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社会保険庁不祥事の根本にある問題

社会保険庁の不祥事が止まらない。今度の国民年金の勝手免除は明らかな法律違反だし、大規模である。しかも、事実が徐々に露見するところからも分かるように、違反を隠蔽しようとする体質は治っていない。

この問題は、国民年金保険料の収納率向上を大方針に掲げた村瀬長官の最大の施策に関わるものでもあり、村瀬長官は、さっさと辞めるべきだろう。事実の解明は大事だが、悪事の責任者は「利害関係者」であるから、事実解明に不適任であることを謙虚に認めるべきだ。小泉首相の任命責任を問う声につながることを恐れたものか、罷免の声が上がらないが、川崎厚生労働大臣は彼をさっさと解任して、第三者による事態の解明にあたるべきだろう。

ところで、この問題の根源には、そもそも、国民年金の保険料徴収を社会保険庁がやることのおかしさがある。年金保険料の不払いがいけないなら、これは税金と同じ性格のものだし、何よりも、フェアに集めて、かつ低コストで集めるためには、保険料として徴収するのであっても(「国民年金税」でもいいと思うが)、国税庁が集めるのが合理的だ。もう一歩進めて、国民年金の財源を全額税金化するのも手だろう。

何はともあれ、年金は社会保険庁がやらなくてもいいし、もっとハッキリ言うなら、厚生労働省にやらせない方がいい。「コスト」という大きな理由に加えて、かつて、銀行が自らの不良債権を正確に調べて申告できなかったように、現在の年金問題に主たる責任がある厚労省には、現実をふまえた年金改革は無理なのだ。

上記の議論は前からあった。社会保険庁に関しては、解体論(国民年金と政府管掌健保のうち、少なくとも前者を解体する)があったのだが、結局、官僚の組織温存のパワーが勝り、社保庁長官だけ民間からトップを持って来てお茶を濁したことが、今回の不祥事の底流にある。トップだけ、民間から持ってきて、実質は親官庁と官僚が牛耳るというのは、他の組織にもある「インチキ改革」のパターンだ。

何はともあれ、国民年金は社会保険庁ではなく、国税庁に徴収と支払いをやらせるべきだ。「払わなくても済む、国民の義務」はおかしいし、「請求しなければ給付が貰えない」というような不親切な「保険」は願い下げだ。「よりフェア」で「遙かに低コスト」なのだから、社保庁を早く外して、国税庁に当たらせるべきだろう。「年金は保険であり、加入者が自分で掛けるという参加意識を持って貰うことが必要だ」という、長らく続いた無意味な精神論にまたごまかされてはいけない。国民年金の実態は強制的な(たとえば、同一納税額なら、若者は「不利」だ)社会保険であり、しかし、その強制の適用が不公平・非効率になされているのが現状なのだ。
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村上ファンドと阪急電鉄の帳尻

阪急電鉄が、ついに阪神電鉄株のTOBを決定した。価格は930円だという。投資ファンドという性格上、結局のところ、こういった形でまとめて持ち株を引き取って貰いたい村上ファンドとしては、「これで、最低限の出口は確保した」と思ってホッとしているだろう。

なお、今回のTOB(45%以上が成立条件)にあっては、事実上、村上ファンドだけがTOBの成否を知ることになり、彼らは、非常に有利な立場に立つ。彼らがTOBに「応じるか」「応じないか」は、彼が持っているオプションだから、経済合理的には、ぎりぎりまで態度を表明せずに各種の駆け引きを行うはずだ。

巷間言われていた1200円(村上側)と800円(阪急側)の中間よりも安いとはいえ、この株価は決して安くはないと思う。阪急側は、資産査定をマジメにやった結果だというが、マジメすぎたのではないかと、他人事ながら心配だ。筆者は、阪急は、「明らかに安い」株価で(たとえば600円~700円くらいで)買うのでなければ、阪神電鉄を買うことは経営的に正当化しにくいと思っていた。

しかし、(1)国交省の意向、(2)銀行の利害、(3)関西財界の気分、を考えると、ここは少々高いお金を払っても、阪神の救世主になっておくことが得だ、という別次元の判断が、阪急電鉄の経営者には、あったのかも知れない(単なる、個人的な功名心かも知れないが)。

この推測に立つ場合に、心配なのは、ズバリ言って、阪急電鉄または阪神電鉄の鉄道料金の近い将来の値上げだ。

阪急が、これだけ高い株価で阪神電鉄を買うのは、「経営統合による利益が見込めるから」(本当かな?)ということなのだから、二、三年のうちに、料金値上げがあるということになるのはおかしい。しかし、仮に、あくまでも「仮に」だけれど、今回のTOBが国交省の意を受けたものだとすると、国交省は、見返りに両電鉄何れかの料金値上げを簡単に認める可能性がある。この場合、いわば、両電鉄の利用者が阪神電鉄株のプレミアムを払わされたことになるのだが、そうならないという保証はない。

阪急電鉄が、驚異的に素晴らしい経営を行って、利用者が上記のようなバカを見ることがないよう、「結果オーライ!」を祈りたい。
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堀江・宮内、その2

26日に開かれた、「ライブドア裁判・部下の部」の初公判の傍聴記録(http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2013928/detail?rd)を読むと、「堀江被告の部」で検察側が苦労するかも知れない、と思わせる動きが二つあった。

一つ目は、宮内被告、熊谷被告が、共に、決算操作を行う時点の違法性の認識を否定したことだ。「自社株売却益の売り上げ計上が認められないとの認識はなかったが、責任を逃れられるものではなく、深く反省している」(宮内被告)、「自社株売却益とされる)37億円はファンドからの分配金。リーガルチェックを受けており、法的に認められると判断していた」(熊谷被告)との両発言は、両被告にとっては、自らの罪状を軽くするためには当然の発言だし、それなりのリアリティーがあるが、これは、「ライブドア裁判・堀江の部」が勝負所であるはずの検察側にとっては、かなりの痛手になる可能性があると思う。

