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風刺としてのパリス・ヒルトン

 少し重っくるしい話題が続いたので、いい加減な話をしましょう。
 どこの記事で読んだのか忘れましたが、あの世界環境男、アル・ゴア氏が、アメリカ人は、パリス・ヒルトンのことばかり見ていないで、少しは環境のことを考えてくれ、と言っていたという記事を見た覚えがあります。先日も、飲酒運転で収監されて、刑期を終えて出所する様が大々的に報道されていました。
 6月27日の日本の朝の情報バラエティー番組でも、彼女の出所の模様をトップニュースに持ってきて、オープニングから大々的に流していた局がありました。

 何年か前に、何かの記事で、パリス・ヒルトン嬢の存在を初めて知ったときには、大金持ちの娘が、その立場とお金を使って、有名になろうとしているのだな、というコンテクストで見たわけですが、正直に言って、こんなに有名になりたい人なのに、もう少し容姿に恵まれていれば良かったものを、可哀想に、と思いました。いわゆるブスではないとしても、どう見ても女優で通用するような美人とは思えないし、まあ、アメリカ人の平均的な若い女性の容姿なのではないでしょうか。
 また、これは、現在まで変わらない彼女の一貫した印象ですが、大金持ちのお嬢様の割には、上品な感じというものが一欠片もありません。有り体にいって、少々下品で、どことなく不衛生な感じさえあります。紙媒体の写真集のモデルに喩えるとすると、ビニールに包まれてその種の本の専門書店の片隅にあるか、或いは、自動販売機で売っているか、という「ビニ本」(この頃は見かけませんね)のモデルくらいのイメージです(近年のAV女優とか、雑誌のグラビアモデルは、彼女とは比較にならないくらい整った容姿をしています)。
 しかし、この、どうしても漂う彼女の下品さは、ある種の生々しさにもつながっていて、すっかり「その気」になって有名人として振る舞っていることとのアンバランスな感じと共に、妙に、心に引っ掛かりました。怖いもの見たさ的な感覚といってもいいでしょうか。その後、彼女のメディアでの露出が増えるに従って、かなり「見慣れて」は来ましたが、基本的な印象はそのままです。
 尚、例の出所の映像では、普通に嬉しそうにしていて、それは良かったのですが、髪の分け目のあたりの濃い色が目立ちました。刑務所内では髪が染められなかったので、伸びた部分が黒っぽく目立ったのでしょう。私が見ていた限りでは、情報バラエティー番組のコメンテーターは誰もこの点を指摘しませんでした(仮に、私がコメンテーター席に座っていたら、真っ先にこの点を指摘してしまいそうな気がしますが、視聴者には髪を染めている人もいるわけで、そういうことは、言わない方がいいのかも知れませんね)。

 さて、パリス・ヒルトン嬢を商品として見ると、最初は、たぶんかなりお金を使って、話題を作り、徐々に知名度を上げていったのでしょう。言わば、投資の段階です。
 しかし、世間の関心を集めるようになると、彼女の映像で視聴率が取れるし、彼女の写真やインタビューは高い値で売れるようになり、アメリカのメディアは彼女を無視できなくなりました。
 今回の騒動でも、空中にはヘリコプターが舞い、TVカメラとスチルカメラ(キヤノンが多いようですね)が大量に群がって、彼女を追わざるを得ない状況になりました。メディアも最初は面白半分に彼女について報じていたのかも知れませんが、彼らも商売である以上、注目度の高い彼女を追わざるを得ない訳で、今では、主客がすっかり逆転しています。
 もちろん、アメリカは広くて多様なので、彼女には報道価値なし、と判断する立派なメディアがあるのかも知れませんが、日頃は偉そうにしているアメリカのジャーナリズムも所詮商売でやっている限り、あのような目立ちたがりの小汚い人物に振り回されるのか、と思うと、ある種、痛快であります。
 腕のいい記者やカメラマンで、自分はこんなネタは本当はやりたくないのだ、と思っている人は少なくないでしょうが、今や、彼らに、パリス・ヒルトンを無視する自由はありません。有名なTVキャスター達も、彼女にTVインタビューしたようで、彼女が、自分に都合の良い情報をばら撒くのに利用されているわけですが、これを止めることができません。
 今や、パリス・ヒルトンという存在そのものが、アメリカ社会及びジャーナリズムに対する風刺として機能しているように見えます。
 商品としてのパリス・ヒルトンは、注目を集める(≒メディアが集まる)ことで商品価値を増し、それによってさらに注目を集めて(≒メディアがもっと集まる)、価値を高めるという、ネット・バブルの頃に一世を風靡した「収穫逓増」型のビジネス・モデルになっています。ヒルトン家の収支決算がどうなっているのか分かりませんが、場合によっては儲かっているのかも知れません。
 彼女の跡目のパーティー・クイーンを狙ってパーティーに血道を上げる女性がハリウッドに何人もいるとの報道がありましたが、この収穫逓増ぶりを見ると、当然、同じことを狙う人はいるだろうなあ、と思えます。

 報道によると、出所したパリス・ヒルトン嬢は、「私は、もうバカなふりをするのは止める」と語っています。メディアは、彼女のバカな振る舞いに振り回されていた、という意味になるわけですが、メディアの側には、これに反論するすべもなく、彼女の言葉を伝えるしかありません。

 アメリカでの話であり、馬鹿馬鹿しさの全体像を他人事として客観視できる距離があるので、日本のメディアは、「商売でやっているジャーナリズム」の弱点について、反省を深めるいい機会だと思うのですが、そんな気はなさそうで、ちょっと残念です。

(※ブログで「パリス・ヒルトン」を取り上げると、大半は自動で送られてくるものと思われますが、大量のトラック・バックが送られてきそうで、ちょっと憂鬱です。意見を論じたものは受け付けて公開しますが、画像だけのもの、商業目的のみのもの、ニュース記事のコピー&ペーストだけのものは、削除します)
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保険法改正に望むこと

