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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

ビワイチ徒歩の旅(13日目)「堅田駅~比叡山坂本駅」(滋賀県大津市)

2025-05-22 05:00:00 | 琵琶湖一周徒歩の旅

5/13(火)ビワイチ徒歩の旅13日目「堅田~比叡山坂本」。いよいよ私のビワイチ徒歩の旅も終盤を迎えました。

京都駅発湖西線で前日ゴールの堅田駅へ。

今日のマップです。(堅田~衣川)

8:20 堅田駅スタート

 

本堅田信号を左折

堅田の町を歩いてすぐ気づいたことは、古い家並みが多い。調べてみると、堅田は、琵琶湖の北湖と分ける狭くなった西岸に位置し、海上要衝でした。

堅田は古くから琵琶湖舟運の盛んな地域で、その利権にを巡り何度も争いが起っています。中世に入ると一時、地侍と民衆からなる惣組織(堅田衆)が形成され、権力者からの支配から脱却し、

琵琶湖周辺にある舟運の拠点に大きな影響力を持ちました。室町時代に入ると比叡山延暦寺と対立した蓮如が堅田に逃れると、多くの民衆がこれに賛同し「堅田門徒」と呼ばれる

強固な宗教集団が生まれました。しかし、延暦寺と堅田門徒との間に対立が深まり応永2年(1468)に堅田大責が行われ、殆んどの町並みや集落、関係寺院が焼き討ちにあいます。

応永4年(1470)、延暦寺と坂本との抗争が起き、坂本が勝利、堅田の再興が許され堅田門徒も復活しましたが後年になり本願寺と対立したことで次第に衰微します。

その後、織田信長の近江侵攻により形式的には従属するものの舟運の特権は保護され経済的繁栄は江戸時代を通して維持されました。元禄11年(1698)、堀田正高が1万石で入封し

堅田藩を立藩、文政9年(1826)に加増され下野佐野藩に陣屋を移すまで堀田家が藩主を歴任しています。

 

しばらく歩くと居初(いそめ)氏の庭園「天然図画亭」の石碑が見えてきます。居初(いそめ)という名前は、難解苗字ですね。

天然図画亭は、堅田の郷士居初家にある庭園。
芭蕉と同じ時代に活躍した茶人藤村庸軒と堅田郷士の北村幽安の合作江戸時代初期の作庭。国指定名勝に指定。
庭に面した縁がある萱葺入母屋造の茶室「天然図画亭」からの眺めは、琵琶湖と対岸の湖東の山並みの雄大な景観を借景としている。

入ろうとしましたが、今日は休館日でした。仕方ないので裏側に回りました。ここからは、琵琶湖が一望できます。

 

 

先へ進みます。

 

伊豆神社の横には、江戸時代堅田陣屋があった所です。祭神は大山祇命(おおやまずみのみこと)。中世、琵琶湖の水運に絶大な特権をもっていた堅田の総鎮守。
室町時代には堅田大宮と呼ばれ、神社を中心とする地域組織「宮座」も存在していた。

 

 

伊豆神社から「浮御堂」へ

 

浮御堂は、平安時代に恵心僧都源信が琵琶湖の湖上安全と衆生済度のため、湖中に仏閣を建立したとされている。臨済宗大徳寺派の寺院(満月寺)。現在の建物は、昭和9年の室戸台風で倒壊して

しまった後、昭和12年に再建されたもの。柱は鉄筋コンクリートとなったが、昔の情緒をそのまま残している。
湖中に浮かぶお堂の景観の素晴らしさは、近江八景「堅田の落雁」で名高く、松尾芭蕉はじめ多くの人々に愛され続けてきた。

 

 

ここの松も素晴らしいです。満月寺境内には、枝が長く伸びています。

また、浮御堂の松もいい雰囲気を出しています。

 

阿波野青畝の句碑「五月雨の 雨垂ばかり 浮御堂

近江八景は、近衛信尹が選じた琵琶湖岸の8つの風景地のひとつで、ここ「堅田の落雁」も八景の一つです。琵琶湖西岸に位置する浮御堂及び松樹に彩られた満月寺境内を中心に、中天から

