goo

新年のご挨拶

 あけまして、おめでとうございます。

 本年から、年賀状による新年の挨拶を止めることにしました。
 先方からも、こちらからも、連絡したいと思う人とは、Eメール、ブログ、フェイスブック、ツイッターなどで速やかに過不足無く連絡を取ることが出来るようになり、年賀状の意義は年々薄れています。
 そろそろ紙の年賀状は止め時だと考えていたところで、電車の中で見た日本郵政の「年賀状ください」と語るCMを見て、決意が固まりました。年賀状が、わざわざ「ください」と言わないと、必要の無い存在であることが、可視化されたからです。CMに起用されたタレントやCMの作りに対して、悪意は何らありません。単に、このCMが決意の後押しをしてくれたというだけです。

 郵便によるやり取り以外にお互いの連絡先と近況を交換できない相手に対しては、郵便でのやり取りを続けるつもりですが、お互いにEメールやSNSのメッセージを交換したことがある関係の方に対して、今年は、年賀状を出していません。年賀状が来ないからといって、私が、「もう付き合いをもう止めよう」と思っているとか、長期に不在であるとか、病気である、といった訳ではないので、ご理解をお願い致します。

 ありがたいことに、私及び家族は、目下、概ね健康で元気です。特別に幸運なこともありませんし(有馬記念の馬券はハズレましたし、宝くじは買っていません)、自慢できるようなこともありませんが、日常の延長として無事に新年を迎えました。個人的には、これが一番だと思っており、これ以上の希望はありません。
 私は、1958年生まれなので、今年は、誕生日の5月8日に、58歳になります(「58」が3つ並ぶ日ですが、日曜日でもあり、特に何かをする予定はありません)。生物としても、仕事の上でも、持ち時間の後半に差し掛かっているらしいという意識はありますが、日常的にすることを大きく変えようとは思っていません。相変わらず、(1)正しくて、(2)面白いことを、(3)なるべく多くの人に伝えたい、と思っているだけです(もちろん、間違えることや、上手く行かないこともありますが)。

 昨年は、書籍を4冊出版しました。水瀬ケンイチさんと共著の「全面改訂 ほったらかし投資術」(朝日新書)、「お金に強くなる!」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、大橋弘祐さんとの共著「難しいことは分かりませんが、お金の増やし方を教えて下さい!」(文響社)、「信じていいのか銀行員」(講談社現代新書)、です。何れも、お金の運用に詳しくない方にも大事な点を分かって頂くことを目的として、内容を絞りつつ、できるだけ易しく、分かりやすく書くことを心掛けた本たちでした。
 今年は何冊出すことが出来るか、今の時点では分かりませんが、今年は、昨年出した本よりも、もう少し堅い内容の本、同時にレベルの高い本を書いてみたいと思っています。当面は、確定拠出年金の定番の教科書になり得る本を作ろうとしています。

 今年の経済とマーケットはどうなるか。大きな変化は、たいていの場合、「予想されていなかった出来事」の発生によって起こるものなので、予想は困難ですが、現時点で注目しているのは、次の3点です。
 先ず、米国の利上げのペースとその影響です。今年のFRB利上げ回数は2回から4回の間ではないかと予想しますが、米国の金融引き締めは、世界の金融環境の方向性を大きく変えるイベントなので、これが世界の資産価格に与える影響は小さくないのではないでしょうか。
 もう一つの要素は、原油価格下落の影響です。原油価格の下落には、当面、産油国・資源国の財政悪化やシェール・オイルを含む資源プロジェクト関連の不良債権発生など、金融不安や株式の売却につながりやすいネガティブな要素があります。一方、時間が経つと、日本でも米国でも原油価格下落による消費者・生産者の実質所得改善効果がプラスに働いてくるはずです。
 そして、国内要因としては、「2017年の消費税率引き上げを延期する」というカードを与野党のどちらが先に使うかに最も注目しています。経済政策としては、マイルドなインフレ状態を作るまで、消費税率は引き上げない方がいいし、その撤回は早く決める方が効果の上で好ましい訳ですが、これは、経済だけでなく、政治的にも影響の大きな問題でしょう。

 趣味、勉強、交友、お酒、といったあれこれを含めて、私生活は特に変えないつもりです。ご都合と気分が一致された方には、これまで通りに遊んで頂けると嬉しく思います。今年も楽しいことを考えましょう。

 つい自分のことばかり書いてしまいましたが、当ブログを読んで下さる皆様にとって、今年一年が意義深くて素晴らしい一年になることを、心から祈っています。

 本年もよろしくお願い致します。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後味の悪かった落語のハナシ

 数カ月前に落語を聞いた。チケットを取るのが難しいことで有名な現在脂ののっている落語家さんの独演会の抽選に当たったのだ。ご本人から、客席に向かって「皆さんは○千人から抽選で当たった○百人であり、まさに“選ばれた人”なのです」と注釈があった。
 この独演会は、前半後半に一つずつこの売れている落語家が大きな噺をし、その前にそれぞれ弟子の噺(師匠の噺の半分くらいの時間の)が入る構成だった。
 前半、弟子の噺が終わって、本人が登場した。弟子の噺が今一つウケなかったという印象を持ったらしく、弟子の噺にコメントし始めた。
「うーん。ウケの悪さほど不出来な噺ではなかったと思うんだけどねえ。あの噺は、……の部分がウケなければ、盛り上がりようのない噺なんですよ。……を話し終えてから、あいつの話のスピードのまあ速いこと速いこと…」と解説する。
 確かに素晴らしく上手だとは私も思わなかったのだが、「あれは、それなりに頑張って話していたのだな」という気分で次の噺を聞きたかったので、少なからず興ざめした。
 弟子の噺がウケなかったことが、客に対して不満だったのか、弟子に対して怒っていたのか、人気落語家氏のコメントからは定かではないのだが、彼はしばらく不機嫌で、長々とマクラを振ってから、噺を始めた。
 彼が選んだのは「雛鍔(ひなつば)」(子供がお金のことを「おひな様の刀の鍔」という噺)だった。しかし、話す本人が不機嫌なせいか、私は彼が話すのを聞いていて今一つ噺の中に入ることが出来なかった。子供が話す場面が出て来て、そこが聞かせ所なのだが、隣に座っている小学生の子供が明らかに退屈そうにしている。子供にウケない雛鍔は失敗だろう。

 休憩を挟んで後半に入った。後半も先に弟子が話す。女性の落語家さんで、一所懸命に話していることが伝わる熱演だった。
 その後に師匠が登場する。次は、演題を思い出せないが、お寺を舞台にした暗くて長い噺だった。
 この噺の途中に、お寺の小坊主さん達が食事を摂る場面がある。ものを食べる場面は、落語家としては芸の見せ所だが、彼はそれをやってみせて、客に向かって「さっきの食べ方よりも上手いでしょう。師匠だからねえ」と、再び弟子の芸に対してネガティブに言及した。直前の弟子の噺の中にも食事のシーンがあった。
 この師匠は、(本当に)有名で人気のある落語家さんなので、後半の噺が終わった後には大きな拍手を受けたが、ご本人的には、今一つ調子が出なかったと認識したようだった。
 「今のは暗い噺だったからねえ。明るく笑える噺を聞かないと、お客さん、帰りにくいでしょう」と言って、15分くらいの(たぶん元の噺を縮めた)賑やかな噺をやって、会場を暖めて、お開きとなった。おまけの噺は、なかなか良かったと私も思った。最後にやっと調子を出したか。
 会が終わって、席を立ち出口に向かいながら、抽選に当たって今をときめく○○○○の噺を聞くことが出来たことに対する「お得感」があって良かったと思う気分もあったのだが、何やらスッキリしない心持ちだった。

