鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

大岩、コーチ就任

2011年01月12日 | Weblog
大岩剛コーチ就任のお知らせ 2011/01/12
2010シーズン限りで現役を引退した大岩剛氏が、2011シーズンよりトップチームのコーチに就任することになりましたのでお知らせいたします。

<プロフィール>

■名 前:大岩 剛(おおいわ・ごう)
■生まれ:1972年6月23日、静岡県出身
■サイズ:180センチ、75キロ
■現役時代のポジション:DF
■選手経歴:カッコ内は加入年
三保第二小学校-清水第五中学校-清水市立商業高校-筑波大学-名古屋グランパスエイト(1995)-ジュビロ磐田(2000)-鹿島アントラーズ(2003)
■日本代表歴:
国際Aマッチ 3試合0得点

<コメント>

アントラーズで仕事ができることを喜ぶとともに、このチームのコーチになることに大きな責任を感じています。今までの経験を生かし、全力でサポートしていきたいと思います。天皇杯が終わってから、サポーターの皆さんに直接感謝の言葉を伝える機会がなかったので、この場を借りて改めて現役時代のサポートに感謝したいと思います。天皇杯優勝という形で現役を終えられたのは、皆様の後押しがあってこそだと思っています。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

予てから報じられておったように大岩がトップチームのコーチに就任するとのこと。
所属チームでそれぞれ栄冠を得ており、勝者のメンタリティは十分に持っておろう。
特にJリーグ新人時に名古屋で天皇杯を獲得し、引退最後の試合は鹿島の天皇杯優勝で幕を閉じたのは何かの縁やも知れぬ。
この縁、メンタリティを含めて、これからの選手たちに伝授していくことが大岩に課せられた新たなタスクである。
剛の者・大岩のコーチ就任により、鹿島は新たなサイクルに入る。
未来を大岩と共に掴み取っていきたい。
楽しみである。

鳥栖・首藤、現役引退、GKコーチ就任

2011年01月12日 | Weblog
首藤慎一選手 現役引退及び育成部GKコーチ就任のお知らせ
2011年01月12日

この度、幣クラブに所属しておりました首藤慎一選手が現役を引退し、サガン鳥栖育成部のGKコーチに就任することになりましたので、お知らせいたします。


◇ 首藤慎一(しゅとう・しんいち) 選手

【ポジション】 GK
【生年月日】 1983年6月8日(27歳)
【身長/体重】 190cm/85kg
【出身地】 大分県
【経歴】
 カティオーラFC → 鹿島アントラーズユース → 鹿島アントラーズ → JAPANサッカーカレッジ
 → 鹿島アントラーズ → 水戸ホーリーホック → サガン鳥栖(2010年加入)

【出場記録】(※2010シーズン終了時点)


【首藤慎一選手コメント】

この度、9年間の現役生活に終止符を打ち、サッカーの指導者としての道を歩む決意をしました。
サガン鳥栖での現役生活は1年間でしたが、いつも応援してくださったサポーターの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。そして、9年の間で所属した各クラブのサポーターの皆さんもご声援本当にありがとうございました。
これから指導者としての新たなチャレンジがスタートするわけですが、将来サッカー選手を目指す選手たちと一緒にたくさんのことを学びながら、指導者として成長していきたいと思っています。
2011年はサガン鳥栖育成部にも温かいご声援よろしくお願いします!


鳥栖の首藤が現役を引退しGKコーチに就任するとのこと。
首藤はユースから昇格し、次世代のGKとなるべく練習に励んでおった。
しかしながら、曽ケ端の壁は厚く、とうとうレギュラーを獲れずに水戸へと移籍したのである。
首藤の想い出と申せば、2002年のイタリア代表との親善マッチであろう。
敗れてしまったとはいえ、日本代表を欠くメンバーで、2失点に抑え、同点に追いつくかという攻防を魅せたのは、首藤のセービングがあってこそ。
この経験を鳥栖の選手に伝道するのが首藤の役目と言えよう。
指導者として新たな道を歩む首藤にエールを送りたい。