 ご本人に迷惑が掛かるといけないので、「ある生保関係の」とだけ申し上げておくが、知人の話で、目下、法制審議会で、保険法の改正について審議が行われていることを知った(毎回の討議資料と議事録はネットで見ることが出来ます)。
 生命保険会社は、先般、保険金の不払い問題があり、一応は陳謝して、多くの保険契約を自ら調査して、契約者に対応することを約束した。その後に問題が浮上した社会保険庁の様子があまりに酷かったということもあるが、割合真面目な対応だと思ったのだが、これは、ことによると、保険法の改正という、保険会社にとっての大イベントを前に、波風を避けたい、ということだったのかも知れないと後から思った(邪推であれば、スミマセン!)。審議会には、学識経験者(生保の社員総代などを引き受けている人がいれば、問題だと思うが、まだ調べていない)や消費者代表(本当にそう言えるかは分からないが、一応)、損保関係者も含まれるが、これまでのところ、議事は、概ね事務局と生命保険会社のペースで進んでいるらしい。生命保険会社は、この種の対官公庁・法律対策には伝統的に熱心だ。
 議事録や資料を読み込む時間がないので、大まかな話しかできないが、特に生命保険については、今回の保険法の改正で盛り込んで欲しい点が幾つか思いつく。知人によると、8月中にはパブリック・コメントの募集が始まるらしいので、重要事項が見つかれば、コメントを送ってみるのも一興かも知れない。
 今、筆者が、思いつく限りの、保険法改正への要望事項を幾つか並べてみる。尚、私は、現在、保険会社とは何の利害もないし(社員総代なんて、やっていない、ということ。もっとも、頼まれる筈もないが)、民間の生命保険は、20年近く前に入った、団体保険のガン保険の払いが月々1500円程度あるだけで、生保には過去二社にお世話になった(=勤務した)が、死亡保険や医療保険を始めとして、民間の生命保険会社の保険はこれ以外に何も契約していないし、これから契約する予定も一切ない。

(1)保険料の計算根拠の明示(付加保険料の投信並み開示)

 保険に対する最大の要望はこれだ。「命のデリバティブ」とも言うべき生命保険のプライシングは非常に複雑であり、契約の損得勘定が難しいし、異なる会社間の商品比較も難しい。せめて、支払った保険料のうち、どれだけが保障や貯蓄に使われているのかを知るために、それ以外に使われるもの(付加保険料)の率(或いは額)と内訳(営業費見合いで、幾ら、等)を知りたい。また、営業費見合いの付加保険料は、契約の最初の2年間程度で集中的に徴収されるが、これは、乗り換え営業を誘発する原因にもなっており、契約者としても、いつ解約するか、また契約してもいいのか、ということの判断に必要な情報だから、付加保険料は内訳の開示も必要だ。
 たとえば、もっと単純な商品である投資信託では、販売手数料、信託報酬、さらには信託報酬の内訳(販売会社に幾ら、運用会社に幾ら、等)も明らかにされているし、ファンドの中で運用の際に支払った手数料や、監査の費用等も、受益者にディスクローズされている。
 内容が複雑で、しかも、金額も大きく、契約期間も長い、生命保険の場合(日本人の場合、家の次に大きな買い物らしい)、消費者保護の観点からも、付加保険料の開示は必須だと思うが、残念なことに、とても実現しそうにない情勢らしい。
 かつて生保関係者から聞いた話を順不同に組み合わせると、(A)「先に、経費を取ってしまうという今の仕組みは、先輩達が、実に都合良く作ってくれた、旨みのある仕組みだ」という本音と思える声があったし、これを開示すべきでは、という意見に対しては、(B)「トヨタの車だって、原価を明示して売っていないやろ。商売なんやから、(開示しないのが)当然や」という声もあれば、(C)「保険が不利に見えるような情報をいたずらに開示すると、保険契約が減って、本来だったら救われていたはずの契約者が救われなくなる」という意見も聞いたことがある。
 (C)は非営利・相互扶助の観点を感じさせるのに対して、(B)は、保険会社の内勤社員にとって、保険が「商売」であるとの現実に立脚している。特に、相互会社形式の生命保険会社の場合、生命保険が公共的な性格を帯びた相互扶助であるということと、保険会社が現実には「商売」であることとが、都合良く使い分けられているような気がする。
 もっとも、私が付加保険料を問題にするのは、生保の経営哲学の問題からではなく、一重に、顧客に判断上必要な情報を与えるべきだという、消費者保護の観点からだ。手数料の高い商品、あるいは窓口でも、投資信託が売れているように、手数料を明示したからといって、生命保険が売れなくなるものではないだろうし、そもそも、日本人は生命保険に過剰加入の傾向があるから(世界人口の2%で、生命保険料の25%を支払っている、と聞いたことがある)、手数料について「投信並み」に開示することは、是非とも必要なことだと思う。それに、契約者のために、もう少し直接的に価格競争してくれてもいいのではないか。
 また、保険商品を設計する際に使った「予定利率」と「生命表」(あるいは死亡確率に関するデータ)も、きちんと開示・説明した上で、保険契約を締結すべきだと思う。

(2)解約返戻金で「含み」を返す方法を定めて欲しい

 保険契約から生じる保険会社の利益のうち、利差益、死差益は、基本的には、契約者のものだろう(特に、相互会社の場合、契約者は、社員であり同時に株主的存在でもある)。運用で生じた含み益は、一定の運用リスクのための準備金的なバッファーを持っても良いとは思うが、もともと、保険商品は、これで成立すると確信できる余裕をもって設計すべきものであって、「一定のバッファー」はそれほど大きな物でなくて良い筈だし、それこそ「一定」の歯止めが必要だろう。
 区分経理がしっかりできているなら、解約の際には、解約返戻金の支払い時に、契約者の契約期間に応じて、相応の「含み」を返還すべきではなかろうか。契約者配当で、取りすぎた保険料をチビリと返すだけでは不十分だ。

(3)セールス時に解約返戻金のテーブルを提示して欲しい

 先の営業費見合いの付加保険料を前倒しで取る仕組みの関係もあって、生命保険の解約返戻金は、なかなか見当が付かないし、「それにしても、少ない」という声をよく聞く。
 解約返戻金の多寡については、商品設計上の努力を期待したいところだが、決まっているものは仕方がない。しかし、たとえば、「・・・、6カ月で解約すれば幾ら、7カ月で解約すれば幾ら、・・・」といった情報は、契約する前にあらかじめ知っておきたい情報だ。
 将来変化する可能性がある、というなら、その可能性の具体的な説明も必要だろうし、この点を伏せたままの保険販売は、後味が良くない。

