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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

6月例会「久留米の花菖蒲を求めて」(福岡県久留米市)

2025-06-10 12:42:57 | ふくおかウォーキング協会

6/7(土)ふくおかウォーキング協会6月例会は、「久留米の花菖蒲を求めて」でした。

久留米市内の花菖蒲の見どころは、中央公園12,000株、大隈公園4,000株、石橋文化センター10,000株です。

今日は、このうち中央公園、石橋文化センターの花菖蒲を歩いて鑑賞するというもの。

集合場所は、JR久留米駅。参加者33名

今日のマップ

JR久留米駅東口

 

久留米は、4月の久留米ツツジマーチ以来ですが、駅前には、大きなマンションが工事中です。

 

駅前から昭和通りを通り寺町へ。ここもツツジマーチの時に歩きました。

 

遍照院では、泰山木の花が咲いていました。

  

西鉄櫛原駅を通り、中央公園へ

 

中央公園は、4月に行われたツツジマーチの会場です。

会場の裏には、菖蒲園がありました。ただ、全般的に見て、見ごろを過ぎていたように感じました。

 

 

  

中央公園から石橋文化センターに向かいます。

 

石橋文化センター園内マップ

いろいろな花が咲いています。

・カンナ・ナスタチューム(金蓮花) 

  

バラ、スカシユリ

 

アカンサス

  

花菖蒲

石橋文化センターの花菖蒲は、30種1万株あるそうです。

白鳥もいます。

   

睡蓮

飛び石を通りバラ園へ

 

左側に見える建物は、「楽水亭」です。

  

バラ園です。

 

 

     

紫陽花

 

  

石橋文化センターを出て、高良川沿いに歩きます。ここは、ツツジマーチのコースになっています。

ツツジマーチの時に遊歩道の工事していましたが、きれいに整備されていました。

 

ダイレックスの反対側に昭和12年(1937)創業のラーメン「南京千両」があります。

ここが、久留米ラーメンの発祥地ともいわれています。

 

諏訪野町公園です。ここでは、睡蓮が見頃です。

  

 

諏訪野町公園からゴールの西鉄久留米駅に向かいます。

12:20 西鉄久留米駅にゴールしました。

 

 


やさしいウォーク「お菓子の道を歩き、ひよこ工場を見学しよう!」(福岡県飯塚市)

2025-06-08 05:49:42 | ふくおかウォーキング協会

6/5(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「お菓子の道を歩き、ひよこ工場を見学しよう!」でした。

長崎から北九州小倉までの旧長崎街道は、別名「シュガーロード」とも呼ばれています。

江戸時代「鎖国」がとられていた中でも長崎は、オランダ、唐との貿易を行っていました。長崎で輸入された「砂糖」は、長崎街道を通り大坂まで運ばれて行きました。

長崎街道道中の長崎は、「カステラ」、佐賀県小城は、「羊羹」、佐賀市「丸ボーロ」、飯塚「ひよこ」「千鳥饅頭」「南蛮往来」、小倉「栗饅頭」などのお菓子が生まれました。

これがシュガーロードです。(他に博多「鶏卵素麺」、諫早「諫早おこし」、大村「へこはずし」、嬉野「逸口香」など)

昭和に入り、炭鉱ブームで沸いた飯塚では、炭鉱で働く人の甘いお菓子またお土産として「ひよこ」「千鳥饅頭」が発売されました。

今日は、その「ひよこ」工場見学です。

「ひよこ」ですが、今や、飯塚いや福岡を代表するお菓子です。東京にも「東京ひよこ」という会社を作っており、昔、私がサラリーマンだったころ、東京からの出張で来られた方が

東京土産ということでこの「ひよこ」を持ってこられたことがあります。その時はみんな唖然としていました。

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集合場所は、JR飯塚駅 参加者22名。

飯塚駅に向かう途中、川にナマズが泳いでいました。

また、こんなスリムな建物もありました。ここにチャンポン屋さんがありましたが、昨日から休業されていました。

集合場所のJR飯塚駅

  