西の背番号は22

2011年01月12日 | Weblog
【道スポ】西 鹿島でDF挑戦!! 8月代表戦で凱旋帰札だ(01/12 10:01)

鹿島に完全移籍する西が事務所を訪れあいさつ

 鹿島への完全移籍が決まったMF西大伍(23)が11日、札幌市内のHFC事務所を訪れた。昨シーズンは期限付き移籍していた新潟の右SBに定着し、日本代表候補にも選ばれた札幌の生え抜き選手が、新天地での飛躍を誓った。

 今季はこれまでのMFからDFに登録を変更する。「いろいろ可能性は残しつつ、(DFで)頑張っていきたい」とJでは最も人材不足とされるSBへのやりがいを口にした。合流は2月上旬を予定。それまでは、暖かい土地での自主トレを検討中だ。

 8月には札幌ドームで日本代表戦も予定されており、“凱旋帰札”にも期待がかかる。「そうなればうれしいですけど、まずは鹿島で試合に出られるようにしないと」(信岡久美子)

元札幌・西が初の代表入り誓った…鹿島

札幌ドーム前で、初の代表入りの“大志”を抱いた元札幌DF西

 今季、コンサドーレ札幌からJ1鹿島に完全移籍したDF西大伍(23)が11日、8月10日に札幌で行われるキリンチャレンジ杯(札幌D)での初の日本代表入りを誓った。

 新天地に旅立つ前に、大志を抱いた。この日、古巣のクラブ事務所にあいさつに訪れた西は、「(日本代表)候補じゃなく、代表に選ばれたい。ここに戻ってきたい思いは強い」と会場となる札幌ドームを力強く指さした。ジャパンブルーのユニホームを着て、故郷に凱旋する固い決意だった。

 昨季は期限付き移籍した新潟で、右サイドバックに定着し、評価を高めた。その活躍が認められ、昨年12月にはザックジャパンのアジア杯予備登録選手に名を連ねた。初のメンバー入りこそ逃したが、年末の直前合宿に緊急参加。手の届くところに「日本代表」の文字があることを再認識した。

 9日には、札幌U―18時代からの同期・MF藤田(新潟)の結婚披露宴に出席。旧交を温めた。12日から道外で自主トレを再開。2月上旬、鹿島に合流する予定だ。

 天皇杯王者の鹿島では、DFとして初登録され、シャルケ04(ドイツ)に移籍した日本代表DF内田の後釜として期待される。背番号も愛着ある22番を託されることが有力で「鹿島でも試合に出ないと、何も始まらない。右サイドバックだけじゃなく、(ポジションの)いろいろな選択肢を残したい」と、さらなる進化も狙う。西が代表候補の肩書を本物に変えてみせる。

(2011年1月12日11時23分 スポーツ報知)

鹿島に移籍してくる西大伍が育ててくれた札幌に別れの挨拶をしたとのこと。
これからは、鹿島の矢として羽ばたいて欲しい。
とはいえ、ポジションは右SBだけとは限らず、様々な選択肢で挑む様子。
我等としても、それは嬉しい要望である。
守備固めで當間を起用し、西のポジションを上げるなど、面白采配も考えられる。
そして、西の背番号は22番が濃厚とのこと。
鹿島の22番と言えば、西大伍であると多くの民に言わせ締めたい。
期待しておる。

サントス、新潟コーチ就任へ

2011年01月12日 | Weblog
J1新潟コーチにサントス氏
 サッカーJ1・アルビレックス新潟のコーチに、鹿島などでプレーした経験があるサントス氏(50)が就任することが11日、分かった。

 サントス氏はブラジル出身。1992年の鹿島を皮切りに清水、神戸などに所属。鹿島では、現役時代の黒崎監督ともプレーした。サントス氏の就任で監督、コーチ陣は6人体制となる。

