よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「西鉄大橋駅・高宮駅界隈の三社詣り」(福岡市南区)

2025-01-16 18:17:36 | ふくおかウォーキング協会

1/8(水)ふくおかウォーキング協会今年最初のウォークは、「西鉄大橋駅・高宮駅界隈の三社詣り」でした。

集合場所は、西鉄大橋駅。参加者は、38名。

9:38 スタート

 

先ずは、熊野道祖神社へ御祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)   久那斗神 (くなどのかみ) 八衢比古神(やちまたひこのかみ) 八衢比売神(やちまたひめのかみ)
由緒
 熊野神社は古より塩原の射場「塩原中央部」に伊邪那岐命を祭祀せられ、道祖神社は塩原イトリサヤ「塩原四丁目芸工大前」に久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を奉斎しておりましたが、昭和十二年両者が合祀せられ現在の熊野道祖神社となったのであります。
 文献では「古事記」上巻伊邪那岐命が黄泉国より帰られる段に「亦塞其黄泉坂之石者號道反大神、亦謂塞其黄泉大神」(そのよみどのさがにさやりまししいしはちがえしのおおかみ、またのなをさやりますよみどのおおかみ)とあるのが最初で即「道反大神(ちがへしのおおかみ)、またの名塞坐黄戸大神(さやりますよみどのおおかみ)」とも呼ばれ、巨石を以て象徴し衢路(みち)に坐して悪霊を防ぐ神でありまた一方古典に見ゆる岐神(ふなどのかみ)(久那斗神、船戸神)とも申し上げます。何れも王朝の昔より悪疫を塞ります神並に旅行の幸福を守護し給ふ神とも信仰せられ、

総括的にはサイノ神と申し奉ったものであります。
 道祖神社の神域は、昼尚暗き樹木に覆われ周囲は水田地帯でありましたが、昭和二年四月七日福岡県立筑紫中学校が道祖神社の境内を含む塩原に開校せられ、同校建設の際、社地の樹木を

漫りに伐り忽ち病等其他不慮の災害に罹った者が多く、斯る御神威に鑑み強いて移轉せしむる事は神罰の恐れ尠からずとして遂に此儘据置かれる事になったのであります。
 この霊験あらたかなる神明照覧加護の下、交通安全、商売繁昌、学業成就、夫婦和合、旅行安全、開運、厄除、各種祈願成就の為県内はもとより、遠隔地から多くの参拝者が訪れて居ります。

明治以前から塞神又は道祖権現或は葛権現と稱して崇敬され、今日に及んで居りますが其名も著き神秘なる一例を挙げると、明治二十一年の大暴風の際、倒れたる神木が一夜の間に自ら起き直り

今尚森々として繁茂し榎の大木が自然の造形其のままに四季折々の変化を遂げ、参拝者の心を慰め鬱蒼たりし千古の森も依然として尊厳を保持せられて居るのであります。
 先の、福岡市計画事業塩原地区区画整理事業の実施に伴い、新大橋駅前一号線「新大橋駅より北方三〇〇米先の下辻堂井尻線に交叉する」幅員二十二米道路が境内地中央部を縦断することと

なった為、神殿を新築移転、諸設備の改装の止むなきに至った次第であります。昭和五十三年境内地模様替報告祭を奉仕して、諸工事に順次着工、その間御神霊御加護のもとに関係者各位の

ご協力に依りまして、昭和五十七年十一月八日本殿遷座祭、同年十一月二十日本殿遷座奉祝祭の重儀を滞りなく斎行致し、昭和五十九年三月を以ちまして境内整備事業の一切を完了致した次第で

ございます。(境内案内看板より)

 

この神社は、初めてお詣りしました。

地禄神社、塩原中央公園を通ります。

 

塩原中央公園には、保育園児が遊びに来ていました。園児を見るとウォーカーの皆さんの顔がジージ・バアバになるんですね。グータッチをして別れました。

 

清水の大楠というのがあります。

  

かつては、背が高く大きな樹冠がここから北に8kmほど離れた名島橋からも見えたそうで、昭和20年(1945)6月の福岡大空襲で燃えました。幸い樹皮の奥までは、火が回らず済んだそうで

再生しています。幹回りは9,7m。

ここでふくおかウォーキング協会あてに電話がかかり応対していたら、もう皆さん先に行かれていて探すけど見つかりません。

仕方ないので次の休憩地「西鉄高宮駅」に向かいます。そこでやっと合流しました。

高宮駅から高宮八幡宮に向かいます。

高宮地区は、福岡市内でも高級住宅地の一つです。高宮八幡宮は、「高宮」の町名の由来にもなりました。

八幡宮まで上りが続きます。

 

