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守屋前防衛省次官逮捕の報道で思ったこと

 さる11月28日、守屋前防衛省次官とその妻が逮捕された。検察のリークによるものという以外の可能性が思いつかないが、このスケジュールは既にメディア各社の知るところとなっていて、守屋邸周辺とその上空に多数の報道陣が押しかけた。
 金額にすると市井の公務員なら何回も懲戒免職になるような接待を受けた恥さらしなキャリア官僚であった守屋氏と、報道によると夫同様に武器商社に金品をたかった彼の妻に同情するつもりはないが、例えば、彼の家族(娘さんが居られるようだ)や近所の人々にとってこの事態はどうなのか。東京都新宿区内とされる彼の邸宅は同じく新宿区に住んでいる筆者の家からそう遠くないらしく、28日は、かなりの時間複数のヘリコプターが飛んでいた。空を見ていた人の話によると、複数のヘリが浮かんだ状態で長い時間ほぼ止まっていて(この状態の音は下界にあって非常にウルサイ)、ある時、一斉に同方向に向きを変えて飛び去っていった。守屋氏の乗ったタクシーを追ったのだろう。音だけでも近隣住民にとって相当な迷惑だ。もっとも、保育園からの報告によると、うちの息子は、長時間ヘリコプターを眺めることが出来て満足だったようだ。
 この日の午後に売られていた「日刊ゲンダイ」によると、守屋氏の娘さんらしき女性が、
(a)守屋氏の証人喚問を伝える参院事務局の男性二人と家の前に群がる報道陣に向かって塀の上から勢いよく水をかけ、
(b)その2時間ほど前には、報道陣の前にマスク着用で現れて、デジカメで報道陣の写真を撮りながら「お父さんもこうやって撮られているんですよね!」と言ったという。

 こうした状況について、どう考えたらいいのだろうか。私は以下のように思う。
(1)守屋夫妻逮捕は完全に妥当であり、証拠隠滅の可能性を考えると、むしろ遅きに失したくらいだ。
(2)重要人物の逮捕のシーン、或いは今回の逮捕されるであろう地検に向かうシーンは取材する価値はあろうが、犯罪に無関係な家族や近隣の住民に多大な迷惑を掛けてまでリアルタイムで報道する価値はないと思う。被疑者が逃亡でもするとか、籠城して逮捕に抵抗するというのでもなければ、検察にリークして貰った予定通りに逮捕される様子(たとえば表情)には、大衆の興味に基づく(私も興味は一応ある)視聴率的な商業価値はあるとしても、事件の本質に関わる情報がある可能性は極めて小さい。報道としては、防衛利権に関する調査内容を分かりやすく伝える事などの方が余程価値が高い。
(3)守屋氏の娘さんと覚しき女性の「放水」は厳密には行きすぎであり、訴えられる可能性も無しとしないが、報道陣から彼女が受けている苦痛を思うと、世間常識的には大目に見られる範囲ではないか。これを訴える奴がいるとすると、そいつは「大人」ではない。(4)報道陣の取材振り、特に行儀の悪い逸脱行為(たとえば私有地への違法な侵入とか)は、実名と顔写真入りで大いに報じる価値がある。一般に、メディアの報道上の逸脱行為に関しては、メディアによるチェックが殆ど働いていない。たとえば、新聞社社員のインサイダー取引のようなケースでも個人名はなかなか報道されなかった。お互いが個人的に不利になるような相手の報道はしないという不文律でもあるのだろうか。しかし、メディアの個人に関する実名報道の基準は公人と同等でいいのではないだろうか。
 既存のメディアがお互いに実名報道を辞さない形では相互チェックをしないわけであるから、記者の迷惑行為などは市民がどんどん写真に撮ってネットにUPして、分かれば社名と氏名を実名で告発すべきだろう(そんなページは既に存在するのかも知れないが)。個人単位では取材する側の事情にも大いに同情の余地があるが、大勢の取材陣は近隣の住民にとって相当に迷惑だし、道路を塞いだり、私有地に入り込んだり、ゴミをばらまいたりすることがないではない。これらを報道だから大目に見るべきだと考える理由はない。
 堀江元ライブドア社長や今回の守屋氏(一応退官している)といった民間人を一応まだ被疑者の段階で、テレビなら動画で撮って配信するわけだから、撮る側の人間が顔も名前も隠して保護されたいというのではバランスが取れない。カメラマンなどは顔がばれると仕事がしにくくなるといったことがあるかも知れないが、彼ら自身のやろうとしていることを考えると仕方あるまい。確か、政治家や業務中の公務員には肖像権がない(誰が写真を撮って公開してもいい)筈だが、取材活動中のメディア関係者にも同様の考え方を適用すべきではないだろうか。新聞社などは、時には「社会の公器」を名乗るわけだから(さすがに、自分では滅多にそう言わないが)、それでいいのではなかろうか。
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大関琴光喜の「不思議な強さ」

