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旨い焼き鳥が食べたい

 拙宅からの徒歩圏内に、飲食店は数多く、その中の一軒に、かつて数年間贔屓にしていた焼鳥屋がある。焼鳥屋としてよくあるように、その店の店名にも「鳥」の文字が入っている。その「鳥●」には、数年前まで素晴らしく上手い焼き手が居た。
 当時の彼は五十代前半くらいだったのだろうか。細面の寡黙な人で、既に串を打って下ごしらえしてあるネタを、大胆に塩を振ってから、さまざまに仰ぎ方を変えつつ団扇を休むことなく動かし続けて、炭火で焼いていた。カウンターが中心の店で、カウンターに約10人、奥にテーブル席があって、最大20名くらいのキャパシティーの店だが、彼が一人で焼いていた。カウンター内に1人助手が居て、カウンターの外に着物姿の女性が2人ウェイトレスの役割を果たすという体制だったが、焼き手の忙しさが突出していた。
 ネタが下ごしらえ済みで、カウンター前の冷蔵ケースに納まっているとはいえ、いつも満員に近いあの店で、一人で焼きを担当する彼は本当に多忙だった。しかし、焼き上がりは、ネタの種類毎に個別に的確で、焼け方にバラツキは全くなく、正確な仕上がりだった。
 ささみは表面だけが硬くならない程度に焼けていて中はひんやりと冷たいレアに保たれていた。殊に見事なのはレバだった。鳥レバが大きめに切られてまとめて串を打たれ、モスラの幼虫のような姿になったその串は、強く塩を振られた表面だけパリッとした歯ごたえがあるが、中は暖かく火が通っていながら、信じられないくらいジューシーだった。このレバがないと寂しいので、私は、入店すると直ぐに、ネタケースの中のレバの串の在庫本数を確認するほどだった。皮や、ぼんじり、手羽先のような油の多いネタは、中まで完全に火が通っていて、口の中には油の香ばしさがぱっと広がり、表面は程良くぱりぱりと焼けていて歯触りが良かった。つくねも、焦がすことなく中まで火が通った熱々のつくねだった。野菜を焼いても、焦がすこともなければ、縮ませることもなく、しかし、青臭さを残さずに焼いてくれた。
 多くの串を塩・タレで両方で出していたが、私も含めて、殆どの客が「塩で」と頼んでいた。特別に珍しいものは何もないが、全てのネタが堂々としていた。
 焼き手は、景気よく塩を振って、あとはひたすら炭火で焼くだけだ。それだけで、全てが旨い。他店と広く較べた訳ではないが、当時の「鳥●」は、焼き鳥ではここがベストだろうと思ったし、鳥料理としての一つの完成形であったと思う。あの焼き手は、つくづく名人なのだと当時は思ったし、それは今でも変わらない。
 当時、私は、ささみのサビ焼き(ささみをレアに焼いてワサビを乗せたもの)から始まって、かしわ、レバ、皮、ししとう、ぼんじり、うずらの卵、ぎんなん、かも、つくね、最後に手羽先といった調子で、単品の串を10本少々食べて、鳥丼又は鳥茶漬けで締める、というような食べ方をしていた。平均よりもやや大食らいの客だが、ビール2杯に、日本酒2合位を飲んで、支払いは1万2千円前後(何人かで食べに行くので、一人当たり)だった。焼鳥屋さんとしては高級店で、簡単な接待にも使われていたし、外国人のお客さん(接待されている人が多かった)も多かった。安い店ではないが、価格を考えた満足度は十分高かった。

 店に最初の変化が訪れたのは10年くらい前だっただろうか。この焼き手が、おそらくは突発性難聴で、耳が不自由になった。片耳に聴力が少し残っていて、補聴器を入れて、相手に大きな声で話して貰うと、言葉が聞こえるらしいし、彼が話すことは出来るのだが、会話が少し不自由になった。
 店では、はじめの頃、大きな声で注文して下さいと言われていたが、その後、注文はカウンター内の助手に通すようになった。私はいつもポストイット(正方形のもの)を持っていたので、連れの分も含めて、これに注文を3種類くらいまとめて書いて、助手ないし、焼き手ご本人に渡していた。帰り際には、「おいしかった」、「どうもありがとう」と口の動きも分かるようにはっきり告げて帰ることにしていたが、その度に嬉しそうに笑ってくれた。こちらは上機嫌だから、握手をして帰ったこともあっただろうか。
 もともと寡黙な人だし、それで私としては何の不自由もなかったのだが、本人は時々いらだたしそうにすることがあった。事情を知らない客とは、時々意思の疎通を欠くことがあったようだ。
 たぶん、耳の調子が悪くなって2年くらい経ったときだったと思うが、この焼き手が店を辞めてしまった。店主らしき女性に訊いても、辞めた事情や、彼のその後は教えてくれなかった。だから、どんな事情で辞めたのか、私は知らない。ある日その店を訪ねたら、焼き手が代わっていたのだ。

