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将棋の竜王就位式に行ってきました

 さる1月26日に渡辺竜王の竜王就位式に行って来た。ご存知のように、昨期の竜王戦七番勝負では、羽生名人が挑戦者となって、羽生挑戦者の三連勝に対して、渡辺竜王が四連勝を返す、将棋界としてははじめてのタイトル戦七番勝負における「三連敗四連勝」が起こった。
 将棋のタイトル戦はずっと行われているわけだから、三連敗四連勝はいつかは起こっておかしくない現象だが、最初の三局における羽生名人の強さが素人目には圧倒的に見えたので、なぜあの羽生名人が四連敗したのか、理由を知りたいと結果が出て以来ずっと思っていた。スッキリと説明できる理由があるとは限らないのだが、何か納得できる材料が欲しかった。
 先日、今回の七番勝負を特集したテレビ番組を見たのだが、せっかく敗者の羽生名人に単独インタビューまでしているのに、「どうして渡辺竜王は今回勝つことが出来たのでしょうか」と質問して、羽生名人に「それは私に訊かれても・・。渡辺さんに訊いて下さい」と答えられるようなツマラナイ番組だったので、なおさらだった(プロ野球の監督を呼んで話をさせる演出も、内容を深めるには不適切で奇妙だと感じた)。

 実は、竜王戦の結果が出てから、幸運にも複数のプロ棋士の意見を聞く機会があったのだが、どなたからもスッキリと納得できる理由をお聞きすることは出来なかった。
 思うに、プロ同士の勝ち負けの理由を、現役の棋士にお聞きするのは不適当なのだろう。他のプロの勝ち負けに関する分析を語ることは、自分の将棋観や勝負観にも関わる問題なので、現役棋士にとっては「語りたくない」ことなのではないか。私に何かを語っても、その内容を本人の許諾を得ずに公開はしないから、情報が他の棋士に伝わって不利になるということはないが、自分にとって重要で微妙な問題について自分の言葉で他人に語ると、語ったという事実や自分が語った内容に対して何らかのこだわりが生まれることがある。特に将棋はメンタルな影響の大きいゲームだから、余計なこだわりは持たない方がいい。この辺りの事情は、為替や株式のトレーダーが自分の相場観を他人に語らない方がいいのと少々事情が似ている(完全に同じではないが)気がする。
 そんなわけで、渡辺竜王ご本人の挨拶の中に何か手掛かりはないかと思って、メモ用の小型ノートを携えて(ついでにデジタルカメラを首からぶら下げて)、話を聞くことに集中できるように軽く食事を済ませてから、就位式のパーティーに向かった。

 渡辺竜王の挨拶は、簡潔且つ丁寧で、スピーチとしては素晴らしかったが、勝因が何かについては説明してくれなかった。竜王のスピーチの七番勝負に関する振り返り部分をかいつまんで紹介すると、以下の通りだ。
 第一局は将棋観を覆されるような痛い負け方で、二局目、三局目も含めて、最初の三局で「こうやっておけば勝ちだった」と後からいえる将棋は一つもない。四局目は、勝てるイメージがなかったが、一局くらいいい将棋を指そうと思って指し、苦しい将棋だったが、勝ちをを意識せずに指したら、勝っていた(注:最終盤に羽生名人側から見て打ち歩詰めの局面が出来て渡辺竜王の勝ちになった)。それなりの将棋が指せたことで、五局目、六局目は伸び伸び指せて、七局目に辿り着いた。最終局は、凄い将棋で、何回か負けを覚悟して、せっかくここまで来たのに、などと考えた時間もあったが、一分将棋で手がいいところに行って、勝てた。
 渡辺竜王は、まだ二四歳であり、これから何十年も第一線で戦うわけだから、勝負の内幕を詳しく説明するわけにはいかないのだろう。