一群の雁の群れが舞い降りる情景を主題とする。中国の「瀟湘八景」に描く各々の情景と結びつくことにより、近世から近代にかけて多くの旅行者や行楽・参詣の人々が訪れる一群の名所へと

発展を遂げた。

  

湖族の郷資料館は、10時からですのでまだ閉まっています。

湖族の郷資料館は、歴史上特筆される堅田の歴史、文化を築いた堅田衆をはじめとする堅田ゆかりの先人の足跡をたどる資料等が展示されています。
 「文学と堅田」、「堅田の変遷」、「豪族の民具」、「芭蕉と堅田の門人たち」、「志賀廼家淡海」等、テーマ毎に資料展示されています。

 

本福寺

 

堅田の旧家

 

妙盛寺

 

堅田は、お寺が多い町ですね。調べてみると、平安時代から京の外港として重要な役割を担った堅田は、湖上のあらゆる権利を独占支配する湖族(堅田衆)によって築かれた地域です。

多くの人や物資が行き交うことにより各地の文化が入り南北2km湖畔には6社10箇寺が現存。

 

【仰木口~那波加神社~比叡山坂本駅】

仰木口信号から県道558号に出ます。このあたりは、車関係のお店が立ち並んでいます。

 

雄琴に入りました。

雄琴というと、コロナ前まで「おごと温泉・びわ湖パノラマウォーク」(2013年~2021年)という大会が行われていましたが、2021年から中止になりました。

やはり、コロナの影響でしょうか?

 

京都まで22km、浜大津まで10km。おごと温泉観光公園で休憩。

  

足湯もありましたが、先客がおられたので遠慮しました。

おごと温泉の由来は、「この地域にある法光寺は、最澄大師によって開かれた天台宗の古刹。

その境内の蛇ヶ谷という所に念仏池と呼ばれる池があって、この水を飲むと難病が治ったとか、この池の泥を塗ると皮膚病にきいたという言い伝えがあり、近代になってこの水を分析したところ、

温泉であることがわかったそうです。

休憩後再スタート

 

難解な地名があります。「苗鹿」(のうか)と呼ぶそうです。由来は、この先の「那波加(なほか)神社」にありました。

 

那波加神社の縁起には、祭神の天太玉命が、稲の苗を背負った鹿に導かれるという記載があります。苗鹿(のうか)の地名は、この伝承によるものといわれ、

「のうか」の読みは、社名の那波加が転訛したものとされています。

 

11:15 今日の目的地「比叡山坂本駅」に到着。

 

ビワイチ徒歩の旅もあと1日で大津にゴールできそうです。(10km弱かな?)

次回は、紅葉見学も兼ね、秋口に行いたいと思っています。

 

折角ですので、このあと、比叡山延暦寺に行ってみます。

 

 

 


ビワイチ徒歩の旅(12日目)「近江八幡~大津・堅田」(近江八幡市~大津市堅田)

2025-05-19 07:18:51 | 琵琶湖一周徒歩の旅

5/12(月)~13日 この2日間でビワイチを歩きます。

5/12は、近江八幡市~大津市堅田まで歩きます。コースは、近江八幡駅~湖岸白鳥川~岡山公園~日野川大橋~家棟川大橋~中州大橋~マリオットホテル~琵琶湖大橋~堅田駅、約20km。

【マップ1近江八幡駅~堅田全体図】

京都発琵琶湖線7:52で近江八幡駅へ。到着後、ビワイチスタート。

 

近江八幡駅前から直進し、市役所の交差点を左折、白鳥川に向かいます。

白鳥川では、「白鳥川の景観を良くする会」の方が鯉のぼりの川渡りということで川一面に鯉のぼりが泳いでいます。

 

ここは、桜の名所でもあります。樹齢20年ぐらいの桜の木が遊歩道に植えられています。桜の季節の時は、人が多いでしょうね。

  

田んぼには、もう田植えが行われていました。ここのお米は「近江米」かな?