 大相撲九州場所は、幕の内最高優勝が横綱白鵬の12勝3敗というまるで十両の優勝争いのような低調な場所だった。怪我はやむを得ないが、千代大海が休場で白鵬の優勝が決まったというのも興を削いだ。私は、夜中の大相撲番組を録画して見ていたが、館内には空席が目立っていた。興行的にも失敗だったのではないか。
 こんな場所にも見所はある。目を惹いたのは、大関琴光喜だった。簡単に言えば、14日目の魁皇戦と千秋楽の白鵬戦では全く別人だったのだ。
 琴光喜は、そもそも強い相撲取りだと思う。関脇時代から、二場所に一場所しか活躍しない大関たちよりも強い相撲を取っていたし、負け越しが少ない。実質的には、ずっと朝青龍、白鵬に次ぐ三番手だった。型は右四つで、右の脇が固く、朝青龍よりも一回り大きい程度の体で前に出る圧力が強い。白鵬戦で見せた左の巻き替えが出来る器用さもある。立ち合いは変化が少ない正攻法だ。対戦相手との力関係から見て変化の必要がないのだろう。
 千秋楽の白鵬戦は、得意の右四つに組止めて左上手を取り、終始圧力を掛けて、さらに左を巻き替えて寄って出て、白鵬が残すところを右の下手投げで一回転させる完勝だった。
 ところが、14日目の魁皇戦は違う。魁皇と琴光喜は左と右の喧嘩四つだが、立ち合い、なぜか右の脇を空けて右の上手を「触りに」行く。もともと喧嘩四つでも魁皇よりも琴光喜の方が脇が固い。対戦成績も琴光喜がかなり優勢だ。琴光喜としては、始めから左四つに組む必要はない。相手の四つに組む場合、たとえば、先に上手を引くとか、なるべく前褌を取るといった作戦はあり得るだろうが、取り組みをコマ送りで再生しても、右手で相手の回しを積極的に掴みに行っている形跡はない。その後は魁皇の一方的な相撲で、琴光喜は土俵に這った。最後も、首を巻かない首投げのような格好で、前に落ちた。
 魁皇は、14日目7勝6敗だったが、通常通り千代大海が出場するなら、翌日の千代大海戦では、千代大海の優勝がかかっていた。誰が見ても、勝ち越してカド番脱出をするなら、14日目が大事だった。
 魁皇が星を買うことを申し出たのか、それとも9勝4敗と気楽な星の琴光喜が一方的に「手心」を加えたのか。それとも「何もなかった」のか。真実は当人達にしか分からないのだが、「週刊現代」に、「宮城野テープ」による白鵬・朝青龍の八百長相撲の証言を出されて以来相撲協会は「八百長はなかった」という論陣を張っていないので、取り組みの内容によっては、どうしても八百長の疑いが晴れない。
 実際に八百長があるかどうかももちろん大切だが、「ファンから見て八百長の可能性があるように見えるか」がビジネスとしての相撲協会としては重要だ。
 尚、実力者・琴光喜は、朝青龍に27連敗している。琴光喜の得意の右手が左利きの朝青龍の左に封じられやすいという取り口の相性の悪さはあるだろうが、彼ほどの実力者が27連敗は負けすぎだろう(ちなみに白鵬も右側を攻められると弱いようだ)。朝青龍には勝ちにくいという相性を意識して、しかも地位の保全にはそれほど苦労のなかった実力者・琴光喜が、朝青龍に星を売ったという可能性も否定しがたい。
 以上の推測は、実際に八百長がない場合、当事者・関係者及びファンに対して失礼な話だと思うが、日本相撲協会が八百長問題について明確な対応をしないのが悪いのだ、という意味で、敢えて言っておきたい。
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「ミシュランガイド東京2008」の印象

 22日に発売された「ミシュランガイド東京2008」を発売当日に買ってきた。初版が15万部も刷られたらしいが、即日完売に近い状況のようだ。私は江戸っ子ではなく、蝦夷っ子(北海道出身)だが、初物は好きだ。加えて、かのミシュランがどのような構成で店の評価を載せているのかを見たかった。

 率直にいって、ガイドブックとしての実用性は高くない。一店について見開き2ページで、文章は右側の1ページで、20字×(20行~最大30行)という構成だが、説明は店(料理人)の歴史と内装に偏っていて、料理そのものの良し悪しや、何がどのように美味しいのか、その店は何が得意なのか、どのくらいの価格かという点に関する情報量が乏しい。
 ガイドブックとしては、例えば文芸春秋社の「東京いい店うまい店」のような和製のグルメガイドの方が、情報量が豊富だし、食べ物のイメージが湧きやすい。

