鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

清水・本田拓也、キャプテン就任

2015年01月26日 | Weblog
2015シーズン キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ
2015年1月26日

この度、2015シーズンのキャプテンに本田拓也選手、副キャプテンに長沢駿選手、大前元紀選手が就任することに決定しましたので、お知らせします。


[キャプテン]

本田 拓也 (Takuya HONDA) MF 7

【 出 身 地 】  
神奈川県相模原市
【 生年月日 】  
1985年4月17日
【 選 手 歴 】  
FCコラソン - 桐光学園高 - 法政大学 - 清水エスパルス - 鹿島アントラーズ - 清水エスパルス
【 通算成績 】  
J1リーグ(122試合/3得点)、リーグカップ(27試合/0得点)、天皇杯(20試合/0得点)
【本田選手コメント】
『良い意味で、“キャプテン”という言葉をあまり気にせずに、自分らしさを出していきたいと思います。昨シーズンの厳しい闘いを忘れることなく、結果にこだわり、今まで以上に“戦う集団”へと成長していけるようにチームをまとめていきたいです。今シーズン、よろしくお願いします。』


[副キャプテン]

長沢 駿 (Shun NAGASAWA) FW 9

【 出 身 地 】  
静岡県静岡市
【 生年月日 】  
1988年8月25日
【 選 手 歴 】  
清水FC(清水飯田東小) - 清水エスパルスJrユース - 清水エスパルス ユース - 清水エスパルス - ロアッソ熊本(期限付き移籍) - 京都サンガF.C.(期限付き移籍) - 松本山雅FC(期限付き移籍) - 清水エスパルス
【 通算成績 】  
J1リーグ(17試合/4得点)、J2リーグ(79試合/12得点)、リーグカップ(7試合/2得点)、天皇杯(10試合/1得点)
【長沢選手コメント】
『キャプテンのタクさんから指名されたことを光栄に思います。エスパルスというチームで育ち成長してきたので、このような役割を与えられて率直に嬉しいです。その分、責任も強く感じています。自分はプレーでチームを引っ張っていきたいと思っています。元紀と共に、タクさんのサポートやチームの力になれるように努めていきます。』


大前 元紀 (Genki OMAE) FW 10

【 出 身 地 】  
神奈川県横浜市
【 生年月日 】  
1989年12月10日
【 選 手 歴 】  
しらとりFC - 町田JFCジュニアユース - 流通経済大学付属柏高 - 清水エスパルス - フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ) - 清水エスパルス
【 通算成績 】  
J1リーグ(131試合/37得点)、リーグカップ(31試合/10得点)、天皇杯(18試合/7得点)
【大前選手コメント】
『歴史あるエスパルスで、副キャプテンに任命されて光栄です。自分のサッカー人生の中でもプラスになると思います。たとえ、副キャンプテンではなかったとしても、チームに対する想いや姿勢は何も変わりません。ただ、副キャプテンに任命していただいたので、今まで以上に責任感を持ち、チームが少しでも良い方向へ進むように、全力を出していきたいと思います。また、エスパルスでタクさんが正式にキャプテンをすることは初めてだと思うので、良いサポートができるように取り組んでいきたいです。』


■清水エスパルス歴代キャプテンおよび副キャプテン

[1992年] 三浦泰年
[1993年] 三浦泰年
[1994年] 三浦泰年
[1995年] 長谷川健太
[1996年] 長谷川健太
[1997年] 長谷川健太
[1998年] 長谷川健太
[1999年] 長谷川健太
[2000年] 澤登正朗                          
[2001年] 伊東輝悦
[2002年] 伊東輝悦 (副キャプテン=森岡隆三)
[2003年] 三都主アレサンドロ (副キャプテン=森岡隆三・市川大祐)
[2004年] 森岡隆三
[2005年] 森岡隆三
[2006年] 山西尊裕 (副キャプテン=高木和道)
[2007年] 山西尊裕 (副キャプテン=高木和道・兵働昭弘)
[2008年] 高木和道 (副キャプテン=西部洋平・兵働昭弘)
[2009年] 兵働昭弘 (副キャプテン=児玉新・岡崎慎司)
[2010年] 兵働昭弘 (副キャプテン=児玉新・岩下敬輔)
[2011年] 小野伸二 (副キャプテン=高原直泰・ボスナー)
[2012年] 小野伸二
[2013年] 杉山浩太
[2014年] 杉山浩太 (10月~副キャプテン=本田拓也)
[2015年] 本田拓也 (副キャプテン=長沢駿・大前元紀)




