鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

2015年を振り返って

2015年12月31日 | Weblog
2015年を振り返りたい

・新加入選手
高卒新人の久保田和音、ユースからのトップ昇格の優磨と大橋、そして、ファン・ソッコと高崎が加入した。
ファン・ソッコはナビスコ杯以降、安定感を増し、レギュラーとして風格を出しだした。
ルーキーの優磨も充分な戦力として数えられるまでに成長したと言えよう。
ただ、高崎にはダヴィとジネイの穴埋めまでの活躍は出来なかったように感じる。
夏にレンタルにて山形へ移籍しまったことでも、それが証明されているように思う。
結果的には、ジネイの負傷発覚と夏の負傷離脱が誤算だったのではなかろうか。

・NYC・茨城サッカーフェスティバル優勝
大分と福岡に二連勝し、初タイトル。
PSM水戸戦も勝利。
高崎が結果を出したこと、久保田和音やファン・ソッコも上々のデビューを飾った。
シーズンの手応えを感じさせた試合であった。

・金崎夢生加入
キャンプを終えた2月9日のキックオフパーティにて金崎夢生の獲得が発表された。
これは驚きであった。
ただ、登録ポジションはMFであり、補強ポイントではないのではという意見が散見させられたことも事実である。
しかしながら、センターFWとして起用されると、アグレッシブで泥臭いプレイにてサポーターの心を掴み、鹿島になくてならない存在となった。
間違いなく今季のMVPであろう。

・1stステージ序盤
開幕戦の清水戦に誤審絡みもあり敗戦すると、
開幕3戦勝ち無しと、躓いてしまった。
源がPSM水戸戦にて骨折、植田が五輪予選にて抜けるということもあり、CBを固定出来なかったこと、そして、ACLとの平行ということもありポジションをいじりすぎたことが好ましくない結果を招いたように感じる。
しかしながら、夢生をセンターFWに起用しだしてからは調子を維持したのではなかろうか。

・ACL
三連敗し、GL敗退が濃厚となるも、二連勝で突破の目が出た。
しかしながら、最終節にて逆転負けを喫し、今年のアジア制覇の夢は潰えた。
強い相手とは好ゲームをするが、弱い相手につまらぬ負けをするという、今季らしい試合が多かったように感じる。
GL突破出来ていれば、良い結果に繫げられたと思うので、非常に残念であった。

・ジネイ
1月のメディカルチェックにて負傷が発覚し、契約が破棄されたが、リハビリに励み5月に再契約した。
初出場した広島線ではゴールし、Fマリノス戦では圧倒的な存在感を発揮した。
しかし、このFマリノス戦にて相手選手が乗りかかって大怪我を負ってしまったことは悲しかった。
このままジネイがプレイ可能であれば、歴史は変わっておったであろう。
彼ほどのセンターFWを別に見つけることは難しかろう。
来季も契約延長のオファーをしたと聞く。
完全復活した寧波大きな戦力となってくれよう。

・引退試合
中田浩二・柳沢敦・新井場徹の引退試合が開催された。
多くのレジェンド、多くのスターが集結し、非常に盛り上がった。
彼等ほどの偉大な選手を鹿島が擁しておったことを誇りに思う。

・監督交代
1stステージの不安定な戦い、ACL敗退と結果を出せずにおったトニーニョ・セレーゾ監督であるが、2ndステージ3試合を行ったところで解任となった。
不安定な戦いは改善されず、試合内容があまりにも悪かったことが理由である。
クラブ史上二度目、そして鹿島に多くのタイトルをもたらせた名将のクビを切るのは大きな決断が必要であった。
後を継いだのは石井監督。
コーチとして長くチームに関わっており、内情を良く知るものの、監督経験のない新人であった。
しかしながら、この不安はあっという間に払拭され、6連勝で2ndステージ首位となった。
結果的には、ナビスコ杯制覇と、2ndステージの好調ということで石井監督の手腕は証明された。
来季もまた、石井采配で勝利を積み重ねてくれるであろう。