 パーティーでは、ご著書「ウェブ進化論」(ちくま新書)で有名な梅田望夫氏と立ち話をする機会があった。梅田氏は、近年、将棋と将棋界に対して非常に熱心で(今や相撲界における横綱審議委員のような存在感だ)、竜王戦では、対局場であるパリに直接行って第一局の観戦記をウェブに書かれている。この就位式でも力の入った長時間のスピーチをされた(お話もロング・テールであった!)。梅田氏は、渡辺竜王とも羽生名人とも親交があり、今回の竜王戦に関しては、お二人の両方から話を聞かれているようだった。
 梅田氏は、次に発売される「将棋世界」誌に竜王戦について八ページの記事をご執筆されたということなので、立ち話の内容はご紹介しないが、氏によると、第一局は竜王ご本人のスピーチにもあったように渡辺竜王にとって大きなショックだったようだが、この時点で、一つの有力な可能性として、三連敗四連勝のゲーム・プランを渡辺竜王はイメージしていたのではないかという。
 何はともあれ、次の「将棋世界」を買わねばならぬ。

 竜王戦七番勝負に関する私の勝敗分析は平凡なもので、渡辺竜王が羽生名人に勝ってもおかしくないくらい強いのだという単純な事実を除くと、羽生名人の累積疲労と渡辺竜王の勝負術が噛み合ったことが今回の大逆転の原因ではないかと思っている。
 申し訳ないことだが、今回は、どうしても「羽生名人の敗因は何か」という視点で考えてしまう。私のような素人が見ても、羽生名人の将棋は頭一つ以上抜けて面白いので、羽生名人絡みの将棋はほぼ常に「次にまた羽生名人の将棋が見られるように」という願いを込めつつ見てきた。この気分で将棋を見ていて、羽生名人の変調を感じたのは、木村八段と戦った竜王戦の挑戦者決定三番勝負の第二局の終盤だった。
 この将棋で、羽生名人は、優勢な終盤で玉の逃げ方を間違えて逆転負けした(ネットの解説を参考に考えると、そのようだ)。羽生名人といえども人の子で、ごくごくたまにはポカがあったが、終盤の勝負所で方針を間違えるというようなことは少なかった。しかし、ここのところ、優勢な将棋をスッキリと勝ちきる技に、昔ほどの切れ味がなくなっているように見える。羽生名人のことだから割り切ってスッキリした勝ちを見つけたのだろうと思って将棋を見ていると、どうも割り切れていなかったらしい、というような展開が時々ある。
 羽生名人も三八歳だ。一つの推測だが、二十代の頃ほど終盤の手が読めない場合があるのではないだろうか。よく話題になる「勝ちを意識した(と見られる)ときの手の震え」は、終盤の「心配」から開放されつつある時に、極度の緊張と集中から安心を伴った確信に移行するときに生じる、ホンの少しの自己コントロールの乱れなのではないだろうか。
 しかし、昨年の名人戦も含めて、ここのところ羽生名人は、敢えて終盤に力を要する勝負スタイルで勝ち抜いて来たように見える。あの一連の戦い方では、さすがに疲労が溜まっていたのではないだろうか。
 渡辺竜王の勝負術の正体はまだ分からない(もちろん素人が完全に理解できるようなものではないだろうが)。だが、敢えて推測すると、相手へのプレッシャーの掛け方が上手いのではないか。
 特に、七番勝負では、四勝目をあげることが最大の安心であるわけだから、四勝目が見える状態での最終盤に相手には最も大きなプレッシャーが掛かるだろう。スピーチの中で、渡辺竜王が七局目を指しながら考えたと仰っていたように、四勝目を上げられなければ、「せっかくここまで来たのに」となる訳だから、四勝目の勝ちを見つける場面では心が揺れるだろうし、五局目、六局目、七局目と後になるほど、精神的な賭け金が膨らんでプレッシャーが掛かる。相手に掛かるプレッシャーを知り、自分の側でプレッシャーの処理の仕方を知っていれば、七番勝負のような勝負の形態を有利に使うことができそうだ。
 それにしても、後手番の第六局で新構想が出てくるという勝負の組み立てには恐れ入るし、そもそもこれまでの五期で破った相手が、森内、木村、佐藤、佐藤、羽生、という文句なく強い顔ぶれなのだから、要は渡辺竜王が強いのだろう。

 ところで、今回は永世竜王の就位式ということもあり、会は大くのファンで賑わっていたが、プロ棋士の姿が意外に少なかったのは、少し気になった。ファンとの交流の機会ということもあるが、それ以上に、何といっても、大スポンサーである読売新聞社のパーティーなのだから、ビジネス常識的には、棋士が多数顔を揃えてスポンサーを盛り立てるべきだろう。近年、新聞社のビジネス状況は苦しさを増している。プロの将棋は今のところスポンサーのバックアップで成り立っている商売なのだから、スポンサーにもっと気を遣わなければならないのではないだろうか。
 余計なことかも知れないが、心配だったので、一言付け加えておく。
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ベーシックインカムをテレビで説明します