 中年の男性2人が新たな焼き手だった。やはり、あの店の焼き手は1人では大変な仕事量だったのかと再確認した思いだったが、問題は、すっかり味が変わってしまったことだった。経営的には上手く行っているように見える店だったし、値段からみても、経験者を雇ったのだろうと思うが、正直に言って、味が著しく落ちた。ネタ・ケースを見る限り、ネタの質や、下ごしらえの内容が変わった感じはしない。少なくとも、大きくは違わないだろう。
 塩を振って、炭で焼くというプロセスも同じだ。しかし、ささみのサビ焼きには表面の香ばしさがないし、焼き終えた串の姿を手で何度もぐずぐずと整えるので、視覚的にも旨そうな感じがしない。最も楽しみだったモスラの幼虫(=レバ)も、下ごしらえの形は同じだが、味は普通の生焼けの鳥レバだ。こうなると、かしわも弾力が乏しく思えるし、ぼんじりなどの脂身はスッキリ焼けていないように感じる。物理的に全てがダメだったわけではないのだろうが、こちらの心理的にはもうすっかりダメだった。
 店の感じや居心地は決して悪くないのだが、それからその店に行く気は全く起きなくなってしまった。
 それにしても、全く同じものを、同じ設備で焼いて、焼き手によってこんなに味が違うものだとは思わなかった。焼き鳥の世界も奥が深い。

 「鳥●」の焼き手が代わって、2年くらい経った時だっただろうか。私が当時勤めていたUFJ総研に一通の葉書が届いた。差出人は、あの上手い焼き手だった。
「私は、鳥●にいた、耳の悪かった者で、辞める前にお礼を言おうと思っていたけれども、その機会がなかった。先日テレビを見ていたら、あなたが映っていて、勤め先が分かったので、一言当時のお礼を言いたくて、この葉書を書いた」というようなことが、あらまし書いてあった。現在どうしているか、ということは何も書いてなかった。
 差出人の住所氏名が書いてあったので、「その後、お元気でしょうか。あなたの焼いた焼き鳥は最高に美味しかった。現在でもこれからでも、焼き鳥をまた焼くことがあったら、是非そのお店に伺いたいので、教えて欲しい」というような返事を出したが、その後、返信はない。
 今にして思うと、「あなたの焼き鳥が食いたい」という一点だけが勝った、いささか思いやりのない手紙だったかも知れない。彼は、体調がすぐれないなど、働くことができない状態だったのかも知れないし、「鳥●」に遠慮して、自分が新たに働いている店の名前は出すまいと思っていたのかも知れなかった。
 その時に、どんな返事を書けば良かったのか、今でも分からないが、焼き鳥が焼き手によってかくも異なる奥の深いものなのかということと共に残念な思い出として記憶に残っている。

 先日、数年振りに、「鳥●」にランチの焼き鳥丼を食べに入ってみた。ランチは昔からやっていたのかどうかは分からないが、値段を考えるとどうということのない焼き鳥丼だった。焼き手が、あの時に見た後任者の2人のどちらかだったのかは、記憶が定かでない。周囲は、飲食店の激戦区なので、他に客はいたが、ランチ時なのにカウンターに所々という客の入りで、店内がくすんで見えたし、手洗いの清掃も不十分だった。店自体は続いているようだが、夜にまた来てみたいとは思わなかった。
 その数ヶ月後、店の近所のバーに、焼鳥屋の女主人が、店で着ているのと同じ着物を着て年配の客とおぼしき男性と一緒に入って来て、かなり酩酊した状態で、あれやこれやと飲み物を注文しているのを見かけた。「鳥●」は、きっと夜の雰囲気も変わったのだろうと思った。

 上手い焼き手が焼いた、香ばしく焼けた焼き鳥がまた食べたい。
 最近、焼鳥屋ではなく、少し変わった鰻を出す鰻屋なのだが、焼きの上手い若い料理人を見つけた。同じものを焼いても、彼が焼くと、ひと味違うようだ。今度、彼の焼いた鳥を食べてみよう。密かに期待している。
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タクシー雑感

「居酒屋タクシー」が、目下話題になっている。私のように、東京暮らしで、且つ自分で車を保たない生活をしていると(しかも深夜・早朝帰宅が多いし)タクシーとの縁は深い。タクシーについて考えていることを幾つか書いてみよう。

