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政治家と官僚の力関係

 ダイヤモンド・オンラインの連載は、基本的に毎週のニュースからテーマを探さなければならない。何について書くかなかなか決まらなかったので(正確には、口述して、まとめて貰った原稿に、手を入れて完成させている)、昨日(24日)は朝刊各紙を眺めていた(結局、以下のネタを捨て、銀行の保険窓販全面解禁について書くことにした)。

 昨日のトップニュースは、薬害肝炎の一律救済を議員立法で行うことを福田首相が政治決断したことであった。
 このネタで一番目についたのは「産経新聞」で、「官僚頼み首相後手」という大きな見出しを付けて、世論の反発を見て方針の修正を図ったのではないかという説明をしていた。「代償多き空白3日」という小見出しもあり、首相周辺が官僚に振り回されたという見立てで記事を書いている。1面の記事によると、厚生労働省が一律救済に抵抗したという。そして「同省から『数兆円かかる』と説明を受けた首相は、『国民の税金をそこまで使っていいものなのか』と容易に官僚に同調してしまった」のだが、原告団が一律救済の対象者を1000人程度と定義したことで「数兆円」は350万人いるとされる肝炎患者全員を対象にした数字ではないかと疑問が明らかになり、首相も17日頃から解決策を模索し始めた、と報じている。「産経新聞」は福田首相を安倍前首相ほどには好いていないのか、押さえた調子ながら、福田首相のダメっぷりが生き生きと伝わる、同紙としては、久しぶりに「社会の木鐸」らしい記事だ。
 ちなみに、その福田首相の会見には「人命に関わることですからね。無視するわけにはいかない、というふうに思っていたわけです」という発言があったが、これはハイジャック事件の際に「人命は地球よりも重い」(だったかな?)と言った彼の父親を思い出させた。御身大切で死にたくない一族なのだろうが、「人命よりも国の方が大切だ」と言いかねない連中よりは好感が持てる。筆者は、自民党を支持していないので、政治的には福田内閣が一日も早く終了することを願っているのだが、「脱力系」で飄々とした福田氏その人の個性はそう嫌いではない。あれでプライドが高いとか、冷酷だとか、東大も出ていないのにとか(これは田中真紀子氏の福田評)、彼を悪く言う人は多いが、自分を見せる上で無理をしていないし、前任者よりは物事の理解力がありそうで、少なくとも話が通じる相手のような気がする。政治・政策を抜きに考えると(首相だからそうも行かないのだが)、まあまあの人ではないか。

 同日の「毎日新聞」2面には、「自民"公約偽装"」「年金『照合』『統合』意図的に混同」という記事があった。参院選前に自民党から相談を受けた社保庁は、「突合」という言葉を使うよう進言したらしいが、分かりにくいので「統合」が採用されたと報じられている。もっとも、来年3月末には照合すら間に合わない情勢だ。たぶん当時から官僚は「照合」も無理であることを知っていて、手持ちのデータの「突合」は最大限やってみました、という言い訳を用意していたのだろう。
 もっとも、6月の国会では、民主党の蓮舫議員の選挙ビラに対する指摘に、安倍首相(当時)は「意味が違うのは承知しているが、その方が表現が分かりやすい」と開き直ったとある。今さらながら意味も論理も突き抜けた無脳力というしかないが、当時の経緯を思い出すに、この時期に、与党幹部は、年金納付データの問題について正しい情報を得ていなかったのではないかと思える。
 政治家の質問を受ける官僚の立場で考えると、このような「大きな問題」は、表面化を後にした方が官庁としても個々の官僚としても厳しい責任追及を受けにくい。特に現時点の責任者・担当者は、自分の担当でない時に面倒な問題の処理が行われることを期待するだろうし、できれば時間を稼いで退職金を貰って逃げ切ってしまいたいと考えても不思議はない。
 
