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ランダエタ選手にとっての合理性とは?

ボクシングについて語りたい読者が、別のコメント欄にいらっしゃるようなので、ボクシングのエントリーを立てます。

亀田選手(長男)の先日の世界タイトルマッチは、判定に疑問符の付く、後味の悪い試合で、おおいに物議を醸しました。この再戦が、早くも10月18日に、行われます。この亀田-ランダエタ戦の結果は、さて、どうなるのでしょうか。

前回の試合が、試合に自体については八百長のないガチンコの試合であったとすると、ランダエタ選手の方が、亀田選手を明らかに技術的に上回っており、パンチも同等以上にあったのではないか、というのが、あの一試合から判断する限りは、一般的なボクシングファンの評価ではなかったでしょうか。

亀田選手のパンチは、鬼塚解説者の解説とはうらはらに、ランダエタ選手のボディーをあれだけ打ちながら、終盤までランダエタ選手のスタミナを奪うことが出来ませんでしたし、一方、本来ならKOパンチであるべき左のストレートが何回かあたりながら、こちらも、ランダエタ選手に大きなダメージを与えることが出来ませんでした。

亀田選手の長所を敢えて挙げると、一階級上から降りたことにもよる、体格と体力であり、ガードの間を時々抜かれながらも、単調な八の字ガードを押し立てて、過半のラウンドでランダエタ選手を「押し」続けることが出来た愚直な圧力でした(相撲ではないですがね・・)。あれが、たぶん、亀田選手言うところの、「親父のボクシング」なのでありましょう。彼の、試合のスタイルは、大口に似合わぬ、地味で不器用なものだと思います。

一方、こちらは一階級下から上がった、ランダエタ選手も、そう褒められたものではありませんでした。スタミナに心配があるのか、最初と最後の二ラウンドくらいずつしかアグレッシブはでなかったし、特に、「疑惑の判定」に対して抗議をしなかった(WBAに提訴しなかった)姿勢は、本当に勝ちたい気があったのかを疑わせる行動でした。また、ボクシングの内容としては、右(彼はサウスポーです)のガードが下がり気味で、亀田選手の左のストレートを不用意に顔面で受けることが何度もありました。それで、彼が、倒れなかったのは、亀田選手の左が甘かったからなのでありましょう。

次回、10月18日の問題は、このランダエタ選手が、果たしてどれくらい本気且つ本調子で勝ちに来るかどうか、ということではないかと思えます。

そもそも、たった2ヶ月くらいの間隔で再戦をするのは、亀田(とTBS?)サイドが大晦日に「亀田祭り」をやりたがっていて、そのための「禊ぎ」を早く済ませたいからではないのか、ということが想像できます。そのために、ランダエタ選手を呼ぶのであれば、それなりのファイトマネーやメリットを彼に与えるでしょうし、「露骨に手を抜かないまでも、強く勝ちにこない」というくらいの気分が、彼の、経済的利益と処世にとって有利ではないのか、という疑いが、少なくとも、彼の前回以上に本当に真剣な試合を見るまでは消えません。

この試合に買った場合の亀田選手の商品価値は、次の試合だけで、主催者側とテレビ局にとって数億円は下らないでしょうし、一方、ランダエタ選手のファイトマネーは、数百万(前回)からせいぜい2千万くらいのものではないかと思われます。ランダエタ選手は、この試合に勝ったところで、ファイトマネーが3千万円、5千万円、・・・と跳ね上がることはないでしょう。たぶん、あのレベルだと、中南米の軽量級の強い選手と次に当たって、タイトルを失う可能性が大きい・・・・。

つまり、経済的なインセンティブの問題としては、亀田選手で次に商売を出来る側が、何らかの形で、ランダエタ選手に1千万~数千万円程度の「利益供与」を確約すると、八方が丸く収まる、ということです。

ランダエタ選手が、(1)前回のように亀田選手を最終回まで保たせた場合、(2)将来にダメージの残らないボディーで倒れた場合には、上記のようなディールが蔭で成立したのではないか、という疑いが、消しきれずに残ることになります。

ボクシングの試合を純粋にスポーツとしてでなく、「興業」として、また「社会の縮図」として解釈しなければならないのは残念ですが、ある意味では、細部まで目の離せない、妙に見甲斐のある試合が行われるということです。まあ、楽しみにしましょう。

それにしても、ライトフライ級で試合をしていなかったどうしのタイトル戦を認めて、更には再戦を直ぐに認める、WBAの対応は解せません。また、亀田選手サイドも、本当に力があるなら、日本人のある程度力が認められたボクサーと戦ってすっきり勝って見せると、「好き嫌いは別として、やっぱり亀田は強いんだ!」という世論が出来るのに、何やら訳ありの外国人選手としか試合をしないのは残念です。