 前座、二つ目の弟子とはいえ、客の前に身を晒すプロだ。師匠が弟子を厳しく指導することは悪くないのだが、客の前で弟子の芸をくさしてはいけないのではないか。
 敢えて付け加えると、その後味の悪さが本人の心の中になにがしかあって、彼のこの日の噺はイマイチの出来だったのではないか。
 後輩、まして多分家族同然の弟子の指導とは難しいものなのだと感じた独演会だった。
 あの日の弟子に対する嫌みな感じを人柄の印象として覚えているので、その後、師匠であるこの人気の落語家さんが、新聞などで、落語の素晴らしさを伝える事に対する使命感を「謙虚風に」語っているのを見ても、表面だけいい人を演じている嫌な人物のような気がして素直に信用出来ずにいる。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ブルー・ジャスミン」を観てきた

 久しぶりに映画を観てきた。ウッディ・アレンの「ブルー・ジャスミン」を観た。http://blue-jasmine.jp/

 ケイト・ブランシェットが演じる主人公ジャスミンは、ニューヨークで羽振りのいい暮らしをしていたが、大成功していた夫の仕事が大規模な金融詐欺であることがバレて破綻、夫は自殺、自分は一文無しになって、サンフランシスコで暮らす妹ジンジャーの下に身を寄せる。ジャスミンとジンジャーは共に同じ親の下に里子に出されていた血がつながっていない姉妹なのだが、ジンジャーは、ごく庶民的な暮らしをしている。

 ジャスミンは、ジンジャーの家に居て、再出発を期して働いたり、パソコンスクールで勉強したり、出会いを求めてパーティーに行ったりするのだが、ニューヨークのセレブ的生活の癖とプライドが抜けず、庶民の暮らしに適応出来ない。また、ニューヨーク時代の記憶がしばしばフラッシュパックし、独り言をいうなど、精神的にも病んでいる。

 映画は、シスコに来てからのジャスミンのあれこれと、ジャスミンの記憶の中のニューヨーク時代のエピソードが混在して構成されて、過去を説明しながら、現在が進行する。ニューヨーク時代のジャスミンの夫の浮気、シスコに来てからのジャスミンの男性関係、親切で現実的な女性ジンジャーの男性関係と、男女のエピソードが豊富に登場し、なるほどと唸らされるような台詞やエピソードが多く出て来て「勉強になる」。

 こうしたあれこれを、全て我が身で経験するのは、概ね不可能だろうし、身が保たない。これは、映画で観て考えておくに限る。それにしても、登場する様々な立場の「男」は女性に対してあきれるくらいすべて単純であり、しかし、現実はここからそう遠いところにはない、と観ながら納得した。皆現実にいそうな男どもだが、彼らの中では、チリというジンジャーの彼氏がなかなかいい奴だ。また、ジンジャーの現実性にも「女性はこういうものか」と恐れ入る。

 大きなギャップをもって没落したジャスミンは、気の毒であるが、ストーリーの中には、それなりに分岐点やチャンスがある。何よりもあの時点でもう少し先を読めば、ここまで没落しなかったし、あるいは、あそこで手を打てばそこそこの人生だろうし、又はもっと大きなチャンスに対してはもっと率直にアプローチをすれば上手く行ったかも知れないのに、と思う訳で、ピンチにあって冷静かつ現実的に物事を考えることの重要性が分かる。もっとも、それが難しいのが人生だ。

 ハッピーエンドではないのだが、因果応報のバランスは取れているので、映画の後味は悪くない。

 人間のプライドというのは厄介なものだ、とウッディ・アレンが教えてくれる映画だ。脚本は概ね隙が無いし、台詞はよく考えられている。映像面でも破綻はないが、凄いというほどではない。点数をつけるとすると75点くらいだろうか。観てよかったと思うレベル以上ではあった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森内さん、竜王ご獲得おめでとうございます!

 昨日、森内竜王・名人の竜王就位式に行って来ました。私は、来賓代表挨拶を依頼されていたので、緊張して赴きました。身に余る大任で、辞退しようかとも思いましたが、将棋ファンとして生涯にこれ以上無い機会だと思い引き受けました。以下に、挨拶の原稿文を掲げます。大きな舞台で大人数相手のスピーチであり、原稿を持たずに話したので、全てこの通りに話した訳ではありませんが、話の大筋はこの通りです。

 森内さん、あらためて、おめでとうございます!

●森内竜王・名人の竜王就位式・来賓挨拶原稿

 こんばんは。(一礼)
 山崎元です。
 森内竜王・名人、このたびは将棋界最高峰のタイトルである竜王のご獲得、まことにおめでとうございます。そして、素晴らしい将棋且つ勝負を見せて頂き、まことにありがとうございました。

 私は、昨今着実に増えているといわれる「観る将棋ファン」の一人です。大学時代は将棋部に所属していました。残念ながら私自身はたいして強くはならなかったのですが、充実したメンバーに囲まれて将棋の空気を吸ったおかげで、将棋を楽しむ基礎ができました。これは、人生をより豊かにしてくれた財産の一つです。そういえば、谷川会長のお兄さんである谷川俊昭さんが一学年上にいらっしゃって、大変お世話になったことを覚えています。
 現在、ネット中継のライブで将棋を観て、小学3年生の息子の勉強用でもありますが、竜王戦と名人戦の新聞観戦記を切り抜いてノートに貼り次の一手を予想しながら読み、大きな勝負については「将棋世界」でもう一度味わう、という楽しみ方です。これだけ濃厚に楽しんでも、費用はたいして掛かりません。

 さて、観る将棋ファンの一人として、たいへん僭越ながら、森内さんの将棋に関して、感じていることを申し上げたいと思います。

 先ず、森内さんの将棋に対して「鉄板流」というネーミングを聞くことがしばしばあるのですが、私はこれに違和感があります。
 森内さんの強靱な受けを突破することは難しい。これを鉄板に喩えるのは分からなくはないのですが、「鉄板」という言葉には、ただただ手堅い、無難である、安全、リスクを取らない、といったニュアンスの、なにやら気の利かないイメージがあります。これは、森内さんの将棋にはあてはまりません。
 森内さんの将棋の魅力を挙げると、自玉と相手玉との間合いの測り方の正確さと、震えずに踏み込む勝ち方の鮮やかさです。特に、森内さんが受けから、攻めに転ずる時の切り替えがスリリングです。
 たとえば竜王復位を決められた先般の七番勝負の第5局で、受けにまわっていた森内さんが、3三桂と放り込んで反撃に転じた展開。もう一つ挙げるなら、昨年の決勝トーナメントの羽生三冠との一局で、羽生三冠の攻めを後手番の森内さんが延々と受け続けて、矢倉の中にいた森内玉が5一まで移動して、まだまだ受けたくなるような局面で、相手の玉頭の歩の前に8六桂と捨てて反撃に転じて勝った熱戦を思い出します。
 「森内さんが二度目に攻めたら、相手はもう助からない」。このぞくぞくするような感じが、森内さんの将棋の魅力です。映画でいうと我慢を重ねた主人公が、最後に正義を実現する。森内ファンになって、将棋のネット中継を森内さん側から眺めるだけで、結末が最後まで分からない最高にスリリングな娯楽大作を見ることが出来ます。しかも、主人公は大変強いので、たいていはハッピーエンドです。

 森内さんは、現在、竜王で名人です。しかも、戦った相手は9連覇の渡辺前竜王と圧倒的な勝率の羽生三冠でした。そしてスコアが共に4勝1敗です。現時点で、森内さんが、将棋界最強だといっていいのではないでしょうか。これは同時に、将棋史400年における最強を意味すると思います。
 では、どうして、そうなったのかというと、これは、森内さんがより強くなったからだ、という以外に考えようがありません。現在の将棋界の、選手層の厚さ、研究の進歩、トップグループの強さを考えると、まわりが弱くなったのだとはとうてい思えません。

 一方、森内さんは現在43歳です。お誕生日が10月10日なので、昨年は42歳から43歳にかけて偉業を達成されたことになります。
 現在、東証一部上場会社の従業員の平均年齢がほぼ40歳です。会社によって差がありますが、名前の知れた大きな会社の場合、平均年齢は42歳前後です。
 この年齢で能力自体が伸びるものなのでしょうか。

