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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第21回SUNIN未来ウォーク2日目20㎞三朝町コース(鳥取県倉吉市)

2022-06-10 12:19:50 | オールジャパンウオーキングカップ

6/5(日)SUNIN未来ウォーク2日目20kmコース。(三朝町コース)

スタート前の会場では、沢山の歩友さんとも再会することができました。そういえば、参加者名簿がなかったなと思い、総合案内所に聞いてみると、今回は参加者名簿を作成していないとのこと。

本舞台の横では、今回の参加者の数が発表されていました。スタッフを合わせ約2,100人です。

昨日同様、8:50から出発式。

  

9:00スタート。会場を出る時に、下記の記念碑を見ました。「自然こそが病院であり、あなたの2本の足がお医者さんです

これは、2005年(平成17年)、未来ウォークで李康玉大韓ウォーキング連盟理事長(尚志大学教授)が倉吉市を訪問し、講演された言葉です。

私は、医学の方は全く無知ですが、ウォーキングは、認知症に効果があるといわれています。まさにこの言葉通りだと思います。

私のウォーキング歴は約10年、歩く前は地元の歴史など全く知りませんでしたが、見て、聞いて、感じて、最近は少しは、説明できるようになりました。

五感を感じるというのはこのことでしょうか?

 

  

歩き始めて約40分、三朝町(みささちょう)に入ります。右側には、土砂崩れの復旧工事が行われています。そういえば、出発式の時、工事中の場所があるから別なルートを設定していると

言われていることを思い出しました。工事中でなければこの道を通ったのかな?

  

三朝町(みささちょう)は、鳥取県の中央部にある町で、東伯郡に属す。鳥取県において2番目に大きな町で、国宝の三佛寺投入堂(三徳山)や名勝の小鹿渓があり、世界一といわれる高濃度のラジウム温泉が噴出する三朝温泉街を有する。そのラジウム泉特有のホルミシス効果は病気治療・療養目的でも有用で、岡山大学の付属研究所なども立地する。(Wikipediaより)

三朝町の町名の由来は、三晩泊まって三回朝を迎えるとどんな病気も治ることから(諸説あります)。それだけ温泉の効能の高さを物語っています。

また、フランスのラマルー・レ・パン(温泉リゾートの町)と友好姉妹都市を締結しています。

  

 

三朝温泉のキャッチフレーズは、「日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン温泉 六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)清浄と六感(観・聴・香・味・触・心)治癒の地」です。

この中で日本一危ない国宝とは、三徳山の投入堂です。(投入堂の写真は5年前撮った分です)絶壁の中にあり滑落の恐れがあるため危ない国宝と呼ばれています。

 

  

  

  

  

恋谷橋を渡り、キューリ広場の所がチェックポイントです。ここは、道路に矢印をラインで施しただけで分かりにくいです。何人か、通り過ぎて行きました。

せめて地面の矢印でなく、「チェックポイントはこちらです」といった看板を設置してもらいたかった。

 

歩いていると、「岡山大学惑星物質研究所」があります。ここは、はやぶさが持ち帰った「イトカワ」の岩石分析や小惑星リュウグウから回収された粒子の解析を行っている所です。

 

キューリ夫妻の銅像があります。放射能の研究で世界的に有名なキュリー夫妻です。女性初のノーベル賞と2回受賞したことでキュリー夫人の知名度が高いですが、1903年の受賞は
キュリー夫妻との共同研究です。1911年はキュリー夫人単独の研究結果でノーベル化学賞を受賞しています。

ラジウムの研究が今日の三朝ラジウム温泉の恩恵を受けているということで、夫妻の功績を称えるため2010年建てられました。

  

三朝町役場から細い路地に進みます。路地の横にはきれいな水の水路があります。水路には鯉が泳いでいました。

  

竹田橋です。昨日もこの橋を通ってゴールへ向かいました。ここからは、昨日のルートと同じです。

 

12:26 2日目20kmをゴールしました。私のGPSでは、19,1kmでした。

早くゴールできましたのでなしっこ館で、なしソフト(小)をいただきました。未来ウォーク参加者ということで250円→200円でした。

  

2日目のGPSです。私にしては結構速いペースでゴールできました。

倉吉の天気予報では、昼から雨でしたが、ウォーキング中雨には遭いませんでした。

シャトルバスで倉吉駅まで送ってもらい、倉吉発14:24の特急はくとで姫路へ、姫路から新幹線で博多へ、博多には19:02到着。

博多は、雨でした。

 

 


第21回SUN IN 未来ウォーク1日目20kmコース(鳥取県倉吉市)

2022-06-07 08:19:10 | オールジャパンウオーキングカップ

6/4~5に行われる「SUN IN未来ウォーク」に参加しました。この大会5年前2017年大会に参加していますので2回目の参加です。

前回は、福岡から車で倉吉迄来ましたが、もう歳もとっていますので今回は、JRを利用しました。

倉吉駅前には、倉吉の地名の由来にもなった羽衣伝説の「お倉とお吉」の像があります。

「昔むかし、舎人(とねり)という狩人が水浴びをしている天女の羽衣を見つけ、その美しい天女を妻にしようと羽衣を隠してしまいました。

天女は、浅津(あそづ)という名前を付けられ泣く泣く舎人の妻となり、やがて月日が流れ二人の可愛い娘『お倉とお吉』ができました。
天女はどうしても天の事が忘れられません。とうとう娘達から羽衣の隠し場所を聞き出し、天女は空高く天へと帰ってしまいました。
残されたお倉とお吉は、くる日もくる日も母を呼び戻そうと近くの山へ登り笛や太鼓を鳴らしましたが、ついに母を呼び戻す事はできませんでした。

この事から、その地名を二人の名前の『倉吉(くらよし)』、「太鼓を打つ・笛を吹く」から、近くの山を『打吹山(うつぶきやま)』と呼ぶようになりました。」

 

駐車場で車を見ていると鳥取ナンバーの「」の4つの点が左下に向いています。普通は、右下を向いているのですが、何か意味があるのでしょうか?鳥が飛び立つ姿を表しているのかな?

