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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

サタデーウォーク「直方のチューリップフェアを楽しもう」(福岡県直方市)

2025-04-15 18:49:56 | ふくおかウォーキング協会

4/12(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは「直方のチューリップフェアを楽しもう」でした。

直方のチューリップフェアは、平成4年(1992年)、直方オートキャンプ場の環境美化のために市民ボランティアの手で1万球を植えたのが始まりです。

現在、1000人を超えるボランティア方々の協力によって植えられた約20万球のチューリップが遠賀川の河川敷に咲き誇ります。

ふくおかウォーキング協会でも昨年に続きチューリップフェアウォークを行いました。

集合場所は、JR直方駅、直方といえば、元大関「魁皇関」の出身地です。駅前には、魁皇関の銅像が建てられています。

直方駅の裏手にある「県立鞍手高校」の生徒さんがセンバツ高校野球閉会式の司会を務めたそうです。

参加者24名

今日のマップ

9:30 ウォーキング開始

 

駅の横にある「多賀神社」は、今、春の祭りが開催中です。

 

直方藩陣屋跡で休憩。

直方藩は、筑前福岡藩の支城でした。

ここで長崎街道を歩いているグループ(3人)と出会います。今日は飯塚まで歩かれるそうです。まだまだ先は長いですよ。楽しんでください。

  

福岡県小郡市には、カエル寺がありますが、直方には「メダカ寺」があります。

 

丸山観音寺(メダカ寺)は、直方藩主黒田長清が建立したお寺です。メダカ寺と呼ばれるようになったのは、住職が23年前檀家から約30匹のメダカを譲り受けたのがきっかけで

年々増え続け現在では50種類約1万匹のメダカがいるそうです。

 

 

メダカ寺から犬鳴川を渡ります。

 

光福寺に到着。ここで休憩します。

光福寺は、1528年(享禄元年)豊後国から浄土真宗の教えを広めるため、大友宗雲が下境の現在地に建立しました。

 

 

施設には、九州を代表するグラフィックデザイナー故西島伊三雄氏の襖絵・板戸の絵があります。

 

 

光福寺から「もち吉本店」に向かいます。もち吉の横の花壇には、芝桜・ネモフィラ・チューリップが咲き誇っています。

 

 

 

もち吉本店で休憩、買い物時間とします。

 

休憩後再スタート。彦山川・遠賀川を通り直方チューリップ広場へ。

 

チューリップフェアは、遠賀川河畔で行われ約20万株のチューリップが楽しめます。

 

 

 

 

 

チューリップフェアからゴールの直方駅に向かいます。

 

 

12:30 直方駅にゴールしました。

 

 


楽しいウォーク「二丈、桜と菜の花・海のハーモニーウォーク」(糸島市二丈町)

2025-04-13 05:52:52 | ふくおかウォーキング協会

4/9(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「二丈、桜と菜の花・海のハーモニーウォーク」でした。

最近。、地元のテレビなどで「桜と菜の花・海(玄界灘)のハーモニー」が桜の穴場スポットとして話題になっています。

今日のウォークは、その光景を見に行こうと計画しました。肝心の桜は、今秋月曜日の強風で散っているかもしれません。

集合場所は、JR大入(だいにゅう)駅。参加者は、24名。

この大入(だいにゅう)地区は、商売をされている方には、縁起のいい名前ですが、「大入(だいにゅう)」の地名は、大きな入り江であった地形に由来します。
元和2(1616)年に塩浜が1町、干拓によって開かれて、福井村などから移住してできた村だそうです。北に新田、西に新開と呼ばれる小字地名が残ります。

今日のマップ

 

9:30 スタート

 

 

 

養円寺で休憩、休憩後スタート

 

山道を歩きます。

 

途中、「バクチの木」があります。

樹皮は灰白色で、絶えず古い樹皮が長さ数10cm程度のうろこ状に剥がれ落ち、黄赤色の幹肌を現す。本種の名は、これを博打に負けて衣を剥がれるのにたとえたことに由来する。

葉は10~20cmの長楕円形で深緑色。縁には鋭鋸歯。洋紙状革質。葉柄の上部に一対の腺がある。秋、径6mmの白色の五弁花を葉腋に出る短い花穂に密につける。果実は黒紫色で、

翌年初夏に成熟する。(ウィキペディアより)

 