 昨年、私は、雑誌「将棋世界」の森内さんの名人在位八期を記念して作られた特別号で、森内さんと対談する機会がありました。
 この対談の中で、私は、森内さんに、近い将来の将棋は何が勝敗のポイントになるのかを質問しました。森内さんの答えは、最近多い序盤の研究勝負のような将棋から、かつてのような終盤勝負への揺り戻しがあるのではないか、という興味深いものでした。
 これは私の推測ですが、森内さんは、実は、近年、ますます中終盤が強くなられたのではないでしょうか。
 そうなのだとすると、近年、矢倉、相懸かり、角換わりといった中終盤の長い力勝負になりやすい戦型を森内さんが多く選択されることの合理性に納得できます。
 ちなみに、この対談では、森内さんとお金の運用の話もしましたが、森内さんは「平均に勝つのは大変そうなゲームだ」とゲームとしての資金運用のポイントを正確に把握されていました。竜王戦の賞金を目当てに、金融マンが森内さんを訪ねても無駄です。彼らが勧めるような商品には見向きもされないでしょう。
 私の思うに、「合理性」に対する感性とその圧倒的な実行力こそが、森内さんの強みです。

 ところで、この対談が行われたのは竜王戦の決勝トーナメントの決勝三番勝負の一局目と二局目の間でした。つまり、森内さんは先に一敗して後がない微妙な時期でした。私は「今日は、竜王戦の話はしない」と決めて対談に臨みました。しかし、森内さんは、こちらから問わないのに、郷田九段に負けた決勝第一局の内容を説明して下さいました。私は、恐縮すると共に、「ああ、十分に吹っ切れていて、自信もあるのだな」という印象を受けました。
 この時、たぶん森内さんは挑戦権を取るだろうし、七番勝負も勝つのではないかと直感しました。一般に、私のような証券マンや評論家の直感ぐらいあてにならないものはないのですが、今回の直感は森内さんのお蔭で的中しました。
 気分が切り替えられる。そして震えない。こうしたメンタル面の強さも、森内さんの将棋の強みであり、魅力です。近年は、勝負が大きくなるほど、そして相手が強くなるほど、力を出されるようにお見受けします。

 この点に関して、私が複数の情報源から得た情報によると、森内さんのご家族、特に奥様の貢献が大きいようです。僭越ながら、森内さんは、もともと鋭敏で繊細な感性をお持ちの方だと推察します。もともと生産されるストレスは小さくないはずです。しかし、おそらくは、奥様とご家庭の雰囲気が森内さんをリラックスさせて、緊張を集中に変えることが出来るような精神状態の好循環を作っているのではないでしょうか。
 良い家庭を維持し、外に向かって強く戦う。自陣を整備して、強く打って出る。思うに、これも、将棋の基本であり、合理性そのものです。

 森内さんが、将棋を通じてわれわれに教えてくれていることは、合理的であることの強みであり、その強みは、合理性を実行することにある、ということではないでしょうか。そして、合理的であれば成長出来るのです。
 森内さんを見習うなら、我々一人一人も、会社も、ひいては日本の経済もまだまだ成長できるということではないでしょうか。政府に頼まなくても、成長戦略はわれわれ一人一人の手の中にあるということです。経済評論家として申し上げますが、成長はやはりいいものです。こう考えると、今年がたいへん希望に満ちた一年であるように思えて来ます。

 最後に希望を述べます。森内さんには、遠慮することなく、更に強くなっていただきたい。そして、将棋ファンの一人として、次の七番勝負の将棋を大いに楽しみにお待ちしています。

 森内さん、このたびは、竜王ご獲得おめでとうございます!
 ありがとうございました。 (深く一礼)

 以上
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年のお正月

 あけましておめでとうございます。

 今年の東京の元日は穏やかな晴天で、一年がゆったり始まったような気がします。
 例年、正月は、自宅で過ごしていて、特別なことはしません。せっかく時間やスケジュールが自由になる働き方をしているのに、混んでいる時に旅行に行くのは出来高のピークに株を買うような気の進まない行動ですし、日頃から神仏とは全く親しくないので、初詣もしません。
 会社のオフィスの近くには、人気の“出会い系神社”があり、この周辺は混むので、神社の前の道を避けて、年賀状と新聞の整理に行って来ました。

 今年は、一月に講演的な仕事が幾つかあり、また、書かなければならない単行本の原稿もあるので(編集者のみなさん、お待たせして申し訳ありません)、正月にも仕事をします。
 仕事というわけではありませんが、1月20日に行われる森内俊之竜王・名人の竜王就位式でスピーチをする機会があるので、この内容をあれこれと考えており、現在、脳内を一番活発に巡っているのはこのテーマです。私でいいのかと、引き受けるか否か少し迷いましたが、一将棋ファンとしてはこれ以上無い最高の機会なので、森内竜王・名人の将棋の素晴らしさについて話したいと思っています。

 日常の延長として正月にこだわりを持たないのが大方針ですが、年の初めに気休めに少し賢げなことをしたいという気持ちはあるので、今年は哲学の本を何か一冊読もうと思っています。高校生の頃に読んだつもりになっていて、しかし、内容をずいぶん忘れているサルトルかウィトゲンシュタインの何れかを読むつもりです。
 テレビは見ない予定です。
 ボクシングは、年末に、たまっていた録画を一通り観ましたし、大晦日には、日本人チャンピオン3人が何れも強さを見せる勝ち方をしたので、当面満腹です。一番印象に残っているのは、M・マイダナとE・ブローナーの一戦です。マイダナは明らかな弱点を幾つか抱えたボクサーですが(注;ボディーが弱い、ペース配分が下手、攻めのパターンが単調、…)、持って生まれた強打に加えて気力が素晴らしく、勝っても負けても印象に残る試合をします。WOWOWの「エキサイトマッチ」の2013年総集編で1位にランキングされたメイウェザー対アルバレス戦は、アルバレスがメイウェザーに付き合ったようなよそ行きのボクシングをした試合に見えたので、個人的には不満の残る試合でした。もっと、一途な馬力勝負をして欲しかった。
 将棋と囲碁は、いつもの新聞の切り抜きの他は、息子と娘の指導を一日に一局ずつやる予定です。1月号の「詰将棋パラダイス」が先ほど着き、表紙の問題が1分で解けたので、気分を良くしました。囲碁は、パソコンで「天頂の囲碁」をやってみたいと思っています。日本棋院の子供囲碁教室の先生にお勧めの囲碁ソフトを教えて貰いました。なかなか強いらしい。
 将棋は、息子(小3・4級、私とは四枚落ち)が「今年は初段を目指す」と意気込んでいます。囲碁は、息子・娘共に入門レベルなので、筋が良くなるように依田紀基九段「石の効率がぐんぐん良くなる本」をテキストにして、「良い形」を教えています。自分の子供にものを教えるのは感情面で簡単ではありませんが、初心者レベルの子供は教えると進歩が目に見えるので、大学生に金融を教えるよりは張り合いがあります。
 そういえば、正月休み中に、大学の「金融資産運用論a,b」の試験問題を作らなければならないことを思い出しました。出題は事前公開するので、考え甲斐のある問題を作ろうと思っています。
 飲み食いは、十分な食材とウィスキー、ワイン、珈琲豆があるので、概ね安心です。飲むものは、珈琲→ワイン→ウィスキーをぐるぐるローテーションすることになりそうです。
 一年の最初に飲んだのは、珈琲で、豆はコロンビアでした。豆は、銀座のカフェ・ド・ランブルで買ってきた物ですが、昨年、同店で奮発して買ったコーヒー・ミルが快調で、微粉が出にくく丁度良い粗挽きが出来るので、クリアな味の珈琲を自宅で淹れています。このミルは、5万8千円と購入に迷った値段でしたが、味は明らかに改善したので、費用対効果は「よし!」でした。珈琲好きの方にお勧めしたいと思います。
 家飲みのウィスキーは、ラフロイグ(PX CASK)、マッカラン(CASK STRENGTH)、タリスカー(57°NORTH)、ラガブーリン(普通の16年物)と、オフィシャル物ばかりのラインナップです。
 食事時にはハイボール、夜中の読書と原稿書きの友にはストレートないし常温の水で水割りといった飲み方です。かつては、しばしばオンザロックで飲んでいたのですが、ロックは香りを殺してしまうので、良いウィスキーにはもったいない飲み方だという見解に傾きつつあります。

