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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第20回宮崎ツーデーマーチ「こばやし霧島連山絶景ウォーク2日目20km」(宮崎県小林市)

2018-03-01 19:10:06 | オールジャパンウオーキングカップ

2/25(日)宮崎ツーデーマーチ「こばやし霧島連山絶景ウォーク2日目」。

前日は、絶好のウォーキング日和でしたが、今日は朝からシトシトと小雨が降っています。午前中でももってくれればいいのですが・・・・・・

昨日は、ゴールした後、道の駅ゆーぱるのじりを覗きましたら、野菜が安い!福岡の産直店より2割~3割ほど安いです。

さて、本題に戻ります。今日は30kmコースに行きたかったのですが、雨の為、20kmに変更しました。勿論いつものフライングスタートです。

8:00 30kmと一緒にスタートします。

 

市役所前を通り、駅伝の名門「小林高校」前を通ります。

小林市役所は、現在新築中で、外観は、木を使ったデザインです。今年6月に完成予定だそうです。

小林高校の駅伝部は、全国大会出場52回(うち、全国優勝7回)を誇る強豪校です。

 

  

小林高校から、最初の上り坂、緑ヶ丘公園に向かいます。緑ヶ丘公園の梅林は、もう7分~8分ぐらい花が咲いています。紅と白のコントラストがいいですね。

  

今年の冬季オリンピックでは、カーリング女子LS北見の「もぐもぐタイム」が有名になりましたが、このコース最初の「もぐもぐタイム」が緑ヶ丘公園です。

公園内には、SLも展示されています。この公園、何年か前の大会で通りました。

 

運動公園入口が20k、30kの分岐点。20kは、運動公園を通り出の山に向かいます。

このあたりから雨が降ってきました。傘を差し、合羽を着てのウォーキングです。

  

このあたりアップダウンが続きます。昨日痛めた膝が泣き始めました。一緒に歩いていた歩友さんと離れ膝をいたわりながらゆっくりゆっくり歩きます。

地鶏の里が2回目のもぐもぐタイム。バナナ、ゆで卵が振る舞われました。ゆで卵は、しょうゆをかけたら味が変わると教えられ、実行すると一段とおいしくなります。

  

ホタル館に到着。ここでは、豚汁、アユのから揚げです。

ここでは、30kmの速い方から抜かれていきました。

  

出の山淡水魚水族館が1回目のチェックポイント。

小林市は、市内に約75ヶ所もの湧水地があり、出の山公園の湧水が名水百選にも選ばれるなど「名水のまち」と呼ばれています。その豊富な名水を活用し、

昭和58年より「宮崎県水産試験場小林分場」がチョウザメ研究に取り組んできました。同試験場は、平成16年に日本で初めてシロチョウザメの完全養殖に成功するなど国内において

トップクラスのチョウザメ技術を有しています。小林市の水は、チョウザメの養殖に適した水温であり、稚魚期には、地下水を利用することで、

悪性の菌を池に入れることなく安全に育てる最高の条件のもと成育することができます。現在、小林市内では5業者で養殖を行っています。

すべての養魚場で飼料の統一、霧島裂罅水で養殖されており品質統一に努めています。(小林市HPより)

チョウザメというと世界三大珍味「キャビア」が有名ですが、チョウザメの魚肉を使ったお寿司などもおいしいそうです。

 

まきば演芸場です。天気がいい日は、ここからの霧島連山のビューポイントですが、残念ながら雨の為煙っています。

  

昨年歩いた時は、ここの河津桜は、ほぼ満開でしたが、今年は開花が遅れているのかまだ蕾でした。

 

消防訓練広場では、ミニトマト「あいこ」の御振舞。

 

2回目のチェックポイントは、「霧島岑(みね)神社」です。

由緒を見ると、大昔、霧島岑神社は高千穂峰中腹(御鉢)の瀬多尾(せだお)の高地に鎮座していた。度重なる噴火により、たびたび社殿などが焼失。
享保14年(1729年)夷守岳中腹に社殿を再建、明治初頭まで鎮座した。
明治6年(1873年)霧島六社権現の一つであった夷守神社を合祀した後、夷守神社跡地に遷座し現在に至る。
祭神は、瓊々杵命(にぎにぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、
鸕鷀草葺不合命(うがやふあへずのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)
 
 
 
 
 
霧島岑神社は、近所の方が手造りの炭酸を使った蒸しパン?、お漬物、それに手作りのティッシュカバーです。
 
  
 
霧島岑神社からゴールまで約5km。雨の中ひたすら歩きます。
 
JR小林駅を通り、12:55やっとゴールしました。
 
  

 ゴールでは、白玉ぜんざいがサービスです。雨で濡れたので温まります。

今年の参加者は、2日間(2日目は雨でしたが)で2000人を超えました。昨年は1900人でしたので若干増えましたね。これもスタッフさんたちの地道な努力の賜物でしょう。

来年も参加者が増えるといいですね。勿論私たちも来年も参加する予定です。

ただ、会場のステージとスタート地点が前と後ですので、参加者の方は後方でスタートを急ぐためか、スタートの方ばかり集まり、ステージ側には、あまり集まりません。

折角の来賓の御挨拶や、太鼓の演舞は、見ていない状態です。会場の配置をもう少し考慮されればと思っています。

 

