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株式投資の「嘘!」を募集します。

 さあ、ゴールデン・ウィークだ!
 「株式投資の本でも書こうかな」と思って、構想を練っています。
 装丁は新書で、仮のタイトルは、内容に沿って決めるとすると「株式投資の常識・非常識」というくらいの感じ。実際には、「さおだけ屋・・・」ほどではなくても、もう少しインパクトのあるタイトルがいいなと、思いますが。
 内容としては、株式投資についてよく言われているようなルールや原則の、間違いや、少なくとも現実に合わない場合があることを指摘しながら、全体として、①株式投資というゲームの性質、②他人と自分を共に客観的に観察することの重要性、③必勝法はないが合理的だが、精神的にやりにくい」ことをやると得をする確率が高そうなこと、などが、伝わる人には、伝わるような本にしたいと思っています(ある種の感性が欠落している人には伝わりませんが、その点は「仕方がない。でも、だから、いいのだ」と割り切って書くつもりです)。
 後でカテゴリー別に何章かにまとめるとしても、株式投資の世界で「こう言われることはある」という程度の投資の原則を(なにがしか)「嘘!」として取り上げて、正しいことを説明する形で、数十項目(30個~50個)、一項目4ページから6ページくらいの四方山話を書いて、並べ合わせてみて、全体を調整する、という形で本を作るつもりです。難しい話はなるべく抜きに、気楽に、しかし陽気な辛口で、投資の世界の偉そうなバカどもを次々に笑い飛ばすような調子で書きたいと思っています。
 
 さて、上記のような感じで書く、ということになると、先ずは、項目出しということになりますが、思いつく「嘘」(なにがしか批判が余地のあるという程度のものも含みますが)を、順序不同に並べてみます。

1)株式投資は頭脳の勝負だ
2)株式投資は情報が勝負だ
3)株式投資は博打ではない
4)実力は運用結果に表れる
5)株式投資は金持ちが勝つゲームだ
6)バブルは後になってみないと分からない
7)プロとアマには大差がある
8)IRに熱心な会社を買え
9)分散投資は非効率的だ
10)買うときには利食いの目標値段を決めよ
11)損切りが大切だ
12)長期投資でリスクは縮小する
13)エコノミストの逆を張れ
14)売買タイミングはチャートを見て考えよ
15)機関投資家が注目する株を買え
16)不祥事企業は売り
17)株式投資は売買のタイミングが勝負
18)株主優待を楽しもう
19)株式市場は「効率的」だ
20)業界の一番手銘柄を買え
21)配当こそ株主還元だ
22)デイトレードは堅実を旨としよう
23)β値の高い銘柄の期待リターンは高い
24)ドルコスト平均法は有利な投資法だ
25)CSRが優れた企業に投資しよう
26)上方修正続きの銘柄を買え
27)株式投資は努力すると上達する
28)決算発表では増益「率」が大切
29)投資銘柄数が多すぎると管理しきれない
30)M&Aは有効な成長戦略だ
31)株式投資は美人投票だ
32)アナリストの情報を効果的に利用せよ
33)明日の成長企業に投資せよ
34)株式投資は女には向かない
35)優れたビジョンを持つ経営者に投資せよ

 取りあえず、この辺まで並べてみました(ちょっとくたびれました)。何れの項目についても書くことはありそうですから、書きながら他に思いつくこともあるだろうと期待して、適当にグルーピングして書き始めてもいいのでしょうが、書いてみると内容が重複する項目も幾つかありそうですし、出来不出来の問題もあるでしょうから、最低を30個と見ると、もう少し項目を挙げたいと思っています。それに、事実その通りだから仕方がないのですが、こうして眺めてみると、いかにも私が思いつきそうな項目立てで、私にとっては、今一つ新鮮味がありません。
 一眠りしたり、散歩したりしながら、続きを考えるつもりですが、この株式投資ルール(格言)は「嘘くさい!」あるいは「素晴らしい!」と思われるものがあれば、ご教示下さい。加えて、インパクトのあるタイトル(書名)も募集します。
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楽天・TBS問題の今後について