 特別な抱負や目標はありませんが、今年は、「時間を有効に使う」ことを意識して過ごそうと思っています。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ダイヤモンドオンライン】体重を17キロ落とした、我が「ハイボール・ダイエット」

 ダイエットは、一般の関心が高いテーマだ。しかし、多くの方法や書籍が次々出てくること自体が、その達成の難しさを示唆している。今回は、私事で恐縮だが、ダイヤモンドオンラインでの連載で、筆者が取り組んできたダイエットについて書いてみた。
 過去3年近くにわたり「緩やかに」取り組んできたダイエットが、ほぼ目標体重を達成して、現在、最終盤に差しかかっている。
 以下は、筆者が17キロ減に至るまでの道のりである。

□運動でダイエット ~どう考えても、現実的ではない
 最初に却下した。運動で消費するカロリーの小ささもさることながら、運動の後のビールと食事の美味さを考えると、どう考えても、現実的ではない。
 飲み食いを変えずに、ある程度の運動だけで痩せることができるのではないか、という希望は捨てることにした。

□デンマーク式ダイエット ~「お酒はダメ」という問題が立ちはだかる
 これは、栄養のバランスを崩さずにカロリーを落とすという方法で、病院が作ったメニュー(具体的な献立は、ダイヤモンドオンラインでの連載をご覧下さい)を食べて痩せる方法だ。
 始めて数か月は順調だったのだが、この方法には筆者にとって大きな問題があり、結果的に継続はならなかった。
 デンマーク式ダイエットには、メニューの裏面に注記があり、「お酒はダメ(絶対アルコール類はダメ)」と書かれていたのだ。
 筆者の場合、過去30年以上を平均して、お酒を全く飲まないという日は、一年にあっても数日だ。お酒を飲まない生活は考えにくく、また、毎日、禁を破っているという後ろめたい気持ちなのは感じが良くなかった。

□糖質制限ダイエット ~ウィスキーOKのダイエットに出会った
 詳しい原理は解説書に譲るが、炭水化物(ご飯、麺、パスタ、芋など)、日本酒、ビールなど血糖値を上げる飲食を控えて、カロリーを少し落とすと、体内の脂肪が糖質化されてエネルギーとして使われるので、体重が落ちやすい、という原理のようだ。
 筆者の経験では、糖質を徹底的に控えても、肉や野菜をたっぷり食べると体重は落ちないので、いくら食べても痩せるというような魔法のダイエット・メソッドではない。しかし、肉や魚、野菜さらに油についてもあまり気にしなくていいので、実行しやすい方法だ。

 ご飯や麺がダメなので、始めて数日は少し苦しい気がしたが、厳密な方法を4、5日続けると、食欲の質に変化が現れた。血糖値を急に上げない食生活を数日続けたことで、食事の際は「血糖値を早く上げたい」という習慣に我慢が利くようになったのだろう。そうなると、これまでよりも、食欲を我慢することが容易になった。
 また、この糖質制限ダイエットで嬉しいのは、ウィスキーは無制限に飲んで良く(その他の蒸留酒も甘くなければ良い)、赤ワインも辛口ならOKだという点だ。ご飯、パスタ、ラーメンのようなものを遠ざけることで生まれる喪失感を、美味しいお酒がかなりの程度埋めてくれる。
 はじめて自分の生活習慣を肯定してくれるダイエット法に出会った気がした。

□山崎式のアレンジ ~これが「ハイボール・ダイエット」だ!
 体重をあまり急激に減らすと、肌がかさついたり、ひどい場合はしわが出来そうだ。他人に対して、自分が不健康だという印象は与えたくない。
 そこで、ゆっくりと着実に落とすつもりで、長続きしそうな方法を考えた。多少の試行錯誤を経て、実行したのは、以下の7項目だ。

(1) 食事の際、ビール、日本酒、主食を控えて、ハイボール(ウィスキーのソーダ割り)を飲む。
(2) おかずは糖質類(芋など)、砂糖を多く使った味付けを避ける以外、特段の制限はなし。
(3) 主食は、食べるとしても、ご飯を「一日に小盛りの半分程度」まで。麺類は週に1、2回くらい。
(4) 飲むお酒は、ウィスキーか赤ワイン。量は無制限。なるべく美味しいものを飲む。
(5) 毎朝体重計に乗る。
(6) 体重について、「最安値+1キロ迄」=「安心して良し」、「最安値+1キロ~2キロ」=「警戒せよ」、「最安値+2キロ以上」=「急いで落とせ」、と認識する。
(7) 一月に2キロ以上落とさない。

 尚、他人と会食する際にもお酒は主にウィスキーだが、コースについているご飯やパスタなどを残すようなことはしない。食べっぷりの悪い人間は感じが悪いと思う。ダイエットは、自分が中心の食事の範囲で行えばいい。

 私が行った方法は、「ハイボール・ダイエット」と名付けることができそうだ。ハイボールは、甘くないので、どんな食事にも合う。
 食べ物によっては日本酒が欲しくなるようなこともあったが、ウィスキーを飲み慣れると、どんなに辛口の日本酒でも甘く感じるので、最近は、ほぼ飲まなくなった。

 自宅では、ウィスキーと炭酸水を1:2.5くらいの割合で割って飲んでいる。ハイボール用のウィスキーは、ラフロイグかタリスカーをほぼ交互に使っている。筆者は、アイラ系のピートの効いたモルトが好きだが(注;タリスカーはアイラ・モルトではないが)、アイラ・モルトにも、炭酸割りに合うからっとしたモルトとそうでないモルトがあるように思う。たとえば、ラガブーリンはストレートで飲む分には大変美味しいが、ソーダ割りには不向きに感じる。国産では、山崎(12年物)がソーダ割りに合うように思う。

 6月11日(月曜日)の朝の時点の体重は67.5キロで、直近の最安値(最低値)は67.0キロだ。これは、ほぼ新入社員の頃の体重に戻ったことになる。一般に、私の身長で理想体重とされるのは68~69キロくらいだ。ここまでのところ、3キロ以上のリバウンドは一度も無い。健康診断は全ての数値で「A」ないし「問題なし」となった。
 飲酒と不規則な生活のゆえに、肝臓関係の数値を気にしていたが、上限基準値の少し下ぐらいだった値が、基準値の半分くらいに改善したので驚いた。肝臓の脂肪が減って、肝臓の負担が減ったからではないか、と友人から聞いたが、私は医者ではないので、正確な理由は分からない。
 ちなみに、全ダイエット期間を通じて、最大の敵は夜のラーメンだった。

 今後は、現在の食生活習慣をベースにしながら、体重が増えも減りもしない食事と生活のペースを探っていきたい。ウィスキーを中心にお酒を飲み、昼・夜の主食の量をコントロールすれば、体重を維持できるのではないかと考えている。
 夜型でよくお酒を飲む生活も当面変えるつもりはないし、なるべく長い距離を歩くという以外に特別な運動をするつもりもない。

 尚、体重が減って、本人の気分と体調は良好だが、女性にモテるようになった、とか、仕事が増えたとかいうことは一切無い。世間は、私のようなオッサンが太かろうが細かろうが関心を持たないものだ。
コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故 米長邦雄氏に言えなかった一言

 将棋の専門誌である「将棋世界」を買ってきた。特集は「さわやか流 米長邦雄、逝く」で、先般他界された米長邦雄前将棋連盟会長の追悼だ。多くの追悼文が載っていて、この「将棋世界」が手から離れない。私は、長年、米長ファンだったのだ。将棋部員だった大学生時代からのファンで、米長氏の著書は殆ど買って読んでいたと思う。

