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終了する連載、始まる連載

ポラロイド様から、「転機晴朗」が最終回になったことを惜しむコメントを頂きました。「転機晴朗」は人材紹介と派遣の大手であるインテリジェンス社のサイトに連載していた転職に関するコラムで、月二回掲載で、85回をもって最終回となりました。この連載の前半からは、「転職哲学」(かんき出版)という単行本も生まれましたし、転職やキャリアプランについて、割合自由に書けたコラムだったので、筆者としても愛着を持っていましたが、この度、インテリジェンス社がサイトをリニューアルされるとのことで、連載を終了することになりました(今後もまた何かが始まるかも知れませんが、現在、未定です)。

このコラムは85回分のバックナンバーが全てサイトに載っていますので、転職にご興味のある方は、是非お読みになってみて下さい。一本あたり2400字くらいなので、単行本2冊分くらいのテキストが載っています。もちろん無料です。
http://tenshoku.inte.co.jp/knowhow/yamazaki/

そういえば、この連載の後半は単行本化していませんし、「週刊ダイヤモンド」で連載しているコラム(現在は「マネー経済の歩き方」)は、かれこれ300回くらいになりますが、後の方の200回分くらいを、これまた単行本にしていません。もちろん、そのまま並べ替えて本にする積もりはありませんが、山崎元商店としては、書いた文章の使い方について、少し効率が悪いと感じます(反省材料!)。

始まる連載は、「オーマイニュース」の日本版で、「山崎元の経済用語の新常識」という連載です。800字から1000字程度で経済用語を解説する小コラムですが、毎週金曜日に掲載予定で、初回は今週の金曜日です。

「オーマイニュース」は、韓国で成功したネット新聞で、市民記者を使うことで有名ですが、日本ではどうでしょうか。市民記者の記事を読んで、裏を取り、採否を判断する、あるいはプロとして取材して記事を書く、といった、プロとしてのジャーナリストの仕事をする人たちに有能で熱心な人をどれくらい集めることが出来るかが、新聞の質と信頼性の確保のために重要だと思うのですが、今後に期待したいと思います。

私は、この種の「新しいメディア」には、何となく惹かれるものがあるので、現在、GyaOの「News GyaO」にも週三回出ていますし、オーマイニュースにも参加(ちょっとだけですが)してみたい気分になりました。

加えて、本決まりまであと一歩ですが、ある週刊誌で、新聞の比較読み(目下、6紙を予定)をする連載について交渉中です(3,4人の筆者で交替で書く予定)。考えてみると、随分、ニュース関係の仕事が増えることになります(あと「週刊SPA!」のニュースコンビニエンス欄も長らくやっています)。

実は、「評論家」を名乗ることがある割には、私は、ニュースに対する関心が乏しく、必要がなければ敢えて見ないし、知らないニュースがあっても気にならないという態度でした(つまらないニュースが多いのも、一方の事実ですし)。しかし、興味の幅を広く持つことも大事ですし、ニュースの報じ方についても、もっと見識を養うべきでしょうから、これからしばらくの間、ニュースをたくさん追いかける日々をやってみようかと思っています。
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王子製紙の敗因と、今後の敵対的TOB

王子製紙の篠原社長が、9月4日のTOB期限を前に、敗北宣言の記者会見を行った。大変率直な印象を受ける社長さんで(その分、サラリーマン社長的で迫力を感じないが)、事実上の「敗北宣言」であることを率直に認め、TOBの条件変更は、王子製紙の企業価値の向上につながらないので、やらない、と語った。

彼が語る「敗因」の中にあった、「ある程度、日本的にやったこと」と「三菱商事への増資に対する対応の甘さがあったかもしれないこと」は、実務担当者としては悔いの残る所かも知れない。前者は、北越製紙に対して提携交渉をする間に、北越側に、三菱商事への駆け込みなどの時間的余裕を与えてしまったことを指すのだろうし、後者に関しては、三菱商事とは話を付けられると思っていたのだろう。三菱商事と自社とのビジネス関係を過大評価したのか、あるいは、三菱商事が会社として「純経済合理的」に動くと誤って読んだのか、何れかなのだろう。

あの価格条件が一杯であるとすれば、もっと早期にTOBに打って出るべきだったのだろうし、三菱商事については「彼らの体面」をもっと現実的に分析すべきだった。607円で増資しておいて、直ぐに860円で売れれば大儲けだが、さすがに、三菱の紳士達はそのようなことをしない(しても、経営者としては、個人的に得をしない)。せめて、増資差し止め請求をするべきだったのだだろう。後から話が付くと読んだとすれば、王子もアドバイザーの野村も大いに甘かった。

また、860円、或いは増資後の800円という株価は、株式投資をする価格としては決して安くはないが(その証拠に、TOB不成立の報道後、北越の株価は大幅下落している)、「手を出せないぐらい高い」という株価ではない。現実に、本州製紙は、横やりを入れることができた。日本に限らないと思うが、敵対的なTOBを成功させるには、相当に高い株価で買収をかける必要があるのだ。だからこそ(いわゆる「勝者の呪い」的状況だ)、投資採算が悪化して、「敵対的TOBは上手く行かないことが多い」と言われるのだと推測される。

それでは、日本では敵対的なTOBは不可能なのかと言えば、そんなことは無いと思う。上記のような意味で十分に高い株価を提示できる企業が、実際にはあるはずだ。それは、自分自身の株価の方が更に超割高な企業だ。そうした企業で、経営者が、自社の株価が超割高であることに自覚的であれば、彼は、自分の企業の実体がバレないうちに、自社の資産を「割高ではあっても、割高具合がましな事業」に入れ替えたいというインセンティブを持つからだ。株式交換によって、買収が決済できるようになると、そのインセンティブはますます強められるだろう。

王子製紙の株価は、少なくとも、上記のようなレベルで割高ではなかった。ある意味では、これが王子製紙の真の敗因である。しかし、勝っても損をしては元も子もないわけで、自社による設備強化が正しい道ではなかろうか(独禁法の精神からも)。

ただし、そういうことなら、このTOBを仕掛けたことは失敗だったし、その進め方も下手だったとすると、アドバイザーの野村證券は一体何をしていたのか(北越製紙の主幹事だったのに、北越側の動きが見えていないなんて!)、ということになるのではなかろうか。

今後ということに関していえば、(1)実体に対して超割高な株価の企業はあるし、(2)こうした企業は資産を割安なものに入れ替えたいし、(3)同じくM&Aで成長を「演出」したいし、(4)そもそも業界再編をしたい業界・企業はたくさんあるので(薬品とか消費者金融・ノンバンクなどはどうか)、やはり、企業買収は活発に行われるだろうし、中には敵対的なものもあるだろう。

それにしても、TOB不成立で株価がこれだけ下がって(8月30日終値で709円)、北越製紙の経営者は一般株主にどう申し開きするつもりなのか。また、何とも奇妙な行動を取った本州製紙の経営者にも、あの行動にどのような合理性があったのか、どう説明するのか、聞いてみたい。
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一口馬主の投資戦略