 楽天が、TBSに対して、現在19%の保有比率のTBS株式を20%を超えて買い増す意向であること伝えたことが、さる4月19日に明らかになった。これまで、みずほ銀行が仲介に入って一服状態であった両社の問題が、1年少々前に戻った格好だ。
 以下のコメントは、オープンに報道されている情報のみに基づく、私の個人的な意見と感想であり、楽天グループの見解とは些かも関係ないことを、あらかじめお断りしておく(本エントリーについては、今後、削除なり、修正なりが随時あるかも知れない)。私は本件について、楽天株式会社の三木谷社長、國重副社長とは一度も話題にしたことがないし、楽天グループ内で情報収集したこともない。ただ、私個人は、楽天証券の社員でもあり、楽天グループの利害関係者だ(楽天の一株だけの株主でもある)。意見は個人のものだが、この点ははっきりさせておく。

 ボクシングの客席でいえば、いわば楽天側のリングサイド席のような場所から見ていることもあり、楽天の立場からこの問題を見ることが多いのだが、実は、「今の時期に、楽天は、TBSを20%を少し超えて買ってみるといいのではないか」と、私は、個人的に思っていた。
 理由は、三つある。
(1)TBSの買収防衛策は、まだ株主総会を通っていないので、20%を超えるタイミングは、株主総会前がいい。
(2)議決権の凍結が解除されたので、株主総会で株主提案を行うと共に、他の株主の意向を問うことができる。
(3)楽天として、1000億円以上の投資をTBS株に対して持っているのに、楽天本体の業績にTBSの業績が反映しない状態は、株主にとって分かりにくい。20%を超えて、持ち分法適用会社として、連結することにメリットがある(TBSは目下業績好調である)。

 楽天がTBS株を買うことが、買収防衛策の発動を正当化するような敵対行為であるとは、私には、どう考えても思えないし、裁判所もそうは思うまい。
 結果的にあまり進んではいないが、業務提携を模索してきた関係であり、通知した上で、株式を買い増すことになる。また、20%の株式保有に対して、社外取締役2名の派遣を求める、というのも、大株主としては、普通のことだ。少なくとも、ここまでの段階で、TBSの株価が上がりこそすれ、TBSの企業価値は毀損されていない(そもそも大株主が企業価値の毀損を望む筈もない)。防衛策が株主総会を通っていないことでもあり、これを発動することは、法的にも認められないのではなかろうか(法律の専門的な問題は分かりませんが)。
 また、企業買収問題で意見や行動が「正論」であるか否かは、少数の一般株主の立場で判断すると分かることが多いが、「我が社の株を買ってはいけない」というTBSの経営者の言い分は、TBSの一般株主にとっては、迷惑な話だし、株式を上場していることの趣旨に沿わないのではないかと思う。

 株主総会で、TBSの株主が、どのような判断を下すのかは、興味深い。TBS経営陣は、6割以上の友好的安定株主を確保していると言っているようだが、TBSの株主には、機関投資家や外国人株主も多く、彼らは、株価が上がりにくくなる筈の買収防衛策を嫌うのではなかろうか。
 尚、大株主であるABCマートの動向は良く分からない。少なくとも、楽天と連携しているという噂は聞かない。むしろ、TBSに恩を売りたい立場なのではないかと推測するが、私は、確たる情報を何も持っていない。
 
 問題は、楽天がTBSの株式を20%を少々超えて持つところまではありだとして、その後にどうするか、また、どうなるか、ということだ。結論としては、現時点では分からない、と言わざるを得ないが、可能性としては、何でもありだろう。

 まず、ごくごく常識的に考えて、1000億円を超えるTBS株への株式投資は、目下、かなりの評価益が出ているが、楽天にとってリスクの上でも、資金の固定という意味でも小さくない。20%を超える保有を、TBSの経営陣とその他の株主多数が嫌った場合、楽天の保有株を何らかの形で誰かが引き取るようなアレンジが決まる可能性はあるだろう。たとえば、今回もみずほ(今度は証券?)かどうかは分からないが、何らかの仲介者が、TBSの株式を持ってくれる先を(多分複数に分けて)探して、紹介する、という形が考えられる(簡単にできるなら、どうして、これまでにそうなっていなかったのか、という問題はあるが)。
 楽天の保有株は、値を下げずに市場で売り抜けるには些か多すぎる。売り始めると、直ぐに楽天が売っていることが判明するだろうし、もちろんルール上、情報開示が必要だ。その場合に、TBS株は大きく値崩れするだろうから、楽天が十分な儲けを確保して、市場で売却することは難しいと思う。
 楽天は、投資会社ではないし、TBS株だけに大きな投資を集中することは、合理的でもない。しかし、20%を超えて株式を保有して、業績にTBSの利益を(持ち分に応じてだが)反映させながらであれば、長期的に保有することは可能だろう。
 とはいえ、高値でTBS株の引き取り手が現れるなら、楽天の財務的には、持ち株を売ってスッキリする、という選択肢はありだろうし、凡人なら、そう考える。

