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西澤ヨシノリ選手の多分最後の試合を見てきました

 感覚的には今日、正確には昨日、学生時代から愛読するさる夕刊紙のご好意により、後楽園ホールで、東洋太平洋ライト・ヘビー級チャンピオン、西澤ヨシノリ選手の試合を見てきました。西澤選手は昭和41年1月11日生まれの41歳で、日本のボクシング界のルールでは、この試合で負けると、次には、年齢制限で、もう試合が組めないので、たぶん引退になるだろうという試合でした。
 
 相手は、同級1位の、オーストラリア人、ヒース・ステントン選手(31歳)でした。戦績は、11勝(2KO)17敗1引分で、身体は西澤選手よりも一回り小さく感じました。ボクシングのスタイルについて確かなことは言えませんが、オーソドックス(右構え)のボクサー・ファイターで、パンチは軽そうですが、ハンド・スピードがあって、勇敢でした。

 試合の前日のNHK「クローズアップ現代」で西澤選手が取り上げられたこともあり、後楽園ホールは当日券が全て売り切れる満員でした。西澤選手の地元(長野)が選挙区との理由だったようですが、リングサイドには羽田孜元首相が居て、観客に紹介されました。

 私が座っていた席は、ステントン選手側のコーナーに近いリングサイドの前から5列目の席です。試合の全貌を観戦するには、もう少し後ろの席の方がいいように思いましたが、試合の迫力を堪能できるいいポジションでした(チケット価格は2万円でした)。

 試合は、大雑把には、前半にステントン選手がいい調子、中盤に西澤選手が盛り返し、終盤には、ステントン選手が再び調子を上げ、最終ラウンドでは、西澤選手は疲労困憊に見えました。

 結果は、ステントン選手の判定勝ちでした。日本人のジャッジが117-113を付けていたのが最も僅差で、3-0の判定負けです。会場が騒ぐこともなく、西澤選手が抗議することもなかったので、妥当な判定なのでしょう。11Rに、西澤選手が猛攻し、12Rにバテていた展開からすると、西澤選手サイドは、負けていると思って、11Rに勝負を賭けたのかも知れません。

 しかし、恥ずかしながら、私の手元の採点では、西澤選手が僅差ながら勝っていたとジャッジの点数発表の最後の瞬間まで思っていました。この試合以外の7試合中3試合が判定になったのですが、私の採点とジャッジの採点は、何れも一致していたのですが、この試合だけ、大幅に狂ったのはなぜだろうと、何のためになる反省なのかは分からないながら、現在、大いに反省しています。私は日本人を贔屓するということはないし、チャンピオンよりは、挑戦者を応援する性分なのですが、どうしてなのか・・・。何はともあれ、もう少し、見る目を養わなければいけません。

 一発一発のパンチは、明らかに西澤選手の方が威力があるように見えて、ステントン選手のいかにも手打ちのパンチよりも、効果があると思っていたのですが、いかんせん、西澤選手は、ステントン選手の左のパンチを顔で受けすぎたようです。幾らか頭を下げた状態で様子を見ていると、右手のガードが下がり、相手の軽いフック気味のパンチが、すとん、すとんと入りました。相手が出るときにも入り、下がりながらも入る、という感じなので、見た目には、西澤選手が強く振るために下げ気味にした右手のガードの空きを打たれている、という感じなのですが、右目がよく見えていないのだろうか、とも思えました。

 ステントン選手は戦績でも分かるとおり、どうひいき目に見てもパンチのある選手には見えないのですが、それでも、ライト・ヘビー級のパンチを受けるのですから、西澤選手のダメージは心配でした。あの左がもう少し体重を乗せて打った重いパンチなら、あるいは、あごの先まで届く深いパンチなら、ダウンシーンがあったかも知れません。

 それ以上に、何ともいえない気分になったのは、西澤選手の娘さんの声援でした。「パパ、リズム、リズム!」といった声でセコンドが言うような内容がしばしば、聞こえるのですが、声の質は明らかに子供です。小学校の4年生くらいの娘さん(伝聞ゆえ不正確です)がいらっしゃるようなのですが、それがパパの雄姿でもあるものの、パパが打たれる姿を娘が見て、しかも、技術的な声援をしている。

 何が、どうして、と問われると、言葉につまるのですが、胸がじーんとするような数十分でした。

 試合は無事に終わったので、西澤選手は、娘さんに、父親が命懸けで戦う姿を見せることができた、父親冥利に尽きる父親なのだ、と頭では理解したのですが、あの娘さんの声がまだ耳に残っていて、複雑な気分です。
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「ダーウィンの悪夢」で、豊かさと幸福を考える

 JMMで村上龍さんが「ダーウィンの悪夢」を撮ったフーベルト・ザウパー監督との対談を載せておられたので興味を持って、この映画を観に行ってきました。渋谷のシネマライズでやっていましたが、平日の午後5時15分からの回で、客の入りは30-40人くらいだったでしょうか。これから、ご覧になる方は、多分余裕を持って観ることできると思います。