(4)保険金支払いの遅延行為の責任を明確化して欲しい

 先般、保険金の不払い問題で明らかになったような、入院特約の請求があった場合に、通院費用の特約も請求が出来ると説明しなかった場合の生命保険会社の責任を明確化して欲しい。保険契約者は、基本的に情報弱者なので、保険会社側に、ある程度の義務を課すべきだと思う。
 保険金を請求する時に、保険会社の担当者(又は募集に従事する者)によって、(1)間違った説明がなされたり、(2)保険金の請求書が渡されなかったり、(3)何らかの「保険金の請求を延期させる話法」などが介在して、保険金の請求が断念・延期され、その後、消費者相談や苦情処理などを経て、最終的には「保険金を支払うべきだった」と判断された場合、などに、保険会社の責任を明確にする規定を作らないと、「請求主義」を基調とする、曖昧さの残る行政指導の下では、保険金の速やかな支払いが、場当たり的な努力目標にしかならない可能性があるのではないか。
 どのように規定したらいいのかは、私の手には余るが、「保険金支払いの遅延行為」を保険法できっちり規定して、保険会社の責任を明確化して欲しい。

(5)子供や知的障害者などの死亡保険契約の制限をして欲しい

 たとえば、小さな子供に保険を掛けて、事故に見せかけて、殺す、といった、凄惨な事件がある。この世知辛い世の中では、子供や、知的障害者などの、判断能力のない弱者に対する一定額以上の死亡保険契約を認めることは、いかにも危険で、また、必然性が乏しい。せいぜい葬式代くらい(200万-300万?)が子供(小学6年生以下)に賭けられる死亡保険の上限だと思うが、どうだろうか。
 この規制の反対派には、「現実にニーズがある」から(どんな、ニーズだ?)という恐ろしい声もあるようだし、「子供にお金をかけて、松坂投手や、荒川静香選手のような選手に育てようとしている親もいるし」という屁理屈と思えるような理由も聞くのだが、「子供が死んだら、大金が入る」という状況の親子は、もう、これ以上作らないで欲しい。
 
(6)保険金の部分支払いが可能な規定を作って欲しい
 
 たとえば、告知義務に違反があった場合、保険金が全然下りないというのは、酷な場合があると思う。オール・オア・ナッシングではなく、過失の程度に応じて、たとえば、8割払うとか、5割払う、といった選択が、可能であるべきではないだろうか。もちろん、裁判所なり第三者機関(生保の息のかかっていない中立な機関である必要はあるが)が介在してもいいと思うが、どんなものか。



 保険というものは、リスクをヘッジする仕組みであり、本来、私のような、大した資産がない割に、家族への責任は大きい、かつ臆病で悲観的な人間の場合、積極的に利用を考えるべきものだろう。しかし、現行の日本の生命保険会社の商品は、付加保険料が大きすぎて(商品にもよるが、払った保険料の6割くらいしか保障や貯蓄に使われていないものがざらにある、と言われている)、あまりに割が悪いので、これを使わない工夫が大事だと思うし、事実、多少の経済的余裕があれば(貯金で言えば数百万円レベル。国民年金には遺族年金もあれば、健保には高額医療費制度もある)、無しで済ますことができるものだ、というのが、基本的な考え方だ。
 ただし、たとえば、付加保険料が10%程度の死亡保障の保険が出来れば(ネット証券ならぬ「ネット生命」の登場と新商品に期待している)、自分でも積極的に利用を考えるし、他人にも勧めるかも知れない。保険そのものが悪いのではなくて、現在の保険商品が余りに悪いのだ、というが私の基本観だ。

 何はともあれ、保険法の改正には注目しよう!
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逃げた(?)投信協会長(週刊ダイヤモンド「金融商品の罠」)

 現在発売中の「週刊ダイヤモンド」(6月16日号)は、「金融商品の罠」が特集タイトルだ。先般出した、「『投信』の罠」が好評だったことを受けて、さらにパワーアップを目指した、金融商品の特集号である。
 私は、残念ながら「『投信』の罠」には、何も書いていないが、今回は、「商品開発の手練手管 人間心理のツボを巧みに突いた ずる賢い商品の跋扈に警戒!」というタイトルの3ページほどの原稿と「山崎元氏が問う! 日本の投信業界はなぜダメか はびこる三つの大問題」という1ページの文章を書いている。
 ご興味のある方は、是非、雑誌を読んでいただきたいが、前者は、たとえば毎月分配型ファンドのように、投資家にとって経済合理的には明らかに損な商品が、なぜよく売れるかを、主に行動ファイナンスで説明したもので、後者は、投資信託協会長である樋口三千人・大和証券投資信託委託社長に宛てた手紙の文章だ。

