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政界再編への期待と不安

 素人なりに、政治状況について考えてみたい。
 参議院選挙で、自民党が大敗した。選挙については、世の中の実態に合わない公職選挙法の規制や、出口調査で開票前から当確を出すTV局の報道姿勢など、他にも気になることがあるが、近未来のことを考えよう。
 安倍首相は、早過ぎるとも思えるタイミングで続投を打ち出した。「人心一新」と言いながら、自分のクビは切らないで、内閣や党役員の交代人事が行われるようだ。
 今さら言うまでもないことだが、今回の自民党の大敗は、役人を十分動かすことが出来ず、年金記録問題の「危機管理」が出来なかったことや、閣僚人事の人選ミス、管理監督不行届や処分の不足など、主として安倍首相の政権のマネジメント力に対する批判が、根本的な原因の、少なくとも一つだと思う。人事的には、彼のポストこそ「一新」されるべきだと思うが、本人にその気はないらしい。まあ、彼は、自分のクビを切れない男なので、赤城大臣その他のクビも切ることが出来なかったのだろう。任に対して能力不足は明らかで、安倍氏本人も辛そうにしているが、自民党に、代わりはいないものなのか。良し悪し両面あるが、自民党は、かつてよりも、明らかに政治的活力が落ちている。
 一説には、選挙の前に幾つも強行採決で法案を通したので、今回の選挙の負けは織り込み済みで、慌てていないのだという意見もある。しかし、衆議院で三分の二を持っているとはいえ、参議院を完全に野党抑えられると、相当に不自由だろうし、もともと捨て試合だった、とは思えない。
 安倍氏は、本来、「来る参院選挙の顔に」ということで選ばれたのであったから、これを果たせなかった今、何の取り柄があって、居座りが可能なのか。
 もっとも、今後、民主党のスキャンダルを探し、民主党に対する批判が集まったときに、衆院を解散しようとする作戦は、或いはあるかも知れない。民主党の諸氏は、身辺を綺麗に保つ方がいいだろう。
 
 さて、もし、自民党の中に、参院選は捨て試合と見切って「計算済み」と思っている人物が居たとすれば、それは、小泉前首相だろう。今回の選挙結果と共に、地元で側近を落選させ、影響力を失った青木氏や、本人が落選した片山氏など、小泉氏の政敵達の多くは、今回の選挙で、政治的影響力をさらに失った。加えて、その状況下で、一部で噂されるように、いわゆる「政界再編」が動き出すことになると、小泉氏こそが、そのチャンスを待っていた、ということなのかも知れない。一説には、側近議員の外に、いわゆる小泉チルドレンを結集し、さらに民主党内の右派とも呼応して、「小泉新党(?)」を作る、という話がある。
 政界再編があるか無いか、また、解散総選挙がいつあるのかについては、民主党の戦略次第なので、何とも言えないが、参院の議長を民主党が取るので、いざとなると、多くの法案を、審議未了で廃案、という形に追い込むことが出来る(参院で否決なら、衆院の三分の二で可決できるが、廃案はキツイ)。そう言う意味では、民主党側から仕掛けることも出来るが、何れにせよ、次の総選挙が勝負だ。
 一方、民主党の小沢代表は、参院選圧勝のムードが残っているうちに、次期衆院選の候補者を、スカウトすることになるだろうし、この際に、現職・落選者を含めて、自民党内にも、相当に手を伸ばすことになりそうだ。
 郵政民営化造反組が復党するなど、自民党も小泉の構造改革路線ではまとまりそうもないし、それ以上に、左右だけでも極右からほとんど社会主義者までが同居する民主党が、どこまでまとまって行動できるものなのか。二大政党が、共に、党内の不一致を抱えているので、大規模な政界再編の可能性は大いにあると思う。
 
 政界再編の「軸」は、二つ考えられる。
 たとえば、タテ軸の上下に、市場主義の「市」(いわゆる小さな政府を志向する考え)、富の再配分による平等を重視する「平」と書いて(便宜上、「市」を上に書くが、価値判断上の優劣を意味するわけではない)、横軸の左右に、右に武力行使に積極的でナショナリストの「タカ」、左に武装に消極的でコスモポリタンな「ハト」と書くと、第一象限から順番に、(1)「市・タカ」、(2)「平・タカ」、(3)「平・ハト」、(4)「市・ハト」、の四つのグループが出来る。
 近未来の二大政党の場所を考えると、小泉氏が属しそうなのは、第一象限の「市場主義&タカ派」だろうし民主党では前原前代表がこのポジションか。
 一方、小沢氏は、第三象限の「平等主義&ハト派」に陣を張るのか、第二象限の「平等主義&タカ派」に陣を張るのか、今一つよく見えない。今回彼は、「格差」の問題を訴え、「生活第一!」と叫ぶことの効果を成功体験として学習したので(一人頭一票の民主主義では、経済力は平均以下の頭数が多いし、プロスペクト理論的に考えると平均に「負けている」ということの感情的インパクトは、「勝っている」状態よりも大きいはずだ。また、一票の格差も相対的貧困地域が有利に歪んでいる)、タカとハトの差をできるだけぼかしつつ、「平等主義」にウェイトを置きそうに思える。但し、テロ特措法の延長に反対するといっているということは、第三象限が重心かも知れない。
 問題は、第四象限を代表する選択肢が政治勢力として、存在しない感じがすることだ。率直に言って、私は、規制や大きな政府に反対で富の移転に反対の敢えて言えば経済的自由主義者だが、憲法九条変更にも、解釈による集団的自衛権行使にも反対のハト派なのだが、共感を寄せるべき政治勢力が見あたらない。
 政界再編は、投票の際の選択肢を、今よりも、もう少し分かりやすいものにしてくれることが期待できるが、たとえば、経済的に「改革」を叫ぶ政治家が第一象限に大集合していて、気がついてみたら、日本が世界中に出掛けて戦争をする安倍氏的「美しい国」になっているかも知れない、という心配を抱く。
 新しい物好きなので、政界再編は、取りあえずは、見てみたい気がするのだが、その先の動きが大いに心配なので、複雑な気分だ。
 
 尚、経済的自由主義者が、どうして、揃いも揃ってナショナリストなのか、「新自由主義」なるものは、必ずタカ派のナショナリストでなければならないものなのかと、その理由を探してきたのだが、市場と資本主義による利益の追求を推し進めると、(1)自分達の私的所有権を守ってくれる主体としての国を強化したい、(2)労働力と兵力のためには貧しい若者が必要、(3)貧しい若者を一致結束して安く働かせるためには「国益」というフィクションが有効、といった理由で、資本の直接的受益者(端的に言って大金持ち)達が、タカ派ナショナリストに必然的に傾くのだろう。
 私は、他人の介入が嫌いで、且つ、執着するほどの財産を持っていないから第四象限に居るのかも知れないが、仲間が少ないことは残念だ。
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土曜日の夜