 ただ、米長ファンだったが、贔屓の棋士として「一番」だったことはない。将棋部員だった頃も、今も、一将棋ファンとして理想の将棋は若い頃の中原名人の将棋だし(「中原誠実戦集」がバイブルだ)、米長氏と同世代では内藤國雄氏の華麗な将棋にあこがれた。米長氏は、いつも、二番目か、三番目に好きな棋士だった。

 その後は拙著「ファンドマネジメント」でもお名前を出したくらい羽生善治氏の熱心なファンだったし、近年は森内名人の将棋と人柄が大好きだ。

 贔屓の棋士はさておき、もう10年くらい前になるが、日経CNBCの番組で、私と森下千里さんが進行役で、一本30分のインタビュー番組を何本か撮ったことがあり、このときに、米長邦雄氏にゲストで来て貰った。米長氏を呼びたい、というのは私の希望であり、米長氏が相手のインタビューなら面白くなると確信していた。

 収録当日、私は、何年も前に将棋連盟の売店で買った「名人 米長邦雄」と署名のある扇子(印刷のものだが)を持って行った。米長氏が49歳11ヶ月で名人になったときに、嬉しく思って、この扇子を愛用しようと考えて、数本(確か5本)まとめ買いした扇子の最後の一本だった。

 インタビューの聞き手である私は、学生時代から米長氏の将棋を尊敬して見ていたこと、人生論も含めて著書を読んできたこと、晩年名人を取った時に大変嬉しかったことを述べて、「何本か買ったのですが、これが最後の一本です」といって、その扇子を見せた。

 米長氏は、「おお、これは、これは」というくらいのことを言ったと思うがその後に、「これは、是非、森下さんに差し上げて下さい」と言った。森下千里さんは、「大切なものなのでしょうから、私、貰えません」と言ったのだが、私は「大切なものだからこそ、貰って下さい」と言って、米長氏の指示通りに森下さんに扇子を進呈した。

 実は、このとき、米長氏に言えなかったことがある。

 私が「名人 米長邦雄」の扇子を何本もまとめ買いしたのは、翌年の名人戦挑戦者が羽生善治氏だと予想して、「名人 米長邦雄」の扇子はもう買えなくなるだろうと思ったからだった。

 その事情を言ってみようか、と1秒半くらい考えてみたのだが、私は言うのを止めた。

 明らかに失礼だが、インタビューとしては、これに米長氏がどう返してくるかを聞いてみる価値があったと思う。的確に返したらゲストである米長氏が光るし、それが出来なくても、こちらでは何とかフォローできるだろうとは思っていた。また、後から考えるに、賢い米長氏のことだから、その場で怒って、気まずいだけになる、というようなことはなかっただろう。

 しかし、棋士に限らず、勝負を職業とする人は自分への評価に大変敏感だ。社会人として、また、ある程度は将棋を知っているファンとして、これを言わなかったことは正しかったとようにも思う。

 だが、何も言わなくても、米長氏は、私の米長氏に対する距離感を把握していたのかも知れない。

 インタビューアーとして一歩踏み込むべきだったのか、それとも、人間としてそうしなかったことが正しかったのか、今でも、時々その時の状況を思い出すことがある。

 「将棋世界」3月号表紙のモノクロ写真で爽やかに笑う米長氏は、その答えを教えてくれない。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ストレスへの対処法

 先日の「JMM」で、ストレスに対する対処法を問う質問があり、概ね以下のように回答しました(一部手を加えています)。

 ビジネスパーソンも含めて多くの人を観察していると、人間にとって大きなストレス源になっているのは、人間関係の不調や、他人との好ましいふれ合いの不足であるように思います。

 私も「ストレス」をそれなりに持っています。率直にいって、私は、物事の見通しが楽観的であるよりは悲観的です。また、性格的に「自己評価」が低めです。あれこれ心配だし、自分に自信は無い、ということなので、ストレスを自分にとって無い物のように思い込ませることはできません。

 私のストレス対策は次の二つです。一つ目は「ごまかさないこと」で、二つ目は「力一杯寝ること」です。

 自分が感じているストレスの内容や原因について、(できるだけ)ありのままに理解することが重要です。たとえば、自分の力不足から起こったことを、運や、他人の悪意のせいにする、といった現実の歪曲を行うと、前の歪曲を正当化するために次の歪曲が生まれ、やがては現実認識が狂いますし、自分が自分の認識を信じられなくなります。

 多くのストレスの原因は、それ自体を率直に認識してしまうと、「確かに不快だが、それは、それだけの問題だ」と思えることが多いのです。大半の「お化け」と一緒で、ストレスも、よく見てしまうと、それ以上に怖いもののではありません。直視せずにいると、虚像が拡大しながら実像のように振る舞いはじめます。

 また、ストレスを寝ること以外の手段で解決しようとしないことが肝心です。私は、いくつか気晴らしになる趣味を持っていますし、お酒好きです(ランダムに10人成人男性を集めた時に、上から3番目くらいの酒好き且つ強さでしょう)。しかし、今日は腹が立った、今日は酷い日だった、今日の自分は不機嫌だ、というような自覚がある時に、これらを趣味やお酒への逃避で気晴らししないことにしています。

 自分の好きなものをストレスと関係づけたくないという理由もあります。加えて、逃避には際限が無いという恐れを感ずるからでもあります。寝る前に多少のお酒ぐらいは飲むわけですが、意識的に通常未満の量に抑えます。「やけ酒」はやったことがありません。酒飲みも、この程度にはお酒を怖れるべきでしょう。

 これらと異なり、「寝る」という行為は健全です。睡眠時間中に記憶・概念・感情などが脳内で整理されますし、たいていは寝る前よりも寝た後の方が元気なので、ストレスを自分と切り離して客観視できるようになります。それ自体を客観視できるようになると、ストレスは、冷静に扱えるものになります。

 小学生時代の同級生に、寝る前に「さあ、力一杯寝るぞ!」という口癖がある(と同級生から聞いていた)お兄さんがいました。当時、子供心に、なんとなく洒落た言い回しだなと思ってこの言い方が頭に残りました。その後、「寝る」ことの効果を自覚するたびに何度もこの言葉を思い出しました。やがて、自覚したストレスに対しては十分寝る以外に対策がないしそれで十分なのだという経験則に基づく方針を「力一杯寝る」という言葉に集約するようになりました。

 同級生のお兄さんは、若くして交通事故で亡くなってしまいました。生前の彼と私は殆ど話をしたことがありません。しかし、彼の言葉は私の心の中に、実際にその声を聞いたことがあるかのような鮮明で具体的なイメージとして今も残っています(しかし、声色はどうしても思い出せないままです)。
コメント ( 502 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名刺をデザインして貰いました

 前々から気になっていた、「経済評論家」の肩書きの名刺を作り直しました。これまで、近所の名刺屋さんで急造した「異業種交流会向けに、急いで作ったような」(名刺を受け取った某編集者の感想)殺風景な名刺を使っていたことと、肩書きに「獨協大学経済学部特任教授」が入っていないことが気になっていました。

 かつて「投資バカにつける薬」(講談社)の表紙をデザインしてくれた斉藤重之さんというデザイナーからツイッター経由で、当ブログのデザインについてご意見があり、この際、ブログのデザイン(現在工事中)と共に、名刺のデザインもお願いすることにしました。
(斉藤氏の作品及びブログはhttp://saito-shigeyuki.comをご参照下さい。尚、デザイン料などの費用は、直接お問い合わせ頂きたいと思いますが、私はリーズナブルだと思いました)

 名刺が出来上がって手元に届きましたが、シンプルながらデザインの工夫が効いていて、また、活版印刷の味わいも良く、大変満足しています。私の仕事の性質を考えると、もっと早く作るべきでした。