   

 会場をあとに、神の郷温泉で汗を流してきました。歩いた後の温泉はいいですね。

 


第20回宮崎ツーデーマーチ「こばやし霧島連山絶景ウォーク1日目30km」(宮崎県小林市)

2018-02-27 17:36:43 | オールジャパンウオーキングカップ

2月24日~25日に宮崎県小林市で行われた「第20回こばやし霧島連山絶景ウォーク」に参加しました。

霧島連山は、現在、高千穂峰の御鉢が警戒レベル2、新燃岳レベル3、硫黄山レベル2と火山活動が活発になってきています。

また、前夜の放射冷却からでしょうか、各山々には、雪が被っています。車のフロントガラスも凍っていました。朝の気温は1度でした。

会場も前年までの総合運動公園からJR小林駅の中央ふれあい広場に戻りました。宮崎ツーデーマーチは、2012年までは、宮崎市内で行われていました。2013年から吉都線100周年という

ことで小林市に移りました。小林に移った最初の大会は、このJR小林駅ふれあい広場でした。

JR小林駅も新しくなり、モダンなデザインです。

   

この大会は、「おもてなし」がいいことで有名な大会です。30kmのコースでは、10か所ぐらいのお接待所があります。最初のお接待は、小林西高校野球グラウンドの前。

小林西高校は、プロ野球タイガース榎田大樹投手の母校です。

 

霧島連山です。真っ青な空に飛行機雲。

  

永久津のビーフクックくらそのでは、永久津小中学校の子供たちが作ったもち米で「きな粉餅」が振る舞われました。ここが1回目のチェックポイント。

 

永久井野かくれ念仏洞があります。

薩摩藩では、戦国時代末期から一向宗(浄土真宗)が禁止されていました。実際に告示されたのは慶長2年(1597)のことで、島津義弘が朝鮮出兵の際、留守に残した掟書の中の一条に

 「一、一向宗の事先祖以来御禁制ニ候之条、彼宗躰に成候者曲事たるべき事」の一文があります。

禁制の理由については、宗派内の封建的性格と宗祖親鸞の平等思想が、当時の封建支配者層にとって非常に危険なものであったためともいわれています。

 しかし、藩の厳しい弾圧にもかかわらず、ひそかに信仰する人は後を絶ちませんでした。信者達は信仰を守るため、人里離れた洞穴(諸県弁でガマ)などに夜目にまぎれて集まり、

講話をきいたり、念仏を唱えました。このような一向宗禁制は明治9年(1876年)まで続き、解禁後、これらの洞穴はしだいに忘れ去られていました。

永久井野地区にあるかくれ念仏洞は入り口幅約70センチメートル、奥行き18メートル、最大幅6メートルで、入り口から8メートルは大人がしゃがみ、ようやく進めるぐらいの余裕しかありません。

 しかし内部は広く、50人ほどが座れ、奥に行くにつれて傾斜しています。(小林市HPより)

  

永久井野古里小屋があります。

  

高山公民館でのお接待。

  

2回目のチェックポイントが「二原遺跡公園」。

二原遺跡公園は、県指定史跡である東二原地下式横穴墓群を整備して公園化したものです。

 地下式横穴墓は、宮崎県南部、鹿児島県肝属平野を中心に分布する古墳時代の南九州特有の墓です。 東二原地下式横穴墓群は、昭和59(1984)年畑を耕作中、1基(1号墓)が発見さ れ、

その後、平成2(1990)年に市教育委員会で発掘調査したところ、新たに地下式横穴墓15基のほか直径20メートルの円墳が発見されました。出土品については、人骨が21体分、そのほか、

副葬品には鉄鏃、骨鏃、刀子、剣、 直刀、鏡、貝輪、朱玉などがあります。これらの出土遺物等から、東二原地下式横穴墓群はおおよそ5世紀末から6世紀前半(約1500年前)に

造られたものと考えられます。(小林市HPより)

 

  

東方体育館にやってきました。毎年ここでは、中学生が応援してくれます。中学生のパワーをいただき、三之宮峡へ向かいます。

  

三之宮峡は、霧島ジオサイトの1つで約34万年前加久藤カルデラの噴火の際に火砕流によって形成された、雄大な景観美と豊かな植生を今に残す美しい渓谷です。

約1kmの遊歩道は、昭和30年代まで木炭や木材を運ぶトロッコ道として利用されており、子どもでも歩きやすく、絶好のウォーキングコースとなっています。

遊歩道には、大小11か所のトンネルがあります。

  

 

 

三之宮峡の最後には、急勾配の階段が待っています。昇った所が「橋満橋」です。今年は、倒木の為通行できません。

橋満橋は、昭和18年地元の人たちが材料を購入し、奉仕作業で造られました。戦争中だったため、鉄の代りに竹を使った竹筋コンクリートと石材を使った珍しい橋です。

  