 ここでは、後者に関わる経緯に関して、補足説明しておこう。
 週刊ダイヤモンド編集部の方針では、はじめは、樋口氏と私の対談を載せる予定だった。私からの提案でもあったのだが、投信の商品や業界を、一方的に批判するだけではなく、商品を提供する側からも意見を聞く方がいいだろう、という意図だ。対談の相手として考えたのは樋口氏だけではなかったが、5月2日の時点で、これから交渉してみるというメールが担当編集者からあり、その後、5月10日時点では、交渉が不調であることの報告と共に「一度、振られた大和投信・樋口社長(投信協会会長)にターゲットを絞って、再度、正攻法で攻めています。」という連絡があった。
 しかし、5月16日の時点では、「樋口氏ですが、最終的に逃げられました。『文書で回答なら・・』だそうです。」という連絡があった。この時の担当編集者からの電話では、対談できない理由は「多忙であり、時間が取れないから」であり、それでも「文書でなら回答する」ということだった。高々一時間半程度の時間があれば済む対談がダメで、文書回答なら大丈夫、というのは不自然だと思ったが、対談の場で失敗することを恐れたのだろうと推察した(そんなに心配しなくても、いいのに)。それでも、文書のやりとりであっても、やってみる価値はあると思ったので、私は、A4で2枚程度の質問文を書いて、編集部に送った。
 この時点で、樋口氏サイドが、文書で回答なら、「答える」と確約したのか、「答えることを検討する」と言っただけなのかは、私には分からないが、雑誌の48ページの注に「締め切り日までに回答を得られなかった」とあるから、編集部では、期限を提示して回答文を待つ状態にあった。
 樋口氏ご本人はどうか分からないが、窓口になっているはずの広報担当者は、雑誌の締め切りがどのようなもので、ページに穴を開けると迷惑だ、というくらいのことは分かるはずであり、誠意のない対応だった。回答しないなら、「答えるつもりはない」と早く連絡するのが筋だろうし、会社なのだから、広報部が回答の草案を書いて、社長の了承を得て送ってきてもいい。たぶん、社長ないし、その取り巻きの誰かに「投げっぱなし」になっていたのだろう。もちろん、対応の責任の大半は樋口氏にあるが、広報の仕事として、連絡係以上のことが出来ていないと思うのだが、どうか。
 質問文は、私の理解では遅くとも5月20日には先方に届いているはずで、結局、ページを確定する、ぎりぎりの期日である5月29日までに回答が得られず、編集部は、回答文の掲載を断念した。その後、この質問文の大部分を雑誌に掲載することが決まり、私が、別の原稿の字数の調整をし終えたのは6月4日だった。

 詳しくは、「週刊ダイヤモンド」6月16日号の48ページを見て欲しいが、私が、樋口氏に問うた論点は、以下の三つだ。

 一つめは、明らかに合理的な商品ではないのに、よく売れるからと毎月分配型の投信が売られていることに関して、「多分配型投信には、合理的なニーズがあると考えるのか? 単に、販売現場で売りやすいだけではないのか? また、売れるからと言って、多分配型を続々と商品化する投信会社の運用には見識というものはあるのか?」と問うている。
 二つめの質問は、信託報酬に関する問題で、これについて、投資顧問の手数料との比較、過去の信託報酬との比較から「高すぎる」と私見を述べて、「現在の信託報酬水準は高いとは思わないのか? また、投信の純資産が大きくなった場合には米国で行われているように、手数料の引き下げがあってもいいのではないか?」と訊いている。
 三つ目は、投信会社の経営について、直接販売の販路を持たないことと親会社から経営者が天下ることにより、販売会社に弱い体質になっていることと、素人経営者の弊害を質問している。「日本の投信会社の、『販路』のあるべき姿について、どのように考えるか? また、投信会社の資本及び人事は、証券会社などこれまでの親会社から、独立すべきではないか?」。

 質問の内容は、ごく普通のものだと思う。何とでも答えられるだろう。
 私としては、仮に、当初の予定のように対談が実現したとしても、対談相手をその場でやり込めるつもりは、全く無かった。上記の論点は、当たり前すぎて、改めて当否を論じるようなものではないので、こうした現実を認めた上で、今後の投信業界の発展方向について話したかった、というのが希望であった(本当です!)。私の予定では、相手が意地を張らなければ、上記の三論点についても、双方の顔が立つやりとりで進行することが十分可能の筈だった。

 一般論として、取材依頼や質問を受けたら必ず答えなければならない、というものではない。回答を拒否する権利は、政治家や行政の一部を除いて、誰にでもあると思う。この点は、ダイヤモンドの担当編集者もよく理解し、強調しており、筆者との電話でも、「当誌としては、質問に答えなかったから『悪い』という姿勢は取りたくない」と仰っていた。
 ただ、投信協会長で、かつ大手投信会社の社長である樋口氏が、対談やこの程度の質問から逃げるのはいかがなものか。一言付け加えておくが、日本の投信会社の社長が、対談用の1-2時間の時間を作れないほど多忙だということは、断じてあり得ない。先般のダイヤモンドのよく売れて話題になった特集号「『投信』の罠」の後を受けた特集号なのだから、投信業界の側から、反論なり、説明なりを適切に行うことは、投信協会長であり投信会社の社長として、望ましいことではないのだろうか。むしろ、機会を与えられたことを、感謝すべきではなかったかと思うのだが、どうか。
 樋口氏のプロフィールや人となりについて、私は、何も存じ上げないが、こうした誠意(編集部に対する)とやる気(投信協会長・社長として)のない対応を見るに、私が質問文で書いたように、「運用に見識・経験のない人物」であるだけではなく、経営者としての能力にも疑問のある方なのかも知れない。せっかく発展しつつある日本の投信業界にとって、残念なことだと思う。
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堀江氏、村上氏、折口氏を比較する

 傘下のコムスンが起こした問題で、グッド・ウィル・グループの折口代表が批判の矢面に立っている。どのぐらい続くか分からないが、一時のライブドア堀江元社長、村上ファンドの村上代表並の「極悪人」扱いに見える。政治的な影響は、年金問題から関心が逸れて与党に有利なのか、年金の次は介護と、国民の(特に投票率の高い高齢者の)関心の高い問題で行政の不手際が続けて起こって、野党に有利に働くのか、どちらなのか分からないが、ここでは、介護でGWGが起こした問題や政治問題ではなく、ビジネスマンとしての、3人の印象を、ごく簡単に比較してみたい。

 (1)基本思想、(2)ビジネスの着眼点、(3)本人の個人的な強み、(4)ビジネス上の弱点、という視点で見てみよう。

●堀江氏
(1)拝金主義。お金で自分をアピールしたい。
(2)主たる商品・手段は「株式」。良くも悪くも株式市場を徹底的に利用し、株式市場でのイメージを重視した。模倣でも何でもビジネスを形にして、株式を上場し、実質的に株式を交換する形で、ビジネスを手に入れていた。
(3)自分でもプログラム開発ができるなどシステム関係の知識・理解力があり、当初のオン・ザ・エッジ上場に至るまでの種を作ることができた。
(4)目立ちたがりで、自意識過剰だった。メディアへの露出が役に立った時期もあったが、最終的には、過剰な自意識と目立ちたい欲求がマイナスに働いた。