 ミシュランの文章は、鮨屋でいうと、「朝は築地の馴染みの店で素材を買い付けに行く」(鮨屋なら当たり前だろう)とか、「塩と酢をしっかり利かせた自慢のシャリ」といった程度の当たり前のことが書いてあるだけで、好みの鮨屋を選ぶ参考にはならない。
 ただ、取り上げた店に関しては、個々の店に十分敬意を払った書き方をしているので(一つ星であっても)、「評価してやる」というような高圧的な感じや、嫌味な感じはない。この辺りは、ミシュランが、長続きしている秘訣なのかもしれない。
 結局、評価情報そのものは星の数に集約されてしまうので、星の数をネットか何かで調べてしまうと、後は、わざわざ本を買うには及ばない。
 
 一つ大きな不満を言うと、掲載されている写真の出来が悪い。店内の様子を映した正方形の大きな写真と、後は、得意な料理と思われる料理を写した小さな写真が二点あるのだが、どちらもプロが撮ったものだとは思うが、写真そのものの魅力も画質も今一つだ。店内が実物よりも良く写りすぎていない点で、情報としては案外いいのかも知れないが、料理の撮り方に一貫性がないので、他店と比較する場合の参考にならないし、いい店で食事をした後の思い出を振り返る上で、この写真ではつまらない。

 肝心の星による店の評価については、まだ調査が不十分なのだろうと思う。掲載されている店よりも明らかに美味しかろうと思う店で出ていない店が幾つもある。「店構え」に対する評点のウェイトが高すぎるのかも知れないが、もう少し、食べ物本意の評価と情報提供を期待したい。もっとも、調査を始めたばかりなのだろうし、調査員も不慣れで(かつバレバレで)あるらしいので、第一回目はこんなものだろうか。
 何はともあれ、和製の他のグルメガイドブックの出来の良さが際立つ「ミシュランガイド東京」2008年版の出来栄えといえる。

 ところで、このブログを始めるとき、食べ歩き、飲み歩きの記事をかなりの分量、たぶん二、三割くらいは書くのではないかと思っていたのだが、振り返ってみると、「飲み食い」のカテゴリの記事が少ない。理由は二つある。
 一つには、食べ物を目の前にして写真を撮るのがマナー上どうにも感じが悪く思えて抵抗があることだ。もう一つは、店の「評価」を書こうとすると、いいことばかりは書かないと思うのだが、自分の書いた文章が、現実に商売をしている人達のマイナスになるかも知れないことについて、食べ物の世界では覚悟を十分持てないことが原因だ。金融商品に関しては、インチキな商品や、手数料の高すぎる商品について、何のためらいもなく、こき下ろすことが出来るのに、我ながら少し不思議な弱気だが、食べ物の良し悪しについては、金融商品ほどはっきり分からないので、これでいいのかも知れない。
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祖母、山崎ふさののこと

 以下は、たまたま思いついて書いた、私の祖母の話で、半ば私的なメモだ。一般性がある話ではないし、長文なので、読者は無理してお読みになるには及ばない。
 
 ●

 母方の祖母の名は「山崎ふさの」という。いかにも古い名前だ。今年95歳くらいのはずで存命だ。生年は確か明治の最後の年だったか。ちなみに、私の両親は共に「山崎」姓だが、両家に血縁関係は全くない。
 今年に入って、二度、彼女のことを思い出した。
 一度目は、麻生前外務大臣の「アルツハイマーでも分かる」という失言があった時。彼女は、現在、アルツハイマーで都内の介護施設にいる。残念ながら、もう会話が成立しない。
 二度目は、ごく最近、カミュの「ペスト」の書評を書いた時だ。私は、中学校二年生の時に彼女の薦めで「ペスト」を読んだ。手元にある新潮文庫の本は昭和46年9月20日付けの第5刷だ。私は昭和33年生まれだから、確かに、中学校二年生だ。ちなみに、書評用に買い直して読んだ最近の新潮文庫は今年の4月30日付で66刷である。二冊を較べると、最近の新潮文庫は文字が大きく読みやすくなっている。そのかわり、後書きの最終ページで比較すると382ページだった本が476ページにもなっている。だが、この長さの本を一気に読むとなると、新しい本がいい。