(1)「居酒屋タクシー」問題の根本は、霞ヶ関の官僚諸氏が、本当に、あれほどタクシーを使わなければならないのかという点にある。
 彼らが、ビールや金券を受け取らなくなっても、同様の金額を今後もタクシーに使うのだとすると、国民にとって何らメリットがない。
 もちろん、職員の居酒屋タクシー利用に対する調査や処分が十分だったかどうかという問題は別に考えなければならない。また、実質上、各種のサービスがタクシー料金の個別割引に当たる点への考慮も必要だ。ただ、この辺りの問題の調査と処分が十分に行われても、公務員がタクシーから接待を受けるほどタクシーを使うのがいいのかの方が問題だ。

(2)上記にも関連していつも思うことだが、東京圏で地下鉄・JR・バスなどの公共交通を深夜も動かすことは出来ないものか。
 場合によっては深夜料金を設定してもいいだろうし、30分に一本でも電車があれば、たとえば公務員は原則として公共交通機関で通勤することにしておけば、タクシー利用は劇的に減る。東京圏くらいの規模があれば、自動車が公共交通に置き換わることは、環境にとっても、エネルギーの節約にとってもプラスだろう。(3)のような事情を考えるとタクシーの運転手さんには可哀想だが、全体としては、良いことだと思う。
 タクシーでゆったり帰ることが出来ないとなると、霞ヶ関の残業もかなり減るだろう。

(3)深夜に東京都内を走っていて思うのは、明らかにタクシーが余っているということだ。特に、銀座方面から周辺に向かって走ると、周辺から銀座に向かうタクシーが提灯行列のように赤い「空車」のランプを灯して走っているし、乗車規制区域外の地域(たとえばガードを越えて帝国ホテルに向かう辺り)では、客待ちのタクシーが一車線を完全に狭めるくらい停車して並んでいる。
 タクシーが多すぎる。つまり、需給の条件が悪いので、個々のタクシーの採算は厳しいようだ。
 これを過剰な規制緩和がタクシー運転手の生活を脅かしているとして、規制緩和の失敗例として批判する意見と、安いながらも多くのタクシー運転手が働く機会を得たのだし、利用客にとっては車が増えて便利になっているので、規制緩和の成功例だという意見の二通りの主張がある。私は、議論としてなら、概ね後者の意見に賛成するが、タクシーの運転手さんへの同情も感じる。

(4)タクシー代は、企業で処理するときには交通費だ。タクシーの運転手さんは「この頃は企業も不景気なので、交通費を減らしている」としばしば言うのだが、企業の交通費には、面白い点がある。
 交通費、交際費、広告費は「3K」とも呼ばれる代表的な経費だが、企業では、しばしば経費削減の的になる。しかし、これらの「3K」は、建前として、もともと商売を増やすため、あるいは商売の能率を上げるために使うべきものだ。この建前が有効なら、理屈上は、文字通り不況ならその時こそ、これを跳ね返すために積極的に投入すべきではないか。しかし、所詮建前なので、不況になると「3K」は圧迫を受ける。
 企業がタクシー利用に対して渋くなっているというのは、実感として正しい。かなり儲かっている会社の社員でも、タクシー券は持っていないことが多い。やはり、霞ヶ関の官僚さんは突出したいいお客さんなのだ。
 ところで、統計上は、前期まで多くの企業が連続増益で最高益を更新した会社がたくさんあったはずだ。もちろん、政府の発表上も「不況」ではなかった。しかし、この数年、タクシーの中で運転手さんに「不景気なので」と言われると、「なるほど」と簡単に相づちを打ってしまいたくなるような気分があった(私の場合、商売上、ちょっと問題ではあるが)。
 GDP(特に実質の)はさておき、時代の空気はずっと「不景気」のままだったのだろう。

(5)都会暮らしの場合、自家用車を持たずに、こまめにタクシーを使うという生活スタイルは、身軽で且つ経済的だと思う。自動車の代金に、ガソリン代、高速代、保険料、駐車場代金など、自家用車のコストは高い。地方の生活となると、自家用車を持たないと不便な場合が多かろうが、都市生活であれば、タクシー中心の移動が経済的だ。
 自動車を楽しみたいという強い動機があるのでなければ、都会暮らしの場合、自家用車を持つことに合理的理由は乏しい。私は買い物好きで物欲が旺盛な方なので、車に興味を持たなかったことは幸いだった。
 私は現在、地下鉄・JRの駅から8分程度の場所に住んでいるが、昼間は概ね20分以上時間が節約できてその時間が有効に使えると思うときにタクシーを使うことにしている。夜間はお酒を飲んでいることが多いので、電車が動いていてもトラブルに巻き込まれたくないからなるべくタクシーを使う。
 急に台数が増えたこともあり、道が分からない不慣れな運転手さんに当たることもままあるが、タクシーは便利であり、その存在には感謝している。
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世界のナベアツの悲しみと楽しみ

