鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

町田くん、 「大型の、生粋の、左利きのCB」

2015年12月15日 | Weblog
高円宮杯で未来のA代表CB発見!
優勝の鹿島ユース、町田浩樹への期待。

posted2015/12/15 18:20


町田浩樹は2016年シーズンから鹿島のトップチームに昇格する。日本代表にはいるなれるのか……楽しみである。

text by
安藤隆人
Takahito Ando

PROFILE
photograph by
Takahito Ando

 高さがあって、左利きのCB。

 今、日本のどのクラブも欲しがっている存在だ。近代サッカーにおいて、CBに求められる要素は多岐にわたる。フィジカルの強さや、空中戦で相手を凌駕できる高さとバネはもちろんのこと、高いDFラインをカバーする瞬間的な判断力、スプリント力や、攻撃を組み立てるビルドアップ能力、そして正確なフィードや縦パス……。

 ただ守れればいいという考えはもはや通用しない。中盤の攻勢から、全体攻撃のスイッチを入れる役割まで、幅広くこなさないといけない。

 ところが日本サッカー界では、CBというポジションで、すべてを兼ね備えた大型選手がなかなか出てこない。そもそも、ボランチがCBに転向するケースが多いという事実もある。日本代表において、今野泰幸、吉田麻也、森重真人がCBをこなしているが、3人とも本職はボランチだ。今野は東北高校時代、トップ下とボランチをこなし、吉田は名古屋U18時代にシャドーの一角とボランチを、森重は広島皆実高校時代はボランチとしてプレーしていた。全員がプロになってからのコンバート組なのだ。

 ゆえに……近年の日本には「生粋のCB」がいない。さらに冒頭で述べたように、大型で左利きという条件がつくと尚更いない。

左利きのCBが求められるのはなぜか。

 では、なぜ左利きがいいのか?

 それはビルドアップや攻撃のスイッチを入れるパスを出すとき、右利きのCBが左CBとしてプレーをすると、ボールを持ち出して右サイドに大きな展開を入れるときに、余計なボールタッチとステップが必要になり、ワンテンポ、ツーテンポ遅れてしまうからだ。

 このワンテンポ、ツーテンポの誤差が、レベルが上がれば上がるほど、チャンスやスペースを一瞬にしてふいにしてしまう原因になる。右に右利きのCB、左に左利きのCBを置くことで、ビルドアップやミドルパスやロングパスの精度は格段に上がる。ゆえに左利きのCBは重宝されるのだ。

 大型の、生粋の、左利きのCB――これをすべて兼ね備えているのが、鹿島アントラーズユースの町田浩樹だ。

 188cmの高さを持ち、空中戦の強さとラインコントロール、左足のフィードを得意とするCBだ。

CBという「天職」。

「中学1年生のときにCBを任せられるようになって、そこからずっとCBをやっています。個人的にはCBと言うポジションが大好きで、『守備の要』だし、責任が凄く重い。そこにやりがいを感じますし、相手FWとの駆け引きが凄く楽しいんです」

 小4で鹿島アントラーズつくばジュニアユースに入り、左利きということもあって左MFでプレーしていた。中学入学時、クラブが主導となって選手それぞれの成長予測(身長が何センチまで伸びるかなど)をする骨の検査を行うと、町田少年は「185~186cm」という数値を叩き出した。彼の父親の身長が191cmあるということもあり、将来的なことを考えて、鹿島アントラーズつくばジュニアユース昇格と同時に、CBにコンバートされたのであった。

 中学の3年間でCBというポジションの楽しみをすぐに見つけ出し、「天職」として成長を欲し始めた。鹿島ユースに昇格すると、1年目にして早くも頭角を現し始め、着々とCBとしてのキャリアを積んでいった。その過程で、鹿島だからこその環境が彼に大きな刺激を与えたことは間違いない。

 鹿島ユースはトップチームと同じクラブハウスを利用し、練習もすぐ隣りのグラウンドで行っている。ゆえに交流も深く、トップチームの練習や紅白戦にすぐに参加できるなど、恵まれた環境にあるのだ。