 厚生労働省という官庁の中でもとりわけ腐敗の進んだ官庁の例だけを以て全官庁・官僚について論じるのは失礼が過ぎるかも知れないが、官庁が情報をコントロールすることによって政治が迷走することが再々起こる裏には、構造的な問題があるのではないだろうか。
 「構造的」が大袈裟なら、「マネジメントのミス」くらいの軽い言葉に言い換えてもいいが、明らかに政治家が官僚を上手く使えていない。
 一つには、政治家が人間としての官僚のインセンティブ(行動決定の誘因)を詳しく理解していないのだろう。官僚だからといって特別の欲得があるわけではないと思うが、基本的には(1)(自分らの)影響力の極大化、(2)(自分らの)責任の極小化が官僚の特徴的な行動原理で、加えてメンバーの固定された長期雇用システムと結びついて、囚人のジレンマ的な状況でもお互いを(官僚どうしを)「売る」ことが滅多にない、政治家やマスコミよりも遙かに強い協調を持った組織を築いている。
 従って、個々の官僚と政治家の表面的な力関係では政治家が官僚に勝っていても、集団としての官僚を相手にした時には、明らかに官僚の方が強そうだし、それが分かっているから、そもそも政治家が官僚を敵に回そうとするインセンティブを最初から持たないことが多い。
 そう考えると渡辺行革担当相は、半ばハシゴを外されたような状態で、彼なりによくやっていると思う。かつて同職にあった「石原裕次郎の兄貴の長男」(石原伸晃氏)よりは、かなり人物が「まし」なのではないだろうか。

 政治家が官僚を上手く使えていない、というだけでなく、実質的には、政治家が官僚に脅されているのかも知れないと思うこともある。
 誰か特定の黒幕的人物が居てそうしているのでは無かろうが、福田政権が成立当初から政治的には不人気なはずの消費税率引き上げにあれほど拘る理由は、そうして官僚の協力を得ないと、政権が、ひいては自分達の議席がもたないという事情があるのではないかとでも考えないとスッキリ納得できない。集団としての官僚が政治家に行使できる「力」としては、(1)情報の制限・ウソ、(2)法案・予算作成のサボタージュ、(3)政治家の各種のスキャンダル暴露(年金記録のリークのように)、といったことが考えられるが、今の政治家では、とても集団としての官僚には勝てそうにない。
 
 対策はあるか。現行制度のままでは、たぶん無い。少なくとも、官僚の管理職層の流動化(つまり人材の入れ替えと異動)を可能にし、実質的で自由に行使できる人事権を政治家に持たせる必要があるだろう。これまで、多くの国民が、国の運営を任せるには政治家よりも官僚の方が安心できると考えて来たと思うが(だから現在のような制度になっているのだろう)、集団としての官僚は些か強くなりすぎたのではなかろうか。
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投資銀行業界はどうなる?

 サブプライム関連の損失がどんどん明らかになっている。大損した投資銀行の中には海外から資本を受け入れる会社もある。ぱっと目に付くだけでも、それぞれ円換算すると兆円単位の損失を発表した後で、シティグループがアブダビ投資庁から、UBSがシンガポール政府投資公社から、モルガンスタンレーが中国投資から、それぞれ自己資本になる資金の注入を受けることが報じられている。一つのミスで資本増強が必要になるとは、案外だらしがないとも思うが、最近の彼らのビジネスは大きな資本を持っていない勝負にならないし、何より損失が兆円単位とあっては仕方がないのだろう(それに、損失はまだ膨らむ可能性があるし)。
 
 シティグループといえば、先般「週刊SPA!」の「経営者オブザイヤー」の対談(メンバーは、須田慎一郎氏、山本一郎氏と私の3人)の「ワースト部門」で、私が「日本をなめているとしか言いようのないシティグループ」(受賞対象者はプリンス前CEO)を、ワルの筆頭としてあげたところ、他のメンバーからも圧倒的な賛成を得た。
 「日本をなめている」とは、そもそも日本のプライベート・バンキング部門があまりの悪事の酷さに閉鎖処分となって日本から追い出されたにもかかわらず、本来だったら東証上場廃止でいい(と私は思った)日興コーディアルを傘下に入れる形で、性懲りもなく、日本の金持ちをカモりに再上陸すること、そして、東証に上場したその日にざっと1兆円ほどのサブプライムの追加損失を発表したことなどを指す。特に、東証上場に関しては、このようなバランスシート自体が信用ならない会社をどうして今上場させるのか不思議だし、追加損失の発生に対しては、即刻管理ポストに移して、上場廃止を検討すべきだろう。アブダビがカネを入れるくらいだから倒産しないのかも知れないが、現状では、日本の一般投資家に広く売り買いさせていい信用(特に情報の)があるとは思えない。
 報道によると、アブダビからの資金は利回り11%だという。ドル建てなのだとしてもこれは高い。シティの損失はまだまだこれから現れる公算が大きく、これで立ち直るのか、一時の見せ金で焼け石に水と終わるのかは現時点では分からない。

