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【現代ビジネス】「首相候補」の人物評など

 「現代ビジネス」に「解散総選挙を控えた民主党代表・自民党総裁選の候補者を品定め。意外に期待できそうな「次の首相」は誰か」という記事を書きました。(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33450)
 今や首相候補と言われて、与党民主党よりも注目されている自民党の総裁候補者の評価と今後の政局の展開とその影響を考えてみました。
 窮地の民主党としては、野田代表を降ろして細野代表にして、「近いうちの解散」は野田氏と谷垣氏の口約束に過ぎず、新首相はこれに拘束されないし、参院の問責決議も受けていないとして解散を先に延ばし、自民党以下の野党がどれだけ審議拒否が出来るかで勝負する手があるのではないか、と考えました。予算も震災復興も原発問題も放置して、審議拒否を続けるには、野党側にも相当の胆力が必要です。
 解散の時期が先に延びると、維新の会の選挙準備が整うこともあり、利害関係は複雑ですが、例えば、石原伸晃氏が自民党総裁になった場合、彼がミスを犯して形勢が変わる可能性は小さくないように思います。
 もっとも、こうした作戦が実行される可能性はそう大きくないと思います。
 自民党の総裁候補に対する私の勝手評価は、実際に立候補できそうな4名の中では、人材的には一番が石破氏、二番が安部氏、離れた三番が町村氏、断然の最下位が石原氏です。
 古くからの当ブログの読者には、安部氏に対する評価が上がったのが意外かも知れません。これは、安部氏に対する能力評価が改善したのではなく、安部氏なら、ある程度は官僚機構のコントロールをしようとするのではないかという政策的な方向性を評価し、相対評価するとこうなる、ということです。
 石破氏については、人物的に期待が持てる「可能性」がありますが、派閥の後押しがないので、現時点では、彼が勝つ展開のイメージが出来ていません。
 総合的な政局展開の評価としては、維新の会やみんなの党のようないわゆる「第三極」の影響力が強くなる展開(自民党が単独過半数を取れない展開)が望ましいのではないかと考えました。
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「オスプレイ」は何が問題なのか(ダイヤモンド・オンライン)

「ダイヤモンド・オンライン」に、山口県の岩国基地に陸揚げされたオスプレイについて何が問題なのかを考える原稿を書きました。
(http://diamond.jp/articles/-/22027)
 安全性なのか、日本の主権のありかたなのか、それとも別の問題なのか。

 政府は、安全性を確認できなければ日本上空をオスプレイは飛ばないのが日米両国の了解だという趣旨のことを言っていますが、これは、安全をどう確認するのか、具体的な手続きについて述べていないので、意味がありません。
 まあまあ安全だと思うから米海兵隊はオスプレイを使うのでしょうし、他方、この種のものに、絶対的な安全はありません。小さい確率ではあっても、事故は起こり得ます。安全の証明を求めても無駄でしょう。

 加えて、そもそも、日本政府には、米国に対してオスプレイを持ち込むなとか日本国内で飛ばすなという拒否権がないと報じられています。森本防衛大臣は、なるべく住宅地の上を飛ばないように、飛行経路を工夫して貰うように要望すると述べていますが、現実的に出来るのは、この程度のことでしょう。
 日本国内での米軍基地運用に関して、日本の主権が制限されている現状を変えるべきだ、という意見は長期的にはあり得るのでしょうが、それ以前に、日本の防衛をどう考えるのかを決めなければなりません。非武装中立から、核を配備した独自防衛、あるいは対米完全従属まで様々な考え方があるでしょうが、何れの立場に立つかによって、日本の主権をどうしたいのかは大いに影響を受けます。前提条件について考えずに、主権の問題に取りかかることはできません。

 短期的には、オスプレイが日本の基地にも配備されることは、米国が、自主的な判断において、現在の戦術判断よりも、日本の基地周辺住民の意向を重視するといった、とても起きそうにないことが起きない限り、止めようがありません。尚、7月22日の日経の記事によると、これまでのデータでは、オスプレイの飛行10万時間あたりの重大事故率は米海兵隊の他の装備の重大事故率をやや下回るようです。

 こうした状況下で、民間から登用された森本防衛大臣に期待したいのが、以下の三点です。
(1) オスプレイの安全性について、技術的なことも含めて、率直に説明してほしい。
(2) 日本に拒否権がない事情についても分かりやすく説明してほしい。
(3) 日本の防衛の考え方について、複数の選択肢を示して国民に率直に問いかけてほしい。
 森本大臣は、自衛隊のパイロット経験もある軍事の専門家で、同時に外交の専門家でもあります。また、民間人なので、選挙を意識する必要もありません。また、拝察するに、前職の「評論家」としては、日本人に対して、国防と外交について啓蒙することは、氏のライフワークの一つでしょう。
 オスプレイ問題は、日本国民が日本の防衛を真剣に考えるきっかけになるのではないでしょうか。森本大臣に、大いに期待したいというのが、拙稿の趣旨です。

 森本氏には、勉強会で何度かお目に掛かったことがありますが、いいお人柄の方だと思いました。
 今回のオスプレイ問題については、森本氏に気の毒だと思う一方で、これこそ森本氏にうってつけのテーマでもあるので、大いに期待したいと思っています。政治家に気兼ねせずに、正しい情報と、氏の意見を、堂々と国民に伝えたらいいのではないでしょうか。
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「小沢新党のマーケティング戦略」(夕刊フジ「経済快説」)

 私は、水曜日発売の夕刊フジに「経済快説」というタイトルの連載コラムを書いています。原稿の文字数は11字×100行=1100字です。
 今週は、「小沢新党のマーケティング戦略」というタイトルで、新党「国民の生活が第一」について書きました。ライバル紙、「日刊ゲンダイ」は小沢氏の応援が鮮明ですが、ここで書いたのは、批判でも、応援でもありません。小沢新党の政策選択が「案外」次の選挙で奏功するのではないか、という話です。

 先ず、同党の「国民の生活が第一」という党名は、語呂は悪いながらも、他党と異なる語感であることで目立ちます。また、ニュースなどで、党名を言ってもらうたびに同党のキャッチフレーズを訴えることにもなるので、短期的なキャンペーン戦略としては、案外悪くないのではないかと思っています。
 また、「反消費税増税」、「反原発」、「反TPP」という同党の政策、及び「小沢一郎氏」という同党の看板は、支持が過半数に至るかどうかはともかくとして、それぞれマニア的に熱心な支持者がいます。政策に投票してくれる有権者の票を小沢新党が集めることが出来れば、票が割れる小選挙区の中で一位を取る場合もあるのではないでしょうか。一回生、二回生議員が多く、候補者の点で有利とは思えない小沢新党ですが、今回の政策選択は、候補者の弱さをカバーできる面があると評価してみました。
 乏しい手持ち資源の中ではあっても、それなりの戦略を持っており、「案外」侮れないのではないか、というのが目下の印象です。

 以下は、コラムに書いていないことですが、小沢氏は、経営者に喩えると「創業」と「営業」(=政治家の場合は選挙)が得意なタイプなのでしょう。しかし、時々に側近はいても、後継者やブレーンがいない「人事」の弱さ、幹事長時代に政務三役で役所をコントロールしようとした「政治主導」が全く機能しなかった「オペレーション」の弱さは、深刻な弱点だと見ます。
 名前をあげるのは控えておきますが、実業界にも、このタイプの人はいるように思えます。
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「首相の責任」の実体は何か