 映画は、ヴィクトリア湖にかつて誰かが放流したナイルパーチという肉食の大きな(1m以上のものが多い)魚が、湖の在来種の魚を食べて大いに増えて、このナイルパーチを加工して、欧州・日本に輸出する加工産業とこの魚を捕る漁業が発達し、湖の周辺が変わったことを描いたドキュメンタリーです。

 小型のカメラを使ったと思われるインタビューが多用されていて、映像そのものは正直なところぱっとしませんが、輸出用に加工して残った魚の、頭と骨を集めた場所のシーンには(現地の人は、魚の身の部分は高くて食べられないので、頭を洗って油で揚げて加工したものを食べる)、圧倒的で、臭うような、粘りつくような、頭から離れない強さがありました。蛆が這いずり回る加工現場では、目をやられるような刺激を持ったガスが発生しています。

 ナイルパーチは巨大な魚でまったく可愛くありませんが、食用に適した白身魚のようで、加工された切り身を主に欧州に運ぶための飛行機が毎日湖の近くにある空港に飛んできます。

 往路では魚を積んでいないこれらの飛行機は、どうやら、アフリカの戦争で使われている武器弾薬を積んでくるらしい、という点がこの映画の一つの筋であり、もう一つの筋として、漁業・加工業で経済的には発展していても、事故やエイズで死ぬ漁師の男、街に売春に出てきてエイズや客の暴力などで死ぬ女性、暴力におびえて生活する子供たち、といった、現地人を使った魚加工産業がで栄える蔭での、現地の人びとの生活のネガティブな面が描かれています。

 経済の問題として考えると、産業が無かったところに、大きな需要が発生し、世銀なども関わって資本が導入され、地域の総生産としては、間違いなく「豊か」になっているはずなのです。

 しかし、病気(エイズ)による死者の増加(ある牧師の管轄エリアでは、半年に人口の一割以上が死んでいる。ちなみに、この牧師は、不貞や同性愛が宗教的「罪」なので、自分は、コンドームの使用を奨励することはできないのだ、と語っていました)、過酷な労働による死者やけが人の発生、ホームレスの子供の発生、売春の横行、武器売買、さらには健康な貧者の兵士志願が生む戦争指向へと、どうも、産業の発達以前よりも、現地の暮らしのありさまは、幸せでも、良いものでも、なくなっているらしい、ということが推測できます。

 もちろん、漁業や魚の加工業などで発生した雇用や、関係者がもたらす需要(白人さんの買春需要は映画からも良く分かりましたが)があって、これで、生活が改善した、という人もいる可能性があり、この映画だけから、「豊かさが、人々の幸福につながらない場合がある」といった重い経済学的命題を主張しない方が良さそうではあります。

 しかし、その方向で考えてみるとすれば、お金・経済力を「悪いこと」に使う人間が現実には少なくないことと、全体としては豊かになっても、必ずしもこの恩恵が関係者全員に及ぶわけではないといったことが思い浮かびます。

 身近なところで例を挙げると、たとえば、夜の六本木の街は、以前よりも大きな需要を吸収しているでしょうが、以前よりも汚く、趣味悪く、そして間違いなく危なくなっているように思います(一人でふらふらするのは止めた方がいいし、裏通りは危険です)。また、儲かっていても、労働需給が緩和されていれば、違法な請負まで使って、労働条件をもっと厳しくしようとする例の会社のような企業があったことにも思い至ります。

 「豊か」が「良い」あるいは「善い」を直接損なう場合があること、あるいは、両者を別々のものとして扱うことが出来ない場合があることについて、よく考えてみるべきなのかも知れない、と思いました。
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久間防衛相のイラク開戦批判

 朝起きたら、Ardbegになっていた、ということはなかったが(しかし口中には余香が・・・)、愉快なニュースがあった。以下、西日本新聞の25日朝刊の記事を引用させて貰う。
(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/20070125/20070125_002.shtml)

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 久間章生防衛相は24日、日本記者クラブでの講演で、イラク戦争に関し「(イラクに)核兵器がさもあるように言って戦争に入っていった米国の判断は間違っていた」と語り、ブッシュ米大統領の開戦判断を批判した。同大統領が一般教書演説でイラク増派の正当性を訴えている中でもあり、米国を支持してきた政府の対応を含め波紋が広がりそうだ。

 久間防衛相は戦後処理についても「フセイン政権を倒した後、イラクをどう統治していくのか、処方せんがないまま戦争に入れば大変なことになると米国関係者に言っていた。経過を見て、やはりそうだったなと思っている」と述べた。
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 イラクは土地は砂漠でも、情勢は泥沼であり、毎日何十人も人が死んでいるし、米兵の死者も確か3千人を超えた。ブッシュ、ブレア、小泉が存在を信じることにした「大量破壊兵器」は見つからなかったし、ブッシュとブレアは、それぞれ自国で批判に晒されている。

 問題は、米国の対イラク開戦を積極的に支持し、自衛隊まで派遣するなど、冴えないなりに精一杯イラク戦争を推進してきた日本で、その反省が乏しいことだった。

 この無反省は、小泉・安倍政権としては、誤りは認めたくないが、そうすると、結局、米国に従っただけという姿を説明することになるし、国民も、それは情けないから、直接取り上げたくない、という気分によってもたらされていたと思う。(日本は、前の戦争に大敗したのであり、一人前の口がきける身分ではない、と思い知らざるを得ない)

