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ウェブは今やほとんど普通の「世間」なのだろう

 中川淳一郎氏の新著「今ウェブは退化中ですが、何か?」(講談社)を読んでみた。本は、この本を担当した(らしい)編集者から頂戴した。
 著者は1973年生まれで、話題になった「ウェブはバカと暇人のもの」(光文社新書)の著者でもあり、現在ニュースサイト編集者にしてPRプランナーだ。サブタイトルには「クリック無間地獄に落ちた人々」、帯には「不自由なり、インターネット」とある。
 本全体の主張はシンプルだ。書き出しには「インターネットは最高に便利なツールだ」とあり、最後の段落では「ネットに期待や夢を描くのはいいが、ほどほどに」と言う。これで論旨はほぼ要約できる。
 著者は、インターネット及びウェブが便利な情報伝達手段であることを全く否定しない。しかし、悪意を含んだ匿名の書き込みをはじめとしてウェブの世界には精神を消耗させる面があり、SNSやTwitterをはじめとするウェブ上の仕組みや新しいツールについても、それが特別に目覚ましい成果を上げるものではないということをページの大半を費やして例示していく。

 全体の筋は以上の通りだが、第三章には「ネットでウケるための方法」を11項目、「良いコメントをもらうための8つの条件」を8項目、「PVを稼ぐためのテクニック」を8項目プラス<注意>5項目、といった箇条書きで具体的にあげている。この部分は、ネットで記事を流し、ページ・ビューを稼ぎ、話題とコメントを貰おうとする著者の本業のノウハウであり、サービス的な寄り道ページだ。一つ一つの項目は割合平凡なのだが、網羅的に並んでいるので、例えばウケるブログを作ってPVを稼ぎたい人には役に立つチェック・リストになっている。
 また、会員登録のあるSNSが安心かというと案外そうでもなくて、企業人の怖がる2ちゃんねるの方が「作法」が出来ていて粋で無難な場合がある、ということなども分かる。
 リストを読んでいて、私のブログには複数の「ウケない」ポイントがあることが分かった。もっとも、当ブログは、PVを上げたいとか、アフィリエイトで稼ぎたいといった目的を持って運営しているわけではないので、管理者がこの本を読んだからといって大きく変化することはないだろう。
 ちなみに私は複数のSNSに登録しているがアクティブな会員ではない。また、Twitterには未だ参加していない。Twitterは一方で面白そうだとも思うのだが、些か時間を食いそうなので、敬遠している。今のところ仕事上も、「早い情報」よりも、「少しのんびり考える」ことの方が価値が高い。

 この本を読んで、最も大きなメリットを得るのは、ウェブで他人に腹を立てている人だろう。たとえば、自分でブログを運営していて、悪意のあるコメントに悩んでいるような人だ。著者の言うところのバカと暇人に対しては、遠慮のない悪口雑言が並んでいる。これを読んでスッキリする人はいるかも知れない。
 ただ、本の著者に直接反論するのは結構面倒であり、本を書く側からも「言いっぱなし」になっている点で、この本には、ネットの匿名のコメント欄で他人の悪口を言うのと変わらない面が少しある。本を読みながら、この点に気付いてしまった。ウェブ世界の馬鹿者たちを叩くにしても、もう少し周到に余裕のあるからかい方をする方がいいのではないかという気もする。
 「責任を伴わぬ匿名人間との言論バトルは、完全なるハンディキャップマッチ」(p52)だ、というのは、確かにその通りだと思うし、仮に、それが将棋で言うと「待ったも助言も有りの通信駒落ち対局」のようなものだとしても、自分が暇で面白ければ参加してみたらいいのではないか、という気もする。そして、そんな条件なら一層、下手で指すよりは、上手の方が面白かろう。著者の言うようにリアルな世界の人生が充実していれば、ネットでけなされたり、威張られたりするくらいのことで動じる必要はない。むしろ、程よい刺激であり、意外性のある手軽な暇つぶしではないのか。