 モルガンスタンレーは、サブプライム問題では、ライバルであった(もう過去形?)ゴールドマン・サックスと随分差が付いたが、UBSと共に、会社のカネでリスクを取り、上手く行けばデカいボーナスをせしめる逞しい人々が前線で働いているので、この程度の損が出ることがあるのは仕方がない。
 中国にしても、シンガポールにしても、外国から多額の資本が入ると、日本の金融機関なら、乗っ取られるかも知れないとか、外資の軍門に下ったなどと大騒ぎしかねないが、これらの会社の社員達はにとっては「平気」だろう。彼らは、リスクを取って使うことができる資本と儲けたときのボーナスの約束があれば、資本など誰のものであっても構わない。
 
 かつて「資本(家)が労働者を搾取する」という表現があったが、投資銀行の世界では専門性と従って情報上の優位(マーケット、商品やリスクの仕組みに関する知識、顧客に対するアクセス)を持った社員が、成功報酬(オプションとして評価すると、実は稼ぐ前から価値は大きい)の形で資本と会社を利用し、稼げたときには大きなボーナスをせしめて、失敗したときにはリスクを資本(家)に押しつけるといった形で、「社員が資本(家)から搾取する」ことが可能になっている。お互いの欲がぶつかる汚い世界ではあるが、考えようによっては痛快な業界だ。
 投資銀行は、たとえば外部の資本家が買収して経営権を取ったとしても、キープレーヤーがまとめて抜けてしまえば、もぬけの殻だ。それを阻止しようとすると、高い代償を払わなければならない。
 かといって、かつてドイツ銀行がやったことがこれに近いと思うが、買収してもぬけの殻になるよりは個々の部品(=人材)を買って自分で組み立てた方がいいという路線を採ると、それはそれで、ひどく高く付く。ドイツ銀の参入が、投資銀行業界の人件費高騰に果たした役割は大きいという記事を、随分前に読んだことがあるが、カネだけ積んでも強い投資銀行が手に入るわけではない。
 わがままで率直な愛すべきジャック・ウェルチがキダー・ピーボディーという投資銀行を買ったことについての反省の弁を「ウィニング 勝利の経営」(斉藤聖美訳、日本経済新聞社)から引用しよう。「バウンダリレスネス、チームワーク、率直さというGEのコア・バリューは、投資銀行の持つ三つのバリューと一緒になることがはできなかった。彼らのバリューは、私のボーナス、私のボーナス、私のボーナスに尽きる」(p265)

 ただ、このように何とも逞しい投資銀行業界の人々ではあるのだが、サブプライム問題で「証券化」が疑いの目で見られるようになると、次の儲け口は何なのだろうか。もちろん、証券化自体が悪いわけではないし、将来無くなるわけでもないだろうが、投資家はしばらくの間、証券化商品全般に対して慎重だろうから、マーケットは拡大しまい。拡大を続けてきたM&Aにもさすがに一服感があるようだ。
 もちろん優秀な狩人たちが揃っているから、いずれは新しいカモを見つけて来るだろうが、当面、狩人の数が多すぎる可能性はあろう。
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「日本版国家ファンド」に反対!

 ここのところ、一部で、日本でも「国家ファンド」を作ろうという機運が高まっている。金融業者に騙されやすい一部のお調子者か運用会社(たぶん外資の)回し者が騒いでいるだけかと思っていたのだが、「まず実現しない」と安心できるような状況でなくなってきたようであり、反対意見を述べておかねばいけないと感じるようになった。詳しい反対論拠は今週金曜日にUP予定の『ダイヤモンド・オンライン』の「山崎元のマルチスコープ」という連載で書くつもりなので、そちらを参照して欲しい。
 
 まず、12月6日の『産経新聞』によると、自民党の議員42名が「資産効果で国民を豊かにする議員連盟」なるものを作ったという。12月5日に設立総会があったが、会長は山本有二前金融相だという。同記事によると、運用可能な国有資産は、一部の試算によると500兆円あり、先ずは外貨準備の運用を、一部外部委託することを狙っているようだ。尚、産経の記事では、外貨準備を国家ファンドに回すことは、アメリカ国債の売りを連想させ、アメリカを刺激するのではないかという点を心配している。いかにも産経的な心配だ。