 

白鳥川の遊歩道は、土田橋から湖岸白鳥川まで約3,5kmあります。

 

岡山園地

ここからの道は、「さざなみ街道」です。

 

【マップ2 岡山園地~中州大橋】

琵琶湖が見えてきました。

 

中央に見えるのは、「沖島」です。琵琶湖の島で唯一人が住んでいます。約250人ぐらいかな??

 

日野川大橋

 

家棟(やなむね)川大橋手前から「野洲市」に入ります。

 

     

途中、紫式部の歌碑があります。「おいつ島 しまもるる神や いさむらん 浪もさわがぬ わらわべの浦

沖の島(沖島)は、古くから人の心をとらえていた島で、歌に詠まれたり文字の中にその名をとどめている。この歌は、紫式部が沖の島の対岸であるあやめ新田童子が浦のこの地から

遠く沖の島を望んで詠んだものです。

 

マイアミランドという看板があります。マップをみると「マイアミ浜」と書かれています。

  

ここで休憩します。浜に出てみるときれいな砂浜です。

どうして「マイアミ」か、気になって調べました。「昭和25年(1950)頃、戦後の復興に必死になって働いている人々に安らぎと保養の場を提供できれば・・・

世界的リゾート地であるアメリカフロリダ州マイアミビーチのように・・・というのが命名の由来だそうです。

 

琵琶湖には、びわ湖フローティングスクール「うみねこ」が航海していました。

 

アヤメが植えられていました。この地は、「あやめ」という地名だそうです。

 

歩いていて琵琶湖の方を見ると、琵琶湖大橋が見えてきました。今日のコースは、あの琵琶湖大橋を渡り、堅田駅までです。

 

「かねふくめんたいパーク」が左側に見えてきました。「かねふく」というと、福岡に本社がある明太子の会社です。確か福岡市東区にあったと思います。

調べてみると、かねふくは、全国6か所に「めんたいパーク」を展開しています。(群馬・神戸・伊豆・常滑・大洗そして琵琶湖)

 

中州大橋の手前から「守山市」です。

守山市の「マリオットホテル」で休憩。ここで持ってきたパンで軽い食事をします。

   

【マリオットホテルから堅田駅】

マリオットホテルで休憩後再スタート。疲れているのか、座って立ち上がろうとすると、ついつい「よっこいしょ」という言葉が出てきます。歳のせいかな???

なぎさ公園です。23年1月にここを通った時には、一面の菜の花でしたが現在は何もありません。幟には「はまひるがお」と書かれていました。

   

2023年1月17日撮影 ↓ ↓ ↓

なぎさ公園から琵琶湖大橋(1400m)へ

  

2年前通った時は、左側歩道でしたが、今回は歩道幅が広い右側車線を通ります。

 

橋の中心が守山市と大津市の境界

 

14:50 JR堅田駅にゴールしました。

スマートウォッチのGPSを見ると25kmを指していました。

 

 

 


ビワイチ徒歩の旅【番外編その2長命寺】(滋賀県近江八幡市長命寺)

2025-05-18 05:33:21 | 琵琶湖一周徒歩の旅

5/11(日)豊郷駅から近江鉄道八日市乗り換えで近江八幡駅にやってきました。

駅前のバス停から長命寺に向かいます。

今回のビワイチのルートには、長命寺を入れていませんので「番外編」として行きます。

長命寺は、

近江八幡市の北西端、長命寺山(333m)の標高約250mの山腹にある寺院。西国三十三カ所第31番札所で、「八千年や柳に長き命寺、運ぶ歩みのかざしなるらん」という詠歌のとおり、

「寿命長遠」の御利益があるとされています。3世紀後半から4世紀初頭の景行天皇の時代、武内宿禰(すくね)がこの山で長寿を祈ったといい、開基は聖徳太子と伝えられます。
平安時代前期に寺院の基盤ができたと考えられており、その後、近江守護佐々木定綱(さだつな)が戦死した父の菩提を弔うために、平安時代後期に本堂をはじめ、釈迦堂・薬師堂・太子堂・

護摩堂(ごまどう)・宝塔・鐘楼・仁王門などを建立しました。現在の社殿は戦国時代中期に兵火で焼失したあと再建されたものです。
湖岸のそばから808段といわれる長い石段を登ると、諸堂の屋根の線が美しく重なりあっています。千手観音を本尊とし、聖観音・十一面観音・毘沙門天など多くの国指定の重要文化財が

安置されており、その他、建造物のすべてが県あるいは市の指定文化財になっているという由緒ある寺院です。四季を通じて多くの参詣者が全国から訪れ、湖辺近くの山腹風景も美しいです。

近江八幡駅前から約25分で長命寺港に到着。

これから808段の石段を登り、長命寺境内に向かいます。ガイドブックには普通の方で約20分で登られると書いてましたが、何せこちらは高齢者、30分はかかるのでは???