今日のマップです。

9:30スタート

  

さかえ屋南蛮往来店(旧さかえ屋本店)

長崎街道沿いに店舗がありますが、2015年からシャトレーゼ傘下に入りました。

  

穂波川沿いに歩きます。

 

ひよこ穂波工場が見えてきました。

  

直売所 電話が七四五とは・・・・飯塚名物も右から書いています。

 

二代目「石坂 茂さん」像

 

ひよこの「吉野堂」HPを見てみると、

「ひよ子」のふるさとは、筑豊飯塚。飯塚は昔からお菓子づくりが盛んに行われてきました。それは鎖国時代に長崎の出島に輸入された砂糖が小倉まで運ばれる長崎街道(シュガーロード)に

沿って、お菓子づくりの文化が育まれてきたからです。また筑豊といえば、明治初期から炭坑で栄えたところ。肉体労働が続く炭坑で働く人たちの、エネルギーとなる甘いものが好まれたことも、

お菓子づくりを支える結果となったのでしょう。その飯塚の地に初代店主・石坂直吉が菓子舗「吉野堂」を開業したのは明治30年。屋号である「吉野堂」は、福岡から飯塚に抜ける

八木山に咲く「染井吉野」に由来したものです。

時は大正元年、飯塚市で明治より続く菓子屋を営んでいた二代目店主・石坂茂は、カフェを営むほどチャレンジ精神が旺盛でした。菓子作りでも従来の丸い形ではない、もっと愛される饅頭を

といつも考えていました。そんなとき、夢の中に現れたひよこ。 その愛らしさにやっと探していたものと巡り合えたと感じた二代目は、その形づくりに没頭します。当時、丸や四角しか

なかったお菓子の世界で、立体的な、しかもひよこの形をしたお菓子は誰もが想像すらしなかったもの。試行錯誤の末、大正元年の冬、独特の木型とともに、愛らしい形の饅頭「ひよ子」は

やっと誕生しました。茂にとって、この菓子は苦労の末授かったわが子と同じ。だから「ひよ子」と名づけました。わが子「ひよ子」、という思いからです。

工場見学は、写真撮影禁止ですので工場内の写真はありません。

工場見学終了後、できたての「ひよこ」をいただきました。

     

できたての「ひよこ」は、温かく美味しくいただきました。

係の方に電子レンジで温めてもこの味がいただけるか聞きますと、出来立てに近い味が味わえるそうです。今度電子レンジで温めてみようかな~

帰りは、少し違った道を通ります。江深橋を渡り、長崎街道に面している「貴船宮」を通ります。

 

ゆめタウン飯塚が仮ゴールです。 12:05 ゆめタウンにゴールしました。

  

 

 

 

 


楽しいウォーク「森林セラピーロード(篠栗九大の森)ウォーク」(福岡県篠栗町)

2025-06-06 10:48:41 | ふくおかウォーキング協会

6/4(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは「森林セラピーウォーク(篠栗九大の森)ウォーク」でした。

篠栗九大の森」は、篠栗町と九州大学が共同で整備・管理を行っている、約17haの広大な森です。森の中心の池(蒲田池)に浮かぶのが、円柱の巨木、ラクウショウ。根元が水につかった状態で

自生し、水面からは幹の周りに呼吸するための呼吸根が伸びてきて、その姿はどこか幻想的です。

この光景が、「ジブリの世界」とインスタなどで公開され、今では、旅行会社のコースにも入っています。

以前、ふくおかウォーキング協会でもこのコースのウォーキングを行いましたが、9月ごろだったので「水の中に浮かぶ木々」が見れませんでした。

ここを探索するのは、この時期(田植え前の池に水が多いとき)が一番です。

 

集合場所は、JR門松駅、参加者38名

今日のマップ

  

9:30 スタート

   

約40分で「篠栗九大の森」に到着

 

休憩後森の中に入ります。

  

くりのき広場

  

今日は天気が良く暑くなってきそう。こういう時は、木漏れ日の中を歩くのが一番ですね。

このあたりも炭鉱だったのでしょうか?