多くの場合、メディアは、重要な取材情報源である検察側に好都合な印象をもたらすような内容を報じることが多く、今回も、堀江被告が言ったとされる、、「そんなにもうかっちゃうの。上方修正だねえ」「いいんだよ、強気、強気。経常(利益)50(億円)のがかっこいいじゃない。50のが、大台乗ったって感じでいいじゃん」という言葉を伝えて、これを証言した「部下の離反」を強調するものが多かったように思うが、両証人が、決算操作を決める時点で違法性を認識していなかったと証言するのであれば、堀江被告の違法性の認識もまた立証するのが難しくなる。

また、宮内被告の弁護人が、「事前に開示された証拠と内容が食い違っている」と抗議して、「罪状認否を保留する」と表明したことも、検察側にとって、今後の困難を予想させる。

宮内被告の立場に立つと、(1)「違法性」→当時は認識していないとする方が罪は軽い、(2)「堀江被告の指示」→上司の指示でやむなく決算操作を行ったという方が罪は軽い、という認識が常識的だし、彼と彼の弁護人は、そうした方向で行動する公算が大きいだろう。従って、裁判の「堀江の部」で、検察側の証人に立つのは、(2)の方針との一貫性によるものだろう。しかし、検察側としては、堀江被告の指示の時点で、堀江被告に違法性の認識があった、ということを立証できないと苦しいのではなかろうか。

検察側がどんな証拠を出して、堀江被告の有罪を立証しようとするのか、興味深い展開になってきた。

尚、今の時点で、筆者は、堀江被告が有罪になるべきなのかどうかについて確定した意見や予測を持っているわけではないし、まして、彼を応援している訳でもない。ただし、裁判の帰結が分からないのは、各種のメディアも同じことだから、現時点で、この裁判をどう報じるかという点には、個々のメディアの方針や性格が表れると思う。読者には、当面、この点に注目して欲しい。
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2006年、日本ダービー

今週は、一年のうちでも最重要といってもいい一週間だ。理由は、もちろん、日曜日にダービーがあるからだ。私は、月曜日から、頭の中では、何パーセントか、「常に」ダービーのことを考えていた。今年は、どの馬が勝つのだろうか?

過去のデータを見る限り、飛び抜けて優れたレースは、フサイチリシャールが勝った(1'46''9!)東スポ杯2歳ステークスだけだ。ラップの内容もすばらしく、かつてのアイネスフウジンのようなダービー勝ち馬になるのではないか、と期待した。

今年の初め頃は、この馬をダービーの本命にと期待していたのだが、皐月賞前に二走、皐月賞とダービーの間にNHK杯マイルと、何とダービーが5走目になる、何とも過酷な、「愛の無い」ともいえるローテーションになってしまった。私の常識ではとても買えない。重めを絞るため、という理由が考えられなくもないが、それにしてもダービーまで4走は使いすぎだろう。ダービーを無事に走って、その後、疲れを取って、また活躍して欲しい。父がクロフネなので、ダートになるかも知れないが、無事なら、またG1を取る器だと思う。

同じく使い過ぎと思えるのは、皐月賞馬メイショウサムソンだ。ダンシングブレーブの肌に、父オペラハウスという、凱旋門賞馬コンビの血統であり、オペラハウス産駒の代表馬テイエムオペラオーのようにタフであるかも知れないが、間に休みを挟まずにこれが11戦目。しかも、きさらぎ賞(2着)、スプリングS(勝ち)、皐月賞(勝ち)何れも、着差が小さく、力を出したレースだ。それに、皐月賞はレース展開に恵まれたように思う。平均ペースのレースを無駄なく走った。この馬のように、先行力があって、不利なく全力を出すタイプは、馬券的には頼りになるのだが、今回は軸には買えない。

皐月賞2着のドリームパスポートは、データ上、メイショウサムソンといい勝負をしているが、父フジキセキの産駒は「G2まで」、「2000Mまで」という印象がある。どうも底力に欠けるのではなかろうか。母の父が府中向きのトニービンというところに期待できそうな感じもあるが、頭(1着)まではイメージできない。フジキセキは、サンデーサイレンスの初期の傑作であり、故障で引退したが無敗であり、馬体もすばらしかったと思うのだが、どうもG1で買いたくなるような産駒が出ない。

今のところ一番人気のようで、オッズが悪くならないことを祈りたいが、私の本命は、フサイチジャンクだ。皐月賞は、前の組と後ろの組の二つのレースがあったようなレースだったが、たぶん同馬としてははじめて厳しいレースをして、後ろの組として、アドマイヤムーンに抜かせなかった。アドマイヤムーンの武豊は、この馬を交わせると思っていたのだろうが、はじめて厳しいレースをして、これを許さなかったのだから立派だ。手元に「競馬ブック」の今週号があり、カラーページで馬体の写真を見ているのだが、細身ではあるが、ほれぼれするような実にすばらしい馬体だ(3億3千万円だから当然か)。サンデー産駒は、むしろ細く見えるような時に走っていたと思うので、本命はこの馬だ。

アドマイヤの二頭も気になるが、私としては、共に買いにくい。馬選びのベスト・ファンドマネジャーともいうべき武豊が選んだアドマイヤムーンは、どうしても父エンドスウィープという血統が気になる。これは、2200mまでの馬ではなかろうか。とはいえ、武豊でもあり、脚質的に、フサイチジャンクと前後して流れ込んでくる可能性はある。アドマイヤメインの青葉賞はなかなかの好タイムだが、最後11'5-11'6-12'2の上がり方から見て、これが目一杯だろう。外人騎手騎乗で、フサイチリシャールが早めに競りかけてくることを考えると、苦しいレースになりそうだ。フサイチの二頭が協力するのかどうかは分からないが、幾らかはその可能性があろう。