桜並木の広場があります。残念ながら、桜は散っていました。

 

ゆらりんこ橋駐車場

これから「ゆらりんこ橋」を渡ってみます。

 

ゆらりんこ橋」は、加茂川上流にかかる1本のワイヤーで吊られた全長100mのつり橋。眼下に玄界灘や棚田を見ながら、春は駐車場周辺の桃の花、6月初旬にはホタルの乱舞、夏は水遊び、

秋は紅葉など、四季を通じて自然を体験できる憩いの場です。
またここから二丈渓谷を経て、加茂神社や真名子木の香ランド二丈岳・女岳へのハイキングコースの入り口となっています。橋から2キロほど遊歩道を歩いたところにある「明神の滝」周辺は

二丈渓谷の紅葉スポットとして人気です。

  

  

 

 ゆらりんこ橋から絶景のポイントに移動します。

 

この写真を見ていると、まさに桜と菜の花・海(玄界灘)のハーモニーですね。

地元の方がこの光景を維持されているんですね。

駐車場に戻り、下りていきます。

 

歩いていると民家の庭先には、シャクナゲ・ハナミズキが咲いています。

  

大入駅の横から大入海岸に向かいます。

 

白山神社を通りゴールの大入駅に向かいます。

 

 

12:00 大入駅にゴールしました。

 

 

 


4月例会「NHK朝ドラ(おむすび)糸島ロケ地ウォーク【池田川河畔の桜並木と前原商店街】」(福岡県糸島市)

2025-04-10 11:49:34 | ふくおかウォーキング協会

4/5(土)ふくおかウォーキング協会4月例会は、「NHK朝ドラ(おむすび)糸島ロケ地ウォーク【池田川河畔の桜並木と前原商店街】」でした。

朝ドラロケ地ウォークは、2月に野北海岸で行いましたが、今回第2弾として「おむすび」の主人公が高校入学式の時に通った「池田川河畔の桜並木」を中心に糸島の桜の名所を

ウォーキングしようという企画です。

 

集合場所は、JR波多江駅近くの産宮神社。参加者は、一般の方を含め47名でした。

スタート前に、24年度例会の完歩賞の表彰を行いました。

 

今日のマップです。

9:40 スタート

糸島市の桜名所の一つ池田川の桜並木です。ここは、主人公が高校入学式の時に友達と一緒に訪れました。

撮影が行われたのは、向こう側の桜並木でした。(私たちは舗装道路を歩きました)

  

池田川には、両岸に約600mにわたって桜並木があります。

 

 

池田川の桜並木から「あごら」で休憩。

 

休憩後再スタート。糸島市の桜の名所「笹山公園」に向かいます。

 

笹山公園

笹山公園は、JR筑前前原駅から徒歩10分の小高い山で、桜の木が約800本植えられており、糸島市の桜の名所です。

 

 

 

 

糸島市役所で休憩

 

休憩後、主人公が通っていた高校「糸島東高校」(糸島農業高校)に向かいます。

撮影の時には、この「糸島農業高校」の校名を「糸島東高校」に変えられていました。

 

  

糸島農業高校から雷山川の桜並木に向かいます。

雷山川には、約1kmにわたって桜並木が続きます。

 

  

雷山川の桜並木から前原商店街に向かいます。

商店街では、祖父役の松平健さんが、ここで野菜を売っていました。

 

商店街の名称も「よかとこ商店街」に変えられていました。

 

商店街からゴールの筑前前原駅に向かいます。この角屋食堂も松平健さんが友人と食事したシーンがありました。

12:30 筑前前原駅にゴールしました。

 

 


やさしいウォーク「南区の公園桜巡り・“桧原桜物語”」(福岡市南区)

2025-04-09 05:19:08 | ふくおかウォーキング協会

4月は、桜花見ウォークが続きます。

4/3(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「南区の公園桜巡り」でした。

集合場所は、西鉄高宮駅、参加者は24名でした。

9:32スタート

 

先ずは若久川の桜

 

 

大池通りを通り、野間大池公園へ

公園内を一周します。ここの桜も見事です。

 

 

 

次は鹿助(ろくすけ)公園へ

  

続いて長住中央公園

 

長住中央公園には、野球場があり、小生50年前、ここで草野球をしていました。ここに来るのは、それ以来かな???