 今にしてどうにも不思議なのは、なぜ当時の彼女が「ペスト」を読んでいたのか、そして、孫にこの本を薦めたのかだ。
 彼女は、北海道旭川市の農家の娘で、いわゆる女学校を出ているが、後に旭川で証券会社を作る夫に嫁ぎ、当時のことだから、ずっと専業主婦だった。彼女の夫は、人はいいが口の悪い人で、自分の妻を「私が泥田の中から抜擢した」と他人に紹介するのが常であった。他人に紹介するといっても、夫婦で外出するというような機会は殆ど無く、麻雀などで訪ねて来た客に、誰彼構わずそう言うのだ。後に聞くと、彼女は、性格のきつい人で、夫とも激しい喧嘩をしたことが何度もあったようだが、来客があった時は、100%女中のように働いていた。料理などに不手際のあることは我慢のならない完全主義者だった。
 昭和40年代くらいは、娯楽として小説を読むことが現在よりも盛んだった。私の母は、数十冊ある日本文学全集を読んでいたし、「文学界」といった月刊誌(まだあるのだろうか)を定期購読していた。祖母の手元にも同様のものがあったのかも知れない。しかし、「実存主義」などという言葉も聞いたことはなかったし、外国の作家の話を母や祖母がしているのを聞いた覚えはない。カミュはたぶん天性の小説家だから、「ペスト」も単に一つの物語として読むことは可能だし、実際、孫はそのように読んだのだが、今や中年になった孫が理屈っぽくなった頭で考えると、主題を読み解くには「不条理」と「実存」の概念程度の背景知識はあった方がよい。彼女がそのような教育を受けたとは考えにくいから、本を読んで独習していたのかも知れないが、いつも着物を着て前掛けをして働いていた姿からは想像しにくい。ただ、私は当時のことを知らないが、かつて実存主義がブームになったことがあったらしい。かつての思想のブームというものは、家にこもった婆さんも巻き込むようなものだったのかも知れない。
 もっとも、今にして思うと、教養の心があった人なのかも知れない。小中学校の頃、夏休み、冬休みに、当時札幌に住んでいた私は、よく旭川の母方の祖父母の家に一人で遊びに行っていたのだが、寝物語で祖母から聞く話の中には、兼好法師も出てきたし、「寿限無」「時蕎麦」など落語もずいぶん聞かせて貰った。もちろん、たんなる作り話もたくさんあった。
 だが、当時を思い出すと、当時株屋の社長だった祖父は離れた部屋で一人で寝ており、超早寝早起きの生活をしていた。祖父母夫婦の仲は長年よろしくなかったようだ。
 
 祖母の薦めで「ペスト」を読んだ孫の方は、カミュ、サルトル、カフカなどを芋づる式に読み始めて、人並みに読書をするようになった。ただ、日本文学を殆ど読まない状態で翻訳文学を思想とセットで読むようになったので、日本の文学を一段低いものと見なして全然読まなかったし、正直なところ少し軽蔑していた。小説は翻訳物ばかりを読んでいたし、小説よりも、背景にある思想の方に興味が向いて、哲学の本を読むようになった。サルトルの「存在と無」などを読んで、何ほどのことが分かったのかと思うのだが、ともかく、読書の傾向はそちら方面に向かった。もともと理屈っぽかったから、それで仕方が無かったのかも知れないが、子供の教育としては失敗だったろう。今、文章が上手くないのは、思春期の読書で良質の日本語をインプットしなかったせいだと思う。
 確か大学生の頃、ある日、母に「日本の文学も読んだ方がいいと思うか」と訊いた。母は「小説は、年を取って頭が悪くなってからでも読めるから、今は読むに及ばない」と言った。息子は好都合に安堵して、小難しい本と実用書ばかりを読んだのだった。

 祖母、山崎ふさのは、お世辞にも美人ではなかった。容姿は、今は右翼の論客となった元経済学者の西部邁氏を女にした感じといえば、我ながら、かなり正確な表現だ。また、私の記憶では、60歳を過ぎた頃から少しずつ足の具合が悪かった。
 彼女から直接話を聞いたわけではないが、彼女は、自分が美人ではないことをかなり残念に思っていたようだ。かつての美人女優、田中絹代さんが、確か「サンダカン八番娼館 望郷」だったと思うが、すっかりお婆さんの役で登場した時、「田中絹代もこうなるのだから、私も思い残すことはない。胸のつかえが取れたような感じだ」と語ったのを思い出す。田中絹代さんは、婆さん役でも一流だったようだが、婆さん役でも画面に出てくれたことに対しては大いに感謝したい。
 山崎ふさのの趣味は、お茶(表千家)とお花(池坊)、後年は短歌だった。お茶はそこそこ以上にやっていたようだ。孫もよく抹茶を飲まされた。私は、煎茶を飲むときは、湯の温度を下げてから淹れるが、これは彼女の教えだ。しかし、足の具合がいよいよ悪くなってからは、お茶から遠ざかった。
 最晩年の趣味の中心は短歌だった。「山崎ゆう子」というペンネームで「北海道新聞」によく投稿していた。具体的な作品は思い出せないのだが、若い娘が詠むような歌がいくつもあったように記憶している。短歌の世界では、別の人生を生きていたのだろう。