尚、私が日頃楽しみに見ているボクシング番組は、WOWOWの「エキサイトマッチ」です。ビデオに録画して、目下、一ヶ月~二ヶ月遅れくらいのペースで見ています。

ここしばらく(今年)の試合では、中量級の試合が面白く、マニー・パッキャオ対エリック・モラレス、シェーン・モズレー対フェルナンド・バルガスの試合(何れも先に名前を出した方のKO勝ち)などが印象に残っています。今後は、階級を上げてきたフロイド・メイウェザーが誰からキツイ一発パンチを喰うのか、喰わないのか、というあたりが、関心事です。
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「安倍語録」から

Ohmynewsに、青木理氏が、「安倍語録」をまとめられています。これまでの、国会答弁、著書、インタビューでの発言などから抜粋したものですが、読む価値があると思います(http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000001564)。

私が気になった発言を三つあげてみます。

(1)「侵略戦争の定義は定かでない。政府が歴史の裁判官になって単純に白黒つけるのは適切でない」(衆院予算委)

一番気になったのは、この発言です。ある戦闘行為が侵略戦争かどうかは、確かに議論の余地がありますが、政府、即ち行為の決定者は、「白黒」の判断が出来ていなければなりませんから、過去の事例についても、将来起こりうる仮定のケースについても、明確な判断を持っていなければなりません。それが侵略戦争であるかないかが判断できない人が、たとえば、自衛隊の行動を指揮するというのは、不適当ではないでしょうか。

この程度の論理構造を分からずに、その場しのぎとも思える口先を弄するというのは、不誠実なのか、それとも、ご本人としては不誠実でないと思っているとすると、議論に耐える「脳ミソ」が無いからではないか、という推論が自然に思えます。どちらでも困ったものですが、第三の可能性はあるのでしょうか?(北朝鮮を欺くために、バカのふりをしているとか・・・)

靖国参拝問題についても、「行ったか行かなかったか言う必要はない」「首相になったら、行くとも、行かないとも言わない」(注:安倍氏の発言そのままではありません)といった内容のことを仰っておられましたが、必要なのに立場を明らかにしないこと、或いは、「白黒」の付く議論を避けて行動しようとすることは、非常に危険な傾向だと思います。必要な説明や議論をしないリーダーは危険です。

(2)「我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持するのは憲法によって禁止されていない。そのような限度にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない」(衆院特別委で)

これも、かなりの発言ですね。憲法は、核兵器と通常兵器の区別について触れていませんが、日本が核兵器を保有することは、核拡散防止条約に反しますし、現時点では、近隣職国も日本国民も望まないのではないでしょうか。このような発言を、「憲法には禁止と書いてないじゃないか」という感覚でできてしまうとすると、視野の狭さ、想像力の貧しさ、発言へのリスク感覚の乏しさは、政治家としてはB級品以下だと思うのですが、いかがでしょうか。

(3)「現憲法の前文は何回読んでも、敗戦国としての連合国に対する詫び証文でしかない」(『安倍晋三対論集』)

感想はご本人の自由ですし、日本には言論の自由が(ある程度は)あるので、こう発言したこと自体を非難しようとは思いませんが、現憲法に対してこのような認識の人物が、総理大臣になるというのは、私としては、気持ちの良いことではありません。

ちなみに、私個人の意見を述べると、敗戦は事実ですし、日本として連合国に詫びるべき行為も多々あったと思うので(戦勝国側にも原爆投下をはじめとして多々あったと思いますが)、「詫び証文」を掲げること自体は、少しも悪いことではないし、正しく詫びることこそ、むしろ誇るべきことではないかと思っています。



何れにしても、今後、安倍氏について考えることは重要でしょう。その際には、事実(主に安倍氏の発言)に基づいた論考が必要でしょうから、今後も「安倍発言」のコレクションは重要です。注目すべき発言があれば、是非、当ブログにご教示下さい。ご協力よろしくお願いいたします!
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竹中平蔵氏と新庄選手に見る、参議院の「軽さ」

 安倍晋三氏、中村獅童氏、植草一秀氏、と、基調として、「怒って」評するテーマが続き、幾らか怒り飽きてきたのだが、今週考えなければならないJMMのテーマでもあり(掲載は来週月曜日の配信予定号)、竹中平蔵氏の参議院議員辞職について少し考えてみる。

 今回、世間の反応として一般的なのは、任期が6年ある参議院議員を途中で放り出すのは無責任だ、という批判のようだ。「日刊ゲンダイ」の9月18日号によると、たとえば、河野太郎衆議院議員は、自身のメルマガで、「ふざけるんじゃねえ!! 小泉政権が終わるから議員を辞めますーっ? 何をぬかしやがる」以下、大いに怒っているとのことだ。選挙では多くの人が応援したし、投票も受けたのだから、これをないがしろにするな、という理由らしい。