 収録は済ませてあるので、正確に言うと「説明しました」です。1月24日(土曜日)にオンエア予定のBS11の田中康夫さん司会の番組、「にっぽんサイコー!」でベーシックインカムについて説明しました。

 先日、TBSラジオの田中康夫さんが司会を務めておられる番組に出演したご縁で(楽天のTBS株大量取得以来はじめてのTBS出演です!)、BS11の番組にもゲスト出演する運びとなりました。
 説明した内容自体は、当ブログでも書いた内容なので、番組をご覧になられても新しい発見はないかも知れませんが、ベーシックインカムにご興味のある読者の中でも、文字よりも話の方が物事の可否が判断しやすいとお感じの方がいらっしゃるかも知れないので、お知らせしておきます。自分のテレビ出演や講演などの広報・勧誘をブログでやるのはあまり好きではないのですが、ベーシックインカムの説明は、テレビでは珍しいかもしれないので、お知らせします。

 私の出演は20分程度で、田中康夫さんと二人のやりとりです。
 前半に、リーマンショック以後の金融危機で、実は、公務員は儲かっている!という話をして(雇用安定&給料不変で物価が下落していることの他に、ヒステリックなケインジアン政策支持の声が高まって「財政出動」の拡大が正当化されつつあり、裁量的な財政支出増加は「(株)公務員」の売り上げの増加に相当するから)、この話を引き継ぎながら、後半に、需要追加の際のお金の使い道を官僚や政治家が決めるよりも、個々の国民が自分の好きな目的に使う方がいいのではないか、という位置づけで、政策としてのベーシックインカムについて説明しました。
 尚、私は、汗をかきかき説明していますが、これは、BS11の打ち合わせ場所(日当たりのいい窓の側)が猛烈に暑かったためで、冷や汗をかいていたわけではありません。

 BS11が視聴できて、お時間のある方で、ベーシックインカムにご興味のある方は、ご覧になってみて下さい。

<追記>番組は24日土曜日の午後10時~10時30分の放送予定です。
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最近の家飲みボトル

 私は家でもお酒を飲むし、特に、モルト・ウィスキーは夜中の原稿書きの友だ。しかし、ここのところウィスキーの買い出しに行っていないので、在庫が減ってしまった。
 現在の家飲みボトルは、何れも蒸留所のオフィシャル・ボトルで写真の3本しかない。しかも、うち2本は、近所のスーパーマーケットに常備されている現行品だ。
 左から順に、ラフロイグのカスクの(樽出しのアルコール濃度の)10年物、ラガヴーリンのダブル・マチュアード1990年、それにポートエレンの3rdリリースだ。順に、5千円、1万円、3万円を僅かずつ切る値段で買ってきた。

 カスクのラフロイグは度数55.7度のもので、これは確か、ウィスキー雑誌で非常に高い評価を得ていたものだ。どこでも買えるモルトとしては、お買い得な一本だ。ストレートで飲んでも十分美味しいが、ラフロイグはソーダ割りに合うので、ソーダで割って飲むことが多い。一杯目のビールの代わりによい。もっとも、ソーダで割るなら、カスクのタイプででなく、もっと安価な普通のものでも美味しいので、そちらで十分だ。
 ラフロイグのカスクのオフィシャル・ボトルは、クレゾール風の刺激臭はそう強くないが、口に含むと煙臭さがひろがる。空いたグラスがすっかり乾いてからでも、鼻を突っ込むと、かなり煙い。ラフロイグは刺激的だが、陽性で健康的な麦の印象が伝わってくる、酒質の「太い」(?)ものが多いように思うが、このボトルはまさにそのタイプだ。度数が高いせいもあって、インパクトが強く、ストレートでは、一度にそうたくさん飲めるお酒ではない(←経済的かも)。