 さて、楽天とTBSの問題を眺めている、投資銀行家がいるとすれば、どう考えるだろうか。上記のような、「凡庸な解決」に終わったのでは、ちょっと退屈である。非常識で儲かる、刺激的なディールはないか?
 TBSと楽天の時価総額が目下逆転していることもあり、楽天の資金力では、TBSを過半数までは買えない、というのが、世間の声だが、果たして本当か。実は、過去一年の休戦期間中に、TBSの企業価値が大きく増えている可能性があり、仕掛けを考える上では、この点がポイントになるかも知れない。昨今の世界的な不動産ブームで、TBSが保有する赤坂の土地の価値は、相当に上がっているはずだし、まだ上昇基調と見る投資家も少なくないだろう。
 単純に考えて、TBSの保有資産を担保としたレバレッジド・バイアウトは、一年前よりもやりやすくなっているはずだ。ただ、楽天が単独で借り入れ主体になるのは、やはり、相当に負担が大きいようには思える。
 しかし、たとえば、ゴールドマン・サックスのような資金力のある投資銀行がお金を出すことに決めたならどうか。或いは、日本の不動産や株式(特に資産株)に投資したいと思っている投資ファンドは多いはずで、投資銀行が、ファンドを幾つか巻き込むことができれば、現在のTBSの時価総額(約8千億円)くらいの資金を調達することは十分可能だろう。もちろん、放送局の場合、外資による保有規制があるので、簡単にというわけには、行かないかも知れないが、和製のファンドもあるし、借り入れと組み合わせることも可能だ。
 また、買収後に、TBSの保有不動産を証券化して売却し、これで借り入れを返済するといった仕組みも可能ではないだろうか(これは、サッポロホールディングスのような会社に対しても同様だろう)。
 リスクが大きく、大掛かりなスキームなので、簡単には実現しまいが、全く不可能というわけでは無さそうだ。
 仮に、こうした形になると、TBSの企業価値、或いは放送局としてのTBSはどうなるのだろうか。「企業価値」という言葉は、ファイナンス用語(負債の価値も含む)と一般の使い方が混線して曖昧な意味になってしまっているが、現在の株主にとっての「株主価値」は、かなり大きく膨らむことになるだろう。
 本業は、どうか。不動産切り離し後のTBSは、たぶん、コンテンツ制作にビジネスを集中させることになるのだろうが、これも悪いことではあるまい。
 もっとも、こうした買収の仕組みが可能なら、投資銀行家は、TBS側に、MBOを提案するという選択肢もある。何れにせよ、彼らは、なるべく他人にリスクを取らせながら、手数料と投資収益が上がればいいのだ。
 但し、地上波の放送局ビジネスの価値がこれからどうなるのかについては、私には、よく分からない。規制業種としての寡占の利潤と、相対的ブランド価値の上で、今がピークであるような気がしないでもないし、まだまだ可能性があるのかも知れない。

 今後どのように推移するにせよ、どのような経営をして、何に賭けるか、を決めるのは、その時々の株主であるべきだ、というのが、株式会社の(特に上場会社の)大原則だろう。
 案外、20%を超えたところで、また膠着状態に入るのかも知れないが、今後の推移に注目したい。
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私の金銭感覚