対抗としては、ジャリスコライトに期待してみたい。皐月賞7着は案外だったが、府中で2走、33秒台の上がりで圧勝しており、コースが合っているかも知れない。爆発力のあったアグネスデジタルの父ちがいの弟で、父は2400mのブリーダーズCターフをレコード勝ちしており、距離は大丈夫だろう。騎手が横山典というのもいい。アタマ(1着)の可能性もあると思う。

単穴(競馬新聞の印では黒三角▲、≒三番手)は、マルカシェンクとしたい。2歳のころはナンバーワンだった馬だが、骨折から、1走使って、何とか間に合った。今回のメンバー中では一番末足が切れそうだ。前のレース、休養明けで体重が減っていたのが気に入らないが、試走に徹した感じなのはいい。ただ、福永騎手は、有名だが技術は一流ではないと思っている。フサイチリシャールの乗り方などから見ても、かなり心配なのだが、先週のオークスでは2着に来ているし、ペース判断を問われることなく、気楽に差しに回れる今回はハマる可能性がある。

競馬新聞スタイルで予想を要約すると、◎フサイチジャンク、○ジャリスコライト、▲マルカシェンク、△アドマイヤムーン、注メイショウサムソン、といったところか。重めの馬場になるだろうが、平均ペースよりも緩くなることはないだろう。想定勝ちタイムは2'27"4。ダービーは差し馬有利の傾向が強いが、今年も差し馬有利を予想している。先週のオークスは、トータルではプラスだったが、単勝しか取れなかった。ダービーは気分良く当てたい。
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堀江・宮内対決

「ライブドア事件・裁判編」は、堀江被告の裁判に、検察側証人として、かつての部下でありライブドアのナンバー2だった宮内被告が登場することとなり、堀江・宮内両被告が対決する構図となった。刑事裁判だから、これを「楽しんで」はいけないのだろうが、なかなか面白い展開になった。

堀江被告は、当初から、一貫して容疑を否認している。検察としては、否認がこれだけ強いことは誤算だったのではないかと推測される。「部下がオチた」と伝えれば、容疑を認めて、刑を軽くしようという条件交渉に入る現実性を見せるのではないかと思ったのだろうし、また、ライブドア本体の粉飾に、偽計・風説の流布を加えた今回の容疑以上に、余罪がたくさん出てくるとも思っていたのではないだろうか。証拠として何が用意されていて、どのような立証をするのか分からないが、堀江被告が、(1)違法性を認識していて、かつ、(2)(違法行為である)粉飾を指示した、という二段階を立証するのは、なかなか大変ではないかと思う。堀江被告が拘留されてしばらくしてから、新聞記事(すなわち検察のリーク)が急に減って、パッとした話がでなくなった展開は、検察が存外苦戦しているらしきことを窺わせる。投資事業組合を使った資金の環流&利益創出スキームは、「結局、株式こそが主力商品だった」ライブドアらしい仕組みだが、このどこがどのように違法であるのかはについては、複雑であり、彼が当時、正確に知らなくても不自然ではない。

これに対して、宮内被告は、何とも簡単に「オチた」。アメリカのように明確な司法取引があったわけではないだろうが、堀江被告の罪状立証に協力する代わりに、本人の罪を軽く済ませようとする戦略を立てたということだろう。もともとカネでつながっていた仲だから、ことさらに「裏切り」だというのはどうかと思うが、当初は自分が罪を全て被ると言っていたらしきことから見ると、この態度の変わり方は何とも、早くて、軽い。もっとも、彼には彼の立場があるし、生活もあろう。

テレビの報道などでは、逮捕前、堀江被告が責任を逃がれようとしたことと、「ぼくの彼女に迷惑がかかっちゃうなあ」と言っていたことに、呆れえ、愛想を尽かせたことになっているが、実態はどうなのか。ちなみに、大鹿靖明「ヒルズ黙示録」(朝日新聞社刊。著者はAERAの記者)によると、彼女の部分は、正しくは「ひなのちゃん」である。しかし、堀江被告のこの種のアホさ加減は、そのときに急に始まったことではないだろうし、宮内被告が、堀江被告を裏切るきっかけはコレだ、という説明としては、堀江被告の発言とされる「俺は知らなかったよね」という台詞にしても「ひなのちゃんに・・・」にしても、後から取って付けたような、不自然さがある。

同書では、はっきり書いては居ないが、宮内被告が、海外に自分の会社を作り、何らかの裏金をプールしているのではないか、という疑いを示唆する記述があるように私は思えた。宮内被告が海外に自分のお金を隠しているなら、自分の罪を軽く済ませて、将来、そのお金を頼りに生きてゆく、という戦略を立てる可能性はある。但し、私は、ライブドアについて自分で調べたわけではないし、先の本や新聞などから知られるニュース(イコール、「事実」ではないが)以上に何か知っているわけではないので、宮内被告についても、堀江被告についても、ここに私が書いていることは推測にすぎない。

尚、先の「ヒルズ黙示録」には、事件当時からライブドアについて「個人的趣味」として研究しており、ライブドアに問題があることを把握していた人物として、わが楽天証券の國重社長が出てくる。なかなか渋い脇役ぶりであり、隅に置けない。

注目の堀江被告の裁判はどうなるのだろうか。もちろん、結末は分からないが、完全無罪という可能性は小さいのだろう。違法性を「正確に」認識していなくても、表に出せない操作を指示したという認識はあっただろうし、「指示」あるいは経営者として「了承」した、ということは、宮内被告らの証言で立証される可能性が大きそうだ。