 ラガヴーリン(ある専門家のご教示によると「ラガヴァリン」ではなく、こう読むのが正しいらしい)のダブル・マチュアードは、熟成の途中でシェリー樽に移し替えて仕上げたダブル・マチュアードのシリーズの現行品だ。このシリーズでは、1989年蒸留のものが美味しくて人気がある。実は、近所のスーパーマーケットに1989年物が同じ値段で売っていたのだが、一本だけあったボトルを買って、当然ながらさっさと飲んでしまったら、次に補充されたものは1990年物だった。
 こちらは加水タイプなので度数が低く43度で、シェリー樽の影響で、ラガヴーリンとしては甘口だが、ラガヴーリンらしい刺激臭(正露丸の臭いの気持ちのいいところだけを残したような)と僅かな煙臭さとオイリーな風味が最初にあって、その後からシェリー樽のややタンニンを含んだような渋い甘さが出てくる。飲み干した後に喉の奥から戻ってくる香りにも甘さがある。鋭い香りも残っていて、「シェリーぼけ」した感じにならない点がさすがラガヴーリンだ。
 味に拡がりがあって、フルーティーなニュアンスも僅かに感じた1989年物には及ばないが(←記憶が頼りだから、比較は不正確なのだが)、値段を考えると十分満足だ。
 口当たりがいいので、減りが早い。また買いに行くことになりそうだ。

 ポートエレンの3rdリリースは、昨年11月に原稿書きが溜まっていたときに、コーヒー豆を銀座に買いに行くついでに買ってきた。家でもちょっといいものを飲もうと思い、働く自分に褒美を与えることにした。ポートエレンはもともと好きなお酒だし、その前に、2ndリリースを一本飲んで満足していたので、3rdリリースを買ってみた。
 ポートエレンは、アイラモルトのクレゾール的な刺激と同時に、乾燥フルーツの渋みのような、僅かな甘さと華やかさを感じさせる甘美なモルトだ。何となく女性的なニュアンスを感じるお酒だ(対して、ラガヴーリンはいかにも男性的だ。思い込みかも知れないが)。
 しかし、ポートエレンには、「外れ」も多い。神保町の師匠の言によると、ポートエレン蒸留の最終年の1983年物には特に外れの危険性が大きいという。
 この3rdリリースは、1979年蒸留の24年物で、79年は信用できそうだし、オフィシャル物なので無難だろうと思った。度数も57.3度あって期待できると思った(一般に加水して度数を下げたものよりも、樽出しの度数のものの方が風味が豊かなことが多い)。
 味は悪くはないが、正直に言うと、少し期待値を下回った。口に含んだ際のインパクトは十分にあるし、刺激臭も、甘みも、華やかさも予定通りあるのだが、香りと甘さが幾らか過剰で、たとえて言うなら化粧品臭い。
 外資系の会社の受付によくいるような香水の強い女性がお好きな方にはいいかも知れないが、私は、お酒も女性も化粧品臭いのは苦手だ。

 何はともあれ、在庫が3本では、夜中に一人で「バー・ヤマザキ」をやっても面白くない。近日中に買い出しに行って来ようと思う。取りあえず、アードベッグ、タリスカー、ロングモーン辺りのボトラー物(蒸留所の瓶詰めではなく、ボトラーが樽を買い付けて瓶詰めしたもの)が狙いだ。
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インデックス投資ナイト

 昨日「インデックス投資ナイト」というインデックス投資を勉強・実践するブロガー達によるイベントに行ってきました。台場の舞台とスクリーンが用意されたカフェ的居酒屋(収容120人)が会場で、私は、パネルディスカッションに参加しました。
 有料ということもあって客足は大丈夫なのかと気になりましたが、チケットは前日に売り切れたそうで、出席率も上々で満席(一部立ち見?)でした。

 「インデックス投資家」とはどんな人達かというイメージはまだ完全に掴み切れてはいませんが、年齢層は30代、40代が極端に厚く、かつ、行儀のよい方々の集まりでした。開場の際には列が出来ていたそうですが、席の奥の方から順に詰めて座ってくれて手間が掛からなかったそうです。何れにせよ、株式の個別銘柄を話題にするセミナーに来る人々(たぶん、かぶり付きを含めて、思い思いの場所に着席するでしょう)とはかなりイメージが違う集まりだなあと思いました。

 インデックス投資という、ある意味では地味な話題でどれほど盛り上がるものかと半信半疑でしたが、出席者は、自分の知識を確認したいというモチベーションが強いようで、会場が満席ということもあって、熱気のあるイベントでした。

