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「ホリデイ」と「ブラックブック」

 3月30日のフジテレビ「とくダネ!」の「おすぎのエンタメ斬り捨て御免」のコーナーで取り上げることになっていたので、今週観た映画が二本あります。共に洋画で、「ホリデイ」と「ブラックブック」です。

 コメンテーターで出る時は何とか時間を作って、取り上げる映画を観ておきたいと思っています。おすぎ氏は、現在、映画評論界で大きな影響力をお持ちですし、司会の小倉智昭氏、笠井アナウンサー、佐々木恭子さんも、何れも映画に詳しく、番組で紹介する映画は殆ど観ておられるので、オンエア中に話す機会はなくとも、打ち合わせの時に、控え室で、皆さんが、それぞれの作品に対して、どんな感想を持ったのかを、お聞きするのが楽しみです。

 尚、「とくダネ!」に、コメンテーターで出演する時の大まかな時間の流れは、朝の6時に自宅に迎えの車が来て、お台場着が6時半、メークを簡単に済ませて、7時少し前から、小倉智昭氏、佐々木恭子さんを交えて1時間弱打ち合わせをして、8時から生本番という手順です。笠井アナは、「とくだねタイムス」の手配に忙しいので朝の打ち合わせにはご同席されません。また、おすぎ氏とは、残念ながら、本番しか顔を合わせません。

 「とくダネ!」には、細かな台本はありません。時間配分の予定を記した10ページ程度の進行表があるだけで、基本的に、小倉智昭氏に任せて、進行する番組です。打ち合わせの時に、それぞれのネタを担当したディレクターかレポーターから話を聞きますが、コメンテーターの発言の内容を事前チェックするようなことはありません。私は、打ち合わせでは、テーマごとに、自分に話を振られた場合に、何を言いたいと思っているのかがなるべく分かるように話をしているつもりですが、本番中に思いついたことを話す場合もあります。(もちろん、思いついたけれども、話せない場合も、たくさんありますが)



 前置きが長くなりましたが、今週取り上げた映画は、「ホリデイ」と「ブラックブック」でした。何とか時間を都合して、週内に二本とも観ることができました。

 「ホリデイ」は、ナンシー・メイヤーズ監督・脚本の「ラブ・コメ」で、キャメロン・ディアス、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、ジャック・ブラックといった配役です。LAの大きな家に住む女社長のキャメロン・ディアスと、ロンドンの新聞社勤務で郊外のコテージに住むケイト・ウィンスレットが、共に恋に挫折し、ネット上でホーム・エクスチェンジを成立させ(住む家も、車も、丸ごと交換する)、二週間環境を交換して生活するうちに、それぞれ恋に出会う、という物語です。

 ホームエクスチェンジによる旅と小さな非日常性、失恋の後の新しい恋との出会い、と、主な観客層であると思われる女性(20代後半から30代くらいの働く女性)に受けそうなスートーリー設定に、タイプが違うけれども観客が計算できる女優、いい男のジュード・ロウに加えて、美男とは言い難いジャック・ブラックを配して、デートの映画鑑賞に使った場合の男性客に配慮がなされています。また、サブ・ストーリーに、イーライ・ウォラックが演ずる老脚本家が登場したり、小さな子供が出てきたり、といった、老若男女に少しずつ合わせた作りになっています。
 
 率直に言って、ここまでやられると、マーケティング上の計算から作られた商品(映画)という臭いが強すぎて、素直に楽しめばいいのだが、できるかな、という感じがした作品でした。一つには、先が何となく予想できる物語なのに、サブ・ストーリーを丁寧に描いているので、進行が遅くて、時間が長く(135分)、これは、数年後にテレビで放映されることがあれば、編集で15分か20分縮められて丁度良くなるのではないか、という感じがしました。
 
 俳優・女優は、素人目にもそれぞれに上手く、安定感がありますが、意外性はありません。ストーリーに破綻はありませんし、LAのDVDのレンタルショップのシーンでは、客の中にダスティン・ホフマンが居る、というようなお遊びのサービス・シーンもあって、何れにしても、丁寧に作られた「商品」です。大学の成績のように優良可不可で採点すると、お金の分は期待通りに楽しませてくれるので、商品として成立しており、不可ではありませんが、「可」ではないでしょうか。
 
 おすぎ氏が「キャメロン・ディアスばっかり、いい服をとっかえひっかえ着ていて、ずるい」と仰っていましたが、彼女が目一杯頑張っているので、男女を問わず、彼女のファンであれば、楽しめるでしょう。ただ、彼女が、ラブ・コメディーで主演出来るのは、この作品くらいまでかも知れません。いくらか酷な言い方ですが、観ていて、年齢的な限界を感じました。飛び上がるような仕草が可愛らしかったり、強気な話し方がみずみずしく感じられたりするのは「今」が最後でしょう。彼女が「ラブ・コメの定年」(佐々木恭子さんによると、最大40歳)をどう克服して、その後に、どんな役が出来るようになるのか、楽しみではあります。彼女は、公称通りなら、今年の8月で35歳です。
 
 一方、「ブラックブック」は、素晴らしい映画でした。一言で言って、「ホリデイ」は商品、「ブラックブック」は作品、といえるくらいの違いがあります。貴重な時間を使って観るなら、どう考えても、「ブラックブック」の方でしょう。

 監督・脚本は、ポール・バーホーベンで、彼が故国オランダに戻って制作した大作です。この監督は、ハリウッドで「氷の微笑」、「ショーガール」などを撮っているそうですが(私は彼の他の作品を観ていないので比較できません)、ハリウッド的な制約を避けて作りたかった、という彼の意図は、よく実現していると思います。難病や怪物、宇宙人、といったものがなくても、緊迫感のある物語は十分に作れるし、俳優・女優の知名度とキャラクターに寄りかからなくてもヒット作は作れるのだということが十分に実証されています。
 