決算操作という点に関しては、たとえばカネボウの粉飾は、金額はライブドアの何十倍にも及んだし、組織的かつ、長期にわたっていた。また、率直なところ、形式的に違法性が問われないとしても、ライブドア以上の金額の、意図的な「決算ドレッシング」をやったことがある企業はいくらもあるだろう。もちろん、ライブドアの粉飾は許されるべきではないが、結果的にライブドアのビジネスをこれほど毀損し、時価総額で6千億円以上が吹っ飛ぶような、今回の捜査プロセスが果たして良かったのかどうか、という点には、いささかの疑問が残る。もっとも、投資家としては、株式というものには、こういうこともあり得る、という認識を持っておかなければならないのだが...。

堀江被告本人には、残念ながら、私は、会ったことがない。好きか、嫌いか、と言われれば、私は、あの種の元気な若者が好きなので、決して嫌いな人物ではないのだが、仮に刑事で無罪となることがあるとしても、民事上の責任はたぶん認定されて、彼は財産の大半を失うことになるだろうし、総合的には、彼は、「ある種のゲームに負けた」のだろう。「勝ち」だとか「負け」だとかを、他人がとやかく言うことは、品が良くないし、非礼でもあるのだが、印象としては、「彼がプレイしていたゲームに負けた」というがピッタリ来るように思う。市場や世間を利用した大がかりなゲームだったが、世間の反応などをも含む、ゲームの真のルールを正確に理解せずにプレイしたことが彼の失敗の原因であった。



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野村のネット証券はうまくいくのか?

ジョインベスト証券という名の証券会社が、野村グループのネット証券として、ネット証券業界に参入する。「後発」と呼んでも失礼でないと思えるくらい遅い参入だが、業界最安の株式売買手数料を掲げて、早期に50万口座程度を獲得する方針という。

野村グループとしても、ネット証券の売買シェアと利益は無視できないところまで来たということなのだろう。もともと、「最大&最強!」を良しとしたかつての野村證券の文化からして、ネット証券に個人顧客の売買シェアを取るに任せたこれまでの行動が不思議だった。シェアが落ちると自己売買の情報力も落ちるし、ひいては顧客の囲い込みにほころびが生じる。他人事ながら、規模を拡大しながら稼ぐ絵を描いて強引とも思える戦略を進めてこそ、野村らしい。

さて、他人事ながら、この参入は成功するのだろうか。最割安水準の手数料は顧客にとって確かに魅力だし、新規に参入する場合に必要な条件なのかも知れないが、ネット証券の株式売買手数料はもう下限に近い水準まで下がっているように思う。数字上まだ下げられる余地はあるが、300円とか500円といった、タクシーの初乗り料金よりも安い手数料で収益を上げるのは大変だ。超大量に取引する顧客をのぞくと、売買手数料は、もうそれほど差別化要因にならないのではなかろうか。

セオリー的には、売買代金や個人客が急増する時期なら、手数料を下げてシェアを取る作戦が成功する公算が大きいが、当面の相場は、取引量的には、むしろ「小康状態」を迎えつつあるように思う。ネット証券の主力商品である、株式売買は明らかに利潤圧迫のプロセスに入りつつあるのではないだろうか。

もちろん、カジノに開業した貸金業者のごとく、信用取引の金利や品貸し料で稼ぐことはできるだろうが、これでコストを吸収しきれるのだろうか。

また、口座獲得には、それなりのコストが掛かる。口座数を急拡大しようとするのも大変だが、ある程度の規模を早く欲しいだろうから、必然的に初期に費用がかさむことになる。

しかも、野村グループのネット証券会社であることの難しさがどう解消されるのかが、現段階では想像がつかない。

たとえば、一般のネット証券の顧客から見ると、手数料や使い勝手で大差がつかないとなると、IPOの株がどれだけ当たるのか、というあたりが期待のポイントになるだろうが、野村證券の対面の顧客もIPO株は欲しいだろうから、ジョインベスト証券だけにIPO株を回すわけには行くまい。

また、株式や個人向け国債などで顧客を集めておいて、投資信託のような手数料の稼げる商品に誘導するのは一つの戦略だが、たとえば、同じファンドが、野村證券では手数料が3%掛かり、ジョインベストだとノーロードだ、ということになると、顧客はジョインベストに流れるはずであり、野村證券のリテール部門との競合が生じる。かつての大手証券系の投信委託会社の直接販売が、親証券のリテール部門との競合を克服できずに結局立ち消えになったような問題は、本質的に解消されずに残っている。

ジョインベスト証券が、収益の充実を求めて、商品やサービスを充実させればさせるほど、野村證券のリテール部門との競合が厳しくなる。今や、下手なセールスマンよりも、ネット証券のホームページの方が、顧客にとってはよほど役に立つ。確かに、投信などは「勧められなければ買いたくないもの」だが、顧客は、同じ商品を買うなら、安く買えるところで買うようになるはずであり、資産数千万円程度以下の顧客の場合、証券会社の人間が手間をかけて、手間に見合うだけ儲けるのは難しくなるのではないか。

証券業界の発展方向としては、これまでのリテールのビジネスは、準法人向け的な取引あるいは大口客向けのプライベート・バンキング的な個別サービス(これとて、本源的なニーズがどれだけ存在するかは怪しいが)と、ネット証券の二つの方向に解体されるのではなかろうか。しかし、これまで、強力なリテール営業に支えられてきた野村證券のような会社の場合、リテール部門が強いだけに、このプロセスでは遅れを取るのかも知れない。

いずれにせよ、ジョインベスト証券には、野村グループの会社であるがゆえに何ができるのか、驚くような成果を見せて欲しい。数年後に、野村證券本体のリテール営業部門を吸収するような勢いで同社が発展するようだと、面白いと思っている。