高宮八幡宮は社記によれば、天智天皇磐瀬行宮にあらせられた時、神功皇后ゆかりの地として、この所を御奉祀あらせられたという。
 その後、寛仁年中(1017年頃)岩戸小卿大蔵種直に至りて社殿を造営して武運を祈り、代々崇尊、南蛮夷の賊並に刀伊の賊討伐の際、最も神威を顕はし給うたという。又、建久年中(1190年頃)原田家が怡土郡の高祖城に移ってから、当神社を高宮の西南、宮の尾に遷し、高宮・平尾・野間三村の氏神、那珂郡の鎮守の神として里人の崇敬を集め神域は高燥の地を占め、老樹鬱然と幽邃を極めた。
 関が原の役後、黒田長政公入国後は、当社を武運祈願の神社として木造の鳥居の御寄進がありその地を鳥居の下と云い、流鏑馬奉納の地を馬場と云い伝えており、慶長七年(1602年)本営を古営の跡東南の地に遷座し奉り、分霊を平尾・野間の両村へ勧請して現在に至っている。
 又、当宮は古く安産の守神として宇佐八幡宮から勧請して奉祀してあったが、三百七十年余前、黒田藩の武士が妻の安産祈願をしたところ、玉の如き男の子を出産した。この子が長じて十七才の時、一本の棒を持って諸剣士と試合をなし、電光石火、急所を突いて次々と相手を打ち負かした。これが黒田藩独特の杖術を始めた夢想権之助である。夢想権之助は神社神域の隣、大森二郎氏の先祖と共に、黒田藩の指南役として奉仕した。この縁によって後に当社を黒田藩の杖術槍術の祈願社とされた。
 なお、現在黒田藩に残る抱大砲の西洋兵術は、肥前鍋島藩と共に長崎からいち早く伝わったものであるが、この砲術発達の基礎となった。両脚を開き、腰を落して前かがみになり、臍下に力を入れて火薬に火が付くのを待つ。この腹力の入れ方は、権之助が始めた杖術の呼吸を学びとったものである。
 平成二年十一月吉日改装 本文井上瑞衛撰定 不破又一郎謹書(境内由緒掲示板より)

境内には、ハート型の石があり、恋愛運・縁結びにもご利益があるそうです。

  

坂道を上り、多賀・大池地区を通ります。

歩いていると階段の傾斜が70度ぐらいの階段がある民家がありました。手すりもなくどうやって上るのでしょうか?

 

 

三つ目のお宮は「若久住吉神社」です。

 

● 御 祭 神
 当若久住吉神社は底筒男神、中筒男神、表筒男神の住吉三神を祭神とし、相殿に神功皇后 菅原神社(菅原道真)を合祀します。blue ● 御 由 緒
 住吉三神は遠い神代の昔に、伊弉諾大神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓)をされた時に、志賀神社の御祭神、ワタツミ三神と警固神社の御祭神・直毘の神と共に御出現になりました。したがって当社の御鎮座は遠い遠い神代のことで、年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです。
祭神菅原神は大字若久字天神に無格社天神社として祭祀してありましたが、大正13年10月14日許可を受け、明細帳編入と同時に合祀されました。
● 社 殿
約1800年前、第14代目仲哀天皇の皇后となられた神功皇后が熊襲叛するに及び、天皇とともに西征途中、天皇が香椎で崩御のあと新羅を征して凱旋され、誉田別皇子(後の応神天皇)を筑紫で出産されましたが、新羅から帰国されたとき、ここに立ち寄られ、ここに神社を建てようとされたということに起源しております。
一説には、約380年前に、この附近のお金持ちの人たちがこの地をならして当時の国主、黒田長政によって、住吉三神と神功皇后、天神様となった菅原道真公のご神徳を奉賽して造営されたものと伝えられています。
その後老朽化したため、現在の社殿は昭和39年、地元の金子市作、大野惣次郎、国武英太氏らの篤志家によって改築されたものであります。
● 境 内 平 地
境内平地には天保6年4月の鳥居、つづいて注縄掛石に左に(神光長明)右に(松寿千古)とあり昇格記念として大正15年10月の建立と刻まれています。
● こまいぬ(狛犬)
社殿の前に据え置かれた一対の獅子に似た狛犬の像は昭和60年3年10月、地元の三浦久・三浦千代子ご夫妻同じく三浦郁夫・三浦美春ご夫妻のご寄進によるものであります。
● 神 殿
神殿後方には若久公民館があり、なげしには明治、大正の絵馬が四枚掲げられています。
● 境 内 地
総面積約二千坪で周囲は竹林と鬱蒼とした樹木に圍まれ神々とした神域を醸しています。
社殿の正面左手には、黒田長政公の植樹と伝えられる山桃の木が亭亭とそびえ、御祭神の禊祓に房わしい御神木 として大切に保存されています