今年のコースは、昨年に比べアップダウンが多いような気がします。私の持病のひざ痛が悲鳴を上げかけています。

ダイワファームに来ました。ここで18km地点。ダイワファームは、ソフトクリームがおいしいとのことで私と家内分を買っていただきました。

甘さもちょうどよく、しつこくない味でした。おいしかったです。

  

「陰陽石」にやってきました。ここでは、牛乳、ドーナツ、日向夏の接待です。

  

陰陽石:夫婦岩とも呼ばれる2つの奇石、陰陽石。霧島火山帯の溶岩が造り出した自然の妙技で、男石(陽石)が高さ17.5メートル、女石(陰石)が周囲5.5メートルあり、

男女一対であるのは世界でも珍しいものです。よろず生産の神、また子宝の神としても信仰されています。(小林市HPより)

田の神様(たのかんさあ)は、江戸時代の島津氏が統治していた、薩摩、大隅、 日向の一部地方のみの風習だったのです。 田の神. 田の神(たのかみ)は、日本の農耕民の間で、

稲作を見守り、豊穣をもたらすと信じられてきた神です。

    

 田の神様から真方体育館の方に行きます。ここでは、ミルク鍋が振る舞われました。

 

コースも終盤です。市立病院、吉都線の踏切を超え、永田平公園に向かいます。ここが最後の昇りですが、私の膝が痛くなったので、ゆっくりゆっくり昇ります。

永田平公園は、大正時代から公園として利用され、とくに夜景がすばらしいそうです。若いカップルには、いいでしょうね。

永田平公園が最後のチェックポイントです。

  

永田平公園を下り、JR小林駅を通ると、ゴールです。14:30無事ゴールしました。

  

ゴール後の抽選会では、ノンアルコールビールが当たりました。

  

ゴール時間は、昨年と変わりませんが、今年はアップダウンが多かったのか、少々疲れました。

然し、この大会は本当に「おもてなし」が多く、お昼のお弁当も要りませんでした。

明日は、雨の予報です。午前中位持ってくれればいいのですが・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


第26回いぶすき菜の花マーチ(2018)2日目22km(鹿児島県指宿市)

2018-02-07 12:00:00 | オールジャパンウオーキングカップ

1/28(日)今日は、昨日と変わり曇り空で昼から雨の予想。

2日目の会場は、ふれあいプラザ菜の花館。

  

8:30スタート。

  

指宿市では、今日市長と市議の公示日。途中では、選挙の出陣式が行われていました。

4km地点が揖宿神社。祭神は、天照大神。ここでは、お神酒が振る舞われました。

  

約10km地点が今和泉島津家墓地。墓地には、篤姫の父「忠剛」や兄「忠冬」の墓がありました。

このコース、9年前菜の花マーチ、大河ドラマ「篤姫コース」で通った所です。今年の大河ドラマ「西郷どん」でも篤姫が出てきますね。

 

今和泉島津家墓地の横には。「豊玉媛神社」です。豊玉媛は、山幸彦(ヤマサチヒコ)である火遠理命(ホオリ)の妻として、その御子である鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)を産みます。

海神・水神として富や出産との強い関連をもつ女神です。

篤姫は、子供の頃この神社で遊んでいたそうです。

  

  

  

  

今和泉島津家から宮ヶ浜海岸に出ます。ここからは、錦江湾沿いを歩きます。時々小さな雨が降ってきました。予報では昼からということでしたがもう雨です。

 

 

 

休暇村で最後の給水

  

13:40 22kmコースゴール!

参加者は2日間合わせて約6400人。3年前は1万人以上の参加者でしたが、それ以降参加者の数が減っています。今年は、選挙と重なったせいかな?

  

ゴールした後、雨が本降りになりました。私たちは今日まで指宿に滞在します。ホテルに電話すると今からチェックインOKでしたのでホテルに直行しました。

指宿の料理と言えば、やはりこれですね。

  


第26回いぶすき菜の花マーチ(2018)1日目27km(鹿児島県指宿市)

2018-02-06 10:11:23 | オールジャパンウオーキングカップ

今年もいぶすき菜の花マーチに参加しました。今年で9年連続9回目の参加です。

朝3時に福岡の自宅を出発し、1日目会場の山川町フラワーパーク鹿児島に着いたのが8時。すぐ受付をして8:30のスタートを待ちます。

今年のNHK大河ドラマは「西郷どん」。鹿児島が舞台の大河ドラマは2008年の「篤姫」以来です。今年のコースは、西郷どん縁の地も組み入れられています。

8:30スタート。先ずはフラワーパーク内を歩きます。今年は戌年、干支の花壇では、西郷ドンと犬が描かれていました。

      

   

フラワーパーク内には、いろいろな花も咲いています。

  

フラワーパークの絶景ポイント。

フラワーパークを下りてくると、菜の花と開聞岳のコラボが。

  

最初のお接待は、クレーンに黄色の旗を立てた所。生姜湯と完熟金柑がお接待です。

  

山川薬園跡では、「げたんは」という鹿児島のお菓子。下駄の形に似てるからその名がついたそうです。

  