尚、このテーマ(ネット証券の今後の発展方向)については、「週刊ダイヤモンド」の二週くらい後に発売される号の連載コラムで取り上げた。本稿は、その記事でスペース上取り上げることができなかったテーマについて、メモ的に書いてみたものだ。

もちろん、この書き込みも、週刊ダイヤモンドのコラムも、私の個人的な意見であり、勤務先の楽天証券とは何の関係もないので、楽天証券に対するご意見・ご要望などは、同社に直接言っていただけるとありがたい。
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「優雅な暮らしにおカネは要らない」

「優雅な暮らしに、おカネは要らない」(アレクサンダー・フォン・シェーンブルク著、畔上司訳、集英社インターナショナル刊)を読んだ。なぜ、こんな本を読んだかというと、自分の消費癖をいささか重苦しく感じていたからなので、この本の主張に対して、私は、いくらか好意的なバイアスを持っているかも知れないということを、あらかじめ申し上げておこう。

さて、この本だが、簡単に言うと、幸せに暮らすために必要なのは、おカネよりも、良い人間関係と趣味の良い教養だ、と主張している。

著者は、新聞社にリストラされた記者だが、「フォン」が示すように、没落したとはいえ貴族であり、本当に生活の危機に晒されているというわけではないので、ドイツでも、「こいつに、本当に貧しい人のことが分かるか」という議論が起こるなど、毀誉褒貶があり、このこと自体が、この本のセールスに貢献したらしい。

著者は貴族ではないかとか、本当に生活に困ってはいないはずだ、ということを理由に、内容そのものに基づかずに、この著作を批判する人は、たぶん、本人の心が卑しい(「貧しい」よりも、もっと悪い!)にちがいない。

このことは、この本の日本語訳の前書きを書いている森永卓郎さんの「年収300万円時代」を、「森永さんは自分がもっと稼いでいるくせに」と批判した人々の心の卑しさと同様だ。人は、他人を批判するときに、実は、自分の心の中の汚い部分を、他人を鏡として映して批判していることが多いものなのだ。

森永氏の同著作は、この種の、嫉妬が中心的な判断原理になる卑しい人を判別するリトマス試験紙としては、なかなか有用な本だった。私は、ある経済番組に出演したときに、その番組の女性キャスターが、「森永さんは、自分自身が、あんなに稼いでいるくせに、年収300万なんて本を書かれても、素直には読めない」と言っていたのを聞いて、「ああ、世の中には、卑しい人というのは、いるものなのだなあ」と実感した記憶がある。

ちなみに、私自身は、あの本については、300万円で心豊かに暮らせる具体的なノウハウが乏しいことを不満に思った。「みんな、年収300万円くらいになってしまうぞ」というあの本の脅しにバランスするほど、年収300万円の暮らしも悪くないということが、十分説明されていないように感じたのだった。

さて、このドイツの貴族が書いた本だが、大いに賛同するところもあるのだが、無教養な人間には徹底して冷たい。また、現在低収入でも、将来の生活不安を抱かないためには、相当の力量(コネも含む)と、計画性が必要だ、ということは指摘しておきたい。

いささか乱暴だが、はっきり言うと、無教養な人の場合は、この本の主張するように生きるよりも、適当に努力して、お金をたくさん稼いで、消費の刺激に身を任せる方が、遙かに簡単に幸福感が得られるだろう。

だが、そんなものは真の幸福ではない、とこの本はケチをつけている。これは、単なる金持ちに対する批判であると同時に、バカ(TVのCMを見て商品を買うような人)に対する嘲笑でもある。一つの見解であるとは思うが、この種のバカは簡単には治らないのだから、ある種差別的でもあるし、少なくとも優しくはない(そこが面白いところでもあるが)。

それにつけても、この本を読むと、人にとって、幸福感とは、他人に認められることであると同時に、他人に対して優越していると感じることなのだな、としみじみ感じる。人間とは、何とも業の深い生き物だ。
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コスモバルクの快挙

サッカーの代表決定のニュースに隠れた形になったが、北海道競馬所属のコスモバルク号が五十嵐冬樹騎手を背にシンガポール・エアラインズ・インターナショナル・カップ(国際G1)に勝ったことは、なかなかの快挙だ。賞金は邦貨換算で1億1千万円を超える立派なG1である。

2000メートルのレースを、二番手から抜け出して勝ったもので、着差は1馬身3/4の完勝だ。中距離で平均~ハイペースを先行して頑張るのが同馬の得意パターンだが、勝ちタイムを見ると2分7秒台であり、決して、軽い楽な馬場ではなかったようだ。

日本調教馬の国際的なレベルは確実にアップしている。今後、ハーツクライとディープインパクトが欧州の大レースに挑戦する予定らしいが、どのような結果が出るか楽しみだ。

尚、日曜日の新設G1、ビクトリアマイルの結果は、サンデーサイレンス産駒が1~3着を占めて、相変わらず強いが、サンデーサイレンスの子供は今年の3歳馬がラスト世代であり、そろそろ後継血統の本流がどの種牡馬になるのかが気になるところだ。
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ジーコと王貞治

私はサッカー通でも野球通でもないが、両競技をテレビで見ながら勝手なことを言う一オヤジとして、印象を言ってみると、サッカーのジーコ監督と、野球の王貞治監督との間に共通点を感じる。

二人は共に選手時代には神格化寸前の名選手であり、その後、監督になった。

監督として二人が似ているのは、優れていると認定した選手に対する期待であり信頼の固定性だ。二人とも「優れた選手が、能力をきちんと発揮すれば、自ずと結果はついてくるはずだし、それ以上を望むことは邪道だ」と思っているような印象がある。王監督でいうと、特に初期の用兵は、今日も「鹿取」、明日も「鹿取」という具合に、メンバーを固定するワンパターンであった。共に、一流選手に対する要求水準が高い。