Blessingsさまからご質問があったので、一口馬主のシステムについて、私の知っていることを簡単に説明します。

一口馬主サークルは数多くありますが(週刊「競馬ブック」でもご覧下さい)、一頭の馬の代金を20人(社台レースホース)から500人くらいで分割する場合と一口5万円というように値段が決まっていて高額馬は口数が増える場合とがあります。何れも、月に40万円~50万円の馬の維持費が掛かるので、ご注意下さい。

良血馬が安いのは、やはりいい肌馬・種馬を自分で持っていて生産もしている社台のようですが、社台は一口のサイズが大きいのでややお金持ち向けです。これまでに大活躍馬が多く出ているのは、社台を別格とすると、「マイネル○○○」の馬名で有名なラフィアンでしょうか。これまでのところ、安い馬でもいい馬を選ぶ選択眼があるようです。

競馬の賞金は、馬主80%、調教師10%、騎手・厩務員にそれぞれ5%と配分されますが、この80%から5%部分を手数料として取って、75%を口数で割って会員に分配するクラブが多いようです。

投資採算の大まかな目安をいえば、順調にレースを使って(年間8~10戦くらい)、年間2勝できるような馬なら黒字でしょう。「無事な1千万下(クラス)」のイメージです。

私が最初に買ったのは、当時シンボリホースメイトのシンボリフォルテという馬で、シンボリルドルフが父、母がシビルフォルティー(米国産、父ビーマイゲスト)の初子でした。440~450kgくらいのやや小型の馬で、ジリ足でしたが、準オープンくらいまで出世して(テレビでいうと日曜日なら3時前後に出走の準メインのレース、土曜なら時々メインレースに出走)よく入着してくれたので、投資額の倍くらい儲かりました。

5着まで賞金が出ますし、8着まで出走手当が出るので、1~3着で馬券に絡まなくても楽しめるのが一口馬主のいいところです。また、生産者への奨励の意味でしょうが「父内国産」馬が入着すると追加の手当が出当たり、2000mを超えるレースで(正確に何mからか忘れましたが)、「長距離出走手当」が出たりします。無事にレースを使って、半分くらい掲示板に載っていれば、馬主としては、まあまあ満足だということが分かります。いわゆる「無事是名馬」の感覚です。

一口馬主としては、何と言ってもレースに出て貰えないと、維持費だけがかかって、気分的にも辛い状態になります。また、仕上がらなくて、出走できなければ代替馬を選べる一口馬主サークルが多いようですが、あまり見込みが無くても、一、二度出走させて、これを不可能にされてしまうこともあります。

最近は、ペーパーオーナーゲームが盛んですし、TVゲームで競走馬を生産するゲームもあるようなので、馬の選び方に詳しい方が案外多かろうと思います。一口馬主の場合、敢えて一言付け加えるべき戦略を言えば、あまり大型馬でない方がいいとは言えそうです。パンフレットに「スケールの大きな雄大な馬格」と書かれているような馬は、牛のように仕上がりにくかったり、仕上がっても足元が故障しやすかったりするので、450kgから470kgを目処にするといいのではないでしょうか。かつてならトウカイテイオー、最近ならディープインパクトのような馬格の繋ぎ(足の末端の関節)の柔らかそうな馬で、利口そうな顔をしたのが、私は好みです。

短距離系の血統の馬の方が、仕上がりやすく勝ち上がりやすいイメージですし、対象レースも多いように思いますが、長距離血統で何とか軌道に乗ると、先のように長距離の出走手当が出たり、或いは、そもそも長距離のレースは出走頭数が少ないことが多く、賞金や出走手当にありつきやすいので、どちらがいいかは、良く分かりません。

実際になってみなければ分からないというのは、些か想像力の欠如でしょうが、走らせる側に立って考えることが出来ますし、順調に出走できれば、2-3年かなり楽しい、ほのぼのとした応援が出来るので、一口馬主は悪くない趣味だと思います。馬券にハマって苦しい思いをされている方が、一息入れるのにもいいのではないでしょうか。

但し、口数の多い買いやすいサークルの馬は、馬の代金に相当のプレミアムが乗っている感じなので、なかなか儲かりませんし、足元などが「無事でない」ことも多いので、基本的には、儲からないものだと思ってやった方が良いと思います。
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投資番組として「スーパー競馬」を見る

フジテレビ日曜午後3時からの「スーパー競馬」は、ほぼ毎週見る番組だ。私は、週のテレビの視聴時間がトータルでだいたい5-6時間なのだが、その中の1時間弱を占める。私が、最初に見たダービーはシンボリルドルフのダービーだったから、もう20年くらい見ていることになる。

競馬も株式投資も、お金を使い、あわよくば儲けようと考える人が興味を持つ点がよく似ている。ところで、この毎週見ている「スーパー競馬」を株式投資番組の視点で見ると、なかなか「大変な」番組であることが分かった。

番組に登場する専門家は、株式投資に世界でいうと、アナリストか投資評論家のような立場だが、彼らは、堂々と「個別銘柄」(=具体的な馬)の名前を挙げて、良し悪しを言う。しかも、「ディープインパクトから馬単二着流しで○▲・・・」とか「3,5,8,9番の馬連ボックス」といった調子で、「投資配分」まで言うではないか。また、専門家ばかりでなく、女性司会者も予想を述べ、買い目を提示する(それにしても、馬の名前や数字はもう少しきちんと読んで欲しいなあ・・)。

個別銘柄の判断をテレビ番組で伝えるには、十分な根拠(証券会社のアナリストの分析など)がないと、視聴者のクレームに耐えられないし、そもそも、個別の売り買い判断を伝える事に対して、テレビ局は消極的だ。しかも、投資の配分まで言うのだから、株式投資であれば、投資顧問業法の問題があるかも知れない。

加えて、こうした「情報」が流されているのは、馬券が買える時間であり、株式市場で言えば、出来高の多い、ザラバ中である。最近は、PCや携帯で馬券を買えるIPATなどで自宅に居てテレビを見ながら、馬券を買う競馬ファンが多いだろう(私もそうだ)。現実に、テレビで何と言ったかによって、オッズが動くこともある。投資番組で言えば、番組が、株価に影響を与えているのだ。

しかも、番組を見ていると、出演者達は自分で馬券を買っているようであり、その事を隠さない。隠さないばかりか、それをネタにした話題もある。株式投資番組であれば、インサイダー取引として大問題になるだろう。

しかし、番組全体は明るいし、競馬という題材を楽しませることに成功している。

各種の法律の問題を別とすると、競馬情報番組と、株式情報番組に、本質的に大きな差はない。前者は、オッズが実現するか否かにレースが介在する点が、オッズそのものの変化に賭けるような株式投資と異なるが、たとえば、番組の内容でオッズを意図的に動かすことで、何らかの収益機会が生じることは同じだ。お金の損得に直結している点も同じだ。

競馬評論家の場合「普通は外れるものだ」(吉田さん、井崎さん、ごめんなさい!)という了解があるから、「馬券の購入はご自身の判断で」とテロップを入れなくてもいいのか。だが、考えてみると、アナリストやファンドマネジャーの能力も、投資成績で正しく評価する限り、競馬評論家と変わるものではない。テレビ番組で、個別の株式について話すことに関しても、もっと大らかでいいのかも知れない。