 竹中氏が、何を思って議員辞職するのかは、まだよく分からない。「日刊ゲンダイ」の同じ号に載っている、閣僚就任以前の住民票を日米で移し替えて住民税を払わなかったとされる問題や、マクドナルド株を受け取っていたエピソードなどから推察しても、また、昨年、全議員トップの雑所得1958万円(うち78%が講演料だという)といった数字から見て、経済的な損得にはかなり敏感な方だろうから、閣僚から外れて、一議員として過ごす状況は、収益性が低いと考えたにちがいない。ちなみに、「週刊ダイヤモンド」の調査によると、国会議員の年収は、平均2200万円程度だそうで(所得以外のメリットもあるが)、これは大相撲の幕内力士の年収の平均くらいだそうだ(どちらにも「タニマチ」がいる!)。

 参議院議員を辞める竹中氏は確かに少々勝手な印象だが、彼は、辞めることがいけないのか、それとも、選挙に出たことがいけなかったのか。これは、後の展開から見るに、参議院選挙に「出たこと」の方がいけなかったのだろう。小泉首相と共に辞めるということが議員辞職の理由なら、明らかに任期の途中になる参議院議員に立候補するのは無責任だった、とは言える。

 振り返って考えるに、当時の竹中氏の立候補目的は、(1)閣僚として議席を持っていないことへの自民党内からの批判をかわすため、(2)参議院選挙で自民党の票を稼ぐため、の二つであった。
 
 前者は、小泉政権で閣僚ポストが配分されなくなった議員の逆恨み的な批判への対応だったが、これは、もともと、民間からでも適材適所で(竹中氏がそうだ、というのではなく、建前として)閣僚に起用するという趣旨で大臣になったのだから、その立場を貫徹すべきだっただろうし、敢えて言えば、その趣旨を徹底させなかった、任命者である小泉首相の態度が男らしくなかった。一方、竹中氏としては、閣僚として政権に関わり続ける手段として、選挙に出ることを選んだのだろう。
 
 比較の上では、「参院選での票稼ぎ」という理由の方が、より深刻な問題だったのかも知れない。竹中氏に投票した有権者の多くが、私は、神取忍氏(=繰り上げ当選)に投票したのではない!と思っているだろう。
 
 ここで思い至るのは、一方で、参議院のあまりの「軽さ」であり、他方で、そうはいっても参議院の「重さ」でもある。
 
 竹中氏の辞職発表の少々前に、プロ野球の新庄選手が参議院選挙に出馬するというニュースがスポーツ紙などに流れた。自民党、民主党、両方が口説いているらしいという観測記事に、フジテレビ「とくダネ!」の司会者である小倉智昭氏は、番組中で、「両党とも、イデオロギーはどうでもいいのか」と批判した(党に対する軽い批判のニュアンスだった)。たまたまその日にコメンテーターをやっていた私は、「新庄選手は、頭がカラッポだから、イデオロギーは後から入れればいいと、両党とも思っているのでしょう」と発言した。
 
 「あたまがカラッポ」はさすがに乱暴かと、言ってみてから少し反省したが、選挙に出ることを話題作りに利用するのはいかがなものかと思ったので(本気ではないと、思っているのだが)、はっきり噂を否定しない新庄選手側に腹が立って以上のように述べたのだった。
 
 竹中氏がポストを軽く捨て、新庄選手が軽い話題作りに利用する。今や、参議院の存在は何とも軽い。
 
 しかし、前回の選挙で、竹中氏が「票寄せ」に出馬したことからも分かるように、参議院で多数を押さえることは、与党側にとっては「重い」問題であることが分かる。
 
 参議院の役割に対する評価は、人によって様々だろうが、小選挙区制で、勝敗が大きく傾きやすくなった衆議院の暴走を止めるブレーキ役としての意義が、まだあるのではないだろうか。衆議院の方が強いことは仕組み上そうなっているのだから仕方がないが、今の制度でなら、参議院で与党の勢力を強めないことによって、国民は、与野党のバランスを取る選択肢を持つことが出来るし、与党寄りの重要法案がどんな法案でもどんどん通ってしまうという事態をある程度避けることが出来る。
 
 存在感は薄いが、二大政党がある程度拮抗するような状況が出来るまで、激変緩和のためのブレーキとして、参議院にはまだ存在意義があると思う。
 
 ところで、竹中氏が議員のポストに留まった場合、もし、何かの問題があって、竹中氏が批判される場合には、「議員辞職を求める」という声が上がったにちがいない。選挙の意味や、個人の自由の問題などもあり、今回の竹中氏の議員辞職を正確に批判することは案外難しい問題だと思う。ただ、竹中氏が、参議院議員のポストを「軽く見ている」という感は否めない。
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植草一秀氏の、再びの痴漢逮捕

植草一秀氏が、また痴漢(迷惑防止条例違反)で逮捕された。報道によると、電車内で、女子高生のスカートの中に手を入れて触ったとのことだ。前回は、手鏡でスカートの中を覗いたとのことだったが、そういえば、この対象も女子高生だった。