●村上氏
(1)拝金主義。お金で自分をアピールしたい。
(2)資産の換金価値よりも安い株式を買って、企業の本来の価値を実現させれば儲かる。ファンドでもあり、米国のW.バフェット氏のように、株を買って、企業に儲けさせる時間を使う暇はなく、常にExitが必要だったので、投資家としては、利益を信用せず、資産の価値に頼った。
(3)口が立つこと。堀江氏、日銀の福井氏など、多くの人を、口先で巧みに、利用することができた。
(4)儲けるだけでなく、説教(←要は自分の正当化だが)をしたがること。これはビジネスの儲けには、余計。長所と裏腹だが、たぶん、何らかのコンプレックスをカバーするために、常に、自己主張が必要だったのではないか。

●折口氏
(1)徹底的な拝金主義。お金以外信用しない。お金そのものが目的。
(2)バブルの頃は、流行に弱いオネーチャンとオネーチャンに弱い男どもを「ジュリアナ」で一網打尽に。その後、派遣ビジネスでは立場の弱い労働者から利益を絞り取り、介護ビジネスでは、体力・判断力の弱い老人を客として彼らの不安感につけ込んだ。ビジネスの一般的な原則として「弱者から得る儲けは大きい」。たとえば、外資系証券のビジネスでいうと、潰れた○○生命や××火災のような、バランスシートがボロボロの会社が、これを誤魔化すために使ったデリバティブは、利幅が大きい、儲かる商売だった。
(3)詳しいことはよく分からないが、単純であこぎなビジネスを徹底させる、ブレない姿勢が強みだったのだろう。
(4)敢えて言えば、「やりすぎ」及び「親しみにくくて不気味な風貌」と「ダーティーなイメージ」が弱点だが、ビジネスマンとしては堀江氏、村上氏よりも目的合理的で目立った欠点がない。嫌な感じ、ではあるけれども、儲けそうな経営者だ。

 要するに、好き嫌いは別として、堀江氏、村上氏には、ビジネス上はいかにも余計な、しかしいかにも人間的な欠点があったが、折口氏にはそれがないし、ジュリアナ、派遣、介護、と見ると、ビジネスの狙いは常にストライクだ。たぶん、近年台頭してきた経営者の中では、突出して鋭いのではないか。但し、その分、人物的には、親しみにくいし、率直に言って、不気味である。
 ただ、彼が、この逆境でどんな手を打つのか、また、次に(チャンスがあるかどうかは微妙だが)何を狙うのかには、大いに興味をそそられる。
 
 みなさんは、折口氏に、どのようなイメージをお持ちになりますか? それにしても、人材派遣業の方に問題はないのだろうか。
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参院選公約比較及び、私はなぜ丸川珠代氏が嫌いか

 参院選の公約が出揃った。このブログ程度の場で、そこまで気を遣う必要はないとは思うが、選挙本番が近づくと、何かとモノが言いにくい感じになる。今のうちに、あれこれ気楽に言っておきたい。
 立場をはっきりさせて、投票に影響するような情報を発信することは、民主主義の世の中では、むしろ大いに必要なことなのではないかと思うが、読者にはいろんな政党・候補者の支持者もいらっしゃるだろうし、投票に影響を与える可能性のある言説は、土壇場になると後味が悪い(風説の流布みたいで)。
 尚、今回の選挙に関して、私の政治的な立場を述べておくと、私は政治が国民の生活に強力に介入することが嫌いであり、政権交代があることが望ましいと思っているので、どちらかといえば民主党(←率直なところ魅力は乏しいし頼りないが)を勝たせたいバイアス(偏向)がある。但し、各公約に対するコメントは、私の個人的な意見だし、私は、現在どこの政党にも所属していないし、現役の政治家で尊敬する人は誰もいない。

 ●

 以下、公約(マニフェスト比較)比較は、毎日新聞の6月6日の朝刊1面の要約表による。

① <年金>

(自民党):年金納付記録5000万件を1年以内に名寄せし5年の時効を撤廃。社保庁の解体と問題点の検証
(民主党)全ての年金一元化。保険料記録の消失や支給漏れを徹底的に調査し、被害者を救済する

(私の意見)民主党は年金一元化と共に歳入庁構想を持っているようだが、国民年金を全額税方式にする方がより根本的だ(未納問題も一挙に解決する)。但し、年金に関しては、民主党の方が、より根本的な検討をしている形跡があるし、自民党の公約は、後ろ向きであると同時に、実効性に疑問がある。これからどうするという構想がないので、自民党の公約は、全く評価できない。相対的には、年金問題は、民主党の勝ち。官僚(ないし、官僚に近い人)をブレーンとする限り、年金問題で自民党に勝ち目はない。
 しかし、付け焼き刃とはいえ、自民党が、こんなにも早く対策に動くのは、国政選挙があるから。毎年選挙があるといいのに・・!

② <格差>

(自民党)医師不足対策の推進。年長フリーターの正社員化。パート労働者の正社員への転換促進
(民主党)最低賃金の全国平均を1000円に。パート労働者と正社員の均等待遇。若者の雇用就労支援

(私の意見)自民党案は、「正社員化」とか「促進」と言っても、お膝元である経済財政諮問会議の民間委員の御手洗氏の会社がこれを達成していないのだから、全く説得力がない。そもそも、格差を縮小しようとする気はないのだ、ということを、はっきり訴える方が正直だろう(選挙には不利でしょうが)。民主党案の、時給最低1000円には賛成しないが、パート労働と正社員の均等待遇には大賛成。民主党の公約の勝ち。

③政治とカネ

(自民党)資金管理団体の不動産所有に対する規制や事務諸費の透明性のあり方について法改正を行う
(民主党)全ての政治団体で1万円を超える事務諸費、政治活動費などの領収書添付を義務付ける

(私の意見)どちらの公約も、これが選挙公約とは、情けない、という代物。自民党案は、民主党の小沢代表を個人攻撃しようとして掲げたものだろうが、どうも、小沢攻撃に期待しすぎたことをまだ引きずっている感じ。民主党案もセコイ。そもそも、罰則強化が必要だと思うが、両党共同じ穴のムジナの共犯者であり、泥棒に刑法は作れない、ということだろう。無勝負。