もっとも、「どうせ外れるのだし・・・」という前提条件で、誇り高き金融マンたちがテレビに出て、自分の見解を話してくれるかどうか。また、「それでも話したい」という自称評論家などの専門家の中には、アブナイ(色々な意味で)人も入ってくることだろう。

ただ、どうせ外れるかもしれないという前提の下で、金儲けや情報を大いに楽しむという競馬番組のあり方は、投資番組を考える上で参考になるように思う。「儲けるための」「有益な情報を届けます」とかしこまっている間は、投資番組は面白くない。投資に関わる情報そのもの、あるいは運用そのものを「深く楽しませる」番組が見たい。
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巨人戦、視聴率低迷の理由

高校野球の決勝戦は二試合とも実に素晴らしい試合でした。私は、特に、斉藤投手の配球の上手さに感心しながら見ていましたが、試合の内容については、報道が行き渡っているので、触れません。ともかく、野球も面白い!と思える、素晴らしい大会でした。

野球といえば、巨人戦の視聴率低迷が大変な状況になっているようです。今年は、ドラマチックでかつ幸運な展開となったWBCもあったし、本来なら、野球に対する関心と共に巨人戦の視聴率も回復して良さそうなものなのですが、阪神やソフトバンク、ロッテなどが、地元にしっかり密着して(阪神は全国区だが)、そこそこにうまくビジネスを展開しているのに、巨人の人気がこんなに急に落ち込んだのはなぜなのでしょうか。

結論をおおまかに言えば、巨人には「感情移入できる物語」がないから、ということではないでしょうか。

高校野球は、プロ野球と較べて、野球そのものは素人目にも低レベルですが、一度負けたら終わりという儚さを背景にして、一回見たチームや選手をまた応援したくなる、つまり、観客・視聴者に感情移入させる舞台装置が整っています。また、一回負けると終わりの状況は、単なる「友情の物語」を超える選手の「連帯の物語」を作り出します。

また、例の○○○試合以来、世間のイメージが一転して好意的でなくなりましたが、つい最近までのボクシングの亀田選手とファミリーには、たぶん、人が最も感情移入しやすい物語である「成長の物語」がありました。父親の指導を信じて、一家で協調して、一歩一歩世界チャンピオンに上り詰めるという物語は、何ともよく出来ていました。「成長の物語」の有効性は、卓球の福原愛選手、ゴルフの横峯さくら選手(実績以上の人気がある)、などの人気にも明らかだと思います。人は、応援する選手やチームが「育つ」ストーリーを見たいのです。たぶん巨人軍全体よりも、メジャーリーグに挑戦している松井選手の方が注目されているのも、彼には「成長の物語」型の感情移入できるストーリーがあるからではないでしょうか。

ひるがえって、巨人軍ですが、最近試合を見ていないので詳しくは分かりませんが、4番が李選手で、5番が小久保選手、と有力選手を外部調達し、その前は、清原選手、ローズ選手、江藤選手など他チームの4番バッターをを取って来ては、使い捨てる(あるいは飼い殺す)、といった選手の使い方なので、巨人の若手選手にチャンスが少なく、必然的に、ファンは選手が徐々に成長するストーリーを楽しむことが出来ません。また、短期間で成果主義にさらされる大物達(必然的に個人主義的にならざるを得ない)がごろごろいるチームでは、チームに一体感があるように見えないので、「連帯の物語」にも感情移入ができません。

戦力を強化するために巨額のお金を使ってきた巨人軍ですが、気がついてみると、コンテンツとしての魅力をボロボロにしていた、ということのように思えます。

また、渡辺オーナーは、村上ファンドが大嫌いでしたし、ライブドアのような企業買収者に対しては先鋭的な批判者でしたが、野球チームを作るに当たっては、お金に物を言わせる買収者でした。「俺は金で人を買ったけれども、ぜんぜん上手く行かなかった。だから、日本では、企業買収なんて、人ごと企業を金で買うようなことはやんねぇ方がいいって、言えるんだ」とでも仰るなら、なかなかブラックなユーモアが効いていていいと思うのですが、当たり前ですが、彼から巨人軍運営に関する反省の弁は聞いたことがありません(会長に復帰されたぐらいですし)。

尚、私は、小さい頃、気がついたら巨人ファンになっていて(当時の北海道の少年にはよくあったケースです)、「ヤマザキが巨人ファンなんて、似合わないよ」と友人に冷やかされていましたが、江川投手(ヒールだが好きだった)の頃ぐらいまでは巨人ファンでした。しかし、その後、巨人軍が、長嶋監督を重用するようになってから、「選手はベストを容赦なく取ってくるのに、監督だけ能力でなく人気で選ぶなんて、スポーツに対する冒涜だ」と感じるようになり、アンチ巨人に転じました。しかし、「アンチ」も対象をよく知っていてこそ力が入るというもので、今年に至っては、もうほとんど関心を失っているので、今や「アンチ巨人」でもありません。

あ、そうだ。考えてみたら、私は、楽天を応援しなければならないのでした!(しかし、今の勝率では、「一日上がったら、二日下がる」株を買うようなものなので、相当の精神修養になりそうですね)

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ジャーナリストのA級、B級、C級

前のエントリーの続きを少し考えてみました。

純粋にジャーナリズムのあるべき論から、私の原稿をボツにしてくれた雑誌の編集長を批判するのは簡単なのですが、現実問題として、雑誌をはじめとするジャーナリズムの関係者達も、「ごはん」を食べていかなければならない事情があるのが、難しいところです。

たとえば、テレビ局ではスポンサーの批判になるようなことを伝えにくいし、私の知っている範囲で言えば、マネー誌の編集部員は毎月分配型の外債ファンドがダメな商品であることを理由も含めて良く知っていますが、マネー誌にはそうしたファンドの広告が入るので、誌面で、そうしたファンドを悪く書くことが出来ません。

「一応はジャーナリストを名乗ってはいるものの、こうしたメディアに勤める人」の立場に身を置いて考えてみると、
(A)ジャーナリストとして大切なことを伝えるためには、自分の「ごはん」に不利に働くことでも伝えなければならないという覚悟が必要な一方で、
(B)そもそも「ごはん」を食べ続けて、またメディア自体が有効に存続していないと、本当に伝えるべき事があった時に、伝える手段を失ってしまっている、
という相反する二つの建前があります。

(B)について補足すると、「真の目的(或いは、より大きな目的)に向けた」取材のしやすさなど、将来の活動のために、現在(の小さな問題)を犠牲にするという考慮もあり得るでしょう。また、意見を発表する側としても、将来意見を伝える手段を失わないために、たとえば編集方針に対して妥協することもある、という理屈が、正否の確認が出来るかどうかはともかくとして、一応は成立するといえるでしょう。

そして、上記の「建前」の次元から一段落ちたところに、
(C)自分の生活と損得を考えると、「ごはん」で損をするようなことには関わりたくない(だって、生身の人間なんだから)、
という本音が存在します。