 

水辺の森にやってきました。

 

この木は、「落羽松(らくうしょう)」という木です。

 

何枚も写真を撮ってきました。

 

水辺の森を楽しんでから北口ゲートに向かいます。

 

再び南口ゲートに戻り、トイレ休憩です。

南口ゲートに咲いていた花

  

休憩後次の目的地「やまや」へ向かいます。

これは、スモークツリーです。

「やまや」に到着。篠栗町にある「やまやファクトリーテラス」は、工場が隣接しており、「知る」「買う」「食べる」のめんたいこを体感できる施設です。

 

博多のお土産といえば「明太子」ですが、山陽新幹線博多駅延伸で明太子の需要が大きく伸びました。

現在福岡県内で明太子を製造している会社は、大小含めて約200社あります。

 

 

「やまや」の工場見学を終え、ゴールのJR篠栗駅に向かいます。

 

12:10 篠栗駅にゴールしました。

 

  

 


第72回元気スマイルウォーク「幻の早良国吉武高木遺跡と飯盛神社」(福岡市西区)

2025-06-03 18:30:07 | ウォーキング

6/1(日)第72回元気!スマイルウォーク「幻の早良国吉武高木遺跡と飯盛神社」が開催されました。

この元気スマイルウォークは、福岡県内6ウォーキング協会が一堂に集まりウォーキングを楽しもうというもの。

今回は、ふくおかウォーキング協会が担当です。

このコース、何か月も前から準備されていたリーダーのふくおかW協会理事Tさんが、今月中旬膝を痛められ、入院されることになりました。

入院される前にこの大会の段取りを書いた書類一式を預かり、他のスタッフと打ち合わせ、何とか開催にこぎ着けました。

Tさんの書類は、事細かく書かれており、スタッフ一同感激していました。

今回の会場は、西区の西部運動公園です。地下鉄の駅から徒歩15分かかるので参加人数が心配でしたけど約80名の参加でした。

8時からテントなどを建て、9時40分出発式を迎えることができました。

 

8:00から会場設営。

 

元気!スマイルウォークは、福岡県内6ウォーキング協会が一堂に集まりウォーキングを楽しもうというもの。

9:40出発式です。

10:00  10kmコースからスタート。10分後に6kmコーススタート

 

今日のコースの見どころです。

私は、スタッフとして本部待機。何かあった時にすぐ出られるよう準備をします。

写真は、5/21に下見に行った時のものです。

 

飯盛神社参道。流鏑馬の時ここを馬が走ります。

 

 

粥占いは、2/14,流鏑馬は、10/9に行われます。

 

 

かなたけの里へ向かいます。

 

かなたけの里公園で休憩

 

 

休憩後再スタート、三瀬街道金武宿に向かいます。

 

今日のコースのメイン「吉武高木遺跡」です。

 

吉武高木遺跡は、

早良(さわら)平野の中央部を流れる室見川の東にあり、西は飯盛山に抱かれ、旧石器時代から中世にいたる複合遺跡。周辺には、弥生時代前期末~中期後半の甕棺(かめかん)を主体とした墓地である吉武大石遺跡、中期後半の墳丘墓である吉武樋渡(ひわたし)遺跡などがある。

早良(さわら)平野の中央部を流れる室見川の東にあり、西は飯盛山に抱かれ、旧石器時代から中世にいたる複合遺跡。周辺には、弥生時代前期末~中期後半の甕棺(かめかん)を主体とした墓地である吉武大石遺跡、中期後半の墳丘墓である吉武樋渡(ひわたし)遺跡などがある。