山川港を通りウナギ温泉へ向かいます。山川港の所には、「さつまいも上陸地」の碑が建っています。

山川町は開聞岳の裾野にある農漁村で、ここで船乗りをしていた前田利右衛門は、1705(宝永2)年に琉球から持ち帰ったカライモ(=サツマイモの鹿児島での呼称)の栽培に成功し、

この栽培は瞬く間に鹿児島全域に広がりました。これが日本本土におけるサツマイモ普及の初めであったと伝えられます。利右衛門は“甘藷翁”と呼ばれ、山川町の徳光神社(通称からいも神社)に

祀られています。

 

鰻温泉への道は、「うなっ・せごどんのみっ」と呼ばれています。ここからの坂道が急勾配で、正月以来あまり長距離を歩いていない私にとって地獄そのものです。

ここには、毎年この時期「つくし」が顔を出しているのですが・・・・・・・・ありました  多分日本で一番早い「つくし」ではないでしょうか?

  

鰻温泉が最初のチェックポイント。

   

鰻温泉での楽しみは、「スメ」を使った茶ぶし、茹で卵、ふかしイモ。

  

  

明治初期、征韓論で敗れ下野した西郷隆盛は、13頭の犬を連れてここ鰻温泉に約1か月滞在しています。

滞在中は、開聞岳周辺に狩りに出かけ、兎を獲ったり、近所の子どもたちと遊んだり、雨の日は読書・瞑想・漢詩などを作って過ごしたと伝えられています。

そして、この地に佐賀の名士「江藤新平」が西郷さんを訪ね、会談をした場所としても知られています。約1か月の滞在を終え、滞在宅の福村家に御礼に犬を1匹差し上げよう、

と西郷さんが申し出たところ、犬は怖いから、という理由で辞退され、代わりに西郷さんが着ていたフランネルのシャツを残しており、これが現存しております。

昨年まではなかったのですが、今年は鰻温泉に西郷ドンの連れてきた犬の像も建っていました。また、今年の大会では、13頭の犬を探せのスタンプラリーも行われました。

 

鰻温泉からの帰りは、急な下りです。私の持病の膝が痛くなりました。久しぶりの長距離で膝が悲鳴をあげています。

2回目のチェックポイントは、JR西大山駅。

  

 

14:35やっとゴールしました。昨年より2kmぐらい増えたのか、昨年の記録よりも約1時間遅れてのゴールでした。

1日目の参加者は、3035人でした。このあと16:00からの歓迎レセプションに参加の為、しばし会場内で歩友さんたちと歓談しました。

  


第28回加古川ツーデーマーチ2日目20km(兵庫県加古川市)

2017-11-19 16:04:15 | オールジャパンウオーキングカップ

11/12(日)今日は私の〇〇歳の誕生日。FBには、たくさんの方からお祝いメールをいただきました。有難うございます。

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11/12 第28回加古川ツーデーマーチ2日目。姫路のホテルで朝食をしっかり食べ、いざ会場へ。

今日は、大会終了後、明日からの東海道歩きのため静岡県に移動します。

   

加茂神社、泊神社を通り加古川へ。

加古川は、昔、鹿児川(かこがわ)と呼ばれており、昔、景行天皇が西国征伐のおり、印南野氷の丘(現在の日岡山)より望まれた河の三角州が、鹿の背に似ているところから、名付けられたという説と。

同じ頃、その周辺(現在の加古川駅前)に、多くの鹿が住みつき 鹿の村と名付けられたという説があります。(㈱カノコHPより)

   

加古川は、延長96kmの一級河川。河原の途中が1回目のチェックポイントでした。

  

水管橋を通り、「升田堤」へ。

升田堤は、万治元年(1658年)に姫路藩主・榊原忠次が築堤したもので、現在の堤防の基礎ともなっています。古くから加古川の流れはこの辺りから東西二つに分かれており、

参勤交代の大名や旅人は二つの瀬渡しで難儀し、地域の人々は毎年のようにおこる水害に苦労していました。忠次はこの二つの流れの間に堤防を築いて流れを一つにし、

かつての河床に新田や畑を開くことを決め即座に工事を実施に移しました。なぜなら当時、度重なる水害による被災者救済や石高の低下が藩の財政を圧迫し、

築堤による治水と新田開発に大きな期待をかけていたからです。こうして藩の命運をかけた「升田堤」には人員延べ60万人を動員、工期は約1ケ月余りという驚異的な規模と速さで完成し、

開墾した新田は藩に大きな利益をもたらしました。

  

平荘湖(へいそうこ)は、昭和41年に東播磨工業地帯の工業用水の安定供給を目的として建設されたダムによってできた人造湖です。

湛水面積約1平方km、貯水量900万トンで、1日20万トンの配水能力をもっています。湖面にはひょうたん型の島が浮かび、周辺は自然景観の美しいところです。

ここでN夫妻、とほ娘さんと合流。ここから一緒に歩きます。

 

  

  

 

2回目のチェックポイントがウェルネスパークです。ここでは、まちこん鍋が提供されました。

  

  