 「3の倍数と、3のつく数字の時だけアホになります」という"世界のナベアツ"のネタが小学生の間で流行って、先生達が困っているという。算数の授業で、3の倍数と3のつく数字が出る度に、子供達が一斉に「アホ」になるので、授業にならないのだという。どの程度本当か知らないが、多少はそのようなことが起こりうるだろうし、これに対処できないようでは、教師のスキルが低いというべきだろう。
 気になるのは、ナベアツが表現する「アホ」の内容だ。ピン芸人ナンバーワンを決める「R1グランプリ」の録画を見てみた。
 ナベアツが演じるアホは、目の玉のひっくり返し気味に視線を泳がせつつ、顔の一方を引きつらせる表情が基本で、さらに、手足をぶらぶらさせて「アホ」を強調することがある。表情と形でシンプルに笑いの刺激を与えつつ、算数との組み合わせた意外性があり、繰り返しのリズムが癖になる、なかなか洒落たネタなのだが、ナベアツによる「アホ」の表現はある種の人にはたまらないだろう。
 ある種の人とは、たとえば、「ナベアツのアホ」を表情に持った障害児を持つ親だ。
 子供本人はどうか。残念ながら、私は、障害を持った子供の心の中まで完全には分からないが、障害を持った子供本人も他人の反応に対して、大いに敏感なことが多い。子供は案外残酷だから、「ナベアツのアホ」が学校で流行っていれば、養護クラスの子供が嫌な思いをする可能性もある。
 私の一番上の息子は脳に障害があって(満19歳。発達遅滞とてんかん的発作がある。実は、彼の脳については、一度詳しく調べたいと思っており、いい病院を探している)養護のクラスに通っていたのだが、彼の周囲には、顔のバランスを対称に保つことが出来ない「ナベアツのアホ」的な表情の持ち主が何人かいた。もちろん、手足を上手くコントロールできない子供もいる。
 子供の障害には幾つかのタイプがあって、親はそれぞれ別のタイプの障害を持つ子供を羨ましいと思ったり、あのタイプでなくて良かったと密かに安堵したりする。傾向として、障害が表情に表れている子供の親は、子供の「顔」(他の子供も含めて)を非常に敏感に気にしている。彼らには、アンバランスな表情を「アホ」の記号とする、ナベアツの芸は、非常に辛いだろうと思う。
 ナベアツは、あの表情と形以外に「アホ」を表現できないのだろうか。たぶん、できないのだろう。少なくとも、簡単な代案は持っていないにちがいない。
 それに、たとえば、「裸の大将」の山下清画伯的な「アホ」の表現は、アホの純粋で良いところの表現にも気を配った丁寧なものだと思うが、ある種の発達遅滞の障害を持つ人物の独特な行動を笑いの対象にしていることは否めない。
 結局、人間の想像力とか表現力というものは、たかだか「アホ」を表現するのにも、現実から例を借りてこなければならないくらいの、ごくごく限られたものなのだろう。私は、ナベアツの3の倍数のネタを見るたびに、このことを痛感して、少し悲しくなる。決して、ナベアツに腹を立てるのではなく、人間一般にガッカリするのだ。
 ただし、たとえば障害児や障害児の親が不快な思いをするから、ナベアツはこのネタを封印すべきだとは思わない。
 言葉や表現を狩っても不毛であり、一人一人が持っている差別意識を忘れさせているに過ぎない。問題は意識自体の方にある。不格好だとする対象を笑いたい意識は心の中にあるのだから、せめて、それを忘れないことだ。表現を封じて、意識を忘れようとすることの方が醜悪な場合がある。程度の問題でもあるし、社会の受け止め方の問題でもあるが、対象(たとえば笑われる対象)それ自体に向けられた侮辱的表現でなければ、つまり、「ナベアツのアホ」くらいのものであれば、それは許容される方が風通しがいいと思う。不愉快な人は彼を見なければいい(でも、辛いだろうなあ)。
 何れにせよ、あの笑いには、一片の毒が含まれていることを、我々も、ナベアツ本人も意識しておく方がいいと思う。
 "世界のナベアツ"は大きなチャンスを掴んだ。せっかくのチャンスなのだから、大いに売れるが良かろう。ただ、次のネタでは、もっと素直に笑える、そして人間の想像力・表現力の大きさを感じさせてくれる「悲しくない」芸を披露して欲しい。彼の進化を、楽しみに待つことにしよう。
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同窓会二次会、三次会