・天皇杯
過密日程を考慮した、全先発選手とっかえという采配を見せた水戸戦でPK戦で敗退。
これは無念であった。
この経験は石井監督の糧となったであろう。

・ナビスコ杯優勝
準々決勝、準決勝と危なげない戦いで決勝戦へ。
難敵・ガンバを完膚なきほどに叩きのめしての優勝は嬉しい。
MVPは小笠原満男。
老練なボランチがまだまだ大きな力を持っておることを世間に知らせしめた。
また若き選手たちは大きな経験を得たことであろう。

・リーグ戦
石井監督が率いてからは安定した戦いをしたが、2ndステージ2位に終え、タイトルに手が届かなかった。
1stステージにて星を落とさなければ、この試合にて出場停止がなければと、いくつか悔いる部分もあったが、結果を素直に受け止めたい。

・ユース選手トップ昇格
ユースから、町田くん、平戸くん、田中稔也くん、垣田くんのトップ昇格が発表された。
町田くん、平戸くん、田中稔也くんは二年生の時から二種登録されておった逸材であり、今年のキャンプにも帯同しておった。
垣田くんは今年からユースチームの1トップを担い、急成長した。
高卒・大卒の新人がない来季のルーキーはこの4人となる。
鹿島の未来を担って、更に成長していって欲しい。

・下部組織の躍進
ユース版ACLとも呼べるACTにて初優勝しアジアを制覇、プレミアリーグEASTにて初優勝、チャンピオンシップにて優勝し日本一となった。
また、ジュニア・ユースは全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会にてPK戦にて敗れベスト4。
そして、ジュニアは全日本少年サッカー大会にて準優勝。
育成世代の躍進が伝えられる。
クラブの未来は明るいと言って良かろう。

・退団選手
本山、隆雅、佐藤昭大、ダヴィの契約満了にての退団、梅鉢と豊川のレンタル移籍などが伝えられる。
また、岳には海外移籍の噂、夢生の去就は微妙と報じられておる。
戦力としては痛いが、クラブとしては受け入れて前に進むしかない。

・来季に向けて
移籍選手として永木の加入が公式発表され、また負傷離脱したジネイへの契約延長が伝えられる。
未だ報じられぬ幾人かの戦力も来年初頭には発表されるであろう。
1月12日には、新たなる顔ぶれと共に指導することとなる。
リーグ制覇、ナビスコ杯連覇、天皇杯とタイトルを総なめにすべく戦う。
楽しみな一年にしたいところ

良いお年を。

鹿島、京都橘高校・岩崎悠人くんに興味

2015年12月31日 | Weblog
複数のJクラブ注目の京都橘FW岩崎が高校サッカーを選んだ理由 “探し求めた居場所”
 昨冬の選手権を沸かせた小柄なドリブラーは、今やプロ注目の男となった。彼はなぜ、Jクラブの下部組織への誘いを断り、土のグラウンドでボールを追い掛けることを選んだのか。高校サッカーにこそ、彼が求めた成長の場があった。

忘れかけていた感覚

「最初は高校サッカーなんて全く考えていなかった」

 滋賀県で生まれ育ち、着実にサッカー選手としての階段を歩み始めた岩崎悠人にとって、目指すべき場所は『Jユース』だった。

「その方がプロへの近道だと思っていた」

 しかし、中2の冬に全国高等学校サッカー選手権大会を見て考え方が大きく変わった。

「京都橘が快進撃を続けて、決勝まで勝ち上がった。あの舞台での勝負強さや、『絶対勝つぞ!』という強い気持ちが画面からも伝わってきた。選手一人ひとりの表情がすごく闘志にあふれていて、何より楽しそうだった。『自分の居場所はここにある』と思った」