まちこん鍋を食べながら少し休憩します。食べ終わると再びスタート。

升田の町に入ります。このツーデーマーチの間、升田では、たくさんの案山子が出迎えてくれます。

升田では、地元の方が作られたぜんざいがあります。子供たちの呼びかけにつられ中に入りました。

今日は、私の誕生日。Nさんがぜんざいをおごってくれました。

帰りも案山子さんが見送ってくれました。

 

再び加古川河川敷を歩きます。川の土手には、わんわん応援隊の幟が・・・・・「愛犬ちゅんこと一緒に」のブログを書いておられる方でした。

  

河川敷では、加古川凧上げまつりも開催されていました。

  

加古川橋を通り、「じげまち商店街」へ。ここは5年前西国街道を歩いた時に通りました。

  

3回目のチェックポイントは、「ニッケパークタウン」です。日本毛織こと「ニッケ」の加古川工場跡地で現在ショッピングセンターになっています。

 

  

13:25 20kmコース(実際は22km)ゴール

  

2日間の参加者は前年度を上回ったそうです。歩いていていろんなお祭りにも遭遇し本当に楽しかったです。やまちゃんはじめスタッフの方有難うございました。

このあと、加古川駅に戻り明日からの東海道歩きのため静岡県藤枝市に向かいました。

   

 


第28回加古川ツーデーマーチ1日目20km(兵庫県加古川市)

2017-11-17 17:48:22 | オールジャパンウオーキングカップ

11/11~12の「第28回加古川ツーデーマーチ」に参加しました。この大会は6~7年前に一度参加した大会で今回で二度目の参加。

11/11(土) 6:08博多駅発始発の新幹線のぞみに乗り、途中広島で別ののぞみに乗り換え、姫路駅から神戸線で加古川駅へ。会場に着いたのは、8:50.

どうにか、20kmのスタートには間に合いました。参加者が多いので列の一番最後に並び9:00スタート。(スタートは8:45から)

加古川は、我が福岡藩祖黒田如水(黒田官兵衛)の奥方「光(てる)姫」の生誕地。大河ドラマの時に作られた「てるひめちゃん」も応援に駆けつけました。

明日(12日)は、私の〇〇歳の誕生日。ゼッケンには、「気分は20歳です」と書きました。ちょっとサバを読みすぎたかな?

   

この大会は、仮装ウォーカーも募集していました。

 

30分ぐらい歩くと卸団地が1回目のチェックポイントです。卸団地では、ツーデーマーチに合わせ、卸まつりがおこなわれていました。

模擬店などおいしそうなお店が並んでいますが、先を急ぎます。

  

兵庫県は、溜池の数が日本一です。兵庫県でも一番は、淡路島ですが、明石、加古川、高砂、稲美町、播磨町などの東播磨地域の年間降水量は、全国平均の約半分と

雨が少ない瀬戸内気候です。稲作のためには、溜池で水を確保する必要がありました。

 

   

コースは、兵庫大学の構内に入ります。ちょうど兵庫大学では、学園祭が行われていました。ツーデーマーチに合わせての学園祭、お客さんも多いでしょうね。

  

  

コースは、加古川バイパスの歩道橋を通り、東加古川駅の方に向かいます。このあたりから歩友東京のMさんの奥さんに追いつきました。

 

2回目のチェックポイントは、教信寺です。

   

教信寺の横は、西国街道です。何年か前に山陽道・西国街道を歩いた時この道を通っているのですが、あまり覚えていません。

浜の宮公園が3回目のチェックポイント。

   

浜の宮公園では、元気鍋が振る舞われました。ここで小倉のNさんご夫妻と合流しました。ゴールまであと4,6km。ゴール時間は13:30頃かな?

  

このあと、浜の宮神社、尾上神社に向かいます。

尾上神社には、謡曲「高砂」に謡われた「尾上の松」があり、現在の松は五代目です。

   

鶴林寺

589年、聖徳太子が16才の時、秦河勝(はたのかわかつ)に命じ仏教をひろめる為の道場として建てられました。釈迦三尊と四天王を祀り「四天王寺聖霊院」と称されたのが

この寺のはじまりといわれ、播磨の法隆寺とも呼ばれています。平安時代の壁画が見つかった県下最古の木造建築物、国宝「太子堂」や、泥棒が盗み出し壊そうとしたら「アイタタ」という声が

聞こえてきたため、改心したと伝えられている国重要文化財「金銅聖観音立像」など、多くの文化財が残されています。

   

鶴林寺では、甘酒のサービスがありました。

  

13:20  20kmゴール

ゴール会場には、昔のムーンスターのSNSの仲間、明石の「くりちゃん」が応援に来ておられ、皆さんと記念撮影しました。右側の写真にくりちゃんが写っています。

  

今晩の宿泊先は、加古川駅から電車で10分の姫路のホテル。夕方姫路城でライトアップが行われるということで行ってきました。

 

 


第26回富士河口湖もみじマーチ1日目20km(山梨県富士河口湖町)

2017-10-29 08:00:25 | オールジャパンウオーキングカップ

10/20  3年ぶりに「富士河口湖もみじマーチ」に参加しました。3年前は、雨で富士山が見れずリベンジのコースでしたが、天気予報では、台風21号が接近し、雨の予報。