 現在の私の生活は、七割くらい何らかの〆切が中心になるのですが、仕事の〆切設定で、土曜日が〆切というケースは、殆どありません。通常は、金曜日か月曜日が〆切で、土曜日と日曜日は、時間が四八時間ある一日のように扱うことが出来るので、土曜日は、割合に気楽です(その分、日曜日が大変になることが多々ありますが)。二八日の土曜日は、珍しく早起きして、午前中に原稿書きが捗ったこともあって、夕方以降、割合のんびりと過ごしました。
 
 先ず、夕方、競馬新聞を買うついでに、子供を連れて、近所の阿波踊りを観にいきました。東京都内では割合古くからやっている阿波踊りらしいのですが、午後六時半から、小学校中心の子供の連が数組出て、その後に、大人の連が出る、という構成です。缶ビールとつまみを買って、道端で、踊りがやって来るのを待ちました。
 阿波踊りを立ち止まってゆっくり見るのは初めてなので、他の阿波踊りとの比較が出来ませんが、道幅が狭いせいか、どの連も、三列で構成されています。
 数組の連を見ながら気付いたのですが、小学生、幼稚園生の連までも含めて、女性の列の先頭三人の真ん中には、必ず、一際目立つ美人(現在の価値観で、多数が支持するような容姿の美人)が踊っています。例えば、今回見た小学生の連、数組では、何れも「日本人は、生物学的に、進化したのか」と思うような、手足の長い、目立つ顔立ちの女の子が、女性の列の先頭の真ん中のポジションで踊っています。「当然だ」と力説するつもりも、「嫌な感じだ」と批判するつもりもありませんが、その位置に選ばれた子も、そうでない子も、たぶん、自分に対する客観的な評価を知っていて、それぞれの持ち場で踊っているのだな、と思うと、見ていて、些か複雑な気分になりました。

 帰宅してしばらくして、TVのスイッチを入れたら、たまたま亀田興毅選手の試合をやっていました。アメリカの選手が相手でしたが、いつもの通り、試合数に対するKO勝利の比率が少ない相手で、相変わらず慎重なマッチメークです。見物人としては、ある程度実力の分かる日本人選手、或いは、もうすこしスリルのある相手との試合が観たいという気持ちになりますが、ボクシングの場合は、一つの敗戦の精神的・経済的影響が非常に大きいので、仕方がないのでしょう。試合は一方的でしたが、結局相手を倒すことは出来ず、亀田興毅選手の判定勝ちでした。
 亀田興毅選手は、これまでの試合よりもコンパクトなパンチを多用しいて、工夫と進歩が見られたように思いましたし、10Rをスタミナ的には余裕を持って戦う体力を見せましたが、ともかくいいパンチが当たったように見えても相手に効かないし、ラッシュの詰めが甘く、ガードの真ん中を割られる相手のアッパーが時々入る、という按配で、もちろん、まだ若いので、これから伸びしろがあるのでしょうが、今一つ将来に楽しみのない試合を観たような気がしました。
 時に、負けることがあるにしても、もう少し厳しい相手に多数当てる方が、将来のためになるような気もするのですが、どうなのでしょうか。

 ボクシングは、今一つスッキリしない気分だったのですが、ボクシングの後に、サッカーのアジアカップ、三位決定戦の、日本・韓国戦を観ました。
 私は、韓国には個人的な縁が何もありませんが、以前からサッカーの韓国チームは好きで、日本チームが好きではないので、今回も韓国の応援です。
 かなり微妙な判定だと思いましたが、韓国人選手が一人退場して、これに抗議した監督コーチも退場処分という異例の状況の中、一人少ない韓国代表は、日本の攻勢を耐え抜いて0-0で延長戦に持ち込み、延長の三〇分間も耐えて、PK戦となり、結局6-5で韓国が勝ちました。
 振り返ってみると、韓国は圧倒的に劣勢で、決定的なチャンスは日本側に多く、韓国が勝った理由としては、幸運が大きかったと思うのですが、韓国チームの勝負への集中は感動的で、いい試合を観せて貰ったという満足感があります。
 終わりよければ全て良しで、ビールが美味かった、土曜日の夜でした。
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選挙とインターネットなど

 選挙期間中のインターネットによる情報発信には、公職選挙法に関する注意が必要になります。たとえば、gooのブログの記事投稿画面には、「公職選挙法に関するご注意」として、以下のような注意書きが載っています(これに加えて、公職選挙法へのリンクも)。

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選挙に関する記事を投稿の際は、公職選挙法違反(刑事罰の対象となります)および利用規約違反にご注意ください。主な注意点は以下の通りです。

・特定の候補者を「応援したい」といった表現は選挙の事前運動、選挙運動またはこれらに類似する活動とみなされる可能性があります。「選挙区の友人に薦めます」といった表現も含まれます。

・単に街頭演説があったという出来事を記述するだけであっても、特定の候補者ばかりを掲載するような場合には、当該候補者を支持する選挙運動とみなされる可能性があります。

・街頭演説を撮影した写真や動画を投稿することは、選挙運動用の文書図画の頒布に該当するとみなされる可能性があります。

・特定の候補者の失言シーンだけを集めた「落選運動」は選挙運動またはこれらに類似する活動とみなされる可能性があります。

この他にも公選法違反に問われかねないケースが想定されますので、記事投稿の際には十分ご注意ください。
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 日頃、ネットはタダのような感覚で使っていますし、広場で人とおしゃべりをするように言いたいことを書き込んでいますが(聞いている第三者は意識するとしても)、あらためて、考えると、他人に支えられたインフラであり、それなりに大量の情報伝達が可能なメディアでもあるわけで(当ブログでも、毎日、5千以上のページビューがあります。「大変多い」わけではありませんが、「ごく少ない」わけでもありません)、ある程度の規制があるのは仕方がありません。
 とはいえ、「応援したい」、あるいは、「かくかくの理由で、誰々を、応援する」という自発的な言論を、規定外の選挙運動に該当するから、という理由で禁止することが、民主主義的な意思決定にとって、プラスになるようにも思えません。
 また、たとえば、本当は投票を行っていた候補者に関して、「○○党の候補者である彼(彼女)は、過去3年、選挙の投票にさえ行っていなかった」などと書き込むことは、それなりの賠償その他の責任を負って然るべき(掲示板に匿名で書き込んだとしても)行為でしょうが、候補者の行状などについて、正しい情報を周知する分には、大いに有益でしょう。
 民主主義にあっては、議論が拡大し、より多くの人の間で意見が交わされることは、基本的にいいことだ、という考え方があるのでしょうから、選挙の話題に関するネット上の意見交換は、むしろ、もっと奨励されてもいいと思います。
 政治運動のやり方としても、紙媒体と人海戦術中心の既存の選挙戦よりも、ネットを使う方が、低コストです。日頃からブログで情報発信している政治家が、最も重要な選挙の時期に、ブログの更新を止める、という姿は異様だと思います。政治にお金が掛かることが問題なら、ネットを使うことを封じるのは、いかがなものでしょうか。
 ネットの場合、時には、あまりにも高速大量に情報が伝達されるので、ルールの作り方は簡単ではないかも知れませんし、たぶん試行錯誤が必要でしょうが、もう少し自由であってもいいのではないか、むしろ積極的に使うことを考えるべきではないか、と思います。