 これも長めの映画なのですが、こちらはストーリーが実に良くできていて、全く長さを感じません。緊迫したシーンの連続で、細かな伏線が後のシーンに生きているので、観ていながら何度も感心します。また、登場人物はみな複雑かつ立体的に描かれていて、最後まで意外性があります。
 
 冒頭が、主人公の女性のその後と回想のシーンから入るので、彼女が死なない筈だ、ということが観客は分かるのですが、これが決して傷にならないスリルとテンポの良さが全編にありますし、第二次大戦から回想時点(1956年の設定)に戻って、その後が暗示されることによって、昔の話が現在(21世紀)とも繋がった感じがするので、これは本当に良くできた脚本だと思います。
 
 状況は、第二次大戦末期、ナチスの占領下のオランダで、家族を殺され、本人も九死に一生を得たユダヤ人女性が主人公です。彼女がレジスタンスの運動に加わり、髪を(アンダー・ヘアも)金髪に染めて、ナチスの将校に近づきますが、この将校と恋に陥る、というのが一方の流れです。この主人公の女性役の女優カリス・ファン・ハウテンは、ヨーロッパ的な憂いを湛えた美女で、ナチスの情報将校が誘惑されるに十分な魅力のリアリティを持っていて、且つ状況によって大きく変化する心理状態を巧みに演じています。(単純に、筆舌に尽くしがたい、いい女だ、と説明すべきなのかも知れませんが)
 
 他方、主人公の家族が殺された状況や、レジスタンス側の行動の失敗を見ると、レジスタンス運動の側にも裏切りがあるように見える状況となり、また、終戦を前にして敗色濃厚な時に、ナチスの側にも、個人個人には考え方と方針の違いが出てきて、「ナチス=悪、レジスタンス=善」といった、単純な図式ではない、人間の絡み合いが描かれています。
 
 ネタバラシは勿体ないので、簡単なヒントだけにしておきますが、連合国側が優勢で、戦争が終わると状況は劇的に変わるだろうという前提の下で、個々の人間がどんな利害を持っていて、何を考え、行動するのかという謎解きが見所です。
 
 結末を知った上ででも、もう一度観てみたいと思わせる、いい映画でした。優良可不可の評価は、もちろん「優」です。お時間があったら、是非観てみて下さい。
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大相撲、黄金の0.3秒!

 白鵬が優勝した、大相撲大春場所、特に優勝決定戦の決まり方(白鵬がはたき込みで朝青龍を0.3秒で破った)と、本割りで朝青龍が千代大海を破った相撲(こちらは0.7秒)が「変化」による決着だったことに対して、批判の声が上がっているが、これは、いかがなものか。
 お互いに勝ちたい相撲は当然真剣になるし、真剣になった場合に、「変わる」ことは当然選択肢にある。しかも、立ち会いに変わった場合、相手がこれに対応できた場合、優勝決定戦の白鵬でいうと、朝青龍にもろ差しに指されて、棒立ちのまま、無様に、寄り切られたであろう。白鵬は、大きなリスクを取って勝負して、それで、勝ったのだ。そもそも「変わる」ことが許されないなら、相撲は、ひたすら強く当たるだけのものになり、攻防とスリルを欠いて、著しくツマラナイだろう。
 本割り・結びの、朝青龍・千代大海戦も、観客にとっては幸いな、7勝7敗の千代大海が、事前の八百長を受ける筈もなく、これに対して、何としても勝ちたい朝青龍がリスクを背負って勝負した、真剣勝負の相撲であった。
 そもそも、「変わる」立ち会いは、相手が自分よりもはっきり弱い場合、自分がリスクを取るから、損な選択肢なのだ。普通に行って勝てそうな相手なら、様子を見ながら、もっとリスクの小さい取り方をするだろう。或いは、あらかじめ、シナリオが出来ている取り組みなら、それらしい攻防を演出した「力相撲」の後に、予定通りの勝負を決することが出来る。
 白鵬は、決定戦で勝ったときに、相撲取りには似合わないのだが、思わず、小さく「ガッツポーズ」をして、喜んだ。これは、この一番が、「注射」(=八百長)ではなく、「ガチンコ」(=真剣勝負)であったことの何よりの証明だろう。朝青龍も、白鵬に対して、余裕がないから突っ込んで行って、策に引っ掛かったのであり、あれは、最高のスリルを含んだ0.3秒だった。
 もちろん、「俺の方が強いのだから、大事に行く」とお互いが思い合っての最高レベルの大相撲を見たいものだとは思うが、そんなものは、一世紀に何度か、あるか、ないか、ではないか。何はともあれ、150kgの巨漢が、リスクを背負って、本当に勝ちたいと思って戦った勝負を鑑賞できたのだから、満足してもいいのではないか。
 この真剣勝負のスリルを十分鑑賞できずに、「力相撲を期待した」とか、「上を目指す者として残念な取り口だ」とか、「横綱が変わるとは」とか、ピントのずれた批判を口にする者は、相撲を語る資格がない、と私は思う。そんな輩(女性もいるかもしれないが)は、歌舞伎のように、台本がある見せ物(同族と男による芸能なので、芸術としては不純だと、私は思っているが)だけを、批評していればいいのだと思う。
 たとえば、解説者が、「大一番は、期待通りの、大相撲になるべきだ・・・」というようなことを述べるのは、テレビ的には無邪気な予定調和的コメントかも知れないが、「大一番風の八百長相撲」を称揚する共犯行為にもなりかねない。
 そもそも、大相撲には、「完全な真剣勝負ではない」という意味では、時に、八百長があることが、ほぼ明らかなのだ。スティーブン・D・レビット、スティーブン・J・ダブナー著「ヤバい経済学」(望月衛訳、東洋経済新報社)にもあるとおり、千秋楽に7勝7敗の力士と、8勝6敗の力士が対戦したときに、過去の成績から推定される前者の勝率は0.48なのに、実際には0.79強の確率で前者が勝っている、というデータ(十年以上の、サンプル数十分なデータだ)から見ても、少なくとも「手心」という程度の意味での八百長の存在は否定しがたいし、そのような行為が成立するインセンティブが十分に存在している。
 たとえば、朝青龍の場合、たぶん、彼は、殆どの力士よりも強いのだろうが、それは、絶対的なものではないとすると(たとえば、相手が「変化」した場合・・・)、朝青龍は「保険」が欲しいだろうし、相手も、もともと勝てる確率は小さいのだから、事前に約束された経済的な報酬に対して、「星を売る」という商談は、合理的に成立しやすい筈だ。そもそも、現在の相撲の取り組み自体が、幕内力士の平均体重が150kgになる時代に、デブとデブとが正面からぶつかり合って、しかも、絡み合って土俵下に落ちるようなゲームなのだから、真剣な者同士では、かなりの危険を伴っている。
 また、注目度の高い結びに相撲を取る朝青龍の取り組みには懸賞が多数掛かっており(多いときには40本以上。1本は、全額が直ちに手取りではないが6万円だという)、ここから、星を買う資金を出す、というのは、少なくとも朝青龍には可能で、ある種の経済合理性を持った、「ビジネス・モデル」であり得る。
 しかし、たとえば、「ヤバい経済学」でも、八百長が問題化した次の場所は、真剣勝負が増える傾向があると指摘されている。確かに、今場所の朝青龍には、せっぱ詰まった緊張感があったし、14日目の本割りの白鵬戦でも明らかだったように、真剣勝負ならではの、爆発的な運動神経の発現(私には、そう見えたが、あれが、八百長なら、兜を脱ぐ)が見られた。つまり、今場所は、面白かった。
 八百長というか、手心というか、完全なガチンコではない相撲があるのは残念なことだが、それでも、ガチンコの相撲は多数あるし、八百長が問題視されると、それは増える。「どれだけ真剣だったか」という観点も含めて、騙されないように、油断無く取り組みを見る、というのも、相撲の楽しみ方だろう。150kgのデブとデブが、カラダをぶつけ合うゲームは、やはり凄い!

