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「尊敬する人物は?」という質問

 先般、ある勉強会的な集まりでFacebookの効用と可能性について聞き囓り、「やってみないと、いけないなあ」と思うに至った。私は、少なくともIT分野にあって先進的な消費者・ユーザーではない。ブログもツイッターも私が「やった方がいいかなあ」と思ったのは、流行がかなりはっきりしてからだった。今回のFacebookも既に十分流行っている。しかし、Facebookの場合、これをどのように使ったらいいのかが分からなかったので、取り敢えず、Facebookの解説本、いわば「顔本」を数冊買ってきた。
 Facebookは実名でのコミュニケーションであり、直接的な交際に近く、「深い関わり」を持つことが可能な環境ないしツールであるとの印象を持った。
「速く、浅い」ツイッターよりも、Facebookは「やや遅く、深い」。一方、ブログは対象が広いが匿名性が許容される分内容が雑多になる(これは、これで長所でもある)。という具合に考えると、私の仕事や日常にとって、Facebook取り入れるのは悪くなさそうに思えた。当面は、実名で顔写真付きの方と少しずつ交流させて貰うことにする。
 Facebookの感想は、しばらく触ってみて、またご報告する。今回の本題は、Facebookではない。

 Facebookのプロフィールのページはかなり詳細に自分を紹介できるようになっている。趣味やスポーツの好みなどの他に、政治信条(「優しい自由主義者です」と書いた)、さらに「尊敬する人物は?」という設定項目がある。

 「尊敬する自分物は誰ですか?」というのは、人によっては答えに準備の必要な質問かも知れない。私も、しばし考え込んでしまった。
 一つには、私は、他人を、「凄い!」とか、「立派だ!」とか、「羨ましい!」と思うことは多々あるが、全面的に「信じる」ことはしないようにしようと考えている。
 だから、人物の行動や業績に対して高評価することはあっても、それが、個々の行為に対する感心にはなるが、人物そのものに対する「敬意」には転化しにくい。
 従って、具体的な人物名が、「実感を伴って直ちには」出て来ない。

 小考の後、Facebookのプロフィール欄における「尊敬する人物は?」という質問に、自分の実感を以て答えようとすること自体が不適切なのだと気がついた。
 この質問は、実質的には「あなたは、どんな価値観を持っているのか、具体的な人物名を挙げて示してみて下さい」ということだろうし、さらに「どんな価値観を持っている人物だと他人から思われたいのですか?」という質問だと考えるべきだろう。
 単純な実感正直主義がいかに場の文脈を弁えないことがあるかについては、かつて、民主党の岡田現幹事長が「愛読書は何ですか?」という質問に対して「同じ本は二度読まない」と答えた事例が余すところ無く伝えているように思う(何度思い出してもスゴい回答だ!)。この場合、彼は、「あなたはどんな本を愛読書とする人として人々に理解されたいか」という質問に答えるべきだったのだと、私は思う。

 さて、それでは、世界一偉い人は誰だと思うか?と自問した時に答えを出すことは簡単ではないし、身近なところで「父」などと答えるのも(誰にでも知られているような父親でない限り)、文脈オンチの範疇だろう。

 頭の中の検索には数秒の時間が掛かった。
 申し訳ないが、政治家はとても対象になりそうもない。
 学者や哲学者はどうか。彼らは、著作や論文を通じた業績に感嘆する対象ではあっても、個人としての人柄を云々するほど身近な対象ではない場合が多いし、業績と人柄はまた別であると考えることが適切な場合が多いように思う。
 「資本主義と自由」は人生の進路にも影響を与えてくれた好きな本だが、著者であるミルトン・フリードマン氏が尊敬の対象として紹介したいような人物であるとは、とても自信が持てない。ショーペンハウアーの考察や皮肉の切れ味には大いに感心するのだが、こちらも、私にとって尊敬できる人物というイメージの人ではない。
 経営者はどうか。世の中を動かし、多くの人を雇用し、自分の目的を達成する人という意味で、尊敬すべき人の必要条件を満たしているような気がするのだが、具体名が挙がりにくい。
 成功した経営者は、
(1) 多くの場合、「威張る」し、
(2) 訊きもしないのに自分のこと(自社の経営方針とか、人材育成とか、最近の勉強内容とか・・・)ばかりまくし立てるような(自己中心的な)人物だし、
(3) 聞いていてくたびれるようなポジティブシンキングに他人を付き合わせる(「ポジティブ・シンキング・バカ」、略称「PTB」と呼ぶことにしている)ハイテンションの持ち主だ(こちらは、劣等感の裏返しであることが多いようだが)。
 これらを一概に悪いとは言いにくいのだが、彼らは既に十分経済的に恵まれており、さらに尊敬して褒めるには及ばないような気がする。
 ちなみに、経営者の書いた本ではジャック・ウェルチの「ウィニング 勝利の経営」(日本経済新聞社)が好きだが、その理由の半分は、彼が大らかに本音を書いていて内容が参考になるからであり、残り半分は「経営者って人種は仕方がないなあ」と時々苦笑できるからだ。欲望の塊のような人物だった経営者が、坊主のような説教を垂れることが多い、日本の経営者本の多くは読んでも面白くない。

 それで、尊敬する人物はどうなったか? この種の問題の答えは、諦めかけた頃にふとやって来る。
 私の答えは、小倉昌男さんだ。ご存じない方はWikipediaでも見て欲しいが(http://ja.wikipedia.org/wiki/小倉昌男)、ヤマト運輸の経営者だった方だ。
 私は、残念ながら直接お目に掛かったことはないのだが、著作「小倉昌男 経営学」は読ませて貰ったことがある。
 勝手な印象であり、私の誤解かも知れないが、彼は「威張らない」、稀有な成功経営者だった。これだけでも、凄い。
 ビジネスでは、旧運輸省、旧郵政省の規制と戦い、横暴な取引先とも妥協しなかった(Wikiには三越との事例が書かれている)。一方、審議会の委員として採算性の乏しい高速道路に賛成したことなどについては事後に反省を述べるような率直さも持ち合わせていた。加えて、晩年は、現実的なビジネスを通じて障害者の経済的な自立を支援することに取り組んだ。
 素晴らしい人柄であり、人生だと思う。

 「尊敬する人は?」という質問への私の答えは、今後変化することがあるかも知れないが、小倉昌男氏を尊敬することは変わらないだろう。
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