 久間防衛相の言っていることは、全く正しい。

 しかし、彼は、先般、防衛省に昇格した防衛の担当大臣であり、日本がアメリカの実質被支配子会社であるとすると、安倍首相が現地法人の社長なら、営業担当の取締役くらいの役回りの人であり、その彼が、親会社のCEOたるブッシュ大統領をおおっぴらに批判するのだから、これは面白い。

 こうした状況になると、もちろん、子会社のトップとその茶坊主(社長室長?)は慌てることになる。再び、西日本新聞の記事からの引用だが、以下のような、按配だ。

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 これに対し、塩崎恭久官房長官は同日午後の会見で、イラク戦争を支持する政府の立場に変わりがないことを強調。安倍晋三首相も同夜、記者団に「久間大臣の感想を述べられたんだろう。イラク戦争の評価、復興支援については内閣としてみんな一致をした考え方をもっている」と語り、閣内不一致との見方について「それは当たらないと思う」と否定した。
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 イラクの惨状をビジュアルに報じて、「これを支持したのは小泉・安倍である」と糾弾するやり方は、安倍政権を攻撃したい側(どれくらい本気か分からないが、たとえば民主党)にとって、効果的も知れない。但し、この場合、どの程度、メディアが付いてきてくれるかが重要だ(それに、民主党内にはタカ派も居るので、追求は腰砕けになりそうだ)。

 問題が、今後どう推移するのは、分からないが、安倍政権の中がガタガタに緩んでいることが窺える。参議院選挙の前に、内閣改造をするとか、また得意の北朝鮮かどうかは分からないが何か点数取りのイベントを作るか、何らかの動きが必要になるかも知れないし、支持率があと10%も下がれば(朝日の23日発表の調査で支持39%、不支持37%)、ちょっとした不祥事で崩壊するかも知れない。

 それにしても、久間章生氏という人のことはよく知らないのだが、面白い人物なのかも知れない(日経によると、イラク開戦批判は、久間氏の「持論」らしい。だとすると、安倍氏の単純な人事ミスか。でも、武器輸出三原則の緩和を、なんてことも言っているなあ・・・)。何はともあれ、朝から、ちょっと愉快なニュースだった。
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朝起きたら、Ardbegになっているかも

 今日は、神保町の「我が社」(=株式会社マイベンチマーク)に出勤。原稿を二本書いてから、同僚(大げさに言うと共同経営者)と共に、モルトの師匠M氏のバーに行った。
 
 昨夜の寝不足もあり、いつもほど飲めなかった(今日は6杯)のだが、コニサーズ・チョイスの1974年のアードベッグ(アメリカ向けのボトルで、1993年に瓶詰めのもの。常連で斯界の権威、Y氏のご好意によって入手できたらしい)が何とも滋味深く、美味しかった。

 度数が40度(樽出しの状態ではなくて、加水されている)ということなので、「最高」は期待していなかったのだが、強くて深い香りと、優しいが隙のない味わいが同居した、素晴らしいお酒だった。

 繊細な金属臭(イライラさせるような悪い感じではなく、感性を目覚めさせるような鋭い香り)と、上質の皮革(高いものの香りがいいのかどうかは、分からないが)のような豊かな香りが、グラスに残り僅かになっても、全く衰えることなく、継続していて、勿体なくて、なかなか飲み干せない。

 口当たりはソフトなのだが、低度数のものにありがちな、緩んだ感じが皆無で、味わいに全く隙がない。飲んでいるうちに、何やら自分が思慮深い人間になったような錯覚(絶対に、錯覚に違いないけれど)を覚えた。

 現在、帰宅してから、1時間半が経過しているが、未だに香りの余韻が喉と口中に残っている。

 カフカの「変身」は、朝起きたら、自分が醜い虫になっていた、という話だったが、朝起きたら、自分が一本か一樽か分からないが(最近、太ったので、樽かも知れない)、アードベッグ(Ardbeg)になっていた!ということは、ないだろうか、と今現在、想像している(できれば、ブッシュのようながさつな人物には、飲まれたくない・・・)。

 勿体なくて、まだ水が飲めない。
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財務省エリートと朝日新聞美人記者の不倫生活

「週刊現代」1月27日号の冒頭記事は「財務省エリートと朝日新聞美人記者の不倫生活」とのタイトルで、財務省主計官N氏(47歳。誌上は実名)と朝日新聞社発行の週刊誌「AERA」のA記者(記事上はA記者。朝日新聞の社員ではない)の不倫生活を報じたものだ。別に妻子のあるN氏が、Aさんと親しくしていて、Aさんの部屋に訪ねて泊まるような関係であることを、本人達にも取材して詳しく書いている。

この種の中年不倫自体は世間にありふれている。しかし、「週刊現代」の記事によると、A記者が連名筆者の「ボロボロ税調 本間で安倍が自滅する」という記事では、本間氏への審議会の旅費の二重払いなど内部者でなければ分からない情報が書かれているという。A記者が、N氏を取材源とする記事を書いている可能性が大きいと判断し、これは、かつての西山事件のような個人的な関係を利用した取材ではないか、という問題意識から、「週刊現代」は掲載に踏み切ったものだろう。