 当時の京都橘はエースのFW小屋松知哉(現・名古屋グランパス)、GK永井建成(現・ロアッソ熊本)、FW仙頭啓矢(現・東洋大)といったタレントがそろい、4年ぶり2度目の本大会出場を果たした。そして快進撃を続け、一気に決勝まで勝ち上がった。鵬翔(宮崎)に2-2からのPK戦の末に惜しくも敗れ、優勝には一歩届かなかった。だが、彼らの躍進は全国に大きなインパクトを与え、一人の中学生の人生を変えた。

「父親から『京都橘の選手たちは京都サンガF.C.やガンバ大阪のユースに上がれなかった選手たちが集まって、頑張っている』と言われて興味が湧いた。だから、今まで見なかった選手権を見たんです。そうしたら一気に決勝までいくし、熱量もすごいし…。今まで見たことの無い世界を知った」

 ちょうどその時、彼は〝サッカーにとって一番重要なこと〟に気付いた時でもあった。

 小学校時代は地元・彦根市の金城FCでプレーしていた。「プロになって、世界に出たい」という夢をつかむために、小学校卒業と同時にJFAアカデミー福島に入り、親元を離れた。だが、中2の秋、夢を持って進んだJFAアカデミーを辞め、地元の彦根市立中央中に通うことになった。

「そこで大きなことに気付いた。アカデミーの時は、どこか『やらされている感』があったと思う。監督の目を気にしながらやっていた。だけど、もう一度『サッカーって楽しい』と思えた」

 当然、周りのレベルや環境も、アカデミー時代と比べて大きな差があった。けれど、真剣な中にも楽しさがあることに気が付くことができた。そうして忘れかけていた感覚を思い出した時、京都橘のサッカーと出会った。まさに運命の巡り合わせだった。

決定的な出会い

 中3になると、当然のように彼の元には、たくさんの誘いが届いた。「jユースからは、ヴィッセル神戸、京都、アルビレックス新潟。高体連は京都橘からお話を頂いて、4つの選択肢があった」。気持ちは京都橘に傾いていたが、正直迷った。

 Jユースには群を抜く環境が整っていた。一方で、今や強豪校の京都橘だが、練習環境は恵まれているとはいえなかった。学校のグラウンドは土で、フルコートを取ることができないほど狭い。間借りをしている桃山城グラウンドは広いが土のグラウンドで着替えも屋外だ。両方とも雨が降れば、たちまちぐちゃぐちゃになってしまう。しかし、それは彼にとって大きな問題ではなかった。

「グラウンドが土でも全く気になりませんでした。どの環境でもボールは変わらない。丸いし、ピッチは長方形だし。バウンドが変わるだけなんで、真剣に楽しくできれば全く気にならない」

 環境ではなく、いかに自分らしくサッカーができて、人間としても成長できるか。彼の尺度はそこにあった。当時読んだ、日本代表DF長友佑都(インテル)の自著の中で『一流の人間でなければ、一流のサッカー選手にはなれない』という言葉が印象に残ったという。「人間的にも成長をしないといけないと思うきっかけになった」。その考えが進路の決め手の一つとなった。

「最終的には神戸と、京都橘で迷いました。神戸の練習に参加した時、ボールもすごく回るし、レベルも高くて楽しかった」

 気持ちが揺れ動く中で、決定的な出会いに突き動かされた。国体の滋賀県選抜に入っていた岩崎は、隣の京都府選抜とたびたび試合をしたという。その選抜チームを率いていたのが、京都橘の米澤一成監督だった。試合で対戦する度に、「最近どうや?」とサッカーのことはもちろん、いろいろなことを気に掛けてくれた。いつしか「この人の下でなら人間的にも成長できる」と思うようになった。

 この交流によって、初めて京都橘をテレビで見た時に受けた衝撃の在りかを知った気がした。選手の人間力が高いからこそ、あの戦いぶりとなり、その表情が画面を通して伝わってきたのだろうと。自分もあの一員になりたい。その思いが、彼を京都橘へと導いた。

 そして今、その決断が間違っていなかったことを実感している。1年生からレギュラーをつかむと、昨季の選手権ではベスト8進出に貢献。その圧倒的な突破力と打開力は、Jクラブのスカウトからも注目を浴びるようになった。2年生になった今年、すでにFC東京と鹿島アントラーズが獲得に興味を持つなど、争奪戦はヒートアップしている。