それとも隣の県「島根」と区別するためだろうか?取の耳の部分も上が少し長いですね。

 

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さて、SUNIN未来ウォークですが、昨年は山陰地区の方限定で行われたそうですが、今年は全国の方が参加していました。

コロナ対策として、検温、手指の消毒、これを終えた方は、手首にリストバンドをつけてもらいました。

  

8:40から出発式。

今年になって福島花見山、福井若狭と参加しましたが、両大会とも受付終了後順次スタートしていましたが、この未来ウォークでは、出発式が行われました。

もうコロナ以前の大会に戻りつつありますね。

 

9:00 20kmのスタート。

 

コースは、倉吉線廃線跡に作られた遊歩道を歩きます。遊歩道の両側にはアジサイなどのお花が植えられています。

  

天神川にかかる倉吉大橋を渡ります。

  

 

コースは、湯梨浜町に入ります。湯梨浜町は、羽合町、東郷町、泊村が合併してできた町です。各町の特徴の「温泉(湯)」二十世紀梨(梨)」「砂浜(浜)」から名付けられました。

  

東郷池です。東郷池は、かつての日本海の内湾がふさがってできた海跡湖であると考えられています。

周囲約10kmの汽水湖で、鳥取県のほぼ中央に位置します。鉢伏山から見ると鶴が羽を広げて飛んでるような形に湖が見えることから「鶴の湖」ともいわれます。
東郷池の池岸や池底からは温泉が沸出し、池畔には「東郷温泉」と「はわい温泉」の2ヶ所の温泉地があります。

  

 

東郷池には、「燕趙園(えんちょうえん)」があります。

中国庭園・燕趙園(えんちょうえん)は、日本最大級の本格的な中国庭園です。中国・河北省の技師が設計し、材料も中国から輸入して作られています。

園内には、中国風の建物が並んでいるだけではなく、丹念に描かれた壁画や像も並びます。庭園を一周する間に28景が巧みに配置され、歴代の中国皇帝が好んだ壮大な理想郷を表現。
中国ならではの造形美を堪能することができます。
「三景軒」に「長廊」、「迎水坊」「七星橋」など撮影スポットとしても絵になる箇所がいっぱい。(米子観光ナビより)

 

燕趙園がチェックポイント

  

燕趙園の龍鳳閣の信号の所が折り返し点。ここからゴールまで約8k。5年前に参加したときは、燕趙園から松崎の方に行って「鬼嫁」さんから接待をうけました。

 

道の駅近くでは、グランドゴルフが行われていました。何と、グランドゴルフは、ここ湯梨浜町が発祥地だそうです。

  

羽衣石城は、1366(貞治5)年、南条貞宗が築いた標高376mの山城。関ヶ原の戦いで西軍に味方して敗れ、徳川方に焼き払われるまでの約250年間、南条氏の拠点となっていました。

現在の天守閣は平成2年に再建されたもので、城山の中腹には天女が羽衣をひるがえしながら踊ったという伝説の場所があります。

  

マップには、「伊能忠敬が歩いた道」と書いていますが、このあたりかな?倉吉市内に入りました。

  

  

県道22号線から竹田橋を渡ります。橋の上からは、大山が見えています。

  

橋を渡ってすぐ左折します。

 

12:44 ゴールしました。

  

この日のGPSです。信号も少なく結構早い時間にゴールできました。

 

 


第30回若狭・三方五湖ツーデーマーチ2日目10kコース(福井県三方中郡若狭町)

2022-05-28 18:56:26 | オールジャパンウオーキングカップ

第30回若狭・三方五湖ツーデーマーチ2日目

本来は、20kmコースにエントリーしていたのですが、家内が疲れているようなので、10kmコースに変更しました。

敦賀駅発6時50分発の電車で三方駅へ。三方駅から会場まで歩いているともう20㎞コースがスタートしていました。

会場で敦賀の〇本さんご夫妻、東京の〇田さん、大阪の〇橋さんと一緒に歩きます。この〇田さん、〇橋さんウォーキング界のレジェンドです。

8:45  6人でスタート。

 

 

コースは、国道27号線と並行している旧丹後街道を歩きます。

 

歩いていると、先日NHKBSで放送があった京都ウォーキング協会に所属されてる〇井さんが歩かれていました。

 

国道27号線と合流

 

若狭牛は、いままでいただいたことがありませんが、おいしいでしょうね。

 

みそみ小学校です。三十三と書いて「みそみ」と呼ぶそうです。難読地名ですね。調べてみると若狭町と京都府の境界の三十三間(さんじゅうさんけん)山が地名の由来だそうです。

三十三間山は、京都の三十三間堂に使われた材木を切り出したところだそうです。

小学校近くの三十三(みそみ)公民館が10kmのチェックポイントです。

 

少し休憩して再スタートします。

畑では、梨の剪定が行われています。この梨は、「幸水」。8月ごろの収穫になるそうです。

  

円成寺手前の所が30k・20k、と10kの分岐点。30k・20kは、ここから熊川宿に向かいます。

「みかえりの松」は、円成寺入口にあり、江戸時代の宝暦元年(1751)、第十一世淳長大和尚の手植えと伝えられています。樹齢が270年を超えています。

通る人が思わず見帰りたくなるほど美しい姿は、「みかえりの松」と呼ばれています。幹回り4m、樹高12m、枝張りが東西28m、南北30mです。

  

十村駅は、JR小浜線で最も古い木造駅舎です。2019年にJRから撤去の申し入れがありましたが、貴重な木造駅舎を残したいと住民4人で一般社団法人「とむら」を発足し

存続が決まりました。グラウドファンティングなどで集まった122万円を元手に21年冬に改修工事に着工し、22年3月に完成しました。

駅舎には、「ポッポ茶屋ほっとむら」というコーヒー、うどんのお店も完成しました。

  

 

田んぼでは、イモリ、アオガエルを見つけました。

  

向陽寺は、明徳2年(1391)の創建で若狭で最も古い禅寺です。

 

 

民家では、ドクダミ草を収穫されていました。どくだみは日本古来から生薬として利用されており、江戸時代の書物にも記載されています。どくだみ茶は十薬という名で薬局でも販売されて

います。毒を抑えるという意味から名付けられたどくだみは、あらゆる病気に対応することができるとして重宝されています。ドクダミを天日で乾燥させ、細かく切ってお茶として飲むそうです。

他の畑では、山椒の収穫をされていました。

 

ゴールのさとうみパークが見えてきました。

 

11:15 ゴールしました。2日間の参加者は、約3050人ぐらいです。コロナ禍全国からのウォーカーが集まりました。開催されて頂き感謝です!