 

長住中央公園から今日のメイン「桧原桜」へ向かいます。

 

桧原桜には、人情温まる物語があります。

長住と桧原を結ぶ桜の道は、昭和50年代までくねくねと曲がって車の離合も困難な狭い農道でした。南北から道路の拡幅が進められ、昭和59年3月10日の朝、蕾をいっぱいつけた桜が

一本伐採されました。残りの桜もはかないさだめ運命です。翌早暁、桜に命乞いの色紙が吊るされていました。

花守 進藤市長 殿  花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を 許し給え

次の日も次の日も桜は、伐られませんでした。気持ちの優しい業者さんの執行猶予だったのでしょう。

そして朝のジョギングでこの色紙を発見した紳士の共感が、地元の新聞に伝えられて「短歌に託す命乞い」の大きな記事になり、花を惜しむ歌や句が次々に桧原桜に寄せられました。

詠み人知らずが枝に吊るした、数十首の色紙や短冊が春風に揺れるさまは、さながら王朝時代の観桜の宴の風情でした。そのうちの一首が、筑前の花守 進藤一馬福岡市長の返歌と知れました。

桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は  香瑞麻    ※香瑞麻とは、進藤一馬市長の雅号です

こうして桧原桜は、「終の開花」を許されたのです。

郷土に縁の深い作曲家「団伊玖磨」さんがこのことを随筆「パイプのけむり」に取り上げられ、ワールドマガジン「リーダーダイジェスト」に転載され海外の話題にもなりました。

花吹雪が散って薫風のころ桜の枝に 葉桜のそよぐ梢の 風涼し 花守り市長の情け通じて

道路が桜を生かす計画に変更されて、永久の開花が叶えられたのです。若桜が植えられて、夜間照明も整備されて、前の道路も「桧原桜通り」の愛称になりました。

桧原桜物語の動画です。↓ ↓ ↓

花守りたちの心のリレー ~桧原桜

 
 
桜の周りには、小学生の短歌や句が展示されています。
桧原桜からゴールの西鉄バス桧原営業所へ向かいます。
途中の樋井川沿いの桜並木です。
 
11:55 西鉄バス桧原営業所にゴールしました。

 

 

 


楽しいウォーク「史跡水城跡・鳥瞰スポットと桜並木ウォーク」(福岡県太宰府市)

2025-04-08 05:45:56 | ふくおかウォーキング協会

4/2(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「史跡水城跡・鳥瞰スポットと桜並木ウォーク」でした。

4月に入り、福岡地方の桜は、今満開です。

集合場所は、西鉄都府楼跡駅。参加者43名

9:30 スタート

 

しばらく歩くと都府楼跡の桜が見えてきます。

  

 

都府楼跡の横は、令和の里 坂本八幡宮です。

 

御笠団印出土地

大宰府が所在した筑前国には4つの軍団が配置されていました。うちふたつの軍団の銅印「御笠団印」「遠賀団印」(ともに国重要文化財)が発見された場所です。

大宰府条坊の北西端にあたり、大宰府・筑前国を守備した軍団が駐屯していたことがわかります。印は、縦横4,2cm、高さ5,2cmで現在東京国立博物館に所蔵されています。

  

国分小学校の処から水城跡展望台に向かいます。ここは、急坂で上り坂が苦手な私には少し酷です。

 

 

展望台からは、水城跡が見渡せます。

 

急こう配の下り坂をいくと、水城館です。

 

 

水城館には、大伴旅人の歌碑があります。※遊行女婦とは、うかれめのこと。

凡(おほ)ならば かもかもせむを 恐(かしこ)みと 振りたき袖を 忍びてあるかも(巻6-965)(遊行女婦・児島)

大夫ますらをおもへるわれや水茎みづくきみづうへに涙のごはむ  (大伴旅人)

 

休憩後、水城跡の桜並木見学です。

 

折角ですので記念写真

 

 

 

11:55 JR水城駅にゴールしました。

 

 

 

 


楽しいウォーク「博多区公園さくら巡り」(福岡市博多区)

2025-03-29 09:04:11 | ふくおかウォーキング協会

3/26(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「博多区公園さくら巡り」でした。

福岡地方は、3/24に桜の開花宣言が出され、暖かい日が続いたからか、今日(26日)には、もう3分咲きぐらいです。

集合場所は、博多区冷泉公園。参加者40名。

今日のマップ。今日の担当がマップに桜の見どころをチェックしています。

 

冷泉公園も桜のスポットです。

  

9:30スタート。日本最初の禅寺、聖福寺(しょうふくじ)へ

聖福寺の歴史 | 安国山 聖福寺

  

 

  

聖福寺から御笠川河口に向かいます。

 

博多港へ

 

 

博多港ターミナルから博多川沿いに歩きます。ここの桜は、まだ1分咲きかな??

