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今年のわがクールビズ

昨年は、「クールビズ」に全く乗ることが出来ず、大変残念であった。地球環境への配慮という最終的な目標はともかく、何より、仕事の際の服装として、合理的だと思う。

もともとネクタイは好きではないし、学生服も嫌いだったから、スーツも嬉しくて着ていたはずではなかったのだが、いつしか、スーツとネクタイが、動物でいえば、皮膚であり、尻尾であるかのように、離れがたいものになってしまった。慣れというのは恐ろしいものだ。

他人に会う仕事には、常に紺のスーツでネクタイ付きという姿で出かけていた。だが、「7割自由業」のような私の場合、仕事上は、見苦しくない姿であれば、スーツである必要も、ネクタイをする必要もない。スーツとネクタイから離れられなかったのは、単に私のファッション的能力不足と工夫の無さの故だった。

しかし、現実問題として、ネクタイをするとシャツ一枚分くらい余計に暑いし、スーツにも熱がこもる。また、私は北海道出身ということもあり、暑がりで且つ汗かきだ。ノーネクタイで仕事をするクールビズの人々が羨ましかった。

今年の夏は何とか、もう少し涼しく働きたい。そう思って、紺(また紺かよ、ではあるが)の薄手のウールのジャケットと、グレーおよびグレンチェックのウールのパンツ(私の世代はズボンと言う方が落ち着くが)を買ってきた。色は当たり前すぎてツマラナイとも思ったが、靴やベルトなどは黒一辺倒だし、シャツにネクタイの在庫は紺のスーツに合わせているので、在庫を有効活用するために、この組み合わせからスタートすることにした。

ボタンダウンのシャツが数枚あるので、移動や作業中はノーネクタイで過ごすつもりだ。もちろん、ネクタイを一本持参して、テレビに出る場合や、写真を撮られるような取材ではネクタイを締める。上着が紺なら、テレビでは胸から上しか映らないので、これまでと大きく違う感じにもなるまい。

いつでも使えそうな無難なネクタイとして、先般、サッカーのオーストラリア代表を率いたヒディンク監督にあやかって、ブルーのネクタイを仕入れてきた。もっとも、ネクタイだけでなく、お腹までヒディンクを真似してしまっているのは、困ったことである。

ともかく、何歩か遅れているが、ゆっくりとクールビズを目指すことにする。
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福井総裁の年金

福井総裁の年金が昨年778万円あったことが話題になっている。資産を公開し、さらに収入の明細まで説明し、と些か気の毒な気もしなくはないが、これはなかなか大した年金だ。

日銀の年金は、厚生年金基金や確定拠出年金といった企業が通常導入しているものとは異なる独自の自社年金のようだ。そして、福井総裁の場合、厚生年金の支給額(国民年金分を含む)に加えて、日銀独自の加算部分(いわゆる「三階部分」であり通常の会社では企業独自の加算部分に相当)が300万円以上ある。しかも、これが終身続くというのだから、かなり手厚い。

また、ここが面白いところなのだが、この企業年金は、本人の給与から積み立てて運用するような通常の年金ではなく、人件費として、日銀が支出しているものだという。新聞によると、その理由がふるっていて、日銀は「中央銀行が、巨額資金を株式市場などで運用するわけにはいかない」と説明している。日銀にも、多少の常識はあるようだ。

もちろん、金利その他に関する重要情報を持つ日銀が、株式などで自分たちの年金を運用することはマズイ。これは当然だ。しかし、日銀マンの中でも、とりわけ豊富で早い情報を持ち、自分の発言のニュアンスで市場に影響を与えることさえ出来る福井総裁は、個人として株式や投資信託で少なからぬお金を運用していたということなのだ。

これは、笑える事態ではないか。もっとも、マジメな日銀マンは、福井氏に呆れて、且つ怒っているだろう。普通の会社なら、匿名のインタビューなどで怒りの声が報じられるところだが、そうした声が外に出てこないのが、いかにも日銀らしい。

福井総裁は、事ここに至るも、「職責を全う」するという態度を変えていない。「世間を騒がせた」事は結果的に悪いが、自分自身は悪くない、と本当に思っているのだろう。人間は、自分に都合のいい理解を持つ動物だ。

現在の日銀法では、法令違反でもない限り、政府が総裁をクビにすることは難しいとの見解が新聞などには出ている。確かに、ルール上はそういうことだが、しかし、このまま行くと、2月の村上ファンド解約の運用行為(レッドカード相当だろう)に関して、なぜそのような行動を起こしたかの経緯がリークされれば、さすがに、もう保たないだろう。村上氏やオリックス方面からの情報なのか、捜査当局・政府方面からの情報だったのか、相場判断だったのか、何れでもまずいが、検察を含めた政府は、何らかの情報を持っている公算が大きい。つまり、政府は、福井総裁を辞めさせるスイッチを持っていると考えるべきだろう。

なお、大した株数ではなかったが、奥様が持っていた株が阪神電鉄と高島屋という"村上好み"のものであったこともかなり面白い。ヒラの職員なら、クビとか降格ではなかろうか。もちろん、民間の金融機関や証券会社でもそうなる。

さて、現在、「政府の圧力を受けてゼロ金利解除が出来ない」という説と、「日銀の独立性を示す必要があるので、ゼロ金利解除は早期に行わざるを得なくなった」という説と、二説あるようだが、今後、日銀が何をやってもクリーンには見えないということは不幸だ。敢えて、今後を予想すれば、7月に「最後っ屁利上げ」を行って、これを花道(?)に福井氏が辞任する、というようなことか。
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福井総裁の資産公開を見て

福井日銀総裁が、自身の金融資産と収入について追加的な情報を公開した(あるいは、公開に追い込まれたというべきか)。

「村上ファンドの利益は寄付」→「元本も含めて寄付」→「寄付に加えて3割×半年の減給」→さらに資産も公開と、あたかも政策金利を小刻みに引き下げるがごとき、ご本人の小出しの対策の拙さにも大きな責任があるとは思うが、何とも下手な応対だ。だが、公開された内容は、なかなか興味深かった。

公表された情報によると、福井総裁の金融資産は、奥様(阪神株などを含む約5千万円)と合わせて約3億5千万円だった。不動産を含まない金融資産だけで、平均的なサラリーマンの生涯年収くらいの金融資産がある、ということだ。資産をお持ちのこと自体は、それだけでは別段悪くないのだが、世間から一層の反感を買うのではないかと想像される。

どこかの週刊誌の見出しで、福井氏のこれまでを、「ごっつぁん人生」と形容したものがあったが、これまでの厚遇振り、さらには、飲食費を始めとして多くの費用に関して、ご本人が負担せずに済んだ、「プリンス」ぶりが、このような資産形成を可能にしたのか、とも思われ、「こんなものか」とも思うが、世間的にはいかにも同情しにくい。

尚、現段階で、私の意見は、福井氏は、(1)総裁就任後も株式や投信等の資産を自分で運用していた、(2)特にこの2月の村上ファンド解約はインサイダー情報を持った人物の運用行為だ、(3)収益分配金の報告などに嘘があった、というこれまでの事実だけで、十分辞任に値するし、この問題がこれだけ政治問題化したので、彼の留任は、日銀の金融政策の独立性と信頼性にとってもマイナスだ、というものだ。

本来、彼がお金持ちであること自体は、何ら問題にされるべきことではない!