 

25年初のウォーキングですのでここで記念写真を撮ります。

若久住吉神社からゴールの西鉄大橋駅に向かいます。

 

12:40 大橋駅にゴールしました。

 

 

 

 


1月例会「25年新春三社詣り」(福岡市中心部)

2025-01-13 12:26:39 | ふくおかウォーキング協会

1/11(土)ふくおかウォーキング協会1月例会は、「25年新春三社詣り」でした。

集合場所は、博多駅の音羽公園。

今日土曜日から3連休です。参加者が少ないのでは?と思いましたが、55人と久しぶりに多くの参加者が来られました。

新しい方が多く参加されましたので出発前にふくおかウォーキング協会のことや、ウォーキングの効用など説明させていただきました。

今日のコースマップ

9:43スタート

 

先ずは、住吉神社へ

当社の歴史は、およそ1,800年以上前に遡ります。全国に2,129社ある住吉神社の中でも、最初の神社と云われており、古書にも当社のことを「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されています。

また、住吉大神をお祀りしている神社は全国にありますが、そのほとんどが海側にあり、特に現在では大阪の住吉大社、下関の住吉神社、そして当社が日本三大住吉と云われております。

 

博多の古図を見れば、住吉神社周辺は、海だったようです。

住吉神社から博多の総鎮守「櫛田神社」へ

今日も外国の方の来訪が多く、本殿前には、長い行列が出来ていました。

 

櫛田神社から福岡市中心部天神を通り、旧平和台球場址へ

 

舞鶴公園は、福岡城址のところにありますが、最近福岡城天守閣再建計画が起こっています。

昔は、天守閣はなかったという意見が多くを占めていましたが、近年の研究で天守閣はあったという書物がでてきたそうです。

天守閣を再建すると観光の目玉になるという賛成派の意見ですが、さて、どうなることでしょう?

 

福岡城址から福岡・護国神社へ

 

ここで記念写真を撮ります。

護国神社からゴールの警固公園に向かいます。

12:27 警固公園にゴールしました。

 

途中2人ぐらいの方がリタイアされましたが、残り全員無事完歩されました。

これを機にウォーキングを続けてほしいですね。

 

 

 

 

 


2025年新春合同三社詣りウォークin筑後(福岡県筑後市)

2025-01-06 18:29:23 | ふくおかウォーキング協会

2025.1.5 NPO福岡県ウォーキング協会では、県内6団体と教職員互助会と新春合同三社詣りウォークを行っています。

また、福岡では、お正月に三社詣りを行う風習があります。昔は、産土神・鎮守神・氏神をお詣りしていたそうです。

昨年は、ふくおかW協会が担当でしたが、今年は、ちくご歩こう会の担当です。

会場は、筑後広域運動公園。参加者は100人前後でしょうか?

 

コースは、10kmと5kmコースがあります。

10:00 10kmコーススタート

10:09  10kmコーススタート

一つ目は、中山八幡神社です。

 

 

 

 

 

ソフトバンクホークスベースボールパーク

夕方のニュースで放送していたのですが、今日ドラフトで指名された選手の入寮式が行われたそうです。寮はこの球場内にあります。

 

二つ目は、常用(つねもち)天満宮です

  

常用天満宮から三つ目の「水田天満宮」へ

水田天満宮は、御祭神 菅原道真公をお祀りいたし鎌倉時代の嘉禄二年(鎌倉時代1226年)に菅原長者大蔵卿為長朝臣が後堀河天皇の勅命により建立し、明治維新までは後堀河天皇勅願所の提灯が

御本殿の左右に灯されていました。
 御神領は、天文・天正年間には623町余り、豊臣秀吉時代に小早川秀包公(毛利秀包・久留米城主)より 一千石、慶長6年に筑後国主 田中吉政公より 一千石、江戸幕府上使 松倉豊後守重政より

一千石、久留米城主 有馬豊氏公より二百五十石、柳川城主 立花宗茂公より 五十石の寄進があり、総高三千三百石を領有していました。(神社HPより)

 

末社の恋木神社は、恋命(こいのみこと)を祀る全国唯一の場所。

 

 

この地は、筑後の志士・真木和泉が10年ほど蟄居したところで、現在も神社の南西100mほどのところに山梔窩(さんしか)という史跡が置かれています。ここには筑前の志士・平野國臣や

清川八郎が来訪し、尊王攘夷の策源地となっていたものと思われます。

 

水田天満宮からゴールに向かいます。12:50 ゴールしました。

 