  

会場では、北朝鮮の拉致問題解決の署名活動が行われていましたので署名させていただきました。

 

これから敦賀に戻り、敦賀から新大阪へ、新大阪から新幹線で博多に戻ります。

三方駅では、12:29の電車で20k、30kのウォーカーが帰ってきていました。速いですね。

敦賀駅では、北陸新幹線の延伸工事が行われています。2024年春に金沢~敦賀間が開通予定だそうです。

  

 

 

 

 


「第31回名護やんぱるツーデーマーチ1日目勝山と屋部みどりの道コース20km」(沖縄県名護市)

2018-12-13 18:30:21 | オールジャパンウオーキングカップ

12/8(土)2年ぶりに名護やんぱるツーデーマーチに参加しました。

2年前は、天気も良く絶好のウォーキング日和でしたが、今日は、風が強く、時折雨が降る悪天候です。それでも気温は20度近くあります。

8:00 勝山と屋部みどりの道コーススタート。

 

歩いていると道路の角などに「石敢當(いしかんとう)」があります。2年前歩いた時、石敢當という姓の人かな?と思いましたが、これは、中国起源の魔よけの石。〈せきかんとう〉とも読む。

中国では,770年に福建省莆田県の知事が県内の安寧繁栄を願って建てたのが最古とされているが,起源年代は不明である。現在では,多く丁字路に造立されている。

日本では,石敢当は青森県黒石市を北限とし,沖縄県まで分布するが,沖縄県が最も多い。多くは石敢当と刻した石を丁字路に造立するが,なかには石敢堂,石当散などの誤刻もある。

徳島県下には,中国同様,石将軍と刻んだものがある(世界文化事典より)

    

屋部の久護家

沖縄県指定有形文化財。久護家は名護市(なごし)屋部の久護集落にある旧家で、屋号(やごう:家名)がそのまま集落名にもなっています。
1906年の建造で、この地方の豪農の住宅形式をよく伝えています。母家は東寄りに南面して建ち、屋根は寄棟造りの赤瓦による本瓦葺きで、雨端(あまはじ・庇)は深く裏までまわしてあります。
南側に配された門の正面には、切石積みのヒンプンがあり、屋敷の周囲には石垣が巡らされ、石垣の内側はフクギなどの屋敷林で囲まれています。

   

沖縄を歩いていると民家の前などに「シーサー」が置かれています。それぞれ、「阿」「吽」を意味しています。これは、日本の神社にある狛犬も同じですね。

阿吽」とは、インド・サンスクリット語のアルファベットの最初の字音である「ア」と最後の字音である「フーム」をさす言葉。密教では,この2字が万有の始原を究極を象徴するとし,

それぞれ万有の原理,それらの帰着する智徳を示すとする。また,前者を悟りを求める心 (菩提心) ,後者をその結果としての涅槃(ねはん) にあてることもある。

つまり阿吽とは、初めから終わりまでという意味だそうです。人の一生を表しているのですね。また、「阿」がオスで「吽」がメスだそうです。

 

このコースには、韓国からのウォーカーも参加されていました。沖縄には、いろいろな花が咲いていました。

  

  

コースは、長い上りです。

 

12km地点「勝山シークワーサー」がチェックポイント。

  

チェックポイントを過ぎると下りになります。坂の上からは、名護湾が見えてきます。

  

途中、「安和のくばのうたき」というのがありました。「安和のくばのうたき」は、村の祖先神をまつった御嶽(うたき)です。安和の村の背後にある標高40m位の丘で、この土地の人たちは

「くばのうたき」と呼び、神人たちは「ムラヌフサティ」とか「フバヌタキバン」などと呼びます。聖木と称される、くば(ビロウ)の木は200本あまり群生し、村人の信仰の場となっています。

    

名護湾に出ました。パイナップルに似たものは、「アダン」です。

  

フクギの並木を歩き、屋部の町に入ります。

 

地元の子供さんから「黒糖」をいただきました。

  

コースは、名護湾の砂浜を歩きます。大会で砂浜を歩くのはめったにありません。砂浜には貝殻やサンゴなどがあります。

  

再び遊歩道へ。

 

12:10  20kmゴールしました。今日は雨が心配でしたが、そんなに雨に降られませんでした。然し風が強かったです。

  

会場では、16時からウォーカーの集いが行われますが、まだ時間がありますのでホテルに戻ります。

道中、沖縄の木々の説明がありました。

   

 


第31回ハッカの大地北見ツーデーマーチ2日目20km(北海道北見市)

2018-06-23 19:14:18 | オールジャパンウオーキングカップ

6/11(月)北見ウォーク2日目。でっかいどうオホーツクマーチ最終日。今日は、20kmに挑戦です。

7:30 昨日に引き続き、20k、30k同時スタートです。

  

コースは、東稜公園の中を歩きます。

  

北見ハイテクパークは、隣接地にソーラー研究・コンピュータ情報処理・工学研究で知られる北見工業大学、介護福祉系の日本赤十字北海道看護大学のキャンパスが広がる「産学官連携」の拠点として、

恵まれた立地環境にあります。隣には、「そだね」Tシャツを販売している北見工業大学があります。

  

10kmコースとの分岐点を過ぎます。

  