 私が登壇したのは前半のパネルディスカッションです。一日経っていますが、記憶を辿ると、以下のようなことを話しました。
(1)インデックスそのものが特別いいとは思わないがアクティブ運用の手数料が高すぎるので、安価な分散投資の手段としてインデックス運用に優位性がある。手数料が下がれば、アクティブ運用も楽しむ余地が出てくるし、インデックスそのものも、もっと多様であっていい。
(2)運用自体はアクティブ運用の方が楽なくらいなのだが(売買や事務処理はインデックス投資の方が面倒)、価値があるかどうか疑わしい内容(たとえばアナリストの分析)に対して、アクティブ運用は高い手数料を取っている。アクティブ・ファンドは宗教法人のようなビジネスモデルだ。
(3)バランスファンドには不賛成だ。理由は、コスト(信託報酬)が高いこと、資産配分を他人(専門家)に任せると運用内容が把握できないこと、販売側でも販売員がろくなアドバイスが出来ないのでバランス型が無難だという商品企画段階での「志」が賤しいこと、の三点。
(他のパネラーさん達から、「何もしないよりは、初心者にはいいのではないか」、「このごろはバランスファンドの手数料が下がった」といった指摘がありました。確かに、ここのところ信託報酬が低めのバランスファンドが幾つか出ています。「投資家側で、中身が分かっていて、手数料に納得できるならいいでしょう」というのが一応の妥協点で、会場からの質問にはそのような主旨で答えましたが、現実には三番目の理由が見え透いているので、特に債券の比率が大きいものについて好きにはなれません)
(4)相場的には、今年は、かつての日本の98年、99年のような感じ(不良債権の絶好の買い場だった)であり、株式についてもREITについても投資のチャンスを探せるのではないか。
(5)インデックス運用は規模の利益が強く働く分野であり、また運用会社としては自社のアクティブ運用との競合が悩ましい。日本では、インデックス運用で大きなプレゼンスを持つ運用会社がこれから登場する余地が十分あるのではないか。
(6)ネット証券の競争は厳しい。株式売買の次の収益の柱が十分育っていない。資産運用サービスが十分育てばいいが、前途は不透明。個人的な見解としては、10年後という意味ではトップのSBI以外どこがなくなっていてもおかしくないと思う(ネット証券はシェア・トップが有利な業態だ)。ただし、競争に敗れた会社も単純になくなるというのではなく、顧客は別の会社に引き継がれることになるはずだ。

 プレスも何社か入っていて、「何でも言える」という場ではないのですが、制約の範囲内ですが、なるべくホンネで話してみました(勿体ぶっても仕方がないので)。ただ、時間が短かったこともあり、バランス上私の発言量が多すぎたかも知れません(他のパネラーの皆さん、スミマセン)。
 客席とのやりとりもあり、特に、あるブロガーさんのネット証券三社に関するご指摘は参考になりました(ありがとうございます!)。

 会の後半には投信ブロガーによる「ファンド・オブ・ザ・イヤー2008」の発表がありました。ベストテンを10位から発表していく形式でしたが、信託報酬の安いファンドが評価される傾向が明確でした。
 大賞を受賞したのはSTAM(住信アセットマネジメント)のファンドでした。会場に来ていた同社の橋本マーケティング部長の受賞スピーチが非常に良くて、この日のハイライトでした。
 橋本氏は信託報酬が安いSTAMシリーズの産みの親ですが、資産配分を顧客に選んで欲しかったというシリーズの開発意図には大いに共感できます。住信の場合、年金運用マーケットでの蓄積がある一方で、リテールの投資信託ではこれから割合自由に発展方向を描くことが出来るので、STAMの今後は楽しみです。

 イベントには二次会があり(新橋駅近くの「坐・和民」)、30名以上の方が参加されました。ここでは、多くのインデックス投資家と話をし、名刺交換が出来ました。二次会でも、行儀のいい、気持ちのいい人達でした。

 ただ、投資に関しては、損をしているファンドの売却に躊躇のある方が多いようでした。これは、拙著(「超簡単 お金の運用法」朝日新書)の中でも心配したポイントですが、「あくまでも現状の値段で出来上がりの状態を基準に(ドライに)判断する」という原則の実行には、心理的な抵抗が大きいようです。
 