中田浩二、小笠原満男の大きなアドバイス。

 町田はその環境の恩恵を大きく受けたと言える。トップチームの練習に参加すると、中田浩二(現クラブ・リレーションズ・オフィサー、サッカー解説者)や小笠原満男に価値観を変えるようなアドバイスを何度ももらったという。

「自分の中でCBは『相手を止めること』、『空中戦で勝つこと』、『攻撃の起点になること』だけが重要だと思っていた。でも、もう1つ重要なことがあることを教えられたんです」

 あるとき、中田からラインコントロールについて指摘を受けた。「ただラインを揃えてオフサイドに掛けるだけでなく、相手にプレッシャーをかけたり、スライドしながらスペースを消すなど、ただ周りを操るだけでなく、相手との駆け引きをしながらやるように」と指摘を受けたのだ。

 なかでも彼の中で一番大きく影響を受けたのが、小笠原のアドバイスだった。今年2月、トップチームの宮崎キャンプに帯同した彼は、Jクラブとの試合にCBとして出場。動き出した敵FWにパスが出た瞬間、町田は「奪える」と判断し、猛ダッシュをかけたが次の瞬間、ワンタッチで入れ替わられ、ピンチを招いてしまったのだ。

「そこは奪いに行くんじゃない。コースを切るところだ」と小笠原に一喝された。試合後、話を聞きに行くと「CBの仕事はボールを奪うことだけじゃない。相手の流れを切ることも重要な仕事なんだ」とアドバイスを受けたという。この言葉を聞いた瞬間、これまでの自分の考え方が間違っていたことに気がついた。

リーグ最少失点を実現した「気づき」。

「僕はCBとして、インターセプトをするとか、ラインを統率する、良いパスを通すとか、『綺麗なプレー』ばかりしようとしていました。そうじゃなくて、切るところは切る、ボールに行くところは行くと、メリハリをつけないといけない。中田さんのアドバイスもそうですが、『綺麗なプレー』というより、もっと『賢いプレー』をしていかないといけないことに気付いた」

 この「気付き」は少年を大人にした。

 CBにとって大事なのは、格好ではなく、相手にとって嫌なことを常にすること――。

 相手との駆け引きで上回り、時には華麗に、時には激しく、時には泥臭くプレーをしないといけない。自分の考えとプレーに整理が付いた町田は、更なる成長を遂げた。

 鹿島ユースとしてプレーしている今季のプレミアリーグイーストでは、鉄壁の守備の中心にいた。カウンターのときには一気にラインを押し上げ、ここは我慢という場面ではラインを下げて強固なブロックを構築。CBとして相手に傾きかけた流れを切る守備を見せ、個としても、精度の高い左足のキックでカウンターの起点として十二分に機能した。逞しく成長したCBに牽引されたチームは、18試合でリーグ最少の12失点で、初優勝を勝ち取るに至る。

G大阪の攻撃と鹿島の堅守の勝負。

 そして、ウェストの王者・G大阪ユースとの間で行われた、高円宮杯U-18サッカーリーグ2015チャンピオンシップ。

 ユース世代の真の日本一を決めるこの一戦。G大阪ユースはFW高木彰人、MF堂安律、市丸瑞希というトップ昇格メンバーを軸に、攻撃的なサッカーを展開するチームなだけに、町田が中心となって構築する堅守との攻防は、最大の注目ポイントだった。

 試合が始まると、町田の動きが重いのがすぐに分かった。「何かがおかしい」と思いながら、試合を見ていると、ボールに対する出足が明らかに遅い。ベンチの熊谷浩二監督もすぐに異常を感じ取ったようで、アンカーの千葉健太を呼んですぐに対応策を施していた。

「試合前のミーティングで、アンカーの千葉には、ラインを高くしてDFラインに吸収されないように指示をしたが、町田のコンディションが良くなく、相手の2列目に飛び出されてしまっていたので、千葉に町田のカバーを指示しました」(熊谷監督)