   

     

808段の石段を歩きます。この石は、自然石ですので非常に歩きにくいです。

   

5分ぐらい登ったところで家内がリタイア。ここからは一人で登ります。

     

これは、鳥居でしょうか?

 

 

聖徳太子礼拝石

 

あと少し

  

25分かけて登ってきました。もう汗だくだくです。

   

長命寺は、琵琶湖周航の歌6番に挿入されています。水森かおりさんの歌です。Bing 動画

右の写真は、6番の歌詞の説明ですが、文字が薄くて読みにくいですね。

で、ここで疑問に思うのは、長命寺は西国31番札所ですが、歌詞には、西国10番と歌われています。

調べてみると、「ちなみに西国三十三箇所の十番札所は三室戸寺である。「西国十番長命寺」と歌われている理由については、「西国三十一番長命寺」では長すぎるためメロディに収まり切れず、

また、巡り方によっては長命寺が十番札所となる場合もあるからだ、と作詞の小口太郎本人が語ったとされている。」

  

本堂

 

 

三重塔と鐘楼

 

権現堂

  

三佛堂

 

長命寺は、紫陽花寺としても有名です。福岡ではもう紫陽花の花が咲いているところがありますが、長命寺では、まだまだのようです。

一通り見回り、下山します。

上るより下りる方が気を使います。約15分で下りてきました。

下りてきてリタイアした家内と合流します。

 

 


ビワイチ徒歩の旅【番外編その1豊郷町】(滋賀県犬上郡豊郷町)

2025-05-16 16:40:48 | 琵琶湖一周徒歩の旅

5/11(日)~5/13(火)まで旅行社のお得なチケットを利用し滋賀県に行ってきました。

5/11は、琵琶湖のルートには入ってない「豊郷(とよさと)町」、「長命寺(ちょうめいじ)」を電車やバスで行ってきました。

その1【豊郷町】

7:36 博多発のぞみで京都へ、京都から琵琶湖線で彦根へ、彦根から近江鉄道本線で豊郷駅に着いたのが12:15。

近江鉄道の電車は初めて乗りましたが、連結分の所なんか、揺れがひどく、あわや電車酔い??になりそうでした。

豊郷駅は、無人駅ですが、駅の裏には東海道新幹線の高架です。近江電車の本数よりも新幹線の本数の方が多いです。

  

豊郷町は、伊藤忠兵衛をはじめ、近江商人の町としても知られています。

豊郷町に行った目的は、マンホールカードをゲットするためでしたが、訪問するにあたり「豊郷」を調べましたら、何と総合商社「伊藤忠商事」「丸紅」創業者、「伊藤忠兵衛」の出身地でした。

伊藤忠兵衛に関しては、後で述べますが、先ずマンホールカードをゲットするために「旧豊郷小学校群」へ。

途中の豊郷病院(伊藤長兵衛寄進の病院)では、「ウサギと亀のモニュメント」があります。

どうしてウサギと亀かな????