 この名刺は、「経済評論家」及び「獨協大学経済学部特任教授」用で、表面は携帯番号とメールアドレス、裏面に自分の会社(株式会社マイベンチマーク)と所属事務所(オーケープロダクション)の住所・電話番号を入れています。楽天証券については、楽天証券で作った名刺を別に用意して使用しています。

 これで、自分が渡す名刺については大いに改善したのですが、貰った名刺の管理については、現在悩みの多いところです。思いつく限りで、以下のような問題があります。

(1)名刺のデータをデジタル化したいが手間が掛かる(秘書さんにお願いしていましたが、手間と時間が掛かる。スキャナー+OCRソフトはまだ完璧ではない)

(2)名刺の保管がやっかい(全てスキャンして、必要と思うものを残すことにしていますが、溜まって行く名刺を今後どうするかは思案中)

(3)データの更新が困難(名刺は平均2年くらいで情報が変わるように思います。相手の部署、担当する仕事、電話番号、メールアドレス、時には所属会社などが変わっていて、いざというときに連絡の役に立たないことがある)

(4)名刺の分類・整理をどうするか(仕事上、あるいは私生活上、非常に重要な人間関係に対応する名刺データと、念のため持っていたい名刺データを区分したいし、ある程度、分野別にも整理したい)

 先般、楽天証券で私の秘書業務を担当する担当者が代わり、これまでの名刺データを大きなエクセルファイルで受け取りましたが、この整理及び、今後の追加、さらに新しい管理の方法について目下思案・試行錯誤中です。

 一般論としても、個人にとっては、自分が持っている資料や、過去の仕事のアウトプットなどに加えて、人的関係も、十分活かすことができるか否かで、今後上げることができる成果が大いに異なる重要資産です。人的関係が新しいビジネスや楽しみをもたらすことがありますし、人的関係を好ましい方向に発展させ且つメンテナンスすることが大切なのは明らかです。
 考えてみるに、facebookの友達などについても、分類・整理が必要でしょうし、自分の側から積極的に働きかけないと勿体ない。人間関係を能動的に作るか、受動的対応にとどまるか、では、大きな差が付きそうです。

 効果的な人脈データ管理術について、方法を模索してみたいと思っています。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

LCCを使ってみました

 8月最終週の家族旅行でLCCを使ってみた。成田空港と札幌千歳空港の往復で、航空会社はジェットスターだ。かなり前に予約したが、大人2人と子供2人で往復合計7万数千円は、格安だ。北海道は子供の夏休みが終わりだが、東京はまだ休み期間なので、これでも平時より割高な料金だ。
 LCCは時間割がタイトで、処理遅れが溜まる夕刻の便は不安定だと聞いていた。案の定、夕刻出発の行きの便は80分遅れた。
 ウェブの処理に不具合があったり、往路復路共に空港でその説明に手間取ったり(事情を詳しく聞くより先に、予約番号を聞いて処理を済ませると早いのに…)、さらには、問い合わせの電話がなかなか繋がらず、早朝にかけても30分待ちだったりと、主として開業初期の練度不足と思われる不具合が複数あった。
 現時点でのLCC利用の傾向と対策は以下の通りだ。
(1)仕事の場合や時間に余裕の無い旅程ではLCCを使わないこと、
(2)空港に早めに着くようにすること(1時間半あれば大丈夫だろう)、
(3)本や(自称“ノマド”は)タブレット端末など有効な時間潰しを準備すると同時に待ち時間をむしろ楽しみにするくらいの心構えを持つこと、
の三点だ。
 今回、少なからぬ不便はあったが、筆者は、トータルではLCCに満足だった。運賃の安さに加え、機内の感じが想像以上に良かった。席間は狭いが、1時間半のフライトなら、やや大柄な筆者(177センチ、73キロ)でも何ら問題はない。また、飲み物やおしぼりの無料サービスがないことは、こちらで気を遣わずに済む分、むしろ爽やかだ。乗務員の行動や応対も感じが良い。
 個人的には、当面、仕事では使わない。しかし、気楽な旅行なら、またLCCを使ってもいい。
 将来、オペレーションのレベルが上がり、時間が信用できるようになれば、仕事でも使えるし、遠からずそうなるだろう。
 LCC的ビジネスは、供給のキャパシティーが短期的に調整しにくく、需要側の価格弾力性が大きい場合には、売手・買手双方にとって合理的だ。
 航空以外の分野にも、もっとあっていいだろう。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

騎手の信頼性を評価する指標

 たまには、競馬の話でも。

 昨日、グリーンチャンネルの「草野仁のスタジオgateーJ」という競馬の番組の収録に行って来ました。過去の競馬とのかかわりや、馬券の買い方、競馬と投資・行動経済学の関係など、あれこれ話す機会がありましたが、この収録の準備のため、「競馬ブック」のデータを見ていたら、騎手の「信頼性」(馬券ファンから見た腕の良し悪し)を評価する指標を思いつきました。

 一般に、騎手の信頼性は、勝ち数、あるいは連帯率、又は条件別の勝率などで評価することが多いようです。しかし、勝ち数は、抜群に強い馬に乗ると増えますし、連帯率も勝ち数の歪みの影響を受けます。「抜群に強い馬でない場合でも、騎手の腕が好影響を与えている場合はないか?」と考えてデータを見ていたら、3着と4着の比率(3着数が4着の何倍か)を計算することを思いつきました。3着と4着ではもちろん賞金が大きく違いますし、馬券を買う側にとっても、複勝・三連複・三連単で大きな影響を受けます。加えて、レースでは3着と4着の着差は僅かである場合が多く、「4着になりそうな馬を、3着に持ってくることが出来る騎手こそが、上手い騎手なのではないか?」という仮説を立ててみました。

 表は、先週(~8月12日)までの今年の騎手成績の勝ち数上位10人と、武豊騎手のデータを見た物です。「騎手の信頼度」をどう見てどう感じるかは、個々の競馬ファンによって差のあるところでしょうが、「3着対4着比」は、私が日頃感じている騎手の信頼性のイメージに近い数字になっています。岩田騎手、内田騎手、蝦名騎手、横山騎手などは、日頃、私が「上手い騎手」と考えて馬券を買うことが多い騎手です(もっとも、それ以上に、「外人騎手」を重視することが多いのですが)。
 一方、福永騎手は、よく勝っている印象で連帯率も高いのですが、私は、あまり馬券上の相性が良くなかったこともあって、今のところ、それほど信頼をしていません(注;あくまで馬券検討上の問題です)。また、武騎手は、近年勝ち数が落ちていますが、これはかつてのように高確率で勝てる馬に乗っていないということだけではなく、何らかの腕の衰えがあるのではないか、という印象を持っています。

 尚、馬券検討上、騎手をどれくらい重視するかですが、私は、「概ね2割くらい」と考えています。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トイレと野村證券の話

 以下は、既にあちこちで話題になっているが、野村ホールディングス株式会社の第108回定時株主総会(平成24年6月27日(水)開催)の「招集ご通知」に記載された、株主提案の一つだ。
=====================================
「第12号議案 定款一部変更の件(日常基本動作の見直しについて)

提案の内容:貴社のオフィスの便器はすべて和式とし、足腰を鍛錬し、株価四桁を目指して日々ふんばる旨定款に明記するものとする。

提案理由:貴社はいままさに破綻寸前である。別の表現をすれば今が「ふんばりどき」である。営業マンに大きな声を出させるような精神論では破綻は免れないが、和式便器に毎日またがり、下半身のねばりを強化すれば、かならず破綻は回避できる。できなかったら運が悪かったと諦めるしかない。