ただし、この資産の中で、投信、ファンド、株式の合計が、時価の合計で現在、9千万円(普通の世帯の貯蓄の4倍くらいだ)を超えるような状況(数字は何れも、27日段階のNews GyaO調べ)は、前記の(1)が、無視し得ない規模であったことを意味していると思う。金融政策を客観的に決めなければならない立場と、自身の個人資産の運用の利害との間の「利益相反」が無視し得ない大きさだった、と思わざるを得ない。福井氏が、なぜ、自分の場合は拙くないと思ったのか、全く不思議だ。「ごっつぁん」だけでなくて「ゆるふん」でもあったのか。

また、その他に、昨年、年金として7百数十万円の収入を得ていたことが、明らかになった。この中の約300万円は、ご本人の積み立てによるものではなく、日銀の経費として支払われる形の、年金としては「三階部分」なのだそうだ。何と、ゴージャスな! これは、「日銀の過剰な厚遇」として問題にされそう内容であり、場合によっては、福井氏は今回、彼の後輩たちの年金の条件が下方改訂されるきっかけを作ったかも知れない(どちらにも同情はしないが)。

「国民にはゼロ金利を強いていたのに、本人は儲けていた(あるいは、そこそこにお金持ちだった)」という低級メディア好みのストーリーは、本質(あるいは真の急所)から外れているので、これを日銀総裁の辞任の理由にすることは、本来好ましくないと思うが、さりとて、ことここに至ると、福井氏が辞任しないと、今後の金融政策に無用の憶測を呼ぶことになった。つまり、今後ゼロ金利政策をどうしたとしても、「政府に借りがあるからゼロ金利解除を先送りしたのか」あるいは「政府への借り、と言われたくないから、意地になって、早期にゼロ金利を解除したのか」と言われる。これは、日銀の信頼と独立性の両方を損なう事態である。

福井氏以外に日銀に金融政策が分かる人物がいない、ということではあるまい(福井氏も含めて、誰もいない、という厳しい意見もあり得るが・・)。世間やメディアの反応もほめられたものばかりではないが、それ以上に、福井氏の行動と、加えてその後の対処は拙かった。やはり、辞任されるのが良いのではないかと思うが、さて、どうなるだろうか。

尚、問題発生の当初、恥ずかしながら、私は、事態の本質を直ぐには見抜けなかった。同僚との話で、私は「辞任には至らないだろう」と予想し、我が同僚は「たぶん辞任せざるを得ないでしょう」と予想した。福井氏が辞任した場合、私は、かなり高い酒を同僚に奢らなければならないのだが、ここまでの事情が分かると、そうなった場合には、喜んで特別に美味しい酒を選ぶ(私も一緒に飲む)所存である。
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幸福を計算する数式

かつて、ある雑誌の取材で、幸福を計算する数式を考えて下さい、というテーマのものがあった。

その時に捻り出した数式は、「幸福度」=平方根(「経済力」×「健康」×「人間関係」)であった。もとより、この種のものは正確・厳密なものではないし、言いたいことの幾つかが効果的に表れていればそれでいいものだろう。また、プレゼンテーションとしては、単純なものの方がインパクトがあっていい。

経済力、健康、人間関係の変数は、たとえば0~10の間の正の数字で、主観的に、しかし、相対的に定義する。相対的に定義するという理由は、他人と比較する人が多かろうが、過去の自分の状態とも比較するだろうし、両方を加味する人もいるだろうが、自分で「絶対的な」数字を認識できるほど人間は賢くない、といった幾らか意地悪なメッセージがこもっている。

尚、行動ファイナンスに親しんでいる向きは、何らかの参照点にこだわりを持つ、カーネマンの価値関数のようなポイントの計算方法を考えてもいいかも知れない。たとえば、平均を意識する人は、平均よりも5%プラスの喜びによる加点幅よりも、平均よりも5%マイナスの悔しさによる減点幅の方が2倍以上大きいだろう。まあ、この辺りは、主観的に、好みに応じて、考えてみていただきたい。

それぞれの項目を加重和的な形で集計せずに掛け算にしたのは、たとえば、お金がたっぷりあっても、健康状態がゼロと言えるほど悪ければ、楽しむこともままならないからだ。

また、人間は、自分のことを他人に認めて貰えないと幸福感を感じられない生き物でもある。お金と健康ばかりが恵まれていても、友人もなく、他人に嫌われていれば、幸福ではあるまい。経済が発達した世の中だから、お金があれば、ある程度の人間関係を作ることはできそうだが、お金だけで思う通りになるとは限らない(一例としては、さる週刊誌に「夜のM&A失敗」と報じられた、MファンドのM氏が、女子大生をタケノコ狩りを使ってホテルに込もうとした計画の失敗話などを思い浮かべて下さい)。

健康と人間関係だけ良好というのは、どうか。豊かな自然の下で暮らせば、これで幸せかも知れないが、まあ、現代の生活にあって、お金が無いのは辛い。また、食べ物を取ることが出来る豊かな自然や畑などは「経済力」の一部でもある。

三つの変数を掛け合わせた数字を平方根に放り込んでみた理由は、たとえば、稼ぐお金が2倍になっても、幸福感は、とても2倍まで増えないだろうと思ったからだ。稼ぎが4倍で、幸福感が2倍、というくらいならどうだろうか。もっとも、資産400億円の暮らしが、資産100億円の暮らしより2倍幸せかどうかは、よく分からない。たぶん、それほどでもあるまい。まあ、平方根よりも、対数でも使うともっと実感に合う数式が作れるのかも知れないが、普及品の電卓で計算できる方がいいだろう。

数式を作る時に迷ったのは、「好きなことをしている」とか、「自己実現を果たしている」とか、「正しいことに貢献している」といった、精神的な満足感を入れるかどうかだった。一般的には、これを入れることになるだろうし、人間は自己の目的が大切なのだという立場では、このいわば「価値観」変数の影響が最大でなければならない。先ほどの式に敢えて入れるなら、先ほどの幸福の値に、何らかの絶対値をプラスする形になるのだろう。しかし、これを入れると、数式で計算する面白さが無くなってしまう。また、しょせん計算できるような幸福は、遊びなのだから、単純なものでいいだろう、と考えることにした。

ちなみに、現在の、自分自身の評価は、経済力=6、健康=6、人間関係=8、というくらいの満足度だろうか。何れも改善の余地が、まだまだある。幸福度は約16.97という数字になるが、これが、どれくらい幸せなのか、単独では判断しにくい。もう少し工夫の余地がありそうだ。

皆さんも、お暇なときに考えてみて下さい。
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成功/失敗と投資のヤル気

脳学者のアントニオ・ダマシオを含む数人の"Investment Behavior and the Dark Side of Emotion"という論文を読んでいて、面白いデータを見つけた。

