鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

川崎・西部、清水に移籍

2015年12月16日 | Weblog
西部洋平選手(川崎フロンターレ) 完全移籍にて加入決定のお知らせ
2015年12月16日

このたび、川崎フロンターレの西部洋平選手が、完全移籍にて加入することが決定しましたので、お知らせいたします。

西部 洋平 (Yohei NISHIBE) 
GK

【 出 身 地 】   
兵庫県神戸市

【 生年月日 】   
1980年12月1日

【身長/体重】   
187cm/79kg

【利き足】   


【 選 手 歴 】   
帝京第三高 - 浦和レッズ(1999) 
- 鹿島アントラーズ(2003.7※期限付き移籍) 
- 清水エスパルス(2004※期限付き移籍2006※完全移籍) - 湘南ベルマーレ(2011) 
- 川崎フロンターレ(2012)

【 今季成績 】   
J1リーグ(11試合/0得点)、リーグカップ(3試合/0得点)、
天皇杯(2試合/0得点)

【 通算成績 】   
J1リーグ(298試合/0得点)、J2リーグ(45試合/0得点)、
リーグカップ(58試合/0得点)、天皇杯(30試合/0得点)、
ACL(8試合/0得点)

【西部洋平選手コメント】
『このたび、6年ぶりにエスパルスへ帰ってくることになりました。このタイミングで復帰出来るということは、何かの縁と感じていますし、これまでの選手生活の中でも、特にエスパルスには育ててもらったという意識が強い大事なチームです。必ず恩返しが出来るように、まずはJ1復帰に向けて、チームの力になれればと思っています。また、年齢も35歳でチーム最年長となりますので、チームを引っ張っていく存在でありたいと思います。これから厳しい戦いになりますが、一緒に戦ってください。よろしくお願いします。』

西部洋平選手移籍のお知らせ
川崎フロンターレでは、今季、当クラブに所属しておりました西部洋平選手の、来季、清水エスパルスへの完全移籍が決定しましたので、お知らせいたします。

西部洋平(にしべ・ようへい)
背番号 21
ポジション GK
生年月日 1980年12月1日
身長/体重 186cm/79kg
出身地 兵庫県神戸市
経歴 帝京第三高校(山梨県) ─ 浦和レッズ ─ 鹿島アントラーズ ─ 清水エスパルス ─ 湘南ベルマーレ ─ 川崎フロンターレ
出場経歴

シーズン 所属チーム カテゴリ リーグ戦 カップ戦 天皇杯
出場/得点 出場/得点 出場/得点
1999 浦和レッズ J1 0/0 0/0 0/0
2000 浦和レッズ J2 7/0 1/0 2/0
2001 浦和レッズ J1 21/0 2/0 4/0
2002 浦和レッズ J1 5/0 6/0 0/0
2003 浦和レッズ J1 0/0 0/0 ─/─
鹿島アントラーズ J1 0/0 0/0 0/0
2004 清水エスパルス J1 27/0 6/0 0/0
2005 清水エスパルス J1 29/0 7/0 5/0
2006 清水エスパルス J1 34/0 4/0 3/0
2007 清水エスパルス J1 33/0 4/0 2/0
2008 清水エスパルス J1 21/0 8/0 2/0
2009 清水エスパルス J1 14/0 2/0 4/0
2010 清水エスパルス J1 32/0 8/0 2/0
2011 湘南ベルマーレ J2 38/0 ─/─ 0/0
2012 川崎フロンターレ J1 28/0 3/0 1/0
2013 川崎フロンターレ J1 23/0 3/0 2/0
2014 川崎フロンターレ J1 20/0 1/0 1/0
2015 川崎フロンターレ J1 11/0 3/0 2/0
J1リーグ通算 298試合/0得点
J2リーグ通算 45試合/0得点
J3リーグ通算 ─/─
JFL通算 ─/─
カップ戦通算 58試合/0得点
天皇杯通算 30試合/0得点
2014AFCチャンピオンズリーグ 8試合/0得点
川崎フロンターレ通算 106試合/0得点
本人コメント

「この度、清水エスパルスに移籍することになりました。フロンターレに在籍していた4年間、あっという間でしたが本当に良い経験をさせていただきました。心残りはチームとして目指していたタイトル獲得が出来なかったこと。そこは申し訳なく思っています。フロンターレのサポータの皆さん、クラブスタッフ、チームメイト、皆さんに迎え入れていただき、支えていただいた4年間でした。本当に感謝しています。この4年間を糧に、新しいステージでチャレンジをしていきたいと思います。チームは離れますが、これからも宜しくお願いします。」