前回は、有罪が確定するも植草氏は行為を否定し、「濡れ衣」あるいは「罠」を主張していた。「ミラーマン」という言葉が有名になるなど、世間は、面白おかしく大騒ぎしたが、被害者には申し訳ないが、さすがに、この"社会的処罰”には少々行き過ぎの面があったように思う。

世の中でもそのように思った人がいたせいか、また初犯ということもあり、植草氏は、大学に職を得て、会員制で有料の経済分析レポートを刊行するなど、活動を再開し、徐々に「復権」しつつあった。先ほど買った「夕刊フジ」にも、本紙(=「夕刊フジ」)で、9月12日から「もっとがんばれ日経」という連載が始まったばかりだと書いてあった。

だが、今回は、再犯だから、全く同情されないだろうし、視聴率や部数が欲しい人々は、世間の関心がある間、彼を存分にいじり回すだろう。彼本人については、全く、仕方がないと言うしかないが、ご家族のことなどを思うと、些か複雑な気持ちになる。確か、前のミラーマン事件の際は、直前に、お嬢さんが有名私立幼稚園に合格したのであった。あれから時間が経っているから、お嬢さんも大きくなっているのだろう。いたたまれない気持ちになる。

改めて言うまでもなく、このタイミングの再犯で、植草氏が失ったものは、あまりにも大きい。凡そ、経済合理的ではない、と思えるのだが(植草氏本人も、たとえば、他人の話なら、リスクとリターンとが見合っていない、と分かるだろう)、それを、やってしまったのが、今回の事件だ。

植草氏の容貌は、概ね「美男子」と言っていいと思うが、彼の顔の左右がかなり非対称に見えることについて、私は、前々から気になっていた。あるマッサージ師の解説によると、顔の左右のバランスが崩れるのは、脳の左右のバランスが悪いからだ、とのことで、根拠はよく分からないが、ミラーマン事件が起こって、「なるほど」と私は思っていた。彼の性癖と、彼の脳、さらには、彼の表情との間には何らかの関係があるのだろうか。

「女子高生」がいいのか、「通りがかり」がいいのか、「スリル」が堪えられないのか、何れなのか分からないが、どうしても我慢できずにやってしまう、という性癖は、これを病気と名付けるかどうかはともかく、深刻な社会的不適応の症状であり、彼は、何らかの「治療」の手を打つべきだったのだろう。芸能人の、田代まさし氏や、そのまんま東氏のケースなどを見ても、こうした「性癖」に基づく犯罪・不祥事は、再犯(再現)率が高いように見える。仮に、この種の性癖がある種の依存症の様なものだった場合、どのくらい治療に効果があるかどうかは分からないが、少なくとも、自分の性癖を甘く見ずに、彼らは、対策を講じるべきだった。

私は、父から、「人は、しばしば、自分の一番好きなものによって滅びる」と聞いたことがある。植草氏のケースもこの原則にあてはまるのだろうか(もちろん、まだ彼の人生は終わっていないが、かなりのダメージを負ったことは間違いない)。

尚、私が、植草氏本人と会ったのは一度だけだ。数年前に「文藝春秋」がエコノミスト11人を集めて行った座談会でお会いした。想像してみて欲しいが、11人の、しかもよくしゃべるエコノミストの対談は、なかなか発言の順番が回ってこない。じっと順番を待っていると、当時、テレビ慣れしていた植草氏と某私大のS教授が、しばしば、話に割り込んで、順番を巻き戻してしまったことを思い出す(対談の仕切も少々拙かったのだが)。また、植草氏は、同じ話(他のエコノミストの批判)を三回以上繰り返した。私は、彼の経済論に賛成でなかったし、正直なところ前から嫌いなタイプだったのだが、この時の自己中心性と粘着性に、「嫌い!」の念を深めたことを覚えている。

今でも、「嫌いなタイプ」には違いないのだが、前回のミラーマン事件の際にはそう強く思わなかった事だが、今回は、彼を、「患者」あるいは「社会的適応に障害のある人」とも見るようになった点が、私としては、多少の心境のちがいである。もちろん、それで彼の罪が軽くなるとか、軽くすべきだといった考えは私には無いが、今回は、世間、特にメディアが、彼をどのように扱うのかについては大いに注目している。テレビなら、コメンテーターにわいわい騒がせるよりは、医師にインタビューしたVTRを流すのが適切だと思うが、どうか。

一つ意見を付け加えておく。行為として「悪い」のは同じだが、今回の植草一秀氏の痴漢行為よりも、中村獅童氏の飲酒運転の方が、行為そのものとしては遙かに悪い(何といっても、危険だ)と私は思っている。メディアの、両事件の扱いのバランスも見ておくべきだろう。
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中村獅童が横浜市職員なら

以下の論点については、昨日、「ニュース・リアルタイム」という日本テレビの番組出ていた時に気がついた(この番組には、9月にもう一度だけ出演予定があり、それ以降、予定はない)