 政治的には、夫が証券会社の社長であるにもかかわらず、明確に社会党支持で反自民党だった。当時の北海道は社会党が自民党とほぼ互角の支持率を持っていた。彼女が、今の民主党を見たら何と思うだろうか。たぶん、小沢一郎氏を胡散臭く思うだろうし、一番情けなく思うのは、社会党が低落傾向にある時に党首に立たなかった横路孝弘氏に対してだろう。「甲斐性無し」と言うにちがいない。彼の父親は、北海道では有名な社会党の議員だったのだが。
 いずれにせよ、彼女は、中央からの補助金や公共事業費を目当てに自民党の候補者に投票する北海道の人間を心から軽蔑していた。彼女の夫もその中に入っていたかも知れない。
 その夫は、彼女が六〇歳くらいの時、経営していた会社が上手く行かなくなって、首をくくって自殺してしまった。
 その後は、私の母がいる札幌に出て来て一人暮らしをしたり、東京の息子の家で家事の手伝いをしたりしていた。息子、つまり私の母方の叔父は証券マンだったが、ロサンゼルスに勤務していたこともあり、この時は祖母も一緒だった。ロサンゼルスを着物で散歩していると、多くの人に声を掛けられて楽しかったらしい。英語で会話していたとは思えないが、外国暮らしは、気分が良かったようだ。
 何が彼女の適職だったかは分からないが、今の時代に生まれていれば、明らかに何か職業を持って働く人生が良かった人だと思う。大学まで行きたかったタイプだろうし、専業主婦は窮屈だっただろう。時代が合っていなかったのは、残念だった。

 近年は、定年退職した息子の家に身を寄せていたが、アルツハイマー症が進行して、近くの介護施設に移っていた。私は昨年、母と一緒に何年かぶりに彼女を訪ねたが、もう会話が成立しないし、身の回りのことも何も出来ない。今、幸せなのか、不幸せなのかは分からない。ただ、脳の本を読むと、脳という臓器は非常に柔軟に好都合に出来ていて、たとえば健康人から見ると何とも不幸せな重い障害を持っていても、障害を持った本人の脳は十分に幸せを感じることがある、というようなものであるらしい。
 彼女の初孫であり、大いに面倒を見て貰った私としては、もう少し早くに彼女を訪ねて、いろいろと話をしておくのだったと後悔しているが、彼女が少しでも幸せを感じながら、一日でも長く生きて欲しいものだと思っている。
 最近、彼女によく作って貰った「芋餅」(じゃがいもをすり鉢ですりつぶして餅状にして作る)を子供と作るようになった。
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「ダイヤモンド・オンライン」で新しい連載を始めました

 もう5回目の原稿がUPされていますが、ダイヤモンド社の「ダイヤモンド・オンライン」というホームページ(http://diamond.jp/)に「山崎元のマルチスコープ」という連載を始めました(http://diamond.jp/series/yamazaki/)。「ダイヤモンド・オンライン」は、最近スタートしたページですが、相当の量の文字コンテンツがあり、日々更新されています。是非ご覧になってみて下さい。
 私が始めた連載は、毎週一回更新の連載で、基本的にその前一週間のニュースの中から注目したニュースを選んで、自由に思うところを語るという趣旨の連載です。「山崎元のマルチスコープ」という連載タイトルは、編集部が考えてくれたものですが、「マネー」とか「経済」に話題を限らずに、何でも取り上げられるような店構えにしておく方がいいだろう、という意図で付けたものです。
 今のところ、私がテーマを選んで、20分から30分ぐらい編集者に電話で話をして、編集者がこれを文章にまとめ、私がそれに手を入れて完成するという製造工程で文章を作っています。時間の効率を考えると、これが一番いいようです。ただ、当初は2000字くらいの予定だったものが、字数が増える傾向にあって、毎度毎度「大盛り」というのはいかがなものかと、目下、自らの過剰なおしゃべりを少し反省しています。
 週刊SPA!の「ニュース・コンビニエンス」から降りて、朝のワイドショーのコメンテーターも現在やっていないのですが、「週刊現代」の新聞の通信簿(4週に一度回ってきます)に加えて、この連載があるので、一応ニュースをフォローしておかなければいけないという気持ちにはなるのはいいことでしょう。
 毎週という連載は、なかなか忙しく、目下「JMM」に「週刊ダイヤモンド」の「マネー経済の歩き方」の3本ですが、どれも直ぐに〆切がやって来ます。ちなみに、隔週〆切の連載がたぶん5本ありますが、隔週になるとぐっと楽になります。
 友人の辻広氏にうまく乗せられたこともあって、あまり深く考えずに始めた連載ですが、ダイヤモンド・オンラインは時事ネタが中心ということになると、このブログで書こうかと思うテーマと、いわゆる「ネタがかぶる」現象が起こります。ブログは公開された下書きのようなものだと思っているのですが、それでも、全く同じ話を複数の媒体に書くことは避けたいので、間接的な形で、このブログに影響が出ることが分かってきました。
 サブプライムで誰が儲けたかとか、官僚の人事の話とか、バブルの話などは、この連載がなければ多分、このブログに書いたであろう話ですが、〆切があるとなると、どうしてもダイヤモンド・オンラインの方が優先されることになります。
 別ネタにこだわる必要もないとは思うのですが、このブログで書くことについても少々考えてみることにします。何はともあれ、新しい連載を始めたので、そのご報告をしておきます。
 この連載については、近い将来、たとえば結論部分を三分間くらいの動画と音声にしようか、といったことを考えています。「こうしたら面白いよ」というようなアイデアなり、ご要望なりがあれば、是非ご教示下さい。
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たまにはバラエティー番組にも