(※当初のエントリー投稿時に、「白鵬」を誤って「白鳳」と表記していましたが、ご指摘を受けて、修正いたしました)
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携帯電話のマナーの話

 たまに、身近な話題を。
 大いに怒っている、とか、大問題だ、という話ではないのですが、時々当惑するのが、携帯電話のマナーについてです。以下の幾つかのケースについて、読者の皆様は、どうお考えでしょうか。

(1)電車の中の通話

 電車の中では、原則マナーモードで、心臓ペースメーカーへの影響可能性がある優先席の近くでは電源オフに、というのが、一応、電鉄会社の要請するマナーのようです。
 しかし、通話が他人の迷惑だとはいうものの、人と人とが電車の中で結構大きな声で話していることがあります。横に3人も並んで座って話し始めると、相当にうるさく、携帯電話での通話よりも迷惑なことが多々あります。
 これは、対人で大声で話す人が非常識でいけないのだ、と考えると一番スッキリしますが、お互いの利便性ということを考えると、周囲に気を遣って小さな声なら、且つ、満員を避けて話すなら、携帯電話で通話しても構わない、というルールの方が、生産性が高いようにも思います。

(2)来訪時の着信への応答

 私は、仕事柄、新聞や雑誌、TVなどの取材を受ける機会が頻繁にあります。こうした場合に、時々、当惑するのは、取材に来た、記者、編集者、ディレクターなどが、取材中に、自分に電話が掛かって来た場合に、当然のような顔をして(或いは軽い会釈程度の仕草の後に)、電話でそれなりに話すことがあることです。
 話が中断されて調子の悪い思いをすることが多々ありますし、待たされることも少なくありません。感覚的には、話を遮られる分、相手のタバコよりも不愉快度指数は携帯の方が上です。
 固定電話が中心の頃は、来訪者には電話が掛かってきませんから、電話に出ないのは当たり前でしたし、訪問を受ける側も、余程の急用でなければ、電話は取り次がないのが普通でした。
 正直なところ、来訪者に対して、「非礼だ」とも思うのですが、そこで怒るのも何やら偉そうに振る舞いすぎのように思えますし、また、ディレクターなどの場合に、自分の身の上を自分でコントロールできない状況で使われている、かなり可哀想な人もいるので、今のところ、黙認しています(そこで話を打ち切りにすると、どんなにスッキリするか、と思うことが時々ありますが・・・)。
 インタビューを始める前に、「急ぎの電話の場合は、携帯に出るので、ヨロシク」、或いは、「話を始める前に、お互いに、携帯には出ないことにしましょうね」と確認しておくといいのかも知れませんが、これは野暮な感じで気が進みません(私は、後者を確認したいことが、多いと思いますが、映画の上映前のようで、大袈裟です)。
 「話をしている間は、携帯に出ない」を標準状態として了解することがいいように思うのですが、どんなものでしょうか。もともと、電話で話していれば、(キャッチホンを使わない限り)、一つの話が終わってから、次の話をするはずなので、これでいいように思います。
 それとも、お互いに「携帯に掛かってくる用事は大切で偉いのだ」と認識し尊重しあって、話の最中に携帯に出ることまではOKで、その後を、要領よくやることが大事だ、といった線に、標準的なマナーを落ち着けるべきなのでしょうか。

