

国道4号線鎌田交差点が31k、23kの分岐点。23kmは、阿武隈川を渡り、チェックポイントのもちずり学習センターに向かいます。

途中の大旦町では、今日桜まつりがおこなわれていました。何本もの枝垂桜が満開でホントきれいです。桜を眺めていると、地元選出衆議院議員の金子恵美先生が来られました。

金子先生とのショットです。

  

  

再び歩き出します。途中にブリキ看板がありました。この歯磨き屋さんは、知りませんでした。

「もちずり学習センター」が最初のチェックポイント。10,8km地点。

  

阿武隈川の文知摺橋を渡ります。このころから風が強く、私の相棒の風車が元気よく動いています。(今回は、風車の横に小さな鯉のぼりもつけています)

文知摺橋から川を見ると、コハクチョウがいます。確か、以前、会津の猪苗代湖でもこのコハクチョウを見たことがあります。

  

三本木橋を渡ると花見山の入り口になります。

  

花見山は、個人の所有で、梅や桜だけでなくハナモモ、レンギョウ、モクレンなどが一斉に咲き誇る花の名所。その美しさは写真家の故秋山庄太郎氏に「桃源郷」とまで言わしめるほどです。

 

 

 

今年は、福島でも桜の開花が早く、桜の一部はもう盛りを過ぎているのもありますが、山全体が花に覆われ、まさに絵を描いたような見事さです。

欲をいえば、天気も晴れだったらもっと綺麗だったでしょう。今日は、地元新聞社の「花ウォーク」も同時に開催され、花見山公園には人が一杯でした。

  

花見山が2回目のチェックポイント。16,6km地点。

  

前回参加した時は、時間の都合で花見山の上まで行かなかったので今回、行ってみることにしました。

   

 

 

花見山のきれいな花に満足し、再びウォーキングコースに合流します。

  

    

12:45無事ゴールしました。今日は、ウェルカムパーティにも参加しますので、まだ時間があるのでホテルに戻ります。

  

15:30からのウェルカムパーティは、福島テルサで行われました。

  

抽選会では、シューズを狙っていたのですが、当たったのは、僕のすぐ次の番号の人。なかなか当たりません。


第8回(2018年)唐津・虹の松原ツーデーウォーク2日目20km(佐賀県唐津市)

2018-03-15 11:01:55 | オールジャパンウオーキングカップ

3/11(日)唐津・虹の松原ツーデーウォーク2日目20km。今日3月11日は、7年前の東北大震災が起きた日です。出発式の前に参加者全員で黙とうしました。

8:00 30kmと一緒にフライングスタート。2日目は、虹の松原を通り鏡山に向かいます。

  

鏡山入口の所が20k、30kの分岐点。20kは、鏡山の方に行きます。ここで誘導員の方から下の道を行くようにと言われ、そちらに行ったのが大間違い。コースを外れてしまいました。

まだ気づいていません。

鏡山というと、佐用姫伝説の地です。佐用姫伝説は、羽衣伝説、浦島太郎伝説と並び日本三大伝説です。ここには、赤水観音がありました。

赤水観音は、松浦作用姫の伝承地である鏡山への登り口にある小堂である。新羅を討つためにこの地に赴いた大伴狭手彦は、この地の豪族の娘・松浦作用姫と恋仲になる。

しかし出発の時を迎え、作用姫は鏡山の山頂から領巾(ひれ:女性が肩に掛けて垂らしていた布)を振って別れを惜しんでいたが、さらに山を駆け下り、加部島まで船を追い、

その地で七日七晩泣き続けて遂に石と化してしまったのである。 一方、新羅を討つことに成功した狭手彦は、再びこの地に戻ってくると、鏡山の麓に船を繋いで作用姫の消息を尋ねる。

しかし出発してすぐにこの世の人でなくなったことを知ると、その菩提を弔うべく、船を繋いだすぐそばに寺を造り、そこに新羅から持ち帰った金銅仏を安置したのである。

これが赤水観音の始まりである。現在、金銅仏は近隣の恵日寺に移されたが、赤水観音のそばには今でも大伴狭手彦が船を繋いだとされる船繋石がある。

小堂自体はかなり寂れているが、堂内には作用姫と狭手彦の位牌が安置されている。   

   

  

昨年までは、このあたりから「ポンポコ村」に行って、チェックポイントをもらうはずなんですが、矢旗も何にもありません。仕方なくまっすぐ歩き出すと後ろから来た人にコースが間違っていると

教えられました。あわてて引き返し、ポンポコ村に戻ります。

鏡山の鳥居の方から入れば、すんなりとチェックポイントに行けたのでした。20分のロス。

  

このあたりからの景色は、ビューポイントです。

 

浜玉町は、枝垂れ梅が満開でとてもきれいです。

   

有須田邸の枝垂れ梅は、114年の古木や大小12本の枝垂れ梅が咲き誇っています。中に入ってじっくり見たかったのですが、時間がなく外側から覗きました。

  