 

櫛田神社

  

櫛田神社より住吉を経由し美野島へ

 

 

説明文によれば、博多古図を見ると、博多湾が住吉神社のあたりまで湾入していたころ、美野島は今の街並みとはずいぶん遠い、海を臨む位置にあったものと考えられる。

那珂川の河口には、「簔島」という小さな島があったとされている。近年までこの地は、「簔島」や「蓑島」などと書かれていたが、昭和44年に現在の町名である「美野島」となった。

 

 

旧筑肥線跡地を通ります。

 

パナソニックの工場を過ぎて御笠川側道を通ります。

 

ここで記念写真

ゴールの竹下駅には、12:30に到着しました。

 

 

 

 


ビワイチ徒歩の旅(11日目)「能登川~近江八幡」(東近江市能登川~近江八幡市)

2025-03-17 17:24:00 | 琵琶湖一周徒歩の旅

3/11(火)8:30に能登川駅に到着。この日は生憎小雨が降っています。

駅の構内で合羽に着替え出発です。

能登川駅前には、能登川水車のモニュメントがあります。先へ進むと林中央公園近くに「室町時代の連歌師 宗祇法師生誕地」の看板があります。

宗祇法師の生誕地説は、紀伊と近江に分かれていましたが、近江だったのですね。

 

 

能登川アリーナから左折。しばらく歩くと「伊庭内湖」が見えてきます。

 

乙女橋を渡る。

 

この先に「能登川水車」があるのですが・・・・・

残念ながら水車は工事中で中に入ることができません。

 

小さいほうの水車も周辺が工事中です。

 

先を進みます。浦葭(うらよし)橋のところで右折しなければいけなかったのに直進してしまいました。

脇道を通り本来のルートに戻ります。従って大中(だいなか)の湖南遺跡は、見れませんでした。

 

大中(大中)神社は、琵琶湖の大中の湖が干拓され、昭和41年から当時の近江八幡市、安土町、能登川町の三区画に各区画72戸、計216戸が入植しました。
入植十周年に住民の心のよりどころとして各区画に神社が創建され、近江八幡市大中町には大中神明宮が創建されました。

大中交差点を左折します。

 

左折すると「西ノ湖(にしのこ)」が見えてきます。

 

西ノ湖は、琵琶湖最大の内湖で、大中内湖が造成された際に、水域として残った部分である。流入河川は安土川、山本川、蛇砂川および黒橋川で、長命寺川を介して琵琶湖に注ぐ。

大中之湖干拓前は周辺の多くの内湖が存在したが、現在ではいずれも姿を消している。60年ほど前までは琵琶湖の一部に位置した。

西ノ湖沿いには、よし笛ロードという自歩道が整備され、そこを歩いていきます。

 

 

西ノ湖では、真珠の養殖がおこなわれています。昨日ぐらいでしょうか、野焼きが行われ、アシが焼かれていました。

 

蛇砂川にかかる寿久橋から右折します。近江八幡の市街地に入りました。

産直店「きてか~な」で休憩。

 

休憩後再スタート。近江八幡市の市街地に入ります。(写真は一部3/9に撮ったのも掲載しています)

 

近江八幡で欠かせないのが、ヴォーリズ。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズWilliam Merrell Vories一柳米来留〈ひとつやなぎ めれる〉、1880年10月28日 - 1964年(昭和39年)5月7日)は、アメリカ合衆国(米国)に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家キリスト教プロテスタント信徒伝道者、社会事業家、実業家。(元華族 一柳満喜子と結婚し、一柳米来留と名乗る)

近江八幡の旧市街地には、異国情緒ある洋風建築が数多くあります。それらの建築設計を手掛けたのがウィルアム・メレル・ヴォーレズは、1905年(明治38年)滋賀県立商業学校

(現八幡商業高校)の英語教師として米国から来日しました。熱心なキリスト教伝道活動とともに「建物の風格は、人間と同じくその外見よりもむしろその内容にある」との信条をもって