 しばらくテレビ番組にはご無沙汰していましたが、日本テレビの「オリラジ経済白書」という番組に出演しているのでご報告します。私としては、たぶん初めての本格的なバラエティー番組への出演です。今日、11月6日が放映日です。当ブログの読者に見られるとすると、恥ずかしい気もするのですが、せっかくなのでお知らせしておきます。
 この番組は、生放送ではなく事前に収録して編集が加えられた番組です。どの部分が使われているか現段階では分かりませんし、いつ収録して、何を話したというような話はできないので、お暇でしたら、あまり真剣にならずに観てみて下さいと申し上げておきます。経済クイズに答える番組ですが(たとえば、あの一見儲かっていなそうな商店は何で儲けているのか、等)、私は、大竹まことさんと組んで回答に参加しています。事前に「バラエティー番組なので・・・」と何回も言われていたので、素人出演者なりに楽しんで賑やかに参加した積もりです。
 いざ収録に参加してみると、バラエティー番組には、ある種のテンションの高さが必要のようです。たくさん出ているタレントさんは大変だろうなあ、と思わせるものがありました。収録しながら特に印象的だったのは、KABAちゃんこと椛島さんの様子で、「スーパーモーニング」の椛島さんとは別人のような弾け方で、なるほど方々の番組に引っ張りダコな訳だと感心しました。
 私としては、初回ということもあり、クイズの要領と共に、どのくらい収録していつ終わるのか分からないこともあって、ほぼ同じ時間の生番組出演よりも疲れたような気がします。しかし、これは、これで、なかなか面白いものだとも感じました(自分だけ面白くても仕方がないのですが)。
 クラタマ(漫画家の倉田真由美さん)言うところの「銀行員面」(ぎんこういんづら)で、特段トークが面白いわけでもない私が、バラエティー番組に頻繁に出るようになるとは思えませんが、チャンスがあれば、また喜んで出てみようと収録後には思いました。
 「オリラジ経済白書」は、また収録に呼んでくれたので、今後も出演機会があるかも知れません。
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小沢一郎氏の失敗

 小沢一郎氏の民主党代表辞任会見をテレビで見た。事態はまだ流動的であり、また福田・小沢会談で何が話し合われたかをはじめとして情報が十分でないので、今後意見が変わる可能性はあるが、小沢氏は「失敗した」と思った。取りあえず、今の時点での私の印象を書いておきたい。
 
 現時点での代表辞任発表は、小沢氏及び民主党にとってダメージの方が大きいのではないだろうか。実際にどんな業を掛けたのか正確なところは分からない。しかし、単なる結果論なのかも知れないが、福田首相はなかなか大したものだ。
 民主党がこの足並みの乱れを上手く収拾するためには、納得の出来る後継者が必要だが、現在、衆目の一致する代表候補はいない。年齢的にも菅直人氏が代表ポストを狙うことになるだろうが、菅氏でまとまるのだろうか。まとまったとしても、菅氏では女性問題など弱点があるし、いかにも魅力不足だと思うがどうか。ちなみに、私は面白味はないが弱点が少ない岡田氏がいいと思っている。しかし、今の状況では、誰が引き継いでもダメだろう。誰が後継代表になるにしても、小沢氏が十分な政治的勢いを持った状態で、彼の力を引き継ぐ形で後継者が決まることが必要だった。
 小沢氏は、健康面及び、資金や不動産などお金絡みの事情などの点で、政権を取って首相に就任するのは難しいだろうと、私は思っていた。遠からず、多少のサプライズと共に後継者を指名するようなことが起こるのだろうとは思っていたが、今回のような辞任では、民主党の勢いも、小沢氏の影響力も、後任代表の力もない。
 一見、大連立という切り札を早々に切って空振りし、これへ対応が下手だった小沢氏と共に評価を下げた感があった福田氏だったが(4日の朝刊はそういった論調が多い)、一転して大きな政治的得点を挙げたといえるだろう。福田氏及び自民党は、笑いをかみ殺して、同情・憂慮した顔をして、民主党の混乱を見ていればいい。森元首相に何も話をさせなければ、しばらくは大丈夫だろう。