  

豊郷小学校旧校舎群は、昭和12年に近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏によって寄贈され、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられました。

当時は、「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」といわれ、平成25年には国の登録有形文化財に登録されました。 現在は、町立図書館や子育て支援センターなど町の複合施設として

利用されており、校舎のご見学も自由にしていただけます。(旧豊郷小学校群HPより)

校舎内の階段には、ウサギと亀の真鍮像があります。これは、寄贈者の古川氏にまつわる逸話として、子供のころいろいろなことがうまくできなくて当時の小学校の先生が

コツコツ頑張れ!」とうさぎと亀の話を引き合いに励まし、ゆくゆくは学校を寄付するまでに立身出世したというものがあり、建築家のヴォーリズは、このウサギと亀のモニュメントを

階段に設置したそうです。豊郷病院のウサギと亀のモニュメントも意味が分かりますね。

     

 

 

  

旧豊郷小学校から伊藤忠兵衛記念館に向かいます。

 

豊郷町は、旧中山道間の宿です。石畑の一里塚もあります。

 

豊郷町役場

 

紅公園には、「伊藤忠兵衛翁碑」があります。

 

 

伊藤忠兵衛記念館

 

伊藤忠兵衛記念館は、近江商人発祥の地である滋賀県にあります。
初代伊藤忠兵衛の百回忌を記念して、初代忠兵衛が暮らし、二代忠兵衛が生まれた滋賀県犬上郡豊郷町にある旧邸(1984年に伊藤家より公益財団法人 豊郷済美会に寄贈)を整備し、

2002年4月14日(日)より一般開放されることとなりました。

初代忠兵衛、二代忠兵衛の愛用品をはじめ、多くの資料が展示され、繊維卸商から「総合商社」への道を拓いたその足跡を紹介しています。

私、豊郷町を訪問するにあたり、下調べをしましたが、総合商社「伊藤忠商事」と「丸紅」、「呉羽紡績(現在呉羽化学)」は伊藤忠兵衛が創業したのですね。

知りませんでした。

伊藤忠兵衛に関しては、峠越えの道|伊藤忠商事株式会社

   

 

 

  

 

 

 

 

近江商人には、「三方よし」という言葉があります。三方よしとは「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の三方が満足している状態を指します。
売り手だけが儲けを得るのではなく、買い手にとっても満足があり、最終的には事業を通じて地域社会の発展に貢献するのが目指すべき商売の形であるという考え方です。

ここ豊郷町でも豊郷病院や、学校、公民館を建てたりして地域に貢献してきました。まさに地域に還元するやり方です。

 

豊郷町は、滋賀県の民謡「江州音頭」発祥の地と言われています。※滋賀県は近江の国または江州(ごうしゅう)と呼ばれていた。

江州音頭(ごうしゅうおんど)

 

江州音頭は、近江商人が目的地までの道中、全国各地で歌ったことから別名「商い音頭」と呼ばれるようになりました。

特に大阪では、江州音頭がとても流行り、河内音頭が江州音頭の影響を受けて現在の形に発展しました。

私も、江州音頭をネットで聞きましたが、かなり河内音頭に似ていますね。

  

豊郷駅に戻ってきました。電車は1時間に1本です。

時間があったので喫茶店やコンビニを探しますが、どこにもありません。昔は活気があったかもしれませんが、現在は長閑な町になっています。

14:34の電車で次の目的地近江八幡に向かいました。

 

 

 

 


5月例会「空港ウォーク・駕与丁のバラ見学」(福岡県粕屋町)

2025-05-15 14:06:33 | ふくおかウォーキング協会

5/10(土)ふくおかウォーキング協会5月例会は、「空港ウォーク・駕与丁のバラ見学」でした。

集合場所は、地下鉄福岡空港4番出入り口から少し入ったところの下臼井公園。

2週間前に地元新聞の掲示板に例会のお誘いをしましたので一般の参加者が16人でした。合計54人です。

今日のマップです。

9:30スタート

 

 

志免鉄道記念公園で休憩

 

休憩後再スタート

 

イオンモール福岡を通り酒殿(さかど)駅へ

 

 

駕与丁(かよいちょう)公園に到着

駕与丁公園がある「粕屋町」は、1985年(昭和60年)町花を優美・華麗な「バラ」と清楚・可憐なコスモスと制定しました。

また、全国29自治体で構成する「バラサミット」に加盟し、これを機に駕与丁公園にバラ園を整備し、今では、180種類・2400株のバラが植えられています。

 

 

  

 

 

今日は、昼から所要があり、駆け足でのバラ鑑賞でした。

 

5月11日には、バラ祭りも行われるそうで、JR九州のウォーキングも開催されます。

帰り道立ち寄った「粕屋町役場」でもきれいなバラが植えられています。

 