 さて、明日は、参議院議員選挙です。上記のルールに触れない程度に、個人的な意見を表明しておきます。私は、もちろん投票に行くつもりですが、以下のような点を評価のポイントにして投票行動を決定する積もりです(読者もそうすべきだという議論ではありません。「共感」は歓迎しますが、投票はご自由に)。
 
(1)最近の行政のあり方に対する評価(「政府・お役所が、よくやっている」と思えば与党に、思わなければ野党に)を反映させる。
(2)今回の主要争点である年金に関して、より良い制度を提案していると思う政党に投票する。
(3)参議院が、政治全体に与える影響を考えて投票する。現在の与党が強化されるのがいいか、対抗する野党が強化されるのがいいか、有効な批判が出来る野党(小勢力であっても)が強化されるのがいいか、どれが一番自分の好ましい方向にとって有効か、を考えて投票する。
(4)一票の有効性を考えて投票する。選挙報道に左右される問題点はありますが、同程度に好ましい候補者がいれば、楽勝が予想される候補者よりも、当落すれすれの候補者に投票しますし、当落すれすれの候補者が複数居る場合には、その中の勝ち負けの好ましさを考えて投票します。
 自分の投票が、結果的に死票(落選候補者に対して行われた投票)になることを極端に嫌う人がたまに居ますが、これは、政治参加ではなくて、単なる予想行為(当選が予想される人にしか投票しないのだから)であり、愚劣だと思います。落選候補への投票が事後的に残念なのは事実ですが、票数には意思表明としての意味がないわけではないので、際どい候補或いは政党にも投票します。選挙情勢にもよりますが、自分の投票した候補が、最下位で当選したような時に、ちょっと嬉しい気分になります。

 ごく大まかな話として、現在の政党は、大きな政党は複数の異なる思想・意見の持ち主を抱えていて、選択肢としては、あまりにも不完全です。また比例代表や政党交付金に象徴されるように、選挙が政党中心でありすぎます(たとえば、大政党の比例名簿上位候補者は、落とすことが事実上不可能)。近い将来、政党が分裂するような形での、いわゆる政界再編があることを期待したいと思いますが、取りあえずは、現状の政党を前提に、投票してみようと思っています。
 さて、どうなるものか、結果が楽しみです。

(注:上記の投稿は、<たけくらべ>氏のコメントのご指摘にもあるように、今回の参院選の比例代表が非拘束名簿方式であることを見落としています。文章を修正してもいいのですが、今選挙に対して、私がこの程度の理解と関心であったことの反省を込めた証拠として、拙文はそのままにして置きます)
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「天下り」をどうするか?

 参議院選挙の投票日を次の日曜日に控えて、ここのところ「産経新聞」が、大いに怒っているので、毎日読んでみたくなる。一昨日から「何たる選挙戦」という特集を一面トップに掲げて、年金と政治家の醜聞に話題が埋め尽くされて、憲法改正その他の産経的に重要な国家の大計に争点が向かないことを嘆いている。ちなみに、今日、7月25日の朝刊の見出しは、「醜聞・年金だけの争点は恥だ」となっている。
 もっとも、年金をここまで争点化した原因は安倍首相及びその周辺の対応の拙さにあったし、醜聞に至っては、農相の選任だけを見ても、松岡氏の次に赤城氏なのだから、「恥」を生産しているのは、安倍政権だ。「首相に任命責任あり」と言うと立場の違いで賛否が分かれそうだが、「人事下手」で、つまるところ「マネジメント能力がない」という点に関しては、自民党の政策を支持する人々の間にも、異論はなかろう。この点、産経新聞としては、安倍政権に怒りと批判を向けるべきなのだが、産経的な「美しい国」の主唱者でもある安倍氏を、選挙前に叩くわけにも行かないのだろう。明らかにやり場の無い怒りをもてあましている感じなので、朝、新聞6紙を手に取ると、つい「産経新聞」から見てしまう。「誰を利する『国家』なき迷走」と見出しを掲げた一昨日の論調も、北朝鮮・中国にどんなメッセージを送ることになるかも考えて投票すべきだという、身もだえするような苦しい論旨展開だった。

 前置きが長くなったが、産経新聞に注目した。昨日の社説に、「官僚はそこまで偉いのか」と題して、政府の有識者懇談会が行った公式ヒアリングに、出席を求められた中央官庁(今回は、財務、厚生労働、国土交通、農林水産の4省。順次他省庁に拡げる予定)の事務次官OB7人全員が欠席した問題への批判が述べられていた。曰く、「官僚の傲慢ぶりも、ここに極まったというほかない」。激烈な批判である。
 確かに、公式ヒアリングの場に、先輩を出すわけには行かない、という官庁側の非協力的な姿勢に問題はあろう。しかし、この件に関しては、公開のヒアリングの場に、事務次官OBを呼び出して、天下りの「美味しい生活」の実態を、天下に晒そうというのだから、官僚のトップである事務次官経験者の強者達といえども、出席者には、少々気の毒な感じがする。私は、官僚の天下りに対して、かなり強く批判的な方だが、今回の段取りに関しては、ニュースを見たときに(ニュースリーダーでネットの記事を見ていて見つけたのが最初だ)、ちょっと大人げないと思った。
 第一、ほんの数人のケースを、本人の脚色付きのコメントで聞いて、天下りの実態が把握できるものとも思えない。そもそも、キャリア官僚の退官者は、名前も分かっていれば、その多くは退職後の履歴が掴める人達であり、もう少し広い範囲の調査をすることが難しいとは思えない。自民党がその気になれば、党のスタッフでも、十分調査可能ではないだろうか(自民党でなくとも、「赤旗」を擁する共産党でも可能だろう)。もちろん、内閣府のスタッフその他の、官僚に適切に指示して、ある程度のデータを集めることも出来るだろう。
 但し、政治家の直下のスタッフ官僚の多くは、本籍地とも言うべき何らかの省の出身者だ。一時の大臣サマよりも、将来の自分を喰わせてくれる人事に関わる出身省の利害に対してより敏感なのは仕方のないことだ。しかし、彼らは、首相をはじめとする大臣の命令に背くことは出来ないわけだから、要は、適切に指示できるかどうか、という政治家側の力量が問われる。
 有識者懇談会の事務次官OBへのヒアリングは、情報の集め方として上策ではなさそうだし、政治的なショーとしても、出来が悪いと思う。