1984年の調査では、甕棺墓34基、木棺墓4基、土坑墓3基が発見され、銅剣、銅矛などの武器類、多鈕(たちゅう)細文鏡、銅釧(どうくしろ)、翡翠製勾玉(まがたま:富山県糸魚川産)などの玉類が

出土した。なかでも三号木棺墓から出土した「銅鏡・勾玉・銅剣」の三点セットは、現時点で最古の「三種の神器」であろう。また大石地区では、1985年に200基の墓(甕棺墓を中心に)が

見つかっており、未調査区域をあわせると2000基以上の墓があるとされる。

当時としては弥生時代中期はじめ(紀元前100年ごろ)にこれほどの副葬品がまとまって出土するのは珍しく、「早良王墓」と呼ばれ、魏志倭人伝に記載される伊都国と奴国の中間に位置する

王国(早良王国)の存在したのではないかという推定もなされた。現在、現地はやよいの風公園として整備されている。

吉武高木遺跡からゴールの西部運動公園に向かいます。

12:40 6kmコースがゴールしました。

13:00には、10kmコースがゴールしました。

 

14:00 後片付けも終了。事故もなく無事終了しました。

 

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「那珂川河畔散策」(福岡市南区)

2025-06-01 17:22:46 | ふくおかウォーキング協会

5/28(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「那珂川河畔散策」でした。

このコース、実は昨年11月の例会のコースでしたが、雨のため中止となり、今回に繰り越ししました。

集合場所は、西鉄大橋駅、参加者37名

今日のマップ

9:30スタート

 

JA三宅から左折

 

三宅中央公園では、園児が運動会の練習をしていました。

 

那珂川河畔を歩きます。

 

シナサワグルミ 初めて知った名前です。

 

塩原公園で休憩

休憩後、清水橋を通り対岸へ

 

 

清美大橋を渡り高宮に向かいます。

 

11:30 西鉄高宮駅にゴールしました。

 


日本ウォーキング協会(JWA)九州大会in佐賀吉野ケ里歴史公園(佐賀県吉野ヶ里町)

2025-05-31 12:05:08 | ウォーキング

5/25(日)第18回日本ウォーキング協会(JWA)・九州地区ウォーキングin佐賀が吉野ケ里歴史公園にて行われました。

九州地区のウォーキング協会が一堂に集まり交流を深め、一緒にウォーキングを楽しもうというもの。

私自身、この大会初参加で、特に来年は「福岡市」での開催ですので大会がどんな風に運営されているか、視察も兼ねて参加しました。

主催者側の発表ですと、参加者数は、270人とのこと。(福岡ウォーキング協会は、17名参加)

会場では、八代W協会Mさんと久しぶりに再会しました。(昨年3月の九州国際3DM以来かな?)彼とは、私がウォーキングを始めてからですので知り合ってもう15年ぐらいかな?

この日のマップ

 

受付

 

出発式

今日の参加者で一番の高齢者94歳。熊本から参加です。

 

12:25スタート

途中の産直店には、車がいっぱいです。

 

長閑な田園風景を見て、最初の休憩地は、JR吉野ヶ里駅

 

休憩後再スタート

  

吉野ヶ里歴史公園

 

 

西口から吉野ヶ里歴史公園の中に入ります。

 

 

 

 

途中、当協会のメンバーで記念写真を撮ります。

 

歩いていると「赤米」を植えている方と出会いました。機械でなく皆さん手植えでした。

 

吉野ケ里歴史公園から王仁(わに)博士顕彰公園に向かいます。

 

 

王仁博士は韓国の霊岩郡の出身で、古事記などによると今から1600年以上前の405年に、百済(くだら)から応神天皇に招待されて来日し、論語十巻と千字文1巻を献上したとされています。

百済から有明海を通り、ここ神崎に上陸されたという伝えが残っています。

 

博士が上陸した地点には、博士を祀った「鰐(王仁)神社」があります。

 

鰐神社の横には、王仁博士上陸記念公園があります。

 