 私は「バカ」が嫌いだ(しかし、自分がバカだと気付かざるを得ない場合がしばしばある)。自分自身はなるべくなら「バカ」にはなりたくないと思うのだが、「暇人」というのは、できることなら胸を張って名乗ってみたい気がする。
 田舎者の拙い美意識で判断するのだが、「私は暇人だ」と言う方が「私は忙しい」と言うよりも、ずっと格好がいいと思う。挨拶で「お忙しいですか?」と言われたときに、本当に忙しい時でも「そうですね」と答えるのは無念だし、まして、カラスでもニワトリでもないのに「ばたばたしています」などと答えるのは人間として恥ずかしい。

 この本の著者はリアルな世界の人間同士のふれあい、特に、お酒を介したコミュニケーションの効用を説いていて、私もこれには大いに同意する。しかし、著者はまだ若いとはいえ、しばしば深酒しているらしいのに「朝6時30分に起きたら食事を作り、仕事としてネットを見まくりはするが」(p249)というような「忙しい」生活で少し疲れておられるのではないか。
 尚、自分が単に「見る」行為を「見まくる」と書くのは、凡そ文章のプロらしくないが、これは、著者が、わざと素人っぽい文章を書いて、読者に隙を見せたのだろう。この本にはこうした「気遣い」が他にも多数ある。

 著者の主張の背景にあるのは「世間にはどうしても分かり合えない人(どうし)がいる」という実感なのだろう。この実感を著者は、大学合格直後の引っ越し屋のバイトで得たらしい。一緒に作業チームを組まされた相手の2人が、「焼き肉」「風俗」「借金」「競馬」「パチンコ」「会社へのグチ」しか話題のない、当時の著者のようなエリート学生(一橋大学)に反感を持った人達で、著者は相当に嫌な思いをしたようだ。借金を除くといずれも結構「いい話題」であるように私は思うが、相手から嫌われたのでは仕方がないか。
 確かに、「世間」には、お互いに虫の好かない相手がいるし、ボキャブラリー・セットがすっかり違っている(従ってこちらの意図が相手に伝わらない)人がいる。機嫌(要はコンディション)が悪ければ、相手もこちらも何らかの「悪意」を持って他人に接することがある。まして、インターネットで情報のやりとりがスムーズになっても、それだけでお互いが賢くなるわけでも、楽しくなるわけでもない。これは、著者が本一冊をかけて言う通りだ。これは、リアルな世界でもウェブの世界でも変わらない。ウェブは普通の世間であり、たぶん、それ以上でも以下でもない。
 ウェブに特別な「衆合知」のようなものがあるわけでもないし、さりとて、電話が普及すると電報が古くなったように、紙の新聞のような媒体がビジネスとして成立しにくくなったり、流通にネットの関わりが増えたりするのは全く当たり前のことだ。

 ところで、この本の最後に向かう部分で、著者は自らの過去のエピソードを紹介しつつ「リアルの力」を訴える(p242以降)。この部分には「『ウェブはバカと暇人のもの』を書くきっかけは焼き肉屋だった」とあった。何と、かつて話題として嫌っていたはずの「焼き肉」ではないか!
 こんな調子で、著者は無防備に思ったことを書いている。つまり、この本は決して偉そうな本ではない。これを読んで「上から目線だ」と思うのは、よほど余裕のない、ひがみっぽい気分の人だけだろう。そういった心境の、人生にくたびれて不機嫌になった人はこの本を読まない方がいいかも知れないが、元気な暇人(←できれば、私もそのようでありたいものだ)は、この本を読むといい暇つぶしになると思う。

 ところで、この本の、「PVを稼ごうとするときの注意点」の中に、「文字量は400字~600字にする」という項目があった(p177)。拙ブログは、エントリーの文章が長すぎるきらいがあるので、この点には影響されてみようかと思ったのだが、今回も全く実行できなかったし、今後実行できるかどうかも不透明だ。
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有馬記念を前に

 かつて、光文社に「競馬の達人」という雑誌があった。しばらく休刊していたが、同社の「flash」の臨時増刊として有馬記念攻略を軸とする号が久しぶりに刊行された。
 私は恥ずかしながら取材を受けて、「競馬は合理的な投資になりうるか」と題した記事が掲載されている(p96~p99)。経済だの投資だのといったテーマであれば、わざわざ告知しようとは思わないが、趣味の分野であり、ちょっと嬉しいのでご報告する。「いつかは競馬の本を書きたいと思っているんですよ」などと上機嫌に話している。
 この記事に有馬記念の予想を載せているのだが、一ヶ月以上前の取材であり、出走馬の想定が変わっているので、修正予想をお伝えしよう。