長者原駅発12:40の電車で帰宅しました。

 

 

 

 


優しいウォーク「福岡市の庭園新緑巡り」(福岡市博多区~南区)

2025-05-10 07:08:51 | ふくおかウォーキング協会

5/8(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「福岡市内庭園新緑巡り」でした。

集合場所は、博多駅近くの音羽公園、参加者26名。

今日のマップ

9:30スタート

  

先ずは「楽水園

明治39年(1906年)に博多商人、下澤善右衛門親正が住吉別荘を建てた跡地となります。

親正は、父尚正と親子二代にわたり、家業と並んで福博の発展に貢献した人物で、「楽水」とは、親正の雅号です。

戦後は、旅館「楽水荘」として使用され、平成7年(1995年)に福岡市が池泉回遊式の日本庭園として整備、開園しました。その際に、本園の名称もその由来を受け継ぎ「楽水園」と

名付けられています。

 

イロハモミジのプロペラの部分は、「翼果(よくが)」と呼ばれ、中央に丸い玉があるのが種です。

 

楽水園から電気ビルに向かいます。

 

三光園は、1926年(昭和元年)創業の料亭です。コロナ禍で2020年(令和2年)10月廃業しました。

 

 

 

九州電力の本社がある電気ビル共創館で休憩

共創館の裏手には、庭園があります。

 

 

 

休憩後再スタート

花屋さんで見つけたアジサイとカーネーション

そういえば、今週日曜日は母の日ですね。

 

高宮公民館で休憩

 

休憩後再スタート

 

福岡市立高宮中学校

今の若い福岡市民はわかりませんが、僕らの年代だと初めてあった人に「あんたどこ中?」とよく聞かれたり聞いたりします。

これは、出身の中学校名を聞いているのですが、福岡市民はこれでコミュニケーションをとっているのでしょうか?

でも聞くことによって(聞かれることによって)仲間意識が生まれることもあります。

私は、福岡市といっても田舎の中学校ですので高宮中学など都心の学校には憧れがありました。

ところで「高宮中学校」は有名人が多く卒業しています。タモリ・森口博子・博多華丸・氷川きよし・高橋真梨子・・・・・

この方たちも「あんたどこ中?」「お前どこ中?」と聞いてコミュニケーションをとったのでしょうか?

   

高宮中学~福岡大学高宮グラウンドを過ぎたとたん、参加者の一人がマンホールの段差につまずき転んでしまいました。

見ると鼻の下から出血しています。手も切り傷があり、みんなで消毒薬・救急絆創膏やシップ薬などを持ち寄り応急処置をいたしました。

本人には、帰って医者に行くように勧めました。

それで今日のウォーキングはあと1,5kmぐらい残っていますが、ここで中止としました。

大事にならなければいいのですが・・・・

 

 

 


楽しいウォーク「花いっぱい花畑園芸公園の眺望」(福岡市南区)

2025-05-09 19:12:56 | ふくおかウォーキング協会

5/7(水)大型連休後のふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「花いっぱい花畑園芸公園の眺望」でした。

集合場所は、地下鉄七隈線「七隈駅」近くの菊池神社。GWで疲れが出たのか、参加者は24名とやや少なめです。

今日のマップです。

9:30スタート

 

すぐ、城南区市民センターでトイレ休憩。

 

城南区市民センターの所の西ノ堤池には、ベニバナトチノキの花が咲いています。

 

休憩後再スタート

 

島廻橋交差点から一本松川緑地に向かいます。

今日は、日差しが強く、木陰を歩きます。

 

東油山公園で休憩。

東油山公園には、球場があり、若いころ(今でも若いと思っていますが)ここで草野球の試合をしたことがあります。

 

休憩後再スタート、花畑園芸公園に向かいます。

何と!今日は休園日ではないですか???