 文藝春秋の「オール読み物」5月号の、「ああ、大散財!」という毎回筆者を変えるコラム(p113)に、私が、自分の日常的な金銭感覚について書いた文章が載っている。小説を書くことはたぶん無いだろうから、めったに載ることのない雑誌だと思うと、少し嬉しい。先頃発売されたニンテンドーDSの株ゲームのキャラクター(眼鏡をかけたオジサンの漫画で、実名で出ている)としてゲームに出ている事と共に、意外な場所への登場である。
 拙文は、詳しくは、「オール読み物」5月号をご覧頂きたいが、書き出しは「吸った息を吐くように、私は、着実に散財している」である。「大散財」について書くコラムなのだが、考えてみると、私は「これぞ、大散財!」というような書くべき買い物・浪費を経験していない。そうは、言っても、物欲は旺盛な方だし(カメラだの、時計だのが、使い切れない数、自室にある)、飲み食いにも熱心な方だ。稼ぎに対して測ると、良くお金を使う方だろうと思う。
 「吸った息を吐くように」というのは、継続的且つ無意識的に、お金を使っているということで、半ば生理現象のように支出している、ということなのだ。お金について、意識的に計画したこともないし、家計簿をつけたこともない。また、借金をしたこともないし、さりとて、たいして大きな貯金や投資があるわけではない。お金のことは、いわば、自動運転に任せていて、できるだけ意識しないようにしているらしいことが、コラムを書いてみて分かった。お金については心配なのだが、たぶん心配であるが故に、お金のことを意識したくない心理が働いているようだ。
 お金の運用に関しても、対象が、自分のお金であっても、あるいは他人のお金であっても、上手く行って稼いだ場合に、「儲けた」という気分や、「やった!」という感覚はではなく、ある種のゲームで上手く行った、というような気分である。
 また、もう一つ、日々の「日常」を大切にしたいがために、継続できない非日常性が嫌いで、儀式(結婚式もしなかった)や、大旅行などが好きではない。外を出歩くのは好きなのだが、旅行がそれほど好きでないのは、これが理由だ。好きな場所に住んで、好きな仕事や遊びをして、無理なく続けられるような毎日を続けたいと基本的に思っている。
 他人よりも転職回数が多くなってしまったことの背景にも、「この会社で、日常を続けても、仕方がない」「続かない会社なら、早く、続けられる会社に変わろう」という心理が働いていた。
 人生は有限だし、そろそろ半分を過ぎている筈でもあり(来月の8日で49歳だ)、継続性に拘っても仕方がないと思うので、多少の意識転換を図ろうとは思っているが、長らく、こんなことを思いながら、生きてきた。
 お金の心配はしたくないし、できれば、お金というものを意識しないで暮らしたいものだとも思っている。「お金の話」を生業にしていて、ある意味ではお金及び他人のお金の問題(意識)に食べさせて貰っているのに、我ながら、ワガママである。
 金銭感覚という点では、もちろん、お金は大切なものだと思っているし、あって邪魔になるものでもないのだが、これを「強く、強く、欲しい!」という気持ちは、あまり湧いてこない。このブログにも、書いたことがあるかも知れないが、金銭的な強い欲求がないことは、金融マンをやっていく上では、資質的に物足りない。
 考えてみると、欲しいものはたくさんあるし、もっと豪華に生活すると楽しいのだろうし、何よりも、現時点で、将来の経済的な安心を確保しているわけでは全くない。「週刊ダイヤモンド」の連載などに自分でも書いているように、お金について、目標を持ち、意識的な計画を立て、先の「生理現象」のような支出行動を上手くコントロールしなければならないのだろう。近い将来、自分の、金銭感覚センサーの調整が必要になるのかも知れない。
 もっとも、お金というものは、それ自体が目的ではなくて、あくまでも「手段」なので、これを、徹頭徹尾、手段として使いこなす、という姿勢は、今後も堅持していきたいと思っている。
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日本企業が、外国企業に買収されるとどうなるか

 三角合併との関係なども含めて、オーマイニュースの連載(17日火曜日に配信予定の「山崎元の経済用語の新常識」)に書いた話題なので、ご興味のある方は、そちらも参照して頂けると幸いだが、外国企業に日本企業が買収されると何が起こるだろうか。
 
 たとえば、時価総額1兆円の上場事業会社があるとする。発行株数10億株、株価は1000円としよう。この企業が外国企業の買収提案を受けて、買収されると、どうなるか。
 
 経営権を取得しようとするとき、コントロール・プレミアムという上乗せを加えた株価で買収を提案することが多い。幾ら、という理論があるわけではないが、3割くらいが多いという。一株、1300円株価で換算した交換比率で、外国の市場に上場されている株式を対価として渡す、というような、提案があったとしよう。(株式対価の場合は、現金対価の場合よりも、より大きなプレミアムが必要かも知れないが)

 既存の株主は、上場企業同士が株式を持ち合っている採算度外視の株主(本当は、「腐れ株主」と呼んでやりたいが)を除いて、「有り難い!」と思うだろう。株主総会で、これが可決されて、外国企業の在日子会社との合併が決まる。これが、三角合併だ。最終的に、日本企業の株式の全てが、外国企業の株式と交換されて、この株が、もともとの価値の3割増しで換金できたとしよう。