屯田農村生活センターの近くが給水所。隣には、民家でしょうか?お城みたいな建物が建っています。

  

先へ進むと、左側に端野中学校が見えてきます。隣は、端野小学校でしょうか、同じ敷地に小学校、中学校が建っています。とにかく広いです。

   

10km地点の端野町公民館が20kコースのチェックポイントです。

 

国道39号線と交差する所が20k、30kの分岐点。

 

石北線の踏切を渡り、しばらく歩くと右側が「JR端野駅」です。

  

端野駅の先には、「石倉交流センター」があります。この石倉交流センターは、農業農村の歴史的資料の展示室と交流ホールからなり、交流ホール(床面積200平方メートル)はフローリング張りで、

舞台・音響設備・照明などが整備されており、多目的に利用ができます。また、この施設は、石倉横の広場(2面)とともに、北見市端野町石倉公園として道営田園空間整備事業で整備したものです。

  

コースは、小泉東公園へ入ります。

   

11:40  ゴールしました。ゴール後、30kをトップでゴールされた、兵庫の〇坂さん達と記念写真を撮りました。

ゴール後、地元のオニオンスープ、ジャガバターが振る舞われました。

 

今日20kmのGPSです。

今日は、このあと明日のせっかくウォーク「サロマ湖ワッカ原生花園を訪ねる道」に参加の為、専用バスで常呂町に移動します。

北見駅からバスで約1時間で常呂町に着きました。常呂町は、オホーツク海に面した町で、先の平昌五輪で銅メダルを獲ったカーリングのメッカです。

  

 

旅館に着いて夕食までの間、常呂町を散策します。

カーリング場にやってきました。カーリング娘さんに逢おうと思いましたが、残念ながら今日、月曜日は休館日でした。  

  

 


第31回ハッカの大地北見ツーデーマーチ1日目30km(北海道北見市)

2018-06-20 18:27:49 | オールジャパンウオーキングカップ

6/10(日)からでっかいどうオホーツクマーチは、会場を北見市に移して行われました。「ハッカの大地北見ツーデーマーチ

ハッカは全世界で栽培される多品種のハーブで、「Mint ミント」は英語、イタリア/スペインなどラテン語では「Mentha メンタ」、「ハッカ」は日本語です。読み方は違えど中国語でも「薄荷」(ボーフォァ)。

そして、この草の大きな特徴として、シソ科特有の正方形の茎形と、葉をもむだけで感じられるスーッとする独特な清涼感があります。

明治35年頃から生産が始まった北見ハッカは昭和14年に全盛期を迎え、当時世界薄荷市場の約70%を占めるまでに成長し、現在の北見の礎(いしずえ)を形成する重要な産業となりました。

その北見市は、オホーツク海沿岸から石北峠までの東西110kmに広がっており、北海道で一番広い都市です。人口約12万人。

今年の平昌冬季五輪では、北見の女性カーリングチーム「ロコ・ソラーレ北見」が銅メダルを獲得しました。その時の「そだね」とか、「モグモグタイム」は、流行語になりました。

会場は、北見駅南側の多目的広場です。今日は、15:30からのウェルカムパーティに参加しますので30kmコースを歩きます。

  

7:30  30k、20k同時スタートです。

 

  

5km地点常盤公園が給水ポイント。

  

しばらく行くと20k、30kの分岐点です。20kコースは、橋の下を通って直進、30kコースは橋から左折し、「とん田通り」にを歩きます。

  

しばらく歩くと右側に「北光八幡神社」があります。

  

北光八幡神社の横には、「北光社遺跡」があります。説明文を読むと、「坂本龍馬の甥、坂本直寛は、片岡健吉・澤本楠弥・西原清東と共にキリスト教の精神を具現する理想郷(農場)建設の為、

有限会社(後に株式会社)北光社を設立した。社長には、坂本直寛、副社長澤本楠弥が就任した。北光社は、明治29年(1896)、坂本や前田駒次の視察でクンネック原野の常呂川と訓子府川に

挟まれた地域を農場に相応しい土地として払い下げの申請をした。翌明治30年(1897)4月、募集に応じた22戸約650人を乗せた船は、高知浦戸港を出帆、船中に麻疹が流行、罹患して

死者を出したり、オホーツク海の気象不順などで約1か月を要す船旅となった。農場は、常呂川及び訓子府川(くんねっぷがわ)との合流点やや上流から訓子府町日の出迄、訓子府川では、

北見市のうちまでの流域で、片岡・西原・傍士・大脇・由比・武内・小嶋・大谷の8班に分割して開拓させた。翌年には、大水害の不幸にも見舞われ、多くの辛酸をなめたが、澤本・前田の下で

開拓を進め、大正2年(1913)には、黒田農場を経て、現在では、下流域は、市街地に、上流域は、見事な穀倉地帯となっている。」

また、北光社とほぼ同時期に入植したのが北の防備と開拓を目的にした屯田兵でした。 この両者の強じんな開拓魂が、想像を絶する困難にも負けず北の大地を切り開き、

ここに北見の歴史が始まったのです。

この大会の参加者の中に高知県の方がいました。その方が曰く、「北見市と高知市は、姉妹都市」。理由はわかりますね。

 

北見水田発祥の地石碑  北見地方の米作の始まりは、明治31年、北海道庁が北光社農場に対し、水稲の試作を委嘱した時です。この年から、農業管理人の前田駒次は毎年これを試作、

35年にいたってようやく穂が稔り、これを脱穀、精白して北光社の農家に二合(約三百グラム)ずつの白米を配ることを得ました石碑は、昭和43年(1968)建立されました。

   

何か、ウォーカーの人が減っている様な感じがします。私達がアンカーさんを除いて最後尾かもしれません。皆さん20kmコースに行かれたのかな?