普通、福岡市の施設は月曜日が定休日ですが、GW期間中は開園していたのでGW明けの今日が定休日になっていました。

  

花畑園芸公園をスルーし、桧原運動公園に向かいます。

 

 

太平寺観音というのがあります。

大平寺古墳は6世紀末から7世紀初頭の古墳群で7基が確認されています。うち3基は消滅し、現在4基を見ることができます。この6号墳は残存部からの推定で直径約15m、高さ約3.4mの円墳で、

南西方向に石室が開口しています。

入口の天井石には、石材を割るための矢穴が残っており、これは、江戸時代に古墳から石を抜き去ったという話が伝わっていることから、その痕跡と考えられます。

内部には、後世に地域の人たちによって観音様が祭られ、信仰の対象となっています。

また、源蔵池の南西部岸辺には、鉄滓(とけた不純物の塊)や製鉄炉の破片が散布していることから、古代の製鉄所があったのではないかと推測されています。

 

穴の中に入った人の感想では、中に地蔵尊が二体あるそうです。

昔は、太平寺というお寺があったそうですが、江戸時代に廃寺になっているそうです。

11:40 西鉄バス桧原営業所にゴールしました。

 

 

 

 

 

 


第28回久留米つつじマーチ2日目5km(福岡県久留米市)

2025-04-24 10:57:11 | ウォーキング

4/20(日)久留米つつじマーチ2日目5km

今日も昨日と同様6:30に福岡の自宅を出発、7:20に会場の中央公園に到着。

30kmのスタートに間に合いましたので見送りをします。

今日は、天気予報では、明け方には雨は止むということでしたが、小雨が降り続いています。

やはり今年も「久留米つつじマーチは、必ず1日は雨が降る」というジンクスが当たりました。

今日も、10時過ぎからスタッフとしての仕事がありますので、30kmがスタートしてしばらくして5kmコースを

家内と一緒にスタートします。(本当は10kmを歩きたかったのですが雨のため5kmを選択)

20日のマップです。

5kmコースは「甍が連なる寺町一万歩コース」です。

       

櫛原町の信号から筑後川へ

 

筑後川久留米つつじ園

ここにもたくさんのツツジがあります。

 

  

約2km地点が5kmのチェックポイント。ここは、7:30から開設されています。

  

百年公園に比べるとまだ5分咲きかな??

  

5kと10k・20k・30k分岐点を過ぎます。

街路に植えられているハナミズキも満開です。

 

  

ここから「寺町」です。

  

「寺町」の名の通り、ここには17の(古くは26寺)の寺院が集まって一つの聖域をつくっています。
数多くの先人が永眠している中で、最もよく知られた人物は、勤王の志士高山彦九郎、久留米絣始祖の井上伝、久留米つつじの始祖坂本元蔵、洋画家古賀春江などがいます。

高山彦九郎の墓のある遍照院には、彼の後を追って死んだ酒好き西道俊のひょうたん墓。 筑後の同志を頼って長州から逃れ、果ては止むなく明治四年、同志の手で殺された反政府主義者・

大楽源太郎主従四人の「耿介四士之墓」。 大楽の庇護と殺害の罪で明治政府から処刑(罰)された地元の志士たちを弔った「辛未遭難志士之墓」が並び立っています。

     

     

     

     

何か、キリスト教の教会みたいです。

 

  

  

妙正寺は、久留米つつじの元祖「坂本元蔵」の墓碑があります。

  

   

   

     

     

 

   

   

   

この寺町は、江戸時代久留米城防衛の一環としてここに寺を集めたそうです。昔は、26の寺がありました。

寺町から昭和通りへ

  

五穀神社には、「からくり儀右衛門」(田中久重)の紹介文があります。※田中久重は、「東芝」の基礎を作りました。

田中久重 - Wikipedia

 

五穀神社から会場の中央公園へ

  

9:00  5kmの歩き終えました。

  

会場では、10km・5kmのスタートの準備が行われていました。

10km、5kmのスタートを見送り、スタッフとしての業務を行いました。

30kmのアンカーがゴールしたのが、16:40です。

これで2日間のスタッフ業務が終了しました。

2日間の参加者です。

 

 

 

      

 

 

 


第28回久留米つつじマーチ1日目10km(福岡県久留米市)

2025-04-22 12:36:06 | ウォーキング

4/19~20まで行われる「第28回久留米つつじマーチ」に参加しました。

 