 さて、官僚の天下りについては、どうすればいいのだろうか。
 大まかに二つの選択肢があると思うのだが、何れの選択肢を採る場合でも、人事制度全体について、できるだけ同時に、かつ分かりやすい形で、調整することが重要だ。
 
 選択肢その1は、禁止すべき天下りの範囲を拡げて、形式的に厳しく取り締まる方法だ。私が、かつて、たとえば金融庁に10年勤めたら、銀行や証券会社など金融庁の監督下の民間会社には10年は勤めることが出来ない、といった、監督官庁から被監督企業への人材の動きを、事実上封じてしまうべきだ、何度か書いてきた。金融機関に長年勤めてみた実感として、監督官庁と、被監督企業の間の癒着や不公正な取引を封じるには、少なくと「下り」の方向の人の流れを断ち切るしかないと思ったからだ。たとえば、直接の業界担当者の天下りではなくても、他の担当者が手心を加える代わりに、別の人物の面倒を見てやって欲しい、といった取引は十分可能だ。大企業にとっては、官僚時代の最高給(年収2千5百万円くらいか)と秘書と車と個室で、年間5-6千万円掛かっても、十分にペイする取引である。もちろん、こうした大飯喰らいの大キャリア様以外にも、いろいろなレベルで、コストとベネフィットが折り合う天下りの受入が存在する筈だ。
 一方、天下りをこのように広範囲に禁止する場合、優秀な仕事をした官僚の報酬を高くすることが可能な仕組みが必要だと思う。官僚をクビにも出来るし、外から自由に人材を雇うことも出来、且つ、報酬に関しては青天井(億を超える年収でも全く構わない)が可能な使い方が出来ると、必要で優秀な民間の人材を短期間に使うことが可能になる。こうしたウォールストリート流とでもいうべき人事と組み合わせて、「今年の仕事には、今年報いる」形で報酬を十分払うなら、官民の癒着禁止のために、天下りは実質的に無意味になるレベルまで規制しても構わないと思う。
 但し、こうした制度を有効に運用するためには、政治家と幹部クラスの官僚とが、個々のスタッフの業績を十分把握して、個々人に合った仕事のさせ方と、報酬の契約を結ぶような、高度なマネジメントが要求される。これは、現在の政治家や官僚には難しそうだ。また、民間企業への再就職を厳しく制限することが、個人の自由の過度な制限にならないかという点と、官民の人材交流を一方向に制限することで、結局、柔軟な人使いが出来なくなることのデメリットについてどう考えるか、といった点に課題がある。
 企業への再就職禁止期間を現行の2年から5年に拡大し、特殊法人からの天下りも規制する民主党案は、「結局、天下りを止めないと、実質的に不正を無くすことはできない」と考える点で、この選択肢に近い。ただ、官僚個人にとってのメリットが、早期退職勧奨の慣行を禁止して、官僚の職と生涯賃金を確保させるだけだから、これは有能な官僚にとっていかにも魅力に乏しいのではなかろうか。また、官僚をクビにも出来ず定年まで抱え、人の動きが少なくなるのだから民間から有能な人材を雇いにくいという意味でも、官庁の人事の停滞と戦力低下を招きそうに思える。

 選択肢その2は、民間への再就職の規制を無くする代わりに、あらゆる意味での官民の癒着的不正行為に厳罰を設定し、かつ、官庁による民間会社への再就職あっせん行為を全面的に禁止することだ。この場合には、官民の人事交流が積極的であることのメリットをむしろ活かしたいと考えている。アメリカ的な「回転ドア」を実現する代わりに、不正に厳罰をあたえようとする仕組みだ。
 たとえば、政権党が変わったのに、幹部の官僚が変えられないというのでは、企業で言うなら、買収先の企業のマネジャーの人事を動かすことが出来ないくらいの不自由である。そもそも、政治家だけの政権交代で、世の中を変えることからして、困難だ。官僚が、情報と手続きを握っていて、且つ公務員の身分保証があって解雇・交代されない現行の仕組みでは、選挙で落ちるとただの人になる政治家よりも、官僚の方が、強い影響力を持つことが出来ている。
 この点、小泉前首相は、自分が情報と手続きに対する理解を持っていないことを理解していたから、国民の支持を持っていても、改革を叫ぶ一方で、政策の細部は官僚に丸投げしたし、官僚の人事制度には殆ど手を突っ込まなかった。彼は、自分が、政局に強いだけの「バカ殿」だという自らの限界を本能的に知っていたのだろうと思う(安倍さんは、多分、自分についてもっと無知なのだろう・・・)。
 但し、選択肢その2のような方向性で、果たして、官民の癒着をどの程度有効に止めることができるのかという点には、正直なところ、自信が持てない。

 ただ、そもそも、天下りの弊害は、官と民の癒着や不正な取引にあるわけだから、これ自体に罰則を設定しないことがおかしい(定義は難しかろうが、ケースを積み重ねて少しずつ定義の完成度を上げていけばいいし、明らかに「悪い!」ケースに対しては、厳罰でいい)。
 また、考えてみるに、官庁による就職の「あっせん」という行為の存在自体がおかしい。退職した民間人は、職探しにはハローワークに行くのが標準なのだから、官庁によるあっせん行為は、疑わしい行為レベルまで(たとえば官庁から企業にOBの再就職を依頼するような行為)、厳罰(官僚側は、最低限、懲戒免職)で規制するべきではないだろうか。特に、いわゆる「渡り」と呼ばれる二度目以降の再就職への官庁の協力は、そもそも特定の民間人に対して、官庁が便宜を図ることなのだから、現時点でも、違法だと解釈できるのではないだろうか。
 このように考えると、現在、与党が実現しようとしている奇妙な人材バンクも、おおっぴらにあっせん行為を行おうということだから、現在の、官庁が個々にこそこそとあっせんする形よりはマシであるが(この点は、公務員の人事に手を突っ込もうとした勇気と共に、少しはプラスに評価して上げたい)、よく考えると、おかしいのではないか。
 