今日のGPSです。

ウォーキングの後は、隣の温泉「恋ぼたる」でウォーキングの汗を流しました。

 

 

 

 


2025年「明けましておめでとうございます。」

2025-01-01 08:42:30 | 日記

2025年(令和7年)明けましておめでとうございます。

本年もどうぞ宜しくお願いします。

また今年も近くの初日の出スポットに行ってきました。

福岡の日の出時刻は、7:23です。

7:27明るくなってきました。

 

 

 

昨年は、雲がかかりチラッとしか見えませんでしたが、今年は、ばっちりです。

今年もいい年でありますように


楽しいウォーク「レトロな商店街(美野島商店街・吉塚市場)散策(福岡市中央区~博多区)

2024-12-26 19:06:27 | ふくおかウォーキング協会

12/18(水)今年最後のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは「レトロな商店街(美野島商店街・吉塚市場)散策」でした。

集合場所は、警固公園。参加者41名。

警固公園には、サンタさんやスノーマンなどクリスマスイルミネーションがあります。夜になると綺麗でしょうね。

 

本日のコースは、レトロな美野島商店街とアジアンマーケットの吉塚市場を訪ねるウォークです。

 

高砂2丁目信号より左折します。

 

那珂川を渡ると「美野島商店街」です。

美野島商店街は、博多駅や天神からわずかな距離にありながら、昭和の香りを色濃く残す商店街。昔ながらの風情そのままに魚屋や八百屋など50店舗程が軒を連ね、通りを歩くと商店街を

支えてきた商店主らが優しく声をかけてくれます。新旧混じり合う下町らしい雰囲気を感じるにはもってこいの場所です。(FUKUOKA NOWより)

 

私が子供の頃は、スーパーなどなかった時代ですので、買い物と言えば商店街でした。よく母親に連れて行ってもらってました。

馴染みの店主からは、お菓子などをもらった記憶があります。ですから買い物に連いていくのは好きでした。

商店街というと、「対面販売」ですね。今は、スーパーが主ですのでこの対面販売が少なくなってきました。   

 

かどや食堂は、ワンコインでランチがいただけるお店です。夏季はアイスキャンディが売られています。

 

美野島商店街から、博多駅に向かいます。

 

 

 

博多駅のAMUでトイレ休憩

休憩後再スタート

 

 

狭い路地を歩くと「吉塚市場」です。

吉塚市場は、戦後すぐの昭和25年頃、魚屋2軒と八百屋1軒の3軒ほどから始まった吉塚商店街。最盛期には150軒もの店が立ち並び、多くの買いもの客ですれ違うのもやっとなほどに混雑して

いたという。しかし、大型スーパーマーケットの出現や店主の高齢化、後継者不足といった問題から徐々に店の数は減少。「このままではいけない」と再生に向けて話し合うなかで生まれたのが

「吉塚リトルアジアプロジェクト」だ。 吉塚周辺には専門学生や工場で働いている外国人が多く在住していることに着目し、「食」を通して地域と外国人居住者がつながる場を創ろうと、

2020年12月、『吉塚市場リトルアジアマーケット』として大幅リニューアルを果たす。(ふくおかナビより)

アーケードの中には、韓国、タイ、ミャンマー、ベトナム、ネパール、中国といったアジア各国の本場料理店が立ち並びます。

 

インドの神様「ガネーシャ」、ミャンマーのお釈迦様

 

 

 

 

吉塚の地名の由来は、筑後星野の城主星野吉実は、敵将である高橋紹運を四王子山の岩屋城で滅ぼしました。その後高鳥居城の守護となりましたが、天正14年(1586)亡き紹運の長男で

豊臣勢の立花宗茂の攻撃により落城。吉実は、自刃し、その首がこの地に埋葬され、「吉実塚」としたことから、のちにこの付近が「吉塚」と呼ばれ地名となりました。

 

11:47 吉塚駅にゴール。ゴール後今年度の忘年会を博多駅で行いました。参加者は、26人でした。

 

 


サタデーウォーク「とこてく糸島(一貴山~加布里)散策(福岡県糸島市)

2024-12-24 15:06:09 | ふくおかウォーキング協会

12/14(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「とこてく糸島(一貴山~加布里)散策」でした。

「とこてく糸島」とは、糸島の特色のある地域を”歩いて“めぐるウォーキングコースです。

私、私用のためこのウォーキングには参加していませんが、T村氏、Y田さんの写真や資料を基に又、前回(22.1.19)行った時の写真を使ってブログ作成します。

実は、このコース2022年1月19日に行っており、そのコースを少しアレンジしてコースを作りました。

集合場所は、JR一貴山駅。参加者28名。

一貴山駅は、現在NHK朝ドラ「おむすび」糸島編で何回も出てきています。主人公の橋本環奈さんがこの駅から通学されています。無人駅です。

地下鉄天神駅からだと筑前前原駅で乗り換えて、約40分で着きます。

 