 6月14日の土曜日に、高校の東京地区での同窓会があり、同期が30数人集まる二次会に出席した。私が卒業したのは北海道立札幌南高校だが、私の期は27期になるらしい。同窓会そのものには、正直なところ関心がないのだが、同期の人々は懐かしいし、現在どんな様子かに興味がある。週末は原稿書きが溜まっているのだが、会場として案内された居酒屋が拙宅から徒歩圏であることもあり、我慢せずに出席することにした。
 私は、今年の5月に50歳になった。職業上年齢はあまり関係ないし、年齢をサバ読みたい事情があるわけでもないのだが、新聞の広告などで、「50歳以上のシニア世代に向けた○○」というような記述を見ると、ハッとして、自分の年齢を意識することがある。同年代の様子は、いかがなものか。
 40代の後半くらいから、高校、大学共に、クラス会(主に忘年会)や、同窓会・同期会の案内が増えてきたように思う。高校は札幌の高校だから、東京地区で卒業生が集まることは少ないし、東京大学は霞ヶ関方面はともかく、民間にあっては、卒業生の団結が希薄だ。会社毎に卒業生が集まって「○○会」と名の付く学閥的組織を作ることがない(←これは、東大のいいところだと思っている)。それでも、いろいろな単位で卒業生の集まりがあって、出席者は増えている。一つには、年代的に、仕事の時間が自由になって(暇になっても、偉くなっても、時間の自由度が増す)集まりやすくなってきたのだろうし、色々な意味で同年代はどうしているのか気になる時期になってきたのだろう。
 さて、やや遅れて会場に着き、30数人を見回すと、顔と名前が一致するのは、半分弱というところだ(同クラスの出席者が自分を含めて7人いて、彼らの名前は分かる)。7、8人いる女性は、1人も名前が分からない。30年以上会っていない人が多いわけだから、こんなものだろうか。
 話を聞くうちに、徐々に名前と顔が一致する人数が増える。「ああ、案外変わらないものだな」、「それほど老け込んでいないな」と思う人が多かったが、これは、若かった昔のイメージが重なって見えることと、自分も一緒に老けているのである種の老け方を見慣れていることによるものだろう。
 しかし、実際は、「これなら40代前半で通用する」と思うオヤジを、世間一般の人が見ると、多くの場合、「たぶん、50歳前後でしょう」ということになるのだろう。振り返ると、新入社員の頃、40代、50代の先輩社員は、年齢相応あるいはそれ以上に老けて見えたものだった。いつの時代も、若者の眼は厳しいはずだ(それだから、どう、ということはないのだが)。
 40代から50歳くらいまでは、印象として、女性の経年変化の方が大きいように思うが、50代、60代と進むにつれて、女性の方が誤魔化しが効くようになるのだろう。その後は、さらに女性の生命力の強さが際立つようになる筈だ。
 写真の女性は、巨匠・荒木経惟氏のモデルさん、ということではなく、同クラスのメンバーと一緒に、三次会の新宿のスナックにお連れした、同期の女性だ。この方はきれいだ!思いがけず巨匠と会って、感激した(?)ところを記念撮影した。
 この後、巨匠は、同期会のオヤジ面を数個並べてコンパクトカメラで撮って、「おー、同窓会はいいねえ。こういう集まりはいいよ」、「アタシに撮られたら、どっかの写真集に載ることがあるから、覚悟しといてね。顔の目のところに線入れたりするの、俺嫌いだからサ」と仰って、賑やかに去っていった。
 同期生のカラオケ大会が始まりそうな気配を察して、思いっきり場を盛り上げた上で、場所を空けてくれた。
 その後は、久しぶりに、古い歌を歌い且つ聞いて、大いに楽しんだ。

(注:エントリーの文章を後から数行修正しました。8月2日)
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「株主総会でサブプライムを問う」