○ 取締役会の意見:本議案に反対いたします。
=====================================
 筆者は、子供時代に和式便器を使うことがそれなりにあったが、ここ30年くらいは洋式便器を使うことが多い。現在、どちらの方式も利用するが、駅のトイレなどで両方式があれば、不潔な感じがするトイレ以外であれば、洋式を選択することが多くなった。自宅も洋式である。足腰の鍛錬は不足しているかも知れない。
 便秘は生まれてから今までほとんど経験が無いし、便意には割合敏感な方なので、一日に平均3回くらいはトイレに座る。トイレは気分が切り替わる場所なので、短時間の利用予定であっても、雑誌や本を持ち込むことが多い。筆者の少年時代、実家のトイレには「週刊朝日」の前週、前々週くらいの号が置いてあることが多かったので、その名残だ。先週までは、拙宅のトイレにショーペンハウアーの名言集が置いてあった。ドラッカーなども使えるが、名言集の類はトイレと相性がいい。原稿のプリントアウトと赤ペンを持ち込んで校正することもある。場所が変わると気分が変わるので、これもまあまあだ。
 利用時間や目的から考えると、iPADを一枚置いておくと便利だろうと思うが、まだ決心がつかない。トイレの中で子供が遊んで、なかなか出てこなくなりそうだという点が心配だ。
 さて、証券会社は和式トイレがいいのだろうか。
 かつて、ある運用会社へ面接に行った時、社内を案内してくれた専務さんが、「ご存知のように運用会社は座っている時間が長いので、痔持ちが多い。我が社は、すべての便器をウォシュレット付きにしました」と自慢されていた。「運用会社なので、ウンの用を足す場所を大切にしています」という駄洒落付きだった。
 私は、ウォシュレットの有無はどちらでもいいが、ウォシュレットの付いたトイレを使っている会社の方が、トイレを熱心に掃除しているような印象があるので、ウォシュレット付きのトイレを備えていることはオフィス環境評価上プラス評価だ。
 一方、セールスマンはじっと座っていては困るし、和式は構造上短時間の利用で済むので、証券会社には和式がいいという提案は分からなくもない。
 ちなみに、楽天証券は、品川シーサイドの楽天タワー内にオフィスがあり、このビルのトイレは洋式でウォシュレット付きだ。トイレ自体は快適だが、一フロアの人口が多いので、人口当たりの個室数が少ないことが、少し問題かも知れない。和式にすると使用時間が短縮されて、回転率対策になりそうだが、今時の若手社員は和式を嫌がるかも知れない。
 さて、野村證券だが、最近の株価は200円台だ。筆者は、自分の資産で野村證券の株式を持ったことはないが、伝統的に、野村證券をはじめとして日本の大手証券会社及びグループ会社の社員は、自社株を持っていることが多い。かつての山一証券には、自社株を買うためだったら融資受けることが出来るという、地獄への入り口のような制度があって、金策に困って自社株で一勝負して散っていった社員を知っている。
 運用の常識からいうと、リスクを集中するのは得策でないから、自社株投資は基本から外れている。証券会社の社員がこれでは心許ないが、そもそも彼らは、資産運用のプロではない。自社株を持っているような証券マンに運用のアドバイスを求めてはいけない。
 また、社員が自社の株を多く持っている状態は安定株主形成には好都合だが、インサイダー取引の心配もしなければならないから、企業にとって必ずしもいいことではない。
 一方、ベンチャー企業や成長期の会社の場合に、自社株やストック・オプションがボーナス代わりになる場合があり、こうした会社に勤める場合は、自社株と上手く付き合わないと財産形成が上手く行かない。
 また、社員持ち株会の購入資金に補助が出る会社の場合(たとえば、かつて三菱商事は購入資金の10%の補助があった。これはなかなか大きいが、今もあるのだろうか?)、社員持ち株会の購入金額を大きく設定して、売りやすい単位になったら、こまめに株を売ることで、リスクを抑えながら補助のメリットを取り込むことができる(いささかセコイ行動で気が進まないが)。
 さて、野村證券だが、社員・OBには野村證券の株式を少なからず保有していて、近年の株価には大いに腹を立てている人がいるのではないだろうか。現経営陣への風当たりは相当にきついのではないだろうか。
 リーマン・ブラザーズの欧州、アジア部門買収という大勝負は、ここまでのところ裏目に出ている。今批判するのは結果論だが、たとえば欧州経済の状況を甘く見ていたのだとすれば、証券会社としては「分析の失敗」であり、曲がった相場観だった。「経営は立派だったのだが、運が悪かった」といえる行動ではない。
 かつて厳しい会社だった頃の野村證券のイメージからすると、経営トップが交代しないことが不思議だが、野村も今や、普通の日本の大企業と同じで、経営陣は常に安泰な役所のような会社になったのかも知れない。
 筆者は野村の株主ではないので恨みもないし、誰が経営していようと構わないのだが、たとえば同社の経営陣が「グローバルな投資銀行プレーヤー」を目指しているのだとすれば、そのビジネス・モデルは考え直す方がいいように思う。理由はくどくど述べないが、野村の経営資源にとって不向きだ。ドラッカー流に「強みを生かす」ことを考えるべきだ。
 今の野村の役員室のトイレは、たぶんウォシュレット付きの洋式で便座の暖かい快適なものが用意されているのだろうから、トイレに座ってじっくり考えてみるといい。
コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビの取材を受ける場合の基礎知識

 先日、AIJ投資顧問の事件に絡んで、幾つかのテレビ番組でコメントしたら、twitterで、取材される時の状況はどのようなものかという質問を頂いた。読者の皆さんも、殆ど全ての方が、潜在的にはテレビに取材される側になる可能性がある。取材の概要と傾向と対策について、気付いたことをメモしておこう。

 テレビに取材される場合は、先ず、生か収録かを意識することが重要だ。テレビに不慣れな場合は、生の場合により強いプレッシャーを感じるかも知れないが、取材される場合に要注意なのは、むしろVTR収録の場合だ。理由は、収録には編集が伴うからだ。収録の場合、自分が言いたいことや、自分の発言について補足したことが(本当はセットでないと誤解を招くのに)必ずしもオンエアで使われるとは限らない。

 十年くらい前のことだが、あるキー局の女子アナと話をした時に、彼女が「私が取材を受ける側なら、後で編集される事前収録の取材は受けたくない」と言っていたことを思い出す。その時は、「生でなくて、収録の方が、失言を後から削除できるから安心なのに」、「取材する側の人なのに、テレビ局の行為に否定的なのか」と少々驚いたことを覚えているが、その後、当時の彼女の気持ちが良く分かるようになった。

 取材を受ける側の理想としては、時間の余裕(少しでいいから)のある生出演ということになる(NHKの「ニュースウォッチ・ナイン」は丁寧な作りで、出演者としてはいい感じだった)。

 VTR取材の場合、取材する側からカメラマンとインタビュアーがやって来ることもあるし、テレビ局に行って会議室(こちらの方が多い)かスタジオでインタビューを受けることもある。印象をいうと、テレ朝は局の会議室が多いし、フジテレビは取材にやって来ることが多いように思うが、私はどちらでもいい。通常は、局に行く場合は、テレビ局側が交通手段(の、少なくともコスト)を手配してくれる。

 報道番組のオンエアで使われるコメントは、通常1、2分、長くても3、4分くらいであることが多い。しかし、通常、インタビューは、短くて10分、長いと30分くらいかかることが多い。そして、前述のように、使われるコメントは、話した側にとって不満足な部分であることが少なくない。

 率直にいって、言いたいこと以外の発言をオンエアされたくないと思えば、自分の言いたいこと以外には一切何も答えないというくらいの覚悟が必要だ。但し、これは、よほど強い意思を持っているのでないと難しい。常人には不可能だろう。

 たとえば、一生に一度だけテレビの取材を受ける機会で、不本意な伝わり方は絶対に嫌だという方は、収録の取材は受けない方がいい。テレビ局(が使っている人)は、初対面から信用できる相手ではない。

 それでも私が収録の取材を受けるのは、(1)プラスになる内容がマイナスになる内容よりも多く伝わればそれでいいと割り切っているから、(2)雑誌やウェブなどで自分の意見を表明できる場があるから、という理由による。相手が悪意を持っている場合まで考えると、これでは油断しすぎなのかも知れないが、大体の相手は立場と能力の制約はあっても概ね善意の取材者であるし、現在の私の価値を貶めてもこれをメリットと感じる人はいないだろうという(少し残念な!)自己評価があるからだ。私が政治家でもやっているなら、あるいは所謂「有名人」なら、もう少し用心深くなければいけないだろう。