国内外の約1600軒の建築設計に携わりました。

メンソレータム(現メンターム)を日本に輸入した人物でもあり、当時不治の病といわれた結核を治療する近江サナトリアム(現ヴォーリズ記念病院)の建設、更に教育の場として

図書館や近江兄弟学園(現ヴォーリズ学園)を設立するなど多岐にわたる社会貢献事業を行いました。「近江八幡は、世界の中心」との思いで、近江八幡の町を深く愛したヴォーリズの

軌跡と精神は、今もこの地で生き続けています。

  

白雲館でマンホールカードをゲットしようとしましたが、2か月前に配布終了とのことでした。

 

日牟禮(ひむれ)八幡宮:八幡山(271.9m)の南麓にある神社。誉田別尊(ほんたわけのみこと)・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・比売神(ひめかみ)の三神を祭神とする

旧八幡町の総社で、第13代成務天皇が即位の折に創建され、正暦2年(991年)に九州の宇佐八幡宮の神霊を勧進したと伝わります。
 約4万4000平方メートルという広大な神域はエノキやムクの樹が生い茂り、その下を通り抜けて楼門をくぐると、拝殿・本殿が続きます。社宝には、江戸時代に海外貿易に活躍した

商人西村太郎右衛門が寄進したという「安南渡海船額(あんなんとかいせんがく)」をはじめ、祭神である三神の木像などがあり、いずれも国指定の重要文化財になっています。
 また、毎年3月14・15日に近い土・日曜には左義長まつりが行われ、4月14・15日には八幡まつり(松明(たいまつ)祭・太鼓祭)が行われます。どちらも滋賀県を代表する火祭り神事であり、

遠近から訪れる多くの人々で賑わいます。

 

 

左義長(さぎちょう)まつりは、天下の奇祭とも呼ばれ、国選択無形民俗文化財に指定されています。各奉納町がその年の干支を題材に趣向を凝らして、小豆や大豆などの穀類、スルメや昆布などの乾物などの食材を使って作り上げらた「ダシ」が勇壮華美に練り歩き、組み合わせが繰り広げられます。

  

 

 

八幡堀は、近江八幡の町の発展に欠かすことはできません。豊臣秀次は、八幡山城の堀であったこの八幡堀を運河として利用し、琵琶湖を往来する船を八幡の町に寄港させました。

また、八幡山城下は、かつての安土と同じく楽市楽座を取り入れたことから商人の町として活気づきました。注)楽市・楽座 - Wikipedia

 

近江八幡の旧市街には、旧家が立ち並んでいます。

寝具の「西川」は、日本で最初のボーナス制度を行った会社です。

 

 

 

時間も13時近くなってきました。明日は、協会の理事会がありますので夕方までには博多に着きたいです。

旧市街からバスで近江八幡駅に戻ってきました。

近江八幡駅前には、「近江商人発祥地」の石碑が建っていました。

今日は、能登川から16,2kmでした。

 

 

 

 


ビワイチ徒歩の旅(10日目)「彦根~能登川」(滋賀県彦根市~東近江市)

2025-03-15 10:14:31 | 琵琶湖一周徒歩の旅

3/10(月)~3/11(火) 倉敷ツーデーマーチの後、滋賀県彦根市に向かいました。実に1年半ぶりの「ビワイチ徒歩の旅」復活です。

2年前、地元のW協会事務局を任され、なかなか遠征に出られなく、また、決算前ですが、2日間と無理を言って出かけました。

マップは、大津の歩友、Oさんから頂いた資料とビワイチウォーキングマップという小冊子を基に自分で作成しました。

琵琶湖の湖西線側に比べ琵琶湖線側は、湖面から駅までが遠く、1日目は、彦根駅から能登川駅、2日目は能登川駅から近江八幡駅までというルートです。

9:00彦根駅に着きウォーキング開始です。

駅前には、「井伊直政公」の銅像が建っています。説明文によれば、

井伊直政」は、永禄四年(1561年)現在の静岡県井伊谷に生まれ、幼少の頃から文武両道に励み、慶長五年(1600年)に徳川四天王の一人として天下分け目の合戦で知られる関ケ原の戦で