王監督に関して言えば、その後、配下の選手が必ずしも自分の選手時代のような能力と精神を備えているわけではないことを理解して、それなりの部下を、与えられたなりに、それなりに使うことを覚えたように見える。しかし、彼の用兵にはサプライズが乏しい、という傾向は残っているようだ。ソフトバンクでもそうだし、WBCでも用兵は、オーソドックスそのものだったように思う。最大公約数的な納得性はあるが、サプライズが乏しい。つまり、弱兵を率いて、効果的にギャンプルを行うタイプではない。

ジーコもこのタイプではないかと思うのだが、さて、どうか。

一つ残念に思うのは、彼が鹿島アントラーズの選手兼指導者だった時代に発揮した選手育成の能力を、彼が代表監督になってから、発揮していないように見えることだ。代表監督は、必然的に、戦力を「選ぶ」ことと「使う」ことに特化する「勝負師」なのだが、この点、ジーコ監督は、希代の負けず嫌いではあるものの、選手選択が頑固でサプライズがない、という印象がぬぐえない。つまり、強い相手には勝ちにくい監督なのだ。

サッカーの日本代表の最大の問題は、誰もが指摘する決定力不足だが、ジーコは彼自身が日本のFWを育てなかったし、たまたま目下調子のいい選手を使って勝負しようというギャンブルを行うとは思えない。相変わらず、走ったり、相手を交わしたりすると、精神的にも肉体的も「心臓がバクバクして」、蹴った玉がゴールマウスのクロスバーの上に浮いてしまうような、心身どちらかで「ハートの弱い」選手ばかりが前線にいるのは気になる。もっと「ハートが強い」奴はいないのか。

ジーコ自身は、超負けず嫌いと同時に、なかなかの強運の持ち主だから、W杯で、日本代表が一次予選を勝ち抜く可能はゼロではないが、順当に行けば、ブラジルとクロアチアが一次リーグを突破するのだろうと私は予想している。ただ、組み合わせ的に、日本は最初にオーストラリアと当たり、ブラジルがクロアチアと当たるという進行順序は、日本に有利だと思う。サッカーは、実力差があっても、引いて戦うと引き分けが狙えるし、勝ちに行くと危ないゲームだから、日本が最初にオーストラリアから勝ち点3を取り、クロアチアがブラジルに敗れると、クロアチアが焦る可能性があるし、日本は、残り二つを引き分け狙いで戦える。

尚、正直に言っておくが、私はW杯で日本代表を応援していない。あたかもサラリーマンの仕事ぶりのようなせせこましい日本代表の組織サッカーは好みではないし、日本代表を応援するなら、馬鹿になって大騒ぎをしてもいいと思っているらしき人々には共感を感じない。興味の問題としては、他国よりも日本代表が出る試合の方が面白いが、TVの前では日本代表を応援しないつもりだ。日本代表がもっと魅力的なチームになれば将来応援することもあるだろうが、今のチームなら、南米や欧州の代表チームを応援したい。
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写真評で気になっていること

仕事柄、毎週十数冊の雑誌が家に届くのだが、これらとは別に自分で買いに行って読んでいる数少ない雑誌に「アサヒカメラ」がある。写真が趣味です、と胸を張って言えるほど、写真の世界に詳しいわけでもないし、ましてそれだけの写真を自分で撮るわけでもないのだが、メカとして、物(ブツ)としてのカメラが好きなこともあって、ほぼ毎号購入して、主に風呂に入りながら眺めている。

眺めるページは、主に、写真時評的な連載と、もちろん巻頭のプロ作家たちの写真、それに新製品関係のメカニズム記事だが、入浴読書も二、三回目になると、アマチュアのコンテスト写真も一通り眺める。入選者の作風云々よりも、選者の評価の傾向性と、どんなカメラで何を撮ったのかの興味を中心に眺めるのだが、以前から気になっているのは、評者の作品評に、題名に関するものが少なくないことだ。

たとえば、「一日の光が消えゆく時間の中で、○○さんが何を感じ何を思っていたのか、写真で表現したかった気持ちをタイトルにつけたかった」とある入選作(組写真の部なので3枚一組。5月号の3位)には、作者が『暮れる頃』とタイトルを付けている。夕暮れ時に見た物が三点写っているのだが、作者は3枚の意味をタイトルで限定したくなくて、『暮れる頃』と付けたのだろうし、写真が良ければそれでいいではないか、と思う。選評の別の部分には「一見なんとなく気分で選んだ印象のなにげないショットの組み合わせがいいですね」とあるのだから、「なにげない」(写真)をタイトルで過剰に説明する必要があるとは思えないし、この選評では、選者が本当に「いい」と思ったのかさえも、疑問に感じる。

また、同じ号の同部門の1位のタイトル『シーズンオフ』の選評にも、末尾に、「『シーズンオフ』と説明せずに、海と空の色のイメージから浮かぶタイトルをつけたい」とある。何れも、シーズンインには人がいるところに、今は人がいないことを意識させる静かな海の風景写真が3枚並んでいるのだが、これらを自分でリスクを取って解釈するなり、技術的なポイントを指摘するなりが、評者に求められる仕事であり芸ではないのか。この選評では、作品を読者の代わりに解釈したことにも、アマチュア写真家の努力の指針にもならないように思う。意地悪に読むと、私にはこの写真が分からないので、もっと、なるほどというタイトルを付けて下さい、と言っているようにさえも読める。

写真は、光景を、ただ認識するだけで、説明はしないので、意味を確定するためには、言葉を補う必要がある(全ての写真が、なのかは、自信がないが)。しかし、意味を確定せずに、写真自体を評価する価値観が当然あってもいいし、言葉も写真のうちだというなら、評者が自分の感性を読者に問いつつ、私ならこうタイトルを付ける、という見本を示すべきではないだろうか。

評者が、他人の写真にタイトルを付け直す勇気を持ち合わせていないなら(普通は、無いだろうな、と思うが)、もっと、写真自体をじっくり眺めて、何らかの解釈なり評価なりを与えるのが、アマチュアのものとはいえ、他人の作品を評する真面目な姿勢なのではないかと思うのだが、どうなのだろうか。
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村上世彰はそれ自体として悪いのか?