 「日本版国家ファンド」に対する、国会議員の素朴な意気込みの例としては、自民党の田村耕太郎参議院議員のホームページの記事が分かりやすい(http://kotarotamura.net/b/blog/index.php?itemid=1508)。彼には、何の恨みもないが、分かりやすいので見てみて欲しい。彼は、日経CNBCの番組に出演した際に、国家ファンドを熱く語ったそうなのだが、ホームページの記事によると、キャスターの蟹瀬誠一氏も賛意を示したという(田村議員は「マジでうれしかった」そうな)。番組を見ていないので、確たる事は言えないが、率直なところ「蟹瀬さんも、困ったものだ」と思うのだが、彼は資産運用に関してはイケイケ系なので、この種の話には血が騒いでしまうのかと推測する。

 また、まだ番組がオンエアされていないので、詳細は書けないが、文化放送の「世相ホットライン ハイ!竹村健一です」という番組の収録で、竹村健一氏(この時が初対面である)とお話ししたところ、氏は、熱烈な日本版国家ファンド推進論者だった。オンエア(未だ日程は決まっていない)に話のどの部分が使われるか分からないが、話は全く噛み合わなかった。竹村氏は、優れた時代感覚をお持ちなのだろうが、運用やマーケットの専門家ではないから、運用業者の実力と運用ビジネスの実態をご存じないのは仕方がないのかとも思ったが、この日の話は些か残念だった。30分では、とても手に負えなかった。彼のような影響力のある人に、正しい理解を持って貰うことはできないものか。

 私としては、「日本版国家ファンド」の構想は、
(1)何といっても日本政府が多額の手数料を払う運用業者のカモになるのだし、
(2)将来の運用成績が確実に優秀な運用者の存在が疑わしいし(本当に優秀ならどうして他人のお金を運用するか)、
(3)素人に(本当は玄人でも)優秀なプロを選択する能力はないし、
(4)運用の計画と管理に関する説明責任を政府が十分果たすことが不可能だろうし、
(5)巨額になるほど運用が難しいし、
(6)「官から民へ」の逆行だし(運用は「民間で出来ること」の代表だろう)、
(7)主に外国に投資するとしても政府の民間への介入だし、
(8)政府の目的と純粋な運用とのコンフリクトが避けがたいし、
(9)中東諸国や中国、シンガポールといった中央集権的で経済の民主化に些か遅れた政府の真似をしようというセンスが情けない(イギリスやドイツでやっているか?)、
(10)「金融立国」とは世界のカモから金融で稼ぐことであり自分自身がカモになることではない、
等々山のようなツッコミ所があって、馬鹿馬鹿しくてヘソが茶を沸かすような、同時にこんなものにコメントすること自体が情けないレベルの話なのだが、真面目に推進しようとされている方がいるようなので、ここは、油断無く注意しておきたい。

 ただ、運用に関する賛否の議論はいつでもそうなのだが、一つには、相当に筋の悪い運用でも、「運がいいと」儲かってしまうことがある。また、国家ファンドのように金額の大きな投資は、かつて野村の一兆円ファンドの設定時期に組み入れ銘柄の株価がが上昇したように、そのスタート当初にはファンドが投資する株価・債券価格や為替レートが好ましい方向に動いて一時的に含み益ができる公算が大きい。
 つまり、プロセスを評価して「明らかにダメだ!」と言い張ると、無知だが情熱的な結果主義者達から大いに批判を受けるリスクがある。ずるく立ち回るには、両論指摘で賛否をはっきりさせないか、いっそのこと聞き手が喜ぶ話だけをするほうが「賢い」。
 だが、もちろん、日本版国家ファンド構想は話にならないくらいダメなのだし、こと資産の運用に関しては、それを指摘するのは私の役割(ささやかだが、大切だと思っている)の一つだと思っているので、日本版国家ファンド批判を止める積もりはないが、物を言うのが少々憂鬱なテーマではある。
 自分のお金のためなら、国家ファンドの推進側に肩入れすると、何らかのおこぼれがありそうな気もするのだが、もちろん、そこまで賤しい人間になるつもりはない。
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将棋順位戦の楽しみ