また、1月9日にA記者のアパートから午後1時半すぎに二人で出てきたところで、N氏とA記者は直接取材されており、N氏は「いろいろ彼女の取材のお手伝いをしているんです」(「週刊現代」記事による)と答えたのだから、編集部が上記のような判断をすることは、正当だと思う。もっとも、この状況がなぜ問題なのか、という理由を考えると、N氏の言い訳はいかにもまずい。「不倫」の言い訳をしたつもりなのだろうが、もっと大きな問題の言質を与えている。高級官僚は(すべて)頭がいい、なんていうのは、嘘だ。「危機管理、失敗」と言わざるを得ない。

尚、N氏はこの取材中に気分が悪くなって、一時的に気を失い、救急車で病院に運ばれたという。彼が今後失うもろもろのものを考えると、血の気が引く思いだったのだろうし、どうしていいか、分からなかったのだろう。他方、N氏にひきかえ、「調べてもらえば分かりますが、いろんな人が私の部屋には来るんですよ」と、答え始めるA記者の、妙に堂々としたというか、ある種ふてぶてしい受け答えも含めて、この記事はリアルで読み応えがある。(尚、この号には、私の「新聞の通信簿」の連載も載っているので、「この記事の後に」、お暇があったら、お読み下さい)

N氏の側で、大いに問題がある点については、議論の余地はあるまい。「週刊現代」の記事でも、N氏の奥様の父親であるS元大蔵事務次官のコメントとして「その女性記者との関係は公務員としても問題があると、かなり以前に私から注意したこともあるんだよ」と言われており、N氏には、弁解の余地は無さそうだ。

A記者のような、取材のやり方をどう考えるかについては、複数の意見があるかも知れない。私は、最終的には、本人がリスクとコストを承知でやるなら、OKだ、と思う。

取得方法が不当であっても、報ずるに値する情報というものはあるだろう。刑事罰を受けても、情報源の秘匿を通すことがあり得るように、枕営業(?)的に取った情報でも、それが事実で、報ずる価値があるという場合は、報じる方を望みたい。

但し、これは、「いいこと」と「わるいこと」を二つやる、ということであって、片方が「いいこと」になった(社会的に大きな意義のある報道が出来た)ということであっても、「わるいこと」の方が消える訳ではない。別の人が「わるいこと」を報ずるのも、第三者が当事者を非難するのも自由だし、そうなるかもしれないという覚悟を、報ずる側は持つべきだ。

情報提供者は罰せられることがあるだろうし、取材者自身も大いにダメージを負うことがあるだろう。今回の件では、たぶん、A記者は、「AERA」の契約(があるとしても)を打ち切られる公算が大きいし(この点の朝日新聞社の判断は、理由も含めて、大いに注目される)、他の媒体で記者をやることも(少なくともしばらくは)難しいだろう。例えばA記者が、フリーの記者なのだとすれば、直ちに「食うに困る」可能性はある。

今回の場合、N氏は官僚なので公人、A記者は私人、とのことで、「週刊現代」の記事は、N氏を実名フルネーム、A記者を匿名にしたのだろうが、ジャーナリスト及び報道関係者は、影響の大きさからいっても「公人」でいいのではないだろうか。日経社員のインサーダー取引の際もそうだった(確か、起訴されるまで匿名報道だった)が、今回の記事でも、ジャーナリストの取材のあり方にも問題がある、という認識なら、実名でよかったのではないだろうか。同じジャーナリストの不倫でも、たとえばテレビに出ていて名前が知れていれば(記事が売れるから?)実名で、知名度の低い記者なら匿名というのは、いかがなものか。今回の記事は、取材も、論点も適確だと思うが、この点だけは、どうも違和感がある。

ビジネスの世界でも、「女の武器」や「男の武器」(こちらの方は使用例は少ないかも知れないが、無いわけでもあるまい)を使うことはよくある。倫理的には好ましくないが、当人同士が納得している場合、「嫌いだ」とは言えても、不倫など違法が絡まない限り、完全に「悪い」とは言えない。

「女の武器」を利用して重用される社員や役員などが居て、当人達を除く会社全体がすっかり「興ざめ」し、雰囲気が悪くなることもよくあるし、枕営業で注文を取る証券セールスなどが、同業者(噂話の好きな業界の人なので、噂は直ぐに広まる)からも軽蔑されるようなこともあるが、最終的には、コストとベネフィットを天秤にかけた本人の判断の問題だろう。本人がそうするのも勝手だし、それを知った周囲が(違法にならない範囲で)「悪く言う」のも自由だろう。

思うに、オヤジのごますりにも、人間としてのプライドをかなぐり捨てたレベルのものが多々あり、これが、「女の武器」を使った社内枕営業よりも賤しいとはとても言えないと思う。まあ、いい勝負なのだ。

この種の問題は、多くの場合、枕営業なり、ごますりなり、を「受ける」側の態度と行動にあるのだろう。

一方、たとえば、筆者の「男の武器」に価値があるとも思えないが(対、女性、男性、何れも)、文字通りカラダを張ったり、自分が重要だと思うプライドを捨てたりせずに、生きてこれたのは、たまたま、運が良かったからだ、という面がある。