北海道糖業は、ビート糖(甜菜)を製造しています。北見でもビート(甜菜)を栽培しています。

  

マップでは、玉ねぎ畑が広がります。と書いてましたが、道路の両側には、一面の玉ねぎ畑があります。福岡では、今、玉ねぎの収穫期ですが、ここでは、8月末~9月中旬に収穫するそうです。

「銀河ふれあい道路」に来ました。昔、ここには、池田~北見までの約140kmを「ちほく(池北線)高原鉄道(ふるさと銀河線)」が走っていました。

 

 

上常呂駅があった「上常呂コミュニティプラザ」がチェックポイントです。ここまで11km。

 

遠くに雪を被った大雪山系の山が見えます。昨日、一昨日の雨があの辺りは雪だったのでしょうか?

  

一面の玉ねぎ畑を見ていると、サンプラザ中野さんが歌った「大きな玉ねぎの下で」という歌が浮かんできて口ずさみます。

 あの大きな玉ねぎの下で 初めて君と会える 九段下の駅を降りて坂道を 人の流れ追い越して行けば 黄昏時雲は赤く焼け落ちて 屋根の上に光る玉ねぎ~

この歌は、武道館の上にある擬宝珠を玉ねぎに見立てて歌ったのですから、本物の玉ねぎとは違いますが・・・・・

 

矢旗では、ここから直線で5,5kmあると書かれています。森ではカッコーの鳴き声が聞こえます。前を歩く人も見えないし、ゆっくり歩くことにします。

  

 

 

コンビニから左折すると国道39号線に入ります。先の歩道橋を渡ると「東相内住民コミュニティセンター」です。ここまで19km。時間は11:30.あと10kmぐらいですが、ちょっと休憩します。

 

  

休憩後、再び歩きます。

  

今日は、日曜日、小学校では、運動会が行われていました。北見でも運動会は、春に行うのですね。

双葉公園が20kmのチェックポイント。ここまで24km地点。

  

 

ここから石北線の高架を渡ります。渡ってからは、石北線と並行に歩きます。途中、電車が来ました。昨日網走から乗った特急「大雪」です。

 

石北大通り公園のSL広場では、かつて北見を走っていた機関車が展示されています。

  

ピアソン記念館は、1914年(大正3年)ウイリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計により建設され、アメリカ人宣教師のピアソン夫妻が15年にわたり生活をされた木造2階建の西洋館です。

その後各種の造作がなされたため、北見市は1970年(昭和45年)復元工事を行い、1971年5月31日、ピアソン記念館として開館し、同年10月1日「ピアソン記念館条例」を制定しました。

また、ピアソン記念館は2001年(平成13年)10月22日、北海道遺産に選定されました。

  

オホーツクビアファクトリーは、日本で初めて地ビールを造った会社です。一杯試飲でもしたかったのですが、飲んだら歩けなくなりますのでここは、じっと我慢しました。

コースは、北見駅前へ。ゴールはすぐそこです。

  

14:25 30kmコースゴールしました。

 

今日のGPSです。

   

 


「第31回でっかいどうオホーツクマーチ」網走コース2日目20km(北海道網走市)

2018-06-19 10:23:32 | オールジャパンウオーキングカップ

6/9(土) でっかいどうオホーツクマーチ2日目。昨日からの雨は止みましたが、朝は少し肌寒い。最低気温が5度ぐらいで何か冬に戻った感じです。

今日は、ゴール後、次の会場の北見に電車で行く予定です。石北線の電車はあまりなく、できれば11:58の電車に乗れればいいのですが・・・・

8:00 今日も東農大オホーツクキャンバス応援団の「大根踊り」でスタート。

  

 

コースは、中央橋を渡り、天都山の方に向かいます。

  

途中、蒲鉾の接待がありました。

  

5km地点が「北方民族博物館」です。

  

途中、網走湖を見渡せるビューポイントがありました。天気がよければいいのですが、今日はドンより曇っています。

このあたり、歩道がなく車に注意しながらの歩行です。

しばらく歩くと、30k、20kの分岐点です。20kは、右折します。

  

このあたりから、緩やかではありますが、下って行きます。

  

10km地点の「旅館もとよし」がチェックポイント。チェックを受け、すぐにスタートします。

踏切の傍の所には、「鉄ちゃん&鉄子の宿」があります。鉄道ファンなんでしょうね、時間があれば入ってみたかったです。

 

踏切を渡ると国道39号線通称北見国道に出ます。ここが30k、20kの合流点ですが、もう30kのウォーカーの方がどんどん過ぎていきます。丁度歩友「東京のMさん」と会いました。

聞くと、昨日の雨で「呼人探鳥遊歩道」が通行できなくなったため、5kmぐらい短縮になったそうです。

コースは、網走湖湖畔を歩きます。

   

  

網走湖は、夕陽のビューポイントだそうです。今日は曇っていて夕陽は見えるかな?

 

網走湖では、ボート、レガッタの練習が行われていました。

  

後を振り向くと、先ほど登ってきた北方民族博物館、NHK受信塔が見えます。

  

網走湖から、網走川に入ります。

「網走」という地名は「ア・パ・シリ」(我らが見つけた土地)から出たとも、「アパ・シリ」(入り口の地)あるいは「チバ・シリ」(幣場のある島)などの諸説があって定まりませんが、

いずれにしろ「アパシリ」というアイヌ語を漢字にあてたものとされています。

  

 

川の向こう側には、「網走刑務所」が見えてきます。

  

網走刑務所に通じる「鏡橋」

 

11:30 ゴールしました。距離は20kmとなっていますが、GPSを見てみると、19km弱です。

  

ゴールしてから、札幌のN・Hさんと記念写真を撮りました。

  

網走大会は、これで最後です。参加者の数が発表されていませんが、事前受付で443名。やはり参加者の減少が一番の理由でしょうか?

最近は、参加者の減少で大会の廃止などが多くなってきています。何とか存続させる手立てはないものでしょうか?