千字文は、日本と韓国の方に一文字ずつ書いてもらい、有田焼の磁器タイルに焼かれています。

中には、安倍総理・麻生大臣など日本の政治家の書もあります。

 

王仁神社からゴールの北口に向かいます。

15:00 ゴールしました。

来年は、福岡が当番です。他県のウォーカーの方に楽しんでもらうよう今から計画を立てようと思っています。

 

 

 

 


サタデーウォーク「飯塚市内と学園の森公園を歩こう」(福岡県飯塚市)

2025-05-29 15:08:51 | ふくおかウォーキング協会

5/17(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「飯塚市内と学園の森公園を歩こう」でした。

集合場所は、JR新飯塚駅。この日は、お孫さんの運動会や三方五湖ツーデーマーチと重なり、参加者は17人でした。

今日のマップ

9:30スタート

 

飯塚市役所・嘉穂東高校を通ります。

 

グッディで休憩。遠賀川を渡ると上り坂です。

  

上った所が「九州工業大学飯塚キャンパス」です。

ここでは、情報工学部のキャンパスになっています。

 

本来なら九州工業大学横の学園の森公園を歩く予定でしたが、雑草が生い茂り歩くのは困難と判断し、一般道を歩きます。

 

途中、「水祖(すいそ)神社」がありました。この神社調べますが、わかりません。祭神は、罔象女神(みつはのめのかみ)だそうです。

 

イオン穂波店で休憩

休憩後、本町商店街に入ります。

 

本町商店街で北九州のMさんと遭遇

Mさん、福井の三方五湖に行かれていると思い、聞いてみると、三方五湖は、強風のため、20k、30kが中止になったため、行かなかったそうです。

 

飯塚バスセンターを過ぎ、

 

遠賀川芳雄橋を渡り、ゴールのJR新飯塚駅へ

12:04 新飯塚駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「多々良川河川敷と陣の越道を歩く」(福岡市東区)

2025-05-26 16:10:15 | ふくおかウォーキング協会

5/14(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「多々良川河川敷と陣の越道を歩く」でした。

陣の越道」とは、鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇の親政が実現したのが建武元年(1334)のいわゆる「建武の新政」である。

足利尊氏は、「建武の新政」第一の功臣であったが、不満の武士に担がれ、後醍醐天皇に反旗を翻す。建武3年(1336)足利尊氏は、新田義貞や北畠顕家の軍に京都で破れ、弟・直義とともに

九州に逃れてきた。ここで一発逆転、奇跡の巻き返しに成功する。これが世にいう「多々良浜の合戦」である。

肥後の武将・菊池武敏の大軍(4~5万)が多々良浜に陣を敷いたのが建武三年(1336)三月二日であった。これに対し、陣の越に本陣を構えた足利尊氏の方は、三百であったと太平記に

書かれている。尊氏は、ここ越の陣から菊池方の大軍を遠望し、敗戦を覚悟し、自決も考えたとある。実際は、定かでないが、尊氏方が劣勢であったことは間違いないようである。

しかし、足利勢の士気、気象条件、地元豪族の寝返りなどによって、この戦で足利尊氏は勝利を収める。

その後、尊氏は、東上し、兵庫の湊川の戦いで新田義貞を破り、楠木正成を自害させ、再び京へ戻り、南北朝を開き、室町幕府の礎を築いた。

ここ「越の陣」は、日本史のターニングポイントともいえるところである。(説明看板より)

今日のウォーキングは、この「陣の越道」を歩いて訪ねようというものです。

集合場所は、JR千早駅、参加者は、36名。

今日のマップ

9:30スタート

 

千早陸橋の模型。千早陸橋は、香椎操車場と若宮方面を結んでいた陸橋です。道幅が狭く離合にもひどく神経を使ったと記憶しています。

 

 

この民家にもバラが植えられています。

 

多々良川河川敷にやってきました。

 

 

多々良川河川敷から松崎へ

 

陣の越道は松崎中学校の裏手の方です。ここから上り坂です。かなりしんどいです。

 