 試合後、町田本人に話を聞くと「体調を崩してしまいました……。もっと出来ると思ったのですが、難しい面もありました」と、発熱によりコンディションが万全ではなかったことを告白した。

 結局、試合中に町田のコンディションが悪いことに気付いてから、その観察ポイントを「コンディションが悪い中で、どんなプレーの工夫が出来るか?」を見極めることに変えた。

将来、日本を代表するCBになれるように。

 コンディションが悪い中でも成長の跡が伺えたポイント……それが「流れを切るプレー」だった。

 いつもの鋭い出足でボールを奪うプレーができないと判断し、下がってくる千葉とのコミュニケーションを密にし、後ろが重くならないようラインコントロールする。積極的に空中で競り合い、ルーズボールやセカンドボールでは、はっきりとしたクリアをする。自分のプレーで味方がもたつかないように、はっきりとしたプレーを心がけ、敵の攻撃リズムを次々と分断していったのだ。

 1-0のまま試合終盤に入ると、彼の集中力がより研ぎ澄まされていくのが分かった。徐々に出足が鋭くなり、85分を過ぎた頃にG大阪ユースの猛攻を受けるようになると、ボールに対する鋭いプレスをかけ始めた。90分には中央をドリブルで侵入して来た選手に対し、一気に間合いを詰め、そのまま左サイドまで追いやってバックパスを選択させた。クロスに対してもほとんど競り負けること無かった完封勝利。優勝に大きく貢献した。この試合、G大阪ユースは5本のシュートしか打てず、枠内シュートはゼロだった。

「コンディションが悪いからこそ、シンプルにやろうと思った。周りも助けてくれたし、ラインコントロールとクリアだけは、自分が中心となってやろうと思った。気持ちも弱気になるのではなく、強気な気持ちを持って、頭は冷静にしてやることを意識しました」

 中田と小笠原の「教え」をきっちりと自分のものにし、高校最後の試合で逞しさを見せた町田。

「大型の、生粋の、左利きのCB」は、鹿島という素晴らしい環境でスクスクと育っているんだな、と感じた――将来、日本を代表するCBになれるように、だ。

 町田は来年には鹿島のトップチームの一員となり、小笠原、昌子源、植田直通ら周りの教えを受けながら着実に成長していくはずだ。そして、いつの日か日本サッカー界全体で重宝される存在となってくれるに違いない。




わけわけ三国志


来季、トップ昇格する町田くんについて記すNumberWebの安藤氏である。
かなりの逸材であることが伝わってくる。
ユース時代からトップチームとの交流があり、そこからのアドバイスで大きく学んでおる。
町田くんを単なる良いCBとしてでなく、日本を代表するDFにまで育て上げることが鹿島というクラブに課せられておる。
町田くんとともにタイトルを取り、アジアを、世界を席巻しようではないか。
楽しみである。


わけわけ三国志

育成で重視するのはプロの世界で通じる「競争に生き残る力」を身につけること

2015年12月15日 | Weblog
“ユース年代日本一”の鹿島が勝負重視の育成をする理由と、その批判にまつわる一考察
平野貴也
2015年12月15日

「勝つ、負けるが選手にとって一番の成長」


高円宮杯U-18プレミアリーグチャンピオンシップで初優勝を遂げた鹿島ユース。決勝ではG大阪ユースを1-0で下した。(C) J.LEAGUE PHOTOS

 ピッチ上で行なわれた勝利監督インタビューが印象的だった。「高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグ チャンピオンシップ」を制してユース年代の日本一に輝いた鹿島アントラーズユースの熊谷浩二監督は「アントラーズスピリッツ、アントラーズファミリーの勝利だと思う」と熱い一言を残した。