 さる12月4日の「朝日新聞」夕刊に、将棋のA級順位戦に関する一将棋ファンとしてのインタビューを載せて貰った。谷川九段と佐藤二冠の意外な苦戦に焦点を当てたインタビューだったが、強豪でもない一将棋ファンである私としては(そう強くないアマ四段程度であり、PC上の「激指6」にはここのところ勝ち越せない)、天下のA級順位戦にコメント出来ることなど、そうない。インチキ臭くても「評論家」を名乗っていて得をした気分だ。
 将棋ファンには、将棋の対局を見る楽しみの他に、プロの将棋の勝ち負けを予想し、結果を見る楽しみがある。「将棋世界」という将棋の専門紙や日本将棋連盟のホームページには、プロ棋士の「順位戦」の星取表が載っていて、将棋ファンには、この表を眺めるのが、飽きの来ない上質の暇つぶしになる。順位戦とは、上からA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組と5つの組に分かれたプロ棋士のリーグ戦で、最上位のA級順位戦は名人戦の挑戦者決定戦だ。名人戦の挑戦者決定戦の他に、順位戦には、棋士の格付けを行い、これに連動して棋士の収入も大きな影響を受けるという意味がある。リーグ戦の結果、それぞれのクラスから昇級したり降級したりすることは棋士の名誉と生活に直結している。つまり、参加するどのプロ棋士にとってもその結果が大きな意味を持つ、一般的には、対局者に最も大きなプレッシャーが掛かる真剣勝負が順位戦だ。当事者にとっては大変だが、見物人には、真剣な勝負ほど面白いし、また感動的であることは、論を待たない。
 一年の順位戦の結果が出るのは、たいていは3月だが、12月くらいから結果が近づいて来て、興味が高まる。世の中は冬なのだが、これから3ヶ月ほどが、将棋ファンにとっては、たぶん最も熱い季節になる。
 各クラスそれぞれに予想の上での見所と現実のドラマがあるが、今年のA級順位戦は特に面白い。名人挑戦権争いは、郷田九段、羽生二冠、三浦八段、木村八段が1敗で並んで激戦となっており、降級争いも、佐藤二冠が何とも意外な5連敗で目下最も不利だが、行方八段、久保八段、そして谷川九段が4敗で混沌としている。A級の維持には一流棋士のプライドが掛かっているので、降級(逃れ)争いは、名人挑戦者争いに劣らず白熱したものになる。暮れも押し迫った12月27日に予定されている佐藤・谷川戦が大一番だ。谷川九段が勝つと、谷川九段はかなり安全になるが、佐藤二冠が勝つと、谷川九段にも降級の危険が大きくなって、情勢は予断を許さなくなる。
 私は例年、何といっても将棋の内容が面白い羽生二冠のタイトル戦登場の可能性を中心にプロの将棋を見ているが、今年は、私(強くない素人だが)の目から見て強い勝ち方をしていて爆発力が期待できそうな三浦八段の活躍にも期待している。どちらをより応援するかは、正直なところ難しい。
 また、それぞれのクラスの結果が個々の棋士の人生に直結していることを思うと、面白いのはA級順位戦だけではない。それぞれのクラスにドラマがあるし、それぞれのクラスに「ひいき」を作って応援するのもスリリングで楽しい。順位戦の将棋の特色は、ともかく「負けたくない」という手が多いことだ。素人目にも分かるぐらいプロが緊張した指し手を見ていると、時に切なくなることがある。
 ところで、頭脳の真剣勝負である順位戦を最大限に堪能するには、是非、ネットの速報(「名人戦棋譜速報」というNiftyのサービス)を活用したい。自由に閲覧するためには、月額500円の会費が必要だが、プロの名前を数人程度知っているくらい以上の将棋ファンなら、この会費は間違いなくペイする筈だ。棋譜の表示を自動更新を設定しておくと、指し手が進むと駒音が鳴り、局面が更新される(原稿書きの仕事と両立する)。また、局面には適宜解説が入るのも親切だ。リアルタイムに近い進み具合で対局を見ていると(駒音が鳴って、局面が進んだときに見るといい)、何とも切ない真剣勝負の雰囲気が漂ってくるし、素人ながら先を読むので、多少の棋力向上効果も期待できそうな「感じ」がする。私の気分だけの問題なのかも知れないが、これだけお得感のあるサービスは滅多にない。
 将棋ファンには、是非、このサービスの利用をお勧めしたい。何はともあれ、将棋ファンは、http://www.meijinsen.jp/にアクセスしてみて欲しい。
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「会社は2年で辞めていい」が出ました