 

若宮公民館で休憩。陣の越道はこの公民館の山手の方にあります。公民館を過ぎてから下り坂です。

 

今日は、バラの鑑賞ウォークも兼ねています。このあたりは、お花が好きな方が多いのでしょうね。きれいなバラにうっとりします。

 

 

JR香椎線の踏切を超え「香椎宮」へ

 

香椎宮は、

『古事記』『日本書紀』で、この地で崩御したと伝えられる仲哀天皇を祀り、古代から朝廷に崇敬された神社で、一説に200年代の建立と伝えらます。江戸時代に再建された「香椎造り」と呼ばれる本殿の様式は、全国でもここだけで、国の重要文化財に指定されています。香椎の地名の由来になった御神木があり、神社創建の地でもある古宮や、神功皇后が朝廷の鎮護を願って植えたといわれる綾杉など、見どころが多い香椎宮。
宝物館には古代瓦、古文書、絵馬などが展示。歴代天皇の使者が参拝したという参道には、約800mにわたってクス並木が続きます。「不老水」が湧くことでも知られます。

 

香椎宮からゴールのJR香椎駅に向かいます。

 

香椎高校は、チューリップ財津和夫さんの母校です。

 

12:00 香椎駅にゴールしました。

 

 


ビワイチ徒歩の旅「番外編」比叡山延暦寺へ(滋賀県大津市)

2025-05-25 04:07:24 | 琵琶湖一周徒歩の旅

ケーブル坂本駅から乗車します。

このケーブルは、昭和2年(1927)開業、もうすぐ100年迎えます。

坂本から比叡山延暦寺までの2025mを約11分で結ぶ日本一長いケーブルカーです。

  

ケーブル延暦寺駅

 

今日は、少しかすんでいますが、延暦寺駅からの琵琶湖です。

ここから延暦寺まで上っていきます。延暦寺まではそんなに勾配がきついわけではありませんが、初日の長命寺の808段の石段、2日目の近江八幡から堅田まで25km、

そして今日の堅田~坂本まで10kmと足に疲れが残っているのか、思うように足が進みません。

  

元亀2年(1571年)信長が比叡山焼き討ちを行いましたが、この時はまだケーブルもない時代、兵は、坂本から重装備をして徒歩で(いや駆け足でかな?)比叡山を登ってきたのでしょうか?

 

延暦寺に到着。

延暦寺は、比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。平成6年に世界文化遺産に登録されています。奈良時代末期、19歳の最澄(さいちょう)(767-822)が、比叡山に登り草庵(そうあん)を

結んだのが始まりです。最澄が中国に留学して天台宗を開宗してからは、弘法大師(こうぼうだいし)の開いた高野山金剛峰寺(こうごうぶじ)とともに、約1200年もの間、日本の宗教界最高の

地位に君臨し、この比叡山からのちに日本仏教をささえた円珍(えんちん)(814-891)、円仁(えんにん)(794-864)、慈円(じえん)(1155-1225)、源信(げんしん)(942-1017)、

法然(ほうねん)(1133-1212)、親鷲(しんらん)(1173-1262)、一遍(いっぺん)(1239-89)、道元(どうげん)(1200-53)、日蓮(にちれん)(1222-82)などの傑僧(けっそう)を

輩出しています。全盛を誇った平安時代末期には、三塔・十六谷・三千坊を数えていたといわれています。この時代に門下の対立が激しくなり、分立した三井寺(園城寺)の寺門に対して、

山門と呼ばれています。杉木立が深く生い茂っている比叡山中の境内は、天台宗修行道場としての威厳に満ちみちた雰囲気が漂い、訪れる者の心を引き締めます。延暦寺は比叡山の山上山下に

大別されており、山上には、根本中堂を中心とした東塔、釈迦堂を中心とした西塔、円仁によって開かれた横川の3地区に分かれています。一方、山下になる坂本には、延暦寺の鎮守社だった