「お前は、家族を養うために、カラダを売れるか?」という問についても、真剣に考えてみるべきだろう。そう考えると、最近報じられる、困窮家庭での主婦売春などは、非難する気にはなれない。この場合、客は悪いのか? 「良い」とも言えないが、「悪い」とも、筆者には言えない。

一つのことに対して、異なった正解がある、と理解するよりは、状況が違うと別の問題になる、と理解するのがいいのだろうが、倫理の問題は複雑だ。

<追記: 朝日新聞「AERA」に、頭文字Aで始まる、朝日新聞社社員の女性記者がいらっしゃるらしいのですが、文中の「A記者」は、この方とは無関係です。誤解に基づく問い合わせが何件かあったとお聞きしましたので、注記しておきます。問題の女性記者のお名前の頭文字は「A」ではないそうです。 2月1日>
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「東洋経済」の奥谷禮子氏へのインタビューについて

JMMのお題が「ホワイトカラー・エグゼンプション」だったこともあり、「週刊東洋経済」の1月13日号を読んだ。特集タイトルが「雇用崩壊」なのだ。「ダイヤ」、「エコ」は拙宅で読んでいるのだが、「東洋」はあまり読む機会がない(会社では購読しているのだが)。たまたま取材でお見えになった東洋経済の記者さんがくれた雑誌が、運良く、この号だった。

ネットの世界では既に話題になっているらしいが(wikiにも書き込みがあった)、「何でも"お上頼り"が間違い 過労死は自己管理の問題です」という見出しがつけられた奥谷禮子氏(株式会社ザ・アール社長)へのインタビューは、物言いがストレートで、一読の価値があると思う。過労死は本人の責任だ、という内容のことを言っているし、祝日も、労働基準監督署もいらない、などとも言っているから、かなりの反響があるだろう。

JMMにもちょっと書いたが、見出しの付け方や、写真の選び方(ご本人が「いい写真でしょ」と仰るなら、謝るしかないが、強面で、小うるさい感じが出た、印象の良くないカットをわざと選んで載せたように見える)からみて、編集部は、彼女に批判的な感情(と少々の悪意)を持ったのではないか、と思った。

この種の話は、言葉尻を捉えて、好き嫌いを言っても建設的ではないので、なるべく論旨に的を絞って、考えてみたい。

彼女は、次のようなことを言っている(以下、山崎の理解に基づく要約)。

1)若い人が働きたいときには本人のためにも自由に働かせるべきで、「早く帰れ」と上司が言わざるを得ないような現行制度は有害。代休などの制度を確保した上で、個人の裁量に任せるべき。

2)能力に差はあるのだから、格差はあって当然。「私たち」は、結果平等でなく、機会平等を選んだのだから、文句を言うな。

3)経営者は過労死するまで働けなどとは言わない。過労死は自己管理の問題。ボクシングの選手と一緒。休みたいならそう主張して、コンディションは自己管理せよ。他人のせいにするな。

4)祝日もなくすべき。働き方は個別に決めたらよい。

5)労働基準監督署も不要。労使が個別に契約すればいい。「残業が多すぎる、不当だ」と思えば、労働者が訴えれば民法で済む。「労使間でパッと解決できるような裁判所をつくればいいわけですよ」。

6)経営側も代休は取らせて当然と意識を変えなければいけない。「うちの会社」はやっている。「だから、何でこんなくだらないことをいちいち議論しなければならないのかと思っているわけです」。

彼女が言っていることは、米系の証券会社でフロントの仕事をしていたり、あるいは自営業的なフリーの立場で働いていれば、現実が否応なくそうなっているという意味で「当たり前」のことではあるが、全ての職場の労使関係に、これらを当てはめようとしたときに、無理が生じる点がいくつかあると思う。

1)「若い人が完全な自己管理が出来」かつ「上司も部下もお互いの仕事のニーズを完全に把握している」なら、「早く帰れ」は確かに、必要ないが、現実には、働きすぎて(自分の能力のためであっても、上司の期待に応えるためであっても)カラダを壊す若者も居るだろうし、代休を取りたいときに上司の側で部下が必要な場合もあるだろう。完全なコミュニケーションと自己管理には多大なコストがかかるので、職場にもよるが、労働時間でルールを決めておく方が、労使双方にとって無難で便利な場合があるはずだ。

2)機会平等については、本当に確保されているのか。教育や職業訓練の機会など、個人を単位としてみた場合に、必ずしも平等では無かろう。一経営者の立場では、「私の知ったことではない」(≒私には無理だ)と言ってもいいが、機会平等が完全には確保されていないだろう、ということに対する反省や、改善のための努力は、社会のコンテクストで発言する場合には必要だろう。「機会平等は達成できている」と彼女は考えているのだろうか。もしも、そうなら、根拠を示せるのだろうか。

3)人間は、自己管理に於いてもスーパーマンではない。ボクシングを知っているなら、たとえば、「レフェリー・ストップ」が無ければ、いったい何人のボクサーが死んだり、後遺症に苦しむか、考えてみるべきだ。そもそもヒューマンな(人間に関する)想像力が乏しい方なのかも知れないが、「完全な情報処理と意思決定」を前提にした議論で、使用者側の責任を回避しようとしているように聞こえる。