 株主が100%日本国の居住者だとすると、彼らの富は、1兆円から、1兆3千億円に増える。これは、3千億円の一時所得に相当し、マクロ的には、3千億円の減税があったようなものだ。いや、減税の場合は、将来の増税がなにがしか予想されるから、この効果は、景気対策として、減税以上に強力かも知れない。(なるほど、安倍政権が、「イノベーション」と共に「オープン」を掲げ、対内直接投資を数年で2倍にしたいと言うわけだ)

 ここまでのところは、株主が喜んで、景気にもプラスに働く。買収大歓迎と言っていい話だが、なぜか、メディアは、この側面を取り上げようとしない。「日本企業が買収されると、大変だ!」という文脈以外のコンセプトが思いつかないようだ(たぶん、編集長、プロデューサー・レベルで)。

 では、この日本企業は、今や、外国企業の子会社となった。社内では、何が起こるだろうか。

 たぶん、社長は即刻クビになるか、形ばかりの会長に一時棚上げされてからしばらくした後に廃棄される。役員・執行役員もそうだろう。買収した時点では、「現在の組織を尊重する」といったことを買った連中は言うだろうが、半年か1年で「成果」を求められて、大半の役員が脱落するだろう。

 会社の組織形態にもよるが、部長クラスくらいまでは、しばらく残して貰えることが多いだろうが、重要なポストには、本国から来るか、日本で新たに雇われた、本社の息のかかった人物が共同マネジャーとして並立する形になり、やがて、多くの部署で、後者が主導権を取るだろう。

 統治する側からすると、自分の信頼できる人物を重要ポストに置く方が、そこにいる人物を信頼するよりも、普通の行動だし、権限を具体的に行使してみせることが必要だという側面もある。
 
 社長・役員・執行役員・部長といったクラスの経営者及び幹部社員は、そこそこに恵まれた収入と、威張って暮らせて、経費も使える、社会的地位を失うことになるので、買収されることには、徹底的に抵抗したいと思うだろう。当然といえば、当然だが、何だか、寂しい話ではある。買収したい側としては、収入と、社会的な地位をセットにして、しかし、経営には関わらせないといった(たとえば、子会社の副会長のような)、日本的ゴールデン・パラシュートをアレンジして、取締役会の枢要メンバーを蔭で買収することができれば、スムーズかも知れない。この辺りは、インベストメント・バンカーなども含めて、小悪党さん達の腕の見せ所だ。

 課長以下の多数の社員はどうなるだろうか。大まかには、外資に買収されて、得をする人が半分、損をする人が半分、という感じではないか。年功序列のDNAが残っている日本企業の人事制度では、長い時間待ちが必要だった社員が、早く重要なポストに登用され、収入も増えるかも知れないし、逆に、外資流のマネジメントに適応できなくて、リストラされる以前に、尻尾を巻いて自己都合退社というようなケースも多く出るだろう。
 
 ざっくり言って、仕事が出来て(客かノウハウを「自分で」持っていて)、自己アピールが上手い社員は得をするだろうし、ポストほど仕事が出来ない社員には不利だろうし、自己表現が下手で変化に対応する事が不得手な社員は損をするだろうし、ゴマスリの上手い奴はここでも出世するだろう!

 社員にとっての損得・幸不幸は、本社の方針により、業績によっても、様々だろうが、単純に、リストラされたり、労働強化されたり、というわけではなかろう。外資とて、多くの場合は、成長性に期待して事業を買うわけで、直ちに規模を縮小する方向には走るまい。

 ところで、残念ながら不幸な目に遭う旧経営陣、幹部社員、そして不器用な社員たちが去った後は、どうなるのだろうか。トップや枢要なポストには、本国から監督者的なマネジャーが、いわば植民地の統治にやって来るだろうが、大多数のポストは、日本国内で、外部から、改めて雇われることになるだろう。新しい統治者にとっては、どちらも深くは分からない相手なら、元から居た人物よりも、新しく自分が雇った人物の方が、信用できる。古い幹部社員の解雇は、外部に居るやる気のある人々にとって、新たな雇用のチャンスなのだ(ヘッドハンターにとって、手数料稼ぎのチャンスでもある)。