この論文は、「感情」が投資の意志決定にどう影響しているか、脳科学の方面から調べてみたもので、(A)脳の器質的損傷(脳腫瘍や卒中などによる)で感情の反応に関わる障害を持っている患者、(B)健常人、(C)比較対象のための(A)以外の脳に障害のある患者、の三グループに対して、期待値+25%の賭を20回やらせてみたものだ。20ドル配って、一回に1ドル、20回の賭に参加(investと表現されている)するかどうかが問われる。当然のことながら、20回全てに参加すると期待値が高い。結果は、各グループの終了時点での富の平均が、(A)25.70ドル、(B)23.40ドル、(C)20.07ドルだった。感情の影響を受けない患者さんたちは、高い率で賭に参加し続けて富を増やしたのだ。

例の設定の仕方が「歴史的に株式の方が債券よりもリターンが高いのに、債券・預金を好む人が結構多いのはなぜか」→「投資教育で変えてやらねば」、というような、米国の運用業界的な押しつけがましさを感じるが、面白い結果ではある。

さて、私が興味を持ったのは、この最終結果もさることながら、賭の前回の結果(勝ち・負け・不参加)の後に、彼らがどう行動したかだった。論文に載っている表の数字を拾うと以下の通りだ。表の数字は、次の賭に参加した割合だ。

前回    (A)感情障害患者  (B)健常人  (C)感情障害以外の脳障害患者
-------------------------------------
投資せず    74.2%     70.2%  63.4%
投資&負け   85.2%     46.9%  37.1%
投資&勝ち   84.0%     61.4%  75%

この結果で面白いのは、健常人が、投資して勝った次には61.4%次の賭に参加するのに対して、投資して負けた次には46.9%しか参加しなくなることだ。負けた後は、勝った後に対して、「意欲」といっていいのかどうか分からないが、ともかくヤル気が23.6%ほど落ちるのだ。

これは、投資として解釈すると、「順バリの心地よさ」、「前年のリターンがマイナスだとリスク拒否度が上がる」、などと解釈することが出来るかも知れないし、それを利用すると幾らか有利な投資が出来るかも知れない、といった現象につながっているのかも知れない。

ただ、何れにせよ、トライして負けると23.6%ほどヤル気が落ちるという現象は面白い。
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ファンドマネージャーの、自分のファンドへの投資

福井総裁の村上ファンド問題に関連して、利益相反について考えていたら、トーレスさんという方から、ファンドマネジャーが自分のファンドに投資するのは、どうなのか、という質問を頂きました。

先ず、私自身に関する事実から報告しておきますと、まだ二十代の頃、野村投信という会社に勤めていてファンドマネジャーをやっていた時代に、自分の運用するファンドを十万円ほど買ったことがあります。当時は、「少額とはいえ、自分のお金を投資して、ファンドの受益者と共通の利害を持つ、麗しい行為だ!」と思っておりました。若気のいたりでありますが、そんなことがありました。

現時点での、私の意見は、「ファンドマネジャーは他人お金を運用するプロに徹するべきであり、運用に、自分の個人的利害が絡むようなことは避けなければならない」というものです。

たとえば、私が投信のファンドマネジャーだとして、自分の資産の8割を自分が運用する株式ファンドに投資したとしましょう。この場合、たとえば、運用が好調であれば、「相場が悪くなると困るから、少し組み入れ率を落としておきたい」と自分の懐具合との兼ね合いで考えないという保証はありません。投資家の利害と、自分の利害とが対立することはあり得ます。仮に、ここで、自分の資産の8割が3割ならいいのかというと、対外的にそれを証明することは不可能です。やっぱり、自分のお金は混ぜるべきではありません。

ところで、成功報酬付きのヘッジファンドのようなものの場合、「私もリスクを取っていますよ!だから真剣に運用しますよ!!」というデモンストレーションのために、自己資金がファンドに含まれていることを強調するマーケティング手法がありますが、ハッキリ言って、こんな子供だましに感心するような顧客は、ヘッジファンドのいいカモです。

成功報酬付きヘッジファンドは、成功報酬というオプション価値を顧客から半ば只取りする、限りなく金融詐欺に近い、運用者側にとって"美味しい商品"ですが、そこまでやるかどうかはケースバイケースですが、このオプション価値だけを確実に実現しようとすると、自分が負っているファンドのリスクに関して、ファンドの外にポジションを作ってヘッジすればいいのであって、いわば「自分でボラティリティーを拡大することのできるコールオプション」である成功報酬のオプション価値を実現することは難しくありません。

そういえば、かつて英国系の運用会社に勤めていたときに、ロンドンに出張して、私の教育係の英国人(仮にZ氏としておきましょう)と議論したことがあります。Z氏は親切な紳士で、この会社の社員が個人的に買っている株式など(一応、家族分も含めて報告が必要になっいた)の投資リストを見せてくれました。

以下二人の会話です。
Z氏「ウチの社長は、このリストをよく見ていて、自分の投資でも儲けているようなファンドマネジャーこそ、客を儲けさせることが出来るファンドマネジャーだと常々言っている。個人投資にこそ実力が現れるからねえ」
山崎「私のディフィニション(定義)では、他人のカネを運用するのがプロのファンドマネジャーで、一緒に自分のカネを運用しているような奴はアマチュアだと思って軽蔑して(look down)います」
Z氏「なんで?いい株を見つけたら、自分よりも前にファンドで買って、ファンドで売ってから自分の持ち株を売るなら、何の問題もないじゃないの」
山崎「では、たとえば車を買いたいと思って、自分の持ち株を売りたいとすれば、ファンドとしてはまだ持っていた方がいい場合でも、ファンドの株を売ることになるのですか。コンフリクトがない、と思っているのは、鈍感なだけでしょう」
Z氏「なるほど、一つの意見だね」

ファンドマネジャーは、自分のファンドに投資しない方がいいでしょうし、「手張り」(=自分でする投資のこと)はしない法がいいというのが、私の結論です。疑われる余地のない身ぎれいさが必要な職業だと思います(もちろん、日銀総裁も・・)。

そういえば、全くの余談ですが、先のZ氏は親切な人で、私には気づかない重要なアドバイスをくれました。私が出張でロンドンにいた当時、たしか、サッカーのヨーロッパ選手権をやっていたのですが、オフィスでこの話題を出したところ、Z氏は、後でひっそりと、「ミスター・ヤマザキ、フットボールの話はオフィスではしない方がいいよ。我々も関心がないわけではないのだけれども、フットボールは、ロウワー・クラスの娯楽だから、我々のような会社の中で話題にすることは、君にとって得ではない」と教えてくれました。
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福井日銀総裁はどうするべきなのか?