(A)、(B)の建前だけでも、ケース、ケースでどう判断するのか難しいところですし、そうした判断をしながらバランスを取っている状態と、(C)に支配されている状態の区別が外から見ると難しいのが現実です。皮肉な見方をすると、この区別の難しさがあるから、多くのジャーナリストが威張ることが出来るのかも知れませんし、また人々は、ジャーナリストに対して、腹を立てずに付き合う事が出来るのかも知れません(実は、これは大切な曖昧さなのかな・・・?)。

私は、ジャーナリストを名乗る人には、せめて(A)、(B)の建前の中で悩んでいるのだということであって欲しいと思っていますし、多くの場合は程度の問題ですが、(A)に徹することが出来る人を尊敬するにやぶさかではありません。しかし、現実に、(C)に支配されている人を、人自体として「非難」するところまでは、踏み込めません(「お前の有り様は、人間としてツマラナイね」というくらいのことは言えますが)。

ここで、考えてみると、生活力も、他人との対立を恐れない意思の強さをも含めて、本人の「総合的な力」があれば、(A)~(B)~(C)の中で、より(A)に寄った立場と行動を取ることが出来ます。たとえば、件の編集長さんの場合は、明らかに(C)が強いのでしょうから、こういう方を「C級ジャーナリスト」とでもお呼びすることが可能でしょう。

ジャーナリストと会った時には、相手が、A級に属する偉人なのか、平均的にはB級の悩み深き俗人なのか、主として喰うためだけにジャーナリストであるC級なのか、格付けをして付き合うと便利かも知れません。多分、程度の差があるでしょうから、B級でいうと、B+→B→B-、というくらいの段階を付けて評価するのが良さそうです。

ところで、私は、直接的に媒体側の人間ではありませんが、情報や自分の意見を他人に広く伝える手段を「ある程度は」持っている、という意味では、非常に定義を広く取った場合にはジャーナリストのカテゴリーに入るのでしょうから、なるべく(A)の純度を上げていきたいと思っています(自己評価としては、まだまだ不完全です)。

ただ、今回気付いたことですが、たとえばボツになった原稿を直ちに広く他人に伝える事が出来るという意味で、ネットとブログの存在は、ささやかながら、上記のような意味での私の力を強化しています。これはなかなか意義深いことです。
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ボツになった原稿を掲載します

金融業界関係の雑誌に、私が書いた匿名コラムの原稿がボツになりました。テーマは日銀の内部管理批判と福井総裁への批判です。

編集長氏によると、
(1)匿名での批判原稿である、
(2)日銀のような不正(出張旅費の過大請求)は他の企業にも多々あり、日銀だけを強く批判するのはいかがなものか、
(3)福井総裁個人への批判は編集方針になじまない、
(4)今後の日銀への取材のしやすさその他という考慮もある。腰が引けていると言われればそれまでですが、
ということでした。

私の反論というか言い分は、
(1)実名で掲載しても構わないし、そのコラム欄は政策に対する批判などが日頃から載っている、
(2)日銀自体の管理に問題があるということだから、他社は関係ないし、読者が判断すればいいことだ、
(3)福井総裁は公人だし、根も葉もない批判を書いているのではない、
(4)編集方針だというなら仕方がないですね、
というものでした。

編集長と話し合った結果、表現を書き替えて載せるのではなく、今回は原稿を取り下げるのが、「ありがたい」とのことだったので、これに同意して、ボツが確定しました。

以下に、原稿を内容をそのまま貼り付けます(誤字の訂正が一カ所と、フォーマットの修正がありますが)。

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「日銀の自力更生には限界」

 日本銀行がさる八月四日付けで発表した「国内出張における航空運賃の支給に関する調査結果等」という文書がある。同行のホームページにも載っているので、是非読んでみて欲しい。日本銀行がどれくらい、たるんだ、モラルのない組織であるかが、よく分かる。
 同行自身による調査で分かった範囲だが、平成一一年四月から今年の一月までの国内出張で、出張者一三三〇人に対して航空運賃の過払いが七千三百万円あったという。割引料金のチケットを使いながら、正規運賃で旅費の支払いを受ける、単純な手口だが、多くの職員が、不当なお金を着服していてもよいと考えたモラルの乏しさ。そうしたことが可能な日銀の内部管理体制に対して、疑問を持たずにいた意識の低さ。これらの持つ意味は重い。しかも、会計検査院の指摘を受けてはじめて気づいたようだ。こんな連中に検査されるのでは、民間銀行も浮かばれない。
 民間会社でも、社員が、出張旅費を浮かせるようなことが、全くないわけではないが、まともな会社は、過払いが起こらないような管理ルールを作り、実行する。また、金銭管理で問題を起こすような社員は、出世させない。しかし、今回、日銀は、譴責、注意、過払い分の返還といった、要は、「注意」と「盗んだお金を戻す」だけの軽い処分にとどめた。
 世間的話題からやや遠ざかったが、福井総裁の今年二月の村上ファンド解約は、常識的な解釈では内規に十分触れている。量的緩和政策解除の前の株式ファンド解約だから、世間の疑いを買うに十分であり、これに気づかぬ何たる愚鈍。こうしたうす汚い人物は、直ぐに辞任して、ゼロ金利政策解除などの重要決定に関わらないことが望ましかったが、いまだにポストにしがみついている。組織を魚にたとえて「魚は頭から腐る」とよくいわれるが、日銀にもよく当てはまるようだ。
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短文のコラムということもあり、強い調子で書いていますが、内容は至極妥当ではないかと思っています。

当該雑誌を批判することを特に目的とはしていないので、今回は、雑誌の名前は挙げませんが、この程度の批判原稿でも、世に出すのは結構大変なのだ、という残念なサンプルとして、公開します。

そういえば、ある雑誌に載っていた漫画「ベルサイユのバラ」の作者、池田理代子さんのインタビュー記事によると、彼女の旦那さんは、ご結婚当時、日銀にお勤めで、投資信託関係のデータに関わる仕事を所管されており、新妻である彼女に「投資信託のようなものは買ってくれるな」と強く言ったのだそうです。彼女は、当時、随分堅苦しいことを言う人だなと少々不満に思ったらしいのですが、その後、福井総裁の村上ファンド問題が出て、うちの主人は正しい立派な人だったのだ!と見直した、というような話が載っていました。

日銀にあっても、自分の仕事に関係があると思われるようなことで、疑いを受けるようなことは決してしたくない、と考えるような、真面目な人が多いのではないかと、私は推測しています。こうした真面目な職員は、福井氏のような方が総裁の地位にしがみついていることを、苦々しく思っておられるのではないでしょうか。ただ、行内での批判の声が、外に洩れてこないのは、さすが日銀(悪い意味で)と言うべきかも知れません。

それにしても、「尊敬」でなく「軽蔑」される人が中央銀行のトップというのは、国にとっていいことではありません。福井総裁には、早くお辞めになって貰えないものかとつくづく思います。
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将棋名人戦問題で考えたこと