 ある法務系の雑誌の巻頭コラムに、「株主総会でサブプライムを問う」と題する文章を書いた。私は法律が専門ではないので、法務系の雑誌からの原稿依頼は珍しいが、日頃と異なる読者に意見を届けることが出来るので、喜んで引き受けた。
 人を介した依頼だったが、依頼のポイントは、(1)「サブプライム問題とはナニナニである」と言い切る原稿を書いて欲しい、(2)サブプライム問題に関連して6月の株主総会で株主が質すべき論点を書いて欲しい、という二点だった。
 上手く書けたかどうかは、自分では何とも言えないが、「サブプライム問題は人災である」と文頭で言い切り、以下、主に金融機関を中心とする日本企業についてサブプライム関連損失があった場合について、(A)適正な運用管理ルールが事前に存在したか否か、また、(B)投資対象に対する実質的な時価評価がきちんとできていたか(単に証券会社から月に一度FAXで時価を受け取るような管理は失格。この状態では、プライシングも判断できずに投資したと考えざるを得ない)の二点は、株主としては、株主総会で追及すべきだろう、という趣旨のことを書いた。
 率直に言って、上場会社では、みずほファイナンシャルグループについては、損失金額の大きさから見て部門のトップの経営責任は免れないのではないかと思っているが、それ以外の金融機関、事業会社などでは、運用の管理がどの程度出来ていたかで、是々非々だろう。運用ルールのようなものが無くて、証券会社に勧められるままに投資して、何十億円(何百億円?)という損を出してしまった場合は、財務担当役員はアウトだろう、というくらいが、大まかな私の「感じ」だ。
 もちろん、私は、これらの会社の株主ではないし、それぞれの会社での責任問題は各社の株主が判断することだ。

 さて、原稿を書き、しばらく時が経ち、ゲラをチェックした後に、紹介者を通じて、タイトルについて「相談」があった。「サブプライム問題を二度起こさないための方法」というようなタイトルに差し替えて欲しいという打診だった。本文はそのままでいいという。しかし、元のタイトルがあまりに刺激的なので、もっと「ぬるい」タイトルにして欲しいと編集者から泣きの連絡が入ったのだという。
 タイトルは文章の重要な一部だし、まして本件では、もともと株主総会で何を問うたらいいのかを書いて欲しいという依頼を受けて原稿を書いた。本来なら、編集者と直接連絡を取り、趣旨の説明を聞いた上で、原稿の取り下げの可能性も含めて判断を下すべき問題だ。仲介者も「編集者から、山崎さんに直接電話を入れさせましょうか」と言ってくれた。
 しかし、推察するに、編集の担当者は雑誌が出来る直前になって、編集長ないしは、会社の上司から「このタイトルは変えて貰え」という指示を受けたのだろう。ゲラの段階では何も言ってこなかったのだから、彼が元のタイトルについて納得していなかったとは思えない。しかし、後になってこんなことを言ってくるという経緯を考えると、上司は何としてもタイトルを変えろと言っているのだろう。編集担当者は板挟みの状況にあると想像できた。
 だとすると、編集者と直接連絡を取っても、こちらは、ほぼ想像できている事態について何故だと問い詰めるか、怒っても意味のない相手に対して怒るか、担当者の上司を呼び出して更に余計な時間を使うか、何れにせよ、担当者の「申し訳ありません」という声を何度も何度も電話で聞いて、結局、徒労感と、自分が怒ったという記憶だけが残るのだろうと、先を予想した。
 仲介者に、「本来なら、直接話してあれこれ言うべき所だが、今回は、どうもその気が起きない。『これで、いいよ』と言って下さい」と伝えた。

 それにしても、株主総会でサブプライム問題の損失に関して責任を問え、という話が、出版社が気にするほど刺激的な意味を持つのだろうか。これは、率直なところ、よく分からない。
 また、上記に恥を晒したわけだが、経緯を考えると、私が筆者として、本来ならきちんとけじめをつけるべき所で無用な「妥協」ないし、「手抜き」をした。さっさと忘れてしまう方がいいのかも知れないが、この点も気になる。こんなことなら、やはり、一度電話で話しておくのだったか。

 多くの会社でこれから株主総会が行われる。「サブプライムの損」を抱えた会社の株主さんは、是非、運用管理のあり方について問い質してみて欲しい。顧客の側の運用管理が改善すると、金融商品・金融市場の双方が少しだが改善するのではないかと期待できる。
 もとはといえば、これが依頼された原稿を書いた意図ではなかったか。やはり、手抜きはいけない。大いに反省することにしよう。
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世界タイトルマッチ2戦