 二つの選択肢を並べて眺めると、選択肢2の方向性は、その先に選択肢1的な厳しい規制を行うかどうかという決定以前に、取り入れてもいいことなのではないかと思われる。
 世の中には、「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉もある。先ず、罪(=官民癒着)を徹底的に憎むところから手を付けて、且つ、官庁によるOBの再就職あっせん行為を厳重に禁止し、それでも足りなければ、形式的な天下り規制も厳しいものにしていく、というような手順でいいのではないか、というのが、本日のところの、暫定的な結論だ(自信はないが・・・)。
 ただ、天下りとは幾らか別問題だが、不出来な官僚をクビに出来るシステムと、有能な民間人を不利感無く公務員に登用できる仕組み、加えて、成果主義的な人事制度は、官僚の有効なマネジメントのために必要であるように思う。
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村上被告の「確実じゃないけど、聞いちゃった」罪

 村上世彰被告への東京地裁の判決は、何とも印象的な内容であった。
 実質的な効果が大きく、ある意味で画期的と思えたのは、インサイダー取引の「重要事実」に関して、実現性が明らかにゼロでなければ、実現性の高低は問題ではないという、範囲の広い捉え方をしたことだった。これは、1999年の最高裁判決の方向性を踏襲したものでもある。
 誰かの「私は5%を超えてこの株を買おう」という話、大株主が取りあえず「こうしようかな・・・」と言う売り買い予定、必ずではないが期待している新製品情報を経営者から聞いた場合、などに、その後で株式を売り買いすると、インサイダー取引だと解釈される可能性が極めて大きい。従って、大株主同士の情報交換はその後の株式の売り買いを不自由にするだろうし、M&Aに関する提案や情報を耳にする事が多い投資ファンド或いは投資銀行は、株式売買の度にインサイダー取引のリスクを考えなければならない。市場のフェアネスの点から考えると、今までが自由すぎたのであろう。どことなくインチキ臭い証券会社の社内のファイアー・ウォールでは、コンプライアンスのリスク管理上不十分で危ないということなのかも知れない。
 こうした解釈は、投資家の行動を制約し萎縮させそうに思える一方、大株主が企業関係者や他の大株主と行う情報交換の結果を株式の売買に使いにくくする効果をもたらす点ではフェアネスの向上につながっている。些か窮屈に思えるかも知れないが、投資家の情報へのアクセスをなるべく平等に管理すべきだという意味では、妥当なものなのだろう。
 また、将来の収益の「可能性」だけでも、期待リターンには影響を及ぼすはずだから、「実現性が明らかにゼロでなければ、実現性の高低には関係なくインサイダー取引の重要事実だ」という判断は現実に沿っているし、論理的に正しいのだろうと思う。ただ、実現性が1%未満の話でも、あきらかに実現性ゼロでない限りインサイダー情報だ、と言われると、どこかに程度の判断が必要なのかも知れないという気分も否定できない。この点は、控訴審の判断に注目したい。
 加えて、今回の判決は、村上被告がライブドアとのミーティング(於、2004年11月8日)で、村上被告が、重要事実を「聞いちゃった」にとどまらず、村上被告がライブドアをそそのかして「言わせた」という所まで踏み込んでいる。村上被告こそが複数の案件の実質的な主役であるという、多く報道の内容に合致する、率直に言って、小気味いい印象のある判決ではあった。
 しかし、フジテレビジョンとライブドアを天秤に掛けた村上被告の行動を評して、「利益至上主義に慄然とする」という判決文の表現は、些か情緒過多ではないかと思える。初期の供述と逮捕前の記者会見の内容を「ウソでした」と翻す村上被告への心証が良くないのは自然な感情だと共感するが(どんな事情があっても、ウソを言うと、人間は信用されないし、好かれないというのは、重要な原則だ)、利益の追求自体は犯罪ではないのであり、”拝金主義を断罪する”というようなニュアンスは無い方が、判決に説得力があったと思う。
 検察側がほぼ満額回答の判決と評したことからも分かるように、今回の判決では、村上被告が100%大悪人であるように捉えられている。自分に対する心証の悪さを知らずに、「罪を認めて執行猶予を勝ち取る」のではなく「あくまでも無罪」を目指した村上被告と弁護側の法廷戦略は、第一審に関する限り、全く裏目に出た。村上被告も後悔しているかも知れないし、心情的には、村上被告が幾らか可哀想な感じもするくらいの徹底的な嫌われぶりだ。
 また、先般の堀江被告への判決と同様に、今回もライブドアの宮内前取締役の証言が重要視された。彼は、この証言内容だけを取ると自分にとっても不利な証言をしているので、この証言は信憑性があるとも思えるが、他方でフェラーリ購入に至った彼の背任的な行為を不起訴にして貰っていることを考えると、後味の悪さがある。
 極端な言い方になるが、自分に不利な証言を厭わない証人を複数仕立てることが出来ると、誰でも有罪にすることができる、という感じが無くもない。検察は誰でも罪人にすることができるのか。ともかく、「国策捜査」を敵に回すと決して勝てない、というのが、日本の司法の現状なのかも知れない。
 何はともあれ、インサイダー取引の定義が広く取られているので、株式に関わる全ての人は、自分のインサイダー取引リスクを強く意識する必要がある、ということを思わせた今回の東京地裁の判決だった。
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FPの証券仲介業は「安全」か?

 証券仲介業という仕組みを使うと、FPが、証券会社の商品の販売を仲介して、手数料を稼ぐことが出来る。FPがこの仕組みを使うことに対する私の意見は、「顧客の側としても、FPとしても、出来れば利用しない方がクリーンであり、望ましい」という点は動かないが、FPの証券仲介業全体参加の可否については、「絶対にダメ」というところまでは、結論を出せずにいる(論理的に突き詰めると、ダメということになりそうなのだが)。