 関西電力の大飯原子力発電所が再稼働するようだ。周辺自治体の理解を得られなければ再稼働はできないとされてきたが、関係する首長達は、政府の判断によって再稼働してもいいとの態度に傾いてきた。
 野田首相は、「私の責任で判断する」と言っているようで、多くのメディアがそう伝えている。
 また、福井県の西川知事は、「総理大臣が国民に向かって明確な責任ある見解を述べられることが重要だ」と言っている(ところで、西川知事自身は、安全性その他を具体的にどう判断されたのだろうか。ここの内容が一番気になるところであり、こちらが首相の言葉以上に重要だ。主として、福井県民の問題ではあるが)。
 ともあれ、今後、適当なタイミングで、「政府として、私の責任で、再稼働を判断した」と野田首相が言うなら、大飯原発は動くようだ。
 『週刊フライデー』(6/15)は東海村から東京電力の柏崎刈羽発電所に核燃料を輸送する車列の写真を掲載している(交差点で空間線量計を使うと、車両が通過するごとに測定値が毎時0.1マイクロシーベルトから0.91マイクロシーベルトに跳ね上がるという)。再稼働への展開は、経産省を含む電力・原子力業界の人々の計算通りに進んでいるのだろう。
 ここで原発再稼働の可否そのものを論じる気はない(論じたい方は、別の場所でどうぞ)。また、野田首相の批判をしたい訳でもない(それは、別の場所でやる)。今回注目したいのは、「首相の責任」の実体が何なのかということだ。
 国の仕組みとしては、別途、国会などの決議を要するものは別として、法律で定められた行政的な手続きの下に、行政の最高責任者である首相が「良し」と判断すれば、問題は無いのだろうが、「実質的には」そこに、どんな「契約」や「インセンティブ」が働いているのかが気になるところだ。
 今や、首相は、証券会社の支店長よりも頻繁に交代する。顧客とのトラブルを抱えた支店長やセールスマンを転勤させて、トラブルの「責任」を曖昧にする、という話は、かつて証券界でよく聞いた話だが、首相の「責任」は、証券会社の支店長と較べてどうなのか。
 証券マン相手の裁判よりも何倍も大変な裁判を勝ち抜いて、国の過失が認定された場合、国が然るべき金額の賠償を行うということはあり得るのだろうから、最終的な手続きが首相の判断であるか否かに関わらず、国の責任はある。これは、証券事故において、証券会社に責任があるというのと同じだ。
 しかし、首相個人のインセンティブについて考えると、仮に今後不幸にして判断の誤りが顕在化した場合、首相個人(たぶん「元首相」になっているが)が何らかの不利益を被るということは少ないのではないか。
 後日、当時の首相として判断の不明を問われることがあるとしても、証券マンに譬えると「当時のエコノミスト、アナリストがそう言っていたから、私は、それを述べただけだった」という程度の釈明をして終わりだろう(枝野経産相が首相になってこうした立場に立ったら、きっと巧みに釈明するだろうと想像される)。中堅証券マンの場合、顧客とのトラブルが深刻化すると出世に響くことがあるが、野田佳彦氏に限らず将来の「元首相」にはたいして関係あるまい(安倍元首相のような「燃え残り」の方は例外かも知れないが)。
 さりとて、「私は、この判断が誤っていた場合、首相の地位にあればこれを辞任することはもちろん、国会議員も辞職し、議員年金も辞退する」とでも言ったところで、本人の決意の大きさを示すことは出来ても、これが「情報」として、どの程度参考になるのかは、微妙だ。
 「首相が本心から決断したのだろう」と納得性に意味を感じる国民もいるだろうが、「訳の分かっていない人が、決意に力を込めてみせただけだ。どうせ決意を述べるのが商売なのだし」とこれを評価しない人もいるだろう。
 どうすればいいのかは難しい問題だが、社会としての決定は、最終的には関係者の納得性の問題だろう。一つの方向性としては、「住民投票」や「国民投票」のような、直接民主制的な手続きをもっと頻繁に使う工夫が必要ではなかろうか。
 権力者その人や、権力者を都合良く利用出来ている官僚・有力者などは、直接民主制的な手続きを嫌う傾向があるようだ。それは、「首相の責任」のような好都合に使える便利な道具を手放したくないからだろう。
 「首相の責任」は、これを口にする首相本人の人格云々よりも、実体を殆ど伴わない余りにも便利すぎるツールとして利用可能である点ではないだろうか。
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入れ墨は、本人の自由でいいのではないか

 故鶴田浩二さんの博打打ちシリーズの一作に「博打打ち 一匹竜」という作品があり、最近WOWOWで観た。入れ墨の彫り師の老名人が登場するストーリーだが、クライマックスに入れ墨品評会のシーンがあり、裸に褌一丁で入れ墨を入れた男が数十人ぞろぞろと登場する。怖いというよりも、笑いがこみ上げて来かねないシーンなのだが、もうこんな映画は撮れないのだろうなあ、という思いで観た。
 さる自治体の首長さんが、職員の入れ墨を禁止した上に、さらに入れ墨の有無を調査する意向を示して話題になったが、入れ墨は、それほどに悪いことなのだろうか。
 「入れ墨のある人=怖い人」という先入観があるので、温泉の大浴場などで彫り物のある人に会うと緊張することはあるが、たいていの場合は、その人が特に凶暴に振る舞うわけではない。問題は、入れ墨を見る側の心の中にあり、入れ墨自体が悪さをするわけではないし、印象の有利・不利(社会生活には不利が多そうだが)は、入れている本人の問題だ。
 はっきり言って本人の自由だろうし、これを規制すべき根拠があるようには思えない。
 私は、自分自身が入れ墨を入れたいとは思わない。端的に言って、入れ墨は、私の趣味に合わない。自分に似合う良い絵が思いつかないし、いったん入れ墨を入れてしまうと、自分のカラダがいつまでの同じ漫画の画面が映っているテレビのようになるのは気が進まない。
 先般、フロイド・メイウェザーに(一方的に)破れたミゲール・コットのように、外国のスポーツ選手はしばしば入れ墨を入れているが、「これはカッコイイ!」と思うケースは稀だ。
 しかし、彼らは、自分のカラダに入れ墨を入れることに何らかの意味を感じているのだろうし、ファッションとしての主張がある場合もあるのだろう。他人がどう思うかは、二次的な問題だ。
 日本人でも、たとえば、息子の名前を腕に彫った女性歌手もいる。彼女は、温泉に行っても、「入れ墨のある方はお断り」ということで、大浴場に入浴できないのか。小さい入れ墨はいいけれども、大きな入れ墨はダメ、という区別も奇妙だ。
 どう考えても、入れ墨を入れること自体を非難する理由はない。
 日本人もそれでいいのではないか。
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中小年金基金、連合会で共同運用との厚労省方針に違和感

中小の厚生年金基金の資産運用を企業年金連合会で「共同運用」できるようにするとの厚労省の方針(5月12日土曜日の日経1面の記事)には、馬鹿馬鹿しさに目が回りそうになります。

厚生年金基金という不細工な制度を作り、運用体制が整っていないことなど、昔から分かっていたのに、基金の財政がここまで悪化するところまで運用を続けさせてきた、即ち厚生年金基金問題(=企業年金行政の失敗)の主犯と言うべき厚労省と共犯者の連合会が今更何を言うのか、というのが率直な感想ですが、たぶん、彼らなりの善意のアイデアなのでしょう。

間接的にですが、これまでのやり方の拙さを認めることになるのですから、まあ、よく考えたと褒めるべきなのかも知れません。

しかし、たとえば代行割れになっているような厚生年金基金に対して必要なのは、先ずリスクを取った運用を中止させることであり、次いで、基金の修復・再建(現実的な予定利率で)ないし、解散を指導すべきでしょう。

借金にまみれた貧乏ギャンブラーに対する本当の親切は、「博打の負けは博打で取り返すなんて頑張らずに、荷物をまとめてお家に帰りなさい」と声を掛けることであって、「私が代打ちしてあげるから、もうしばらく残りなさい」と彼を引きとめることではないはずです。
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振興銀行に関する竹中平蔵氏の「道義的責任」とは何か