 全体としてみると、買収された直後に、先ず何パーセントかの人員を整理するとしても、後から別の人を雇う公算が大きいし、外資の買収によって、雇用が失われる、ということではなさそうだ。

 こう考えると、社内では明暗が分かれるとしても、日本全体で見ると、外資による日本企業買収は、トータルにはプラスの効果の方が大きい場合が多いのではなかろうか。多数の株主がハッピーになるし、社内では、経営者を除くと、損得半々だろうし、買収のプレミアム分は日本経済にとって、返済不要のホットな有効需要だ。
 
 こんなことを言うと、某夕刊紙(長年の愛読紙だったりもするのだが)的には、「アメリカかぶれの市場原理主義者のたわごと」などと評されるのかも知れないが、外資による日本企業買収を、ひたすらネガティブな面からしか見ないことの方が異常に思える。

 日本企業を買っても、経営はそんなに上手くは行かないだろう、と一方では思うわけだが、それなら、後から、安く売ってくれればいい。市場で付く株価よりも高く日本企業を買ってくれるという人がいるなら、ありがたく買って貰えばいいと思う。
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二つの生活改造

 現在、二つの生活改造に取り組んでいます。

 一つは、この4月から、朝、普通の時間に起きる生活への、転換を図っています。先週の日曜日から始めて、一週間ちょっとが経過しました。
 これまでは、午前中遅くに起きて、午後にどこかに(楽天証券とか、自分の会社とかに)出社、夕食、お酒と来て、零時くらいに帰宅して、原稿を書いて、午前4時くらいに寝る、という、フリー・ライター型(?)の生活時間割でしたが、これを、朝7時に家族と共に起きて、保育園に出かける子供を見送り、午前中に一本原稿を書き、昼頃出かけて、できれば夜8時程度までに帰宅して、子供をお風呂に入れて、多少仕事をして、午前1時くらいには寝る、という生活に修正しようとしています。敢えて名付けるなら、「二足のわらじサラリーマン型」でしょうか。
 これまで、飲んで帰っても、(能率は落ちるが)原稿は書ける、というのをいいことに、夜型の生活をしていましたが、さすがに家族と生活時間がずれ過ぎるし、諸々の能率に疑問を持つようになり、この際、大転換(私にとっては)をしてみよう、という決心に至りました。
 いかにも不健康な夜型生活は、これまで案外私の健康には害をなさず、あれだけ不規則で、かつそこそこの量の飲酒を毎日伴っていながら、先般受けた健康診断の結果では、γ-GT:59→49、GOT:27→23、GPT:24→14、尿酸:6.4→5.7、中性脂肪:117→91、総コレステロール:206→157と、各種数値は、何れも許容範囲内に納まっており、しかも、前年よりも低下傾向にありました(左が前年値→右が今年の数値)。規則正しい生活にすると、かえって、どこかが破綻するのではないかと不安ですが、やってみることにします。
 では、飲んで、歌って、大騒ぎ、というようなことは、止めるのか、というと、そんなことは考えて居ません。主に金曜日の夜、或いは、別の曜日は子供をお風呂に入れて、夜8時くらいから(幸い、家の近所に、飲み喰い処多数アリ)、出かけて飲めばいいやと思っています。
 先週は、金曜日夜~土曜日の朝(7時!)にかけて、飲んで歌ってを実行して(前々からの予定でしたが)、生活のリズムを狂わせてみましたが、次の、日曜日には修正できたので、まあ、時にはこのような飲み方をしても大丈夫でしょう(実験にお付き合いいただいた方々に、感謝します!)。
 仕事の打ち合わせに夜の飲食が伴うことも多かったのですが、これは、半分程度を昼(ランチ)に移すつもりでいます。但し、まだ、この生活時間帯に自信がないので、ランチの約束を予定に入れるには至っていません。
 