わけわけ三国志


清水に移籍した川崎の西部である。
古巣への復帰で心機一転となるであろう。
悲願のJ1昇格に尽力するのだ。
活躍の報を待っておる。


わけわけ三国志

山形、梅鉢獲得に乗り出す

2015年12月16日 | Weblog
J2降格の山形、鹿島MF梅鉢を獲得へ
[2015年12月16日7時37分 紙面から]

 来季J2の山形が、鹿島MF梅鉢貴秀(23)の獲得に乗り出していることが15日、分かった。

 MF宮阪の松本移籍が決定的となり、層が薄くなる中盤の補強が急務。期限付き移籍も含めて交渉を進めている。

J2降格の山形、鹿島MF梅鉢を獲得へ
[2015年12月16日11時37分 紙面から]


山形が獲得交渉を進めている鹿島MF梅鉢

 来季J2の山形が鹿島MF梅鉢貴秀(23)の獲得に乗り出していることが15日、分かった。両足から繰り出す正確なパスとハードワークが武器のボランチで、期限付き移籍も含め交渉を進めている。残り1枠の外国人枠で、FWディエゴ・ローザ(26)の獲得も決定的となった。

 1年でのJ1復帰を目指す山形が、「心臓部」の補強に乗り出した。手薄になった中盤の強化を狙い、梅鉢に白羽の矢を立てた。ボランチは来季3年目を迎える石崎プレッシングサッカーを支える重要なポジション。MFアルセウの来季残留は決まったが、MF宮阪の松本移籍が決定的。契約更新未発表のMF松岡は8月末に右膝の手術をしており、2月末のJ2開幕に間に合うかは微妙だ。

 92年生まれのプラチナ世代の1人だ。関大第一(大阪)から鹿島入団5年目で、日本代表MF柴崎と同期。176センチ、67キロの体から左右ともに正確なパスを供給し、展開力を持ち合わす。守備でも豊富な運動量で奔走し、石崎サッカーに順応する資質を備えている。

 今季は開幕戦こそ先発したが、6月7日の山形戦以降は出番がなく、8試合の出場に終わった。山形と鹿島の間では、過去に積極的な移籍が行われてきた。10年にはFW田代、MF増田が、15年にはFW高崎がいずれも期限付きで加入。出場機会を求める梅鉢と、中盤の層を手厚くしたい山形の思惑が、一致する形となりそうだ。

 もう1つの懸案事項だった前線の補強も決まった。ブラジル人FWディエゴ・ローザの獲得が決定的となった。今季、同国内のセリエBルベルデンセで38試合に出場し10得点を挙げた快足FW。180センチ、73キロの体格からキレのあるドリブルが自慢で、1トップから2列目までこなせる。J1で最下位に苦しんだ得点力不足を解消する切り札として期待がかかる。J1再昇格を狙う山形の補強が、一気に加速し始めた。



わけわけ三国志


梅鉢の獲得に載りだした山形である。
これはニュースと言えよう。
鹿島としては、トニーニョ・セレーゾ前監督こそ梅鉢を重用したが、石井さんになって山村よりも序列が下がっておった。
また、永木も獲得寸前となっては、来季の出場機会は限定されよう。
また、山形には高崎をレンタルしたという友好関係が成り立っておる。
完全移籍になるのか、レンタルになるのか、注目である。


わけわけ三国志

伊野波、鹿島クラブハウスを訪問

2015年12月16日 | Weblog
磐田退団の伊野波、鹿島訪れ強化部長と1時間会談
[2015年12月16日7時37分 紙面から]

 磐田を契約満了で退団した元日本代表DF伊野波雅彦(30)が15日、08年から11年途中まで在籍した古巣である鹿島のクラブハウスへあいさつに訪れた。

 スーツにマスク姿で現れ、鈴木満常務取締役強化部長(58)と約1時間話した。伊野波はコメントしなかったが、鈴木常務取締役強化部長は「あいさつです。(伊野波が)こういう状況になったので」と説明した。



わけわけ三国志


鹿島のクラブハウスを訪れた伊野波である。
ジュビロを退団し、今現在はフリーということで、挨拶に来た様子。
次なるクラブの選択を相談でもしたのであろうか。
J1なのか別のカテゴリーなのか、海外チャレンジなのか。
伊野波の去就に注目である。