福岡空港から7:00の飛行機で羽田に行き、羽田から高速バスで河口湖駅に向かいました。河口湖駅に着いたのが午後1時。

河口湖駅からレンタカーを借り、事前受付をするため会場の富士河口湖町役場へ。

   

     

10/21(土)第26回富士河口湖もみじマーチ1日目 20kmコース

台風21号のせいか、朝から雨が降っていて時々強く降る最悪のコンディション。7:30 30k、20k同時スタート。

天気のいい日には、会場から富士山が見えるのですが、今日は、顔を出してくれません。本当は、30kmコースにエントリーしていましたが、この雨で20kmに変更しました。

 

 

 

 

 

 

河口湖フィールドセンターに着きました。ここには、船津胎内樹型があります。

河口湖フィールドセンターの敷地内にある船津胎内神社の中に入口があります。洞穴の側壁は肋骨状、天井は鍾乳石状になっていたり、

流れ込んだ溶岩がうねったり奇妙なしわ模様をつくったりしていて、まるで人の胎内のようです。全長約70m、長いもので約20mの樹型が複数本組み合わさり、

一帯で最大大規模の溶岩樹型です。1617年に富士講の開祖長谷川角行が富士登山拝をした際、北鹿に洞穴を発見し、浅間大神を祀りました。富士講信者によって

1673年には、現在の船津胎内樹型が発見されました。洞穴には木花開邪姫命が祀られています。富士講信者は富士山の登山前後に身を清めるために胎内くぐりを行ったそうです。

胎内の中に入ってみたかったのですが、この雨です。先を急ぎました。

   

雨は、容赦なく降り続けます。道路には、水たまりもできました。そこを車がスピードを上げ通り過ぎ、私の所に水しぶきがかかってしまいました。

もう少しゆっくり走ってくれたらいいのに・・・・・・  

   

 

大塚丘(おおつかやま)は、西暦110年日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折に、途中で立ち寄ったとされており「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と

言葉を残したとされています。 大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、北口本宮冨士浅間神社の創建となりました。 (富士吉田観光案内より)

  

北口本宮富士浅間神社です。この神社は1900年の由緒があり、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方への遠征の折にこの地にて富士山の神霊を遥拝し「富士の神山は北方から拝せよ」と

仰せになり、祠を建てて祀ったのが始まりです。

富士山の女神である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火瓊々杵命、(ひこほのににぎのみこと)、大山祗神(おおやまづみのかみ)がお祀りされています。

古くから富士山の遥拝地として信仰を集めていましたが、江戸時代に富士講が広まると多くの人がここより登拝し、富士山の北口(吉田口)登山道の起点として栄え、

17世紀初期に富士講の寄進により整備された境内は壮観で、富士山信仰の中心であることが感じられます。(富士の国やまなし観光ナビより)

  

北口本宮浅間神社を下りた所が、20k、30kの分岐点です。30kは、道の駅富士吉田~忍野八海を経由します。

20kは、金鳥居市民公園へ向かいます。20kのチェックポイントが金鳥居市民公園です。

  

 

 

チェックポイントを過ぎると、富士急ハイランドが見えてきます。今日は雨ですので遊戯施設は、見た所動いていません。台風だからお客さんも少ないのかな?

  

富士急河口湖駅です。昨日は、外国の方が多かったみたいですが、今日はどうかな?

11:44 ゴールの富士河口湖役場に到着。カッパを着てのウォーキングでしたが、シャツに水がしみ込んでいます。

その足で「紅富士の湯」に直行しました。この温泉も晴れていたら露天風呂から富士山が見れます。今日は・・・・・・・・

 

ホテルへ戻る途中、「道の駅富士吉田」に立ち寄りました。店先には、甲州のブドウが販売されていました。おいしそうなので一房買ってしまいました。

また、道の駅には、「吉田うどん」のお店があります。お腹も減ったので食べることにします。

吉田うどんの特徴は、太くてこしが強く、硬い麺です。キャベツや油揚げを入れます。

食べてみると、さすがこしが強く、硬いです。太さは、伊勢うどんみたいに太いです。

うどんは、博多も名物ですが、博多のうどんは、こしの弱い麺(柔らかい麺)です。博多のうどんばかり食べていますので、食いしん坊の私でもちょっと残してしまいました。

  

台風21号は、本州に近づいています。明日のウォーキングはどうなるでしょうか?