 マップを見ると昨年と同じコースです。

今年もスタッフとして参加です。

6:30福岡の自宅を出発し、会場の中央公園に着いたのが7:20。もう30kmコースの出発式が行われていました。

   

7:30 30kmコーススタート。お見送りします。

  

スタッフとして動くのは、10時から。まだ時間があるので独自に10kmコースを歩きます。

石橋文化センターの先から右折、高良川沿いに歩きます。

  

  

鳥越建設様のエイド。 今日は暑くなりそうなので水分補給します。

  

分岐点から10kコースに入ります。

 

 

  

久留米競輪場前を通過

  

競輪場から久留米大学御井学舎へ

  

 

  

先へ進みます。高良大社の近くは、防津街道(薩摩街道)府中宿です。昔ながらの建物が立ち並んでいます。

  

  

御井小学校がチェックポイント。この御井小学校の所が防津街道府中宿本陣跡です。

時刻は、9:00 早いのでチェックポイントは開設されていません。スルーします。

  

九州道の側道から中干出公園へ

  

中干出公園から筑後川に出ます。

  

ゆめタウンを過ぎ百年公園へ

見事なツツジです。

  

 

 

10:00 10kコースゴールしました。

ゴール後、本来の10kmコースがスタートしましたのでそれを見送ります。

30分後には、5kmコースがスタートしました。

そのあとは、スタッフとしてウォーカーの方のゴールを待ちます。

16:30 30kmのアンカーがゴールし、この日のスタッフとしての仕事が終わりました。

 

 

  


楽しいウォーク「炭鉱 大門(おおかど)坑跡と小さなボタ山を歩こう」(福岡県飯塚市)

2025-04-18 08:37:23 | ふくおかウォーキング協会

4/16(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「炭鉱 大門坑跡と小さなボタ山を歩こう」でした。

集合場所は、JR浦田駅  参加者29名でした。

浦田駅で受付後、飯塚市総合体育館に移動します。飯塚市では、4/15~4/20まで国際車いすテニス大会が行われています。

    

今日のマップです。

電車の遅延のためスタートは、9:45。

   

飯塚オートレース場を経由します。

  

近畿大学九州工学部の笠松信号から左折、庄内川を渡ります。

   

トライアルでトイレ休憩。休憩後再スタート、大門(おおかど)坑跡へ

  

このコースは、2013年(平成25年)JR九州ウォーキングのコースでした。その時の資料を添付させていただきます。

説明文によると、平成12年(2000年)雑木林から忽然と現した炭鉱跡。石炭を運び出す為の仕掛けやボタ山そして坑口が次々に発見されました。

明治29年ごろ江口倉之助によって開坑された際には、宮ノ浦炭鉱と呼ばれ、大正期に一度麻生に売山されたようです。

昭和23年(1948年)には、木曽重義が再開。この年には、田中角栄も関与した炭鉱国管疑獄 - Wikipediaの舞台ともなりました。

以後、木曽重義、渡辺正夫、仁保鉱業などの経営を経て、昭和32年(1957年)から原口鉱業の所有となり、昭和38年(1963年)閉山を迎えました。

第二次大戦後の新しい炭鉱ながら、ここには、小規模坑のほぼ全容が残されており、断片的な施設跡が多い筑豊の炭鉱遺産の中でも異形を放つ貴重な意向だといえます。

2023年に行われたJR九州ウォーキングに参加された方のブログを見ていると、坑口や事務所跡、お風呂などが残っていましたが今は、捲揚台座だけが残っています。

  

ここで産出された石炭は、トラックで新飯塚駅に運ばれそこから列車で運搬されていました。

  

平成29年(2017年)大門坑の保存を願う会が飯塚市長あてに「原口鉱業大門坑跡の長期的且つ安定的な保護と活用についての要望書を出しましたが、

結局それが受け入れられなく、大門坑跡は、産廃処分場になっています。

  

大門坑から鳥羽池へ

  

鳥羽池は、桜の名所。ソメイヨシノの次には、八重桜が・・・・

   

鳥羽池から国道201号線へ

  

12:45 新飯塚駅にゴールしました。