(3)話の最中の携帯画面確認

 上記(2)よりも相手にとっては少しマシですが、話の最中に(たとえばインタビュー中に)、携帯の画面をちらちらと見て、着信元を確認したり、メールを読んだりする人もいます。
 これは、私も「絶対にやらない」とまではいえない程度に行うことがある非礼ですが、やはり、「非礼」にはちがいない、と思うのですが、どうでしょうか。
 
(4)でかい着メロ

 コンサートや映画館でNGなのは当然ですが、普通の会議中などでも、派手な着メロを鳴らす人が居ます。電話が掛かってきたことは、マナーモードで十分分かるので、これを「普通」としておくのが、常識的ではないでしょうか。

(5)電話に直ぐに出ない

 2~4を見ると、私の「(携帯)電話というものは、受け手側の都合に関係なく掛かってくる、迷惑なものだ」という基本観が色濃く出ています。
 固定電話の頃の価値感の反映かも知れませんが、着信は自分の手が空いたときに確認すればいいし、リターンコールも、自分の都合のいいときにすればいい、と思っているのですが、この点については、携帯は、文字通り携帯していることが多いわけで、相手もそういう理解を持っているわけですから、掛かってきた電話には、直ぐに出るべきだ、というのが、実は「常識」なのかも知れないと、不安になることがあります。

(6)番号非通知の是非

 他人の意見を複数聞いていると、番号非通知で電話を掛けるのは非礼だ、と思う人と、そうでもない、と思う人がいるようなのですが、どちらなのでしょうか。
 新聞、雑誌、放送局などからの電話は、非通知設定になっていることが多いのですが(悪戯や、しつこい抗議の電話などを避けるためでしょう)、電話番号が分かってもいい相手(仕事上は、分かって貰った方がいい相手の場合が多い)に対しては、番号通知の設定で電話するのが良いマナーのような気がするのですが、どんなものでしょうか。

(7)切れやすい場所からの電話

 たとえば、トンネルが時々ある高速道路など、電波が切れやすい場所から電話するのは、いかがなものでしょうか(運転手付きの車の人が、よく車中で電話したがります。経営者や政治家には、せっかちで、ワガママな人が多い・・・)。受ける側にとっては、なかなか迷惑なことがあります。
 この場合も、「電話を掛けるということは、相手の都合に関係なく、こちらから相手を呼び出すということだから、相手に対する気遣いがあって当然だ」という思想が背景にあると言えるでしょうが、どんなものでしょうか。
 尚、こうした場合、用件を携帯向けのメールにして送ってくれるのが、一番有り難いと思います。

 以上、私としては、何れも、100%の自信を持って、こうだ、と言える結論が出ない問題です。今、感じているような方向でいいような気もするし、別のマナーの考え方を取る方が、生産的なのかも知れない、という気もしています。

 尚、現在、私が主に使っている携帯電話は、auのW43H(日立製作所製)です。ワンセグTVが見られるので、競馬や相撲をやっている時でも、気楽に出かけられて便利です。その他の使い勝手にも、概ね満足しています。
 何台もドコモを使っていましたが、昨年引っ越してから、自宅でFOMAの電波の入りが悪くて、ナンバーポータビリティーを使って、auに乗り換えました。ナンバーポータビリティーを使うと、2100円の手数料が余計に掛かりますが、新規加入になるので、同じドコモの中で、最新機種に機種変更するよりも、かなり安く上がることが分かりました。
 待ち受け画面は、ずっと引き続き使っている、アインシュタインの写真です(舌を出している有名なヤツ)。彼の、「わたしは、調べれば分かることは、覚えないことにしている」といういい加減な台詞が好きで、長く使っています。
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堀江貴文氏への判決に思うこと

 日興コーディアルとライブドアに対する、検察・東証の措置を較べると、前者に不当に甘く、後者に乱暴なまでに厳しい印象を持つが、しばし、日興との比較は忘れて、堀江氏への2年半の実刑判決について思うところをメモしておく。

 先ず、「2年半の実刑」という判決は、彼が有罪なら、本来決して重過ぎはしない。上場株式の情報開示に伴う不正は他人の保有する経済価値への影響が大きく、この意図的な不正に関しては、10年、20年といった、不正を行うことが不正がバレる確率を考慮しても全く引き合わないくらいの重罰を設定することが適当だろう。
 重罰は、ある意味では、追加的な予算支出を伴わない理想的な不正対策だが、不正の定義や判定が曖昧な場合に、たとえば株式の公開といった積極的な経済活動に対して抑制要因となる副作用がある。日本の場合に(外国もそうかもしれないが)、司法が公平でない印象があるし、事前に明確な判断基準を示すことに対して消極的なので、この副作用は無視できないかも知れないが、資金の動きがが巨大化・高速化している現代にあって、情報の不正に対する罰はもっと重くてもいいだろう。
 では、今回の、堀江氏の場合はどうなのか、ということだが、彼は、株式分割による株価のつり上げ(株価操作目的だとは明言していないが、実質的な効果はそうだった)や、ニッポン放送株取得の際の時間外取引などを「違法でなければギリギリまでやっていいだろう」という態度で行ったのだから、僅かでも(53億円の粉飾は巨大でもないが、「僅か」でもない)ルール違反がバレたのだから、法律通りの罰を喰らってもバランス上は当然と思えるので、同情心は湧いてこない。