福井日銀総裁が村上ファンドに運用資金1000万円を、村上ファンドのスタート時である、2001年から、預けていたことが判明した。これに対して、違法でもないし日銀の内規にも反していないからいいのではないか、という意見と、あの村上ファンドをバックアップして育ててきた道義的責任を取って日銀総裁を辞するべきであるという意見とが出ている。

まず、彼が、少なくとも日銀総裁になった時点で村上ファンドとの関係を清算しておかなかった点は、完全に自覚が足りない。金融政策に関わる立場で、ファンドになら投資していてもいい、という日銀の内規(ほんとかね?)があるとすれば、これ自体が、日銀が金融政策に関わっているという自覚を欠いている。

今回の件に今後解決しなければならない問題があるとすれば、この点だろう。日銀にも内部管理体制その他の厳しい検査が必要かも知れない。福井氏は「1000万は、私にとってはした金だから、意志決定には影響しない」と言いたいのかも知れないが、では、日銀の幹部が1億円、何らかのファンドに(投資信託でも)投資していたら、どうなのか。10億円ならどうなのか。それは彼の仕事の方向性に影響しないとは言えまい。

今回、「あなたは、自分の投資しているファンドが儲かるように、金融緩和を続けたのですか?」と問われる余地があるということは、彼が、利益相反を問われる立場にあったということだ。この点、福井総裁は情けないくらい自覚が乏しいし、勘が鈍い。あまり利口な人ではないのかも知れない。

処世の常識というレベルまで考えると、将来、日銀総裁のポストまで狙おうかという男は(女も)、有象無象を身辺に近づけるべきではないし、特定企業の広告塔のようなことには関わらない方がいいし、お金の問題はきれいにしておくべきだ。福井氏は、たぶん、世間的には「脇が甘い男」なのだろう。

尚、たとえば、役人はファンドや株に投資すべきでないと言うと、「株式や投資のことを悪者扱いするのはけしからん」と妙な議論をする人もいるが、ここでの大きな問題は利益相反であって、株式や投資のイメージの次元の問題ではない。市場に影響する仕事(ファンドマネジャーも、法律を作る役人も)に関わる人間は、やはり、自分の仕事に関わりのある商品には投資すべきではないと思う。

では、村上ファンド事件の責任を、福井氏が取るべきかというと、それも違うだろう。村上氏の当初の意図に賛同して、運用資金を預けるくらいのことは個人として許されることだろう。福井氏は、少なくとも、インサイダー問題が起こったその最中に村上ファンドに役員を出していたオリックスほどには悪くない。

ただし、ニッポン放送株をめぐる村上ファンドのインサイダー取引(実質的には、自分から仕組んだ、「積極的インサイダー取引」)が露見した以上、少なくとも、これによって得た利益は「不当な利益」である。泥棒に出資して分け前にあずかっていれば、自分で泥棒していないなくても、何らかの責任はある。「その時は、分からなかった」という言い訳はあるとしても、「分かってしまってからどうするの?」という問いは消えない。

この「不当な利益」をどうするか、という点については、福井氏個人の判断が問われる。いわば彼の器量が問われるのである。

たとえば、(1)2004年度分以降にファンドから得た利益の不当利益相当分か、(2)2004年度以降のファンドからの利益の全額(税前・税引き後、二種類あり)か、これを反省を込めて寄付するといった選択はいかがなものか。どのくらいケチなのか、そうでないのかまで晒して、不当利益と縁を切るのだ。個人のお金なので、株主代表訴訟の心配もなく、安心して寄付できるはずだ。

あるいは、先手を打って利益相反の分まで猛省するなら、(3)日銀総裁就任後の利益を全額寄付してもいいし、男らしくやるなら、「このお金は、今度こそ正しい志に使われて欲しい」とでもいって、解約で戻ってくるお金の全てを、地震の被災者とか、アフリカの貧しい子供にでも寄付する手もある。

「個人の行動として、村上ファンドに投資したことは悪くないと今でも思う。しかし、日銀総裁就任から後については、自覚が足りませんでした。まことに申し訳ありません」と素直に謝って、投資したお金を全額寄付すると表明してみる。それでも許されないようだったら、よほど国民的人望がないのだから、本当に身を引くことを考えてもいいのではなかろうか。

尚、野党・民主党は、村上ファンドとの関わりをもって福井総裁の辞任を求めているようだが、そこまで迫るには、総裁就任後にも村上ファンドをバックアップしたというような具体的事実が必要だろう。それ無しに、道義的責任の問うのは、やり過ぎだろうし、方向がずれている。かえって民主党が変に見えるのではないだろうか。責任を問うべきは、たとえば規制改革・民間開放推進会議議長の宮内義彦氏のようなもう少し明白に悪い人の方だろう。

<補足>
実は、14日の午後にあるマスコミ関係者からこの件で取材を受けたが、その時には、利益相反のポイントに気づいていなかった。この点は、投資対象が村上ファンドであることとは関係なく、大きな問題だ。日銀の内規とやらにも問題がある。

「この点に直ぐに気づかず、申し訳ありませんでした!」。この場を借りて謝って置きます。

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村上ファンドとオリックスその他の責任

今週号のJMMに村上世彰氏に対する批判と共に、村上ファンドの出資者の責任について書いたところ、ある雑誌から取材があった。オリックス社の責任、宮内義彦氏の責任について、引用できるコメントが欲しくて、電話を掛けてきたようだ。

オリックス及び同社の宮内義彦氏の責任に関しては、是々非々で考えねばならないと思うが、少なくとも、ニッポン放送株を巡る村上ファンドの手口については、村上ファンドの出資者であり、役員を派遣していたオリックスは、詳しく知りうる立場にあっただろうし、その時に知らなくても、その後に詳しい経緯を知ってどう判断するか、という問題がある。オリックス社が資本提携を解消し、役員を引き上げたのは、村上氏逮捕の少し前だから、もちろん、事件当時には、同社は村上ファンドに深く関与していた。

いくらか判断に迷う点はあるのだが(法律を詳しく知らないので小さな躊躇がある、という程度の迷いだ)、村上ファンドが不当な利益を得ていたとすると、ファンドの運用資金の出資者も責任ゼロではない、と私は考える。直接自分で盗みを働かなくても、泥棒にカネを渡して、盗品から利益を受け取っていれば、責任がないということはない。少なくとも、オリックスや農林中金など、ファンドに資金を預けていた会社は、その応分の不当利益について、どう考え、どう処分するつもりなのか、事実と立場を明らかにすべきだろう。

不当な利益の処置については、たとえば寄付というような考え方もあるだろうし、あるいは、株主から預かっているお金なので、寄付など出来ない、しかし、道義的には申し訳ない、といった言い分もあり得よう。頭ごなしに「君らは悪いから、謝罪し、不当利益を返還せよ」と言いたいわけではない。公企業なら、立場を明らかにせよ、と言いたいだけだ。付け加えて言っておくと、企業の損得の立場だけを理由に口をつぐむ経営者は、「人間」より下等な、「組織人」という動物にすぎない。

なお、お金を預けている主体が、「運用の内容を知らなかった」という言い訳は通用しない筈だ。たとえば、農林中金であれば彼らなりに、投資先の運用内容を把握して資産運用を行っている建前だし、海外の大学の基金や、年金基金なども同様だ。年金基金が、運用内容を把握していないと言うのであれば、これは受託者責任違反である。