 応援に駆け付けたサポーターへのメッセージだったが、鹿島のアカデミーが、一種の批判を受けながらも信念を貫いていることを考えると、意義深い言葉だった。

 鹿島は近年、育成組織において目覚ましい成績を挙げている。ユースは今大会と昨冬のJユースカップを優勝。ジュニアユースは、昨夏の日本クラブユース選手権U-15で日本一。ジュニアは、一昨年の全日本少年サッカー大会を制覇し、支部である鹿島アントラーズつくばのジュニアも、今年の始めに行なわれた全日本少年フットサル大会のバーモントカップで日本一になっている。どの試合を見ても、勝利への執念を強く感じさせる、タフでたくましい選手、チームの姿がある。

 一方、育成の現場では、そのスタイルに対する批判的な意見も少なくない。年齢が下がれば下がるほど技術が身につきやすいため、技術と判断を重視するという考え方が現在の日本では多数派。守備重視、ロングボール多用、激しさが目立つ球際などから「育成年代であのようなサッカーを教えて、プロで活躍できる技術の高い選手が育つのか」という指摘があるのだ。

 鹿島のアカデミーのスタッフの耳にも、そうした意見は少なからず入って来る。しかし、鹿島は理念を曲げず、まず、勝つために現状でやれることを全部やるという姿勢の重視を徹底している。

 今春、ジュニアユースの中村幸聖監督に話を聞いた際には育成に対する考え方をこう語っていた。
「やれることはすべてやる。その上で勝てなければ新しい課題が見える。でも、まずは、負ける理由を作らない。相手の力が上でも、力が下なりの最善の策で臨む。勝つ、負けるが選手にとって一番の成長。クラブとしても(都市部に比べて)上手い選手が集まらないとか勝てない理由を言っていたら、鹿島の育成組織の意義がなくなる。勝利よりパスをつなげることを重視して、所属リーグから降格した場合、それで選手が本当に伸びるのか。僕がどんな指導をするかということも大事だけど、それよりも選手が本気で(レベルの高い選手より)上手くなりたい、勝てる選手になりたいと思える環境を作ることが、より重要な役割だと思う。サッカーのスタイルは、その次の話」

 プロクラブらしい発想と言えるだろう。技術は、よりプレッシャーのない、余裕を持った街クラブやスクールで身につけることも可能で、むしろ勝負度外視で徹底した方が伸びるかもしれない。ただ、プロ選手の養成所としての一面を考えると、技術の向上ばかりに囚われるわけにはいかない部分もあるからだ。

育成で重視するのはプロの世界で通じる「競争に生き残る力」を身につけること。


鹿島ユースの熊谷監督は、今回の優勝を「アントラーズスピリッツの勝利」と振り返った。(C) J.LEAGUE PHOTOS

 鹿島には、鹿島の良さがあり、鹿島の事情がある。ジーコに叩き込まれた勝利への執念、強いトップチームがあるが、都市部に比べれば人材獲得の面で後れを取る環境は否めない。さらに、日本全体を見れば、鈴木満強化部長は「Jクラブがない県が少なくなり、新卒の有力選手の獲得は難しくなってきている」と話す事情もある。

 現在は鹿島だけでなく、日立やつくばにも育成の拠点を置いているが、関東には競争相手が多く、自前の育成は必要だが、他と同じスタイルで上回るのは難しいのだ。だからこそ、鹿島の良さを活かす手順を徹底している。鹿島が育成でまず重視するのは、個としても、チームとしても、プロの世界で通じる「競争に生き残る力」を身につけることだ。

 ただし、守って蹴って勝ち続ければ良いと思っているわけではない。中村ジュニアユース監督は「理想は、トップチーム。守備が堅いし、速攻もするけど、遅攻でも崩せる」と話し、熊谷ユース監督も昨冬のJユースカップを制した際に「練習では攻撃もやっているけど、試合は試合。まだ、試合で発揮できるだけの積み上げは、守備しかできていないということ」と堅守速攻というスタイルをベースに置いているわけではないことを説明していた。

 技術、戦術理解、プレーの多様性も必要なのは当然で、手をつける順番が違うだけという考え方だが、クラブの外の人間は試合しか見る機会はなく、理解を得るのは難しい面がある。