私は将棋ファンとはいえ、目下、それほど熱心なファンではないので、将棋の名人戦問題について、詳しい事情を知らない。とはいえ、将棋がどうなるのかは、気になる問題なので、今の時点で思っていることを述べてみる。

先ず、交渉の経緯だが、将棋連盟が朝日新聞社との合意を頼りに、毎日新聞社に対して、いきなり解約通告を突きつけて、しかも、これが世の中にオープンになってしまったことは、ビジネス常識的に考えて、将棋連盟側に落ち度があったと思う。仮に、毎日新聞社から名人戦がなくなるとしても、毎日新聞社は、別のタイトル戦としてやはり伝統のある王将戦を主催する重要取引先であるし、もちろん、これまでの大スポンサーに対して失礼でもあった。

但し、今回感心したのは、この問題に対する毎日新聞社の「大人の対応」で、結果的には、将棋連盟はこれに救われたように思う。

8月1日の棋士総会の前の時点で、毎日新聞社、朝日新聞社がそれぞれ提示した条件は次のようなものだと報じられている(朝日新聞社のサイトによる)。
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 毎日新聞社は単独主催の継続に合わせ、(1)名人戦は7年契約とし、将棋振興金3000万円を毎年支払う(2)名人戦契約金は第66期は現行より100万円増の年3億3500万円とし、その後は毎年協議する(3)スポーツニッポン新聞社と共催の王将戦は継続する(4)全日本都市対抗将棋大会(事業規模2800万円)を創設する――と提案した。

 一方、朝日新聞社は非公式な内容として3月17日付で、(1)名人戦契約金は年3億5500万円で5年契約とする(2)将棋普及協力金として年1億5000万円を5年間支払う(3)朝日オープン将棋選手権にかえ、年4000万円の契約金の棋戦を5年間実施する――との条件を示していた。
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朝日新聞社側の金額を全て足し合わせても、年間5億4千5百万円。名人戦(予選としての順位戦を含む)、朝日オープンの全棋士参加規模の二つの棋戦の棋譜を売ってこれだけの収入(「大魔神」が「大暇人」になった年の佐々木投手の最後の年俸がこれくらいだったか)にしかならない、というのは、何とも厳しい現実だ。棋士総会の総投票数が191票だったから、先の数字を仮に200で割ると、一人年間272万円であり、他にも棋戦はあるが、この二棋戦の収入では、「年収300万円時代」にも及ばない(しかも羽生も森内も含めた「平均」でだ)。

毎日新聞社側の提案との比較は王将戦の契約金額が分からないので何ともいえない。また、それぞれの場合に、名人戦を契約しない方の新聞社と金額が幾らのどんな内容の契約になるかが分からないと、経済的な側面の、厳密な比較は出来ない。

棋士総会の決定は、毎日新聞と単独契約することに対して、賛成が90票、反対が101票で、将棋連盟は、朝日・毎日共催の可能性も含めて、先ずは朝日新聞社と交渉することになった。僅差ではあったが、羽生三冠、森内名人、渡辺竜王など、タイトルホルダーが毎日乗りの中で、朝日派が勝った展開は意外であった。

明確に態度を表明した羽生はさすがにひとかどの人物だと感心したが、その他の棋士が、発言しにくそうにしている様子は心配だ。考えてみると、将棋の棋士は、傾いた中小企業に勤めながらも、転職できないサラリーマン(しかも厳しい成果主義に晒されている)のようなものだ。

たとえば、毎週届く「週刊文春」には先崎八段の連載コラムがあるが、彼のような「言いたいことを言いそうな若手社員」が、絶好のネタであるこの問題に沈黙して、日常のつまらない話(敢えて言う)を書いている様子を見ると、将棋の世界の重苦しさが伝わってきて、胸が締め付けられるような感じがする。

それにしても、たぶん総額1億円くらい経済的に良さそうな朝日案に、何故タイトルホルダー達は反対したのだろうか。交渉の経緯や礼儀といった問題もあるのだろうが、朝日案の「将棋普及協力金、1億5千万円」というのがどうも胡散臭い。

棋戦としての名人戦のやりとりなら、名人戦の契約金・賞金とすればよさそうなものだが、普及協力金として将棋連盟にお金が入るなら、これは、将棋に勝ったトーナメント・プロが賞金を獲得するのではなく、たぶん将棋連盟の幹部の裁量で分配することができるお金の原資に回ることになる。そう考えると、タイトルを争うような棋士にとっては「強い者が稼ぐ」という原則に反するように思えるだろうし、逆に、タイトル争いに絡めない必然的に経済的弱者の棋士にとっては、なかなか魅力的な仕組みということになる。国連の一国一票のように、タイトルホルダーも力の落ちたフリークラス棋士も同じ一票で票決すると、こういう結果が出ても不思議ではない。なんだか夢の無い話だが、経済的推測としては、現実的だ。

毎日新聞社は、共催に応じるだろうか? 一将棋ファンとして思うに、朝日新聞にも名人戦・順位戦の棋譜が載るということなら、毎日新聞に魅力はない。かつて一時期だけだが、私は、日経+朝日の組み合わせに代えて、日経+毎日を取っていた時代がある。もちろん、目当ては名人戦・順位戦の棋譜(だけ)だった。たぶん、毎日新聞社は共催に応じないだろう、と推測する。

それにしても、名人戦・順位戦という将棋界最高レベルのコンテンツの価値が年間たかだか5億円程度という現実には愕然とする。しかも、現在主なスポンサーである、紙ベースの新聞の将来が大いに危うい。このままでは、有望な天才少年が、もうプロ棋士を目指してくれなくなるかも知れない。

将棋自体は、ルールが単純で且つ奥が深いゲームだし、「見せ物」としてのスリルも十分だ。これを理解している人口も多いし、今後の高齢化時代にもマッチしている。将棋をもっと有効に売るビジネスモデルを、羽生世代にまだ活力があるうちに(つまり数年以内に)作っていかないと勿体ないし、将来が心配だ。

(1)ネットに対応したビジネスモデルの確立、(2)TV番組としての見せ方・作り方の改造(もっとエンタメ寄り、或いは視聴者参加型など。コンピューターとトップ・プロの対決など、「脳力ブーム」でもあり、視聴率が取れそうだ)、(3)「将棋道場」のてこ入れ策、(4)国際普及(駒の改造や、外国人の天才の発掘・養成なども必要)、(5)PC携帯などのゲームビジネスへの関与、といった多くの経営課題がありそうだ。

将棋のプロではなく、経営のプロによる経営が必要な時だろう。
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ブックレビュー「張栩の詰碁」

「張栩の詰碁」(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4839921245/ref=sr_11_1/503-2337465-1532766?ie=UTF8)という本を買ってきた。張栩九段は、台湾出身の若手棋士で、正確な読みに裏付けられた独特の迫力があって、私の好きな棋士だ。同郷の天才、山下敬吾九段と共に、若手棋士の中では、特に応援している。もっとも、詰め碁の本は、まだ詰め終わっていないものがたくさんあって、現在、是非とも必要だというわけではなかった。だが、本屋で手に取って見るうちに、風変わりな本だなと思い、気になったので、購入した。

さて、この本の風変わりな点の一つは、「夫婦合作」である。囲碁を知らない人も、お暇があったら、書店に行って、この本の22ページから数ページにわたる小林泉美さん(張栩九段の奥様)の「詰め碁と張栩と私」と題するエッセイを立ち読みしてみて欲しい。結婚に至る、若い恋人たちのデートの様子が出てくるのだが、このデートの様子が凄まじい。

本当に読む価値のある名文なので、是非読んでみて欲しいのだが、たとえば、最初のデートの際の話題は「地合いの正しい計算方法」だったという。張栩九段は、持論を説明した後に、泉美さんに「この地は何目か」という問題を出題して延々と考えさせたのだという。張栩九段の言い分は、「泉美ちゃんには、もっと強くなってほしい。まず自分が一番力になれるとしたら、この分野だから」というものだったという。何という直球勝負の恋愛戦略か!