 記事に載せた予想は以下の通りだ。
◎セイウンワンダー
○アサクサキングス
▲マツリダゴッホ
△スクリーンヒーロー
△オウケンブルースリ
△ブエナビスタ

 残念ながら、6頭中3頭が不出走となってしまった。それだけ、ジャパンカップが過酷なレースだったのかも知れない。

 出馬表をあらためて見るに、上記に挙げていない馬が気になる。
 だが、◎は変えないことにしよう。

 私の理解する有馬記念というレースのイメージ(=重要なファクター)は以下の通りだ。 先ず、①有馬の時点で馬がフレッシュかどうかが重要だ。天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念を全て頑張るのは馬にとって過酷だ。加えて、②冬に調子のいい馬かどうかということも考慮したい。
 そして、③中山競馬場のコースに向いていることも大切だろう。右回りのコーナリングが上手い馬でないと強くても来ない。
 レース展開のイメージは「速くないけれども、上がりは割合かかる」という印象だ。オグリキャップやダイナガリバーのレースが頭にあるのだが、暮れの中山の馬場での2500mなので、高速決着にはなりにくい。④前段から中段につけられて直線で一伸びが利くタイプがいい。加えて、⑤世代のレベル比較が重要だ。
 こんなイメージからいうと、◎セイウンワンダーは、冬に中山でGⅠを勝っているし、距離の融通も利くし(菊花賞3着)、父グランスワンダーで中山は向いている。足を余さないタイプの藤田騎手が乗るのもいい。また、ローテーション的にも菊から直行で余裕があるし、暮れのやや荒れた馬場に向いた馬格の大きさもあり、こと中山に関する限りレースは器用だ。非常に古い例で恐縮だが、リードホーユーのようなイメージだ。あまり人気になっていないこともあり、これを◎(本命)としよう。
 ○(対抗)はドリームジャーニーだろう。常識的にはこれが◎かも知れない。今年の成績は高位で安定しているし、中山は向いている。オールカマーでマツリダゴッホに負けているが、1kg重い59kgを背負ってのものだし、休み明けで、しかも、レースのペースは逃げたマツリダゴッホ(上がり34.1秒)に有利なスローだった。これを59kg背負って33.6秒で差し込んでいるのだから、狙い目は十分だ。秋3走目でいかにも有馬を狙ったローテーションもいい。
 世代の比較は難しいが、厳しいレースだったジャパンカップで逃げたリーチザクラウンが1.0秒差で頑張っていることから見て、3歳が勝負にならないということはないだろう。ドリ・ジャニに気持ちは傾くが、◎はセイウンワンダーで行ってみよう。
 マツリダゴッホは、いかにもこのレースを狙っているが、前走の天皇賞が負けすぎでもあり△(連下)に落とす。
 ▲(単穴)は3歳からフォゲッタブルとする。菊花賞の後ステイヤーズSを挟んだローテーションは使い詰めの観があるが、ステイヤーズSはいかにも楽なレースだった(2000m通過が2分13秒のゆるゆる)。騎手ルメールも込みの評価だが、中山コースに経験有りという点もプラスだろう(ダンスインザダーク産駒は「飽きる」のかもしれないが一般論としてはプラス)。
 一番人気が予想されるブエナビスタは△。この馬はかなり強いが、ダイワスカーレット(私の思うに史上最強牝馬)級ではないと思う。距離は長めが良さそうだし、中山だと前が止まりやすいので、有利とも思えるが、有馬記念は一気の追い込みが決まるイメージが乏しい。
 あとはフォゲッタブルとの比較で大きく落とせないスリーロールスと前に行ける強みがあって有馬のコースならペースが落とせるかも知れないリーチザクラウンが△だ。
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羽毛田宮内庁長官を「少し」応援する

 中国の習近平副主席が異例のスケジュール調整で天皇と会見するに至った問題について、羽毛田宮内庁長官が、鳩山内閣の対応を批判した。これに対して小沢民主党幹事長は、「どうしても批判したいなら、宮内庁長官の職を辞任してから意見を言え」と会見で怒りを露わにした。どちらが、正しいのか。