4)確かに、祝日は無くてもいい、と私も思う。いろんな業界から文句が出そうだけど。

5)現実には、「労使間でパッと解決できるような裁判所」など無い。加えて、法的手段に訴える、知識も、経済力も、労使間には格段の差がある。また、論理的には、このような裁判所が準備されない限り、労働基準監督署(現在のものでいいとは思えないけれど)は必要だし、ホワイトカラー・エグゼンプションは導入できないことになるのだが、奥谷氏はその点を理解しているのだろうか。重要な前提を軽く一言で誤魔化されては、議論としては困る。

6)「うちの会社」を根拠に社会全体の問題を論じられても困るが、それ以上に、なぜ「こんなくだらないこと・・・」と言うのかが不思議だ。「大事な問題だから、しっかり議論しましょう」と言えばいいのに、何とも「頭が高い」感じがして、奥谷氏にとっても損ではないかと思う。乱暴な「放言キャラ」で売っている人なのだろうか(政界でいえば、ハマコーさんのように・・・)。

奥谷禮子氏には、直接お会いしたことはないし、私は、好意も反感も持っていない。また、現実的に、私の働き方は、上記の「自営業的フリー」なので、世の中が彼女の言うようになっても、私に関しては何も変わらないし、むしろ仲間が増えるくらいのものだ。上記は、東洋経済のインタビューだけを読んで考えたものであって、私個人の利害の観点から述べたものではない、と一応言っておく。

尚、財界で名前の出る何人かの経営者(何れも、私には利害関係のない人)について、「奥谷禮子には頭が上がらない」という噂を聞いたことがあり、影響力のある人なのかと想像していたが、彼女の影響力の源泉が何なのかは、依然として謎であり、このインタビューを読んで、益々分からなくなった(ホワイトカラー・エグゼンプション導入には、著しく逆効果、と思えるから)。
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バーの良い客になるための十原則

 一昨日、昨日と、行きつけのバーにシングル・モルトを飲みに行った。一昨日は、一人で、昨日は同僚と二人で行ったが、それぞれ2,3時間居て、7杯ほど飲んだ。そのバーは、ほぼシングル・モルト・ウィスキーの専門店といっていいくらいのバーで、カウンター、棚、ガラスケースに、所狭しと置いてある、数百本の酒瓶の、多分9割前後が、シングル・モルトだ。

 年が明けたばかりということもあってか、常連客はほとんど居ず、いつもよりも比較的若い(30代が中心に見えた)客層で、たぶんその店は初めてのお客が多いようであった。彼らの飲みっぷりを見ていると、半分は面白かったが、もう半分は「それはないだろう」という気持ちになった。

 お客さんの8割以上が、目の前にある酒瓶を全く見ずに頼んでいる。耳にした注文を幾つか挙げてみよう(注:内容は微妙に変えてあります)。「ジントニック!」。「ラムのソーダ割り下さい」。「ホワイトホース、ロックで」。「アーリータイムス」。「カシスを使った甘いのを」。「生(ビール)、下さい」。「バーボンは何がありますか」。「焼酎はないの?」。そして、一番多いのが、二杯目以降のオーダーで、「同じの(を)、下さい」だ。

 何れも、寿司屋のカウンターに座って、いきなり、「牛丼」とか、「お茶漬け」とか言っているような按配で、何とも、勿体ない。初めてのバーなら、まず、どんなお酒を置いているか、見回す余裕があっても良さそうなものだが、早く頼まないと格好が悪いと思うのか、頭の中にある酒の名前を勢い込んで述べるのだ。
 
 経営者としてのバーの店主にとっては、オーダーに対応できて、ある程度の頻度で注文してくれる限り、問題はないのだろうが、「今日は、もう割り切った」という表情で、お酒を出していた。もっとも、ビール一杯ずつで二時間喋って帰って行った女性の二人客には些か閉口していたようだ(正確にいえば、途中、「お水を」と二回頼んだ)。

 このお客さん以外にも、腕を絡めてしなだりかかる女性をいつまでもそのままにして飲み続けるたぶん会社の同僚の男(「同じの」を何回も頼んでいた。口説くのか、タクシーに乗せて帰すのか、さっさと決めろ!)、「私のタバコの煙がそっちに流れるから」といって、連れと席をかわって、隣の客に煙を流し続ける女性客(しかも、自分の身の上話のしゃべり声がうるさい)、座るなり独り言をつぶやくかなり酩酊した男性客、会社の仕事の話が店じゅうに聞こえる会話の若手社員二人組など、バーとしては、褒められないお客さんが多かった。