番組中のコーナーで、公務員の飲酒運転事件について取り上げる一コーナーがあった。先ず、飲酒運転の実態を取材したビデオなどが挿入され(飲み屋から出てきた千鳥足の酔っぱらいが、車を運転して帰って行く様子である)、飲酒運転が、他人に危害を加える可能性のある重大な犯罪であることを伝える。次に、最近の飲酒運転事件について、公務員によって引き起こされたものが多いことを紹介し、さらに、地方自治体(都道府県や政令指定都市に取材)では、職員の飲酒運転に関し、(1)例外なく懲戒解雇、(2)基準を定めている、(3)個別に判断、の三通りがあり、基準が統一されていないことを報じて、この是非を問う、という構成だった。

ところで、このコーナーの時間的には少し前に、エンターテイメントのコーナーがあり、そのコーナーでは、歌舞伎俳優の中村獅童氏が、飲酒運転で書類送検されたことが報じられていたのだった。

先のようなコーナー展開の終わりに、私に振られた「(自治体によってルールに差があることについて)どう思います?」という質問に対する私の発言は、
1)飲酒運転は他人に危険をもたらすので、そもそももっと「コスト」の高い厳罰でなければならない、
2)公務員については基準が厳しい方に統一されている方が国民の期待に叶うだろう、
3)ところで、先ほどの中村獅童氏のケースは、彼が横浜市職員なら懲戒解雇である。芸能界は甘すぎるのではないか、
というような趣旨であった。文字に書くようにスッキリと話せていたか、じっさいのしゃべりを見ていないので、自信はないが、こんな趣旨だった。

(尚、このコメントは、予定外の内容であったが(特に3番が)VTRを見ながら、キャスターの笛吹雅子さんに相談してみたところ、OK(=それも一つの意見だという意味で)という感触を得て(これは私の思いこみかも知れないが)、私の責任で話したものだ。彼女は、その場でフェアな判断が出来、かつ番組を進行できる優れたニュース・キャスターだと思う)

ところで、「週刊朝日」9月22日号の梨本勝氏の「ここまで書いて恐縮です!」によると、中村獅童は10月に新橋演舞場で始まる舞台「獅童流 森の石松」に復帰するのだという。梨本氏も文中で、事件から2ヶ月での復帰が早すぎるとの意見を述べておられる。(彼が、復帰を急ぐ、家庭の事情等については、梨本氏のコラムをご参照下さい)

私としても、個人的な感情として、中村獅童氏が、2ヶ月でしれっと舞台に復帰し、メディアがこれを紹介し、実質的に舞台を宣伝するような推移は気持ちが良くない。しかし、一方で、処罰は、法的に行われるべきで、芸能人は嫌なら見なければいいのだから、謹慎を強制する事で、社会的に処罰しようとするのは行き過ぎかも知れない、とも思う。どう考えるのが、いいのだろうか。

芸能および芸能人は社会的に影響が大きいし、これに対する批判を通じて制度や社会に対して意見を述べることは、効果的だ。他方で、通常、芸能界は、話題の提供も含めて、メディアや世間を宣伝にも使う。これらのバランスを考えると、意見の根拠と責任をはっきりさせておくなら(根拠とする事実に誤りが無く、実名で自分の責任で発言するなら)個人を批判しても、構わないのではないか思える。批判的にも取り上げられることは、彼らの商売の一部といっていいだろうし、好意的なコメントだけに限る必要はあるまい。

従って、「飲酒運転事件を起こした中村獅童氏の舞台復帰は、もろもろの影響を考えると、早すぎる。人はこれを観ないことで意見表明するが効果的であろう、と私は推奨する。また、舞台復帰および事件の風化のムード作りに加担するメディアがあれば、これを批判することも重要だ」という考えを、目下の私の結論とする。

中村獅童なんて、観てやるな!
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少子化の大きな理由

いつもと少し調子の違うことを書いてみます。

自分の身の回りで感じたことは、つまり、自分に利害関係のあることなので、自分の意見として発表するには慎重であるべきだと思うのですが、ちょっと感じたことがあるので書いておきます。

私は、現在、東京都内で、近くに入園可能な保育園があり、且つ、通勤にそこそこに便利な場所にある、ファミリー向けの賃貸物件はないか、と探しています。(今日は、一件、物件を見てきましたが、今一つでした)

妻は現在育児休暇中ですが、仕事を持っており、単に収入面だけでなく、世間とのつながりや自分のやり甲斐の面からも、産休明けには、仕事に復帰したいと考えており、私も「それがいい」と思っています。そうなると、問題は保育園なのですが、これが実に難物なのです。

公立の保育園、及び私立の認可保育園は、東京の場合、区に申請して入園が決まりますが、これが復職ぎりぎりまで、決まりません。待機児童がゼロという区ならいざしらず、なにがしかの競争はあり、また、区内のどこの保育園に割り振られるかも分かりません。場所の便利・不便もありますし、保育園による差もあるので、希望した保育園でなければ困るのですが、これが入園可能なのか不可能なのかが、ぎりぎりまで分からないのです。