 幻冬舎新書から、「会社は2年で辞めていい」が出た。12月2日の日本経済新聞や12月4日の朝日新聞に広告を載せて貰ったので、ご覧になった方もいらっしゃるかも知れない。
 今回は若者向けを意識して書いた。前書きにもあるとおり、就職を前にした大学生から30代前半くらいまでの会社員が主な想定読者層だ。もちろん、10代が世間を知るために読んでくれてもいいし、50代の管理職が部下の扱いを考えるために読んでくれてもいいし、あるいは、もっと高齢の方が子供や孫に読ませる目的で買って下さって、ついでに自分でも読んでみるというような読者も嬉しい。しかし、読者の視点の置き所を具体的にする方が分かりやすいだろうと思い、読者の想定年齢を絞り込んだ。

 ざっと読み返すと、当たり前で実用的なことを書いていると思う。「これは役に立つではないか!」と自分でも少し思うわけだ。
 しかし、そもそも大卒で、まずまずの会社に就職できるような、割合恵まれた人を対象に書いているのではないか、ある程度仕事向きの能力のある人が対象で、それ以外の人がに対するアドバイスが乏しいのではないか、というような批判もあり得るだろう。本は当然のことながら著者の経験や見聞の制約を受けるので、この点への批判は甘んじて受けるつもりだ。もっとも、自分で自分の人材価値を作り、これを育てつつ、必要があれば転職もする、というような職業人生設計の考え方は、大卒でも高卒でも、あるいは大学院卒でも共通点があるのではないかと思う。

 以下に、前書きと後書きを掲載しておくので、先ずは、読んでみて欲しい。

●<前書き>
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「君ね、『石の上にも三年』という言葉があるでしょう。せめて三年は勤めないと、我慢が出来ない奴だと思われるよ」
「あまりに短期間で辞めると、将来、君の経歴の傷になる」」
「転職で一度失敗したら、どんどん悪い方に転げ落ちていくから、覚えておきなさい」
転職しようとする若者、特に、就職して一、二年で辞めようとする若者に対して、先輩である「大人」達のアドバイスはネガティブで厳しいことが多い。
 もともと大人達は、大卒の就職者が、三年以内に約三五%辞める昨今の状況に対して、苦々しい思いを抱いている。
 しかし、本書の著者は次のように思う。
 就職に失敗があるのは当たり前だ。合わないと分かった会社と分かったら、貴重な時間を無駄にせずに、次の機会を試した方がいい。
 格言で言うなら、正しいアドバイスは「時は金なり」だろう。
 まして、アドバイスする「大人」の頃とは、時代が違う。大人は、若者の自由と可能性に嫉妬して、後輩を自分のようにしようとしているだけではないのか。それに、大人は、どの程度の転職のことを分かって言っているのか。若者よ、ひるむな!
 タイトルの「二年」は「最低二年は待て」という意味ではなくて、一つの事を計画・実行するのに二年くらいの単位で考えると具合がいいという意味だ。理由は、本文に書いたが、会社は、一年で辞めてもいいし、何回辞めてもいい。
 ともあれ、前途のある若者が、大人の意見の呪縛を逃れて、ビジネスの世界の「ゲームのルール」知り、自分の人材価値を創り、会社というものの評価の仕方を身に付けて、必要があれば「転職」というオプションを行使し、「自分の人事」を自分で行えるような、アドバイスこそが必要ではないかと著者は思う。
 人生は一度きりだし、いざ、何かをしようとすると、案外短い。それに、「大人」にも「会社」にも、個人の人生を丸ごと面倒見られる能力も、そんな意志もない。
 最後は、「自己責任」という呪文の下に、放っておかれるのだから、自分のことは自分で決めて、悔いの無いように生きた方がいいのではないだろうか。
 本書には、「自分の人事」を自分で考えるための、基礎知識と、ものの考え方、さらに、ビジネス社会を生きていくためのコツを詰め込んだ。
 第一章では、「格差」「成果主義」といったキーワードを中心に、金銭的な差がつく社会の仕組みと、個々人がキャリア戦略を考えるための基礎知識をお伝えする。
 第二章では、個人の「人材価値」をどのように創って、育てたらいいのかを説明した。
 第三章は、先ず、新卒の就職の際の会社の選び方(会社側に対する逆テストの方法も)、そして、転職する際の「今の会社」と「次の会社」の評価の仕方を伝授する。
 第四章は女性のキャリア・プランに関する短い補足だ。
 第五章は「転職のコツ」のコレクションだ。単なる面接の傾向と対策だけでなく、お金の交渉の仕方、きれいな会社の辞め方、そして何よりも肝心な、新しい職場への適応方法などを、著者の経験を活かしつつ、新しく他人事例も参考にして、具体的に説明することを試みた。
 最後の第六章は、著者の転職歴のまとめと自己採点だ。
 著者は、過去に一二回転職している。中には失敗もある。しかし、転職の失敗は、十分リカバリーが可能だし、転職は著者の人生の可能性を大いに拡大してくれた。
 転職は、必要がなければしなくてもいいが、したくなくても必要になることがある。
 若い人には、転職の可能性のあるキャリア・プランの考え方を知って欲しい。そして、のびのびと、気持ちよく働いて欲しい。
 これが、「いい大人」になりたい、著者の願いだ。