 もう一つの改造というか、方針転換は、本や書類・ビデオのストックを減らすことにしたことです。
 これまでに、とても完全には網羅できていませんでしたが、自分が書いた原稿やインタビューされた記事などを、出来るだけ保存しておこうと思っていましたが、整理が追いつかないと家が散らかる(→イライラの原因になる)、しかも、整理しても当面は後から見そうにない、という見切りを付けて、自分の原稿・記事が載っている未整理の雑誌を200-300冊捨てました。
 テレビに出演した際の録画テープ(網羅はしていませんが、それでも数十本ありました)も、思い切って全て捨ててしまいました(DVDがちょっと残っているだけです)。
 自分の過去の記録が相当程度不可逆的に失われるので、正直なところ、残念な気持ちもありますし、職業的に残しておかなければ無責任ではないか、という懸念も一方にあったのですが、「日常生活」と「こらからの仕事」を優先することにしました。個人的な仕事については、収納スペースが豊富にあったりとか、整理をしてくれる秘書が居たりとか、ではないので、自分を身軽にしておくことの方が重要です。
 目下、拙宅に(会社にとは別に)、新聞が6紙、雑誌が20数誌来るので、これらの紙の量を考えただけで、何らかの改造は、どのみち必要でした。しかし、先般の引っ越し(昨年10月)の際にも、及ばずながら整理して、荷物として持ってきた主に雑誌を捨てるのですから、自分には、一貫した計画性が無いことや、効用関数が安定していないことなどが、実感として良く分かりました(これが、他人にも広く当てはまるとすると、現在の経済学の相当部分は、書き替えが必要になります)。
 過去に書いたものや話したことが問題になった場合は、どうしても必要であれば、探す手段はあるだろう、と割り切ることにしました。私は、過去を振り返り、噛みしめるタイプの老人にはならない予定ですし、子供達にも、過去よりも、自分の将来に興味を持て、と言うつもりでいます。
 今後は、内容的に残しておきたいと強く思う物以外は捨てることにしますし、今までにファイルしてきた過去の仕事も、あきらめを付けつつ、更に捨てていくことを考えています。また、併せて、今後読んだり、参照したりすることがあるか、という基準に従って、蔵書も半分くらいに圧縮しようと思っています。
 是非残しておきたいような内容は、単行本など、独立した、残しておきやすい形のものにする、と考えると、本を書くモチベーションとしてもいいかと思っています。
 私は、物欲旺盛なのに整理整頓が下手だし、散らかっていてもモノが探せるし、片付けに時間かけるのが勿体ないと思っていたので、これまで、散らかったモノの中で暮らしていましたが、どうも、生理的には、スッキリと片付いた空間で暮らしたいという矛盾した嗜好を持っているらしきことを、近年になって自覚しました。
 一生実現は無理でしょうが、たとえば、ホテルの部屋のような片付いた部屋に、本棚一つと、パソコン2台(1台はノート型。バックアップは常に必要)程度のものだけを置いて、スッキリと暮らしたい、というのが、生理的には、ある種の理想として夢見る生活空間です。
 もちろん、現実は、これと大きく隔たっており、理想に近づくために一番必要なことは、他人の協力や経済力よりも、自己の性格を改造することです。
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「赤ちゃんポスト」と「ポスト安倍」

 熊本市の慈恵病院が計画している「赤ちゃんポスト」が、「許可しない合理的な理由はない」という判断の下に、熊本市から設置許可を得た。(匿名の親が赤ちゃんを置くことが出来るような施設を設置すべく、病院の施設を改造することを許可した、ということのようだ)
 一方、政府は、赤ちゃんポストの設置に対して、これを実力行使で差し止めるという方針ではないようだが、かなり明確に反対・批判している。安倍首相は、親が子供を捨てるというようなことは、あってはならないことで、こうしたものを全国に拡げることには反対だ、といった談話を発表している。

 捨てられ、生きることが出来なかった筈の命が救われるから「よい」のか、捨て子行為を助長するから「わるい」のか。
 
 私は、「赤ちゃんポスト」の設置は、三つの意味で「よい」と思っている。

 先ず、意思決定の問題として、赤ちゃんポストを設置することの方が「やり直し」が効くことだ。
 将来、赤ちゃんポストに、あまりにも弊害が大きいことが分かれば、これを廃止することができるし、その間にも何人かの赤ちゃんの命を救うことができよう。逆のケースを考えると、失われる命が(絶対とはいえないが)ある公算が大きい。現実に、新生児・乳児の遺棄のケースがあるから、慈恵病院は、赤ちゃんポストを設置しようとしているのであって、これを一人でも救おうという意図は尊重してもいいのではないか。やってみなければ、効用も、弊害も、正確には分からないが、弊害は、かなりの程度まではお金で解決する話で、命の問題ではない。
 