 


ひらどツーデーウォーク2017 2日目16km(長崎県平戸市)

2017-10-10 19:24:25 | オールジャパンウオーキングカップ

10/08(日)は、ひらどツーデーウォーク2日目に参加しました。昨年に続き2年連続4回目の参加です。

  

8:30 30k、16k同時スタート。今日は、北九州市のNさんご夫妻、東京のとほ娘さん、札幌のSさん、広島のIさんと一緒に歩きます。

  

平戸城の横を通り、猶興館高校校門前を過ぎて平戸大橋へ。

猶興館高校は、現在じゃぱネットたかたの会長高田明氏の母校です。

  

カタクチイワシは、「いりこ」として出汁に使われます。このままですと、お酒のおつまみにもいいですね。

 

平戸大橋は、全長665m、昭和52年(1977)開通しました。昨年は風が強く私の相棒の「風車」の骨が折れたりしましたが、今年は風もなくその心配も無用でした。

  

橋を渡ると田平(平戸市)の町です。平戸大橋が完成する前までは、田平港からフェリーで平戸に渡っていました。

私が社会人になってすぐのころ、平戸港ターミナルの建設が行われていましたので、材料納入のため何回もこのフェリーを利用したことがあります。

当時、1日に30往復ぐらい便があったのではなかったでしょうか?フェリー代も高かったと記憶しています。

そのフェリーも平戸大橋完成後何年かは、営業していましたが、昭和59年(1984)廃止になりました。

  

松浦鉄道「たびら平戸口駅」は、日本最西端の駅です。

まだJRが国鉄の頃は、博多から筑肥線~松浦線を通って急行がこの「平戸口」まで走っていました。50年前の古い話です。

  

   

ナフコの踏切を渡ります。ここから昆虫館までは、このコースの最大の上り坂です。

  

最初のチェックポイントが「田平天主堂」。

  

北松(ほくしょう)農業高校は、今年も運動会でした。※北松は、以前この一帯が北松浦郡でしたので北松と呼んでいます。

  

田平公園です。ここからは平戸大橋のビュースポットです。

  

田平公園から平戸大橋に戻ってきます。ここからゴールまでは、約3km。

  

大橋を渡った平戸大橋公園が2回目のチェックポイント。

 

公園から国道に出ます。

  

  

歩いていると30kmのトップの方が追い抜いて行きました。東京のMさん、兵庫のIさんです。

  

12:06 16kmをゴールしました。ゴール後の楽しみは、ぜんざいです。お腹も減っていましたのでおいしかったです。

  

 


瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ2日目12km(秋田県仙北市)

2017-10-07 17:26:24 | オールジャパンウオーキングカップ

10/01(日) 第19回田沢湖ツーデーマーチ2日目。今日は昨日と比べて快晴です。

会場は、レストハウスよりバスで約20分のアルパこまくさ。2日目のコースは、①33km、②22km、③12km、④6km。

私たちは、帰る時間もありますので12kmコースを選択しました。

今日の田沢湖です。2日目のコースは、アルパこまくさから田沢湖レストハウスのゴールに向かうコースでほとんど下りばかりです。

アルパこまくさには、秋田駒ヶ岳へ向かう人がバスを待っていました。(今日、秋田駒ヶ岳は日曜日ですのでマイカー規制になっていて、バス以外は通れません)

 

出発式を終え9:15スタート!昨日までは、見れなかった駒ヶ岳が今日は綺麗に見えます。

  

  

 

お天気も良くそんなに暑くもなく絶好のウォーキング日和です。

 

田沢湖周辺には、乳頭温泉、水沢温泉、田沢高原温泉などの温泉があります。仙北市では、3か所の温泉が楽しめる温泉パスポート(1500円)を発行しています。

  

秋田駒ヶ岳をアップしてみました。所々紅くなってきていますね。

  

  

  

   

山のはちみつ屋です。赤いロンドンバスが目印です。

  

田沢湖湖畔にやってきました。もうゴールはすぐそこです。

11:20 ゴールしました。

  

 祝! オールジャパンウォーキングカップ完歩  

       

  

宿菜の花マーチから約10年、やっとオールジャパン完歩しました。始めたころは、まさか、達成するとは思いもしていませんでした。

家内と二人での達成です。

  

このあと、レンタカーで玉川温泉を経由して今日の宿「盛岡」へ向かいました。(続く)

 

 

 

 

 

 


瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ1日目23km(秋田県仙北市)

2017-10-06 04:44:48 | オールジャパンウオーキングカップ

9/30(土)瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ1日目に参加しました。

この大会2日間を歩き終えると念願の「オールジャパンウォーキングカップ」(47都道府県の大会に参加完歩)達成となります。

会場は、田沢湖レストハウス。昨日からの雨は出発式には、小雨になっています。

1日目のコースは、①レストハウスからバスで移動してあきた芸術村からスタートする40km、②レストハウスからスタートして田沢湖一周する23km、③レストハウスからバスで移動して

むらっこ物産からスタートする12km、④レストハウスからバスで移動して御座石神社からスタートする6km・・・・・・・いずれもゴールは、レストハウスです。

私たちは、田沢湖を一周する23kmコースを歩きました。

  

ところが、ストレッチ、スタートの「激」の後、雨が本降りになってきました。あわててリュックからポンチョ、傘を出し、スタートしたのは、一番最後尾でした。

  

県民の森には、都道府県の木が日本地図のように植栽されています。

 

 

  

田沢湖のある仙北市は、今年7月23日の豪雨のためがけ崩れなどの被害が出ています。

   