この後、次の会場の北見に移動するのですが、現在11:40. ホテルに荷物を取りに行かねばならないし、11:58の電車には、間に合わないみたいです。

時刻表を見ると、12:35の特急大雪があります。それに乗って北見に移動します。

  

13:24 北見駅到着。北見駅では、先の冬季五輪カーリングで銅メダルを獲った「北見ロコ・ソラーレ」のポスターが掲げられていました。

  

カーリング娘さんがモグモグタイムで食べていたお菓子「赤いサイロ」を作っているお店が近くにあるということで行ってみました。

案の定売り切れです。予約はできないかと聞きますが、出来ないとのこと。朝は、7時ぐらいから行列ができ、開店早々すぐ売り切れるそうです。

明日からは、でっかいどうオホーツクマーチ北見大会ですし、赤いサイロは諦めることにしました。

泊まったホテルは、駅前で2食付です。今夜の夕食は「刺身定食」でした。

  

 


「第31回でっかいどうオホーツクマーチ網走コース」1日目20km(網走市)

2018-06-15 18:48:01 | オールジャパンウオーキングカップ

6/8(金)でっかいどうオホーツクマーチ網走コース1日目。

この「でっかいどうオホーツクマーチ」は、6/8~9が網走コース、6/10~11が北見コースと4日間のウォーキング大会です。

網走大会は、参加者の減少や運営費の減少で今年限りになります。

会場は、ホテルから徒歩10分のオホーツク文化交流センター(エコセンター2000)。

天気予報では、雨の予想ですが、まだ今の所降っていませんが、いつ降ってもおかしくないくらいの天気です。気温も10度ぐらいで少し寒いです。

会場では、札幌のN・Hさんと3年ぶりにお会いしました。NHさんは、札幌からバスで6時間かけて網走に来たそうです。飛行機とバス、乗り物が違いますが、私たちも5~6時間かかりました。

 

出発式は、雨が降るかもしれませんので室内で行われました。私は、もうポンチョを着て雨対策をしています。

8:00 東農大オホーツクキャンパス応援団の「大根踊り」で出発。この大根踊りも来年からは見れなくなります。

  

北海道でよくみられるのが、「ルピナス」。これが雑草のようにいたるところに生えています。

 

ライラックは、「白」もありました。福岡では、ゴールデンウィークに満開になる「藤」もここでは、今が満開です。

 

網走小学校裏手には、「網走空襲の碑」がありました。昭和20年(1945)7月15日午前4機の米軍機が襲来し、ロケット弾、機銃掃射によって14人が亡くなりました。

 

北海道の広大な大地には、麦やビート(甜菜てんさい)などが栽培されています。

 

ウィキペディアによると、ビート(甜菜)は、寒さに強く、寒冷地作物として中から高緯度の地域で栽培されている。サトウキビとならんで砂糖の主要原料であり、根を搾ってその汁を煮詰めると

砂糖がとれる。 アンセルム・ペイアンが脱色法を発明してからは原料として好まれるようになり、全世界の砂糖生産量のうち約35%を占める。なお、葉と搾りかす(ビートパルプ)は、

家畜の飼料として利用される。日本では、北海道を中心に栽培されている。テンサイから作られた砂糖は甜菜糖とよばれ、国内原料による日本の砂糖生産量の約75%、

日本における砂糖消費量の25%を占める。

 

 

9時20分ごろから雨が降り出しました。

 

  

感動の径」に入りました。感動の径とは、この一直線の道路と一面の畑、天気がいい日には、知床の山々も見えるそうです。

天気がよければ、本当に素晴らしい光景だと思うのですが、今日は雨模様です。

  

コースは、石北線の踏切を渡り、オホーツク海に出ます。春先までは、この海に流氷が流れ着いたそうです。

 

オホーツク海沿いの道には、カニ屋さんがあります。一度でいいから腹いっぱいカニを食べてみたいです。(笑)

 

民家の庭先には、チューリップや木蓮、芝桜、スズランなどが咲いています。福岡では、木蓮、芝桜、藤などは、ゴールデンウィークあたりに咲いていますので約2か月ぐらい違いますね。

桜は、調べてみると、5月中旬から下旬が見ごろだそうです。日本全国桜を追って南から北に旅するのもいいでしょうね。

   

  

流氷街道のビューポイントに来ました。天気が良ければ、羅臼岳など知床連山が見えるそうですが、今日は雨で見えません。

 

  

網走港に「屯田兵上陸の地」の碑があります。1897(明治30)年6月、網走のポンモイに上陸した屯田兵第四大隊の第一陣が、初めてこの地に上陸した。

このとき入地した茶木与三の日記には、「二日 午前雨 午後晴午前六時頃北海道北見国網走港着同七時四十五分に艀に乗り同九時十五分網走港上陸す同十時三十分網走町

本願寺派光輪寺に着宿」とある。野付牛村(北見市)の屯田兵屋の建設が間に合わないこともあり、5日まで光輪寺(現・網走市南7条東3丁目)にて滞在する。

6日に光輪寺を出発し、網走川を小舟で遡り網走湖~荷揚坂を上って、中央道路を通り端野にて一泊、7日に野付牛に到着した。

この隊は先に入植した北光社移民団らとともにクンネップ原野(北見)の開拓に力を注いだのである。(網走観光協会)

 

知床旅情や網走番外地の歌に登場する「ハマナス」。バラ科だそうです。

 

道の駅「流氷街道網走」に着きました。ここで休憩します。店内には、カーリング娘さんをデザインしたお菓子もありました。

  

また、店内には、今年3月に公開された吉永小百合さん主演「北の桜守」のセットがありました。

 

網走神社は、福岡の宗像大社の市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の三神(宗像三女神)を祀り、俗に弁天様と呼ばれています。他に天照大神を配祀しています。

 

コースは商店街を通ります。このあたりが、網走の中心地でしょうか?