 もう一つのポイントは、「子供を放棄する親はいけない」とは言っても、もろもろの事情で放棄せざるを得ない親がいるという現実を認識すべきだ、ということだ。
 確かに、実の両親が責任を持って子供を育てることが出来ると望ましいが、経済的な理由などで、それが出来ない場合(少なくとも親がそう判断する場合)は存在する。この場合に、親を責めても仕方がない。無理に育てても、親子共倒れになるかも知れないし、別の形の悲劇が起こるかも知れない。
 親が、乳児院に名乗って預けることが望ましいかも知れないが、そうしたくない親はいるだろう(だから遺棄される赤ちゃんがいる)。そういう親に当たった赤ちゃんの命を、放置するのはしのびない。
 やむを得ず(とはいえ違法だし、間違いなく「悪い」ことなのだが)赤ちゃんを捨てる親にも、「やむを得ず」、「申し訳ない」といった気持ちはあるだろうし、後から後悔にさいなまれることもあるのではないか。捨て子は、本人も可哀想だが、親にだって可哀想な面がある。安倍首相には、子供を捨てる親の気持ちに対する想像力が欠けているように思われる。

 また、仮に、まだ無事な捨て子がどこかで見つかった場合、政府なり、自治体なりは、この子を保護するのだろう。ならば、はじめから、安全な捨て場所がある方が、ずっといいのではなかろうか。

 赤ちゃんポストで救われた赤ん坊が長じて、安倍首相に、「私は、赤ちゃんポストのおかげで、生きて、その後の人生を味わうことが出来ました」と言ったら、安倍氏は、どう答えるのだろうか(「キミの親は無責任な非国民だ」とでも言うのかな?)。
 もっとも、その時まで「安倍首相」が続いているのは、あまり嬉しいこととは思えない。彼の、赤ちゃんポストに対する談話などを聞いていると、早く「ポスト安倍」を現実的に論じたいものだと思う。
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キヤノンの偽装請負の話が日経ビジネスに出ていました

「日経ビジネス」の4月2日号の特集「”抜け殻”正社員」に、キヤノンの話が出ていました。

ステッパーの非球面レンズの研磨をされている請負労働の職人さん(大野氏、32歳。先般、請負労働者の組合を作った方です)の話が載っています。

もともと正社員の下でモロに偽装請負していた時には、技術の伝承があったし、仕事もやりやすかったけれども、その後2004年に「トヨタ生産方式」を導入すると言われて正社員が現場から姿を消し、管理的な仕事の正社員だけが残り、正社員は実作業にタッチしなくなったのだそうです。

「正社員になれるか」と淡い期待を抱いたその一年後には、正社員が現場から姿を消して製造技術のことは一切分からない請負会社の正社員が管理者として現れ、現在は、正社員に技術的な質問をするには、請負会社の正社員と作業者が正社員のいるところへ行って、作業者が直接話をしないように後ろを向いていて、派遣会社の正社員(技術の一切の分からない人)がキヤノンの正社員に質問するような、非効率的な状態で作業をしている、ということです。

大野氏は、請負労働者の待遇改善、正社員化を訴えていますが、それと共に、これでは、キヤノンの製造技術の伝承ができなくなってしまうのではないかとも心配されています。技術を教えた若い社員がよく辞めていくのだそうです。

詳しくは、是非、「日経ビジネス」4月2日号で読んで下さい。

それにしても、記事によると一個2000万円というステッパーの非球面レンズを、請負労働者に作らせているというのは、驚きです。これで将来が大丈夫かと、キヤノンカメラのユーザーとしては心配になりますが、合理主義者の経団連会長氏は、ご自分の現役中は大丈夫だ、と見切っておられるのかも知れませんね。



御手洗氏とキヤノンについてのコーナーのコメント欄が深くなりすぎたので、この件(や労働・格差問題全般)について、情報、ご意見のある方は、主に、こちらのコメント、トラックバック(許可後に反映、の設定なので少し時間が掛かりますが)をご利用下さい。

尚、写真は、拙宅のトイレ(普通のウォシュレットです)に、日経ビジネスとキヤノンのEOS20Dを乗せて、リコーのGRデジタル(使い慣れていて撮影が楽です)で撮りました。EOS20Dは、レンズを外して写し、「抜け殻」の感じを目指しましたが、便器の上では居心地が悪そうです。(もちろん、このカメラは実用機として活躍しています。カメラそのものには罪はないと思っています)
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