 以下の文章は、ある雑誌に書いた原稿で、ゲラの段階のやりとりの不具合によって掲載を見送ったものだ(内容でもめたわけではない。原稿を取り下げるケースとしては、珍しいケースだった)。
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 ファイナンシャル・プランナー(以下「FP」)が、単に顧客の相談に乗るだけでなく、金融商品の販売を行うことをがあることをご存知だろうか。
 これまでにも、金融機関などに所属せずに、独立してFP業務を行うFP事務所が、生命保険会社の取り次ぎ代理店業務を行って、顧客の生命保険契約の見直しなどを、商売につなげていたケースがあった。これに加えて、2004年12月から証券仲介業が解禁されて、独立系のFP事務所や、FP業務を併営する税理士・会計士事務所などが、証券会社の商品を扱うことが可能になった。
 先ず、独立系のFP事務所が、特定の証券会社と証券仲介業の契約をあらかじめ結んでおく。そして、このFP事務所は、顧客の注文を証券会社に取り次いで、成約した後に、証券会社とあらかじめ取り決めた手数料を、証券会社から受け取るという流れになる。証券会社からキックバックされる手数料は、発生した手数料を折半する形が多いようだ。
 問題は、FPが、手数料を稼ぐ手段を持った時に、FPのアドバイスそのものに影響を与えないのかだろう。
 投資信託では、販売手数料を販売会社が自由に設定できるケースが少なくないが、たとえば、同じファンドを、FPが契約する証券会社で買えば3%の手数料が掛かるが、別の証券会社(ネット証券など)で買うとノーロード(手数料ゼロ)で販売されているような場合がある。こうした場合に、「このファンドは、あちらで買えば、3%の手数料は掛かりませんよ」と、FPは顧客に教えるだろうか。明らかな損得があるのだから、これを顧客に教えないことは、FPの職業倫理に反するが、顧客が気付かずにいて、それで満足するなら、いいではないか、と考えるFPがいないとは限らない。
 また、FPに対して、顧客は、「どの投資信託がいいのか、お勧めのファンドを教えて欲しい」と期待する場合があり、FPが、自分で取り扱うことが出来て、手数料を稼ぐことが出来る商品に、顧客を誘導する可能性が無いとは言えまい。
 実は、FPに限らず、投信評価会社であろうが、誰であろうが、今後の運用が優れたファンドを事前に選ぶ能力は無いのが現実であり、FPに可能なのは、顧客が選んだカテゴリーのファンドの中で、最も手数料が安いファンドを選ぶ程度のことなのだ。しかし、顧客の側には、自分で商品を選んで後で後悔したくないという心理があり、FPには、セールスのチャンスがある。
 外資系の証券会社に勤めて稼ぎに応じたボーナスを貰うとしても、せいぜい稼ぎの20%台の比率であるから、発生した手数料の50%という証券仲介業のインセンティブは非常に大きい。実際に、顧客を持っている証券会社のセールスマンが、証券仲介業を扱っている証券会社と契約して独立するケースもあるようだ。
 FPの本業と証券仲介業の間には、経済的には、間違いなく利益相反がある。
 一方、独立系のFPが、相談業務の収入だけでは、なかなか食べていけないケースが多いのも現実で、「フリーだと、プアーなので、FP」と自嘲する声も聞く。顧客の側では、どうせ手数料を払うなら、FPの収入にもなるように、という考え方もあり得る。
 しかし、真に客観的なアドバイスを得るためには、たとえ相手が証券仲介業を営んでいるFPであっても、彼を通じて商品を買わず、その代わりに、相談料はきちんと払うのが好ましいやり方だろう。能力のあるFPが、本気でアドバイスを行うなら、手数料の合理化だけでも、顧客のコストを相当に浮かせることが、可能なはずだ。中立な立場からのアドバイスにこそ、高い価値があることを、顧客の側でも、もっと知るべきだ。
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 一般読者の皆さんは、相談をもちかけたFPから金融商品を買うことに抵抗を覚えるだろうか。もう一つ聞いてみよう。FPに資産運用の相談をして、何を期待し、幾らなら払っていいと思われるだろうか。

 また、FPの皆さんは、仮にご自分が証券仲介業の契約をしていて、「ETFでも買おうと思う」と言う、顧客に「この投信の運用の方がいいですよ」などと言って、手数料の高い投資信託(自分の扱える商品)を紹介しない自信があるだろうか。また、顧客が買おうとするファンドとほぼ同様の内容のファンドを、別の場所で顧客が買えばもっと手数料が安いことを顧客に教え、且つ、顧客の売買によって、自分に幾ら手数料が入るかを、顧客にはっきり述べた上で、投信を販売する意思があるだろうか。

 尚、FPの証券仲介業への取り込みに最も熱心なのは、当ブログでも話題になったことがある日興コーディアル証券だが、同社は、プライベートバンキング部門で不祥事の前歴があるシティグループの傘下に入った。「IFA」と称している、日興コーディアル傘下の証券仲介業者が今後どのように活動するのか分からないが、シティと日興とは、「なかなかの組み合わせ」(←もちろん皮肉であるが)なので、注目している(シティなら、IFAの持っている顧客だけ取り込もうとするのではないか、などとも推測するが、これは私の根拠のない憶測だ)。

 退職金の運用でもそうだが、お金の運用の相談では、誰が味方で、誰が警戒すべき相手なのか、判別するのが、難しいことは確かだ(相手が、正しい知識を持っている人なのかどうかも、頑張って判別して欲しい)。
 
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介護の値段はどうなっているのだろうか?

 別のエントリーのコメント欄で、介護の話題の書き込みが相当数あるので、介護全般の話をするエントリーを別に立てることにします。私は、介護及び介護ビジネスの実態について、殆ど知識を持っていませんが、ビジネス一般の問題としても、将来の問題としても、民間でのビジネスベースの介護がどのように行われていて、どんな問題点を抱えているのかについて、興味を持っています。この問題についてご存知の方、意見のある方の、ご教示を期待します。

 「夕刊フジ」の7月14日号、針木康雄氏(月刊『BOSS』主幹)の「ザ・トップ」という連載コラムに、興味深い記述がありました。
 針木氏の知人のご家族が、ワタミの経営する老人ホームに入っていて、食事がまずい(みそ汁が、ぬるま湯のようでダシの素を足して飲む、等)、ベテランの介護士が辞めて不慣れな新米の介護士に変わり、入浴の際によく溺れそうになる、といった不満を持って、子会社「ワタミの介護」の若い社長その他と話し合いを持ったけれども、上手く解決しなかった、という話が載っています。
 この記述の中に、「扱いに不満で退去した女性がいて、はじめ950万円払ったが、3年後の退去で僅か200万円しか返ってこなかった」とあり、ワタミとの契約書では、返却金は5年でゼロに償却される計算だとのことでした。針木氏は、このコラムの文末を「事業者のほとんどが、高い入居金を取ってわずか5年でゼロにしてしまう計算式を持っている。一種のカルテルである。コムスンの事業譲渡では、厳しい事業審査が必要だと思われる」と結んでいます。