 取材の謝礼が気になる読者がいらっしゃるかも知れない。

 基本的には、取材を受ける立場では、「取材謝礼はゼロでもいい」と認識しておくべきだ。取材の内容によっては、謝礼を払うことと取材の目的の間にコンフリクトが生じる。取材は断る権利もあるし、だからこそ、受けるからにはそれなりに覚悟が必要だ(一応の原則論として)。

 ただ、一般的な事項解説的取材では、解説に対して謝礼を払うのは自然だろうし、謝礼には、取材源が取材に使った時間と手間への対価という意味もある。

 取材謝礼に公定相場がある訳ではないし、実のところ私も金額を確認しないことが殆どなのだが、10分~30分くらいの収録取材に応じて何分かオンエアされたといったケースでは、1万円~3万円くらいのものだろう(特別な情報提供の場合はもっと多いかも知れないが、それは稀だろう)。

 タレントではない文化人(評論家、先生、作家、ビジネスマン、等。私もこの範疇)の場合、テレビ出演の謝礼には民放各局の間で「ゆるやかな談合価格」があり(NHKはもう少し安いと言われている)、局や番組の予算などで異なるが、ゲスト的な出演の場合「1時間テレビに映っていると5万円」というくらいのものだろう(但し、レギュラー出演で、MCなど重要な役割の場合、別建てになることはある)。私の場合、「報道ステーション」や「スーパーニュース」でVTR取材に答える謝礼は1回(たぶん)2万円くらいだろう。「とくダネ!」(フジテレビ、約2時間の生放送)のコメンテーターは1回、10万5千円(出演料+消費税で)だった。文化人のテレビ出演は、それ自体はそれほど儲かる仕事ではない。

 準備や移動の時間と手間を考えると、テレビ出演自体は、それほど割のいいものではない。ビジネスとして考えると、たとえば評論家の場合、テレビで顔を売って、講演(テレビよりも時間あたりの収入がいい)で儲ける、というのが典型的なビジネスモデルだろう(私の場合、少々違っていて、経済的には随分非効率的だ)。

 つらつら考えてみるに、テレビで露出することがメリットになる商売に関わっているのでない限り、ビジネス的には、テレビに出ることは、差し引きでそれほどメリットのあることではない。とはいえ、今のところテレビの情報伝達力は圧倒的だ。伝える価値のあることを発信しようとする人は、上手に付き合いながら、テレビを上手く利用して欲しい。
コメント ( 38 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

取材の可視化あるいは公開

 昨日、ある雑誌の取材を受けながら、これを録音か動画でネットにアップするとどうなのだろうか、と考えていた。

 取材のテーマは「ビジネスマンが経済・経営について学ぶのに適した書籍を薦めて下さい」というもので、順番を付けて、20冊紹介した。1番目はこの本で、理由はかくかく、と20冊について90分くらい話した(一応、まとまった話をしたと思う)。ちなみに、ベスト3は、1.フリードマン「資本主義と自由」、2.ウェルチ「ウィニング 勝利の経営」、3.ドラッカー「経営者の条件」で、それぞれ、経済、経営、自己啓発分野の役立ち書籍ナンバーワンだ(但し、ウェルチの本は、読み方にコツと注意が必要だが)。

 さて、取材を受けながら考えたことの1番目は、暇な人がネット経由で見聞きすると、単純にためになるかも知れないということだった(価値は視聴者が判断すればいい)。問題は、書籍(雑誌)の売り上げに対する影響だが、90分時間をかけて視聴するよりも2ページ(?)眺めるほうがいい人もいるだろうし、興味を持って雑誌を買う人もいるだろうし(たとえば、他の人の記事も見たいだろう)、帳尻は宣伝効果のプラスが効いてプラスになるのではではないか。

 もう一つ考えたのは、雑誌を見て、もっと詳しい話しを聞きたいと思った人に対して、ネットに取材の際の音声や動画があると補足説明になることだ。誌面に載らない情報も届けることが出来る。スペースに制限がある紙の記事を補完することが可能だ。

 加えて、今回の取材では問題にならないと思うが、取材を受け掲載記事を見た時に「私は、こんな話しをしたつもりはないのに」と思う場合に、取材の記録があれば、証拠になるというメリットもある。一定の意図やバイアスのかかった取材も現実にはあるので、取材される側が身を守るには記録が有効だ。記録があって、公開が可能なら、いくらか気楽に取材を受けることが出来る。これからは、取材を受ける側が「録音していいですか?」と相手に許可を求める時代になるかも知れない。

 別に「オレの話は面白いから、直接伝わらないのは、もったいない」とまで考えた訳ではないが、「取材→記事」という作業に一手間加えるだけで、(1)ネットによる宣伝(無料)、(2)より詳細な情報の伝達(有料化も可能かな?)、(3)取材に関する証拠の保存、といったことが、やろうと思えば可能なのだな、と思った。あるいは、ビジネス的には(4)取材に立ち会いを許可する(有料で、あるいは会員に)という選択肢もあるか。

 ビジネスとして考えると、「評論家」も、原稿を書いたり(紙の本が高い値で売れる時代では無くなりつつある)、講演をやったり(景気に左右されるし、スポンサーの影響を受ける)、ということばかりではなく、別種のビジネスモデルを考えることが可能(且つ必要)なのではないか。たとえば、facebookをプラットホームにして、こうしたモデルのビジネスが可能になるかも知れない。
コメント ( 36 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グルメ今昔

 画像の「五傑そろい踏み」は、筆者が高校1年生、つまり37年前頃に流通していた、映画監督、山本嘉次諸さんの「東京食べ歩き地図」の巻末に載っていたものだ。当時、著者は札幌の高校生だったが、駿台の夏期講習を理由に上京して、食べ歩きを試みた。といっても、当時はまだまだ子供で、そんなにお金を持っている訳でもないので、コーヒーと蕎麦を中心に、あとは、うなぎやとんかつを食べたくらいのものだった。

 蕎麦は、今となっては、藪蕎麦よりも美味い店がたくさんあるような気がする。しかし、コーヒーは、好みの問題もあるが、未だにカフェ・ド・ランブルよりも美味いと思うコーヒー屋はない。とんかつ屋は、蓬莱亭や本家ぽん多は、まだまだ東京のとんかつ屋では第一線の範疇だろう。うなぎの野田岩、尾花も格付ならばAAはあっていいと思う。

 随分変わったな、と思うのはラーメンだ。全国的にラーメンに凝る文化が育まれて、東京でも様々なラーメン屋が栄えている。当時の東京のラーメンは貧しいものだった。札幌のラーメンと東京のラーメンは大差で札幌のが美味いと思っていた。だが、今は分からない。まだ札幌の方が美味いのかも知れないが、確信は全くない。東京では各種のラーメンがしのぎを削っていて、ラーメンが評論の一ジャンルとして確立された趣がある。今や、雑誌を見ると、株価や株式の銘柄よりもラーメン屋の話題の方が多いくらいだ。

 30年以上前のグルメ情報は、価格と味のバランスを取っているとの触れ込みだが、要は、著者が個人的に知っている店をリストアップしたのだろう。近年の網羅的でしばしばネットによる多くの人の意見を反映したランキングの方が、情報としては有用なのかも知れないが、一人の通人が自分の好みにまかせていい店を紹介したリストにも捨てがたい味がある。

 ブログで飲食店を紹介するのは、一つにはネガティブな意見を書きにくいことと、もう一つには食事中に食べ物の写真を撮るのが食事マナー的に冴えないことの二つの理由であまり積極的にやってこなかったが、最近は、時々ならいいのかなと思うようになった。さて、どこから紹介しようかな・・・。
コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