 日本振興銀行の破綻処理が決定した。これを受けて、自見金融担当大臣は「竹中(平蔵)氏の政治家としての道義的責任は免れない」といい、一方、大塚金融副大臣は「振興銀行の設立について法的に疑問に思って調べてみたが、違法行為は見つからなかった」と話した(私は数時間前にTBSのニュースサイトで見た。言葉の引用は正確でないかも知れない)。

 「道義的責任」とは何であろうか。どう果たせばいい責任なのか。振興銀行の件に関して、竹中氏に責任はあるのか。あるとすれば、どんな責任なのだろうか。

 竹中氏は振興銀行設立の認可を与えた際の金融担当大臣だった。日本振興銀行は、異例に早く(確か申請から8カ月で)設立認可を得た。このプロセスに、竹中平蔵氏が木村剛氏と当時親しかったことが関係していたとしたら、確かに問題だろう。もっとも、それは単なる依怙贔屓程度の問題なのか、プロセスが不適切であったことに対して何らかの賠償責任等が発生するような性質の不正なのかは、現段階で分からない。大塚副大臣は、この点を調べたのかも知れない。

 日本振興銀行の認可自体が適切だったかどうかは、難しいところだ。「ミドルリスク・ミドルリターン」と木村剛氏が称した振興銀行のビジネスモデルが、上手く行きにくい心配なものであったことは、設立当初から言えた。誰が、どうやって与信判断をするのか、それが日本振興銀行に出来るのか、という点が当時からスッキリ安心だった訳ではない。但し、多くの人が、あれではダメだ、と断言できるだけの材料を設立時に持っていたわけではない。あれで上手く行くなら、既存の銀行は立つ瀬がないが、当時、「そうなのだ。でも、それでも上手く行くところがビジネスの面白いところだ」と木村氏は自信満々だった。

 当時の私個人について言えば、「難しいだろうなあ」と一方で考えながらも、「でも、木村剛は何とかする方法を思いついているのかも知れない」、「まあ、お手並み拝見だな」と思っていた。(お気楽すぎだ、と言われれば、その通り!)

 公的な性格が強いので銀行の場合些か微妙だが、潰れるかも知れないから会社を作っては絶対にダメ、ということでもあるまい。現実に、振興銀行は救済されなかった。

 但し、預金保険付でお金を集めるとお金は集まるはずだし(約6千億円も預金が集まった)、これを極めて疑わしいビジネス・モデルによる運用に晒すのだから、振興銀行に関しては、国が悪徳商法の勧誘に引っ掛かってしまったような面はある。振興銀行のせいで、預金保険がかなりの損をすることは間違いない。

 この問題は、別の場所でも書いてみようかと思うが、当時の竹中氏に判断の失敗があったことはどうやら確実に思える(判断の失敗はない、という議論は立てにくい)。しかし、それが現在の竹中氏に「責任」としてどう関わるのかは、私には分からない。特に、法的責任が何もない場合に、竹中氏に発生すると(誰かないし世間が)考える「道義的責任」なるものがどのような性質のものなのかは知りたいところだ。

 判断の失敗はたぶんあったのではないか。現実に預金保険は損をする。竹中氏は、渦中の人物である木村氏をよく知っている。しかも、日本振興銀行は破綻が決まったので、同行の「風評リスク」の問題はほぼない。こうしたことを考えると、竹中氏は、振興銀行の問題にコメントしてもいいのではないかと思うが、現時点では、この件の取材には一切答えておられないようだ。
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菅直人首相の賞味期限はどのくらいか?

 参議院選挙が公示されたので、ブログでもツイッターでも政治の話がしにくい。政治家のツイートは今後しばらく激減するのだろう。現状は、選挙期間には政治の議論などせずに、政見放送のように形が決められた情報と大手マスコミの提供する情報だけで判断をせよ、という選挙民愚民化的な制度になっている。
 かつて、浮動票を嫌って、有権者に「寝ていて欲しい」と言って問題になった首相経験者がいたが、これに近い「政治については黙っていなさい」言わんばかりの制度が押しつけられている。
 当ブログについて、管理者は、世間に対する影響など持っていないと思っているが、インターネットのお蔭で誰でも見られるという性質に鑑みて、参院選の候補者には当面直接触れまい。本当は、褒めたり、けなしたりしたい候補者がいたのだが、相撲取りの賭博問題などに気を取られているうちに、時機を逸してしまった。

 しかし、首相についてゆる~く論じるくらいは許されるだろう。
 もちろん、今の段階で確かなことが分かるはずもないが、私は、菅内閣は短命なのではないかという気がしている。

 大まかな構図として、官僚集団は、菅氏を増税に利用して、使い捨てしようとしている、と見る。
 参院選の直前に政権を獲って、菅内閣に人気があるうちに、消費税率引き上げを看板公約に参院選挙に臨ませたことは、官僚側から見ると大成功だ。
 菅氏の近くにいた官僚は、政権交代以来、菅氏の頭脳には過大な負荷が掛かる財政のレクチャーを授けつつ、世論調査で消費税率引き上げに賛成の方が多いデータなどを見せて、「今や、消費税率の引き上げをはっきり言った方が立派な政治家だと世間が思うはずだ」と吹き込んだのだろう。この際に「鳩山政権は遠からず行き詰まるから、下手に関わらない方がいい。次は、誰が見ても、菅さんが首相だ! われわれは菅さんに期待している」と付け加えたのではないかと想像する。
 その結果、国家戦略担当の副首相という重要な立場にありながら、鳩山内閣が潰れるまで、菅氏は政治の舞台から殆ど消えていた。「菅から眠」などと揶揄されたように、寝ていたのだ。
 その間、財政の組み替えに本格的に取り組み予算の作り方を抜本的に変えるはずだった国家戦略局は設立が棚上げされ、民主党の第一の公約だった財政支出のムダ削減は官僚がお膳立てした「事業仕分け」に矮小化され、予算の権限は全面的に財務省に残り、平成22年度予算がさっさと作成されて、通過した。同時に、公務員の天下りは容認の方向に傾き、もちろん、公務員人件費の削減も実行されない。今や、幹部公務員は、役所に残って高収入を得続けることも出来るし、天下りの道も開けている。
 同時に、鳩山内閣は、自ら消費期限を区切ったかのように普天間問題を中心に着々と追い込まれていった。
 そして、今度は菅首相に消費税率引き上げを語らせての参議院選挙だ。
 官僚たちも、こんなに上手く行くとは思っていなかったのではないか。

 官僚機構は便利な男を御輿に乗せた。
 「10%」の根拠を問われて上手く答えられなかったり、就任当初から支持率が10%ほど下がって慌てて実施は先だと言い出したり、毎度おなじみの「首相のブレ」を見せてはいるが、菅氏は意地っ張りであるから、いったん言い出した増税路線を変えないだろう。
 加えて、「増税しても、雇用の増加に使えば、景気は良くなる」という菅理論(小野理論?)は、もともと市民運動家の菅氏の社会主義的な感性にフィットしているのだろうし、官僚たちにとっては、官製の事業を拡大する上で好都合だ。次の予算案の通過くらいまでは、菅首相には利用価値がありそうだ。
 しかし、官僚たちは、調教の済んだ犬のような菅氏を、「この頃、案外かわいいな(≒使いやすいぞ)」というくらいには思っていても、彼のことを全く尊敬していないだろうし、好いてもいないだろう。人気が低下して政権運営が停滞したら、いつでも別の人物に取り替えてもいいと思っているのではないか。かつて、「官僚は大バカだ」と言った菅直人だ。官僚は、自分をバカだけではないと思っている(その点がバカかもしれない)生き物なので、一度でもバカと言われたら一生忘れない。
 菅氏にとって何が致命的な障害になるかはまだ分からないが、来年度の予算の通過にメドが付けば、それが、特定の政策であっても、行政の運営であっても、あるいは政局であっても、官僚集団が菅氏をサポートすることはないのではないか。
 逆風にさらされたときに、菅氏は、ひたすら低姿勢に徹して受け流すのは苦手だろう。対立が先鋭化したり、不人気が極まったりするのは早いのではないかと想像する。