④天下り

(自民党)公務員への能力主義の導入。各省庁による再就職あっせん禁止と新人材バンクへの一元化
(民主党)早期退職勧奨と中央省庁による再就職あっせんを禁止。天下り期間を5年に拡大

(私の意見)両党とも、そもそも最終的に規制すべきものが、再就職所のものではなく、談合や情報漏洩、官庁と天下り先組織・企業との癒着などの不正であることのポイントを外している。まず、ここにきちんとした罰則規定を定めることが大事。官民の行き来は自由だが、不正に対しては、必ず退職金召し上げと実刑による刑事罰、というくらいの規定があることが望ましい。要は、天下り後には、怖くて出身官庁に顔を出せないくらいになるといい。それでも、規制しきれない癒着については、民主党案のように5年の規制を作るのはありだろう。ルールは単純な方がいいので、「5年」というの決め方は評価できる。ただ、何れにしても、公務員の人事は、日本株式会社のマネジメントそのものなので、これを動かすことは重要であり、不完全ではあっても、現国会で、自民党案に民主党が反対することに対しては、好感を持てない。

⑤憲法

(自民党)2010年国会における憲法改正案の発議をめざし、新憲法制定の国民運動を展開する
(民主党)記述なし。

(私の意見)憲法改正については、現憲法制定の経緯といったどうでもいい話ではなく、具体的に何のために改正が必要なのかの議論が必要だと思う。個人的には、憲法改正には反対なので、自民党案を支持しない。それに、申し訳ないが、安倍氏程度の見識の首相の下で(理由は、たとえば前のエントリー等参照)、国の骨格に関わる憲法を論じるのは、勘弁して貰いたい。

⑥教育

(自民党)確かな学力や規範意識を育成。幼児教育の無償化を目指し、奨学金事業を充実し保護者負担を軽減
(民主党)高校を希望者全入とし無償化する。教員養成課程を4年(学士)から6年(修士)に延長する

(私の意見)規範意識の押しつけはいらないが、学力はもっと上げる努力が欲しい。また、高校の無償化よりは、幼児教育の無償化の方が、有り難いような気がする。教員養成課程は修士でなくてもいいのではないかとも思う。民主党の公約には魅力がない。

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 それにしても、ここの来て、自民党が随分失点を重ねているように見えるが、一体どうしたのか。そもそも、総選挙を経ていないインチキ内閣だから、タガが緩いのは仕方がない、ということなのだろうか。
 将棋のようなゲームでは、形勢が不利な場合は、一か八かの奇策に賭けるよりも、じっと我慢をしていて、相手のミスを待つ方が逆転しやすいのだが、全く攻め手がないように見えた民主党だったが、自民党の連続ミスで、勝ち負けに少し楽しみが出てきた(これまでは、自民党と創価学会の楽勝だと思っていたので)。
 
 ちなみに、東京の選挙区では、安倍首相のお気に入りと言われる、丸川珠代氏の人気があまりに無いことが話題になっている。日刊ゲンダイによると、推薦者である、石原伸晃氏が焦っていて、石原軍団が応援に駆り出されるか、というくらいのものらしい。
 正直なところ、私も彼女には好印象を持っていないのだが、はっきりした理由が直ぐには思い当たらない。彼女のルックスは、地味めと言われているが、私としては、かなり好みのタイプだ。東大の経済学部卒という学歴は、特にどうということはないが、一応、後輩に当たる。応援したいと思って不思議はないのだが、嫌~な感じがするのは、どうしたことか。
 放送関係者からは、彼女に関して、「上昇志向が強い」「(仕事を取るのに)女の武器を使う」といった噂(確たる事実を具体的に聞いているわけではない)を聞いたことはあるが、これくらいのことは珍しくもないし、雑誌にも出ている程度の話だ。使える武器があれば、使い方は本人の勝手だし、自己中心的仕事熱心は、男女を問わず、世の中に数多い。出馬表明のプロセスは、番組関係者や、地デジ大使のポスター(刷り直しらしい)などに、多大な迷惑を掛けただろうが、市井の一有権者たる私には、何の関係もない。「私の能力を活かす場として・・・」というような出馬発表の際のコメントに、「ふうん、いかほどの、どんな能力かね」という漠然たる違和感を覚えたのだが、それだけで、こんなにも嫌な感じを持つというのも解せない。
 よくよく考えて到達した結論は、彼女の目的が、政策にあるのではなくて、議員というポジションにある、ということが、露骨に透けて見えたからだろうと思う。何かを成し遂げたいという目的のために議員や大臣になるのではなく、ともかく議員であることが重要だ、というような政治屋が世の中には存在していて、これは、民主主義の宿便みたいなものだと思うが、この宿便のすえた臭いが彼女から立ち上ったのを、嗅いでしまったのが原因だろう。
 もちろん、彼女の責任ばかりではなく、知名度のある女性でも出しておけば、票集めになるだろう、という自民党執行部の、有権者をバカにした(横山ノックを知事に選んだりしたくらいだから、バカにされても仕方がないが)根性も気に喰わない。
 選挙という人気取りのゲームはなかなか不思議で、人を妙に熱くさせるし(黒川紀章氏もクセになったようだ)、いろいろなものが見えてくる。
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安倍首相は焦っているのか?