村上ファンドが動き出した。5月2日に阪神電鉄が村上ファンドからの株主提案を開封したところ、阪神電鉄の取締役会の過半数を村上ファンド側が推薦する役員で占めたいとする提案だ。6月29日が株主総会の予定日であり、株主提案は8週間前に届いていなければならないから、この日が期限なのだった。

阪神電鉄の縄田専務は、純投資目的だと言っていたのに、経営支配目的に変えるようなことがあっていいのか、と反応したが、株式への「投資」には、経営支配権も付随しているのだから、これは、株式会社で株式を公開している以上、言うだけ恥ずかしい繰り言というべきだろう。

もっとも、村上ファンドとしては、この時点に至っては、こうせざるを得ない。阪急ホールディングが村上ファンドの持ち株を買い取るTOBの株価交渉が不調に終わって決裂した場合、村上ファンドとしては、阪神電鉄を、なるべく早く、有利に換金するために、同社の経営を掌握しておく必要がある。取締役として提案した8名も村上氏をはじめとして電鉄経営のプロではないし、投資ファンドである村上ファンドが、阪神電鉄をじっくり経営したいと考えている訳ではないだろう。不動産を証券化して売却するといった、資金回収手段に備えた、攻撃的というよりはむしろ防衛的な手段に見える。

株主総会で勝負すると、既に46%を持つ村上ファンド側の勝ちだろうから、当然、阪神電鉄の経営陣は慌てるわけだが、これで、阪急ホールディングがどれくらい慌ててくれるかが、大きな問題だ。思うに、阪急側は慌てる必要はない。たとえば、村上ファンドが阪神電鉄を掌握した場合、彼らがやることは、資産なり、ビジネスなりの切り売りだろうから、マネジメントの悪い会社を従業員ごと引き取るよりも、欲しい資産だけ後から買う方がいいくらいのものではなかろうか。

目下、株価1000円(5/2日終値)の阪神電鉄株を阪急が幾らで買うかだが、巷間言われる、阪急側800円、村上ファンド側1200円という主張が本当だとすると、阪急の呈示している株価は十二分に高い(高すぎる?)のではないかと思う。阪神電鉄の株価1000円に対する時価総額は4千2百億円ほどだが、阪神電鉄の純利益は70億円ほどに過ぎない。株式投資として考えるなら、2-3年後に利益が3倍くらいになるというのでなければ、現在の株価は高い。逆側から見ると、村上ファンドは、経営権を掌握したとして、利益を短期間に倍増、三倍増することができるのだろうか?

村上ファンド側では、阪神電鉄株は1200円の価値があるとメディアに言っているようだが、普通、1000円の株をセールスするには、最低でも1500円、大風呂敷を広げる場合には2000円、2500円といった目標株価が必要なのであって、阪神電鉄の真の価値なるものは、このようにしか言いようがないなら、いかにもみみっちい。もっとも、最初から、タイガース上場といった資金回収には迂遠な話しか出てこない案件ではあった。

こうした事情を考えると、例えば、阪急ホールディング側に立つなら、取り敢えず、自分達にとってリーズナブルと思える株価でTOBを掛ければいのではなかろうか。他の買い手が簡単に現れるとは思えないから、結局のところは、資金回収を急がねばならない村上ファンド側が、TOBをエグジットにするのが現実的ではなかろうか。

或いは、ちょっと意地悪をするなら、たとえば600円くらいの、ぐっと安い価格でTOBをかけると、阪神電鉄の株価が急落して村上ファンドも焦るだろうから、面白い展開になるかも知れない。

阪神電鉄株に関する村上ファンドの平均買値は400円台と言われているから、まあ、どんな展開になっても、彼らがこのディールで損をすることは無いだろう。今回の件で、投資家としての村上ファンドについては、転換社債と阪神百貨店株との株式交換などを通じて、あっという間に、安く阪神電鉄株を買い集めた手腕は、定石通りとはいえ、鮮やかだった(その分、阪神電鉄側の無警戒が際だつが)。また、既に儲かっている現段階で、1円でも高く売りぬけようと粘る根性もなかなか立派である(凡庸な投資家には出来ないことだ)。

ただ、大きな金額のエグジットは、ライブドアのようなお調子者の買い手が居ないこともあって、当然難しいし、村上ファンドが手掛ける案件は回を追う毎に難しく(儲けにくく)なっているように思える。また、今回は、買ったタイミングが上手かったのであって、「(大株主となって)企業価値を上げる」というお題目は、達成される気配が未だない。

思わず、ニュース解説のような文章を長々書いてしまったが、実は、書きたかったのは村上ファンドを巡る戦況ではない。

私が書きたかったのは、世間及びメディアの、村上氏に対する嫌悪感のあまりの強さについてだ。「誰が言っていた」ということを強調したいわけではないので(司会者ではないと申し上げておこう)、細かく詮索しないで欲しいのだが、今回の件で、テレビに解説に出た際に、打ち合わせや、待ち時間、さらにはオンエア中のVTRの時間(出演者はVTRを眺めながら、お互いにしゃべる時間になる)などに、出演者やスタッフなどが口にする村上評があまりにも酷かったのだ。