認可の申請書類には、勤務の状態(時間や収入など)を書く欄があるようなのですが、そもそも、保育園が決まらないと、これらを書き込むのも難しいと思うのですが、なぜ、区ごときが(敢えて「ごとき」と書きます)、審査をして、保育園の振り分け先を決めなければならないのでしょうか。

無認可の保育園だと個別に入園交渉が可能ですが、数が少なく、質的にもピンからキリまで多様です。

こうした事情なので、近所に良さそうな保育園が複数あって、待機児童の少なそうな区に引っ越して、後は運の良いことを願う積もりなのですが、上手く行くものなのかは、分かりません。

近年、少子化が問題になっていますが、そもそも(1)保育園が少ないこと、(2)保育園に確実に入れるかどうかある程度の時間的余裕をもって分からないこと、(3)保育園と個別に交渉が出来ないこと、などによって、母親が働くことが難しくなる可能性があることは、少子化のかなり大きな問題になっていると思います。

産休のコストや、出産・育児の費用なども問題ですが、そもそも、子供が居ると働けないという可能性が残るようでは、女性が子供を作ろうという気にならないでしょう。

専業主婦の税制優遇など、日本の制度は、女性が働くことを本当は望んでいないのではないかと思えるくらい、働く女性に対して意地悪に出来ています。収入面でも、生き甲斐の面でも、働きたい女性は多くいるはずなので、保育園環境の改善が切に望まれます。

尚、私は、「少子化が問題だ」とは思っていませんが(少子化に対応できない社会は問題ですが)、子供を育てるのに不自由な社会は問題だと思っています。
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「安倍晋三の経済政策」を取り上げたレポートについて

一般には、昨日、今日辺りから話題が出て(証券界ではもう話題になっているのでしょうが)、多分、週末から来週には多少問題にもなると思われる件ですが、安倍氏の経済政策について、某証券会社のストラテジスト(今の段階では、●●氏としておきます)が書いたレポートと、これから出版する本が問題になっています。レポートを入手して、ざっと読んでみたので、感想を箇条書きにして、取り急ぎお伝えします。

1)これは、いわば、社長に就任予定の二代目社長が、社長就任時に発表する経営方針や新製品について仲の良い証券会社の担当者にぺらぺらとしゃべった、ということであり、二代目社長(=安倍氏)は現在社長になっていないから、現時点でインサイダー情報を漏らしたということにはならないが、実質的に次期社長であることを考えると、極めてガードが甘いし、「軽い」としか言いようがない。社長(=総理)の器ではない。

2)証券会社が、有力者から聞いた情報を、顧客に得意げに伝えることは「良くあること」。●●氏もいいネタモトに直接会ったことを8/14の第一号レポートで誇示しつつ、彼の顧客である機関投資家(彼は機関投資家からの株式売買発注や人投票などで評価される)に先に情報提供し、9月に入って個人向けに情報を出すことは、彼の仕事にとっては自然だし、典型的な情報の流し方だ。安倍氏としても、株屋に情報を漏らしたら、あるいは、株屋を周囲に近づけたら、この程度の利用をされることは当然想定しなければならない。こんな人物を呼んで「勉強会」をやっているようでは(まして「ブレーン」だとしたら)、情けない。

3)普通、●●氏のようなストラテジストは、個別の推奨銘柄までは挙げないことが多い。政策→セクター(業種)→代表・典型的銘柄、というアイデアの乏しい推奨銘柄なので、どうということはないが、話題になり具合によっては、一部の株価に影響が出る可能性はある。ヤフーや楽天の大まかな解説など、プロにはどうでも良いことが書いてあり、一般向けの本の原稿に流用することを考えながら書いた原稿ではないか。本としては「具体的推奨銘柄あり!」という方が俗受けする。

4)●●氏としては、安倍ブームに乗っかって、機関投資家には「安倍政権に近い男」をアピールし、本を売ることで、一般向けの知名度も欲しいのだろう。かつてのリチャード・クー氏のようなポジションを狙っているのではないか。

5)●●氏は、レポートで、安倍氏は経済政策に弱くないと言っているが、このタイミングで、●●氏と対談までした本を、内容を知りながら、つまり、半ば自分の経済政策の本として出版するのだから、安倍氏は、「経済政策に弱い」ことは間違いない。家庭教師か相談相手(カウンセラー?)なのか分からないが、ある種のお客さんであり、いいネタモトでもある安倍氏を、●●氏が悪く言うはずもない。