中央橋を渡ると会場のエコセンターが見えてきました。

   

12時半ゴール ゴールでは、網走流氷パタラの方が迎えてくれました。パタラとは、北方民族ウィルタの言葉で「お嬢さん」を意味しているそうです。

  

ゴール会場では、ホタテの味噌汁、いもだんご、かぼちゃだんごが振る舞われました。今日は寒かったので生き返ります。

 

今日の歩いたコースです。

 


第27回若狭・三方五湖ツーデーマーチ2日目(三方五湖コース)23km(福井県若狭町)

2018-05-25 14:04:19 | オールジャパンウオーキングカップ

5/20(日) 昨日とは打って変り、天気は晴れ。少し肌寒いですが、今日は、雨の心配はないと思います

今日は、帰りの電車の時間がありますので35kmコースの方と一緒にフライングスタートします。

今日のコースは、三方五湖を廻るコース。 7:30 一番最後尾からスタート。

 

歩き始めてすぐ35kとの分岐点があります。35kは、三方石観世音を廻って再び23kと合流します。

  

  

三方五湖は、若狭湾国定公園を代表する景勝地の一つ。万葉集にも歌われ古より四季折々の美しさを広く知られる湖です。国際的に重要な湿地として2005年にラムサール条約に登録されました。

三方湖・水月湖・菅湖・日向湖・久々子湖からなり、五つの湖は淡水・海水・汽水とそれぞれに違った性質を持っています。湖によって水質が異なるため、淡水魚から海水魚まで

様々な魚が生息しています。また、水鳥の重要な生息地であり、冬には1万羽以上のの水鳥が越冬し、オオワシやオジロワシが飛来します。

湖の周辺では鳥浜貝塚をはじめとする縄文時代の遺跡が所在し、当時の人々にとっては周辺に湖・森・海があり、生活の適地でもありました。

2012年には、三方五湖の一つ水月湖の「年稿」が、世界の年代測定の「標準時」に決まりました。(若狭町HPより)

35kmコースは、この5つの湖を廻りますが、23kmコースは、三方湖、菅湖、水月湖の3つの湖だけです。

  

三方五湖は、若狭湾一帯が沈降した際に、山間の凹地が沈んで湖となったものです。五つの湖は、水路等によって直接、間接に日本海とつながっており、水質や水深が異なるなどの原因により、

それぞれの湖の色が違って見えるので別名「五色の湖」とも呼ばれています。

歩いていると、給水所があります。コースマップには、載っていませんので多分民間の方がボランティアで出されているのでしょうか?

  

約6km地点が1回目のチェックポイントです。

  

 

12km地点「海山屋内ゲートボール場」が2回目のチェックポイント。ここが昼食場所になっていますが、時間は9時半を少し回ったぐらいです。先へ行きます。

  

水月湖」の底には、何層にも重なったシマ(縞)模様の堆積物が厚さ73m以上もたまっています。そのシマ模様は白い層と黒い層が交互に重なってできており、一対で1年分を示しています。

この様子を「年縞(ねんこう)」(木にたとえると年輪)といい、水月湖の年縞は、実に7万年もの長い期間にわたり、大きくかき乱されることもなく、安定して積み重なり、今日まで保存されてきたのです。

水月湖年縞により、化石や考古資料などとても古いものの年代を測る方法として用いられている放射性炭素年代測定の精度が飛躍的に向上しました。また花粉や黄砂、火山灰が含まれていたり、

大きな洪水や地震の痕跡もとどめることから、過去の気候変動の研究にも利用されています。(若狭・三方縄文博物館HPより)

 

  

歩いていると道両側にたくさんの梅の木があります。三方地区は福井梅の産地です。天保年間に三方町伊良積に発祥したと伝えられており、三方郡西田村誌によれば「その昔、

伊良積の豪農、助太夫家と平太夫家の庭に埴栽されており、当時これを"助太夫梅""平太夫梅"と称していた。そして現在の"紅サシ"はこの助太夫梅と平太夫梅の混合種であり

"剣先"は助太夫梅である」とされています。また「梅栽培が本格的に定着したのは明治15年前後からとされており、当時伊良積の田辺市太夫氏、今井安左ェ門氏が積極的な普及推進にあたり

村内一円にひろげた」としるされています。(JA美方より)

  

梅の里会館にやってきました。梅の里では、福井梅の梅干しと梅昆布茶が振る舞われました。梅干しは何個でもいいそうですが、そう食べられませんよね。(笑)

  

梅の里会館では、「梅ソフト」をいただきました。ちょっと酸っぱい感じが何とも言えません。1つ@300です。

  

只今の時刻は、11時丁度。梅の里からゴールまでは、あと5,4km。うまくいけば12時前にはゴールできるかな

ちょっとスピードを上げていきます。

 

 

ゴール近くになると5km、10kmコースの集団と一緒になりました。この中の小学生2人が私のDバックの風車を見つけ追いかけてきましたので彼等とゴールまで一緒に歩きました。

  

11:50  ゴールしました。この大会の参加賞は、福井の梅干しとコシヒカリ300gです。

参加人数は、2日間で3,968人でした。

   

三方駅から敦賀駅の電車は、12:30です。JMLのスタンプをもらい三方駅に直行します。

お昼がまだでしたので敦賀駅で「焼き鯖寿司」を買いました。焼きサバの身が厚く、また、鯖の上には、トロロ昆布がのっていておいしいです。敦賀はトロロ昆布の産地だそうです。

若狭は「御食国」です。おいしいものが一杯ですね。

    

次の遠征は、6月初旬の北海道網走、北見です。また、おいしいものが食べたいですね。


第27回若狭・三方五湖ツーデーマーチ1日目「鯖街道熊川宿コース」23km(福井県若狭町)

2018-05-22 18:30:01 | オールジャパンウオーキングカップ

5/19~20に福井県若狭町で行われる「第27回若狭・三方五湖2DM」に参加しました。

3年前に初参加して今回2度目の参加です。この大会、必ず1日は雨が降るというジンクスがあります。そういえば3年前も初日は雨でした。今年はどうかな

JR西日本の「おとなびパス」を購入し、前日の金曜日から福井・敦賀に入りました。このおとなびパスは、3日間JR西日本管内の新幹線を含む全電車が乗り放題です。(新幹線、特急は6回まで)

    

5/19(土)朝から雨が降っています。天気予報では、9時ぐらいには止んでそのあとは、曇りという予想。一応ポンチョと傘を用意。

敦賀発7:09の臨時電車で三方駅へ。会場へは、駅から歩いて約10分です。

8:45より出発式。芝生広場は、雨の為、水が溜まっていて半ば田圃状態です。三方中学吹奏楽部の演奏と「激」でスタート。

   

     

まだ雨は降り続いています。時折突風が吹き差していた傘が煽られます。

5km地点が三十三(みそみ)公民館。ここは、10kmのチェックポイントです。三十三(みそみ)という地名が珍しいのでちょっと調べてみると、近くに三十三間山というのがあり、

京都の三十三間堂が創建された際、その棟木をここの山中から切り出したという伝説があるそうです。そこから付いた地名かな?