新潟日報2011年1月12日

鹿島黎明期の貢献者であるサントスが新潟のコーチに就任とのこと。
これは恐ろしい敵と成るであろう。
ブラジル人としては異常に真面目でプロの手本として、鹿島によい影響を与えたサントスを得た新潟は、更なる驚異となろう。
昨季一度も勝利することなく終えた新潟に対して、今年は勝利を掴み取りたい。
その夢を打ち砕くがごとき、補強をする黒崎・新潟。
とはいえ、我等も黙って挑むつもりはない。
あらゆる手を尽くして、新潟を攻略するのだ。
タイトル奪還のため、足踏みしておる場合ではない。
気持ちで黒崎・サントス連合を倒そうではないか。

鹿島・増田誓志、始動

2011年01月12日 | Weblog
山形残留貢献の増田、古巣鹿島で始動
 期限付き移籍していた山形から復帰するMF増田誓志(25)が、鹿島の練習場で始動した。約1時間、ランニングなどを行い、慣れ親しんだグラウンドで汗を流した。山形では26試合出場1得点。中盤でチームの司令塔としてJ1残留に貢献した。山形残留の選択肢もある中、さらなるスキルアップを目指して古巣でのプレーを選んだ。「まずは試合に出ること。アシストや得点など結果を出したい」と決意を述べた。
 [2011年1月12日8時1分 紙面から]

一年ぶりに鹿島へ帰参した誓志である。
今年は勝負の年である。
同い年のガブさんからポジションを奪えるかどうかが鍵である。
本山のようにチームのリズムを変え、より攻撃に貢献できれば、出場機会は自ずから出てくる。
それだけの実力は十分に持っておる。
誓志の活躍で今年は勝利を掴み取りたい。
楽しみな漢が還ってきた。

岩政、敏腕代理人と契約

2011年01月12日 | Weblog
岩政、海外移籍見据えロベルト佃氏と契約
 鹿島の日本代表DF岩政大樹(28)が、FIFA(国際サッカー連盟)公認代理人のロベルト佃氏と契約を結んだことが11日までに分かった。同氏は日本代表MF長谷部誠(ウォルフスブルク)DF長友佑都(チェゼーナ)らと契約する敏腕代理人。岩政は「サッカー選手はトップフォームでプレーする時間が限られる。その中でよりよい選択をしていきたい」と話しており、将来的な海外クラブ移籍を見据えた代理人契約とみられる。

 岩政は昨年のW杯南アフリカ大会メンバー。昨年12月25日の天皇杯準々決勝名古屋戦で右足足底筋腱(けん)を損傷したが、7日に開幕したアジア杯(カタール)メンバーとしても帯同している。28歳だが、3年後のW杯ブラジル大会も十分戦える年齢。向上心も旺盛で、選手の海外クラブ移籍に実績のあるロベルト佃氏との代理人契約を決断したようだ。

 [2011年1月12日7時55分 紙面から]

岩政が代理人と契約とのこと。
これは意外に大きなニュースである。
海外移籍を視野に入れており、Jリーガーを何人も海外へ送り込んでおる敏腕代理人と組んだことで、海外移籍はかなり現実的なのでは無かろうか。
岩政とは複数年契約を結んでおるものの、違約金はさほど高く設定されておるわけではない。
それは、篤人やイ・ジョンスの金額を考慮すれば一目瞭然である。
しかしながら、サッカー選手たるもの、より高いレベルでプレイしたいと気持ちが有るのは当然と言えよう。
もし、良いクラブに移籍する機会があるのであれば、応援したいと思う。
ただし、移籍の時期、金額、プレイするリーグ、相手のクラブについては、熟考する必要が有る。
とはいえ、今は単に代理人と契約を結んだだけである。
将来のことを語っても鬼が笑うだけ。
今現在は、鹿島の選手としての岩政に期待したい。
頼もしいCBとして、今年も相手の攻撃を弾き返して欲しい。

