伊野波、右SBで先発濃厚!カタールに雪辱だ
アジア杯準々決勝 日本―カタール (1月21日 カタール・ドーハ)
岡崎(右)と並んでクールダウンする伊野波
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内田の出場停止を受け、伊野波がカタール戦は右サイドバックで先発することが濃厚となった。
サウジアラビア戦では後半開始から途中出場して前田のゴールをアシストするなど見せ場を作った。カタールとは07年10月17日の北京五輪アジア最終予選で対戦。自らのハンドでPKを与えて1―2で敗れた苦い思い出があり「リベンジを兼ねて、しっかり勝ちたい」と力を込めた。
[ 2011年1月19日 06:00 ]
伊野波、代表初スタメン濃厚!カタール戦で悲劇払拭だ!!
1次リーグ1位突破を決め、リラックスした表情でランニングする(左から)遠藤、前田、伊野波、香川、柏木、岡崎、今野ら日本代表イレブン
◆アジア杯 ▽準々決勝 日本―カタール(21日、ドーハ) 日本代表は18日、準々決勝のカタール戦に備え、アルアハリスタジアムで約1時間30分の公開練習を行った。同戦はDF内田篤人(22)=シャルケ04=が累積警告で出場停止。代わりに右サイドバック(SB)として代表初先発が濃厚なDF伊野波雅彦(25)=鹿島=はリベンジ宣言。北京五輪アジア最終予選カタール戦(07年10月17日・ドーハ)で決勝PKを与えるなど、決して忘れられない記憶が残るカタールの地で、悪夢を払拭する活躍を誓った。
1人、顔つきが違っていた。サウジアラビア戦から一夜明けたアルアハリスタジアム。試合に出場した主力組は時折笑みを浮かべながら、ジョギングを繰り返した。その中に交じって、DF伊野波だけが口を真一文字に結んで走り続ける。「自分の全てを出し切るつもりでやる。すべては次の試合。次こそ結果を出さないといけない」。緊張感が漂った。
ここに来ると思い出す。07年10月の北京五輪アジア最終予選カタール戦(ドーハ)。1―1で迎えた後半ロスタイム、ハンドで決勝PKを与え、チームは敗れた。その後、最終的には北京五輪代表からも落選。そのきっかけがドーハでのカタール戦だった。今回、同じ地で、同じ相手と相対する。そしてDF内田の出場停止で、先発機会が巡ってくる偶然も重なった。
「少なからず、因縁を感じている。運命みたいな。あの時のことは今でも鮮明に覚えているし、今回はそのリベンジをしたい」。A代表デビューとなったサウジアラビア戦(17日)では、右SBで後半開始から出場し、FW前田の得点をアシストするなど予行演習も積んだ。「もう大丈夫だよ。うん、大丈夫」。自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
リラックスした表情を見せる伊野波
鹿島ではセンターバック(CB)を務める。常勝軍団にあって、スピード、持久力の身体能力はダントツ。だが、F東京時代はそれがあだとなって、ボランチ、SB、CBをたらい回しにされた。「器用貧乏」と言われた。本人が「嫌だ」と長年悩んだ問題だったが、今その経験が生きてくる。
右SBに入るのは「あるけど、忘れた」というほど久しぶり。ただ、カタール入り後、ザッケローニ監督からSBに入るように命じられており、「準備はできた。(主力SBの内田)篤人や、(長友)佑都を研究してきた」と自信をみなぎらせた。カタールには当時のメンバーが6人いる。伊野波がカタールでの魔の歴史を払拭したとき、日本の勝利も見えてくる。
◆伊野波 雅彦(いのは・まさひこ)1985年8月28日、宮崎県生まれ。25歳。阪南大在学中の05年に世界ユース選手権代表に選出。06年に同大学を休学して、F東京入団。08年に鹿島へ移籍。高い身体能力を持つ守備の万能選手。06年8月にフル代表初選出され、17日のサウジアラビア戦で初キャップ。Jリーグ通算127試合2得点。179センチ、73キロ。血液型B。
(2011年1月19日06時02分 スポーツ報知)
日本代表に於いて、出場停止の篤人の代役はイノパンに白羽の矢が立ったとのこと。
スポニチと報知、両紙ともU-22代表時代の北京五輪予選のイノパンの苦い想い出と絡めて報じておる。
確かにあの試合で、北京五輪出場が危うくなったことは事実であろう。
しかしながら、結果的に出場を果たし、イノパンは予選時に主将を任されながらも、北京五輪本戦には招集されなんだ。
こちらの方が、悔しかったと思われる。
イノパンは、今回の先発出場で実績を残し、代表定着を狙って欲しい。
それだけの実力は十分に持っておる。
決して「器用貧乏」などではなく、才能溢れるだけである。
イノパンの活躍に期待したい。