  

 

  

3年前は、「かみなか農楽舎」がチェックポイントでしたが、今回は給水所になっています。

 

 

上中農楽舎から農道を通り、わかさカントリークラブの方へ向かいます。このあたりは、長い上り坂があり、しかも雨で視界が遮られています。

途中で40kmの人とすれ違いました。高砂のIさん、福岡のYさん・・・・・

  

  

鯖街道「熊川宿」にやってきました。

古代、若狭は朝廷に食料を献上する御食国(みけつくに)の一つでした。日本海で獲れた魚や貝が遠路はるばる京都へ運ばれ、いつの頃からか「京は遠ても18里」と言われるようになり、

特に18世紀後半からたくさんの鯖が若狭の海で陸揚げされ、「鯖街道」と称されるようになりました。与謝蕪村も鯖を背負い都に入る若狭の人々が目に止まったのか、「夏山や通ひなれたる若狭人」と

詠んでいます。秀吉に重用され若狭の領主となった浅野長政は、天正17年(1589)に熊川が交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除して宿場町としました。

以来、40戸ほどの寒村が200戸を超す町になりました。

倉見屋荻野家住宅は、熊川宿で最も古い町屋で問屋の形式を残しています。隣接する土蔵には、街道を行く荷物が納められました。

 

松木神社は、義民松木庄左衛門が祀られている神社です。 

寛永17年(1640年)、16歳で庄屋の地位を継ぐ。

小浜藩では関ヶ原の戦いで木下勝俊が改易されて京極高次が新藩主となったが、これまでの後瀬山城に替わって新たに小浜城を築城したために財政が苦しかった。

このため、大豆納の年貢1俵の基準を1俵あたり4斗から4斗5升に改めて増徴を図った。築城で多くの農民が駆り出されたこともあって領民の生活は苦しくなり、

藩側に大豆納を元に戻すように要求したが受け入れられなかった。寛永11年(1634年)に京極忠高(高次の子)に替わって小浜藩主となった酒井忠勝も引き続き税制を維持したために

人々の不満は高まった。そこで寛永17年(1640年)に入って、若狭国内252ヶ村の名主が集まって郡代官所に陳情を行うことになり、この年に名主となったばかりの庄左衛門他20名を総代として

陳情を行った。以後、数十回にもわたって直訴を繰り返したために、承応元年(1652年)に総代全員が捕らえられ、獄中で厳しい拷問を受けた。だが、1人庄左衛門のみはこれを耐えて、

獄中でもなお大豆納の引き下げを求めた。これに驚いた藩はやむなく大豆納を元の4斗に戻すことに応じたが、代わりに庄左衛門は同国日笠河原で磔に処せられ、

28歳の命を終えた(小浜藩領承応元年一揆)。以後、領民は大豆の初穂を神前に供えて彼の威徳を謝した。

墓所は日笠河原に近い正明寺にある。昭和になってから、彼を祀った松木神社が建立された。

白石神社は、熊川地区の氏神であり、旧指定村社で祭神は、彦火々出見尊、白髭明神、小浜藩主酒井忠勝公、山の神が合祀されています。毎年5月3日祭礼が行われ、山車が巡行します。 

  

接待所では、今も生誕の地若狭町では、その遺徳を伝えようと、豚汁に大豆を加えたものを「長操鍋」と名付けて、イベントなどで振る舞っています。

その長操鍋が振る舞われました。今日は、雨で寒かったので温まりました。 ※長操・・・松木庄左衛門の法名です。

  

長操鍋を食べ終わって接待所を出ると、曾我廼家福輔さんと出会いました。確か3年前もそうでしたが、今回もインタビューを受けました。

  

 

熊川宿の中を歩きます。番所の近くに「旧逸見勘兵衛住宅」があります。ここは、伊藤忠商事二代目社長「伊藤竹之助」の生家です。

熊川の逸見勘兵衛家(地図の河内川にかかっている中条橋のたもと)に生まれた竹之助は、明治33年滋賀県立商業学校に進み、卒業と同時に、

大阪市伊藤本店(現在の伊藤忠商事の前身)に就職し、やがて初代社長伊藤忠兵衛にその人格才量を認められ、娘と結婚し伊藤忠商事二代目社長となりました。

 

熊川番所は、若狭と近江の国境に位置し、かつて「入り鉄砲に出女」の統制と物資への課税が行われていました。全国でも宿場内に残る復元された番所として歴史的構造物です。

    

道の駅「若狭熊川宿」が1回目のチェックポイント。3年前は、ここまで来なかったと記憶しています。

  

ここからJR上中駅まで歩きます。この23kmコースは、上中駅から電車で三方駅に移動することになっています。(電車代は大会本部が持ちます)

現在12時30分。上中駅発の電車が13:36です。ここから上中駅までが約6km。少しスピードアップします。

 

13:24 上中駅に到着。13:36の電車に間に合いました。上中駅が2回目のチェックポイントです。

  

13:36の電車に乗って三方駅へ。三方駅から歩いて会場に戻ります。14:10ゴールしました。

今日は、一日中雨の中のウォーキングでした。明日は晴れるでしょう