今回の件に関して、オリックスの宮内義彦氏が「コメントすべき立場にない」と言って口をつぐんでいるのは全くおかしい。彼こそ、真っ先にコメントしなければならない人物であり、こういう態度の人物が、公職に居るのはいかがなものか。反省を述べて、辞職するのが筋だろうが、自分の倫理観まで緩和してしまったのかも知れない。はっきり言って、身勝手・無責任な、卑しい人物だと思う。

取材の電話を掛けてきた記者は、オリックス及び宮内義彦氏が村上ファンドをいわば別働隊として育てたてきたことや、昭栄のTOBの資金を用意したこと、また、村上ファンドの投資銘柄の中に規制緩和でメリットを受ける銘柄が入っており、宮内→村上ファンドという規制緩和に関するインサイダー情報の流れがあるのではないか、これらも問題ではないか、と訊いてきた。

確かに、オリックスの宮内氏は、規制緩和の旗振り役をやりながら、自らがそのメリットを享受してきたような、危うい位置にいた。ただし、規制緩和自体が悪かったのかと言えば、そういうことではないし、村上ファンドにしても、初期の昭栄や東京スタイルなどへの投資では、他の主体の買いを煽って売り抜けたりしたわけではないから、この時点では悪事の側に落ちてはいないと思う。これらは是々非々で判断すべきだろうし、「村上が関わったものは全て悪い」といった議論にしない方がいいと思う。

また規制緩和関連のインサイダー情報に関しては、是非を判断できるだけの情報を持っていないので、可能性として興味深いが、残念ながら私はコメントは出来ない。ただ、村上ファンドに限らず、ヘッジファンドなども、政府筋の情報を取ろうとすることはあるし、こうした情報を仲介するブローカー的官僚OBが居たり、現実に政府の情報が流れたりすることはあるようだから、この種の情報のインサイダー取引に対しても厳しい目が向けられるのはいいことだ。

尚、ニッポン放送株をめぐる村上ファンドの一連の行動について、自分が先に見つけたいい物を、高く売ろうとすることのどこが悪いのか、という議論もあるが、2004年の秋以降に買っているニッポン放送株の数%は、ファンドが既にニッポン放送株を大量に保有している状態であり、よほど有望だという追加情報があるのでない限り、買えない状況だし、彼らは、ライブドアにだけ肩代わりさせたわけではなく、ライブドアの買い占めに反応した市場に(買った人はあまり賢くないとは思うが)向かっても売り抜けたわけだから、いわば自分でインサイダー情報を作り出して、それを活用した、「積極的インサイダー取引」とでもいうべき悪事を構成していたのだろうと思う。

見方を変えると、株を買い集めた仕手筋が、お調子者をたぶらかして筋書きに乗せて、持ち株を高く売り抜いた、という古典的な悪事だが、市場にあっては全体として悪事であることは確かだろう。

市場に関わっていると(特にマネーゲームで頭が熱くなると)、儲けるためなら何としてでも、と思いがちだが、「市場」というものは、かなり慎重に丁重に扱わなければならないデリケートな公共財だと認識すべきなのだろう。反市場主義者からの、市場で稼ぐ奴は努力をしていないとか、拝金主義だとか、市場には倫理がない、だのといった不当な批判を封じるためにも、「市場」はきれいに保たなければならない。
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「劇場型捜査」について

「村上世彰氏無罪の論点など」のエントリーに、「所長」と名乗る方から頂いたコメントに、今回の検察の捜査は、W杯前のタイミングを意識した、「劇場型捜査」(上手いネーミングです。座布団一枚!)だが、本来彼らは「メディア受け」を意識すべきではない、というご指摘を頂きました。

検察が「メディア受け」する必要はない、とのご意見は、私も、もっともだと思いますし、そう期待します。彼らは公務員なのだから、是非そうあって欲しい、というのが、先ずは建前論として正論でしょう。

しかし、現実問題としては、検察の皆様も出世その他を意識する生身のサラリーマンであり、世間の人でもあるので、「メディア受け」を自分に有利に使いたいと思うインセンティブが存在ます。また、村上世彰サンもそうでしたが、「高級」を自認する公務員の多くは、強い自己アピール欲求の持ち主です。この現実には、どう対処したらいいのでしょうか。

「劇場型行政」が行われることにはやむを得ない面があるとすると、この場合に、次に期待したいのは、メディアが検察をはじめとする行政に利用されないことであり、彼らのチェックです。

しかし、メディアにこうした役割を期待するのは、「木によりて、魚を求む」の類でしょう。メディアの側では、「劇場型」の行政の動きは、いい「ネタ」になるし、視聴率その他の商業主義の論理を優先せざるを得ないので、結局、彼らは「劇場」の演出に協力することになります。むしろ、積極的に協力することが多いと言ってもいいでしょう。

では、どうするか? 結局のところ、劇場の観客側、つまりニュースを見る側が、目立ちたがりどもの「意図を見抜いてバカにする」という、いわば「鑑賞眼」をもち、軽蔑をほどよく表出しなければならないということでしょう。

下手な演技にはすかさず笑う!ということが必要であり、観客のレベルが上がってはじめて、大根役者が鍛えられるのでしょう。結局、「劇場」を観る側の影響(したがって責任)こそが重大だ、ということです。

尚、こうした議論の論調は、ややもすれば(時に私も)「怒る」ということになりがちですが、この場合に適切でかつ強力なのは「笑う」ではないかと思います。もっとも、あまりに不適切な場合には、「笑う」だけでは済みませんが。
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シンドラーの危険

港区のマンションで、高校生がエレベーターに挟まれて、亡くなった事件は、まったく胸が痛む悲しい事件だ。

この事件に関しては、8日夕刻にシンドラー社の日本法人の家宅捜索があり、マスコミ各社は、早速これを報じた。事実を報じること自体は悪くないと思うのだが、エレベーターの事故は、メーカーの責任かも知れないし、保守会社の(たとえば「○○ビルシステム」といった名前)責任かも知れないし、建物の持ち主の責任かも知れない。8日の時点では、責任を特定することは難しいし、シンドラー社が、「事実関係が明確になるまでコメントできない」とした態度は、全く正当だ、と思った。

しかし、シンドラー社に踏み込む検察を麗々しく映すTVの映像を見ると、「シンドラー社は悪い」という印象が刷り込まれる。また、夜のある局のニュースを見ると、会見をしないシンドラー社の広報担当の社員に、「会見ぐらいできるでしょう!」とマスコミのだれかが罵声を浴びせ、社員が「逃げる」ように見える映像を映している。「シンドラー社、謝罪せよ!」というマスコミ側の思いこみを幾らか感じた。

もちろん、TVの速報性は重要だし、ガサ入れの映像からいろいろなことが分かる場合もあるので、ガサ入れの映像を流すことが悪いと言うつもりはないが、そうした報道が持つ危険もある、という認識は重要だろう。

また、上記のメディアの姿勢の問題は別として、ビジネスの教訓の観点で考えると、シンドラー社は、今回、広報戦略に失敗している。もっと先手を打って、状況をコントロールすることを試みるべきだろう(単に、ビジネスの立場からだが)。この種の事件のトラブルシューティングでこそ、広報担当者の真価が問われる。
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「転職長者」はないだろう・・・