西九州道の高架下を通り、野田温泉に向かいます。

 

野田温泉が2回目のチェックポイント。ここでは、大きなイチゴや飴湯の接待がありました。

  

野田温泉を過ぎても、民家の庭先には、枝垂れ梅が咲き誇っています。

 

 

 

道の脇には、つくしも顔を出していました。

 

五反田改善センターが3回目のチェックポイント。ここまで約15kmです。ここでは、甘いミカンの接待です。

 

 

ここからは、玉島川沿いに歩きます。昨年のこの大会のせっかくウォークでは、玉島川の「シロウオ」料理が出されましたが、今年は、川に簗が掛けられていません。

今年は、シロウオが獲れないのかな?

  

12:30 浜玉公民館にゴールしました。昨日は、ひざ痛であまり歩けませんでしたが、今日は、そんなに痛みもなく、無事ゴールできました。

  

ゴール後、野菜スープが振る舞われました。

今回の2日間の参加者は、スタッフを除いて1388人です。昨年は、1190人でしたので1割ぐらい増えました。

せっかくウォークの時は、悪天候でしたが、2日間とも晴天に恵まれ絶好のウォーキングでした。

 

 


第8回(2018年)唐津・虹の松原ツーデーウォーク1日目25km(佐賀県唐津市)

2018-03-13 17:04:19 | オールジャパンウオーキングカップ

3/10(土)第8回唐津・虹の松原ツーデーウォーク1日目25kmに参加しました。

何と私が、出発の「激」をすることになりました。初めての経験です。歳はとっていますが、やはり緊張しますね。

8:30 私の「激」でスタート。1日目25kmは、浜玉公民館より壱岐行フェリー折り返すコースです。

     

    

魚半の所から右折し、虹の松原に入ります。虹の松原は、三保の松原(静岡)、気比の松原(福井)と並び日本三大松原の一つです。

17世紀初頭唐津藩主寺沢広高が新田開発の一環として、もともとの自然林から防風林、防砂林として植樹を行いました。今では長さ4,5km、幅0,5kmの間に黒松100万本があります。

この虹の松原には、七つの伝説があるそうです。その一つ、秀吉が名護屋城に向かう途中、この松原を通り、あまりセミが鳴くので「騒々しい」と叱った時以来、セミの声が絶えたそうです。

浜防風は、食用です。私も子供の頃に食べた記憶がありますが、どのような料理法で食べたか思い出せません。

  

「松の井」、「洋々閣」は、明治、大正の面影を残す純和風旅館です。

 

舞鶴橋にやってきました。ここからの唐津城がビューポイントです。

   

1回目のチェックポイントが唐津城です。唐津城は現在石垣の工事中です。

唐津城は、慶長13(1608)年の築城。初代唐津藩藩主・寺沢志摩守広高(てらさわしまのかみひろたか)が、慶長7(1602)年から7年の歳月をかけて築城しました。

唐津城は満島山(みつしまやま)とよばれる陸続きの島にあり、この満島山を本丸としていました。城内は石垣をめぐらし、濠が掘られていたそうです。

明治4(1871)年、廃藩置県によって廃城となり、その本丸跡は舞鶴公園となりました。現在の姿は昭和41(1966)年に文化観光施設として完成したもので、

5層の見事な天守閣が堂々とそびえています。 この天守閣(てんしゅかく)を鶴の頭に見立て、左右に広がる松原が、鶴が翼を広げた形に似ていることから、

唐津城は別名舞鶴城(まいづるじょう)ともいわれています。(あそぼーさがより)

  

唐津城を下り、西の浜海水浴場に向かいます。

  

旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる高取伊好(たかとりこれよし)の邸宅です。唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2,300坪の広大な敷地に大きく2棟の建物が建っています。

平成6年から平成7年にかけて行われた国の近代和風建築総合調査でその重要性が確認され、平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けました。

話は変わりますが、僕らと同じ世代の方は、御存じかと思いますが、1959年(昭和34年)に公開された映画「にあんちゃん」の舞台は、杵島炭鉱大鶴鉱業所です。唐津市肥前町にありました。

<参考> 写真は、肥前町にある「にあんちゃんの里」碑。

  

大きな船の形をした建物があります。ここは、下水処理場です。周りの景色に合わせてこのような形になったそうです。

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壱岐行フェリー乗り場を通り唐津市水産会館が2回目のチェックポイント。ここではイカ焼きが接待です。

  

西唐津駅、唐津駅を通り松浦川へ。

  

松浦川の反対側には、「佐用姫岩」があります。佐用姫伝説では、鏡山から飛ぶように駆け下りた佐用姫はこの岩に飛び降り、その時に付けられた足跡が岩の頂上にに残されているという。

今では水辺に浮かぶ小島のようになり、遊歩道が設置されて完全に公園化しています。

  

13:30 ゴール!