 一方、宮内氏をはじめとする彼の部下たちが執行猶予付きの判決であった場合、また、既にカネボウなどの経営者は執行猶予付きの判決を貰っているが、堀江氏に対する量刑は相対的に「重い」といえる。
 裁判はそのようなことに影響されない、との声もあり、実際にそうであって欲しいとは願うものの、堀江氏が、取り調べに対して非協力的で(検事の調書をなかなか認めないなど)、且つ法廷での言動に反省の色が見られない、といった「心証」が、求刑や判決に影響しているなら、日本の司法は半ばインチキだ。冤罪を作り出すエンジンが、仕組みの中に組み込まれているといっていいだろう。
 そもそも、取り調べが適切なものなのか、事後であっても客観的に確認する手段がない、というのは野蛮だ。取り調べの様子は、ビデオなどに記録されて、弁護側に開示されるべきだろう。検事の調書というものは、一体どれくらい信用していいものなのだろうか。

 但し、堀江氏の場合、損害賠償請求など民事案件への影響から、量刑そのものよりも、有罪か否か方が影響は重大なのかも知れない。今後、彼の個人資産を狙った民事訴訟が活発化するのだろう。
 ただ、時価総額から計算すると6千億円ともいえる株主の損の全てを堀江氏の責任に期するのは無理だろう。一つには、不正は2004年度の決算1期であって、ライブドアは、いわば、イカサマで稼いだチップで博打を張って、その後に大儲けしつつあったときに、過去のイカサマがバレたのだった。しかも、摘発の仕方や、上場廃止に至るプロセスは、ペイントハウスや日興コーディアルなど他の粉飾事例と較べても乱暴だった。現実的に金を取れるかという問題を脇に置くとすれば、ライブドアショックで損をした同社の株主は、堀江氏ら旧経営陣と共に東京地検や東証も訴えの対象にしていいかも知れない。たとえば、東証については、訴えて、賠償金は取れずとも、上場廃止の基準を明確化する方向に動くかも知れない。
 今回、弁護側は、宮内被告らの不正を暴き証言の信憑性を崩すと共に、堀江氏が細部を管理できないお飾り経営者だったという「バカ殿作戦」を取ったが、結局、事実として社長であった堀江氏に責任があったと認定されたようで、結局、弁護側の作戦が失敗だったようだ(ちなみに、日興の場合、有村氏は「小利口な殿」だから、堀江氏の場合よりももっと容易に粉飾への責任と、背任などが立証できそうに思える)。

 堀江氏について残念なのは、資本取引を売上にして利益に計上する操作が(ライブドア問題に詳しいあるジャーナリストも、彼らの「株食い」はやっぱりいいことではない、と仰っていた)、投資家に対して誤った情報をもたらしたことは事実なのに、これを反省する気持ちが上場企業の経営者だったのに、現在も無さそうなことだ。株式売却益を経常利益に載せられては、投資家は騙される。株式投資のセミナーまでやっていたのだから、堀江氏がここを分からないはずはない。
 この反省を抜きに、「これではリスクを取って起業する人間は誰もいなくなってしまう」というような、身勝手な推定を述べるのは止めた方がいいと思う。起業家の全てが、決して、彼ほど汚い際どい手(株式100分割など)を使うわけではない(汚いのもいるが)。
 
 もっとも、私は、直接面識はないが、彼のビジネスに対するセンスと集中力、それにメディアに対して発言するときの目の付け所など、彼のある種の個性と能力が好きだ。
 彼は、モノポリーでもプレイするような心持ちでビジネス・ゲームに取り組んでいたのかも知れないが、ある種のゲームのツボを見付ける能力があったと思う。
 また、常にではなかったかも知れないが、彼は、自分のことを突き放して、対象として見ることが出来た。その点では、世の中を自分に都合良く見てこれを言い散らかすだけの、経営者によくありがちな、「ポジティブ・シンキング・バカ」ではないと思う。
 
 それにしても、メディアはまだ堀江氏を追いかけているが、あの事件からたった1年2ヶ月しか経っていないのに、堀江氏が、とても古い人に見えたのはどうしてだろうか。私も含めて大衆の心はもう堀江とライブドアの一連の事件に飽きているのに(率直に言って、私はライブドア事件に飽きた。心の奥底では、もっと新しい刺激が欲しいと思っている。皆さんも、一緒でしょう?)、これが視聴率や部数につながるとまだ思っているメディアが、たかだか50数億円の粉飾事件の判決に、大軍(報道陣)を繰り出して、騒ぎを作っている(あるいは、騒ぎが静まらないように頑張っている)。
 16日の9時20分過ぎ、地裁に向かう堀江氏の車を上空から移した映像を見ていたら、車から降りたホリエモンが、立ち止まって、上空をしばらく眺めていた。放送局のヘリコプターを見上げていたのだろう。
 私は、勤務先(楽天証券)が六本木ヒルズにあるので、よく分かるが、報道のヘリコプターが上空を飛び回る音は、圧倒的にうるさくて、相当に迷惑なものだ(世の迷惑を考えると、あの程度の事件でヘリなど飛ばすべきではない)。
 時代の空気に敏感なホリエモンは、空を見上げながら「うるさいなあ。まだ、こんなもの追いかけているなんて、古いねえ」とでも言っているのではないか、と想像した。実は、私は、その映像を、当のヘリコプターを飛ばしている、朝のテレビ番組に出演中のモニター画面で見ていたので、あの報道振りが、幾らかは自分のことのように恥ずかしかった。
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日興コーディアルグループ上場維持の決定に思うこと

 東証は、大方の予想に反して、日興コーディアルグループの株式の上場を維持することを決め、同銘柄を、管理ポストから元に戻した。この問題については、他の媒体に改めて書くことがあるかも知れないのだが、今の時点で、幾つか気付いた点を述べておく。
 