2015年シーズンのキャプテンに指名された清水の本田拓也である。
昨季終盤には副キャプテンに任命され、J1残留に尽力した。
今季は更なる上を目指して戦うこととなろう。
脅威のライバルである。
開幕戦、心してかからねばなるまい。
対戦が楽しみである。

柴崎岳、一ついい経験だったのかなと

2015年01月26日 | Weblog
柴崎岳がUAE戦後にもらした“本音”。
取材エリアを素通りしなかったわけ。

西川結城 = 文
text by Yuki Nishikawa
photograph by Takuya Sugiyama

 2015年1月23日。アジアカップ準々決勝、日本対UAE戦。

 思い返しても、シュートを外した後の苦い表情や、眉間に皺を寄せる選手たちの顔ばかりがよみがえる。

 だが、ただ一人颯爽とピッチに登場し、冷静にプレーし続けた選手がいた。

 柴崎岳。年齢に似合わぬ冷静沈着さはこれまでも語られてきたが、日本がピンチに陥った場面でさえも、彼はその自分らしさを貫いていた。

 昨年末から、関東で行なわれていた日本代表合宿。年が明けてオーストラリアに渡る直前に、柴崎はインフルエンザで一度チームを離脱した。それでも数日遅れで渡豪し、心配された体力面も回復。チームの練習にもすぐにフルメニューで参加できるようになり、万全の状態でアジアカップ開幕を迎えられた。

アギーレジャパンでの存在感は薄まりかけていた。

 しかしコンディションの上昇とは裏腹に、出場機会は満足には得られなかった。

 アギーレジャパン発足当初、柴崎は武藤嘉紀とともに新体制の看板選手のように扱われた。4-3-3のインサイドハーフの位置で、本田圭佑や岡崎慎司たちと連係を深め、9月のベネズエラ戦では代表初得点も奪ってみせた。

 しかし11月の代表戦で、ハビエル・アギーレ監督は遠藤保仁や長谷部誠、香川真司ら、ザックジャパンで活躍した面々をチームに呼び戻した。そして彼らをMF3枚の主力に固定し、そのままチームはアジアカップに突入した。

 大会が始まっても、MFの交代出場は代表復帰の清武弘嗣に先を越され、起用の序列も徐々に下降気味。存在感は、薄まりかけていた。

 代表に選ばれて以来、柴崎は常に遠藤との比較の視線にさらされてきた。

 いわゆるプレーメーカーとして、中盤中央からボールの配給役となる役割。キックの精度や高い基本技術、そしてサッカーセンス。それらを兼ね備えている選手にしか務まらないポジションを、柴崎は偉大な先輩と競うことになった。

遠藤についての質問に、負けず嫌いが顔を見せた瞬間。

 昨年11月、大阪での練習後のことだった。

 2日前に豊田スタジアムで行なわれたホンジュラス戦で、代表復帰した遠藤がハイパフォーマンスを披露した。柴崎も試合終盤に途中交代でピッチに登場したが、時間も短く大きなアピールには至らなかった。

 連日問われる、遠藤との比較。この時、柴崎は少しだけうんざりしていたのかもしれない。「遠藤選手は参考になる?」という質問に対して、次のように答えたのが印象的だった。

「参考になるというよりも、自分も試合に出た立場なので、もっと周りと連係を上げていかないといけない。ヤットさんは経験豊富な選手。もちろん若手の自分にとっては勉強になりますが。どのあたり? 細かいところは、僕はメディアには言わないので」

 日本屈指のMFの存在が、彼にいい刺激を与えていたのは間違いなかった。と同時に、クールに見えてその内面は、実は相当な負けず嫌いであるとも聞く。そんな性格が、垣間見えた瞬間だったかもしれない。

UAE戦でも、柴崎の動きは際立っていた。

 UAE戦。日本は連戦の影響もあり、前半から動きが重たい選手が何人もいた。

 遠藤もその一人だった。彼は引いて守る相手の守備ブロックの中でも、あえて敵の隙間に入ってパスを受け、さばこうとしていた。ただ動き自体は多くなく、過去3試合で見せていた裏への抜け出しなどのバリエーションに富んだプレーに比べれば、この日は低調と言わざるを得ない動きだった。

 54分、その遠藤に代わってピッチに入ったのが柴崎だ。

 硬直したチームにスムーズな流れを取り戻すために。柴崎は、眠った味方を叩き起こすように、自ら動き回ってはボールに触っていった。

 同じく途中出場していた武藤と高い位置からに果敢にチェイシングを仕掛けたかと思えば、今度はDFラインに近づいて味方からボールを引き出し、そして縦横にパス、とボールをスムーズに動かしていく。