少々愚痴になります。

今週号の週刊「東洋経済」は転職を特集していますが、その広告(新聞および電車中刷り)を見ると、「転職12回! 転職長者 山崎元」という文字が目に付きました。「転職の達人」くらいのことは言われたことがあり、「本当に達人なら、もっと、いい会社を見つけて、幸せなはずだよー」と一人でツッコミを入れて、笑っておりましたが、「転職長者」には、目を丸くしました。

私は、現在、必要だと思う程度には稼いでおり、目下、経済的に困ってはいませんが、大いに余裕があるわけでも、通念上お金持ちと言えるような資産を蓄えているわけでもありません。村上世彰氏が言うように「お金を儲けると嫌われる」世の中ですから(ジェラシーの国、ニッポン!)、「長者」という表現は、率直に言ってかなり迷惑です。また、丁寧に取材していただけると分かると思いますが、私は、お金を主目的には転職していません。まあ、しかし、このフレーズを考えた方は、たぶん、「わらしべ長者」的に転々とする様子を、割合好意的に表現してみたつもりなのでしょう。

ちなみに、ここのところますます週刊「ダイヤモンド」に似てきたように思える、"綺麗な強化ガラス"のような質感の「東洋経済」の今週号を見ると、該当記事には「転職長者」という表現はありません。広告だけの表現のようです。

取材を受けた場合、インタビュー原稿や、地の文の引用部分は、確認できることが多いのですが(マスコミの世界では、これは「取材を受けた側の権利」ではありません。取材した側の好意・親切ですから、取材を受ける可能性のある方は、誤解の無いように!)、見出しは、いわば「「治外法権」になります。まして、広告については、取材された側がどうこう言うことは不可能です。しかし、人は、しばしば広告や見出しのイメージで内容を判断します。

まあ、雑誌の広告で、「限界を超えたセクシー・・・」なんて謳っているグラビアで、○○は完全に隠されていたりすることがよくありますから、広告と中身は別物です。

今回は、そうひどく怒っているわけではないのですが、「こんなこともあるのか・・」という感慨を持ったので、記録しておきます。
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村上世彰氏無罪説の論点など

今日、「News GyaO」に雑誌「AERA」の記者で「ヒルズ黙示録」の著者である大鹿靖明記者がゲストとして出演した。ご覧になった方は理解されたと思うが、彼は、検察が村上世彰氏を裁判で有罪にするのは難しいかも知れないというストーリーを紹介してくれた。

議論の大筋は、こうだ。
(1)11月8日時点で、宮内被告から「ライブドアはニッポン放送を買いたいと思っている」という話を村上氏が聞いたのは確かで、彼も調書にサインしたと言っているが、これは、資金の調達も、株を売ってくれる相手の目処もない時点の話であり、この段階でライブドアの方針が決定していたとはとても言えない。
(2)ライブドアがニッポン放送大量取得を決めて村上氏に株の調達について相談したのは翌年の1月28日で、インサイダー情報が発生したのはこの時点であって、これ以後、村上ファンドはニッポン放送の株を買っていない。
従って、裁判で村上氏をインサイダー取引で有罪にするのは難しいのではないか、というものだ。

ちなみに、(2)の論点については、6日に、自宅付近でつかまったテレ朝のインタビューで、熊谷被告が、村上氏は1月28日までインサイダーの認識はなかった筈だし、自分が村上氏であっても、この日の前までは株を買っただろう、と答えているという(GyaOのスタッフの話)。これは、今後の裁判で、検察にとって痛手になるかも知れない。

つまり、考えようによっては、村上会見は、「検察の言うことは事実として認めてあげたけど、これでインサイダー取引の要件が構成できるのかい?」という挑戦である、ということなのかも知れない。

どの時点で、インサイダー情報が村上氏にもたらされたと判断すべきなのか、つまり村上ファンドが法的にシロなのかクロなのか、正直に言って、私の法律知識では分からない。ただ、上記のようなシロの可能性もあるということは頭の中に入れておきたい。これが有罪にならないとすれば、検察としては大きな落ち度となろうが、ライブドア事件も含めて、現時点で、検察が相当の無理をしている可能性がある。このことも、一方で認識しておく方が良さそうだ。

しかし、他方で、実質的にライブドアにニッポン放送の買い占めを持ちかけて、これで持ち株を高く売り抜けた村上ファンドの行為は、市場を尊重したフェアな経済行為の範疇を超えていると思う。話を自分から持ちかけてそそのかしているのだから、実質的には、「たまたま重要な話を聞いて、株取引をしてしまった」という単純なインサイダー取引よりも、もっと悪質だと思うので、法的な有罪・無罪の問題とは別の次元で、市場の倫理として、「村上氏は悪い」と私は判断する。

ただ、これは、私の価値観にあって悪いということなので、私はこの点が「好きでない」というだけのことだから、私の意見としてそう言うことは悪くないと思うが、公共の場で、この点だけをもって、彼を「非難」することは不適切だとも私は思っている。第一義的には、ルールに対する違反があったかどうか、それは有罪なのか、という点から彼の良し悪しを評価するという視点を崩してはいけない。「あいつは嫌いだから、悪い!」では、いけない。

ただ、「村上氏は悪い」という価値観の判断とは別の問題として、一連の検察の行動が、法律をフェアに執行すべき彼らのあり方として、果たして適当だったのか、という問題が同時に存在していることも確かだ。ライブドアの件も含めて、今回の物事の善悪はそう単純ではない、ということのようだ。

自社の株式取引の利益を売り上げに計上したライブドアの決算操作は姑息な錬金術だし、実質的には積極的インサイダーである村上氏も利益のためだけに動く卑怯で嫌な男だし、検察の一連の行動に「国策捜査」的な意識があるとすると、これは検察の分を超えた危険な思い上がりだ。これらの考えが正しいとした場合に、どいつが一番悪くて、危険なのか、の判断は読者にお任せしよう。
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村上世彰氏の記者会見に一点ごまかしあり!