 東証は、「組織的な不正であったことの確証が持てない」という理由で上場維持の決定を説明している。また、有価証券報告書の訂正額が、上場廃止に当たるほどではない、とも述べている。

(1)しかし、先ず、金融庁の指摘をすんなり認め、課徴金5億円を支払った時点で、日興コーディアルグループは十分クロと判断してもいいのではなかろうか。どのみち確証に辿り着きようのない調査で、余計な時間を費やさなくとも、日興コーディアルグループに一度だけ弁明の機会を与えて、これでシロと立証できなければ、即刻、「整理ポスト」(上場廃止銘柄をしばらく取引する場所)で良かったはずだ。
 上場は、証券取引所が、広く一般の投資家に対して、データを信用して、取引しても大丈夫ですよ、という判断を提供し、取引の場を与えることだ。「グレーであって、クロとまでは言えないから、上場維持」ではなくて、「グレーであって、シロとの確信が持てないから、一般投資家の売買対象にはできないので、上場廃止」というのが正しい論理である。
 東証は、捜査機関ではないし、会社の中まで踏み込む気などないのだから、東証が独自の調査で、上場会社をクロと認定することは、所詮難しい。ライブドアのように、経営者が代わって「悪うございました」と認めない限り、確信を持って上場廃止にすることは出来ないだろう。
 しかも、上記のように、上場ということの意味を考えると、東証にクロの立証責任があるのではなく、日興コーディアルグループにシロの立証責任がある、と考えることが、妥当だろう。
 そもそも、日興コーディアルグループが、今上場申請したとして、この会社の上場を認めたかどうか、と考えると、妥当な結論は明らかだろう。
 
(2)決算修正額もライブドアの数倍あるし、日興の方が、時価総額は大きいし、市場との関わりの深い証券会社でもある。社会的影響は比べものにならないくらい日興の方が大きいし、粉飾の罪は重いと考えるのが妥当だろう。しかも、マザーズなどというそもそもが鉄火場から外されたライブドアと、東証一部に堂々と残る日興コーディアルグループという両者のコントラストは異様でさえある。

(3)日興コーディアルグループについては、なぜ旧経営陣の刑事責任について、検察が動かないのか、不思議だ。たとえば、前社長の有村氏の場合、ご本人にとっては端金(はしたがね)だったかも知れないが、実質的に損得ゼロの子会社と孫会社のやりとりを利益だけ計上することで、彼の報酬が数千万円増えている。会社が作った特別委員会による調査でも、少なくとも、彼は、このスキームの全貌を知りうる立場にあった訳で、グループの経済実体として実質的に儲かっていないディールから、報酬を取ったのだから、粉飾決算の責任以外に、背任が成立する可能性もあるのではなかろうか。
 もちろん、彼らにも人権はあり、刑事責任の有無については慎重に判断する必要があるが、社会的な影響の大きさと証券会社の重要性に鑑みて、この問題に検察のメスが入らないことについては、違和感を憶える。
 もちろん、これらの他にも、ジャーナリストの町田徹氏が指摘するような、ベルシステム24の株式を買収した後の会計処理に不適切な部分があるのではないか、という問題など、多くの問題が未解明で残っている。これだけ、不透明な会社が、証券市場を担っていていいのだろうか。

(4)2月28日に「日興、上場廃止へ」と一面トップに記事を載せた日経は、今日の朝刊で、「本紙『日興、上場廃止へ』の報道の経緯」という説明記事を載せている。
 東証幹部の「財務責任者が不正会計に関与しているなら十分組織的」という談話、別の東証幹部の「多くの法律家の意見をとったが、全部が上場廃止だった」という談話、「行政当局筋」が「廃止の方向は覆らない」と述べたことなどから、「以上のような取材をもとに本紙は上場廃止について十分な根拠を得たため」報道に至ったと述べている。
 しかし、はっきり言うが、「十分な根拠を得た」というのは、嘘だ(現実が証明している)。これで、上場廃止は将来も動かない既成事実だというのは、日経の判断であり、東証の機関決定など動かぬ証拠による事実ではない。
 日経に限らず、日本のメディアには、取材して自分達が根拠を得たと思えば、それを「事実」として報じていい、という大いなる勘違いがあるが、事実として報じていいのは、東証幹部の談話、行政当局(金融庁?)の目下の判断、法律専門家の意見、ということの筈であって、ここで明かせるような根拠も示さずに、「上場廃止へ」ともう動かぬ事実のように報じることは、報道としても本来は半人前だし、「驕り」と言ってもいいのではなかろうか。
 1月の「日銀利上げへ」という朝日新聞の同じような誤報があったばかりでもあるが、新聞には、せめて、「事実」と「観測(予想)」のちがいが分かるように書くことを求めたいし、取材ソースとの問題もあろうが、記事の根拠をもう少しきちんと書きたい、という気持ちを持って欲しい。
 今さら、自分がヤバくなってから、「東証幹部」だの「当局筋」だのとソースを明かすのは、卑怯で見苦しいのではないか。
 「誤報でした」と正直に謝って、今後の記事の書き方について、方針を述べる方が、新聞に対する信頼度ははるかに改善するに違いない。
 
(5)何紙かが既に報じているが、シティの価格1350円によるTOBは、上場維持で成立しにくくなった。たぶん、シティに逃げ込みたいと思っている新旧経営陣にとっても、シティにとっても、今回の決定は痛し痒しで、「見物」はまだ続く。