 その点、今回の決勝戦では、昨冬との違いを見せてアピールできたという部分が大きい。中盤で攻守にわたって活躍したMF平戸太貴が「昨年は、相手にずっとボールを持たれて、ベタ引きでカウンターしかなかった。今年は前から取りに行って中盤でセカンドボールを拾ってからショートカウンターを仕掛けたり、奪った後に何本かパスをつないで遅攻を展開したりすることもできた。チームとして成長できた部分だと思う」と話したように、ゴール前の人数を増やして守るのではなく、中盤で相手を食い止める狙いを持ち、それを形にしてみせた。

 攻撃面でも速攻だけに頼らず、パスをつないで遅攻から個人技や連係を活かして突破を図る場面も見られた。見た目にも彼らが技術や戦術面で進歩していることを示せたはずだ。

来季トップチームに昇格する4選手の動向も、鹿島流の育成の指標となる。


来季トップチームに昇格する4人。左からDF町田、MF田中、FW垣田、MF平戸。彼らがどんな未来を描くかは、鹿島ユースにとって重要な指標となるはずだ。(C) J.LEAGUE PHOTOS

 熊谷監督が発した「アントラーズスピリッツの勝利」の言葉には、結果を求めていくなかで内容面でも前進した手応えと、一種の批判にもぶれることなく貫いてきた育成方針への確信が含まれているに違いなく、大きな価値がある。

 ただし、熊谷監督自身が昨冬に「本当は個性のある指導者が様々いると思うが、なにか大勢が傾いたベクトルを向いてやっていかなければならない(風潮がある)」と話していたが、今回の勝利は、鹿島の哲学や手法こそが最高で他者も追随するべきだという意味はなさないだろう。

 また来年には違った哲学の、違ったスタイルの勝利があるかもしれない。むしろ、鹿島の優勝を横目に、いまに見ていろという気持ちで哲学を貫く別のチームが、それでもこっそりと、目の当たりにした鹿島の良さをうまく採り入れて前進する方が、日本サッカーの育成にとっては好ましい。

 ワールドカップが行なわれるたび、日本代表の監督が変わるたびに「日本が理想とすべきもの」が提示される傾向にあるが、そうしたものの共有よりも、各クラブが哲学を持って競争することのほうが力になるのではないか。ある程度の共有は自然となされるはずだ。

 鹿島もおそらく、世界のトレンドを見ながら、こっそりと進化とマイナーチェンジの可能性を探っていくだろう。現在の鹿島の育成環境で育ち、来季からトップチームに上がる4人の選手の動向も、その指標のひとつになる。厳しい世界で生き残れるのか。今回の優勝をひとつの自信とし、選手もチームも、新たな競争に臨むことになる。

取材・文:平野貴也(フリーライター)



わけわけ三国志


鹿島・アカデミーの育成方針について記すサッカーダイジェストの平野氏である。
勝負へのこだわりについて良く伝わってくる。
この理念・信念について批判があると述べる。
しかしながら、それは偏った見方から来るものであろう。
「クラブの外の人間は試合しか見る機会はなく、理解を得るのは難しい面がある」とあり、試合展開からそうした批判に繋がっておるように思う。
練習から、そして選手たちの人間性の育成からも、あらゆる面にて成長を促しておることが分かるはず。
側面だけでなく、理解して欲しい。
また、一つ、頂点を観たことで、鹿島の育成は進化した。
厳しいプロに耐えうる選手を輩出すべく、これからも尽力していくことであろう。
楽しみである。


わけわけ三国志

鈴木隆雅、愛媛に移籍

2015年12月15日 | Weblog
鈴木隆雅選手が愛媛FCに移籍
2015年12月15日(火)

今シーズン限りで鹿島アントラーズを退団した鈴木隆雅選手が、愛媛FCに完全移籍することが決まりましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
鈴木 隆雅(すずき・りゅうが)