わけわけ三国志

Jリーグ、サテライトリーグ再開を決定

2015年12月16日 | Weblog
JサテライトL7年ぶりに再開!広島&鹿島など9クラブが参戦
 Jリーグは来季09年以来7年ぶりにJサテライトリーグを再開することを決めた。

 Jリーグは来季09年以来7年ぶりにJサテライトリーグを再開することを決めた。仙台、鹿島、川崎F、横浜、湘南、新潟、名古屋、神戸、広島の9クラブが参戦し、試合数は6~12試合と幅を持たせ順位決定はしない。また、来季はJリーグ王者と天皇杯王者が対戦するゼロックススーパー杯は2月20日、J1リーグ開幕は同27日に決定。J1昇格プレーオフは準決勝、決勝ともリーグ戦成績上位クラブのホームで開催することも決めた。
[ 2015年12月16日 05:30 ]



わけわけ三国志


来季よりサテライトリーグの再開を決定したJリーグである。
鹿島も参戦を決めた。
これは嬉しい報。
才能豊かな若手が試合経験を積む場として、非常に有用と言えよう。
来季にはユースより4人の選手が上がってくる。
彼等を含め、大橋や和音、太郎などが試合勘を養うには絶好の機会である。
楽しみにしたい。


わけわけ三国志

千葉くん、5年後には小笠原とコンビを組み、また鹿島のためにピッチを走り回っているかもしれない

2015年12月16日 | Weblog
鹿島ユースを優勝に導いたキャプテン千葉「このエンブレムをつけて戦う以上、絶対勝たなければいけない」
2015年12月15日(火) 16時14分配信


優勝杯を掲げるキャプテン千葉健太 photo/Getty Images

鹿島ユースのキャプテン千葉が話す“鹿島”の魅力とは

U-18世代の日本一を決める高円宮杯U-18チャンピオンシップが12日に開催され、鹿島アントラーズユースがG大阪ユースを下して高円宮杯で初めての優勝を果たした。キャプテンのMF千葉健太は試合後、インタビューに応じている。
2年時からチームのキャプテンを務める千葉はしつこい守備と、運動量が魅力の選手。キャプテンマークを腕に巻き、ボランチに君臨する姿はトップチームのキャプテンである小笠原満男を彷彿させるもので、応援席からは小笠原満男のチャントの替え歌が千葉に送られる。
千葉は高円宮杯決勝戦でも激しい守備を披露して、攻撃力が特徴のG大阪ユースを無失点に抑える活躍。試合後にインタビューでは、ユースチームのキャプテンとして「このエンブレムをつけて戦う以上、絶対勝たなければいけないと思いました」と力強く話した。
さらに同選手は、優勝したことで改めて自身が所属する“鹿島”というクラブの魅力を感じたようだ。日本サッカー協会公式サイトが千葉のコメントを伝えている。
「決勝の舞台で勝つのが鹿島というクラブだと思っていますし、今日も相手に勝つことだけを考えて戦いました。優勝して、あらためて鹿島というクラブの素晴らしさ、勝つことのうれしさを感じました」
「後輩たちには、鹿島は勝ち続けなければいけないチームだということを少しは見せられたと思います。これからも、勝ち続けてほしいです」
最後に千葉は、チームの指揮を執る熊谷監督の涙を見て、「3年間たくさんのものを犠牲にして僕たちと向き合ってくれたこと、苦しい時期を乗り越えたことを思い出して、今日一番、感動しました」とユースチームで過ごした時間を振り返った。
歓喜の表彰式が終わると、千葉はチームメイトを連れて対戦相手であるG大阪サポーターのもとに行き挨拶をした。素晴らしい人間性でチームを優勝に導いた千葉だが、トップチーム昇格の夢は叶わずに、高校卒業後は大学への進学が決まっている。しかし勝利を追求する千葉は大学サッカーで多くのことを学ぶことになるだろう。5年後には小笠原とコンビを組み、また鹿島のためにピッチを走り回っているかもしれない。



わけわけ三国志


ユース優勝の立役者・千葉くんについて報じるtheWORLD誌である。
キャプテンシーが伝わってくる。
チームをまとめる能力は、指導や学習によって身に付けることは難しく、持って生まれた才能と言って良かろう。
2年生であった昨年よりキャプテンを務めた千葉くんは、その才能を身に付けておる。
早稲田大学進学と聞いておるが、4年後の卒業時にはより大きく成長し、再び臙脂のユニフォームに身を包んで欲しいところ。
満男とのコンビが観られたら、それは至福。
楽しみな未来である。


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