 名刺交換した方の中には何人かブログ名とハンドルネームの名刺があり、目新しい感じがしました。こうした形で「別人格」を持つのも楽しそうだなあ、と少し羨ましく思いました。
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投資チャンスの年としての2009年

 あけましておめでとうございます。

 リーマン・ショック以来、個人的には時間の足りない日々が続いていたが、11月下旬に「超簡単 お金の運用術」を脱稿してから少し余裕が生じて、忘年会を(例年通り)何度も楽しむことが出来た。
 12月中に収録を済ませ、年が変わってからオン・エアされるテレビやラジオの番組では「2009年の景気はかなりキビシイ」「株価に関しても安値更新の可能性が高い(大雑把な予想レンジでは日経平均で6000円~9000円)」と言っているのだが、2009年は投資のチャンスの年だろうと思っている。

 昨年の相場と世界経済の展開は、1990年代の日本をVTRの早回しで見ているような感じだった。昨年初が1991年くらいの感じで、5月くらいに少し景気が回復し掛かった1995年くらい、しかし9月に一気に1997年(11月に山一が自主廃業を発表した年だ)を経過して、目下1998年から199年という感じだ。
 1998年には、にわか仕立ての奇妙な委員会のお墨付きで「大手行は健全だ」としながらも大手銀行に公的資金を注入したのだが、これが信用されるに至らず、長銀が潰れた。1990年以降、年度ベースで日本は3回のマイナス成長があるが、1998年度が一番悪くマイナス1.5%だった。
 来年の経済見通しは、今のところ、政府が0.0%(実質成長率。名目は0.1%。努力目標という感じだろうか)だが、民間のエコノミストの予想はマイナス1%近辺に集中している。確かに、2009年は、他の先進国が日本並み或いはそれ以上に悪い見通しでもあり、1998年並のマイナス1.5%程度の状況になってもおかしくない。
 だが、ここで、90年代を振り返ると、安くなった資産を買って儲けようという人にとって、最大のチャンスの年は99年だった。典型的には、サービサー(債権回収業者)が金融機関から不良債権をバルクで買って、この担保不動産がその後の収益源になったのだった。
 この99年に相当するタイミングが「今」なのか、「数ヶ月くらい先」なのかはよく分からないのだが、そろそろチャンスへの感度を高めるべき時だろう。

 次のような状況を見ると、チャンスの接近を感じる。
 お名前はあげないが、かつて構造改革を推進し、財政政策など役に立たないと広言していたような偉い経済学者さん達が、ある人は「新自由主義を反省」し(自由主義者にとっては迷惑だ)、別の人は「需要が(主に輸出が)落ち込んでいるので、大型の財政支出が必要だ」(今までの意見の前提と何が違うのだろうか?)と言い出す始末で、なにやら心許ない(ただし、堂々と転向できることはご立派だと申し上げておく)。
 些か非論理的で恐縮だが、この種の頑固者が、たとえば右から左に「転向」する時には、世の中はもうそれ以上左には進まないものなのだ。
 彼らは、たぶん、トヨタが赤字を出すような状況を見て、気が動転してしまったのだろう。

 政策に関する個人的な意見は以下の通りだ。
 物価はデフレ的であり、日銀による金融緩和が十分に効果をあげるに至っていない状況を考えると、信用の供給まで含めて(たとえば日銀によるCPの買い切り)金融を緩和することに反対はない。また、銀行貸し出しの拡大に至るような資金需要を作るために、政府部門が赤字を出して、需要を追加することにも異議はない。しかし、これを、財政支出の拡大を意味する「財政出動」でやるのはいかがなものだろうか。お金の使い途に関して、政府に、急に良いアイデアがあるとも思えないし、財政出動は「大きな政府」への流れを後押ししそうだ。
 需要の追加は、減税や給付金といった、民間が資金の使途を自由に決められる形で行うのがいいのではないだろうか。財政支出の方が乗数効果が高いというのはその通りだろうが、デフレ(≒政府の債務に対する過剰信認)なのだから、十分に効くまで減税しても(或いは給付金を支払っても)いいはずだ。
 また、現状は、均衡利子率(投資採算の取れる利子率)がマイナスという状況なのかも知れないが、資本財の価格が高すぎる時に無理に投資を促すような政策を推進するよりも(お金のいい使い途は急には出てこないから、たとえば過疎地に道路が増える)、資本財の価格が十分に調整されるまでの間は、分配の問題に集中すればいいのではないだろうか(官僚さんはやりたくないだろうが、ベーシック・インカムを始めてもいい)。