さすがに、オンエアには出ないが、「何とも下品な顔」、「目つきが嫌らしい」、「いかにも守銭奴」、「貧相」(村上氏は小柄だ)、「額に汗して稼いでいない」、「金への異常な拘りは、幼児的だ」、等々、相当の罵詈雑言が浴びせられていた。一般に、大人は、人の容姿や単なる印象をけなすことに対しては遠慮がちであるもので、これだけ遠慮無しに非難されるというのは、人々は余程彼を嫌っているのだろう。また、他人も嫌っているはずという安心感を持っているのだろう。

しかし、言うまでもないことだが、上場株式を買って、株主として意見を言ったり、権利を行使したり、あるいはファンドで顧客と一緒になって儲けること自体は悪いことではない。経済論理的には、むしろいいことだろう。また、少なくとも、一般市民は彼によって損をさせられているわけではない。「額に汗しないで」儲けることも別に悪くない。そのことだけで「悪い」、と言いたいとすれば、それは、むしろそう言いたい人が村上氏の儲けに”嫉妬”しているのであり、精神として卑しいのは、むしろ、そう言う側の方だろう。村上氏を鏡として、鏡に映った自分の金銭欲を醜いとなじっているにちがいない。

筆者は、村上氏とは会ったこともないし(勤め先は同じビルの1フロア違いなのだが)、彼が好きなわけでもないが、彼に対する、世間の強烈な嫌悪感には、些か驚く。村上氏のような金融的な金儲けは、そんなに悪いのか?

もっとも、村上氏の、過剰なまでの自己顕示と、余裕のない自説の主張ぶりは、金儲けの上でも彼の弱点だろう。金や力(議決権とか)を持っている側は、騒いでみせる必要はないのに、と思う(解説をする側からすると、対象の過剰な自己顕示は大いに好都合だが)。また、申し訳ないが、常識的な想像力の下では、どこからどう見ても彼はセクシーとは思えないので、同情的なファンは付きにくい。加えて、あの自意識過剰振りと余裕の無さは、いじめっ子的な感性で眺めると、いかにも「いじめてみたくなる奴」のキャラクターだ。

そうは言っても、彼の嫌われ方は、些か行き過ぎているのではないかと思う。これは、何の表れなのだろうか?
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「お茶の間エコノミスト」

村上龍さんが主宰するメールマガジンJMMには、立ち上げの頃から参加させて貰っているが、特に、その初期の頃に、私が、エコノミスト(特に財政支出による景気対策を強調するタイプの人々)を揶揄する時につかった表現が「お茶の間エコノミスト」である。主にテレビで、したり顔をして、日本経済が大変だという顔をして、政府に「もっと対策を」とコメントする役割の、いかにもテレビ側に都合のいいコメントをする人々を総称する造語(別に、オリジナリティーを主張する気はないが、私が言い始めた言葉かも知れない)であった。

私は、当時テレビに出ることは殆ど無かったから、テレビのディレクターが言わせたいことに合わているだけのような、どうしようもないと思えたエコノミスト連中を、気楽にからかいながら、そう呼んでいたのである。「お茶の間向けにしか通用しないエコノミスト」といった蔑みのニュアンスで使っていた。

ところで、ふと考えてみたのだが、現在時たまテレビに出ている自分は、「お茶の間エコノミスト」であるのか、ないのか?

私は、経済学者でもないし、証券会社の肩書きとしてのエコノミストでもないから、狭義には「エコノミスト」ではないが、視聴者および、テレビの制作側から見ると、「エコノミスト」の範疇の人間だろう。そう考えると、「お茶の間」に顔を出す「エコノミスト」である、という自覚を持つことが、フェアであり、正しいことなのだろう。

すると、私がかつて揶揄していた彼らと、現在の私の違いは何なのだろうか?当時の彼らと私とでは、経済に関する意見は多くの点で異なるのだが、これは、残念ながら、視聴者にとって本質的な差ではなかろう。

他方、考えてみるに、「お茶の間」に経済に関する情報なり意見なりを伝えることは、それ自体、別段悪いことではない。問題は、中身であり、コメンテーターの追加する付加価値だ。

こうした諸条件から、取り敢えず、私が認識すべきことは、以下のようなことだろう。
(1)自分が、時々ではあってもテレビに出て、社会的に「お茶の間エコノミスト」を演じているという「恥ずかしさ」の自覚、
(2)言っていることが「正しくて、面白い」という点での差別化を目指し、この観点での視聴者からの評価を率直に受け入れる潔さ、
(3)毎回は無理としても、メッセージを伝えられるチャンスを生かして、テレビ側が意図する以上(この「以上」は質的にという意味)の何かをリスクを取ってでも伝えるべき事(つまり山崎元が提供する付加価値の重要性)、
の三点だ。

時たまテレビに出ることの、山崎元個人としての意味を正直に挙げると、
(A)テレビが自分の伝えたい意見や情報を大量伝達するために確保したい有効なな手段であること、
(B)「山崎元商店」のビジネス上の広報効果、
の主に二点と理解しているのだが、ここで大切なことは、(A)の趣旨を生かすことを、決して(B)に劣後させないこと、に違いなかろう。

つまり、当然のことながら、無難な話だけをするのではなく、自分でなければ伝えられないようなインパクトのある何かを伝えなければならないし、そのチャンスを常に窺っているのでなければならない。

テレビに出ていると、つい制作スタッフを満足させる進行に協力した(たとえば秒数を上手く合わせたとか、受け答えのテンポが良かったとか)ことに満足しがちになるのだが(これは、これで、大切だし、難しいことなのだが)、それで満足せずに、本質にグサリと刺さる痛烈な一言を言う努力を常におこたってはいけないということだ。

それにしても、「お茶の間エコノミスト」という単語を久しぶりに思い出した時には、正直なところ、ドキッとした。当面、オンエア/収録に臨む際には、「お前は、お茶の間エコノミストか?」と一言自問して、緊張感を高めることにしようと思っている。

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