6)レポートの内容に現れる「経済政策」は、小泉政権発足時に言われた、改革と自由化による経済活性化やIT推進などに、80年代後半的な「もう一度バブルを」のテイストを加えただけのもので、新味は全くない。ネット、IT関連、不動産、金融、介護など、何れも、何年か前でも推奨できたものだ。安倍氏の周りにブレーン面して集まる連中が、自分のビジネスにとって都合のいい話を囁いて、それが寄せ集まって政策になると、こんなものなのだろうが。

7)私個人としては、安倍氏は、スピーチの練習はしているようだが、議論がキチンと出来ない印象であり(反対意見を論理的にキチンと扱うことが出来ない)、経済政策についてだけでなく、「アタマ全体が弱い」のだと思っている。個人に対する評としては、言葉がきつすぎて妥当でないかも知れないが、首相を目指す政治家なので、敢えてはっきり言う。リーダーの脳みそではない。
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法廷闘争以外のライブドア事件

被告人、堀江貴文氏の公判がいよいよ始まりました。ある人のお話では「ホリエモンは視聴率になるけれども、村上と来ると視聴率にならない」のだそうですが、堀江氏への関心の高さを背景に、相当の量の映像が流れたようです。

裁判そのものは、粉飾について、堀江氏の明確な指示があったと立証されるのかどうかという辺りが(あとは、投資事業組合の利益が売上にできるか)問題のようですが、スピード審理でもあり、今後の展開に注目しましょう。

ここで、一つ、余談です。さる弁護士さんにお聞きした話ですが、海外の推理小説では、検事が、被告人と仲違いしたかつての仲間を証人に立てて、これを切り札に被告人を「追い込める」と思っていたら、裁判の途中で、証人が証言をひっくり返して被告人が無罪になり、実は、もともと、仲違いしたはずのかつての仲間は、証人になって被告人を救うために、仲違いを装っていたのだった、という筋書きのものがあるそうです。堀江氏の元部下で現在別の裁判の被告人の宮内氏にそれだけの胆力と演技力があれば、ものすごいドラマになりますが、宮内氏にそうした意図が無くても、彼も罪の内容を軽くしたいでしょうから、彼にどれだけ有効な証言をさせることができるかは、やはり見所です。

さて、裁判の法律論は脇に置くとして、ライブドア事件について、理解しておきたいポイントが二つあります。

一つは、粉飾であるかないかは法廷に任せるとして、自社株の売却益を売上にして利益を稼いでいるように見せた、問題の決算でのライブドアの行為は、投資家から見て極めて好ましくないものです。これが有罪にならないのなら、法の不備として、ルールを修正しなければなりませんし、この点については、「悪いものは、悪いのであり、それは明らかだ」と、私は考えています。堀江氏も、せめて「結果論ではあるが、投資家に対して、適切でない形で情報をを出したことは、悪かった」と認識すべきでしょう。

またまた、余談ですが、世間には、「堀江の破滅が見たい」というムードと拮抗するぐらい「堀江を応援してみたい」というムードを感じます。ムードのバランスが微妙なときなのだから、堀江氏は、昼飯に、今日はウニ弁当、明日は焼き肉弁当、などと、偉そうなものを喰わずに、ここは、故郷の明太子でも入ったコンビニおにぎりでも喰うべきではないでしょうか。フジテレビ以外のテレビ局は、堀江氏を早くテレビに担ぎ出したくてうずうずしているのでしょうから、誰か教えてあげればいいのに・・・・。

それにしても、2004年秋の元気に見えたライブドアが実は儲かっていなかったのだ、という事実は、興ざめです。あんな会社に、大きすぎる時価総額を与えたのは、明らかに「市場の失敗」です。

ところが、実は、市場の奥深いところは、そんなヨタヨタのライブドアが、2005年の秋には、相当に良さそうな格好にビジネスを持ち上げており、時価総額も7000億円を超えていました(時価総額がやはり大きすぎるとはいえ、好調は認めなければなりますまい)。この辺りの移ろいやすさは、ビジネスと株式市場の「汲めども尽きぬ」面白さ&扱いにくさです。

さて、もう一点のポイントは、東京地検の捜査方法の当否です。サイレントじゃないマジョリティーさんのコメントにもあるとおり、会社に大きな時価総額があるからといって、50億円強の粉飾を取り締まらない方がいい、ということは、簡単には言えませんが、あの強制捜査からの一連の地検の行動が「6000億円の時価総額を吹っ飛ばした」のは概ね事実です。

「比喩は比喩に過ぎない」、「比喩を分析してはいけない」という一般的な注意事項を心掛けつつも、一番近い比喩を作ってみると、以下の通りです。

『500万円の窃盗の疑いが極めて濃い男の罪状を固めるために検察が踏み込んで、時価7億円のマンションを殆ど取り壊したら、マンションの価値は土地代だけの1億円になってしまった』

この場合、被疑者の男以外の、マンションの住人はだれを恨めばいいのでしょうか。「君が違法なことさえしなければ、こんなことには、ならなかった」と言って被疑者の男を恨むのか、それとも「マンションを結果的にあらかた取り壊した検察」か、ということです。