 小沢氏の会見の印象は、安倍前首相の辞任会見と少し似ていた。「自分がこの立場にいることが良くないのだ」という論の立て方が、理由は違うのかも知れないが、共に、我慢の出来ない男のそれである。また、最後にマスメディア批判を大々的に展開したことは、一分以上の理はあっても、民主党にとってプラスになっていない。もちろん、今後、民主党内の精力が与党批判ではなく、自党内の混乱収拾に割かれることのマイナスも大きい。
 「裏の脅し」(たとえば資金の問題で追及するぞ、等)があってもなくても、粘りがなさ過ぎる。小沢一郎という人は「信じるということは一任するということであり、批判や反論の議論があること自体が自分への不信である」と思うような、強烈な敵味方の区別と、他人に対する不信、自分に対する自信のなさ、ある種の潔癖性(症?)を持っているように思える。安倍氏とは、消化器と心臓の違いはあるが、共にカラダの弱い人にありがちな、粘りを欠いて、極論に走りがちな傾向を共有しているのかも知れない。(もちろん、カラダは弱いが、ココロは強い、という人もいるのだが)

 小沢氏の失敗の一つの原因は、自民党ばかりを見過ぎたことだろう。たとえば、しばらく前に共産党が勝ち目の乏しい選挙区での立候補を止めるというような強力な民主党への選挙協力を発表したが、今回の一件で、共産党の民主党への協力は格段に難しくなるだろう。選挙算術上この影響は小さくない。小沢氏は、少なくとも辞任会見で、他の野党に対する謝罪を述べるべきだったのではないか。これから電話を掛けても、他野党の党首にテレビでコメントされてからでは遅い。共産党の志位氏はまんじゅうの上に団子を乗せたような顔をして、テレビカメラに向かって怒っていたが、正論に聞こえた。また、小沢氏が、会見の質疑応答で民主党の政権担当能力の不足を認めたのも拙い。これも、彼の未熟さの表れだと思う。
 会見の中での、約束した政策を実行してこそ政治家だ、といった小沢氏の発言にはなかなかの説得力があったが、自民党の「今は、総選挙をやりたくない」という前提に乗って連立の誘い水に応じてしまったのは、大きな手抜かりだったといえるだろう。「総選挙をやって、民意を問うて、連立についての議論はそれからだ」という建前こそが、彼の立場で守るべき正論だったのではないか。ここから逸脱するには、もっと慎重である必要があった。
 小沢氏は囲碁はかなりの打ち手らしいが、囲碁でも将棋でも、チャンスが見えたと思った時がしばしば危ないときであり、じっくり考えるべきタイミングだ。少なくとも、もっとじりじりと時間を掛けながら、様子を見て駆け引きをする手があっただろうし、「一国の総理の呼びかけだから」と安っぽく感動しているようでは、十分な政治的駆け引きが出来ない。長年の野党暮らしで、政府の権力の何割かが手の届くところに来たと感じたときに、バランス感覚が狂ったのかも知れない。
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「夜型」から「昼型」への生活改造の中間報告

 4月に当ブログで、「二つの生活改造」というエントリーを書いて、夜型生活の朝型への転換と本や既存の原稿の整理(自分の書いた物もどんどん捨てる!)のことなどを書いた。
 考えてみると、7時-8時に起きる生活は恥ずかしくて「朝型」と言えるほどのものではないので、「昼型」と訂正することにするが、この転換に関して、中間報告する。
 朝9時前に嫌でも会社に着いていなければならないというようなお仕事の方は関係ないかも知れないが、ライターや出版関係、メディア関係、何らかのフリーの生活を送っておられる読者には、現在「夜型」の方が多かろうから、夜型から昼型への転換が上手く行くものか、多少のご興味があろうかと思う。
 
 順調に回っている状態での平日の典型的な時間の流れは以下のようなものだ。朝7時半から8時くらいに起きる。子供が保育園に出掛けるまで、少しは何かを手伝い、子供は9時過ぎに保育園に向かい、妻は9時半に出勤する(現在は時短勤務)。その後、新聞6紙をちょっとだけ眺めて、できれば原稿を一本書く。今や不可能ではないがランチの約束をしていることは少ないので、自炊か近所で朝昼兼用の昼食。予定に応じて六本木の楽天証券か、神保町のマイベンチマーク(友達とやっている会社)に出掛け、たいていは外で夕食を食べて、午後7時半~8時半くらいに帰宅し、子供を風呂に入れて、それから原稿書きをして、遅くとも午前2時くらいまでに寝る(睡眠時間はまとめて5時間半あると前日と同じ状態が維持できる)。