鹿島のプロ意識

2011年01月12日 | Weblog
【from editor】プロ意識が日本を救う
2011.1.12 07:47

 新年早々、強烈なプロ魂を見た思いがした。元日に行われたサッカーの天皇杯全日本選手権決勝。鹿島アントラーズが3大会ぶり4度目の優勝を果たした。今季はJリーグで4位に沈み、史上初の4連覇を逃した精神的な痛手は大きかったはずだ。だが、そのままシーズンを終わらせず、タイトルをたぐりよせる勝負強さに、鹿島の徹底したプロ意識を感じた。

 プロという言葉で思いだすのが、旭化成の中興の祖で気骨の経営者として知られた故宮崎輝氏だ。「ダボハゼ経営」の異名をとる果敢な多角化で旭化成を合成繊維メーカーから総合化学企業に生まれ変わらせた。歯にきぬ着せぬ発言は経済界の論客としても知られていた。

 駆け出しの経済記者だった20年前、当時会長だった宮崎氏に先輩記者と一緒にインタビューをしたことがある。

 「健全な赤字ならどんどん出していい」

 経済界の大物の取材に初めは緊張したが、独自の経営哲学を交えた話に引き込まれたことを記憶している。情けない話だが、もっとも記憶しているのが、理解できない話が多かったことだ。

 取材を終え、席を立つときにかけてもらった言葉も忘れることができない。

 「早くプロになりなさいよ」

 耳たぶが赤くなるのがわかった。取材中、いっぱしの記者のつもりで先輩記者の横で相づちを打っていたのだが、知ったかぶりをする未熟な記者だと見透かされていた。

 誰よりもプロでなければならないのにプロ意識が欠如している人もいる。菅直人首相が就任から半年後の昨年12月に「今までは仮免許だった」と発言したのには、正直驚いた。政権運営の頂にいる一国の首相の発言としてはあまりに軽すぎる。

 「これからしっかり菅カラーを打ち出していこうという気持ちだ」と釈明したが、これまでの思いつきのような政策を見るにつけ、本心からの発言と疑いたくなる。尖閣沖の漁船衝突事件が起きたのも、ロシア大統領の国後島訪問もこうしたプロ意識の希薄さを見透かされたのかもしれない。

 内閣改造が17日にも行われるが、菅首相はもとより新たに選ばれる閣僚には、国益を守るプロ意識を徹底することをお願いしたい。プロ意識がなければ勝てる試合にも勝てない。
(フジサンケイビジネスアイ副編集長 小熊敦郎)

天皇杯優勝にプロ意識を見いだしたと語る小熊氏である。
ビジネス紙の副編集長からお墨付きをもらえるとは光栄と言えよう。
鹿島はチームの強さもさることながら、クラブとしての一貫した精神に基づいて運営されておる。
従って、ブレがない。
ブレがないからチームも強化されるのである。
確かに見込み違いが起こることもあろう。
しかしながら、そこからの修正力はクラブの力と言って良い。
その力が合ってこその4年連続タイトルである。
前人未踏の5年連続タイトルと悲願のアジア制覇に向けて、今年も一つ一つ勝利を積み重ねていきたい。

日本代表・イノパン、3バックを担う

2011年01月12日 | Weblog
ザック、伊野波に3バック指導/アジア杯
2011.1.12 05:00

 サッカー・アジア杯日本代表合宿(11日、カタール・ドーハ)練習後、ザッケローニ監督はDF伊野波を呼び寄せて約10分間、“青空教室”を開講した。3バックの際の動き方などを指導したもようで、伊野波は「やるかは分からないけど」と説明。この日は足を痛めているDF内田が練習を途中で切り上げた。右サイドバック不在の中、緊急の3バックが採用される可能性が出てきた。


久しぶりに日本代表で名前を聞いたイノパンである。
3バックを採用する際には起用される見込み。
とはいえ、ここで急造のDFラインを構築するとも思えず、イノパンの出場機会はかなり少ないと思われる。
しかしながら、アジアの戦いに身を置くことは良い経験となろう。
何かを得て帰ってきて欲しい。
今年はリーダーシップの発揮もイノパンに期待しておるのである。