 首相就任時から「荷が重いのではないか」と思えた安倍首相が、参議院選挙を前にして、ここのところの逆風に焦り始めているのではないか。

 松岡農水相の自殺に際して、安倍首相としては、おそらく松岡氏の名誉のためのつもりで「緑資源機構に関して、捜査当局から松岡大臣の取り調べを行った事実はないし、これからも予定はないという発言があった」と述べているが、これは、捜査に関する情報をわざわざ聞いていたということであれば口外しない方がいいし、「この問題は、これ以上やるな」という捜査当局に対する意思表示だとしても問題である。そういうことがあっても、おかしくはない、という弁護が、或いは可能であるのかも知れないが、明らかに「言わない方が、いいことを、言っている」という意味で、安倍氏の能力又は精神状態の限界を示す発言だ。

 公的年金の納付記録問題についても冴えない。
 「(記録漏れを起こした)システムをつくった時の厚相は、いま口を極めて自民党を攻撃している菅さんだ」と2日に滋賀県での講演で言っているが、これは、効果的な反撃とは思えない。社保庁が問題になっている中で、この問題に手を付けなかった自民党政権の方が直接的に重い責任を持っていることは、国民にも明らかだろう。
 この種の本筋から外れた口先話で思い出すのは、森・元首相だが、彼も、同じ頃、地元の石川県連大会で、民主党に関して、「(社会保険庁職員の多くが加わる)自治労が民主党の支持母体であり、焦点をずらして社保庁が解散させられるのを避けるためだ」と述べている。日頃自分に向けられるような非難を相手方に向けるものの、結局、口先だけの反論にしか聞こえずに、かえって、「こんなことしか言えないくらい追いつめられているのか」という印象を与えて逆効果になる、というのが、「サメの脳みそ」と言われた森氏がよく陥るパターンだったが、同派閥の先輩後輩で、脳みそ的にもいい勝負であるためか、安倍氏が、批判に反撃する時の理屈の立て方(の、くだらなさ)は、森氏とよく似ている。

 また、5千万件を1年で照合するという話も、何を考えているのか、と思わせる。「ぼっちゃん総理」ゆえに、「願えば叶う。誰かが何とかしてくれる」と思っているのだろうか。そもそも、確認が難しいから宙に浮いているような記録を、どうやって1年で5千万件も処理するのか。

 「誰が何人でやるのか?」「いつからやるのか?」「一人で一日何件照合できるのか?」「お金は幾ら掛かるのか?」「それらをどうやって確かめたのか?」「確かめもしないで『1年』と言ったのか?」、と順々に追い詰められると、相当のダメージになるのではなかろうか。

 推察するに、安倍氏は、松岡農水相は参議院選挙まで引っ張って選挙後に外せばいいと思っていたのだろうし、民主党に対しては、小沢氏の個人的な問題を攻撃すればいい、というくらいに考えていたのではないか。
 攻めるのが民主党か、と思うと心許ないが、「消えた年金」も、松岡氏絡みの話題も、しばらくは関心が続きそうな情勢に見える。安倍氏には、突然の逆風だ。しかし、なぜ、急にこんな目に遭うのか?

 私は、永田町にも、霞ヶ関にも詳しくないので、断定的な事は言えないが、安倍内閣は、公務員の天下り人事に手を突っ込もうとしたことで、「お仕置き」を喰らっているのかも知れないとも思う。日本の実質的な支配者が、特定少数の黒幕ではなく、既得権を持った公務員の集合的意志だと考えると、納得できない話ではない。
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ボトルの個体差と経時変化のことなど

 ここのところ昼型生活(私には早起きだが7時台の起床で「朝型」は恥ずかしい)で、帰宅が早いため、バーに寄る回数が減っている。3日ほど前、友人と食事をする用事の帰りに久しぶりに、シングル・モルト専門(と表示しているわけではないが、実質的にそういう店)の我が師匠M師の店に寄って、1時間少々で5杯半飲んだ。「半」というのは、写真の右から二番目のボトルに僅かにお酒が残っているが、5杯飲んだ後に、これを片付けたために、「半」が追加された。
 写真の右から2番目と真ん中のボトルは、ゴードン&マクファイルというボトラーのコニサーズ・チョイスというシリーズ名によるボトリングのアードベッグで1974年蒸溜・樽詰めのものだ。ラベルは微妙に違うが(出荷された地域の違いだろう)共にボトル詰めは2003年のものだ。度数は40度、ということは、もともとの樽出しの状態(50~60度前後)に加水されていて、モルト好きとしては、普通は少しガッカリするところなのだが、このお酒に関しては、当てはまらない。2本とも、アードベッグ独特の金属臭を伴った刺激的で心地よい鋭い香りが立ち上り、口に含むと焦げたオレンジピールのような柑橘系の香りと、カカオのような甘さを感じさせて、それだけでなく、アードベッグらしいヨードっぽさもあって、飲み込んだ後も、帰りのタクシーの中までたっぷり余韻が返ってくる逸品だ。
 但し、新旧二本のボトルの香りと味には、少しだが、はっきりした違いがあった。旧瓶の方が、香りが華やかで、味が複雑なのだ(二杯並べて、較べて飲んだので、私でも、かなり明確に違いが分かった)。
 お酒のタイプにもよるが、ボトルの開けたては、香りも味も十分開ききっていないことがある。開けて数日後くらいが、ベストの飲み頃になる場合が多い。モルト・ウィスキーの場合、時間の経過による劣化は僅かで、特に、ボトル内の酒量が十分あれば、数ヶ月くらいは、味が落ちた、と感じることなく、状態の変化を楽しめる範囲で推移する。ただし、最後の3~4センチくらいになると、香り、味共に、「抜けてしまった」「インパクトが落ちた」と感じることがある。
 しかし、ウィスキーの場合、開栓してからの経時変化は、ごく僅かだし、保存状態による差も出にくい。何れもワインとは、二桁(?)は違うといっていいだろう。尚、M師のバーもそうだが、管理に気を遣うバーでは、開栓後は、ボトルの栓の周囲をテープで巻いておくことが多い(回転のいいオフィシャル・ボトルや明らかに安い物は対象外だ)。栓の部分の個体差にもよるのだろうが、結構な差が出る。テープで巻いていないバーでは、残量の減ったボトルは避けたほうがいい場合がある。
 私が感じた新旧ボトルの味の違いの原因は、先ず、開栓からの経過時間の差が影響していると考えることができる。旧瓶の開栓は、4カ月少々前だったし、新瓶は、記念すべき口切りを飲ませて貰った。新瓶に関しては、今後数日間で、香り、味共に開いてさらに美味しくなる可能性がある。
 また、ボトルの個体差も時にある。今回較べたものの中身は、ボトリング当初は、ほぼ同じ(全く同じの可能性もある)ものであっただろう(樽は1つではなさそうだ)。それでも、個々のボトルによって、多少の差が出ることはある。
 ウィスキー好きが追求するジャンルで、オールド・ボトルと呼ばれる、ボトリングの古いものに関しては、この個体差が大きくて、開けてみるまでどのくらい良いか悪いか分からない、というケースが多いようだ。私は、とてもオールド・ボトルまでは手が回らないが、何杯か美味しいものを飲んだことはある。
 今回の二本に関しては、場合によっては、旧瓶が個体として例外的に素晴らしかったのかも知れないが、まだ、新瓶がレベルを上げて来る可能性が残っている。成長を見守ることになるか、老化に付き合うことになるか、分からないが、今後、M師の店を訪ねるたびに、飲むことになるだろう。