          二〇〇七年一〇月吉日      山崎 元
=========================

●<後書き>
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 会社は誰のものか、という少々頭の悪い議論が、何年か前に流行ったことがある。しかし、会社は制度に支えられた契約や権利関係の集まりであって、誰の「もの」かとの問いの立て方自体がおかしかった。
 結局、そのときどきに、いろいろな権利と利害関係を持った個人が、会社を利用しているにすぎない。「法人」は法的な扱いはしばしば人だけれども、もちろん意志を持った生き物ではない。
 そもそも、会社を信じるとか、会社に頼るとか、あるいは、会社から捨てられる、などと考えることがおかしいのだ。会社は利用するものだ。会社に捨てられたという場合は、会社ではなく誰かがあなたを捨てたのだ。
 そして、過去二五年くらいを振り返ると、会社のあり方は実に不安定に変化しており、こうした状況は今後も続きそうだ。「会社に頼る」あるいは「会社に決めて貰う」という人生設計は何とも危うい(ちなみに、「会社」を「国」に変えても同じだが)。
 危うい、と「リスク」を指摘するだけではなくて、会社は頼りにならないという前提で、職業人生をどう生きて行ったらいいかを、特に、若い人にお伝えすることが、本書の目的だ。会社をアテにせず、しかし、会社から離れもせず、というような、自由度の高い現実的なキャリア・プランの考え方をお伝えしたつもりだ。
 
 著者にとって、本書は、三冊目の転職の本になる。今回は、特に、若い人向けに書いた。就職活動を控えた学生や、二〇代から三〇代の前半くらいまでの働く人、働こうとする人の、できるだけ多くに読んで欲しい。回し読みでもいいから、是非、読んで欲しい。
 三冊目ということもあって、現在、著者が転職について書きたい・言いたいと思っていることを、ほぼ残らず、コンパクトに集めることが出来た。個人的には、これまでの転職人生の総決算的な本になった。最初に書いた転職の本の後書きの末尾に、「転職には『快感』があります」と書いたが、この種明かしも、本書でできた。転職に関する本を書くのは、もうこれが最後でいい、というのが著者の目下の心境だ。
 本書の企画は、幻冬舎の伊藤えりか氏の発案によるものだ。最初に良いタイトルを決めてくれたし、構成の骨格を考えてくれたのも彼女だ。書き方についても、的確にプロフェッショナルなアドバイスをしてくれた。大いに、感謝したい。
 本書を読んで、一人でも多くの若者が、気持ちの良い職業人生を歩んでくれるといい。
 もちろん会社は二年で辞めても「大丈夫」だ。
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 PHP新書「新しい株式投資論」を10月に出し、11月にこの「会社は2年で辞めていい」を出した。過去に雑誌などに書いたテーマを再び書いたものもあるが、どちらも基本的には書き下ろしであり、特に後者は実質1カ月半くらいで書いたので、いささかハードであった。これだけに集中して書けるなら、たいした分量ではないが、連載の〆切などをこなしながらなので、終盤は、息が入らない感じになった。三、四日、何も書かない日ができると、書き疲れが抜けそうなのだが、目下の情勢では、そうも行かない。
 特別に休暇を取るというような予定はないが、一休みして忘年会でもこなしながら、次の本の構想を練るつもりだ。数日の休筆は、たぶん雑誌の〆切が年末進行になって集中して、その後一週飛ぶ辺り(一二月下旬)で可能になるだろう。資産運用関係で再構成・加筆して使える原稿がかなりたまっているので、運用方面の本から考えることになりそうだ。
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