日吉大社や本坊だった滋賀院などがあります。戦国時代に織田信長(1534-82)によって、一山焼き討ちに遭いましたが、豊臣秀吉(1536-98)・徳川家康(1541-1616)の手によって復興された

諸堂は、数多く国宝・重要文化財の指定を受けており、宝物類も目を見はる物ばかりです。

 

初めて延暦寺に行きましたが、広い敷地に東塔・西塔・横川とまさに寺院のアミューズメントです。

ここで私の足に異変が・・・・疲れでもう歩けなくなりました。

折角ですので東塔だけでも見ておこうとまず大講堂へ

 

 

根本本堂は、工事中のため、シートの間から入っていきます。

 

 

古今和歌集の紀貫之のお墓は、比叡山中腹にあります。

 

東塔を見てから来た道を比叡山駅の方に戻ります。

ケーブルの時間があったので駅の上にある展望台に行きました。

比叡山坂本駅から京都へ。京都駅から新幹線で博多に戻りました。

次回は、坂本から大津まで約10kmを歩いてビワイチのゴールにしたいと思っています。秋の紅葉見学を兼ねて行こうかな~

 

 


ビワイチと徒歩の旅「番外編」坂本歴史の町 (滋賀県大津市)

2025-05-24 15:22:21 | 琵琶湖一周徒歩の旅

5/12(火) 坂本駅に到着後、比叡山延暦寺に向かいました。

バスでケーブルカー乗り場まで行こうかと思いましたが、坂本の門前町の地図を見ると、歩いていきたくなりました。

坂本は比叡山に抱かれた扇状地。比叡山に源を発する大宮川や藤木川(権現川)が琵琶湖に注ぎ込み、目前には銀色に輝く琵琶湖が広がっています。

比叡山を挟んで京都市の東隣に位置し、琵琶湖に面していたことから、かつては東国や北陸からの物資運搬の重要幹線として大変重要な役割を果たした港町でもありました。

現在では世界文化遺産の比叡山延暦寺をはじめ日吉大社、西教寺を擁する門前町として、また延暦寺の里坊のまちとして、その歴史的価値が再評価されています。

     

お昼時ですが、中高生が下校しています。このあたりに学校があるのでしょうか?

   

     

公人屋敷(旧岡本邸)は、江戸時代に延暦寺の僧侶でありながら妻帯(さいたい)と名字帯刀(みょうじたいとう)を認められた「公人(くにん)」が住んでいた住居のひとつです。

内部が原型をとどめないほど改装されている住居が多い中、岡本家の家屋は全体に公人屋敷としての旧状をよくとどめた社寺関係大型民家の特徴を示す住宅として残されてきました。

  

1636年6月1日三代将軍徳川家光は、600年ぶりに新しい統一通貨をつくるよう幕府に命じました。

江戸の芝、浅草とここ近江坂本の三か所が銭造地に選ばれました。

 

平安の昔、最澄(伝教大師)が延暦二四年(805年)中国浙江省天台山から持ち帰った一握りの茶種。
比叡山の麓、大津の里に蒔かれ育ったのが日本茶の祖と謂われています。
平安時代初期に編纂された勅撰史書「日本後記」には「815年4月15日唐崎行幸の途中、嵯峨天皇が梵釈寺(大津市滋賀里)を過ぎたところで、永忠(えいちゅう)から茶のもてなしを受けた」と記述されており、これが、文献に残る日本での喫茶記録第一号となっています。この出来事は最澄上人がここ日吉茶園にお茶を植えてから、10年後だったそうです。

そういえば、福岡博多の崇福寺には、栄西禅師が中国(南宋)よりお茶の種子を請来し、茶樹の栽培、喫茶の方法を伝え、その普及に大いに貢献し、後に茶祖と称されました。

栄西禅師が京、栂尾高山寺の明恵上人に茶の種を分けてあげた話は有名な事です。

 

   