■生まれ:
1994年2月28日、宮城県出身

■ポジション:
DF

■サイズ:
180センチ、68キロ

■経歴:
マリソル松島SSS-FCみやぎバルセロナジュニアユース-鹿島アントラーズユースー鹿島アントラーズ(2012)-ジェフユナイテッド市原・千葉(2013.7※期限付き)-栃木SC(2014※期限付き)-鹿島アントラーズ(2015)

■公式戦成績
J1リーグ通算 2試合0得点
J2リーグ通算 12試合0得点
天皇杯通算 3試合0得点(鹿島では2試合0得点)

鈴木 隆雅 選手 加入のお知らせ
この度、鹿島アントラーズより鈴木 隆雅 選手が完全移籍にて加入することが決定いたしましたのでお知らせいたします。

■鈴木 隆雅 選手プロフィール

【氏名】鈴木 隆雅(すずき りゅうが)
【ポジション】DF
【生年月日】1994年2月28日
【出生地】宮城県
【身長/体重】180cm/68kg

【サッカー歴】
マリソル松島SSS-FCみやぎバルセロナジュニアユース-鹿島アントラーズユース-鹿島アントラーズ-ジェフユナイテッド市原・千葉(※2013.7期限付き)-栃木SC(※2014期限付き)-鹿島アントラーズ

【出場記録】
シーズン 所属チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
2012 鹿島アントラーズ(J1) 0(0) 0(0) 1(0)
2013 鹿島アントラーズ(J1) 0(0) 0(0) -
ジェフユナイテッド千葉(J2) 2(0) - 1(0)
2014 栃木SC(J2) 10(0) - 0(0)
2015 鹿島アントラーズ(J1) 2(0) - 1(0)
通算 J1 2(0) 0(0) 2(0)
J2 12(0) - 1(0)
※表内の数字は出場試合数、カッコ内の数字は得点数です。

【コメント】
愛媛FCに加入できたことを大変嬉しく思います。愛媛はクラブとサポーターの距離が非常に近く、地域を含めともに戦っているイメージがあります。そのサポーターの皆様とともに多くの喜びを分かち合い、J1昇格を目指していきたいと考えています。
日々の練習から努力を重ね、一日も早くホームのピッチに立ち、チームに貢献したいと思います。勝利、そして昇格のため、自分の持っている力を全て注ぎこみますので、応援よろしくお願いいたします。



わけわけ三国志


愛媛への加入が決まった鈴木隆雅である。
これは嬉しい報。
先日の退団発表で次なるクラブがどこになるか不安に思っておったが、愛媛は良い選択と言えよう。
今季はPOに挑戦し、惜しくも敗退したが、J1昇格へあと一歩に迫った。
来季は更に充実したシーズンとなろう。
隆雅この愛媛に、大きな戦力となって欲しい。
左サイドを駆け上がり、攻撃力を発揮するのだ。
活躍の報を楽しみにしておる。


わけわけ三国志

ヴァスコ・ダ・ガマ・ジョルジーニョ監督、目標は達成できなかったが、悔いはない

2015年12月15日 | Weblog
【リオ発】奇跡の一歩手前まで迫った元鹿島のジョルジーニョが見せた男気
沢田啓明
2015年12月15日

降格したら罵声を浴びるのが当然の国で見られた、珍しい光景。


どん底状態にあった選手のモチベーションを上げ、一致団結させたその人心掌握術は、ジョルジーニョの監督キャリアにどのような未来をもたらすだろうか。 (C) Getty Images

「チームを残留させるため、自分の全てを捧げてきた……(絶句して涙)。目標は達成できなかったが、悔いはない」

 試合後の言葉が、常に真摯で、自らの職務に全身全霊を傾けるこの男らしかった。

 12月6日に行なわれたブラジル全国リーグの最終節、ジョルジーニョ(元鹿島アントラーズ)率いるリオの名門ヴァスコ・ダ・ガマは“奇跡”を起こそうと意気込んでいた。

 試合前の時点で、残留圏内の16位と勝点1差の18位(20チーム中)。降格しないための条件は、ヴァスコが15位のコリチーバを倒し、なおかつ16位のアヴァイと17位のフィゲイレンセがともに引き分け以下の結果に終わる、という極めて厳しいものだった。