 この問題は、論点をいくつかの問題に分解して検討する必要がある。
(1)まず、政府が異例のスケジューリングで中国の要人と天皇との会見を要請したことが「天皇の政治利用であり、不適切」なのかどうか。
(2)次に、天皇の会見に関する「一ヶ月前ルール」の効力と正当性。
(3)そして、官僚が政府を批判する意見を述べていいかどうか。

(1)端的に言って、天皇の行為は基本的にすべて国のためであり、どう言い繕っても「政治的」な要素を含むものだ。そして、これが内閣によってコントロールされるべきだという小沢氏の意見は正しい。
 「政治利用だからダメ」ということではなく、どのような政治利用が適切あるいは不適切なのかを論じるべきだ。その意味では、小沢氏は、たとえば、日本にとって中国がいかに大切なのかを主張すればよかった。
 他方、宮内庁長官が「どの国も平等に扱うという建前」を強調するのは、やや越権的であったかもしれない。宮内庁にとっての専門性は主として天皇の健康管理等の問題のはずだ。他国と中国の扱いをどうするかは、政府の外交方針だ。
 天皇の関わる行為については、最終的には政府が決めることになるし、政府が方針を決めたら、宮内庁はこれに従う必要がある。
 ただし、天皇に関わる問題でもあり、宮内庁長官が、今回の中国に対する対応は異例だということを指摘することが「悪い」というべきかどうかは難しい(→論点3)。

(2)「30日ルール」だが、これは小沢氏が言うように法律で決まっているわけではない単なる慣行だ。政府の方針が優先されるべきだという意見に一定の説得力はある。ただし、こうした慣行があることを国民は知るべきだし、今回例外があったことを知ってまずいということはない。
 一方、この慣行の主な理由は天皇陛下の健康問題だから、この背景について宮内庁が注意を喚起することは悪くない。「内密にやるべきだ」という意見もあろうが、国民が天皇に関する事情を知って悪いということはない。
 最終的に内閣が方針を決める問題であることは動かないが、その方針の善し悪しについては、国民にも十分な判断材料がある方がいい。事情を知らなければ、国民は次の選挙で正しい審判を下す材料がない。必要な情報を与えずに選挙をやって、「国民に信認された政治家」のごとくに振る舞うのは、悪質な詐欺だ。
 小沢氏が「国民に知らしむべからず」と言いたいなら、それは不適当だ。

(3)官僚が政府の方針に関して意見を述べていいかどうかという問題は難しいが、官僚が政府の決定に従うべきだという前提を守った上であれば、専門的な見識を持った立場から意見を言うのが悪いということはあるまい。
 今回も羽毛田長官が意見を言わなかったら、国民は、天皇陛下の周りで何が起こっていて、中国の要人がどう扱われているかが分からなかったかも知れない。
 批判的な意見は辞任してから言え、というのは、恐怖政治につながりかねない暴論だ。
 小沢氏も政治家なら、自分の方針を国民に対して堂々と訴えればいい。彼のいうところの「役人」を個人攻撃すべき場合ではない。官僚の発言を封じるために人事的な圧力をかける、というのは、政治家として無能だし、人間として卑怯だろう。

 幾らか古い(昔の日本の会社にあったような)組織人の論理で考えるなら、あるいは、羽毛田宮内庁長官は「今回の会見を認めるなら、私を解任してからにしてくれ」と鳩山首相に食い下がって天皇陛下を守り、求められれば黙って辞任するが筋だということなのかも知れない。しかし、端的に言って、これは古い。より効果があると思えば、メディアを使って主張を訴えるということがあってもいい。
 公務員なら、政府の命令には従う。しかし、同時に意見を言うことがあってもいい。
 会社員でも同様だ。そんな骨のある人物は滅多にいないだろうが、反社会的な行為(たとえば「偽装請負」)を行っている会社の役職員が、自分の仕事は組織人としてこなしながら、他方で、自社の悪行をメディアを通じて批判することがあってもいい。
 会社は(正確には経営者ないしはその取り巻きの茶坊主が)、就業規則で社の批判(あるいは内情の暴露)を禁止して、会社を批判する社員を処分しようとする場合が多いだろう。しかし、この場合に、悪いのが会社の方だとしたら、この種の就業規則を認めることは、「世間」の立場としては得策でない。
 同様に、「政治主導」を旗印に官僚の「意見」まで封じようとする小沢流を認めることも国民としては得策でないように思う。言うのが、政治家だろうが、官僚だろうが、一国民だろうが、意見は意見だ。言わせてみればいい。
 仮に、今回の羽毛田長官のようなケースを処分の対象にすると、官僚は政府を批判できなくなる。現政権では政府は完全に与党に指導されるので(あたかも中国政府と共産党の関係のように)、ただでさえ官僚は与党を批判しにくい。従って、官僚の持っている情報が国民に伝わりにくい。これは、国民にとっての損失が大きいのではないか。