 個人的には、菅直人氏に対する人物評価の根本は「仲間が本当に困っているときに助けなかった男」という点だ。首相として頼むに足らない人物だと思っている。
 昨年の政権交代は重要なイベントだったし、とりわけそのスタートは重要だったはずだ。菅氏自身に割り当てられた「国家戦略担当」の役割を十分果たさなかったことも問題だったし、予算にあっても、普天間問題にあっても、菅氏は副総理の立場にありながら、鳩山内閣をサポートしなかった。就任以来、鳩山首相が潰れるのをひたすら待っていたようにしか見えない。

 人物評価上イメージが被るのは、現衆議院議長の横路孝弘氏だ(私の故郷の北海道一区選出だ。高校は違うが、中学校時代に同じ先生に習ったことがある)。彼は、かつて社会党のプリンスと言われた人物だったが、社会党が存亡の危機にあったとき、期待されながら党首の御輿に乗らなかった。右派左派に分かれた当時の社会党にも大いに問題があったし、彼が党首で選挙に臨んでも、社会党に大きな改善は見込めなかったかも知れないが、以来、私は、彼を「いざという時に役に立たない、頼りにならない男」だと思っている(地元民の一人としてもともと期待していたので、一転して厳しい評価になった面はあるが)。
 菅氏は市民運動のご出身だが、横路氏は、二世議員ではあるものの、確か選挙に於いて「勝手連」に支持された最初の政治家で、若手の頃は清新なイメージだった。昔、フレッシュだった政治家が、いかにも政治家らしいズルい男になっていったプロセスも似ているのではないか。

 また、失礼ながら、菅氏は年齢的な衰えが早いのではないか。氏の若い頃と較べて滑舌が悪くなっているし、人相がたるみがちにアンバランスに崩れていると感じることが多い(脳の衰えの表れではないか)。やりとりの論理性にも疑問を感じることが少なくない。
 加齢の影響の出方には大きな個人差がある。たとえば、小沢一郎氏は、普通に歳を取っているとは思うが、表情や言葉遣いから「脳が衰えた」という感じはしない(首相になって欲しいとはさらさら思わないが、彼は、まだ「生きている」感じがする)。
 何らかの非常事態が起こった場合、菅氏が国のリーダーであるという状況には、不安を感じる(これまでの何人かも同じくらい不安だったが、不安の質が少し違う)。

 菅・民主党は、財政支出のムダ削減を早々に諦め、子ども手当を縮小し、公務員の天下りも大いに許して、消費税率を上げつつ、官製事業の拡大に励むようだ。政策的には、昨年総選挙前の民主党とは全くの別物だと考えるべきだろう。
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小沢一郎氏は「戦いモード」ではゲームに勝てない

 小沢一郎氏の政治資金を巡る問題はまだ沈静化の段階に入っていない(=世間がまだ飽きていない)。
 この問題に対して、小沢氏は「断固戦う」と言い、鳩山首相は「どうぞ、戦って下さい」と言い、民主党の議員は石川議員の逮捕と捜査情報のリークを「考える会」を作った。
 正邪を争うことも大切だし、当人が「戦う」という気持ちになるのは分からないでもない。しかし、何かズレていないだろうか。現在の小沢氏及び民主党はゲームのルールが理解できていないのではないか。
 改めて文字にすると少し情けないが、現在のゲームのルールは「世間の好感を得ること」であり、「相手が正しくないことを証明すること」ではない。これは、検察側も同様で、世論が圧倒的に小沢氏擁護に回ったら「ほぼ敗北」ではないだろうか。

 鳩山首相は自らの進退について世論の支持次第だというようなことを言ったが、今のところ、内閣支持率は低落しているが、彼の続投を可とする世論が(なぜか)過半数を超えていてポジションを保っている(たぶん、彼が高圧的に威張らないからだろう)。他方、小沢氏は、幹事長を辞すべしとの意見が大手メディアの最近の調査で67%(朝日)、70%(読売)、73%(共同)に上っていて、現在形勢不利だ。
 たとえば、渡部恒三氏は、石川議員が起訴された場合の対応について「小沢君に共同責任があるかどうかは、世論を見ないといけない」(「東京新聞」1月19日)と述べた。世論で責任が決まるというのは話として滅茶苦茶だが、これが彼らの戦っているゲームの得点計算法なのではないか。

 検察もゲームのプレーヤーだし、メディアもこのゲームのプレーヤーだ。
 公平を装わねばならないというのは検察にとっての制約だが、現実問題として、全ての事案を手掛けるわけには行かないし、検察の人々も生身の人間だから、好き嫌いや出世に対する考慮は働くだろう。
 また、ある人からの又聞きなので名を伏せるが、鳩山政権成立直後に、霞ヶ関の官僚と複数のメディアの経営者が同席した会合で「いずれ民主党を叩く」ということについて申し合わせがなされたという(もちろん正式な合意ではなく、そういう合意が口頭ベースであった、というだけだ)。新聞・雑誌など既存の大手メディアにとって検察・警察はコンテンツの供給元であり、メディアが彼らの利害の側に就くのは当然のことだ。また、大手メディアの「政治部」はしばしば出世コースだが、出世は記者個人の人脈に大きく影響される。現在の幹部には自民党の有力政治家と人的なつながりを持っている人が多いだろう。
 彼らが相当程度「恣意的」なのは、(宜しくはないが)「現実」であって、ゲームの「前提条件」だ。小沢氏及び民主党はこれらを理解しておかなければならない。
 
<注;真面目すぎる読者のために注釈しておくが、以下は、思考実験であり基本的に「遊び」だ。現時点で小沢一郎氏を支持し応援しているわけではない。「遊ぶ」気分になれずに、小沢が悪いとか、検察が横暴だとか、「真面目」な議論を求める人は別の場所に行って下さい>

 それでは、このゲームにあって、小沢氏は何をなすべきなのか?
 それ以前、何をするべきでないのかを幾つか挙げてみよう。
(1)先ず、原則として、怒ったり、泣いたりすべきでない(これは喧嘩の常道)。
(2)メディア・国民に対して威張ってはいけない(記者には丁寧に「ご説明」すべし)。
(3)検察を口汚く批判してはいけない。
(4)重要なことを「隠している」という印象を持たれてはいけない。

 一方、なすべきことは難しい。
(1)なにはともあれ「同情される人物」になれ。「怒り顔」と「作り笑い」でなく、「いくらか弱い男」の顔を持て。
(2)やはり、自ら説明すると得になる可能性があるではないか。検察にリークされてメディア的に筋書きが出来る前に、詳細を自分から率直に説明するといい。
 小沢氏の経歴や行動から見て「カネの流れを小沢氏自身が知らない」ということはまずあり得まい。誰にどんな義理があって、何を得ているかは、小沢氏本人が誰よりもよく知っているはずだ。「政治家の台所」を包み隠さず率直な印象で、しかし、好印象に伝えることが出来れば、多少悪いカネがあっても、国民は小沢氏を許すだろう。
(3)味方のメディアを持て。率直かつ率先して情報をオープンにして支持を訴えるとネット世間は小沢氏の味方になる可能性がある。この際、ツイッター発信用の側近を持ってもいい。いっそのこと全ての会合の度毎につぶやいてもいい。また、「政治家小沢一郎の台所事情を明かす」というのは強力なコンテンツなのでどのTV局でもやりたがるだろうが、どこか一局を通じて流す方がいいだろう。亀田兄弟のTBSのような「小沢放送局」が持てるといい。もちろん、YouTubeもどんどん使う。
(4)もちろん、得意のドブ板的な行脚もやるといい。基本は選挙と同じだが、問題は全国が一区であることだ。ただ、東京だけでも制することができれば、世論は変わるだろう。
(5)民主党はソフト路線に転じよ。捜査情報のリークは「考える会」を作るのではなく、将来やるなら(今はタイミングではない)、いきなり具体的事例を挙げて犯人(検事?)を処分する方がいい。「考える会」は国民から見ると場当たり的で気持ち悪いだけだ。参加者が小沢氏に媚びを売っているようにしか見えないが、それ以外の効果があるのか?
(6)民主党には(小沢氏にも)メディア対策・情報発信の司令塔が必要だ。ばらばらに情報発信するのでは旧来メディアにいいように報じられるだけだ。単なる広報窓口ではなく、情報発信の戦略を考え指示する仕組みが必要だろう。