 この種のサービス業では、個別に出来不出来があるでしょうし、この種のクレームは、ほぼ必ずといっていいくらいあるものでしょうから、この記事のみを以て、「ワタミの介護ビジネスは酷い」とか、「ワタミも、悪質だ」といった断定は避けたいと思います。
 私が、興味を持ったのは、入居金を5年でゼロにする料金設定です。入居金の他に、どのような費用が、幾らぐらい必要なのか分かりませんが、業者側が、入居金を短期間で喰えるのだとすると、居心地の悪い介護ホーム運営を行って、3~5年くらいでどんどん退去(あるいは死去)して貰い、新しい入居者を入れると、事業者側が儲かるように思います。この面からすると、入居金の償却のシステムは、介護の内容を悪くするインセンティブとして働いているわけで、利用者にとって望ましい契約の仕方では無いような気がします。
 一方、介護の事業を行う側にも、この事業独特のコストの構造があるのでしょうし、利用者から間違いなく対価を回収することも重要でしょう。

 最終的には、事業者が儲かり、介護職の方も満足な報酬を得る形でないと、事業としての介護は存続できないでしょう。一方、その場合に、そのためには、利用者が幾らぐらい、どんな形で支払う必要があるのか、という問題も重要であり、もちろん、支払う側も満足するようでなければなりません。
 (1)人生の最終盤を、気持ちよく過ごすには、幾ら掛かるのか? (2)介護ビジネスは旨みがあって儲かるのか? (3)どのような仕組みで介護サービスを提供すれば多くの人が満足できるのか? 読者のご教示とご意見ををお待ちしたいと思います。
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退職金の運用について富山で講演して来ました

 7月7日に、富山市に行ってきました。日本ファイナンシャルプランナーズ協会富山支部主催の、FPフォーラム2007で、講演とパネルディスカッションに参加しました。
 講演のタイトルは「団塊世代はこんな金融商品は買ってはいけない ~金融機関との上手な付き合い方~」でした。主催者の、主張が明確で、少し刺激的な話を(?)、というリクエストに応えて決めたものです。
 何はともあれ、退職金が振り込まれた銀行で投資性の運用をしてはいけないことから話し始めましたが(銀行窓口で売っている投信と個人年金保険でいいものがないことと、顧客のお金の本体を預かっていてセールス上銀行の立場が強すぎることの二点が理由)、たとえば、外国資産運用をするなら、外貨預金や一般の投資信託にはいいものが殆ど無いけれども、海外のETFを使うと、まずまずローコストで分散投資の意味のある運用ができるといった、「こうした方がいいよ」という話もある程度入れたので、タイトルから想像されるような、ダメ出しばかりの話をしたわけではありません(注;市販の投信では、国際投資のリスク分散のメリットを、手数料が喰ってしまうことになりそうです)。
 もちろん、顧客の立場に立って最善のアドバイスをするべきFPが、毎月分配型の投信(税金が明らかに損)や、バランス・ファンド(同様の効果をもっとローコストに作ることが出来るのでNG)、個人年金保険(投信にに似て、投信よりもコストが高い)などを顧客に勧めるようではいけませんが、アドバイスがなければ、こうした商品を買っていたかも知れない顧客を救うことで、顧客が明らかにセーブできたコストの中からFPが報酬を取ることは、顧客とFP双方のためになるのではないか、というのが、私が考える、当面の、FPと顧客の好ましい関係像です。顧客は、商品の手数料を節約する中から、FPに対するアドバイスのフィー(手数料)をもっと払うといいように思います。
 FPにも、もっと勉強して欲しいとも思いますが、顧客の側でも、FPにお金を払う方が、金融商品で余計な手数料を払うよりもずっといいという(正しい!)認識を持って欲しいと思っています。独立・客観的な「FP」には、FreeでPoorではなく、FaithfulでProfitableな職業になって欲しいと、私は、思っていますが、そのためには、顧客の側でも、意識を変えることが必要でしょう。ちなみに、顧客が望むのは、FriendlyでPrudentなFPです。
 聴衆の1/3くらいがFP、残りが一般の来場者だったようですが、私の講演でも、その後のパネルディスカッションでも、熱心にメモを取っている方が多くて、話をしていて、随分張り合いのある会合でした。富山のFPの皆様、どうもありがとうございました。
 写真は、富山支部のFPさんたちとの打ち上げの一次会の最後に撮ったものです。私の向かって左隣が富山県立中央病院の宮澤秀樹医師(呼吸器外科がご専門。医療保険に加入するよりも、その費用で、人間ドックの検査を充実させた方がずっと有効であることなど、実用的なお話をたくさん教えて下さいました)、そのさらに左隣がFP協会富山支部長で今回のイベントの企画と運営の責任者であり、パネルディスカッションのコーディネーターでもあったFPの石倉央さん(不動産にも強いFPで、話が非常にお上手な方です)です。
 後の打ち上げ(二、三次会も)が楽しかったこともあり、東京を離れた講演の仕事としては、久しぶりに楽しいと感じた仕事でした。
 尚、団塊の世代に限りませんが、退職金の運用は、何を考えて、どんな手順でおこなうべきか、合理性の裏付けのあるしっかりとした運用計画の作成手順を確立することが大切だと、改めて思いました。最大のポイントは、退職の時点で、金融資産の運用で、損をしてもいい金額を、どういう手順で求めるか、ということになりそうですが、この検討にあっては、徹底的に現実的であることが求められますし、答えの個人差が非常に大きな「ものになることが、予想できます。
 退職金の運用手順については、何度か原稿を書きながら、内容をよく考えて、最終的には、マニュアル化したいと思っています。
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小池百合子防衛相で大丈夫なのか?

 久間章生前防衛相の辞任は、本人の口癖のように「仕方がない」として、後任の防衛大臣は、小池百合子氏で大丈夫なのでしょうか? この点が、どうも気になります。
 小池防衛相という人事は、与党の立場から見ると、(1)(一応)中東問題に詳しい、(2)元アナウンサーだから発言には気をつけるだろう、(3)参議院選挙の応援弁士として箔が付く、といったプラス面を考えることが出来るかも知れませんが、ただでさえ、これから参議院選挙に向かって浮き足立つ時期に、防衛の担当大臣が、未経験者でいいのだろうか、との疑問が拭えません。
 防衛大臣の判断が重要だ、などという事態は、なるべく起こって欲しくありませんが、日本の周辺で、何らかの紛争ないしは、それに近い事態が起きた、というようなことになった場合に、防衛大臣は、彼女でいいのでしょうか。
 どのみち、参議院選挙後の内閣改造までの短期間のワンポイント・リリーフ的な登板だということなら、なおのこと、自衛隊と防衛省の組織のことをよく知っている、旧防衛庁長官経験者などを充てるべきだったのではないか、という気がします。参院選対策で、防衛大臣を決めていいものでしょうか。政治的にではなく、実務的な人事をすべきだったのではないでしょうか。
 安倍首相は、一見して分かるぐらい表情が冴えません。開き直って自説を述べるものの、何とも暗い、疲れた表情です。ツキが落ちているようでもあり(科学的でなくて、ゴメンナサイ)、この人事が国民に悪影響を与えないことを祈りたいと思います。
 