このウォーキングの為にY氏が資料を作ってくれました。

 

銚子塚古墳

JR一貴山駅の北100メートル、二丈田中字大塚に位置する一貴山銚子塚古墳(いきさんちょうしづかこふん)は、墳丘(ふんきゅう)の全長が103メートルで、糸島地方最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。4世紀後半に築かれたものと推定されており、国の史跡にも指定されています。発掘調査が、昭和25年(1950年)に福岡県教育委員会と日本考古学協会を中心に行われ、糸島高校の生徒も多数調査に参加しました。
後円部墳頂(こうえんぶふんちょう)のほぼ中央からは、全長3.4メートル、幅1.4メートル、深さ0.8メートルの竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)が発見されました。石室(せきしつ)の中央には木棺(もっかん)が納められており、多くの副葬品(ふくそうひん)が埋葬当時の配列を保ったまま、ほぼ完全な状態で出土しました。

その中でも特に注目を浴びたのは、10枚の青銅製(せいどうせい)の鏡でした。鏡は、棺(ひつぎ)のふちに鏡面を内に向けて立てかけられており、方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と内行花文鏡(ないこうかもんきょう)が1面(中国製)ずつ頭部付近に置かれ、8枚の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)(日本製)が左右の側縁(そくえん)に各4枚ずつ置かれていました。方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)には鍍金(ときん)(金メッキ)が施されており、国内でも数面にしか見られない珍しいものです。

現在、銅鏡など出土品の大半は、京都大学総合博物館に収められていますが、木棺材片、棺内から出土した水銀朱(すいぎんしゅ)の一部など資料の一部が糸島高校附属郷土博物館にも収蔵されています。

椛島(かばしま)家住宅は、国の有形文化財に登録されています。

元々は二丈田中の大地主であった「満生(みついき)家」の住宅でした。また、糸島地方最大の前方後円墳「国史跡・一貴山銚子塚古墳とは敷地を接しており、

満生家の方々はこの古墳を先祖の墓という意識をもち、庭の一部として管理してきました。

登録された建造物は、明治30年頃に建てられた主屋や、蔵、門、塀などです。南門に入ると正面に主屋と庭門及び塀、左手に古墳、右手に庫院(旧納屋)があり、納屋の東壁に連続して東門・

北門及び塀があります。区画された中で主屋、庭門及び塀、庫院を見ることができ、南門及び塀とともに上質な景観を創り出しています。主屋は2階建で間口が広く、玄関がなく農家のニワと

共通する前庭など、江戸時代の民家の特徴を残しています。主屋の随所には、当時の建具職人、左官職人、絵師の技術の高さが伺える細工が施されるなど、当時の地主層の民家における前近代と

近代の上質な特徴を併せもち、糸島地方における民家建築の流れを汲んだ近代的な和風建築の好例として、高く評価されています。

近くには、「満生」の姓の家が何軒もあります。

 

 

椛島家から神在(かみあり)神社へ。

もともと牧の天神山の山頂に鎮座していましたが、元禄16年(1700)に現在の地に遷座されました。瓊瓊杵尊(ににぎにのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、

伊弉冉命(いざなみのみこと)、天常立命(あめのとこたちのみこと)、国常立命(くにのとこたちのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、菅原神が祀られています。

神在の地名は、神功皇后がこの地を訪れた際、紫の雲がたなびく様子を見て、「ここには神あるべし」と語ったと記載されています。

 

足形石

足形石から林の中を歩きます。すると、林の中に大きな石「神石(しんせき)」があります。

  

 

ミカン畑にするため掘り返したら丸い巨石が出てきたそうです。

 

光も指しているし神々しいですね。今年1月神在の宝くじ売り場で「ロト7」キャリアオーバー10億円が当たったそうです。これも神石の力でしょうか?