(6)家に帰ってみると、3月13日の「東京新聞」の11面には、4人の論者のコメントが顔写真入りの表になって掲載されており、私のコメントも掲載されていた。
 表は上場維持決定に対する○×△の形だったが、他のお三方は、お一人が「世論に負けて上場廃止すれば、かえって不透明になる。正しい判断だ」で○、お二人が「信頼を損なう行為があったが、上場廃止なら見せしめとも受け取れる。難しい判断だ」、「意外感はあるが、刑事事件になっていないなど上場廃止の検討には微妙な点があった」で△、私は「与えた社会的影響の大きさなどからすると、かなり違和感がある判断だ」と述べて、「どちらかといえば」という注釈付きで×、と表には掲載されている。
 12日の夕方に上場維持の決定を知り、東証が一体何を言っているのか分からなかったので、スッキリとコメント出来なかったし、「どちらかといえば」という冴えない注釈を付けてもらった。だが、△のお二人のコメントには、「常識的には×だろう・・・」という認識が滲んでおり、私は、一応、正直率直にモノを言った、という印象になっているので、内容的には満足でないが、これはその時の私の答え方が不十分だったのであり、取り上げられ方は良かったと思っている。(東京新聞さん、ありがとう!)

(7)一部で報道されているように、この決定に、政治的圧力があったのか、というようなことについては、私は、直接取材している訳ではないので、よく分からない。そうであっても、なくても、上場維持という決定は不適切だったと思う。
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銀行窓口の質が劣化している?

 最近、銀行の支店の店頭に二度足を運んだ。一度目は、古い預金通帳に入っているお金を引き出すために預金の解約に、二度目は昨日だが、確定申告による所得税の払い込みのためだ。何れも「M」が頭文字の銀行だが、別々の銀行で、共に自宅から電車で3駅ほどある場所の支店だ。

 預金の解約では、先ず、大いに待たされた。ぼさっと突っ立って待っていたら、イスが空いたとたんに、「あちらに、お座り下さい」と指図されて、窮屈なところに座らされた。好意からなのだろうが、指図の雰囲気が高圧的で、「立っていると、邪魔だ」と言わんばかりのニュアンスだった。私が座っても、まだまだ立っている人はいるのだが、私は目障りだったのか(←たぶん、考えすぎだろうが)。
 座ってからも延々と待つ。持っていた、日刊ゲンダイも、夕刊フジも読むところが無くなって、支店に入ってから、1時間以上が経過してから、私の番号札の番号がアナウンスされた。
 古い通帳で、印鑑が定かでないし、カードがないし、口座を作ったときの住所も定かでない、という条件の普通預金の解約(20数万円)だったが、窓口の女性は、記入すべき書類を用意するにも、別の担当者に質問している。仕事に慣れていない派遣社員なのだろうか。
 質問にあれこれ答え、書類に記入し、書類を預けてから数分あって、「ヤマザキさん」と呼ばれた。しかし、先の女性なのだが、20数万円の勘定がうまく出来ない(タテでもヨコでも扇形でもない・・)。三回目にやっと納得して、お金を渡してくれたので、「銀行員らしくない、素朴な数え方でいいですね」と言って受け取ると、ニッコリ笑ってくれた。人柄はいいらしい。
 ところが、数時間後、携帯電話に「番号非通知」の着信があり、出てみると、「M銀行の、○○です」と先ほどの女性からの電話だった。記入した書類に一つ不足があり(不足が、一枚なのか、一カ所なのかは要領を得ない)、「当支店のお近くにいらっしゃることはありませんか」と、要は、出向いてこいと言っている。私が「そこに行く用事は、ありません」と言ったら、「書類を郵送したいのですが、いいですか」と言い出し、住所を説明する時間がなかったので、電話を切ったら、その後、携帯の留守電に、銀行に電話して欲しいということ、自分が居ない場合は、○○という担当者を呼び出して欲しい、ということなどが、録音されていた。
 お金を払い出せたぐらいだから、大きな問題はないのだろうと思い、放っておいたら、翌日以降、何の連絡もない。たぶん、大きな問題はなかったのだろうし、こちらは、幸いお金を受け取ったのでもういいが、銀行の立場で考えると、この窓口事務の杜撰さは心配だ。
 
 昨日の納税の払い込みも、随分待たされた。ATMでの現金引き出しの上限がひどく低くなった御蔭で、昨年までなら、現金を引き出して、空いている郵便局ででも払い込めば良かったのだが、同じようにすると、今年は何日か掛かる(←ちょっと見栄を張っています!)ので、銀行まで出向いた。
 待つこと、20分くらい。それでも、恐れていたほどではなかった。
 払い込みにはそれほど時間が掛からなかったが、窓口の斜め下に、団塊世代の退職金運用のためを標榜する投資信託の広告が貼られていていたので、この投信のパンフレットが欲しいと言ったら、窓口のお姉さんは、頭の薄いベテラン行員と覚しき人物の机まで行って何やら相談を始め、さらに、遠くにあるの相談カウンターに話をしに行って、戻ってきた。
 「パンフレットを頂けるだけで、十分です」と言ったのだが、一番奥にある、相談カウンターに行って、パンフレットを受け取って欲しい、と言う。
 なぜ、私が取りに行かねばならないのだ、と少々不満に思いつつも、指示されたカウンターに行くと、パンフレットと目論見書を渡す前に、書類にサインして欲しいという。「・・・・について、説明を受けて、目論見書を受け取った」という内容の書類なので、「説明は受けていませんね」と言って、「説明を受けて」の部分を二重線で消して、サインして、パンフレットを受け取った。すると、見たところ、割合高齢の男性と女性が名刺をこちらに差し出す。これを受け取る際に、男性の方が「御用のある時は、私を呼び出して下さい。あちらで番号札を取ってならぶと、ほら、随分並んでいて、時間が掛かりますけど、呼び出していただければ、直ぐに応対できます」と言う。
 何も言わずに帰ってきたが、こちらは、先ほどまで、その「時間の掛かる」ところに並んでいたのだ。もちろん、投信を買うかも知れない客(カモ)は銀行にとって大事な客だから、丁重に遇するのは分かるが、この態度の違いと、露骨な差の付け方は、感じが良くない。もっとも、私が、銀行の窓口で売っているような投信を買うことは、運用以外に余程の目的(取材等)が無ければ、万に一つもあり得ない(窓販の投信で買っていいものは、今のところ「一つも」ない)。
 そういえば、この支店では、会社設立の際の資本金の証明書を出して貰うのにも、窓口を三カ所たらい回しにされて、大いに時間を喰ったことがある。