 尚、私は、今日の朝、テレビ朝日の「スーパーモーニング」という番組にコメンテーターで出たのですが、鳥越俊太郎氏が、久間前大臣について、「参議院選挙云々ではなく、自分の発言を問題だと感じていないような、彼の発言と態度はいけない」という趣旨で厳しく批判されました。私が、横から、「アメリカの意図を説明しただけだと、久間氏の言い訳にだけ加担し、彼を庇った、安倍首相も、その意味では、同罪ということですね」と口を挟んだところ、鳥越氏は、「そうだね」と同意してくれました。
 ここまでは、良かったのですが、小池防衛大臣という人事については、コメントする時間がなかったので、言い残したことを上記に書いておきます。
 
 ところで、久間問題の早期決着が、参院選にどう作用するかは、難しい問題です。与党としては、この問題で傷口を拡げたくなかったのでしょうが、この問題には、消えた年金問題から、話題が逸れる効果もありました。年金問題は、たとえば、「5000万件」に対応する「年金の金額(給付の合計あるいは、現在価値)」や「対策のコスト」が出ていないなど、幾らでもニュース・バリューのある「不都合な真実」が明るみに出そうな感じがします。
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「週刊ダイヤモンド」(7月7日号)を見て、驚いた !

 毎週連載(「マネー経済の歩き方」というシリーズ・タイトルです)を書いていることもあり、「週刊ダイヤモンド」は、毎週読む。週末に、7月7日号が(特集は「一冊まるまる営業入門」)届いたので、いつもの手順に従って、巻頭コラムを一読し、次に、自分が今週号に何を書いたかを、チェックした。
 そして、驚いた。
 
 詳しくは、雑誌を手に取ってお読みいただきたいが、辻広雅文氏(前週刊ダイヤモンド編集長)が書いた「モノづくり信仰の桎梏」というタイトルの巻頭コラムは、文末の結論に「モノづくり信仰の桎梏が、金融立国への道を塞いでいる」とあるように、それ自体としては、大いに賛成できる部分を含んだコラムである。
 しかし、ここに至る文中に、「日本は戦後六〇年間で、GDPに匹敵する対外資産五〇〇兆円を積み上げ、資産大国になった。運用能力を一%上げれば、経済成長率を一%押し上げるのと同じ効果をもたらす宝の山だ」という文章を見つけた。この後には、「欧米の投資銀行は低金利の資金を調達、先端技術を生かしリスクマネーに転換、高利回りで運用し、多大な国富をもたらす。彼我の能力格差は、何故か」と続き、金融を虚業と思い、マネーゲームを嫌悪する、日本の雰囲気が、人材育成(金融の最先端実務を学んだ人材だそうです)の障害になってきたことを、説く。
 上記の後半は、まあ、いいとして、問題は前半だ。「運用能力を一%上げれば」(しかも、五〇〇兆円に対して!)とは、何とも気楽に言ってくれるものだ(笑)。
 同じ号の、私が書いたコラムには、次のような文章がある。自分で書いたものでもあるので、少し長めに引用しよう。同じ雑誌の七一ページにあり、今回のタイトルは「『相場はカネ持ちが勝つ』は本当だろうか?」だ。大きなお金の例として、日本の公的年金の運用について述べている部分の続きだ。
 
<引用はじめ>=======================
 「分かりやすく馬鹿馬鹿しい例は、預貯金中心に運用されている、一千五百兆円の家計の金融資産の運用利回りが一%上がれば、経済効果は素晴らしい、という議論だ。初年度から、年間一五兆円、現在のGDPの約三%の付加価値が新たに必要で、このハードルは毎年高くなる。国民が預貯金を株式に乗り換えただけでは、生産は急に増えないし、企業の利益を株主間で薄めて取り合うだけだ。
 公的年金の運用で少々心配しているのは、日本の公的年金も、外国の政府が時々やるように、ヘッジファンドや投資ファンドなどに資金を預けて、積極的に運用すべきだ、という、運用業者が聞いたら、舌なめずりしそうな話が、真面目な会話の中でも出るらしいことだ(幸い筆者の関係先ではない)。
 この種のファンド運用のリターンの源泉は、資産価格形成の歪みや、各種のリストラクチャリングなどであるから、目の付け所がいい運用コンセプトでも、儲けの種はそう大きくはない筈だ。日本の公的年金が乗り出した場合、おそらくは「最後の買い手」として、先行者達に絶好の利食いの機会を提供することだろう。利用されるのは、もうたくさんだ。
=======================<引用終わり>

 運用元本の、一千五〇〇兆円と五〇〇兆円の違いはあるが、私が「分かりやすく馬鹿馬鹿しい」と言っているのは、デカイお金で簡単にうまい話があると考えることの愚かさだから、辻広さんの文章と、拙文が、同じ雑誌に載っているというのは、かなり面白いことだ。
 より直接的に供給されるリスクマネーが増えると、経済も成長するかも知れないが、それにしても、運用方法を変えるだけで、GDPの一%といったリターンが湧いて出てくるという話には、ちょっと無理があるのではないだろうか。
 しかし、この種の話は少なくないし(今国会でも、出ているようだ)、運用業者は、日本の公的なお金を顧客(カモ)にしたいと思っているから、熱心に吹き込みもするのだが、日本の年金資金が「最後の買い手」になって、ヘッジファンドその他の踏み台になる、という話は、いかにもありそうに思う。
 また、日本の運用資金の管理者(年金基金など)は、金融の「先端技術」というような言葉に弱く、「先端」を評価する自分が、そのことを以て「先端」に近づいたような錯覚に陥るらしいのだが、自分にセールスが及んでいること自体が、その技術の既に「先端」ではないことの何よりの証拠であることを見落としてしまう(それに、もちろん「先端」だからといって、現実に儲かるわけではないし)。丁度、写真の下手なアマチュアカメラマンが最新鋭の高級カメラをありがたがるように、金融センスのない顧客(大カモ)ほど、「最先端の金融技術」を有り難がるものなのだ・・・。
 
 尚、辻広雅文氏は、私にとっては、同郷・同年生の古くからの友人であり、同時に、彼は、真面目な現役のジャーナリストでもある。私が、この程度のことをブログに書いて、立腹するような人物ではないが、彼と私の友情を長続きさせるためには、皆様が、今週の「週刊ダイヤモンド」をたくさん買って下さると、ありがたい! と申し上げておく(辻広氏は、ダイヤモンド社の営業担当の役員でもある)。
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