 しかも、アヴァイの対戦相手はすでに優勝を決めていたコリンチャンスで、彼らにとっては完全な消化試合だった。

 一方、フィゲイレンセの相手は7位のフルミネンセだが、ヴァスコとは同じリオに本拠を置くライバルであるため、サポーターが「負けてヴァスコを2部へ叩き落とせ」と要求。これに応えるかたちで、フルミネンセは控えチームをピッチへ送り出した。

 ヴァスコにとっては、不利な条件が揃い過ぎていた。

 午後5時、全試合が同時に始まった。前半は3試合とも0-0。後半開始直後、ヴァスコのMFネネがゴール前でパスを受けてシュートする直前、CBに倒される。完全なPKだったが、主審は流した。

 他会場では試合が動き、49分にフィゲイレンセが先制し、56分にはアヴァイも得点。これでヴァスコの残留は絶望的となり、サポーターの多くが泣き始めた。

 結局、フィゲイレンセは勝ち、アヴァイとヴァスコが引き分け。これにより、フィゲイレンセの残留とアヴァイ、ヴァスコの降格が決まった。

 ヴァスコのサポーターは、号泣しながらも、総立ちでジョルジーニョと選手の健闘を称えた。降格などしたら監督と選手が痛罵されるのは当然のこの国で、それは非常に珍しい光景だった。

 そもそもヴァスコの降格は、すでに9月初めの時点で確実視されていた。

 リオの4大クラブのひとつであるヴァスコだが、近年はクラブの財政が逼迫しており、若手は育たず、戦力補強もままならない。そんな状態で今シーズンは6月末、8月中旬と2度の監督交代を余儀なくされ、3人目の指揮官としてジョルジーニョは招聘された。

 しかし、就任直後にチームは4連敗。この時点で16位との勝点差は13まで広がり、メディアは早くも「2部に落ちた」と報じた。

 ところが、ここから驚異的な巻き返しが始まる。指揮官が、選手との徹底的な対話を通じてチームへの無条件の献身と最後まで諦めない気持ちを叩き込んだことで、選手の運動量が急増し、球際でも負けなくなった。

 以後、コパ・ド・ブラジル優勝のパルメイラスにアウェーで快勝し、強豪サントスも下して14試合を7勝6分け1敗で乗り切り、最終節まで残留の望みを繋いだ。

 もし、コリチーバ戦で主審がPKを見逃さず、フィゲイセンセの対戦相手がリオのクラブでなかったら……奇跡は起こっていたかもしれない。

 ジョルジーニョは、2012年末に鹿島アントラーズを退団した後、フラメンゴ、ポンチプレッタ、アル・ワスル(UAE)を指揮したが、目立った実績を残せていなかった。

 しかし今回、残留できなかったにもかかわらず、彼のへ評価が高まり、複数の国内ビッグクラブが関心を示した。しかし、ヴァスコの会長はジョルジーニョとの契約延長を切望しており、本人も「来年もこのクラブで」と語っている。

 ヴァスコに残った場合、クラブの厳しい財政状態を考えると、茨の道となるのは間違いない。しかし、一度乗り込んだ船を見捨てる気はないようだ。

 国内有数の監督としての評価を得られるかどうか――。彼にとって、来年は正念場となるはずだ。

文:沢田啓明



わけわけ三国志


総立ちのサポーターに称えられたヴァスコ・ダ・ガマのジョルジーニョ監督である。
残留という難しいミッションを与えられて途中就任するも、奇跡は起こせなんだ。
しかしながら、最終節を前に残留圏まで勝ち点1まで追い上げたことは賞賛されるところ。
サポーターの心を掴み、会長も契約延長を切望、ジョルジーニョ本人も「来年もこのクラブで」と語っており、来季もこのクラブを率いることとなるのであろう。
このヴァスコ・ダ・ガマを昇格させ、指導者としての名前を更に上げるのだ。
良い報を待っておる。


わけわけ三国志