 余計な商品(投信、個人年金)のセールスに晒されないためにも、銀行を利用するコツは、銀行員と顔を合わせないようにすることだ(ネットバンキングとATMで、出来るだけ済ませる)と私は原稿には書くのだが、窓口に行かざるを得ない場合もある。それにしても、近年、銀行窓口の質(事務処理能力と接客力)がひどく落ちているように思う。コストダウンの影響があるのかも知れないが、些か心配だ。
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「世界同時株安」についてのメモ

株価は今日(3月5日)も大きく下げています。今回の「世界同時株安」について、私は、商売柄、原稿を書いたり、コメントしたり、ということが複数あります。同じ事は、なるべく書きたくはありませんが、あちらこちらに話が散らかっているので、現時点までに思いついたことを幾つかメモしておきます。

(1)今日配信のJMMにも書きましたが、日銀は(岩田副総裁を除く8人の政策委員は)、動きが急であることにドキドキしつつも、この株価暴落に満足でしょう。インフレ率がほぼゼロ、失業率が4%、GDPは均すと約2%くらい、という時に、利上げを急ぐ理由は、「円キャリー取引拡大を抑制すると共に資産価格を抑える」といった目的以外にはあり得ません。資産価格は、株価で見る限り、「安くはないが正常の範囲」でしたし、物価がマイナスになってデフレ期待が再台頭するリスクを冒してまで、利上げすることは不適切だった、というのが、2月の利上げに対する私の評価です。金融政策は、物価・景気・資産価格それぞれに影響するのは事実なので、資産市場にも目配りすることがあっていいとは思いますが、今回は、「物価」の方を重視すべきだったのではないでしょうか。(詳しくは、今日配信のJMMをご一読下さい)

(2)同時株安の発生に当たっては、上海は「気づき」のきっかけであって、米・日に対する(特に米に対する)それまでの異常な楽観の修正が起こったことが大きかったと思います。「上海市場で円キャリー取引の巻き戻しが起こった」というような乱暴な解説もありましたが、上海は地元の個人投資家中心の市場ですし、この説明には無理があったと思います。

(3)コメントといえば、拙宅に配達される新聞6紙をチェックしたところ、28日の夕刊と翌日の朝刊、4紙にコメントしているさるエコノミスト(日系証券です)は、4紙全てでバラバラなコメントをしていました。あまりに面白いので、「週刊ダイヤモンド」のコラムに書きました(再来週初発売の号に掲載の順番)。よく分かっていないのに、職業上コメントしてしまったのでしょうが、「ああならないように、気をつけねば」と思ったことでありました。もっとも、投資家は、彼のコメントも、私のコメントも、信じてはダメです。

(4)「投げ」の連鎖もあって、日本の株価は大きく下げていますが、基本的に、「世界の」という言葉は付きますが、株式市場内部で起こっていることにすぎません。東証一部は、PERでざっと20倍、つまり益利回りが5%なら、成長率を2%として、年率7%程度の「期待リターン」を持てる株価水準であり、これは、1.6%台の長期金利に対して、5%以上の余裕があります。「高すぎる株価の下でのショック」ということではないので、普通の投資家は、持ち株を売る必要はないでしょうし、むしろ、買いたかった株が値下がりしていれば買うチャンスを提供してくれたと考えていい可能性が大きいと思います(責任は持ちませんが)。

(5)「円キャリーの巻き戻し」が起きるのであれば、これは、アンインフォメーショナル(情報に基づくのではない)「売り」ですから、理屈上は、益々買いのチャンスです。まだ本格的には起こっていない感じですが、楽しみにしましょう(!)。但し、円高の影響は考える必要があるので、自動車・電気・精密といったこれまで元気だった輸出企業はイマイチかも知れません。

(6)この暴落は予想できたか?と言われると、「いつとは分からないが、なんとなく、そんな心配はあった」という気がしていました。23日金曜日の「とくダネ!」で、1万8千円に乗せた株価についてコメントを求められて、「波乱の可能性も」とフリップに書いて、ネガティブな材料を並べたコメントをしましたが、勿論、翌週にこんなに下がると思っていたわけではありません。尚、「とくダネ!」はなかなか懐の深い番組で、コメントには、「私も含めて、こういうことにコメントする専門家の予想なんて当たりません」と「一番言いたいこと」を付け加えることができました。ただ、日銀の利上げに対して、このネガティブな可能性を敢えて無視するように株価が上がったことや、方々の雑誌から株式投資入門特集の取材依頼があったので、何やら気配が浮ついている、という嫌な感じはありました。

(新聞社系の某誌からは、「株価はまだまだ強いという前提で、株式投資のガイダンスを」という依頼がありましたが、そんな前提を決めつけて話を聞きに来るのは失礼だし、その前提でいい加減なコメンテーターと一緒に(4人並べる予定だったそうです)載るのは商売上もマイナスだろうと判断して、この取材は断りました。)
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