 多少怪しいお金の動きがあっても国民が小沢氏を好きになれば小沢氏の勝ち。後から裁判で無罪になっても、それまで国民に嫌われていたら小沢氏の負け。
 怒りと正論で勝てるゲームでないことは、選挙の達人にして囲碁の高段者である小沢サンならよくお分かりだろう。
 もっとも、やるべきことを「分かっている」のと「うまくできる」のは別だから人生は難しい。それにしても、政治家とはご苦労な商売だ。
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小沢一郎氏の碁から性格を探ってみた

 小沢一郎氏の政治資金を巡る問題は、首相が小沢氏に「検察とどうぞ闘って下さい」と言う異様な展開になっている。他方、検察の想定する筋立ても現時点ではよく分からないので、しばらくは、成り行きを見守るしかないのが歯がゆい。もっとも、小沢氏は、闘う以前に自分で自分の資金について説明できないのであれば、検察の捜査の適否以前に、彼が政治家として不適格だ。

 小沢一郎氏に対する現時点での私の評価は、(1)権力システムの作り方は今までのどの政治家よりも周到で精緻でありこの点には感心する(◎)、(2)コミュニケーション能力に於いて現代の政治家としての資質を欠く(×)、(3)精神的に不安定な点に不安がある(×)、(4)ところで政策としては何がやりたいのだろうか?(??)、というものだ。今のところ、高い評価を与えたい政治家ではないのだが、かなり興味深い人物ではある。
 残念ながら直接お会いしたことはないので、昨年行われた小沢一郎氏と与謝野馨氏の囲碁対局を並べて、小沢氏の性格を探ってみた。
 誰かが言っていたが、政治の為に土地を売ったという話はよく聞くが、政治で得た資金で土地を買ったという話は珍しい。囲碁は最終的には陣取りのゲームだから、土地が大好きな小沢さんの性格には合っているのだろう。

 対局は互先のコミ6目半という互角の手合いで行われて、与謝野さんが黒、小沢さんが白を持って、最終的には、白の15目半勝ちという大差で小沢さんが勝った。私は、実戦不足気味のアマ4段というくらいの棋力だから、専門的な内容には全く責任を持てないが、この碁については与謝野さんが緩めて小沢さんに勝ちを譲ったのではないかという印象を持つ。
 83手目までを並べると、与謝野さんの技が決まっていて、完勝ペースだ。しかし、その後、小沢さんの84手目以下の攻勢に対して、85手目、87手目、89手目の与謝野さんの応手が不自然で、上辺の黒の一団をあえて切断させて、形勢のバランスを取って碁の興味を後半につないだように見える。その後、中央の黒のひとかたまりが薄くなって、後手で生きる展開になった辺りは、与謝野さん側にも誤算があったかも知れないが、与謝野さんの方が強いのではないだろうか。与謝野さんとしては、「見る人が見ると分かってくれる」という気のしている一局ではないか。
 小沢さんはその後、謝依旻女流名人、井山裕太名人とそれぞれ三子で打って貰って、何れも持碁(引き分け)となっている。二局とも持碁とはクサい、と思っていたのだが、トッププロと三子で打てる実力ではないだろう。二局とも見ていないが、おそらくトッププロの高度な接待技術を味わうべき棋譜だろう。

 碁から言える、小沢さんの性格は「攻められるのが嫌い」という一点に尽きる。
 布石は白番ながら三連星で、黒の小ゲイマ係りに対しては鷹揚に一間に受けている。序盤から地を稼ぎに行くような碁ではない。驚いたのは、小沢さんの16手目、18手目で、序盤なのに狭い場所になにがしかの根拠を作ろうとしている(ハッキリ言って筋悪の手だ)。そして、幾らか根拠らしきもの(本当は不十分なのだが)を作ってから、相手の石を挟み返して攻めに回ろうとしている。この後も、自分の石が相手に閉じこめられて、攻められることがないように気を配っている(白38手目など)様子が窺える。
 碁から推察するに、一方的に攻められる立場に立つ事情聴取は何としても避けたいということだったのかも知れない。
 その他、全体を通して小沢さんの碁は、飛躍はないが堅実な手が続く印象だ。こういうアマチュアが相手だとプロも持碁を作りやすいのではないだろうか。
 私から見て、こんな碁なら勝てるという相手ではないが、感心するほど強いという印象はない。

 他方、前半の与謝野さんの打つ手は、並べていて「こう打って欲しい」という所にどんどん手が回っていい調子だ。一般に、碁を並べてみて「自分と同じくらい強い」と思う相手は自分よりも強いものだと言われている。与謝野さんの碁を見て、私としては「強いなあ」と思うので、与謝野さんの方が私よりも明らかに強いのだろうと想像する。機会があれば二子置かせて貰って一局教えて欲しいものだと思う。
 私は与謝野さんの選挙区に住んでいるのだが、自民党支持者ではないので、残念ながらその機会はないだろう。

<追記> 囲碁通の知人から、謝さんと小沢さんの対局に関して、「謝さんは、配慮せずに勝ちました。井山さんの碁は新聞に引き分けと書いてあったので、打ち掛け(私の推測)ではないかと思われます」との指摘がありました。
 私の記憶ちがいがあった可能性が大きいと思います。トッププロによる高度な接待技術が発揮されたかどうかは不明です。(1月28日)
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政治家の説明責任

 小沢一郎氏の政治資金に関する問題が大きく動いている。
 この間の動きを複数の新聞で見ていると、「読売」「産経」と「朝日」「毎日」では別の事案ではないかというくらい報じ方がかけ離れていたが、石川議員の逮捕に及んで各紙の記事の調子が揃った。やはり国会議員の逮捕ともなると重大事なのだろう。
 「毎日」の記事によると、昨年3月、捜査が迫ってきたときに小沢氏は元秘書であった石川氏に対して小沢氏は「おい石川、腹すえろ。お前のところにも(検察の捜査が)行くからな」と声を掛けたというが、石川議員の「腹」は今、どんな案配なのだろうか。
 鳩山首相、小沢幹事長と、民主党は表裏のトップの政治資金問題を抱えている。それでも自民党の支持率は上がりそうにない時期であることが、民主党政権にとっては幸運に見えるが、対応を誤ると政権の瓦解もあり得なくはない。

 事実関係に関しては、それこそ鳩山首相のように「捜査の行方を見守る」しかないが、鳩山首相、小沢幹事長のこの問題を巡る説明については、どうにも納得しがたい点が一つある。それは、彼らが、自分のの政治資金の問題について、自ら説明しないことだ。
 鳩山氏は「捜査中なので」説明しないと言うことが多いが、「捜査中」は理由になるまい。刑事事件の容疑者は自分に不利な供述を強要されるべきでない、という原則はあろうが、鳩山・小沢両氏のような人達が自分の問題を自分で説明して悪いという理屈はどこにもない。
 政治家としては、自分の問題が起こった時点で事実関係を自分で確認すべきだろう。議員としては何を置いても重大な問題であり(自分にとってもそうだし、自分に投票した有権者に対してもそうだろう)、全力で事実を調べるべきだろう。それで分からないというというなら、政治家を続けるべきではない。事実関係の調査は捜査に任せるべき問題ではない。「捜査中」あるいは「公判中」だからコメントしないというのは、押尾学クラスの小物(公的立場でないという意味で「小物」と言っている)ならともかく、有権者の付託を受けた議員の立場では到底納得できる理由ではない。
 連日の小沢氏擁護の論陣で、何やら安倍政権末期の「産経新聞」を鏡に映して左右逆に読んでいるような感のある「日刊ゲンダイ」(←学生時代からの愛読紙)だが、この日刊紙でさえ、鳩山、小沢の両氏は事実関係をきちんと説明すべきだと言っている。
 自分の問題を自分で説明しない時点で、彼らには退場勧告を突きつけてもいいのではないだろうか。