歩いていると、石積みが多いことに気づきます。延暦寺のふもと坂本町穴太(あのう)に残る石垣集団「穴太衆」があります。

穴太とは、大津市坂本付近に今も残る地名。室町時代の末頃、この地に居住し、延暦寺の土木営繕的な御用を勤めていた人々は「穴太衆」(あのうしゅう)と呼ばれ、織田信長の安土城を始め、

江戸時代初期、各地の石垣普請に従事した。大小の整形していない自然石を巧みに積み上げたもので、堅固に積むことから、城の石垣などに利用されたという。延暦寺の門前に開けた坂本の町には、

同寺の里坊が点在しているが、その町並み景観を特色付けているのが、この穴太衆積み石垣である。市指定史跡。

 

 

旧竹林院は、庭園が見事です。

 

福岡にも山王という地名に「日吉神社」がありますが、この日吉大社が本宮だったのですね。

日吉大社は、全国各地にある3,800余りの「山王(さんのう)さん」の総本宮。比叡山連峰 八王子山(牛尾山・378m)の麓に広がり、延暦寺の門前町坂本の鎮守神。

「山王七社」「山王二十一社」ともいわれ、摂社・末社が多くあります。創祀は古事記に記されるほど古く、地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)とその妻、

鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)を祀ったのが始まりです。その後、延暦寺の発展とともに整備されました。

境内は、東本宮と西本宮の2区域からなります。東本宮は神体山の八王子山(378m)に鎮座する大山咋神を祀ったものです。山頂付近には金大巌(こがねのおおいわ)と呼ばれる大きな

磐座(いわくら)や迫力ある懸造りの奥宮などがあります。

中世には、織田信長公の焼き討ちによって以前の構造物は、すべて灰燼に帰しましたが、その後復興によって今日の姿となっています。

西本宮は大津京遷都にあたって奈良県の三輪山より大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請したもので、宇佐神宮の姫神をまつる宇佐宮、加賀国一宮である白山比咩神社から勧請した白山宮などが

あります。東本宮・西本宮ともに本殿は日吉造(ひえづくり)といわれる特殊な建築で、国宝です。

このほか、石の橋で重要文化財に指定されたのは珍しいといわれる日吉三橋(ひよしさんきょう)、猿の彫刻がある朱色の西本宮楼門、山王の「山」という文字を表した山王鳥居など、

重要文化財が多くあります。ご社殿の大半は織田信長による比叡山焼き討ち以後、江戸時代初期に再建、建立されたものです。

大宮川の渓流が流れる清風の森に、見事な建築美を誇る数多くの社殿が点在し、特に秋は周囲の紅葉に壮麗な社殿が映えてさらに美しい眺めになります。

また、「山王さん」と呼ばれて広く親しまれている例祭(山王祭)は、湖国三大祭の1つです。3月の第1日曜・27日・30日、4月3日・12日から15日に行われ、特に、4月13日の宵宮落し神事は

期間中最も勇壮な神事です。

〈国宝〉西本宮本殿 東本宮本殿
〈重文〉西本宮拝殿 東本宮拝殿 摂社樹下宮本殿及び拝殿 摂社宇佐宮本殿及び拝殿 摂社白山宮本殿及び拝殿 摂社牛尾宮本殿及び拝殿 摂社三宮宮本殿及び拝殿 西本宮楼門 日吉三橋 

 東本宮楼門 山王金銅装御輿   〈史跡・名勝〉日吉大社境内               

 

 

今回は、時間がないので日吉神社見学はスルーしますが、いつか時間があるときに特に秋口に行ってみたいですね。

 

求法寺(ぐぼうじ)走井堂

 

学生さんの姿が多かったのは、ここに学校があったのですね。

 

ケーブルカー乗り場にやってきました。

 

運賃は、片道870円に値上がりしていました。

現在、気温は20度ですが、比叡山は16度と4度も低いです。

  

                                                                          (比叡山延暦寺へ続く)