スタートから約7km「クニマス未来館」があります。ここには、山梨県西湖から貸与された「クニマス」5尾が展示されています。

かつて、秋田県の田沢湖に生息したサケ目サケ科の淡水魚。ベニザケの陸封変種で、北海道の阿寒湖(あかんこ)などに生息するヒメマスの亜種または近縁種と考えられている。

体長30cm程度に成長し、黒色の婚姻色を呈する。田沢湖へ酸性河川の玉川の水を導入したことにより、1940年代の初めに絶滅したと考えられていたが、

2010年、山梨県の西湖に生息していることが確認された。かつて、西湖などにクニマスの受精卵が送られた記録があり、この子孫ではないかと考えられている。

クニマスは、田沢湖にのみ生息した固有種で、古くから漁労の対象とされていた。別名「木ノ尻鱒(ます)」とも呼ばれ、田沢湖の辰子(たつこ)姫伝説では、

湖に投じた松明(たいまつ)がクニマスに変じたとされる。「お国の鱒」ということから、江戸時代にはクニマスの名で秋田藩主佐竹義和に献ぜられ、江戸にも移送されたと伝えられる。

明治期末から、田沢湖でクニマスの孵化(ふか)放流事業も試みられていた。1920年代に新種として認められ、学名は紹介者である京都大学の川村多實二教授(当時)の名にちなんで、

Oncorhyncus nerka kawamuraeという。もともと田沢湖は流入河川がほとんどない湖だったが、日中戦争開戦(37年)に伴い、40年に国策として、電源開発と農業用水の確保を目的とした

玉川の強酸性河川水の田沢湖への導水が開始された。以降、田沢湖は酸性化が進み、クニマスを始め、湖に生息する魚類がほぼ死滅するに至った。

このため、環境省のレッドデータブックでもクニマスは絶滅とされていた。95~98年には、田沢湖町(当時)の観光協会が「深湖魚国鱒を探しています」というキャンペーンを

多額の懸賞金を懸けて実施した。今回、西湖で再発見されたクニマスは、地元では「クロマス」と呼ばれ、かねてよりよく知られた魚であり、西湖漁業協同組合もクニマスではないかと、

地元の水産技術センターに持ち込んだことがある。ただ当時の判定ではクニマスと認められず、そのまま長く存在が忘れられていた。

再発見のきっかけは、お魚タレントのさかなクンとして知られる東京海洋大の宮澤正之客員准教授が、京都大の中坊徹次教授の依頼でクニマスの絵を描くための参考に取り寄せたヒメマスのなかに

西湖の「クロマス」があったこと。その特徴などから中坊教授らが精査。遺伝子解析などの結果、ヒメマスとは異なることが明らかになり、クニマスであると確認された(知恵蔵より)

   

 

 

  

約半分の「むらっこ物産館」がハーフ地点。ここで40kmコースと合流します。40kmコースのトップは、歩友「東京のMさん」です。

 

ここでは、お味噌汁の接待を受けました。雨で濡れていましたので温まります。

   

むらっこ物産館で折り返し、「たつこ像」に向かいます。

  

田沢湖のシンボル「たつこ像」です。

たつこ姫伝説

田沢湖が田沢潟と呼ばれていた頃、院内にまれにみる美しい娘、辰子がいた。辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいものと、密かに大蔵観音に百日百夜の願いをかけた。

満願の夜に「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあった。

辰子は、わらびを摘むと言ってひとりで家を出て、院内岳を越え、深い森の道をたどって行くと、苔蒸す岩の間に清い泉があった。喜び、手にすくい飲むと何故かますます喉が渇き、

ついに腹ばいになり泉が枯れるほど飲み続けた。

時が過ぎ、気がつくと辰子は大きな龍になっていた。龍になった辰子は、田沢潟の主となって湖底深くに沈んでいった。 

一方、辰子の母は娘の帰りを案じ、田沢潟のほとりに着き、娘が龍になったのを知って悲しみ、松明にした木の尻(薪)を投げ捨てると、それが魚になって泳いでいった。

後に国鱒と呼ばれ、田沢湖にしか生息しなかった木の尻鱒という(田澤鳩留尊佛菩薩縁起より)

 

  

田沢湖を含む秋田県は、韓国ドラマ「IRIS]のロケ地でした。このたつこ像にも韓国、中国からの観光客が来られていました。

  

瑠璃色の田沢湖です。光の関係で瑠璃色に見えるのでしょうか?

御座石(ござのいし)神社に着きました。ここまで17.5km。雨はまた強くなってきました。

  

御座石神社(ござのいしじんじゃ)という社名は、慶安3年(1650年)に秋田藩主佐竹義隆公が田沢湖を遊覧した際、腰をかけて休んだことに由来します。

朱塗りの鳥居のそばには、1本の木から7種類の木が生えた「七色木(なないろぎ)」や、たつこが飲んで龍となった「潟頭の霊泉」、たつこが姿を映した「鏡石」などの名所もあります。

雨が強いため、遠くから御参りしました。

 

  

あと3km地点になりました。雨は一向にやむ気配がありません。道路には、水たまりができ、通り過ぎる車が水しぶきを上げて走っていきます。

 

  

田沢湖レストハウス近くに戻ってきました。

   

 13:40 ゴールしました。この雨でシューズの中も濡れていました。早くホテルに帰り乾かさねば・・・・

  

今日の歩いたコースです。