 以下、余談を少し。
 「日刊ゲンダイ」が言うように、捜査の情報がどんどんリークされる(今のところ「読売」の報道が突出して早くで豊富だ)状況は、公務員の守秘義務違反だろう。こと検察の問題に限らず、本来なら、「公務員の誰々が、○○新聞に重要情報を漏らした」ということ自体が大きなニュースになるべきだが、情報源に飼い慣らされたメディアがこれをやる可能性は残念ながら極めて小さい。潰れそうな某新聞あたりで、一度やらないものだろうか。
 権力を集中させるシステムについては、今回の政権で、小沢氏が一つの解答案を分かりやすく示したように思う。小沢氏以外のプレーヤーが彼のシステムをそのまま使いこなせるかどうかはよく分からないが、このシステムがどう変化していくかに注目したい。
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羽毛田宮内庁長官を「少し」応援する

 中国の習近平副主席が異例のスケジュール調整で天皇と会見するに至った問題について、羽毛田宮内庁長官が、鳩山内閣の対応を批判した。これに対して小沢民主党幹事長は、「どうしても批判したいなら、宮内庁長官の職を辞任してから意見を言え」と会見で怒りを露わにした。どちらが、正しいのか。

 この問題は、論点をいくつかの問題に分解して検討する必要がある。
(1)まず、政府が異例のスケジューリングで中国の要人と天皇との会見を要請したことが「天皇の政治利用であり、不適切」なのかどうか。
(2)次に、天皇の会見に関する「一ヶ月前ルール」の効力と正当性。
(3)そして、官僚が政府を批判する意見を述べていいかどうか。

(1)端的に言って、天皇の行為は基本的にすべて国のためであり、どう言い繕っても「政治的」な要素を含むものだ。そして、これが内閣によってコントロールされるべきだという小沢氏の意見は正しい。
 「政治利用だからダメ」ということではなく、どのような政治利用が適切あるいは不適切なのかを論じるべきだ。その意味では、小沢氏は、たとえば、日本にとって中国がいかに大切なのかを主張すればよかった。
 他方、宮内庁長官が「どの国も平等に扱うという建前」を強調するのは、やや越権的であったかもしれない。宮内庁にとっての専門性は主として天皇の健康管理等の問題のはずだ。他国と中国の扱いをどうするかは、政府の外交方針だ。
 天皇の関わる行為については、最終的には政府が決めることになるし、政府が方針を決めたら、宮内庁はこれに従う必要がある。
 ただし、天皇に関わる問題でもあり、宮内庁長官が、今回の中国に対する対応は異例だということを指摘することが「悪い」というべきかどうかは難しい(→論点3)。

(2)「30日ルール」だが、これは小沢氏が言うように法律で決まっているわけではない単なる慣行だ。政府の方針が優先されるべきだという意見に一定の説得力はある。ただし、こうした慣行があることを国民は知るべきだし、今回例外があったことを知ってまずいということはない。
 一方、この慣行の主な理由は天皇陛下の健康問題だから、この背景について宮内庁が注意を喚起することは悪くない。「内密にやるべきだ」という意見もあろうが、国民が天皇に関する事情を知って悪いということはない。
 最終的に内閣が方針を決める問題であることは動かないが、その方針の善し悪しについては、国民にも十分な判断材料がある方がいい。事情を知らなければ、国民は次の選挙で正しい審判を下す材料がない。必要な情報を与えずに選挙をやって、「国民に信認された政治家」のごとくに振る舞うのは、悪質な詐欺だ。
 小沢氏が「国民に知らしむべからず」と言いたいなら、それは不適当だ。

(3)官僚が政府の方針に関して意見を述べていいかどうかという問題は難しいが、官僚が政府の決定に従うべきだという前提を守った上であれば、専門的な見識を持った立場から意見を言うのが悪いということはあるまい。
 今回も羽毛田長官が意見を言わなかったら、国民は、天皇陛下の周りで何が起こっていて、中国の要人がどう扱われているかが分からなかったかも知れない。
 批判的な意見は辞任してから言え、というのは、恐怖政治につながりかねない暴論だ。
 小沢氏も政治家なら、自分の方針を国民に対して堂々と訴えればいい。彼のいうところの「役人」を個人攻撃すべき場合ではない。官僚の発言を封じるために人事的な圧力をかける、というのは、政治家として無能だし、人間として卑怯だろう。

 幾らか古い(昔の日本の会社にあったような)組織人の論理で考えるなら、あるいは、羽毛田宮内庁長官は「今回の会見を認めるなら、私を解任してからにしてくれ」と鳩山首相に食い下がって天皇陛下を守り、求められれば黙って辞任するが筋だということなのかも知れない。しかし、端的に言って、これは古い。より効果があると思えば、メディアを使って主張を訴えるということがあってもいい。
 公務員なら、政府の命令には従う。しかし、同時に意見を言うことがあってもいい。
 会社員でも同様だ。そんな骨のある人物は滅多にいないだろうが、反社会的な行為(たとえば「偽装請負」)を行っている会社の役職員が、自分の仕事は組織人としてこなしながら、他方で、自社の悪行をメディアを通じて批判することがあってもいい。
 会社は(正確には経営者ないしはその取り巻きの茶坊主が)、就業規則で社の批判(あるいは内情の暴露)を禁止して、会社を批判する社員を処分しようとする場合が多いだろう。しかし、この場合に、悪いのが会社の方だとしたら、この種の就業規則を認めることは、「世間」の立場としては得策でない。
 同様に、「政治主導」を旗印に官僚の「意見」まで封じようとする小沢流を認めることも国民としては得策でないように思う。言うのが、政治家だろうが、官僚だろうが、一国民だろうが、意見は意見だ。言わせてみればいい。
 仮に、今回の羽毛田長官のようなケースを処分の対象にすると、官僚は政府を批判できなくなる。現政権では政府は完全に与党に指導されるので(あたかも中国政府と共産党の関係のように)、ただでさえ官僚は与党を批判しにくい。従って、官僚の持っている情報が国民に伝わりにくい。これは、国民にとっての損失が大きいのではないか。

 今回の宮内庁長官の批判は、小沢氏の「痛いところ」を突いたのかも知れない。巷間言われているように、議員多数を引率して中国を訪れた「小沢学校修学旅行」と今回の問題が関連しているのかもしれない。
 そうでなければ、小沢氏があんなに怒った理由が分からない。
 彼が冷静であれば「それは内閣で対処する問題です」とでも言って、別の人間(鳩山首相か平野官房長官)を使って、羽毛田氏に圧力を掛ける方が効果的だった。あの程度の話で本性を露わにすると、権力者としては値打ちが下がる。

 私は、今回の羽毛田氏の発言の内容には賛成しないが、発言したこと自体は断然支持したいし、今回、大権力者である小沢氏をうまくからかったことに関しては面白かったと思う。この程度のことがあってもいいではないか。
 ただし、今後の彼は処遇は、小沢氏の権力構造がどのようなものになりつつあるのかを見極める上で大いに注目したい。
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日本郵政はいったいどうなるのか?