ついに村上世彰氏が逮捕された。メディアの報道振りから、この段階では予想された展開だが、珍しかったのは、逮捕前の罪人(ご本人も「僕が悪かった」と認めている)が記者会見を開いたことだ。

しかも、延々80分に及ぶ演説会であった。「物言う株主」と言われた人でもあるが、よほど、しゃべることが好きなのだろう。多くの企業トップの謝罪会見では、側近が書いた紙を棒読みするだけなのに、メモを見ずに整然と話せる村上氏は、ささすがになかなか聡明だ。

ただ、会見内容には、一点だけ矛盾があったように思う。2004年の11月8日に、ライブドアの堀江・宮内氏その他から同社のニッポン放送参戦の意向を聞いてから、村上ファンドがニッポン放送株を買い増したことが問題だったわけだが、これについて、村上氏は、検事の「村上さんが儲けようという気はなかったとしても」という言葉を借りながら、自分は、この時点で儲けを意図していないという印象を与えようとしていたが、これはおかしい。

なぜなら、村上ファンドはファンドであって、他人のお金を運用しているのだから、儲け以外の目的で、何十億も株を買うようなことがあってはならない。これは彼の職業的義務だ。また、この時点で、既にニッポン放送株を大量に保有しているのだから、「儲かるぞ」と強く確信できたのでなければ、これを買い増しするというのは、運用の判断として明らかにおかしい。この点については、村上氏は正直でなかったと私は思っている。当時に儲けを意図していなければ、罰が軽いと思っているのだろうか。

村上氏がこの取引で不当に稼いだ額は30億円と報じられている。この不当利益をファンドの顧客資産が払うのか、会社が払うのか、村上氏が払うのか、ということにもよるが、村上氏は生活して行くには一生困らない個人資産を形成しているだろう。村上氏は、検察および将来の裁判官の心証を良くしておけば、実刑にならずに済む(執行猶予が付く)だろうから、シンガポールで余裕の生活を送れるだろう、と考えているにちがいない。日本に居場所のなくなりつつあった彼流の「手仕舞い」だし、相続対策としても賢い。堀江被告の場合とはちがって、資産と生活の上では、彼は逃げ切りができそうだ。もっとも、シンガポールで、目立たずにじっとしていることには性格的に耐えられないかも知れないが。

なお、週刊ダイヤモンドその他にも書いたことなので内容は繰り返さないが、村上ファンドは、既に、今までの運用方法には行き詰まっていた。彼が逮捕されなくても、運用方法の転換は予想されたところであった。但し、大半の顧客は法令違反を嫌うから、4000億円といわれる同ファンドの運用資産は、相当の額、解約されることになるだろう。



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現在の私の働き方

ここのところ、転職に関係する取材を受けることが増えている。6月2日の朝日新聞朝刊1面、トップの村上ファンドの記事の左の「分裂ニッポン」というシリーズものの記事に私の名前がある。「ファンドマネジャーなどで転職12回。会社員の新しい『モデル』といわれる山崎さんは・・・」と紹介されており、「給料階層」「ボーナス階層」「株式階層」の所得差に関する拙見が載っている。

ちなみに、この記事の場合、取材した記者は、事前に、「・・・・こんな感じで使おうと思っていますが」と該当部分の表現を口頭で確認してくれた。その際には「新しい成功モデルといわれている山崎さん」という話だったが、「お願いだから『成功モデル』は止めて下さい。第一、そんなことだれが『言っている』のですか。根拠になる事実はないでしょう」と頼んだら、「成功モデル」は許してくれた。もちろん、私としては「成功モデル」には違和感があるのだが、「山崎商店の商売としては」、「成功モデル」と書いて貰って、「新聞が勝手に書いたのだが、私は成功しているのかも知れない」とでもうそぶいている方が得だったかも知れない。

確立した「モデル」だなどとは思っていないが、現在の私の働き方は数年前から試行錯誤をしながら工夫をしているものであり、他の方々のご参考になる面もあるかと思うので、私の働き方の現状を説明してみたい。

現在、私は、まず、楽天証券に契約社員の形で勤めており「楽天証券経済研究所 客員研究員」という肩書きだ。契約が切れると雇用が切れるのだが、目下(といっても一度だが)契約は自動的に延長されている。雇用継続の保証が無いという意味では不安定だが、正社員として働いているのであり、むしろこれが自然な正社員の形ではないかと思っている。ただ、普通の社員と少し違うのは、非常勤であって、出勤時間が自由であり、副業と対外的発言が原則として自由なことだ。楽天証券での仕事は、楽天証券のホームページに原稿を書いたり、セミナーなどで話をしたり、その他機会を捉えて、楽天証券の名前と共に投資か一般に向けて情報発信することなどだ。

会社には、だいたい、週に3日程度出向くことが多いが、滞在時間は3,4時間程度のことが多い。報酬は、こうした働き方に応じて交渉して決めた。「フルタイムで働くとすればこれだけ欲しい」と思う金額よりはかなり少ないのだが、私は満足しているし、正直なところ「働きに対して、貰いすぎかも知れない」とも思っている。交渉事でもあるから、「貰いすぎかも知れない」などと本音を明かさない方がいいのだが、本音が顔に出る方なので、正直に書いておこう。ただし、目下の生活の生活費には、楽天証券から貰うお金だけでは全く足りないので、その他の収入と合わせて暮らしている。

ちなみに「発言の自由」という条件は、文字通りそのように実現して貰っている。たとえば、楽天とTBSとの問題が発生したときにも、社長は「テレビでも、新聞でも、この問題を自由にコメントして構わないから、遠慮せずに」と言ってくれた。こちらの側では、楽天関係のことにコメントする時には、個人の立場のコメントであることをハッキリさせてコメントすることにしているし、たとえば、三木谷氏と話す機会があっても、この問題については聞かないことにしている。もちろん、私も楽天グループの社員だから、この問題について意見を求められれば、自分の考えを言うだろうし、その場合、そこで得た情報については対外的に話せなくなるから、この問題についてコメントしない、という立場に変えるだろう。要は、自分で判断しているということだし、会社側もこれを理解してくれている。前職のUFJ総研でも、前田さんという当時の社長が「今の時代に、研究員の発言を会社が規制するなんてダメだ」という見識をお持ちで、私のことも「放し飼い」(「週刊SPA!」の表現)にしてくれたのだが、ありがたいことだと思っている。

楽天証券のウェイトは、使う時間や経済的・精神的ウェイトで総合的に(大雑把にだが)換算して「3割くらい」である。この他には、友人と、株式会社マイベンチマークという小さな会社を作り、ここで投資教育関係のコンサルティングの仕事をしている。目下、実質的な社員は彼と私の二人なのだが、会社を作って1年少々が経過したところで、初年度からそこそこの黒字が出ており、多くはないが、二人分の給料を払ってなお多少の余裕がある。使っている時間、出勤のペースなどは、楽天証券と似たようなものだ。楽天証券はあの六本木ヒルズにあるが、我がマイベンチマークは神保町に小さなオフィススペース(4,5人向けかな)を借りている。投資教育関係のテキストや問題作り、講演などが目下のコアのビジネスだが、今後、投資顧問会社にしていくかも知れないし、人数も増やして行こうと思っている。全くのフリーとして個人で仕事をするという選択も無くはなかったが、仲間がいる方が楽しいし、継続して働ける場があるといいな、と思って会社の形式にした。

その他に、個人の仕事として、原稿を書いたり、講演(まだあまりやっていない)やテレビの仕事を受けたり、といった、フリー的な仕事をしている。個人で受けるもの、先の会社を経由して受けるものなど、お金の流れは、仕事の受け方によって違ってくるが、実質的に個人でする仕事が、総労働時間の半分くらいはある。

「楽天証券のサラリーマン」、「自分の小さな会社の経営者」、「フリーの個人の仕事」の大きく言って三つのカテゴリーで仕事をしており、それらの収入を合算して暮らしている。収入の合計額は、「クビはつながっているけれども、それほど稼いではいない外資系金融マン」というくらいのレベルであり、多少の上下はあるが、全くそれそのものの外資系金融マンであった時代から10年以上結果的に変わっていない。ただ、原稿書きの仕事をされたことのある方はおわかり頂けると思うが、労働時間はまちがいなく長時間化した。