「選手権に出て人生が変わった。代表にも選ばれ、海外遠征も経験して、あらためて自分を見つめ直すことができた。選手権に向かってチームが一体となっていく。この過程に自分がいられることはすごく大きいし、成長にもつながっていると思う」

熱くなれる環境

 岩崎は高校進学後、技術面でも大きな成長を遂げた。それをもたらしたのは、京都橘の環境だった。

「土のグラウンドなので、バウンドが変わったり、来るパスの精度も低い時がある。それに対して、多少強引でもマイボールにする技術や意識は、相当鍛えられた。ロングボールもズレるので、そこでリカバーできるようになった。守備面でも前線から2度追い、3度追いすることが多くて、より献身的なプレーもできるようになった」

 グラウンドの状態が悪ければ悪いほど、彼のプレーは際立った。それは環境が鍛え上げた代物だった。パスがズレてしまうのが当たり前。普段からそういった環境の中にいれば、変化に対してストレスを感じなくなる。パスがズレたから反応しない、良いパスが来ないと良いプレーができない。それが当たり前で育った選手たちは、わずかな変化さえも不満を覚える。そういった選手が増えている中で、彼の存在は非常に希少だ。だからこそ、実際に体感した高校サッカーは、回り道などとは思わないという。

「選手権で活躍をすればプロになれる。選手権という大きな目標をチーム、スタッフ全員で共有できて、一つになれることも大きい。高校サッカーは、まずチームありき。独り善がりになってしまっては絶対にいけない」

 そして、選んだ道の正しさをかみしめるシーンもあったという。今年の高校選手権京都府予選準決勝の久御山戦。全国高校総体ベスト16の久御山を相手に、先に2点を奪うも、その後試合をひっくり返される苦しい展開となった。

「2-3になった時、『ヤバイ』という気持ちに一瞬なった。その時応援席を見たら、試合に出たくても出られない3年生たちの顔が見えた。それで気持ちが一変した。ピッチに立っている2年生の僕が、絶対に裏切っちゃダメだと思った」

 直後、ドリブルから同点ゴールを挙げた。勢いを取り戻したチームは、その後決勝点を挙げ、4-3の勝利をつかみ取った。

「僕がゴールを決めた後、スタンドの3年生が泣いていたという話を聞いて、本当に胸が熱くなった。本当にここに来て良かったと思いました」

 決断は間違いではなかった。望んでいたものがそこにはあった。彼の高校生活はまだあと1年ある。選択の正しさを実証するためにも、京都で出会った最高の仲間たちと共に、まっすぐにサッカーに打ち込み続ける。


■profile
岩崎悠人(いわさき・ゆうと)
1998年6月11日、滋賀県生まれ。彦根中央中から京都橘に進学し、1年からレギュラーとして活躍。第93回全国高等学校サッカー選手権大会ではチームの準々決勝進出に貢献。大会優秀選手に選ばれ、U-17日本代表にも選出。スピードと運動量を生かしたドリブル突破が持ち味。

安藤隆人●文
text by Takahito Ando
齊藤友也●写真
photo by Tomoya Saito



わけわけ三国志


京都橘高校の岩崎悠人くんに興味を持つ鹿島である。
現時点で高校2年生の岩崎くんは、中学時代から注目される逸材である。
スピードと運動量で勝負するFW。
中学卒業時には、多くのクラブユースや高校から引く手数多であったとのこと。
中学時に駅伝部にも所属した持久力と瞬発力を併せ持つ。
来年には鹿島入団を選択してくれるであろうか。
注目である。


わけわけ三国志

豊川、岡山にレンタル濃厚

2015年12月31日 | Weblog
U22滑り込みの鹿島豊川 来季岡山にレンタル濃厚
[2015年12月31日7時31分 紙面から]