 パスを出すだけではない。すぐに動き直してパスコースに顔を出し、多くの選手をフォローする。中央、左右とさまざまなエリアで味方の選手とのプレーに絡み、必死にUAEを突き崩そうとしていた。

 81分、その瞬間は訪れた。

 中央でボールを持った柴崎が、ゴール前にいた本田に球足の速い縦パスを入れる。本田はワントラップすると、走りこんでくる柴崎にすぐにリターン。鹿島と同じ背番号20を背負った日本の若きMFは、右足インフロントでコースを狙うダイレクトシュートを放った。

 ボールは鋭く曲がり、ゴールの左サイドネットに突き刺さる。喉から手が出るほど欲しかった同点弾。お膳立て、フィニッシュ、すべてが柴崎の仕事だった。

取材ゾーンを素通りすることが多い柴崎がこの日は……。

 試合後に取材ゾーンを素通りすることが多い選手だ。今大会中も、同じ鹿島の同僚である植田直通と柴崎は、練習後は誰よりも早くロッカールームから出てバスへと乗り込むシーンが何度か見られた。グループリーグでは出場時間も短く、呼び止める記者も少なかった。口数の少ない柴崎はただ前を向いて口を真一文字に結んでは、その場を通り過ぎる毎日。しかし、この日の柴崎はスッと取材陣の目の前に立ち止まった。

 PK戦とはいえ、日本は想定外の敗北を喫した。初めに出てきた言葉は自身の課題についてのものだった。

「結果に結びつかなかったのであれば、評価に値するプレーができていないということだと思う。数あるチャンスを決めきれなかったのは、個人として非常に残念。ゴール前の精度や質を上げていかないといけない。それが自分の課題です」

少しずつ、柴崎の本音が口をついてこぼれ始めた。

 とはいえ、柴崎がチームを活性化させたのは間違いなかった。その自身のプレーに関しては、試合結果とは切り離して彼らしく冷静に分析していた。

「ボールを触れるスペースと時間は十分にあった。なるべくタッチ数を増やして、動きながらリズムを作って、得点の場面も作ることができた。その他の場面でもいい形はできていた。

 得点の場面? イメージ通りですね。(本田)圭佑さんが自分が欲しいところに落としてくれたので、足を振るのに簡単なボールだったと思います。

 自分の役割は十分わかっていました。その役割を全うできたかといえば、結果には結びつかなかったので全うしたとは言えない。でも自分の持ち味だったり、監督が求めるプレーはある程度できたと思います」

 最初は淡々と語っていた。冷静な態度で話し続けてはいたが、少しずつ自分の本音が表れ始めたのは、ここからだった。

「初めてベンチという立場を経験して、重要性もわかった」

――ベンチの選手がなかなか先発で出られなかった。そういう選手たちを代表して戦う意志はあったか?

「……それぞれが普段チームの中心としてプレーしている選手が多くいますし、もちろんベンチに甘んじて気分がいい選手なんていない。僕も、今回は非常に難しい時間を過ごした。でも終わってみれば、一ついい経験だったのかなと。

 最後は本当に総力戦という状態だったので。初めてこういうベンチという立場を経験して、その重要性もわかった。僕も含めてみんな良い準備をしていたと思います。みんな一丸となって、準備していたと思います」

――やっぱり、思った以上に試合に出られないのは難しい時間だった?

「そうですね。そんなに経験のないことでしたので。非常に“楽ではない”時間でした。こうやって僕は出場機会を与えてもらって、しっかりプレーすることはできたので、ほかの選手よりもある程度は救われている部分はあると思いますが」

 毎日、平然とした表情で我々の目の前を通り過ぎていた柴崎。しかしその心の中には、我慢、忍耐、押し殺していた感情があった。

 大阪で垣間見せた負けん気は、ここぞの場面で力になった。見た目以上に、非常に人間くさい熱を内包した若者に感じた。

「日本代表は、今はある程度我慢する時期」

 最後に、驚かされた発言があった。

 これは、柴崎が自発的に連ねていった言葉である。今回の敗退を受けて、彼が試合直後にもかかわらず、日本サッカー全体に対していかに危機感を持って物事を考えていることがわかる発言だった。

「僕は代表としてはまだ何も成し遂げていないので、これからの展望を話すのは難しいです。ただこの20何年間、日本代表はものすごいスピードで成長してきたと思いますけど、今はある程度我慢する時期に差し掛かっているのかなと考えたりもします。なかなかW杯でも結果が出なかったり、今回の大会でもベスト8で負けてしまった。非常に難しい時期なのかなと思います。