 二、三の店のバーテンさんの意見と、拙いながら私の経験をもとに、バーで嫌われないお客になるための十原則を挙げてみよう。
 
<バーの良い客になるための十原則>
(1)30分に一杯程度は何か注文する
(2)大声で話さない(隣の隣に座っている客に話の内容が分かる声は「大きい」)
(3)お酒は大切に飲む(美味しい状態のうちに、美味しそうに飲む。残さない)
(4)眠らない、泣かない、吐かない(酒量の限度を守る)
(5)タバコは煙の行き先を考えて吸う(葉巻は臭うので店主に許可を取る)
(6)店内で男女(男男、女女でもだが)べたべたしない(連れのカラダには触らない。キスは店外で)
(7)他の客をじーっと見ない(感じが悪いし、喧嘩の原因になることも)
(8)トイレの利用は短時間できれいに(次に待っている人がいる)
(9)現金ですっきり払う(十分な現金の用意を。割り勘でぐずぐずしない)
(10)お酒の話で知ったかぶりしない(分からないことはバーテンに訊く)

 これらに加えて、バーテンと客との相性という問題もある。私の側でも、バーテンの好き嫌いはあるし、十原則を守っているつもりなのだが、どうもバーテンに嫌われているらしい(なぜだろう?)と思えるバーもある。

 尚、昨日、シングル・モルトの師匠および同僚と検討した結果、飛び込んだバーが「外れ」だと分かった場合は、ギネスを一杯だけ飲んで出ると、「仕上げに一杯」といった感じに見えるので、比較的不自然ではない、という結論になった。
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情報・通信の個人的自由を確保することについて

私は、ほぼ三カ所で原稿書きなどの仕事をしている。友人と作った投資と投資教育のコンサルティング会社(株式会社マイベンチマーク。所在地、神保町)のオフィス、楽天証券(現在六本木ヒルズ、年内に北品川に移転か)のオフィス、それに新宿区内にある自宅の仕事部屋だ。神保町と自宅には、ほぼ同一環境のPC(かつてMac派だったが、妹がマイクロソフトに勤めていた90年代にWindows派に転向)を置いて、作業中のファイルは自分宛のメールで飛ばすなり、SDカードに入れて持ち歩くなり、或いは、楽天証券で使うためのノートPCに入れて持ち歩くなりしている。

楽天証券は、仕事用のPCが社員一人に一台あるが、個人情報保護が重要な業種・グループ柄もあって、社内のネットワークの自由度は小さい。サイトの閲覧にも制約があるし(画像が多いサイトはエロ・サイトと判断されるのか閲覧禁止になるし、フラッシュを多用するサイトなどは上手く見られない)、何よりも不便なのは、自分のメールにアクセスすることが出来ないことや、ウェブで情報を送れないことだ。

yahooやgooのメールも使えないし、メールサーバーを置いているIIJ4Uのメール閲覧にも使えない。また、このブログは、エントリーとコメントを閲覧することができるが、コメントを書き込むことも、新たなエントリーを書き込むことも出来ない。ブログのコメントにタイミング良く一言レスを入れたいときにままならないし、何よりも、修正も含めて、原稿のやりとりが仕事上多いので、自分のメールがあるサーバーにアクセスできないのは不便だ。そこで、会社のネットワークにはつながないことを前提にノートPCとAirH”(8倍速のProと称する製品)を持ち運び、会社のネットワークとは別の形で、インターネットに接続していた。

過去、10年以上、私は、どこの会社に勤めているときも、自分のノートPCで仕事が出来るようにしてきたし、Eメールが出来るようになってからは(私はニフティーサーブからだが)、自分のネット接続環境を確保していた。ちなみに、前職のUFJ総研では、自分のPCをネットワークにつなぐことに、そう大きな制約は無かったし、いざとなれば会社のPCもウェブ・メールを使うことが出来た(今はどうか分からないが)。尚、家のPCなりノートPCなりで、自分の仕事が出来るようにしておくことは、転職の際の仕事の連続性を保つ上で非常に役に立った。会社の外部に持ち出してはいけない情報については、取り扱いに注意が必要だが(そもそも持たないのがいい)、自分の仕事については、複数の環境で同じように出来るようにしておくことにはメリットがある。

ところが、昨日出社してみると、会社のコンプライアンスないしはシステムの担当者と覚しき人物と秘書の女性が押し問答をしている。話を聞いてみると、私が使っているノートPCが問題らしい。担当者の言い分は「ネットワークにつなげることが出来る可能性のあるものは、オフィスに持ち込めないルールであり、どうしても持ち込みたければ、しかるべき申請手続きを取るように」ということだった。

では、その申請とやらをしようかな、と一瞬思ったが、ルール自体は、最近の風潮と、業種を考えると、やむを得ないもののように感じるし、例外扱いを獲得してまで、楽天証券のオフィスで自分の仕事がやりやすい環境を作る必要があるか、と思い始めた。そこで、ノートPCをもう持ち込まないことに同意したのだが、さて、今後の通信と原稿書きの環境をどうしようか。いったん便利な思いをしてしまうと、それを失うのは、なかなか辛い。

楽天証券に限らず、会社のPCは、作業内容もやりとりも全てチェックされる「パブリック・コンピューター」だ、という認識が正しい。

そういえば、過去に勤めていた些かお粗末な(以下の内容がお粗末なのだ)会社で、社員間のメールをチェックしてみたら自分の悪口(急所を突いた一撃だった)が載っていたことに逆上してその社員を叱責した役員さんが居たが、会社のPCを使ったメールのやりとりとは、そのようなものである(振り返ってみるに、狭量な役員さんに、メールを報告したシステム担当者が、人間としては一番お粗末だと思うが、これには、私の好みのバイアスがあるかも知れない)。