小林泉美さんは、日本が生んだ名棋士の一人である小林光一九段の実の娘さんで、お母さんも女流棋士だった。NHK教育テレビでは、男子プロ相手に、強手を連発して活躍する場面を何度も見ていたので、詰碁が得意かと思っていたが、張栩九段のレベルから見ると、まだまだ不足だったということか。これは、意外だった。

その後、張栩九段自作の詰碁を大量に渡されて、これを解いて、答え合わせをする、というようなデートが繰り返されて、結婚に至る顛末が書かれているのだが、詰碁を頭の中に入れて考えることで、頭の中に、クリアな碁盤が出来ると、読みの力が増して、強くなるのだという。

詰め将棋なら、将棋盤は9×9なのである程度までは頭の中に入れて考えることができそうだが、頭の中に碁盤(19×19)をクリアに入れた状態というのは、今一つ想像しがたい。ただ、プロのレベルで強くなろうとする場合に、詰碁や詰将棋をこういった形で解くことが、有効なトレーニングになることは分かる。スポーツでも、ゲームでも、どのレベルを目指すのかによって、トレーニング方法は違う。高いレベルを目指す場合は、最初から、それなりのトレーニングが必要なのだ。

私は、目下、囲碁も将棋も実戦の機会が殆ど無いのが残念なのだが(どちらも、「それほど強くないアマ4段」くらいだ)、詰将棋なり、詰碁なりの、トレーニングをやってみたいというような気持ちはまだある。基礎的なトレーニングをしっかりやれば、もう少し強くなる筈だ、という実感(と共に希望)があるのだ。基礎的なトレーニングを積んで、レベルが上がると、もちろん自分の実力もアップするし、新聞やテレビを見る際にももっと楽しめるようになるはずだ。

とはいえ、囲碁をやるか、将棋をやるかにも迷うし、それ以前に、PCの前に居ない時間に、頭の中では、次に書く原稿のことを考えていたりもするので、こうしたトレーニングの時間を取るのは、趣味であっても、なかなか難しい。

「頭の切り替え」と「計画性」と「強い意志」の重要性を、改めて認識する。しかし、先ずは、詰碁から、始めてみるか・・・。向上するものが何かないと、人生はツマラナイ。
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北越製紙へのTOB問題への感想

王子製紙がTOBに踏み切って、本格的に開戦した、北越製紙争奪戦は、何やら盛り上がっているようないないような、妙な展開になっています。この問題については、各当事者の注目点を、「北越製紙をめぐるゲームの観戦ガイド」と題して、YOMIURIオンラインの連載コラムに書いてみました。ご関心のある方は、ご一読下さい。http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/yamazaki/at_ya_06081101.htm

上記の原稿を書いたのは一週間近く前です。その後、大きな動きはありませんが、言い足りなかったことなどを補足します。

王子製紙のTOB(北越製紙発行株の過半数取得が成立条件)は、成立が難しくなったのではないか、という観測が広まっているようです。この場合、王子が北越製紙を全く諦めると、今度は、別陣営に北越製紙を渡す形になってしまうので、一番ありそうなのは、発行株の三分の一にTOBの成立条件を緩和することでしょうか。ただ、その場合、王子製紙、日本製紙、三菱商事などが、何れもメジャーを取れずに睨み合う形になります。また、発行株の8割以上を少数の株主が持つことになる公算が大きく、北越製紙が上場廃止になる可能性が出てきます。参加者がみな得しない状態で、長期戦のチキン・ゲームになって、誰が北越を買うのか、改めて交渉するということになるのでしょうか。

王子製紙は、TOB価格を引き上げる選択肢もありますが、そもそも、もっと高くても買う用意があったなら、これまで価格を引き上げずに、800円台で日本製紙に北越株を大量取得されたのは、王子のアドバイザーである野村證券の作戦ミスといえるかも知れません。TOB価格以上の出来高の内容を十分把握できていなかったという意味では、証券会社としても、頼りない印象です。本件が、今後、どう転ぶか分かりませんが、北越製紙を別陣営に追いやる結果になったり、王子製紙が北越製紙の株を中途半端に抱えて立ち往生するようなことになったりすると、野村證券の評判はガタ落ちしますが、さて、彼らには、有効な手が用意されているのでしょうか。

一方、北越製紙の経営陣も、かなりアブナイ感じがします。彼らが株主に説明すべき事柄は「三菱商事との提携を伴う経営計画で、株主は王子が提示した株価860円以上の株式価値を確実に手に入れることができる」ということの、具体的内容です。今迄のところ、王子の経営統合案だと、たとえば「従業員のやる気が落ちて32億円損する・・・」といった、王子案の批判に力点があるようです。株主から見ると、王子製紙は株価を具体的に提示しているのであって、買収後に儲かるかどうかは、主として王子製紙の問題です。

また、北越製紙の経営者は、「当社の中長期的企業価値を取り込むことに(王子製紙の)目的があるように思われる」と王子を批判していましたが、中長期的企業価値が十分に取り込まれて実現するなら、何の問題もないので、これは、批判になっていません。

加えて、買収防衛策の発動について、独立していると称する検討委員会に諮問し、この委員会が発動OKの判断を示しましたが(発動を決定するのは取締役会です)、これが発動されると、物事がメチャクチャになるでしょうし(壮大な見物にはなりますが)、一転して、北越製紙側が批判に晒されるでしょう(たぶん裁判は北越側が負けるでしょう)。まさか、買収防衛策は、発動しないと思いますが、王子がTOBの条件を変えてきた場合には、ヤルかも知れない、という可能性というか、スリルがあります。

ニュースによると、北越製紙と日本製紙は、何らかの提携関係の構築を検討するようです。北越製紙は日本製紙が将来株を売ることが不安だし、日本製紙は株式取得にコストをかけた以上、何らかの「実」を取らないと名分が立ちませんから、これは自然な流れではありますが、ある種の癒着の臭いがしますね。