 選手個人が、自分のチームで個人能力を伸ばすことはやはり大切です。短い期間の代表合宿で、選手同士がプレーを合わせていくのは難しい。僕としては、代表というのはチーム作りがなかなか難しいものなんだなと感じています。その難しさもしっかりと経験にしながら、個人としては世界と戦うスタイル、力をつけていきたい。この大会を通じて、さらにそう思っています。

 全員が全員、同じ思いでいるかはわからない。個人としてもっと選手の力を伸ばして、その上で日本の良いところ、組織力だったりチーム全員がチームの為にという姿勢を打ち出してやっていかなくてはいけないと思っています」

鹿島と代表、対照的な2つのチームで。

 柴崎が所属する鹿島というクラブほど、選手の一体感やファミリー感がサッカーの力になるということを実感するチームはそうそうない。先輩から後輩へ継承されるメンタリティ、個人がぶつ切りになることなく、チームプレーを連ねていく姿勢と精神。濃密な時間を共有し、そこから生みだされるチームワークを押し出して戦う。それが、鹿島が鹿島たる所以なのかもしれない。

 そんな環境で成長してきた柴崎が代表と鹿島を比較した時、代表でのプレーすべてにおいて難しさを強く感じるのも理解できる。

 代表チームとは、妥協が必要な集団だ。共に過ごす時間が限定されているということは、必ず突き詰められない部分が出てくる。戦術面、連係面などを細部まで共有できていない状態で、それでも勝たなくてはならないタフさが不可欠となる。

 柴崎はこの歳にして、それに気づいた。

 では、いかにして妥協を少なくしていけるのか。おそらくその最善の方法は、彼が代表のレギュラーとして、中盤でチームの舵取り役として独り立ちした時なのではないだろうか。

 自分が常にプレーの中心にいられるようになれば、自らの理想を周囲にぶつけられる。影響を与えられる。柴崎がその思考力に絶対の自信を持っているのであれば、やはり代表で確固たる地位を目指すべきなのである。

 UAE戦は、負け試合である。しかしその中で、一人の選手がブレイクスルーを成し遂げた。柴崎岳。静かな眼差しと口調の裏側に、“何かを変えたい”という強い意志を感じたのは、気のせいではないはずだ。




日本代表での柴崎岳の歩みとUAE戦の敗退、そして鹿島との比較を述べるNumberの西川氏である。
鹿島の外から、岳がどのように見られているのかが伝わってくる。
我らにとっては、岳は鹿島の20番。
それ以外の何ものでもない。
日本代表に招集され、ベンチに座り続けるような選手でないことなど承知の上なのである。
この先、日本代表に於いても高いパフォーマンスを魅せてくれるであろう。
しかしながら、それは鹿島でのプレイの延長でしかない。
多くの日本代表ファンが、鹿島の岳に注目して欲しいと願う。

アントラーズのファミリーがもっと働けるような環境をつくっていきたい

2015年01月26日 | Weblog
柳沢、中田が引退後に古巣を選んだ意義とは。
~選手第一の鹿島が育む帰属意識~

二宮寿朗 = 文
text by Toshio Ninomiya
photograph by AFLO


 '14年シーズン限りで現役を引退したベガルタ仙台の柳沢敦が古巣・鹿島アントラーズに戻って、トップチームのコーチに就任した。同じくスパイクを脱いだ中田浩二もクラブスタッフとして残るという。

 アントラーズの黄金期を支えた2人の元日本代表が、育ったクラブでセカンドキャリアをスタートさせることにどのような意義があるのだろうか。

 鹿島は「選手第一」をどこよりも実践してきたクラブだ。戦力外通告を極力出さず、たとえ戦力外となっても移籍先をクラブ主導で探してきた。また結果が出なくとも入団から3年はチャンスを与えるなどの基本スタンスを崩さないでいる。

 クラブ側が選手を大切に扱うことによって、逆に選手たちのチームに対する「帰属意識」を導いてきた。一体感と結びつくことで獲得してきたタイトル数は、茨城の地方都市でありながらJリーグでトップ。それにまた柴崎岳、山村和也、植田直通ら有望な若手が毎年のように入団してくるのも、「選手を大切にする」クラブイメージと無関係ではないと思われる。海外のクラブに移籍した内田篤人や大迫勇也らは今なお鹿島に深い愛着があり、オフで帰国すれば挨拶に出向いていることもよく知られている。

「いずれはノンフットボールビジネスでも雇用を……」

 クラブ側と選手の良好な関係。それが柳沢と中田の決断によってさらに強固なものになっていく。彼らほどのネームバリューがあれば、セカンドキャリアにはいくつかの選択肢があったに違いない。それでも鹿島で仕事をすることを選んだ。条件面、環境面を含めてオファーに魅力があったからに他ならず、セカンドキャリアを考える鹿島の選手たちの「帰属意識」をより高めていくことにもつながってくる。