 最初の3、4カ月くらいは、物珍しさと多少の緊張感があって、この生活は概ね維持できた。実は、この生活パターンだと、その日に思いついて「今日は飲みに行こう!」と出掛けるのがやりにくいことが大きな精神的負担だったが、これは、ある程度諦めて、予定を立てて飲みに行けばいいと落ち着いた。かつてのように、ほぼ毎日飲み歩くというわけにはいかないが、それで大きな問題はない。忘年会シーズンに、かつての生活習慣に回帰する誘惑が生じるかも知れないが、何とかコントロールできそうだ。家でもお酒は飲めるので、「まあ、いいや」と落ち着いた。

 半年強やってみて、なかなか思うとおりにならないのは午前中の仕事の能率だ。さしてクリエイティブなものを書いているわけでもないから、何時に原稿を書いても良さそうなものなのだが、朝はそわそわして仕事が手に付かない。新聞を見たり、部屋を片付けたり、ネットを見たり、メールの返事を書いていると、何も原稿を書かないうちに12時だ、ということが多い。朝一番に仕事が一つ出来ると、さぞ気分が良かろうと思うのだが、調子が出ない。朝に元気が出ないということばかりでなく、元気のあるときは却ってそわそわして気が散るという按配なので、気合いを入れた方がいいのか、肩の力を抜いた方がいいのかも判然としない。
 子供の頃から夜型で、「入学試験が夜にあればいいのに」と切実に思ったクチなので、朝に調子が出ないのは仕方がないのだろうか。「朝型」を勧める書籍を見ても、ともかく朝型がいいということが書かれているだけで、身についた夜型の払拭方法として有効そうなものは書かれていない。「慣れるよりない」と思ってやっているが、仕事の能率は、夜型生活の時と較べてたぶん二割くらい落ちている。夜が作業の中心でなくなったことと、昼に取りかかった仕事を夕方一回中断することが原因だろう。もっとも、それでも大きな差し障りはない。今のところギリギリのレベルまで忙しいわけではないし、能率でイライラするのは自滅の元だろうから、気にしないことにしている。ただし、トータルの自由時間は減る。

 この「昼型」が怪しくなってきたのは、二ヶ月前くらいからだ。原因ははっきりしていて、単行本を続けて二冊書いたからだ。一冊は既に出た「新しい株式投資論」(PHP新書)で、もう一冊は11月に出る予定の「会社は2年で辞めていい」(幻冬舎新書)だ。雑誌やネットなどの連載を書きながらなので、総執筆量が増えたのだが、書かなければならない原稿が溜まると、あるいは原稿が多少なりとも難しい部分に差し掛かると、自然に夜の作業能率に頼ってしまう。
 頭の中では「昼でも夜でも同じではないか」と思うのだが、昼間は空気の分子の動きがざわざわしているような感じがして落ち着かない。夜になった方が、特に午前零時を過ぎてからの方が集中できる。単行本の原稿の多くはこの時間帯に書いた。
 すると必然的に睡眠時間が不足する。起床時間がだんだん遅くなりがちになって、子供が出掛ける直前くらいが増えてきた。昼型、危うし。
 加えて、もともと寝不足には強くないし、眠気は我慢しないことにしているので、子供を風呂に入れた後か、妻が出勤した後の午前中に、平均1時間半くらい眠り込むことが増えてきた。私の場合、睡眠のサイクルは1時間半よりも少し短いくらいの時間なので(5時間半睡眠は4単位なのだろう)、1時間半程度眠るとスッキリと調子がいい。
 夜の一眠りはしない方がいいのかと思うのだが、夕食時にビールでも飲んでいて、一風呂浴びるといい気持ちになって眠い。どうやら、ここを我慢して、早寝のサイクルに持ち込むのが急所かも知れないのだが、アルコール抜きの夕食は味気ない、という辺りでうろうろしている。

 目下単行本の原稿書きがないので、多少は余裕を持って生活時間帯を立て直すことが出来そうだ。夜型に戻りきらない今のうちに、もう一度、もう少し早寝・早起きの生活を徹底してみるつもりでいる。気が利かないが、当面、「続けると慣れるだろうし、慣れたら定着するだろう」と期待するしかない。それにしても、午前中の能率は何とかならぬものか。
 三歩進んで二歩戻った、というような甚だ情けない中間報告だが、夜型は意外に手強かったというのが実感だ。
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