さて、王子製紙として、どんな戦略が正しいのかは、難しいところです。

私は、買い取り株価を上げて北越の株を集めても、当初思い描いたような効果を得ることは難しいでしょうし、一つのターゲットを複数の買い手が買おうとした場合に、勝者がとんでもないプレミアムを払う、「勝者の呪い」と言われる現象にハマらないためにも、さらりと降りるのが利口ではないか、というような気がします。

しかし、そうなると、アドバイザーの野村の面子は丸つぶれだし、王子製紙自身も、少なくとも降りた時には格好が悪い思いをしなければならないでしょう(高い株価で北越製紙株を買ったライバルの日本製紙に損をさせたことで溜飲を下げることになるのでしょうか・・)。しかし、買収にかけるお金があるなら、本業を強化する方が「まっとう」ではないでしょうか。

北越製紙にあっての、王子製紙の嫌われぶりには驚きます。一部の報道によると、今回の件も、もともと北越製紙の設備投資計画に王子が横槍を入れたことから始まった経緯があるようですが、これでは北越も王子を嫌いになるでしょうし、どうも動機の部分に不純なものを感じます(独禁法的な観点でも)。また、そもそも、業界トップの会社が、十分なコスト競争力を持っていないということなのでしょうか。資本の世界では正論に見える今回の王子製紙の行動ですが、製紙会社としての王子製紙は、業界内では威張れた存在でないのかも知れないとの印象を受けます。
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疲労困憊

本日、ここのところ記憶にないくらい、疲労困憊しました。

3時から、さるブロードバンド放送の投資セミナー的な番組(コース全体での申し込みですし、有料&高額なので、皆様にはお勧めしません)の「授業」の収録が2コマ分あり、打ち合わせを始めたのが午後3時。これが、1時間半に長引いて(この間、後から話すのとほぼ同じ内容を、しゃべり通しでした。直ちに、収録すれば良かった)、収録を始めたのが4時半。ところが、これが時間の制約がないこともあり、それぞれ、1時間半を超えてしまい、終わったのは午後8時でした。

いかに私がおしゃべりでも、殆ど自分ばかりがしゃべって、5時間はきつく、声は枯れてきましたし、頭もぼんやりして、バリバリに肩が凝りました。

また、これは、主として私が事前に十分確認していないことが悪いのですが、授業形式なのに、一応聞き手の女性キャスターがいて(FP資格をお持ちの方でした)、この方と話すような形式になるのですが、この方は、気が向いたときには、話を振ってくるので、この方に向かって話すのですが、私の話が下手なせいか、或いは、この方が退屈されたのか、しばしば机の上の資料に目線が飛んで、退屈そうな顔をされています。或いは、私の話の内容に賛成できなかったのかも知れません(お相手も生身の人間なので、内容への賛否や人間の好き嫌いが顔に出るのですね・・・。まあ、これは、仕方がありません)。

授業や講演のご経験のある方は、お分かりになると思うのですが、聞き手に退屈そうな顔をされると、ものすごく疲れます。

私の側から、相手役など無しで勝手に話をする形式で撮り直しを依頼するか、或いは、お相手には、相づちだけ上手に打ってください(まあ、これも失礼な話ですが)と依頼するか、早い段階で、根本的な処置が必要でした。この種のものとしては、久しぶりの大失敗です。

この後、午後9時半からはNewsGyaOの出演があったのですが、声は出にくいし、頭はふらふらするし、オンエア中に足や顔の筋肉が痙攣しそうになるし、やっとの思いで、番組を終えました。生番組の途中で倒れるとどうなるのだろうか、などということを考えながら、青息吐息でした。

話のテーマは、投資の理論の基礎(伝統ファイナンスと、行動ファイナンスの関係を中心に)と個人の資産運用の基礎(運用計画の作り方と、運用商品の評価の考え方)なので、決して嫌いでも苦手でも無い話の筈ですし、準備もしていて(パワーポイントの資料を40ページほど作りました)、決してなめていたわけではないのですが、上手く行かないときは、上手く行かないものです。久しぶりに、話をするのが嫌いになりました(笑)。

疲労と共に後悔の気分が夜になっても後を引いているので、今日は早寝することにします。経験的には、私の場合、一晩よく眠ると、たいていの憂さは晴れます。
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亀田・ランダエタ戦を見て思ったこと

私も亀田勝ちという採点はなかろうと思いました。

昨晩と今朝に分けてVTRを見た私の採点では、117-112でランダエタの勝ちです。1ラウンドはダウンがあるのでルール上は10-8、その後、8ラウンドまでは一進一退で、この7ラウンドを亀田が4つ取っていたとして、9ラウンドから12ラウンドは全てランダエタが取っているので、先のスコアになります。

ランダエタとしては、終盤に、これだけハッキリ取っていれば大丈夫だと思ったことでしょう。なぜ倒せなかったか、という疑問もありますが、かなり力の差があっても、無理に倒しに行って、倒し損なって自分がガス欠(実際には足りないのは酸素で、筋肉には乳酸が溜まる)になるリスクもありますし、カメというだけあって、亀田選手のガードの外側は堅い(内側にはアッパーを入れるスペースが頻繁にあるが・・)ので、何が何でも倒すというのは、大変な話です。ランダエタは、「まさか、これで、負け?」と思っているかも知れませんが、敵地でのタイトル戦は、倒さなければ勝てない、と覚悟するべきなのでしょう。厳しい世界です。

TBSの意を受けてか、解説の鬼塚氏が、亀田のパンチの方が効いているというようなことをしきりに言っていましたが、何を見ていたのか。ランダエタは最後まで顔が綺麗だったし、ボディーもそう効くような打たれ方をしていませんでした。その証拠に、11ラウンド目にふらふらになって、何度もクリンチしたのは亀田選手であり、ダメージの差は明らかでした。TBSは判定後に、一度もランダエタ選手を映しませんでしたが、まあ、亀田物語に忙しかったとしても、彼我のダメージが違いすぎて映せなかったのでありましょう。

亀田とランダエタの実力差は、かなりのものがあるのではないでしょうか。亀田選手は装甲車のようにガードを上げてプッシュしましたが、ランダエタはそう頻繁にロープにつまらなかったし、つまっても、殆どクリンチ無しに体をかわしていました。これは、亀田選手のラッシュに、カラダを押す力はあっても、パンチの威力がないことの証拠ではないでしょうか。ランダエタは、「怖くない」と思っていたはずです。

もっとも、ランダエタもそんなに優れた選手だとは思えません。彼は、右のガードが下がるという明らかな欠点があり、当て方は上手いけれども、パンチは手打ちです(良く言えばモーションが小さくて避けにくい)。しかも、強く打とうとすると、パンチが大きく外を回るので、避けやすそうです(これは亀田選手も一緒ですね)。ところが、亀田選手の1回のダウンは、この大回り右フックを浴びたのですから、格好が悪かった。

亀田選手は、体格・体力上の素質を認めるとしても、一番がっかりしたのは、パンチがないことです。前出のように、ランダエタは、右が下がるので、亀田選手の左ストレートが時々入りましたが、ランダエタがふらつくようなインパクトは一度もありませんでした。