捜査の趣旨自体は正当であっても、捜査の方法によっては、回復不能な大きな被害が出てしまうのであり、「どのような方法で捜査すべきか」という論点は、少なくとも、マンションの他の住人の立場(ライブドア株主の投資家)からは残るし、検察が国民のものなら、その行為の当否を検証することは必要でしょう。
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書籍「ライブドアに物申す!!」

出版社から「ライブドアに物申す!!」という本が届いた。

44人の筆者が参加しており、私も数ページの原稿を書いている。

ライブドア社、ライブドア事件、堀江貴文氏についてそれぞれどう思うか、というアンケートに答えて寄稿したもので、もともと例の事件後に、ライブドア社のホームページで行われた企画がベースだ。このアンケートに、私は答えなかったのだが、その後、本を作る時に、筆者を何人か加える時に、加わったのだった。

編集者によると、筆者の一人が〆切から逃げて、出版が遅れたらしいが、堀江貴文被告の公判に間に合ったから、まあまあのタイミングだろうか。

ライブドアが巻き起こした話題や幹部の逮捕に発展した事件に関しては、あれほど話題になったが、急速に記憶が風化しつつあるように思われる。忘れても構わない事件だという意見もあるだろうし、そうせよ、と書いておられる筆者もいるが、公判が始まることでもあり、ポイントを思い出して、あれば何らかの教訓を覚えておくことは無駄ではないように思う。私は、どちらかと言えば、「ライブドア」と「ホリエモン」は覚えておく価値のあるケースだと思っている。

ポイントとして重要だと思うのは、
(1)ライブドアが急拡大できたビジネスの仕組みは何だったか、
(2)ニッポン放送を巡る攻防の意味、
(3)「国策捜査」としてのライブドア事件の捜査方法の当否、
の三点であり、敢えて付け加えると、
(4)「ホリエモン」という存在の社会的意味、
だろうか。
投資家として知っておくべきは(2)と(1)であり、特に(2)だと思うが、今後の公判の行方を見ると、最も重要なポイントとして(3)が浮上する可能性もある。

私の原稿は、楽天証券のホームページに載せた「ホリエモン論序説」を改筆したもので、主に(4)に興味を持つ視点から、(1)、(2)、(3)について書いたものだ。元原稿と、本に載せた原稿では、「堀江容疑者」が「堀江被告」になるような時間の経過による変化の外に、(2)で一点確認できたことがあったのと、(3)の視点が(弱いながらも)加わったことだろうか。

原稿をまとめながら、私の場合、事件について、検察からの情報が流される中で、これにコメントし続けてきたので、自分の立場をどこに置くかが難しかった。TVなどのコメントでは、どうしても検察サイド寄りのコメントになるし、それはそれでそう内容的に誤っていたつもりはないのだが、ライブドア事件が所謂「国策捜査」かも知れない、という視点も加えて事件を見直した場合、「粉飾は悪いとしても、50億円の粉飾で、6000億円以上の時価総額を吹っ飛ばして、投資家に大損させたあの捜査はどのくらい適切だったのか?」という疑問は消えない。この点は、公判を見ながら(幸い短期間で終わるらしいし)、改めて考えてみたい。

仮定の話で恐縮だが、ライブドアの事件がパッとしない場合、さらに村上ファンド事件も冴えない展開になる場合、東京地検特捜部はどうするのだろうか。別の事件に手を広げようとするのか、或いは、しばらくこの種のものは手掛けないのか。

村上ファンドの事件は、村上被告が裁判でどう供述するかをいわば質に取った形になっているように見える。「あまり追い込むようなら、裁判で供述をひっくり返して徹底的に争うよ」という交渉材料を彼は、検察に対して持っている。地検の個々人は基本的にこのような大きなリスクを取りたくはないのではなかろうか。「裁判ではおとなしく認めるから、彼個人や会社を徹底的には追いつめないように」という落とし所を村上被告側は作れるのではなかろうか。

村上ファンド事件でこうした展開が予想されるとした場合、地検は、ライブドアを「手柄」に出来るかどうかが問題になるが、なかなか上手く行かないかも知れない。「粉飾50億円だけ」というだけで、堀江被告を世間的にもどの程度悪者に仕立てきることが出来るかが問題になるが、堀江被告が「違法を認識しつつ、粉飾を指示した」という点がどの程度立証できるだろうか。「世間の空気」というものは移り気だから、堀江被告に対する同情論・待望論的な空気が出てくるかも知れないし、その場合、検察に批判の矛先が向かうリスクが検察側にはある。

こうした状況下で、検察は、更に手を広げるのか、それとも、この種の事件から撤退するのか。或いは、裁判と世論形成の両方で成功を納めるのか。他の事案にも影響するかも知れないし、この種の権力が、どのような考え方を持って行動するものなのかも含めて、向こう数ヶ月の動きに注目したい。
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