 日本郵政の西川善文社長が辞任を発表し、斎藤次郎氏が後任の社長に指名された。現内閣は実質的に小沢政権なので、どこかで斎藤次郎氏が登場するのではないかと思っていたが、日本郵政の社長とは少し驚いた。人材的にはなるほど思う面もあるのだが、「元大蔵次官」(しかも斎藤氏の場合は「一〇年に一度の大物次官」という下らないキャッチフレーズがつきまとう)をこのポストに充てるのは政治的にはいかにも拙い。鳩山内閣の支持率は下がるのではないだろうか。他に使える人材を見つけられなかったのだとすれば、民主党政権としては少々情けない。
 民主党や国民新党が郵政四事業を一体化したい、つまり、日本郵政の業態を郵政公社時代程度まで元に戻したいらしいことは総選挙中の両党の公約や言動から推測できたが、郵貯の資金がほぼ自動的に財政投融資に向かい「第二の予算」とされていた時代まで戻そうということなのだろうか。かつての大蔵次官を新社長に据えると聞くと、そこまで考えているのかと疑ってしまう。

 この件に関するコメントもそうだが、郵政民営化については、一言でシンプルに答えるのが難しい。先般、あるテレビ局から掛かってきた電話で「山崎さんは、小泉内閣の郵政民営化に対して反対のご意見をお持ちだと聞いたのですが・・・・」と言われて、当惑した。
 私は、郵貯と簡保の縮小・分割・売却などを含む「郵政のもっと素速い民営化」を支持していた。郵貯は規模を縮小し(たとえば)地域分割して民営化し、簡保は契約を分割して民間の保険会社に売却し、郵便事業は参入を自由にして速やかに民営化する、といったイメージだった。能力に見合わない規模の金融業を民営化しても暴走が心配だし(西川体制には暴走の危険があったと思っているので、西川氏の退任には賛成だ)、親方日の丸を背景に拡大してきたビジネスは政府が責任を持って縮小して始末すべきだ、と考えてきた。
 郵政民営化に関わってご苦労された方々には申し訳ないが、大きな図体のゆうちょ銀行をそのまま民営化するような民営化は不適当だと思っていたし、そもそも民営化を愚図愚図と進めるからこのようにひっくり返るのだ。
 今回の混乱のおおもとの原因は、「郵政民営化!」の掛け声だけで自分で責任を持って手を下さなかった小泉純一郎元首相のリーダーシップの不足にあったと思っている。面白くて魅力的だが、些か迷惑な人物だった。

 それにしても、日本郵政はどうなるのだろうか。「どうすべきか」と「どうなるのか」を一緒に考えると訳が分からなくなるので、先ず、「どうなるか」だけを考えてみるのが、これがサッパリ分からない。

 唯一想像できるのは、郵便・郵貯・簡保が「一体化」するだろうということだけだ。今後は、たとえば一人の郵便局員が、郵便と一緒に貯金や保険の面倒も見てくれる。地方の郵便局などでは便利になるのかも知れないが、都会暮らしをしていると、そのメリットは今一つピンと来ない。事業的に不採算になりやすい地方の郵便局のコストを都会のビジネスの収益でカバーしなければならないので、全体がどんぶり勘定になって、都会でも地方でも「一律」の価格・サービスが実現するということなのだろう。
 一つの事業体の判断として、どうしてもそうしたいならやっても構わないが、たとえば郵便については、完全に自由化して欲しい。ヤマト運輸でも年賀状を出せるという状況でなら、日本郵政がムダの多い経営をしていてもある程度は許せる気がする(政府が株主なので、納税者としては大らかに全てを許すわけにもいかないが)。
 もともと郵政民営化は、(1)郵貯と財投の結びつきを断つ、(2)実質的に国の保証が付いた郵貯・簡保の民業圧迫を解消する(少なくとも競争条件を揃える)、(3)郵便・運送事業の民間との競争条件をフェアにする、(4)特定郵便局制度など半ば利権化していた郵便絡みの非能率・不公平を解消する、といったことが目的だったはずだ。
 財投の問題に関しては、財投機関債が発行されるようになり、郵貯の資産運用が自由化された時点で、民営化を待たずに、制度的には問題が解決した。但し、ゆうちょ銀行に巨額の資金がある限り、これをどう運用するのかという問題は残る。ゆうちょ銀行が国債や財投機関債を大量に買い込んで実質的に国策銀行化する可能性はある。もっとも、ゆうちょ銀行が無理な資金運用(中小企業融資、株式投資、デリバティブ運用でカモになる、など)に走るのも、株主である国民にとっては迷惑な話だ。
 何れにせよ、新体制の日本郵政が郵貯の預け入れ限度額をどうするか、銀行としての業務範囲をどうするのかが最大の注目点だ。

 今の時点で、「どうすべきか」を論じるのはひどく虚しい感じがするが、一つだけはっきりしているのは、ゆうちょ銀行の資金量を縮小した方がいいということではないだろうか。利用限度額を引き下げるところまでやるならそれは望ましいが、国民新党が利用者の利便性を強調してきた手前、そうはなりそうにない。預貯金の利率を下げて、運用は国債に準ずるもの中心で大きなリスクを取らずに規模を縮小するという方向でもいいが、さてどうなるか。
 ビジネスとしては、日本郵政は、自分自身が小口の預貯金の扱い機関であると共に決済・送金の機能を持ちつつ利用者の利便性を確保し、同時に、投資信託・保険・あるいは他の銀行の預金などの良心的且つ廉価な手数料での総合的な販売者となればいいと思うのだがどうだろうか。金融界の現状を見ると、金融商品の販売手数料と販売倫理については、政府100%保有の日本郵政が民業を少々圧迫しても構わないような気がする。日本郵政は、自らが運用機能(従って運用資産を)を抱え込まない方がいいと思う。それで、「全国一律のサービス」も「顧客の利便性」も十分確保できよう。
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亀井大臣は鳩山内閣を救うか?

 この人くらい名が体を表さない人も珍しい。ここのところ大いに目立っている亀井静香郵政問題・金融担当大臣だ。「静香」とは一体何を間違えたのか。

 亀井氏は、なかなかに複雑な人だ。前々回の衆院選では堀江貴文氏が刺客として彼の小選挙区に向かったような古き自民党の代表的な「抵抗勢力」出身でありながら、ご本人は革命家チェ・ゲバラが大好きらしい。かつてアメリカの要人が彼の事務所を訪れて、ゲバラの写真を見て仰天したという。また、警察に影響力を持ち、かつて許永中氏とも親交があったというような普通の人は怖くてとても付き合えないような強面かと思うと、実は、死刑廃止を訴えている代表的な政治家でもある。
 親しくなりたいかどうかは別として、興味の湧く人物だ。

 この亀井氏が、大臣に就任早々にぶち上げた返済猶予構想(「亀井モラトリアム」)は大いに物議を醸し、批判を呼んだ。私は幾つかのメディアでこの問題について書いたので、詳しくは繰り返さないが、(1)銀行に損をさせるような制度にはならないだろうし(そうなると貸し渋り・貸し剥がしが深刻化するから)、(2)民主党との落とし所は大まかには最初から準備されているだろうが(もともと政策集に載っている)、しかし、そうなっても(3)金融のプライシング機能を停止させ、不正な利用が相当に紛れ込み、「出口」も難しく、制度として弊害は極めて大きいのではないか。
 本来はやるべきでない政策だというしかないが、しかし、日銀が金融緩和を十分に行わずにデフレが進行する現状では、この亀井モラトリアムが、政府による「信用の緩和」となって、金融緩和がやっと大きく進む可能性があるという意味で、悪いことばかりではないかもしれない。長期連用した場合に明らかに毒性は強いが、一時的には良薬かも知れないのだ。政策を単体で評価すると、政府が保証してコストの面倒を見るとしても、そうでなくても、「経済の仕組みを無視した愚策」と言わざるを得ないのだが、今この時点では、民主党政権を救う政策になるかも知れない(財政的にも、次年度予算は、財務省に実質的に丸投げしそうなので、不景気誘導型の緊縮予算になる心配がある)。
 この関連で言うと、日銀が社債・CPの買い取り停止を検討するとの報道に対して、亀井大臣は「日銀にはときどき寝言を言う人がいる」と言うヒットを飛ばし、これもニュースの見出しになった。