功をあげ、石田三成の居城であった佐和山城を与えられ、十八万石の大名となった。
その後、城を現在地の彦根山へ移そうとしたが、同七年(1602年)四十一歳で病没し、子らが直政の遺志を受け継ぎ二十年の歳月を費やし元和八年(1622年)彦根城を完成させた。
こうして、彦根三十五万石初代藩主井伊直政公は、今日の彦根市発展の礎を築いたのである。

 

彦根」の地名は、むかし天照大神の御子に天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いきつひこねのみこと)の二神がおられ、このうち活津彦根命が活津彦根明神として彦根山に

祭られたことに由来しているとされている。

戦国時代になって絶えず戦場となっていたが、豊臣時代に石田三成が佐和山城主となってから町は次第に繁栄し、その後、関ヶ原の戦功で井伊直政が彦根の地に封ぜられ、その子直継が彦根城の

築城を始めて、直孝により完成され、城下町として発展、産業、政治、文化の中心地として300年間栄えた。

明治4年廃藩置県により、翌5年2月27日長浜県を犬上県と改称し、その後同年6月滋賀県となった。

同22年4月1日町制を施行、昭和11年都市計画法適用地域に指定され、翌12年2月11日隣接の松原、北青柳、青波、千本、福満の5ケ村を合併して彦根市人口39,335人、面積25.08平方キロメートルが

誕生した。次いで、昭和17年6月10日南青柳村、磯田村、昭和25年4月1日日夏村、昭和27年4月1日鳥居本村、昭和31年9月30日河瀬村、亀山村、昭和32年4月3日高宮町、昭和43年4月1日稲枝町が

合併し今日の彦根市となった。(彦根市HPより)

  

 

 

 

京橋通りにある「宗安寺」は、浄土宗の寺。佐和山城の正門を移築されたと伝えられています。大坂夏の陣で戦死した、豊臣家の忠臣として名高い木村長門守重成(きむらながとのかみしげなり)を偲んで、重成忌が行われます。
 井伊道政の正室東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪(こうずけのくにみのわ)に建立された安国寺は、佐和山(232.5m)山麓へ移され、宗安寺と改名、その後彦根城築城のさい現在の地へ再度移転されました。元禄の大火で、「赤門(あかもん)」と呼ばれる朱塗りの佐和山城大手門を移築した表門が唯一焼け残り、現在の本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したものです。また、本尊の阿弥陀如来立像は、大坂夏の陣の時、淀君の念持仏(ねんじぶつ)と思われる仏像を持ち帰ったもので、鎌倉時代の作といわれています。その他、墓所には木村重成の首塚、唐人門、鐘楼、白砂に巨石を配した庭園があります。
 また、徳川の将軍が替わるごとに祝賀のため朝鮮国から来朝した朝鮮通信使節団高官の彦根での宿泊所であり、朝鮮王像が残されています。 

 

時刻は、まだ10時前、地元のW協会の仲間から彦根のマンホールカードをもらってくれと頼まれていますのでここで時間をつぶします。

配布場所は、四番町スクエアです。10時になりましたのでマンホールカードをゲットしました。

  

芹川に架かる池洲橋から琵琶湖に向かいます。芹川沿いには、大きな桜が植えられています。あと半月もすれば、桜並木になるでしょうね。

 

琵琶湖に出てみると比良山系から福井県側、伊吹山が雪で白くなっています。

 

湖面からルート図に戻ります。しばらく歩き、県道から別れ旧道に入ります。

 

 

 

愛西地区送水記念碑:琵琶湖の水を愛西地区の田んぼに引いたための記念碑かな???

 

歩いていると「薩摩」とか、「柳川」の地名が出てきます。薩摩や柳川からの移住者が住んでいたからでしょうか?

この琵琶湖湖岸は、トイレが少ないです。自治会館が開いていましたので事情を話し借りることができました。開いていなかったらどうしようとただただ思うだけです。

 

沖島は、近江八幡から琵琶湖の沖合1,5kmのところにある島です。周囲6,8k、面積1,57㎢、琵琶湖最大の島です。また、約250人の方が住んでおられます。

しばらく歩くと「南三ツ谷」「新海」の分岐点があります。ゴールの能登川駅は、南三ツ谷の方向です。

 

南三ツ谷の方に行くと、広い田園地帯です。ここも琵琶湖からの放水で肥沃な土地でしょう。

 

 

愛知川に架かる橋を渡ると東近江市です。

 