 今回の宮内庁長官の批判は、小沢氏の「痛いところ」を突いたのかも知れない。巷間言われているように、議員多数を引率して中国を訪れた「小沢学校修学旅行」と今回の問題が関連しているのかもしれない。
 そうでなければ、小沢氏があんなに怒った理由が分からない。
 彼が冷静であれば「それは内閣で対処する問題です」とでも言って、別の人間(鳩山首相か平野官房長官)を使って、羽毛田氏に圧力を掛ける方が効果的だった。あの程度の話で本性を露わにすると、権力者としては値打ちが下がる。

 私は、今回の羽毛田氏の発言の内容には賛成しないが、発言したこと自体は断然支持したいし、今回、大権力者である小沢氏をうまくからかったことに関しては面白かったと思う。この程度のことがあってもいいではないか。
 ただし、今後の彼は処遇は、小沢氏の権力構造がどのようなものになりつつあるのかを見極める上で大いに注目したい。
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会議の思い出

 現在の私の半ばフリーの仕事の形態だと、会議というものに出席する機会が少ない。サラリーマン100%で働いていた頃は大小様々な会議があったし、特に運用の仕事をしているときには会議が多かった。他方、商社マン(財務部)の頃は、私がまだ若手(20代前半)で議事に関係ないということもあったと思うが、会議がそれほど多かったという記憶は無い。

 今振り返っても、運用会社の会議の多さは異様だった。会議でもやっていないと仕事の体をなさないからだが、会議中は新しい情報にも接しないし、運用方法の研究も進まないので、運用の仕事そのものにとっては会議の時間は邪魔だった。しかし、サラリーマンとしては、会議の場が仕事の発表の場になるので、大きな会議のリハーサル用のサブ会議が設けられるようなこともあって、連日何らかの会議があるのだった。また、会議がないと寂しい(仕事をしていることにならない)人がいて、社内の会議が無い場合には、証券会社のアナリストを呼んだりして何らかの会議をセッティングするのが常態だった。出ても意味がないと思う会議でも、若手社員の間は「勉強だ」と言われて出ることになるし(本当は勉強の邪魔なのだが)、転職で入社するとしばらくの間はその会社のやり方を尊重する態度を取る必要があるので、これまた出席することになる。そしてベテラン社員になる頃にはすっかり会議慣れしているということなのだろう。
 これは外資系の運用会社でも同様で、かつて勤めたイギリス系の運用会社の本社を出張で訪ねた時も連日会議があって閉口した。「私は日本の運用会社のムダな会議が嫌いで、外資系の会社に転職したのに、これではガッカリだ」と教育係のイギリス人に感想を漏らしたところ「ワハハ。ミスター、ヤマザキ、それは残念だねえ。我々はミーティングが大好きなんだよ。君が慣れるしかないよ」と言われた。もっとも、このイギリス人(骨董屋の息子で「サッカーは下層階級のスポーツなので職場では話題にしない方がいい」と教えてくれるような人だった)も、会議中には手もとの書類の余白に抽象的な模様のような絵を描いて時間を潰しているのだった。
 雑誌のコラムなどで書いたことがあるが、運用会社は「良い運用利回り」(≒現世利益)を直接売ることが出来ずに、「無形の期待」(ex.長期投資の成功≒来世の幸福?)を売らざるを得ない商売なので、ビジネス・モデルとしては宗教に似ている。宗教団体に各種の儀式が必要なように、運用会社にも会議が必要なのだ。