神石から折り返します。

納富家住宅 (Y氏説明文より)

   

納富家住宅から次に向かいます。福岡で有名な「牧のうどん」の工場です。このあたりの地名が「牧」ですので「牧のうどん」となったそうです。

 

 

千早新田(Y氏説明文より)

 

 

 

千早新田からゴール地のJR加布里駅に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「三日月山遊歩道から唐津街道を歩く」(福岡市東区)

2024-12-23 18:05:37 | ふくおかウォーキング協会

12/11(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「三日月山遊歩道から唐津街道を歩く」でした。

集合場所は、JR香椎駅、参加者40名

 

今日のマップ

 

自由が丘幼稚園を通ると、ここから上り坂になります。

 

長谷ダム記念広場で休憩

 

休憩後再スタート、三日月山登山口へ

 

三日月山は、福岡市と久山町2市町の町境にある標高272mの山です。自生するクスノキの原生林は、国の天然記念物に指定されています。

三日月~立花山の遊歩道は、都市部に近く道のりが緩やかで登りやすく、健康づくりや遠足などのハイキングコースとして大人気です。

小さなお子さんからお年寄りまで幅広い世代に愛されています。山頂には樹木が殆どなく360度広がる大パノラマは絶景です。天智天皇の時代に大陸からの侵攻を防ぐため防人を置いた

陣屋がここにあったとされ、別名「陣山」とも呼ばれています。博多湾と福岡市内が一望でき、元旦には、初日の出の登山客で賑わいます。(クロスロードふくおかより)

 

 

 

やっと平坦な道に戻りました。

 

九州高校あたりが唐津街道です。

 

11:50 香椎駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 

 


12月例会「春日市の史跡巡りと九大筑紫キャンパス」(福岡県春日市)

2024-12-22 17:17:44 | ふくおかウォーキング協会

12/7(土)ふくおかウォーキング協会12月例会は、「春日市の史跡巡りと九大筑紫キャンパス」でした。

集合場所は、JR南福岡駅、参加者は41名でした。

 

今日のコースです。

9:30スタート、南福岡駅横の踏切は、開かずの踏切ともいわれています。10分ぐらい待ってやっと開きました。  

 

奴国(なこく)の丘歴史公園です。

奴国は、福岡市付近にあった弥生時代の原始国家。「なのくに」ともいう。『日本書紀』に儺県(なのあがた)・那津(なのつ)とみえ、後の那珂(なか)郡に比定される。

『後漢書(ごかんじょ)』倭伝によると、57年(建武中元2)に奴国が後漢に朝貢し、使者自ら大夫と称したとあり、光武帝(こうぶてい)は奴国王に印綬(いんじゅ)を賜ったとある。

1784年(天明4)福岡市志賀島から発見された「漢委奴国王」の金印は、このときに与えられたものとされている。また『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)によると、伊都国の東南百里にあり、

長官を兕馬觚(しまこ)、副官を卑奴母離(ひなもり)といい、戸数は2万余戸あったと記される。奴国は伊都国とともに紀元前後ころより大陸との交易に従事し大いに発展した。

奴国域内の須玖(すぐ)岡本遺跡からは前漢鏡、銅剣、銅矛など多数の舶載品が発見されている。(ニッポニカより)

このあたりが、奴国の中心部だったそうです。

園内には、弥生時代の青銅器や鉄器、鋳型など多数の遺物を展示したコーナーがあります。

 

 

外に出てみると、「須玖岡本遺跡」があります。

福岡県春日市は福岡平野の南端に位置し、弥生時代中期をとおして巨大な集落が営まれました。福岡平野には「那の津」などの名前がいまにも残ることから、この地は倭の国の1つ奴国の

領域だったと見られ、須玖岡本遺跡は奴国の中枢拠点だったと考えられています。この遺跡の内で、特徴の異なる3つの墓域が発見されました。それぞれ王墓、王族墓、有力者層の墓域に

該当すると想定されます。

 

 

須玖岡本遺跡から再スタート

 

 

春日ふれあい文化センターで休憩

 

ふれあいプラザから春日神社に向かいます

 

 

牛頸(うしくび)川を渡ります。

 

春日公園を通り、九大筑紫キャンパスへ

 

12:00 JR大野城駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 


冬の北海道温泉三昧(定山渓温泉・湯の川温泉・洞爺湖温泉)最終回

2024-12-21 07:45:02 | 旅行

12/15 冬の北海道温泉三昧の旅もいよいよ最終日になりました。

宿泊した洞爺湖の宿は、大浴場もありますが、「昭和の湯」と言って、昔の銭湯をイメージしています。ならば、入らなくては・・・と思い、5時ごろから入りました。

入口には、アイスキャンディ屋さんの自転車、更衣室には、昔の映画のポスターが張られています。

まだ他の人が入っておらず一番風呂です。お風呂には、富士山が描かれています。まさに昔の銭湯です。(撮影禁止の為写真はありません)

宿のロビーは、洞爺湖に面しています。昨晩も雪が降り、あたりは白くなっています。

しばらく外を眺めていると、羊蹄山(ようていざん)が姿を現してきました。

 