 政権発足後三週間経って、民主党の閣僚たちの動きには、物足りなさが目立つようになってきた。国家戦略室の「局」への格上げ法案も、子ども手当も臨時国会には上がらないらしいと報じられており、その通りだとすると、政権が変わったことによる政策の「変化」を国民は感じることが出来ない。今回の選挙で民主党に投票した人の何割かは、早くも民主党政権に飽きてしまうだろう。
 また、鳩山代表の「故人献金問題」の処理が遅い点も気がかりだ。「捜査中だから何も言えない」というのは小悪党がやむを得ずに行う言い逃れであり、自覚のある政治家なら自分の不始末なのだから、全力を尽くして自分で調べ、分かったことを一日も早く公表するべきだ。捜査への協力は「当たり前」であり、自分の調査とは独立の問題だ。一般論としても、やってしまった不始末は、早く認めて、他人の期待よりも大袈裟に潔く謝るのが、通常は正しいトラブル・シューティングだ。問題を長引かせると、より大きな謝罪をしなければ許して貰えなくなることが多いからだ。鳩山氏は、陳謝して、頭でも丸めたらどうか。国民もこの種の追及には些かうんざりしているから、「許してやろうよ」という話になるのではないか。
 八ツ場ダムも急には話が進みそうにないし、新型インフルエンザのワクチンも厚労省が大量輸入を渋っている。国民のイライラが募りそうな状況だ。

 こうした中、亀井大臣はニュースになる発言を連発している。
 西川氏をはじめとする日本郵政の経営陣への退任要求も、いったいこれから日本郵政をどうするつもりかという肝心の問題がサッパリ見えてこないとしても、それなりに世間の耳目を集めそうだ。
 「日経平均先物廃止」(今更そんなことをしても無意味。不便になるだけ)、「銀行の時価会計無期限停止」(時価評価を隠蔽しても実体は良くならないから情報効果上は無意味・有害)、「ペイオフの停止」(銀行も預金者も自立しない)といった亀井・国民新党の政策は滅茶苦茶であるが、これらを法案としては実現しない程度にぶち上げると、やはり世間の注意を集めそうだ。

 亀井氏が、自分自身の相対的なポジション(代表的守旧派)を意識しつつ、実際には手加減しながら、暴言・暴走的なニュアンスの発言を繰り返すことが、実は、愚図でのろまに見えている鳩山内閣の仕事ぶりから国民の注意を逸らす一種のアシストなのだとすると、これはなかなか大した役者なのかも知れない。
 「鶴は千年、亀は万年」。亀は鶴よりも10倍立派らしいが、鳩に対してはそれ以上の差がありそうだ。鳩の任期が10カ月、などということにならなければいいが・・・。

(読者へ: 私は、亀井氏の政策や行動を、大真面目に評価し、賛成している訳ではありませんので、その点は誤解無きように。亀井氏の人物は面白いし、魅力的だとも思いますが、政策は好意的には評価しません)
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反面教師としての前原国交相

 八ツ場ダムの工事中止を巡って、前原国交相が不必要に問題を混乱させているように見えます。大まかな経緯は、
(1)国交相に就任直後、八ツ場ダムの工事中止をキッパリ明言、
(2)八ツ場ダムの現地を訪問すると発表、
(3)八ツ場ダムの地元(の人たち)が「中止が前提なら意見交換会はしない」と拒否、
(4)前原氏は「地元や関係都県の理解を得るまでは基本計画廃止に関する法律上の手続きは始めない」と表明(産経新聞、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090921-00000563-san-pol)
(5)視察の際に(選挙公約なので)「ダムを中止する考えを白紙に戻すことはない」と発言(時事ドットコム、http://www.jiji.com/jc/c?g=eco&k=2009092300163)、
といったところでしょうか。

 まだ決定的な混乱や失点には至っていませんが、このまま手詰まりになって報道が大きくなると、工事を中止しても・中止できなくても非難を浴びることになりそうです。鳩山内閣最初のオウンゴール的な失点になる心配があります。
 特に気になるのは、上記の(4)と(5)です。
 「地元との合意無しに法的手続きを進めない」という言質を与えることは、前原氏側のフリーハンドを著しく制約する下策です。しかも、そう言っておいて直ぐに、やっぱりマニフェストは守らなければならないから、白紙撤回はありえないというのでは、そもそも相手と話し合う姿勢が全く無く、相手に対して大変失礼です。地元自治体が「態度を硬化」させるのも当然です。
 特に(4)を考えると、前原氏側からは、現在打つ手がない状態です。それでも、自分が嘘つきになって、党の選挙公約だから工事は中止すると手続きを進めるならば、大混乱が起こりかねませんし、それは、彼が余計なことをしたからです。

 ここまでの前原氏の何がいけなかったのかを考えると、直接的には(A)議論で相手を説得する態度を取らなかったことであり、おそらくは、(B)そのための準備が不足していたのでしょう。(C)それなのに不用意にあれこれ発言したというところが、失敗でした。

 政治的には、前原氏にとって「八ツ場ダム建設を中止しない」という選択は、ほぼ不可能でしょう。しかし、この方針を世に発信する際には、その根拠を用意しておかなければなりません。
 八ツ場ダムの場合、たとえば「これまで掛かった費用はサンク・コストだから意思決定には無関係だ。工事を続けると、費用が○○○○掛かり、国民にとってのメリットはあったとしても△△△程度。他方、工事を止めると費用は××掛かり、国民にとってのデメリットは□程度。計算すると、工事中止が合理的。だから、これは止める方がいい」という論陣を張る必要がありました。
「私はダム建設中止の方針に自信があります。根拠を皆さんに分かりやすく説明します。しかし、私が説得されたら、建設中止を白紙撤回する用意があります。意見のある方は、遠慮無くお越し下さい」とでも言って、大見得を切って現地入りすれば良かった。
 もちろん、その際の具体的な数字を用意しておく必要があり、相応の準備が必要です。利害の掛かっている相手をナメてはいけません。
 もっとも、数字のあげ方も、(国民にとっての)損得も、いろいろなデータや試算があって、決着が着きにくい問題なのかも知れませんが、ダム工事を中止したい前原氏としては、明確に負ける議論さえ避けて時間が経過すれば「議論を尽くした」ことになる種類の手続きです。ここを手抜きするのは得策ではありません。
 最悪「引き分け」に持ち込める根拠が無い場合は、取りあえず問題を先送りして時間を稼ぐべきでしょう。工事を中止するにしても、継続するにしても、事態の見極めと、材料収集が必要です。

 それにしても、必要な準備無しに勇ましいことを言って、あれこれ言い訳するうちに墓穴を掘るという展開は、彼が代表の頃の「永田メール事件」を思い出します。ここまで不用意では、仲間は危なくて仕方がありません。
 前原国交相という人事は、彼の持論が突出する防衛相を避けたなかなかいい人事かと思っていましたが、考え直さないといけないかも知れません。彼のような人に、たとえば、JALの問題などが的確に処理できるのか、大いに心配です。

 ただ、ビジネスの世界でも、前原氏的な失敗はよくありそうです。今回の彼は、取引先や顧客が嫌がる決定の通告を社長に命じられた中間管理職のような立場と言えるでしょう。そこで、不用意に相手の前に出て、結局は自分の都合だけを言うような事をすると、取引相手が怒ってトラブルが起こるのも当然です。
 彼の立ち直りを期待しつつ、今回の件では、反面教師として記憶にとどめることにしましょう。

 尚、私(山崎)は、八ツ場ダムの工事中止の国民的得失に関する試算をしたわけではありません(上記拙文の主な関心は八ツ場ダムではなく前原氏の行動です)。検討の結果、工事を中止しない方がいいという結論が出る可能性もあるということを付記しておきます。
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