 時間の無駄を給料で我慢するとしても、私の場合困ったことに、カラダ自体が、退屈して、発言せずに、背中が15分間温かくなると眠くなるように設計製造されているようで、特に若い頃は多くの会議で居眠りして怒られた。
 いったん眠ると眠りは深いことが多いし、会議に全然関係ない夢を見ることもあった。オーバー・ヘッド・プロジェクター(昔の場合)やパワーポイント(近年)を使ったプレゼンテーションが入る会議は室内の照明を落とすので特に眠りやすい。悪いことにイビキが出ることがよくあって、放っておく訳にもいかなかったことが多々あったようだ(こちらは熟睡しているので正確な状況が分からない)。
 さて、眠気と時間の無駄の両方に対する対策をどうしたか。
 正統派の対策は、何といっても、つまらない話でも何か自分で発言することだ。すると、カラダが(精神が?)受動的な状態から能動的な状態に切り替わって、その後30分くらいは目が覚める。とはいえ、延々とプレゼンテーションが続く会議の場合には、この手が使えない。
 かつてよく使った手は、将棋を考えることだった。会議のある日は「詰め将棋パラダイス」の1ページをコピーして資料の間にはさむことが多かった。「中学校」(9・11手詰)、「高等学校」(13~17手詰)あたりの問題を数題用意しておくと時間が潰れた。問題を一題ずつ見て記憶して、頭の中で解く。これは、将棋のトレーニングとしてもいいはずで、運用会社に長くいたら、私はもっと将棋が強くなったかも知れない。
 頭の中で将棋を指す、ということも良くやった。角道を開けて、飛車先を突いて、・・・、と頭の中で局面を考えていく。ただ、これは、会議の内容などに気が散ると持ち駒の数などが分からなくなるので、私くらいの棋力(アマ4段くらい)だと幾らかキャパシティーが不足する。それに、自分同士で戦っているので、形勢に差が付くと直ぐに諦めて投了してしまう。詰みまで指すことはあまり多くなかったように記憶している。
 別の対策しては、会議に関係のない「読み物」を持ち込むことがあった。英文の記事や短い論文をコピーして会議に持ち込む。英文にするのは、少ない枚数で長持ちする(←ちょっと情けないが)のと、他人が見ても何を読んでいるか直ぐには分からないからだ。今やるなら、Economist誌のホームページ辺りから面白そうな記事をコピーして持ち込むことになるか。会議や時間待ちの多いサラリーマンは、A4で二、三枚くらいの記事のコピーを常に持ち歩くと便利なことがある。この場合、裏面にメモを書けると便利なことがあるので、両面印刷にはせずに片面に印刷する方がいい。会議中に手元を注目された場合にも、紙を裏返してメモを書けばいい。
 最近だと携帯電話をいじって暇を潰す人が多そうだが、これはいかにも会議に気が向いていない感じに見えるので、いい手とは思えない。会議の進行役は、会議の開始前に「携帯はマナーモードに。また、会議中は携帯電話に触らないでください」と宣言するといいだろう。

 会議の方法については、本が多数出ているが、最近会議が少ないこともあって私はあまり興味を持っていない。敢えてコツをまとめると、(1)会議はできるかぎりやらない、(2)会議の目的を決めて事前に確認し、最小限の時間で結論を得るように努力する、(3)「エライ人」の飛び込み発言や意見になっていない「感想」の発言を許さない、ということだろうかと思うが、サラリーマンの会議の目的は「エライ人」を気持ちよくさせることだったり、皆が平等に時間を潰すことだったりするので、表面上効率的なのがいい会議とも限らない。

 冒頭に書いた通り私の現在の働き方だと会議の出席機会が少ない。楽天証券は非常勤だし、私は政府の審議会にたくさん呼ばれるようなタイプではない。この状況は、フリー的な働き方の大きなメリットの一つだと大筋では思うのだが、たまには会議が懐かしくなることもある。比率でいうと、85%は会議が無くて嬉しいが、15%はちょっと寂しい。張り合いのある会議があれば出てみたい、といった都合のいい事を時々は思う。何とも勝手なものだ。
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