私、実は、洞爺湖は2回目です。毎年9月に洞爺湖を中心に「北海道ツーデーマーチ」といって洞爺一周コースやあぶた噴火湾コースなどがあり有珠山・昭和新山などを歩いて

きました。機会があればまた参加したいと思っていましたが、残念ながら今年の大会を以て『中止』になりました。

その時のブログがこれです。 第32回北海道ツーデーマーチ(北海道虻田郡洞爺湖町)1日目20km - よっちゃんのおててつないで

 

8:00 ホテルを出発  白老町のカニ御殿へ

40分ほどで白老町(しらおいちょう)のカニ御殿に到着。

カニ御殿の屋根には、巨大なクマと鮭のオブジェが・・・・

このオブジェ、クマが全長15m、高さ10m、横幅8m、重さ30トン。鮭が全長12m、高さ3m、横幅1,5m、重さ8トン 約1億円かかったそうです。

クマの姿は、迫力があります。

 

また、入口には、クマの剝製でしょうか、これもリアルで怖いです!。こんなクマが襲ってきたらと考えるとホント怖いです。

 

店内に入るとおいしそうなカニなどが並んでいます。

10年ぐらい前でしょうか、韓国機張市場で腹いっぱいカニを食べたことがあります。いまは、歳もとりましたし、もうそんなに食べることができません。

 

 

タラコの詰め放題のサービスがありました。瓶の中にタラコを詰めるだけ詰めていいそうです。但し、瓶のふたが閉まらないとアウトです。

私は、5腹でしたが、多い人は7腹も入れたそうです。

カニ御殿から苫小牧のノーザンホースパークへ。

「馬と大地と人との絆」をテーマにしたパークです。

引退した競走馬などサラブレッド種の地に約80頭の馬が生活しているそうです。

 

ポニーのショーが行われていました。

   

 

ノーザンホースパークから約15分で新千歳空港に到着。

時刻は、12時少しまわっています。これで4日間の冬の北海道温泉三昧の旅が終了しました。4日間のバスの走行距離は、約750kmだそうです。

最初は、4日間なんて長いな~と思ってましたが、あっという間の4日間でした。

新千歳から福岡行の飛行機は、14:20ですので空港内で札幌ラーメンでも食べようかとラーメン道場に行きましたが、御昼どきだったかもしれませんが、どこも満員です。

外国の方も多くおられます。あまり人込みは好きではありませんのでラーメンは諦めました。

ANA290便14:20発で福岡に帰りました。福岡着は17:00

これで冬の北海道温泉三昧の旅を終了します。

 

 


冬の北海道温泉三昧(定山渓温泉・湯の川温泉・洞爺湖温泉)その3

2024-12-19 18:44:52 | 旅行

12/14 湯の川温泉宿の朝食を終え、ロビーに行くと窓から津軽海峡が見えます。

中央の少しぼんやりした所が下北半島です。

   

8:00 函館朝市に向かいます。

見えてきたのは、「青函連絡船記念摩周丸」、1988年(昭和63)3/13青函連絡船最後の日まで運行していた摩周丸を実際の乗り場であった旧函館第2岸壁に係留・保存・公開されています。

現在の青函連絡船フェリーは、ここより少し離れたところにあります。今は、青森~函館間を約5時間で運行するそうです。

そういえば、2016年(平成28)青森のウォーキング大会に参加した時、青森の会場が八甲田丸でした。(写真は平成28年のものです)

 

函館朝市は、戦後間もない1945年(昭和20年)、函館前で農家が野菜の立ち売りをしたのが始まりです。現在は、250店舗、年間来場者数150万人、年間売上高130億円だそうです。

 

歩いていると、何か釜山のチャガルチ市場に雰囲気が似ています。チャガルチ市場も店頭で蟹を選び中で調理してくれます。

お正月に向け、海産物も欲しいですが、値段がちょっと高めです。庶民には、手が出ません。

 

 

函館朝市から、五稜郭タワーへ。五稜郭は、戊辰戦争のいわゆる箱館戦争の中心となった西洋式の城郭です。

五稜郭という名前がついたように,稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり,星形の五角形となっています。この上には土塁が造られ,また石垣も積まれ,五角形となる土塁と石垣の周りには,

水堀があります。さらに,この星形の土塁の南西側には,半月堡(はんげつほ)または馬出塁と呼ばれる三角形状の土塁があり,その周りもまた水堀となっています。
 五稜郭のような珍しい形は,約500年前の16世紀頃のヨーロッパで考えられ,その後,ヨーロッパの各地に造られた「城塞都市(じょうさいとし)」をヒントにしたものです。そこから,

この形を「西洋式土塁」と言っています。また,このような形の五稜郭は,日本では, 函館市の五稜郭と長野県佐久(さく)市の龍岡城の2か所だけとなっています。(函館市HPより)