 幾らか趣味性を持って飲むお酒としてシングル・モルト・ウィスキーを考えると、幾つか長所がある。特に、ワインと較べてみよう。
 
(1)シングル・モルト・ウィスキーの場合、保存管理がデリケートではないので、いろいろな場所で、ほぼ同じものを飲むことができる。大きな期待外れは少ない。
 ワインは、ラベルが全く同じものであっても、流通過程や保存の状態によって随分味が変わる。輸入から保存まで一貫して管理しているレストラン(たとえば三田の「シュヴァリエ」)で飲むと、そう高くないものでも、非常に美味しい。産地で飲み頃のものを飲むと、本当に美味しいのだろうなあ・・・。この頃は、「キミは、インド洋で一度死んだのだね」(輸送中の暑さでダメになった状態)と言いたくなるような、明らかに変質したものは減ったが、それでも、ワインの場合、どのように保存されているものを飲むかによる満足度の差は、非常に大きい。
 酒質の安定性は、家で飲む場合にも大いに助かる。
 尚、ウィスキーの場合、ワインのように寝かせて置いておくと、コルクが溶けてまずくなる。コルクが壊れて瓶の中に落ちる「コルク落ち」と共に警戒したい。

(2)シングル・モルト・ウィスキーは、飲み方が簡単だ。
 栓を開けて、注いで、飲めばいい。M師のバーでは、味のインパクトに重点があるお酒の場合のグラスと、香りを楽しむことに重点がある場合のグラスが違うが、グラスにはそう気を使う必要はない。尚、なぜだか分からないが、香りは、お酒を注ぎ終わった後のメジャーカップで調べるのと、よく分かる。
 一方、ワインの場合、特に赤ワインの重いもの(←個人的には好み)は、開栓して、しばらく(数十分から、2,3時間まで幅があるが)してから飲む方が、明らかに美味しい。レストランで、しばらく時間が経った最後に残った赤ワイン(4人だと、白、赤、赤、と飲むことが多い)を、もったいないからと思って飲んでみると、別物のように美味しいことがある。少なくとも、開栓直後の赤ワインが、そのワインにとってベストの飲み方である可能性はほぼゼロだろう。最近、気に入っている喩えを使わせて貰うと、「開けて直ぐのワインを飲むなんて、寝起きの女を美人コンテストに出すようなものだ」ということではないのか。短時間で空気に触れさせるデキャンティングという技があるが、あれは、「急いでする化粧のようなもの」で、開栓してしばらく置いておいたものには叶わない。味が荒れた感じがする事が多い。所詮、テレビ局のメークのようなもので、生で近くで見ても美しいというレベルには達しない(それでも、テレビ画面で見ると、きれいなのだから、驚く)。
 レストランで、フランス料理やイタリア料理を食べるときに、ワインの飲むのは楽しみの一つではあるが、リストからワインを選んで、そこで栓を抜いて直ぐに飲むのだから、美味いはずがない。正確にいうと、お金を出すと、「寝起きでもイイ女」みたいなものに会うことはできるが、相手がベスト・コンディションでないことは確かだ。
 私は食い意地が張っているからそう思うのかも知れないが、レストランでは、ワインにはお金を掛けずに、料理にお金を掛けたい。もう一歩踏み込んで言うと、フレンチ、イタリアン共に、ワインで稼ぐビジネス・モデルの店が少なくないが、出てくるワインのコンディションを考えると、これに付き合うのは馬鹿馬鹿しい。

(3)シングル・モルト・ウィスキーは費用対効果がいい。
 特に家飲みを考えた場合、かなり高価なお酒を買っても、楽しめる回数を考えると、シングル・モルト・ウィスキーは安い。通販のワイン(私の場合、本当は「楽天!」と言わねばならないが、ヴィノス・ヤマザキである)の費用対(満足)効果はかなり改善したと思うが、それでも、アルコール量換算を考慮しても、シングル・モルト・ウィスキーは割安だと思う。もちろん、保存や飲み方まで考えると、圧倒的に扱いやすい。

 ワインも美味しいと思うし好きだけれども、趣味的な対象としてはシングル・モルト・ウィスキーがいいな、と近年、強く思っている(注;友人に告ぐ。「ワインの選択は、お任せします!」)。

 趣味として楽しむには、ベーシックな知識と経験(要は飲むこと!)を、ある程度効率良く手に入れたい。詳しいバーテンダーが居るバーで指導を乞うのが一番だと思うが、東京近辺にいらっしゃる方のために、M師のバーをご紹介しておこう。特にIslay系のモルトがお好きな方にはいいだろうと思う。
 店名は、正式には「Bar. Polka Dots & MOONBEAMS」、簡単に言うと「ムーンビームス」。住所は東京都千代田区神保町2-2-12サンエスビル地下1階、電話03-3263-3211。神保町の交差点のキムラヤのナナメ裏にあるビルの地下一階だ。ホームページは、 http://www.ff.iij4u.or.jp/~yukiom/。日曜休日。時間は「一応」午前2時までだが、零時を過ぎる場合は、電話した方がいい。
 簡単なメニューしかないので、自分が知っているつまらないカクテルやバーボンの名前を叫んで自爆(?!)するお客さんが居るが(もちろん、カクテルも作ってくれるのだが・・)、目の前に、数百本のシングル・モルトが並んでいるのだから、何を飲んだらいいか、相談してみるのがいい。好みと、知識に応じて、指導してくれる(たとえば、初心者は、徐々に慣らしてくれる)。値段は同種の店と比較して高くはないし、値の張る物については、事前に説明してくれる。お腹に溜まるツマミはないので、軽く腹ごしらえしてから、行くといい。
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