市役所支所のそばには、清和源氏浅原邸跡の看板が建っています。

14時45分能登川駅に到着。

 

駅前には、水車のモニュメントがありました。この日から新しくスマートウォッチで計測しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


3月例会「春の西部博多湾岸ウォーク」(福岡市西区~中央区)

2025-03-03 16:24:36 | ふくおかウォーキング協会

3月1日 ふくおかウォーキング協会3月例会は「春の西部博多湾岸ウォーク」でした。

今日は、朝から気温が上がり最高気温は20度超になるそうです。

集合場所は、地下鉄姪浜駅。参加者は、44人、このうち一般の参加の方が19人。

9:30 姪浜駅をスタート。マップはこちらです。↓

9:38姪浜駅をスタート

 

西区役所を通り小戸公園へ

 

小戸公園で休憩

 

休憩後再スタート

 

今日は博多湾には朝から霧が出ていて先の方が見えなくなっています。

姪浜旅客待合所でトイレ休憩。

 

このあたりは、人工海浜公園です。 

 

室見川を渡ると「早良区」です。「ももち海浜公園」です。

福岡タワー北側に広がる「百道浜地区」、福岡paypayドーム北側に広がる「地行浜地区」の2つのエリアに分かれた白い砂浜の人工ビーチが続く海浜公園。
中央(百道浜地区)に位置した海に浮かぶショッピングモール「マリゾン」にはレストランやマリンショップなどがあり、海を眺めながらカフェでゆっくり過ごすこともできるおしゃれなエリアとして人気です。
また、ビーチスポーツのメッカとしても知られ、ビーチバレーやビーチサッカー、タッチラグビーが利用でき、夏には海や砂浜を楽しむ多くの人で賑わいます。
博多湾に沈む夕日はとても美しく、海面に映る街の灯りは幻想で、夜景スポットとしてもおすすめです。

 

 

マリゾンは、ウェディング教会やイタリア料理店、マリンスポーツなどが入居しています。

また、ここから海の中道に向かう航路があります。

 

 

歩くうちに暑くなってきました。もう20度近くあるのでしょうか?

暑くなると私にとって天敵が現れます。朝はそんなになかったのですが、クシャミが出てきました。

これから3月いっぱいこの天敵と付き合うようになりそうです。

 

12:20地行中央公園にゴールしました。

 

 


サタデーウォーク「早春の雲を仰いで空港ウォーキング」(福岡市博多区)

2025-02-24 05:31:21 | ふくおかウォーキング協会

2/8(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「早春の雲を仰いで空港ウォーキング」でした。

2/3~2/8まで北部九州には寒気が居座り、2/5の楽しいウォークと2/6のやさしいウォークは、雪のため中止しました。

2/8も天気予報は、雪の予想でしたが、あまりひどくならないみたいでしたのでウォーキングを決行しました。

集合場所は、博多駅横の音羽公園、参加者は雪のためか31人でした。

9:30 スタート。博多駅筑紫口を通ります。

 

マルキョウ空港店でトイレ休憩。

 

 

四軒屋信号から右折、イオン福岡東店へ。ここで休憩。

 

このあたりが福岡市と志免町の境界線です。

休憩後再スタート

志免緑道を通ります。志免緑道は、旧国鉄勝田線の跡地を遊歩道に整備したものです。志免町側に6km、宇美町側に4kmと約10kmの遊歩道です。

勝田線(かつたせん)は、かつて福岡県福岡市博多区の吉塚駅と同県糟屋郡宇美町の筑前勝田駅とを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)。1985(昭和60)年に全線が廃止となりました。その跡は、ほぼ自転車・歩行者のみが通れる緑道になっています。
 元は、沿線から産出する石炭の輸送と宇美八幡宮参詣客の輸送のため、筑前参宮鉄道が敷設した鉄道路線。1918年に末端部が貨物線として開業、翌年に全線が開業し旅客営業を開始しました。

沿線の糟屋炭田から産出する石炭の輸送で賑わったが、同炭田が閉山すると急速に衰退していきました。

 

 

 

 

コース上の弁当屋さんです。店内に入れないのか行列ができています。おいしいのかな?

 

勝田線旧上亀山駅跡は、公園として整備されています。

 

宇美川を通り、ゴールの福岡空港へ向かいます。

 

11:50福岡空港へゴールしました。