 こと景気に関しては、昨年の夏頃に、所得流出が問題になって日本の成長率予想を下方修正せさせた(政府見通しで2.0%→1.3%)輸入資源価格が、その後に急落していることの好影響があるはずだが、これが殆ど話題にならない。これは、世間一般の経済に対する見方が、一方的に悲観に傾いているからだろう。

 回復がどこから始まるかを予想することは難しいが、一つの候補は、アメリカの不動産市況だろう。現在、平均ベースでは、住宅は売り物が多くてしばらく下がる趨勢にあるだろうが、オフィスでも住宅でも「いい物件」については、これだけ金利が下がると、遠からず投資採算に乗ってくるのではないだろうか。
 平均を表す指数がマイナスのうちに、部分的に(地域別などで)プラスの数字が出てくる状況が、遠からず生まれてくるのではないだろうか。プラス・マイナスがまだらに混じるようになったときはチャンスのはずだ。
 日本の不動産は、業界通の知人に聞くと、不動産会社が今の価格で売ると損が確定するので「売れない」状況にあって、まだ十分に価格が下がっていない印象らしいが、市況が崩れる前の状況に関して、今回のバブルは、前回ほどフェアバリューから離れているわけではないだろう。不動産会社の倒産はこれからも出てくるだろうが、価格調整はそう長期化せずに済むのではないだろうか。

 また、時間ということに関しては、アメリカの住宅ローンが、借り手から見て手離れの良いものであることも、不況を短期で終わらせる要素だろう。
 アメリカの住宅ローンは、ローン返済が出来なくなったら、金融機関に担保を渡してしまうと終わりだ。日本の場合のように、担保を処分しても完済できなければ、さらにローンが追いかけてくるというような実物経済にも影響し続かる「しつこさ」がない。
 その分、不動産格の下落が金融機関で損として表れやすいはずだが、これは、金融機関の資本を十分に手当てすればサッパリとリセットが出来るということでもある。
 ホームエクイティ・ローンによる消費の拡大(家の値上がり分を担保にしたローンによる消費)が止まることは短期的に大きなマイナス材料だが、これは物事の性質から見て値下がり最初の1、2年で影響の大きな部分が終わるはずだ。
 個人的に詳しいわけでもない不動産について長々書いているのは、これが「危機」の大本であって、危機が終了する前提条件でもあるからだが、日本の「失われた10年」よりも、今回のアメリカの不動産問題は早くかたが付くのではないかと思うのだ。

 株価に関しては、当面はあまり楽観していない。
 日経平均のフェアバリューは拙著(「超簡単 お金の運用術」朝日新書)に書いた方法で計算すると7,536円だ(リスクプレミアム6%ベース。名目成長率は政府見通しの0.1%を仮定。リスクプレミアム5%だと8,779円)。ここのところの利益の減り方が急で、株価を追い越した感がある。投資家にとって、一度気持ちの悪い局面があってもおかしくないと思っている。
 とはいえ、そもそも株価が底から回復するときは、利益に対して割高な状態から回復が始まって、利益は後からついてくることが多い。
 つまり、私のようなフェアバリューにうるさい人物が、「まだ下値の可能性がある」と言っているときから回復が始まることが多いものだ。
 一般論としては、不動産価格よりも、株価の方が先に上昇し始めるのが自然だろう。ベストのタイミングでは、理屈では買えないものだろうが、小さくても良い「兆し」に対しては敏感でありたい。

 尚、機関投資家の仕事のコンテクストで考えると、多くのヘッジ・ファンドが撤退・縮小を余儀なくされた現状では、これらのヘッジ・ファンドが使っていた最大公約数的なアプローチが有効なはずだ。

 山崎元個人としては目下、証券会社の社員だということもあり、自分の個人資金で個別株に株式投資をする訳にはいかないのだが、何らかの意味で、今年中に、株価ないしは不動産価格が上昇することで(小さくても)メリットを受けるようなポジションを作りたいと思っている。
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