 U-22(22歳以下)日本代表に追加選出されたMF豊川雄太(21)が来季、鹿島から岡山に期限付き移籍することが30日、濃厚となった。

 岡山がJ1昇格の切り札として獲得オファーを出しており、クラブ間の正式合意をへて年明けにも発表される。U-22代表では3月の1次予選で2戦1発と活躍したが、クラブでは負傷が続いた影響もあって6試合無得点。最終予選を突破し本大会に出場するためにも、出場機会を求めて移籍する見通しだ。



わけわけ三国志


岡山からのオファーが届いた豊川である。
2014年シーズンは開幕からレギュラーに抜擢され活躍したが、今季は出場機会が激減しておった。
豊川としては、このチャンスを活かしたいところ。
岡山のJ1昇格に尽力するのだ。
楽しみである。


わけわけ三国志

北九州・本山、チームメートと一丸になってJ2優勝とJ1昇格

2015年12月31日 | Weblog
福岡)本山選手、背番号は「43」に J2ギラヴァンツ
宮野拓也2015年12月31日03時00分


報道陣の取材に「黄色が好きなんでうれしい」と話す本山雅志選手=北九州市八幡西区

 J1鹿島アントラーズからJ2ギラヴァンツ北九州に移籍した本山雅志選手(36)が30日、北九州市八幡西区であった少年サッカー大会で新しいユニホーム姿を披露した。背番号は、東福岡高で最初に着けた原点という43になった。

 本山選手は同市若松区出身。18年間在籍した鹿島では名ドリブラーとしてチームを引っ張り、日本代表でも国際Aマッチ28試合に出場した。この日は、東福岡のOB2人と発起人を務める「第6回新春初夢若松サッカー大会」に集まった小学生約260人の前に登場し、試合にも交ざった。

 地域貢献にも積極的に参加したいとする本山選手は、「勝っていかないと盛り上がらないと思う。チームメートと一丸になってJ2優勝とJ1昇格」を来季の目標に掲げた。J2には小野伸二選手や稲本潤一選手といった同級生も多く、対戦を待ち望んでいた。(宮野拓也)


ギラヴァンツ北九州のユニホーム姿でプレーする本山雅志選手=北九州市八幡西区の星琳高校総合グラウンド


「J1へチーム押し上げる」 ギラ入団の本山、池元選手意欲 [福岡県]

2015年12月31日 00時24分


子どもたちに華麗なボールさばきを披露する本山雅志選手

 来季からJ2ギラヴァンツ北九州でプレーするFWの本山雅志選手(36)=若松区出身=と池元友樹選手(30)=小倉北区出身=が30日、八幡西区であった子どもたちのサッカー大会に参加し試合を楽しんだ。
 入団発表後、2人が公の場に登場したのは初めて。今季限りでJ1鹿島を退団した元日本代表の本山選手は「地元でサッカーができる喜びを感じている。チームをJ1へ押し上げられるよう頑張っていきたい」と抱負を語った。一方、古巣へ復帰した池元選手は「移籍するなら北九州しかないと思っていた。ピッチで結果を出したい」と意気込んでいた。
=2015/12/31付 西日本新聞朝刊=



わけわけ三国志


新しいユニフォーム姿を披露した北九州の本山である。
背番号は43とのこと。
東福岡時代に着けた番号である。
原点に戻り、サッカーを楽しむという意気込みが伝わってくる。
またワクワクさせてくれるであろう。
本山の輝きが楽しみである。


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豊川、U-23日本代表選出

2015年12月31日 | Weblog
豊川選手 U-23日本代表メンバー選出のお知らせ
2015年12月30日(水)

本日、「AFC U-23選手権 カタール2016(オリンピック・アジア最終予選)」(2016年1月12日~30日@カタール)のU-23日本代表メンバー2名が追加発表されました。

鹿島アントラーズからは、豊川選手が選出されました。



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U-23日本代表に追加招集された豊川である。
これは重畳。
得意のFK、持ち前の明るさで日本を五輪に導くのだ。
楽しみである。


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