 幸運なことに6月12日の世界タイトルマッチ2戦のチケットが手に入った。WBAのスーパー・フェザー級、エドウィン・バレロ対嶋田雄大、WBCバンタム級の長谷川穂積対クリスチャン・ファシオの2カードだ。席は眼下にアリーナを見下ろす武道館的には1階席だが、感覚的には2階席の最前列だった。私のような素人には、リングサイドよりも試合の全体がよく見えて有り難い。
 目当ては、何と言ってもバレロ選手だった。試合前の時点で23戦全勝全KOの戦績だし、WOWOWで何度か見た試合も強かった。ねらい澄ましたクリーンヒットが当たって相手が倒れるというよりも、普通に当たるとそのうちに相手が傷んで倒れるというような、勝ち方をする怖い選手だ。今、生で試合を見たい選手として、間違いなく世界の上位5人に入る。
 10歳年上で世界初挑戦という嶋田雄大選手の試合は、これまで2度ほど見たことがあって(かなりの格下相手であまり参考にならなかったが)、上手い選手だとは思っていたが、今回は相手が悪い。私はバレロ選手を応援して(帝拳ジムは近所にあるから地元選手の応援でもある)見ていたのだが、同時に、嶋田選手に事故がないかを心配しながら観戦していた。
 バレロ選手はサウスポーだ。左を引いて斜めに立って構えるのだが、右足の先が相手に向いていて、左足はそれに対して90度左向きの独特の構えから、パンチを繰り出す。この構えのせいか、左のパンチが遠くまで届く。日頃は眼鏡をかけていて優しい顔をしているが、試合中の表情は人間というよりも、肉食の哺乳類が獲物を狙う顔だ。パンチは殆どがストレートだが、綺麗に真っ直ぐではなく、振り回すようなストレートで、軌道が何種類かあり、手がよく伸びて遠くに届く。そして、たぶん当てる時の手先の力が並はずれて強いのだろうが、パンチが異様に効く。
 嶋田選手はよく頑張ったと思う。バレロ選手のパンチを避けてから、軽くパンチを合わせて、直ぐに体を沈めてクリンチに行く作戦だったが、3Rくらいまで、バレロ選手の左をよくかわして、試合を作った。確か3Rだったが、右のパンチが当たってバレロ選手の顔が上を向いた。
 しかし、嶋田選手から攻撃できるような展開にはほど遠い。掌を相手側に向けて招き猫風に構えて必死でパンチをかわして、クリンチに行くのが精一杯に見えた。バレロ選手にパンチが当たっているように見えて会場が沸いた時が何度かあったが、そのうちの半分はパンチ自体はかわされていて、嶋田選手の腕がバレロ選手の首に交差しただけだ。バレロ選手はパンチの当て勘だけでなく、逃げ勘もなかなかいい。しかも、過去の試合で、フルラウンド戦えるスタミナがあることも分かっているので、嶋田選手側から見ると、楽しみが殆ど無い。
 5R以降、バレロ選手の攻撃が嶋田選手を捉え始める。徐々にクリンチがふりほどかれるようになった。8Rにパンチをまとめてダウンを奪い、そのままTKO勝ちした。終わってみると、嶋田選手の顔は左半分がつぶれるように歪んでいた。
 翌13日の新聞によると、バレロ選手は、減量苦を理由にライト級への転向を表明したようだ。スーパー・フェザー級にはWBCチャンピオンで今や大スターのマニー・パッキャオが居るので、統一選を見たかったところだが、仕方がない。1階級上で壁に当たるとは思えないので、次に誰とやってもバレロ選手が勝つだろうと予想しておく。
 長谷川選手の試合は、相手のファッシオ選手が不出来だったのかも知れない。1Rの様子見の後、2R目に左のショート・パンチが綺麗に入って、ファッシオ選手が右手を身体の下に折りたたむような奇妙な倒れ方をしたところで殆ど勝負がついた。その後も的確に詰めて(←新聞によると、「詰め」が進歩したらしい)、危なげなくTKO勝ちした。
 長谷川選手は、殆どパンチを食っていない。リングサイドに、奥様とお子さん二人が居て、心配そうに見ていたが、毎回今日のような試合ならいい。この強さ、上手さなら、アメリカでビッグ・マネー・ファイトが出来るのではないだろうか。
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年齢とは何なのだろうか?

 小さいけれども印象に残る事件の記事だった(http://www.asahi.com/national/update/0603/TKY200806030332.html)。容疑者の名前は深谷ハツエ、年齢は69歳で、容疑は結婚詐欺だ。結婚を前提に同棲していた49歳の男性から、100万円を騙し取ったのだという。結婚詐欺は立派な犯罪だし、被害者にとって100万円は小さくなかったのだろうから、犯人を美化する積もりは決してないが、人命に関わる犯罪でもないし、以下、「ハツエさん」と称する。
 ハツエさんは、結婚相談所に登録しており、相談所の仲介で被害者の男性と出会った。彼女は年齢を40代前半(!)と偽り、結納を交わすなど、二人は結婚することを前提に同居していたのだという。しかし、ハツエさんの実際の年齢は69歳で、しかも、既に67歳の夫が居たという。
 ハツエさんと彼女の本当の夫は彼女と被害者男性の同棲期間中も会っていたのか、また、被害者の男性とハツエさんの生活(一ヶ月余りと朝日新聞の記事にはある)はどのようなものだったのか。詳細は分からないが、被害者の男性は、ハツエさんの生活ぶりに不審を覚えて、彼女が通っていた自動車教習所に問い合わせて、彼女が偽名を使っていたことなどが分かり、ハツエさんがお金を返さないことから、被害者は警察に訴え出た。