できることなら、自分自身で管理する環境で、情報のやりとりをしたい。そうでないと、滅多にあることではないが、私と何らかの秘密の情報をやりとりする人にとっても不都合だろう(一般論として、会社のメールアドレス宛のメールでは用件を伝えないヘッドハンターが多いし、ホステスさんの営業メールも顧客の会社のアドレス宛は減っているはずだ)。

メールについては、携帯(先日FOMAから乗り換えたau。機種はW43H)で読むのは、不便だが不可能ではない。簡単な返事も一応は、書ける。もちろん、機能的には、ブログの読み書きも出来るのだが、ある程度の長文を書くことを思うと、何とも不便だ。それに、エロ・サイトは見なくてもいいが、ウェブも、会社のPCで見るよりは、もう少し自由に閲覧したい。

今のところ、長文は(私の場合、重要情報と言っても、せいぜい未公開の原稿レベルだし、会社のデータは扱っていない)、会社のPCで下書きをして自分宛てにメールを送って処理すればいい、と思っているが、外部とのやりとりを携帯電話に頼るのは些か不便だ。AirH”を解約して、小さいながらQWERTYキーボードが付いたPHSであるウィルコムのW-ZERO3[es]でも使ってみようか、などと考えている(鞄があればいいけれども、持ち歩くには微妙に大きくて重そうだ、また、どのくらいの速さがあるのだろうか、という辺りでも迷っている)。

ただ、この端末も、考えてみるとネットに接続可能な端末だから、近い社内、社内持ち込み禁止にならないとも限らない。新聞記事によると、既に、携帯をオフィスに持ち込めない職場も出てきているようだ。

便利に、気分良く、かつ能率的に生活するには、たえず工夫が要る。
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驚異の「日経ビジネス」効果!?

 2007年は団塊世代の先頭が60歳に達して、彼らの定年退職が始まる年だ。元旦の新聞では、日経、朝日、毎日がそれぞれ団塊世代関係の特集記事を載せている。次の月曜日に配信予定のJMMも、団塊の退職の影響はあるのか、がテーマだ。個人的には、年末の29日に収録したJ-WAVEのインタビューがこのテーマだったこともあり、「日経ビジネス」2006年10月20日号の「団塊イリュージョン 巨大市場の幻想を砕く格差拡大」という特集記事を読んでいた。

 この記事の中に、何とも印象的な調査データが二つ紹介されていた。一つは日本経済新聞社によるもので、実施時期は2005年12月。もう一つは、「日経マスターズ」によるもので、実施時期は2005年の4月だ。実施時期が違うし、質問は同じではないと思うが、共に、定年を前にどのくらいの金融資産を準備できているかを問うている点が共通だ。

 日本経済新聞社による調査は、団塊世代を「なるべく偏りなく」という意図の下に調査したものと思われるが(対象は751人)、現在保有する金融資産(保険を除く)について、34.4%が500万円未満、500万円以上1000万円未満が19.2%と答えており、全体の半分強が1000万円に満たないという。暮らし方にもよるが、安心して引退するには、なかなか厳しい家計状況といえよう。

 一方、「日経マスターズ」の調査は、「日経ビジネス」の読者(834人)を対象に行ったものだ。こちらでは、8割を超える人が退職前に2000万円以上の資金を準備しており、3000万円以上の人が6割、5000万円以上の人も28.1%いて、1000万円に満たない人はわずか1.4%だという。

 「日経ビジネス」を読んでいる人かどうかで、こんなに大きな差が付くとは驚く。「日経ビジネス」おそるべし!

 だが、「日経ビジネス」編集部には申し訳ないが、この差は、調査対象者が「日経ビジネス」を読んだからお金持ちになった、というよりは、「日経ビジネス」を読む人はもともとお金持ちが多いのだ、ということだろう。
 
 そう言うと身も蓋もないから、「日経ビジネス」を持ち上げるとすると、「日経ビジネス」への広告は、読者の購買力を考えると、部数に対して、通常の雑誌の何倍かの効果がある、と考えられなくもない。媒体毎のこの種の広告効果に関する調査は、既に行われているのかも知れないが、「日経ビジネス」は、たぶん、部数当たりの広告効果の高い雑誌の上位に入るのではないだろうか。

 ただ、「日経ビジネス」だけでなく、「日本経済新聞」にも言えそうなことだが、読者が定年退職した場合に、どのくらい購読が続くのか、という点については、多少の心配があるはずだ。仕事と関係が無くなれば、経済記事はもういらない、という人は少なくないかも知れない。たとえば、退職した日経新聞読者が、日経をどの程度購読し続けるのか、また、日経の購読を中止した読者は次にどの新聞を購読するのか(それとも宅配の新聞を卒業するのか)、という点にも興味が湧く。

 真面目な話に戻ると、一口に団塊世代と言っても、世代内の経済力には、何とも大きな格差があることが分かる。現時点でもかなり違うのだろうが、経済力の制約を意識して生活しなければならない退職後の生活にあっては、経済力の差によるライフスタイルの違いは、相当に大きな、目に見えるものになりそうだ。
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