【Jリーグ】鹿島、被災後初の公式戦はドロー。次戦白星を誓う小笠原
東日本大震災の後、Jリーグは1ヵ月半の中断に入っているが、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)は行われている。6日には鹿島アントラーズも被災後初の公式戦となる水原三星戦に挑んだ。
3月11日の巨大地震の影響でクラブハウスの一部が損壊し、練習グランドも陥没箇所が見つかるなど、チームは甚大な被害を受けた。断水や停電が続き、選手たちも不自由な生活を余儀なくされた。加えて福島第一原発の事故で放射能が漏れ、距離的に近い彼らはナーバスにならざるを得なかった。
そこでクラブは15日に活動休止を発表。オリヴェイラ監督らブラジル人スタッフは急遽、帰国した。選手たちもそれぞれ実家に戻るなどして調整を行っていたが、小笠原満男のように被災地を回った選手はまともに練習できていなかった。彼らは28日から再始動したものの、4月6日の韓国でのアウェーゲームというのは、心身ともに厳しかったに違いない。
それでも小笠原は「自分たちが勝つことで被災した人々に勇気と希望を与えたい」と闘志を燃やしていた。先月29日の日本代表対Jリーグ選抜のチャリティマッチの時も、自ら足を運んだ岩手県・大船渡市、陸前高田市の現状を選手たちやメディアに伝え、長期的な支援の必要性を強調していた。この試合翌日も休むまもなく茨城県内の避難所を訪ねて人々を激励したり、物資を送るプロジェクトを立ち上げたりと、彼は被災地復興のためにフル稼働している。そんな小笠原の姿に刺激されない者はいなかったに違いない。水原三星戦の鹿島は1週間以上の活動休止のブランクを感じさせないほど、アグレッシブに戦っていた。
前半の終盤は大迫勇也、興梠慎三の2トップに始まり、野沢拓也、アレックスらが立て続けに決定機を迎えるなど、鹿島が優位に試合を運んでいた。が、どうしても1点が取れない。オリヴェイラ監督も地震発生前のフジゼロックススーパーカップやJ開幕戦・大宮アルディージャ戦の時に「勝負を決めるゴールが取れない」と嘆いていたが、この問題はまだまだ根深いようだ。
マルキーニョスの代役として期待されるカルロンは中断前から新たなチーム戦術にフィットできずにいたが、ブラジルに一時帰国したことで本領発揮がさらに遠のいた。昨季、モンテディオ山形でリーグ戦10ゴールを挙げ、自信をつけて戻ってきたはずの田代有三も指揮官の中では今のところ「切り札」の位置づけにとどまっている。潜在能力の高いFWを揃えながら、ほしいところで点が取れないという苦しい現実に今、彼らは直面している。
こういう展開を強いられると、相手にスキを突かれるのがサッカーの常。0-0迎えた後半、水原三星のロングスローから廉基勲(ヨム・ギフン)に先制点を与えてしまい、劣勢に陥った。この場面も守護神・曽ケ端準の飛び出しのタイミングが少しズレ、試合勘の不足が垣間見えた。それでもすぐさま追いつくのが鹿島らしいところ。左CKから岩政大樹のヘッドに飛び込んだ中田浩二が押し込んで1-1に。何とか苦境から脱することができた。
その後、本山雅志が出てきて前線でリズムが生まれたものの、やはり決定力不足は深刻だった。1点が取れなければ、勝ち点3は奪えない。アウェーでリードされた試合を何とか追いついたという意味では悪くないが、ACL1次ラウンド2試合を終えて2引き分けの勝ち点2では、オリヴェイラ監督にしても、小笠原にしても納得いかないだろう。
「こういう状況なのでみなさんに勝利をプレゼントしたかった。次のシドニーFC戦は絶対に勝たないといけない」と小笠原は悔しさをむき出しにしていた。確かに現時点では水原三星、上海申花より1試合少ないのに2位で、悪くない位置につけている。しかし来週のシドニー戦で負けると一気に苦境に立たされる。そういう危機感があるから、彼も悔しさをにじませたに違いない。
1次リーグを突破し、アジア制覇に近づくためにも、決定力アップを図る以外に術はない。大迫、興梠の若い2人にはより自覚が求められるし、野沢、フェリペ・ガブリエルの両2列目もよりゴールを意識した仕事を増やすべきだ。一度決めたらオリヴェイラ監督は選手をなかなか入れ替えないが、田代の先発起用など新たな道を模索してもいい。
鹿島がアジアの舞台で活躍することは、「日本サッカー界は大丈夫」といういいアピールにつながる。原発問題の余波でアジア全域で日本離れが加速化している今だからこそ、サッカーを通じて日本の健在を示してほしいものだ。
元川 悦子 04月07日21:10
決定力不足を嘆く悦っちゃんのコラムである。
まさに、この問題は深刻と言えよう。
得点を上げられず、つまらぬ失点をしているようでは、勝負の神様に見放されてもおかしくはない。
とはいえ、ここで今季負けずにおることは、鹿島の勝負強さの表れでは無かろうか。
ここは、辛抱強く見守り、好転するのを待ちたい。
結果はついてきておらぬが、悪いわけではないのである。
耐える時を過ごそうではないか。