 記事に従うと、ハツエさんはざっと25歳ほど年齢を偽っていたことになる。もちろん、25歳→0歳が一番難しいのだろうが、どの年齢でも25歳のサバ読みは相当に難しそうだ。
 しかし、相手がハツエさんを40代だと思い、或いは、多少サバ読んでいても50代くらいだとでも思って、彼女と暮らすことに満足していたのなら、彼女が69歳であるという事実はどんな意味を持つのだろうか。年齢はどこまで彼女の不可欠な属性なのか。
 お金のやりとりさえなければ(現実にあったのが残念だが)、またハツエさんに夫が居なければ、これは、普通の恋愛や友情であったのかも知れない。
 ついでに言うなら、化粧や整形による容姿は、どの程度「本人そのもの」なのだろうか。私とほぼ同年代で、顔も胸も整形していることを隠していない女性に会ったことがあるが、少なくとも彼女の表情が彼女そのものであるということについて違和感は感じなかった(残念ながら、胸については確認する機会がなかった)。ただし、骨格や姿勢から受ける印象は、ほぼ年齢並みのものであった。完全な作り替えというのは難しいものだと、彼女の少し丸いきゃしゃな背中を見ながら痛感したことを付け加えておく。
 加工した容姿や偽られた年齢ににこだわる必要はないと一方で思いながらも、われわれが、他人の「本当の年齢」や、整形やカツラなどのない「本当の姿」にこだわるのも事実だ。これは、非本質的で克服すべき、文化的な癖あるいは思考習慣なのだろうか。それとも、「本当」へのこだわりは、本質的な理由に基づく自然な思考であり、無理に克服する必要のない心理現象なのだろうか。
 私は被害者の男性と年齢が近い。できることなら、ハツエさんに会って、ゆっくり話をしてみたいと思った。
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写真家・荒木経惟氏に会った!

 通称アラーキーこと写真家の荒木経惟さんは、私が大好きな写真家だ。現在、特にヨーロッパを中心に評価が高く、オリジナル・プリントばかりでなく、過去の写真集や展覧会の図録などの古本も高騰中だ。今や、「巨匠」と呼んでいいだろう。
 さる6月2日、下北沢のLA CAMERAというギャラリーで「ベルリンの色壁」と題するポラロイド写真の展覧会(6月1日~10日)のオープニング・パーティーがあって、この会場で、巨匠・荒木経惟に会うことが出来た。
 オープニング・パーティーに行くことになったきっかけは、最近よく飲みに行く新宿のスナックが、巨匠が頻繁に訪れる店であることだ。巨匠と私は飲む時間帯が異なるので、この店で顔を合わせることは少ないが、「今、ちょっと前まで、荒木先生がいらっしゃたのですよ」という話を聞くことがしばしばある。ちなみに、この店の壁は、各種のポスターやおびただしい数のポラロイド写真など巨匠の作品で埋まっている。この店の母娘が、「今度、荒木先生が来るパーティーがあるので、よかったら行きましょう」と誘ってくれたのだ。
 「うまくいくと、サインが貰えるから、写真集でもあれば持って来るといい」とのことだったので、手元にあった2001年にイタリアで行われた「センチメンタル・ジャーニー展」の図録と、店のママさんを拝み倒して貰った、ベルリンの展覧会のパンフレット(厚紙で、綺麗な印刷のモノクロ写真が載っている)を持っていった。私は、テレビなどで有名人に会う機会があっても、原則としてサインは貰わないことにしているが、これは仕事ではないし、何といっても荒木経惟さんなので、是非サインが欲しいと思った。
 ポラロイド写真(購入することができる)が数十枚展示された小さなギャラリーに、食べ物(手作りのカレーを持ってきてくれた参加者が居て、これが美味しかった)とお酒が用意されていて、巨匠の知人や、編集者などが30人くらい集まった。ペーソスというグループ(http://www.pathos-oyaji.net/pathos.html)の歌も二曲ほど披露された。ほぼ毎月のペースで同様のパーティーが催されるようだが、いい雰囲気の集まりだ。
 巨匠は親切であった。
 編集者との打ち合わせや、写真のセレクトなどに忙しかったのだが、その合間に、めでたくサインを頂戴することが出来、その上、気さくに記念写真にも応じて下さった。
 パーティーの後は、新宿の件のスナックに行って、看板まで、荒木氏の写真集を眺めていた。幸せな一日だった。
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