これまでも、格違いの相手を一発でしとめるのではなく、ボディーで強引に倒していましたが、軽量級とはいえ、切れのいい一発パンチが無いようでは、素材として魅力がありません。

試合運びも、ガード(八の字ワンパターンで)を上げて押して行って、相手が疲れたらラッシュする、という単調な(ご本人も「ブサイクな試合」と言っていましたが・・)パターンだけなので、パンチ、テクニック共に、まだまだこれからなのではないでしょうか(パンチ力が急に育つとは思えませんが)。亀田選手は、口ぶりは派手ですが、試合振りは意外に堅実です。

それにしても、このホームタウン・ディシジョン(現地有利の判定)はいただけません。試合内容は、昨年フランスで行われた、ロレンソ・パーラ(ベネズエラ)とブライム・アスローム(フランスのゴールデンボーイ。五輪金メダリスト)ほどは離れていなかったかも知れませんが、あの試合が、ロレンソ・パーラのフルマーク勝ちであったことを思うと、今回の日本というか興業サイドのやり口は、「やり過ぎ」でしょうし、かえって逆効果になったようにも思います。もっとも、ビジネス的には、これでアンチ亀田ファンが増えて、妙に盛り上がるかも知れませんが・・。

亀田選手の次の試合の相手は、今回のタイトルを返上して一階級上げて、WBCフライ級チャンピオンのポンサクレック(タイ)でしょうか。彼は、一発で倒すような危険なパンチがないので、亀田陣営好みです。WBAのロレンソ・パーラは上手くて狡くて強いので、陣営は、彼とはやりたくないでしょう。亀田が本当に強ければ、WBCライト・フライ級のブライアン・ビロリア(ハワイ出身。パンチ有り!)と統一戦を組むところでしょうが、これはどう見ても勝ち目がありません。ちなみに、日本が認めない団体のフライ級チャンピオンは、ホルヘ・アルセ(メキシコ。人気者でファイター)、ビック・ダルチニャン(アルメニア?。たぶん同級最強の倒し屋)で、共に面白い試合を見せるので、見物人としては、彼らとやらせたいところですが、現時点では、「非人道的ミスマッチ」と言えそうです。

ところで、ボクシングの採点でいつも思うことですが、形ばかり第三国からとはいえ、今回のように興業サイドが審判にお金を払うわけで、採点が怪しくなることは今後もあると思うのですが、ジャッジ毎の採点を毎ラウンド終了時に公開したらどんなものなのでしょうか。これなら、ポイントが足りない側は必死になるし、ポイントの見込み違いで逃げて試合を落とす(デラ・ホーヤとトリニダードの試合のデラ・ホーヤみたいに)、といった後味の悪さもありませんし、余りにおかしな採点をするジャッジには、途中からブーイングが出るでしょう。また、点差が離れて、相手をノックアウト出来ないとなれば、早く諦めるでしょうから、選手のダメージも少なく済みます。

私は、怪しい判定の試合を見る度に、上記のようなことを思うのですが、「これがいい」とも思う一方、点数が分かると、粉飾してでも決算をごまかそうとする経営者のごとく、劣勢の選手が必死になって、ボクシングの試合があまりに危なく、また凄惨なものになってダメかも知れない、とも思います。

毎ラウンド採点を公表するとどうなるのか、どなたか専門家のご意見を伺いたいところです。

それにしても、多少の現地選手有利は仕方がないとしても、プロの格闘技の中でも、せめてボクシングはスポーツとして見たい、と思っている私のようなボクシング・ファンには、今回の亀田選手の試合は残念な試合でした。
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個人投資家のための、夏休みの推薦図書

株式市場は、ライブドアショックから半年後の信用整理の期日をこえたこともあり、個人投資か好みの、新興市場銘柄、IT銘柄がやっと息を吹き返してきたものの、原油高や中東戦争、日本の金融引き締めリスク、米国の景気低迷リスクなどがあって、主力株が冴えない(出来高、売買代金が低調です)状態が続いています。

こうした、今ひとつパッとしない相場環境の中で、夏休みでもあるし、久しぶりに投資の本でも読もうか、という個人投資家に、良い本を一冊ご推薦します。

二、三週後の「週刊ダイヤモンド」の私の連載コラムにもこの本の事を書いたので、詳しくは、後日そちらをご参照いただきたいと思いますが、実際にヘッジファンドの運用をやっていた著者の書いていることは、初老のロックスターのような風貌にもかかわらず(気付いてみると、多くのロックスターが、初老であり、ロック自体が伝統芸能化していますね)、たいへんマトモであり、内容の98%くらいは賛成できるものでした。

たとえば、この著者は、チャート分析が実際の運用に役立たないことを分かっているし、分散投資の重要性も正しく認識しています。自分がかつてやっていたヘッジファンドについても、顧客がいいファンドを選ぶのは無理だ、ということを正直に書いています。また、運用の方法についても、自分のポートフォリオの銘柄をランク付けするなど、実践的な方法を教えてくれています。

理論的な説明は、ほとんどPERと成長率だけに割り切っている本なので、内容的に難しいということは、どんな読者にとっても無いと思います。

但し、「バイ・アンド・ホールド」ではなく、「バイ・アンド・ホームワーク」が大切だと、著者は言っており、なかなか手間の掛かる運用方法を実践すべきだと言っています。好き嫌いはあるかも知れませんが、著者は、間違いなく「本物」ですし、内容の実用性からすると、正しく読むならば、ウォーレン・バフェットの関連本や、ピーター・リンチの本よりも上を行くと、私は思います。

ところで、たとえば、私が同じような本を書くとすると、運用の方法については、もっと手間の掛からない割り切った方法を書きそうですが、理論的な背景については、行動ファイナンスのあれこれ(批判も含めて)なども交えて、つい、いろいろな話を書いてしまいそうです。

尚、写真に一緒に写っている万年筆と携帯電話も最近買って気に入っているものです。

万年筆はモンブランの定番マイスターシュティック149ですが、神保町の金ペン堂で買いました。ペン先の太さは中字で、個体差的にはやや細めですが、非常にスムーズに書けます。同店は、ペン先を日本字向けに調整して売ってくれる店で、頑固な職人肌のオヤジさんが、大いに威張って定価で販売しますが、十分ここで買う価値があると思います。(たとえば、万年筆を裏返すと、表の半分くらいの太さでスムーズに字が書けます!)

今回買ってきたモンブランは、個体の当たりが良かったようで、気に入っています。同クラスの万年筆としては、ペリカンのM800の方が書き味はいいかも知れませんが(細・太字、各一本ずつ持っています)モンブランは元気な感じ、ペリカンはしっとりした感じと、性格がかなり違います。モンブランの方が軸が丈夫そうだし、ペリカンはキャップの引っかかり部分がペリカンの嘴の形になっていて、間違って引っかけやすいこともあって、今回、モンブランを購入してみました。どれもいい万年筆で、個人的には、自分がもっと字が上手ければなあ、ということが大いに残念です。

携帯は、ソニー・エリクソンのSO902iですが、最近、シャープのSH901iTから乗り換えました。これは非常にコンパクトながら使いやすくて、こちらも気にいっています。
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