 鹿島の鈴木秀樹取締役事業部長は以前、クラブの将来像についてこう語っていた。

「鹿島でイベントがあれば今でもビスマルクやアルシンドたちが喜んで来てくれる。いずれはカシマスタジアムのノンフットボールビジネスなどで雇用を増やして、引退した選手やスタッフなど、アントラーズのファミリーがもっと働けるような環境をつくっていきたい」

 引退後もここで働きたいと思えるクラブ。鹿島ではセカンドキャリアの環境づくりが、着々と進んでいる。




中田浩二と柳沢敦が引退後のセカンドキャリアにて再び鹿島を選択したことについて綴るNumberの二宮氏である。
鹿島はJリーグに於いて特別なクラブと言って良かろう。
選手を非常に大事にし、ファミリーとしての気質がある。
鹿島に所属することには高い意義があり、それを誇りに思って良い。
また、将来的には鹿島アントラーズとして、大きなビジネスを創り出し、大きな雇用を生んでいきたい、と鈴木秀樹取締役事業部長が語る。
素晴らしい考えである。
このクラブを応援できる幸せを噛みしめたい。

宮崎キャンプトレーニング3日目

2015年01月26日 | Weblog
宮崎キャンプトレーニング3日目
2015年01月25日(日)

トレーニング3日目を迎えた宮崎キャンプは、引き続き穏やかな快晴に恵まれました。午前練習は昨日までと同様、2グループにわかれてのトレーニング。第1グループの選手たちは9時からランニングを開始し、ラダーを使ったウォーミングアップ後にパス練習を行いました。なお、新加入の久保田選手がこの練習からチームに合流しています。

パス練習では、セレーゾ監督がジェスチャーを交えて、「前を向け!正確につなげ!」と激しく指示を出し、動き出しやスペースの使い方などを指導していました。またサイド攻撃の練習を行い、伊東選手の正確なクロスを高崎選手がヘディングで合わせてゴールネットを揺らしていました。

その後、第2グループの選手たちもグラウンドに到着してランニングを開始しました。ウォーミングアップを終えると、第1グループと合流。ミーティングが行われ、選手たちにビブスが配られました。今季始動後初の紅白戦です。


今年も背番号10は健在です。キレのある動きと高いテクニックを見せた本山選手。


豊富な運動量で攻守に躍動した杉本選手。1得点を決めました。

途中でメンバーを入れ替えて行われた紅白戦には、ルーキーの3選手やユースの4選手も出場。ボランチのポジションに入った大橋選手や久保田選手は、まわりの選手やセレーゾ監督から指示を受けながら、必死にボールへ食らいついていました。ユースの町田選手は、高崎選手との迫力満点の空中戦を演じていました。


久保田選手と土居選手のマッチアップ。


遠藤選手がボールキープ。得意の左足で、今年も得点を量産してくれることでしょう。

紅白戦が終了すると、DFとGKの選手たちがゴール前に集められ、クロスとヘディングシュートの練習を実施しました。他のポジションの選手はランニングでクールダウンを行い、午前練習を終えました。

午後練習では、初日に続いて2回目となる砂浜トレーニングが実施されました。選手たちは前回同様、徒歩で雑木林を抜け、海岸に到着。待ち受けていたのはサーキットトレーニングでした。なお、GK陣はグラウンドで別メニューの練習を行いました。合流したばかりの久保田選手もグラウンドに残り、持久走に臨みました。


鈴木隆雅選手「1年半ぶりにアントラーズに戻ってきたので、1日も早く、自分の成長した姿をカシマスタジアムでサポーターの皆さんに見せられたらいいなと思う」


高崎選手「このキャンプで、シーズンを戦い抜ける身体をしっかりと作って試合に臨んで勝ちたい」




宮崎キャンプ・トレーニング三日目の風景である。
杉本太郎が好調の様子。
豊富な運動量を魅せ、紅白戦でも得点を決めたとのこと。
ヤスとのポジション争いに名乗りを挙げたと言えよう。
また、久保田和音もルーキーとは思えぬ存在感を発揮しておる模様。
物怖じせず、太郎のゴールをお膳立てした。
層の薄いボランチに割って入ってくる予感である。
成長した姿を見せたいと語るのは隆雅である。
左足でチャンスを作るのだ。
そして、新加入の高崎には期待が高まる。
高さと強さで起点となるのだ。
楽しみにしておる。