五稜郭の歴史 | 函館・五稜郭タワー | 公式ウェブサイト - Goryokaku Tower

   

 

1階に下りてみると、当時使われた大砲が展示されています。

 

 

 

五稜郭から七飯(ななえ)町「道の駅なないろ・ななえ」に向かいます。七飯町(ななえちょう)とは、読みにくい地名ですね。

1879年(明治12年)七重村と飯田村が合併して出来た地名です。

「道の駅なないろ・ななえ」に到着します。今までの旅で雪ばっかり見ていましたが、ここは、北海道内でも温暖な地方で雪が少ないです。

道の駅内に入るとトイレが綺麗です。道の駅ランキングでは北海道内で第1位、全国でも第4位だそうです。

 

七飯町(ななえちょう)は、日本で初めて西洋りんごが栽培(さいばい)された場所です。
   道の駅なないろ・ななえにあるモニュメントには、1869年にR・ガルトネルというドイツ人が、この地で西洋りんごの栽培(さいばい)を始めたことが記(しる)されています。

  

道の駅の先には、男爵イモのモニュメントがあり、横にはDannsyaku  Lounge」があります。

 

川田龍吉は江戸時代の終わり、1856年に北海道とは縁もゆかりもない土佐郷士の家に生まれました。
青年期には造船技術を学ぶためにスコットランド・グラスゴーへ留学。
帰国後は学んだ技術を生かして横浜ドックの初代社長に就任、明治期の日本造船工業に貢献しました。
40歳の時には日銀総裁を務めた父・小一郎が爵位「男爵」を授与されますが翌年に急死。長男の龍吉が男爵を受け継ぎます。
その後、渋沢栄一より経営が傾いていた函館ドックの再建を託され、いよいよ北海道の地へと移り住みました。

龍吉は専務取締役として会社の再建に奮闘、同時にかねてから興味があった農業を本格的に始めます。
留学先のスコットランドで先進の農業技術を目の当たりにし、日本との差を痛感した龍吉は、積極的に海外の技術を取り入れました。
その際、特に進んで栽培したじゃがいもが後の「男爵いも」となります。
また、男爵という高い地位にも関わらず、農場では積極的に農民と交わろうとした姿勢も後世に伝わっています。

函館ドックの経営も軌道に乗り勇退した龍吉は、晩年まで北海道農業の近代化に努めました。
92歳の時にはトラピスト修道院で洗礼を受けカトリック教徒となり、3年後にその生涯を終えます。(男爵倶楽部より引用)

今まで何気なく食べていた「男爵イモ」、男爵って誰だろうと思ってましたが、やっとわかりました。

 

大沼国定公園に来ました。

大沼国定公園は渡島半島の中央部、七飯町、鹿部町、森町の3町にまたがって広がる、面積およそ9,000haの自然公園です。
公園区域は、活火山である駒ヶ岳(1,131m)と、その山麓に点在する大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼の大沼三湖に代表される湖沼群の地域で、山と水の変化に富んだ景観を一体的に

含んでいます。
公園の中心である南大沼地区は、道南の玄関口である函館市の中心部から北へ20km程のところにあります。(北海道HPより)

記念写真を撮りますが、バックに駒ケ岳が見えません。

大沼は、少し氷が張りだしました。最高は、厚さが40~50cmぐらいになるそうです。

  

 

さきいかが売られていました。試食するとおいしいです。お酒のお供に一袋買いました。@1500です。

 

昼食は、大沼プリンスホテルのハンバーグランチです。

 

窓側の席に座り、じっと駒ケ岳の方を見ていると、駒ケ岳の槍が峯が見えてきました。

大沼国定公園には、千の風になって 誕生の地だそうです。

新井満さんは、友人の勧めで大沼公園に別荘を購入、夏・秋には家族で大沼を訪れ、大沼は静かだから気に入っている「大沼の森の中を自由自在に吹き渡る風を思い出して

作者不詳の英詩『A THOUSAND WINDS』を作詞作曲の新井満氏が日本語訳し曲をつけたもの。

新井氏は平成15年(2003) に写真詩集『千の風になって』を発表し、自らが歌った同名のCDを発表したのがこの曲の世に出た最初で、その後数人の歌手が カバー曲として歌った。

特に平成18年(2006) のNHK紅白歌合戦で秋川雅史氏が歌ったことで俄然注目され、CDの売り上げは100万枚を超えたといわれています。

新井満 千の風になって Bing 動画

 

大沼から約30分で洞爺湖サイロ展望台へ

 

 

段々と視界が良くなってきました。

  

今日の宿は、洞爺湖温泉です。

 

(つづく)