こうした働き方の形態を選択した理由は大まかに三つある。(1)個人としての自由の確保、(2)リスク分散、(3)60歳以降への準備、である。

まず、これ自体が大きな問題だと思うが、会社に完全に属していると「一個人」としての発言が不自由なことが多い。たとえば、UFJ総研の前、明治生命に在職中に、あるホームページに、年金基金にとっては当時の特別勘定よりも一般勘定を使った方が得だ、といった原稿を書いたことがあったが、これが社内で問題になった。算術的にも明らかに正しく、原稿の内容自体は文句の言いようがないくらい正しかったのだが、当時の生命保険会社の営業方針(年金のお金を、当時の生保にとって負担の大きかった一般勘定から、顧客がリスクを取る特別勘定にシフトさせたい)に反するということで、社内で問題になった。ちなみに、問題になり方が、営業部門の誰かが、当人である私には抗議せずに、私の上司になる運用部門の幹部と、社長と人事部(中途採用の責任を問うたつもりらしい)に抗議する(「告げ口」すると言う方が実感に近いが)という形の、いかにも生命保険会社らしい展開であった。正直に言って、下らない人間のすることだと思ったし、その考えは今も変わらないが、そうした会社に居続けて、自分の意見を世間に伝えようとする私の方にも無理がある。結局、これは、自分自身の立場と働き方を変えるしかない、と思ったのだ。

一個人として定収入を全く捨てて、フリーで働いたり、会社を興したりするのは、潔くていいかも知れないが、生活上はリスクが大きい。仮に、フリーで食えるようになるとしても、そのめどが立つまで、兼業ができると、生活のリスク管理上好都合だ。それに、会社員の立場であれば、健康保険が安いことや、年金の手続きが面倒くさくないこと、会社の仲間がいること、会社を通じて入ってくる情報があること、など、メリットも少なくない。会社と私の利害が一致するのであれば、お互いに無理のない形で兼業しつつ勤めるという形は悪くないと思っている。それに、楽天証券の「ネット証券」という業態は、幸い私の価値観(安くて、親切なのが、いい仕事だ)に合致している。

現状では、先ほどの三分野のどれかがうまく行かなくなっても、何とか目下の生活レベルは維持できるという意味で、一定のリスク分散になっている。私のように、個人の立場で何かを言いたいというような動機が無くても、兼業の形で別の収入源を立ち上げるまでのリスク分散をする、というやり方は、一般のサラリーマンの方々にもご参考になるのではないだろうか。

もちろん、たとえば自分が作った会社に集中して、これを大きくすることができて、大金を稼いでしまえば、このようなリスク分散などしなくとも、十分に安全圏に入るわけだが、そううまく行くとも限らないし、私の場合、金銭欲や事業欲はそれほど強いモチベーションになっていないので、そこまでに至る何年かが苦痛だろう。

将来の働き方への接続、ということも、現在の働き方の選択理由の一つだ。現在の働き方を選択したのは、ほぼ6年前だが(当時41歳)、当時の選択肢として、たとえばまた運用会社のようなところに勤めたとすると、早ければ55歳くらい、遅くとも60歳の段階では、何か別のことをしなければいけなくなる。この準備を早くからしておく方が、その頃になっていきなり何かを始めるよりも、できることの幅が広いのではないかと思ったのだ。それぞれの年齢なりのペースで、自分のやりたい仕事ができるように、と希望しているわけで、ささやかながら、その準備も意識しつつ現在の仕事をしている。

以上、会社員の新しい「モデル」と呼ぶには何とも地味な(加えてなかなか忙しい)働き方だし、まだまだ試行錯誤中で結論が出ているわけではないのだが、自分の嫌いな仕事をせずに、何とか辻褄が合っている、という意味では、悪くないやり方かな、と思っている。
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村上ファンドと六本木ヒルズ型インサイダー取引

村上ファンドが立件に向けて秒読み、と見える。今のところ、報道では、容疑は、ニッポン放送株をめぐるインサイダー取引とされている。NHKのニュースなどでもこのように説明しているから、多分、そうなのだろう。今にして思えば、オリックスが村上ファンドとの縁を急いで切ったのは、オリックス側が(宮内氏が?)捜査に関する情報を何らかの形で持っていたのかも知れない。

容疑の詳細は、よく分からないが、ライブドアがニッポン放送株を大量に買うことを村上ファンドが事前に知っていて、それから、ニッポン放送の株を買い増ししていれば、クロ、ということになる。堀江被告なり、宮内被告、熊谷被告なりが、「村上さんにウチがニッポン放送株を買うことを話したのは○月○日だ」と供述し、証券会社が当局に任意に提出したといわれる村上ファンドの売買記録で、この日以降にニッポン放送株の買いがあれば、一丁上がりだ。

村上ファンドは、金融庁の検査で売買記録を調べられることを嫌って、シンガポールに移ったのかも知れないが、上場株式の取引は、全て証券会社で確認できるから、上場株の取引の不正は、いったん目を付けられると逃げ切れない。

ところで、A「ボクは、○○○社を買おうと思っています」、B「じゃあ俺も乗るよ」的な会話があって、Bが○○○社の株を少々市場で買った、といったやりとりプラス株の売買は、六本木ヒルズでパーティーを繰り返していた経営者連中の間で、他にも例がありそうだ。いわば、「六本木ヒルズ型インサイダー取引」と類型化できるかも知れない。Aが発行株数の5%以上を買うのなら、重要事実を事前に知って株を買った、Bはアウト、ということになる。

AもBも、お互いが黙っていれば、証拠が残らないから大丈夫と思っていただろうし、ある種のおカネ好きは、こういう情報で株を買うことが我慢できない。だが、今回のように、Aに相当する側が逮捕されて、失うものが無くなる(正確には、変質する)と、Bもリスクに晒されることになる。伝え聞くところによると、村上氏は、証拠が残るメールは重要情報の交換には決して使わず、直接話をすることを好んだ、とされているが、相手側の事情があまりに大きく変わると、それでも、十分危ない目に遭うということだ。インサイダー情報の交換に好適と言われていた六本木ヒルズの立地も、かえって危険を増やしていると言えなくもない。

うまい話には思わぬ落とし穴があるということでもあるし、付き合う相手の見極めが(A、B共にだが)重要だということでもある。

それにしても、ライブドアと堀江被告といい、村上ファンドと村上世彰氏(まだ逮捕も起訴もされていないから「氏」付きが妥当だろう)といい、もちろん、本人たちに隙があるのだろうし、無理もするからなのだろうが、急に成り上がって、ある種の突出をすると、捜査の手にかかるように見える。いわば「社会的オフサイド」を宣告されて、ボールならぬ、お金と名誉を取り上げられる(古くはリクルートの江副浩正氏もこれだったかも知れない)。これは、目に見えにくいが、確かにニッポンの「ゲームのルール」の一部のようだ。これはこれで、不気味な社会である。
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