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ホリエモン・ブログに思うネットの「野暮」と「粋」

 通称ホリエモンこと(ご本人は「takapon」と仰っているが)堀江貴文氏がブログを再開した。ご存じの方が多いかも知れないが、「六本木で働いていた元社長のアメブロ」(http://ameblo.jp/takapon-jp/)というタイトルで、アメーバ・ブログを使っている。ほぼ毎日更新されていて、なかなかアクティブだ。
 彼は重大な容疑での刑事被告人であり、法的あるいは倫理的にたぶん何らかの非があるのではないかと私は思っているが、それと、新しいブログとには重大な関係はない。発信する自由と、受け取らない自由の、双方の意味でネットの世界では「自由」が重要な価値だと思うが、この観点で判断すると、彼がブログを書いていることは非難にはあたらないと思う。堀江氏のブログが不愉快な人はこれを見なければいい。
 コメント欄が誰かによって管理されているのかどうかは知らないが、「堀江さん、あなたは、意見の発信などする身分ではない」とか「キミは極悪人だ」というような幼稚な非難を書き込む人がいるとすると、これはお門違いだし、両者の関係を見ると「見苦しい」(嫌なら見なければいいのであって、わざわざ寄ってくることが、対人関係上は恥ずかしい)。その場の文脈で議論として意味のある場合を除くと、彼のブログに、単なる堀江批判や罵詈雑言を書き込む人は、堀江氏の知名度に嫉妬しているのだろう(嫉妬を見破られることは、一般にかなり恥ずかしいことだ)。
 実は、私の現在のブログの運営方針は、堀江氏のブログの影響を受けている。
 ライブドア時代の彼のブログは、コメント欄を(たぶん)ほとんどオープンにして、読者に好きなことを書かせながら、彼のペースで進行していた。
 当時、私は、彼のブログを読みつつ、これがネットの作法なのかも知れないと思ったし、ある意味で「粋」ではないか、と思った。「そうか、ブログは、こういう具合にやるものか」と思ったので、私は、このブログのコメント欄を概ねカキコミ自由にして解放している。
 ただ、堀江氏のブログのようなスタイルが、積極的に「粋」と言えるのかどうかは、かつても今も、自信がない。ある程度自信を持っていえるのは、閉鎖的なブログが「野暮」だ、ということだ。
 ネットのコミュニケーションの基本は、不完全ではあっても多くの人が情報(意見も含む)を持ち寄り、お互いが他人の貢献とネットという場に感謝することだろう(再び言うが、嫌なら、見なければいい)。この場の状況を理解せずに、議論でなく力んで他人を批判したり、物事を決めつけたりするのは、ネットのコミュニケーションにとってネガティブだという意味で、場をわきまえない振る舞いだから「野暮」なのだ。
 もっとも、粋とか野暮とかの難しいところは、相手や事柄を「野暮だ」と口に出して指摘すること自体が、相当に「野暮」であることだ。出来れば、お互いに言わずもがなで分かり合うのが「粋」だ。
 あるいは褒めすぎかも知れないが、ブログに於ける堀江氏の長所は、自分に対して割合に客観的で、場合によっては自分を笑いの対象にする余裕があることだ。自分は偉くて、自分の主張こそが正しいのだと力んでいる文章に較べると、二分法的には随分「粋」だ。最近彼が書いている、「技術が経済のパイを拡げるって話」とか、「夢精の話」とかの「内容」には、そう感心するわけではないのだが、彼の文章の書き方は案外クールだ。
 具体例に引いて恐縮だが(許可も取っていないし)、当ブログによくコメントを書き込んで下さるペンネーム「作業員」さんのコメントは、時に激烈だったり、一見乱暴だったりするが、「自分が偉そうにしていない」ということが読者によく分かる点にあって、「粋」に分類できると思う。
 もちろん、ここで言う「野暮」と「粋」は、議論の文章の内容そのものとは直接に関係のない話で、野暮だけれども意味のある、感謝したくなるような内容のブログやコメントも世の中には多数ある。
 主にブログに関係して、「野暮」と「粋」の別を二分法的に考えてみた。異論や追加があれば、ご教示いただきたい。

1)カキコミの制限→野暮、自由なカキコミ→粋
2)実名の要求→野暮、匿名(ハンドルネーム)の許容→粋
3)自分が成功した(自慢)話→野暮、率直な失敗の告白(自虐)→粋
4)アフィリエイトの利用やバナー広告→野暮、無償の運営→粋
5)話の流れに関係ない話題→野暮、話に関連のある意外な話題→粋
6)一方的な批判→野暮、自説を批判の可能性に晒す姿勢→粋
7)詳細なプロフィール→野暮、控えめな自己紹介→粋
8)筆者自身が写り込んだ写真→野暮、話題に関連した写真や絵→粋
9)熱い議論→野暮、冷静な議論→粋
10)罵倒→野暮、ユーモア→粋
11)匿名で「どなる」→野暮、匿名を意識して謙虚→粋
12)徹底的な議論→野暮、センスのいい問題提起→粋

 最後の項目に関して一つ補足しておこう。
 実は、JMMでは村上龍編集長の方針で、メルマガ上で、寄稿者同士は直接議論しないことが暗黙のルールになっている。「JMMは、問題の提起までが目的で、結論を出すことまでは、この場に求めていません」というのが、いくらか記憶があやふやだが、村上編集長の動かない方針だった。(編集長が、以前に運営されていたホームページの教訓を生かしたものであるらしい)
 当初、この方針に「食い足りない」と思うことが私も何度かあったし、他の寄稿者もそう思ったことは一度ならずあると思う。
 しかし、後から振り返ってみると、JMMが「熱い議論の野暮な場」になって、後から後悔や倦怠感が漂うよりも、寄稿者と議論が適度な距離を取り合う方が、気持ちよく長続きできたのではないかと思う。今では村上氏の設計(粋なはからい?)に感謝している。

 私のブログの「野暮:粋の比率」は、野暮が少し高めだろう(管理者が田舎者だからだ)。野暮は、急に治るものではないが、もう少し「粋」に傾けようかなあ、とここのところ思うことが多い。。
 九鬼周造の「『いき』の構造」によると、「野暮と化け物とは箱根よりも東に住まぬことを『生粋』の江戸児は誇りとした」という。ネットの世界は、西も東も関係ないので、いろいろな人がいるなあ、というのが、当面の感慨だ。
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星野仙一氏のWBC監督就任に反対する

 北京オリンピックが終わりましたが、ボルトやワンジル、フェルプスに日本の女子ソフトボールチームといった良い方の印象としてではなく、悪い方で一番印象に残ったのは、何といっても星野仙一氏が監督して率いた日本の野球の惨敗でした。私は、ナショナリストではないので、全てのゲームで日本チームを応援していたわけではないのですが、素人目に見ても下手な用兵、準備や情報の不足、ムード作りの失敗など、本来個々に能力の高い選手を(組み合わせは上手くなかったとしても)集めたはずの日本チームの戦いぶりのあまりの酷さに、後味の悪い思いをしました。たとえば、マイナー・リーグの選手に大学生まで混ぜたアメリカチームに二度も負けるというのは、監督としては、将棋なら駒を落とされて二度負けるくらいの「手合い違い」というべき惨敗でしょう。
 個々の采配に関する不満や総評は、来週初発売の「週刊現代」の連載欄「新聞の通信簿」に新聞を引用して書いたので、そちらをご覧下さい。
 率直に言って、短期決戦に弱い星野監督を選んだことが、日本チーム最大の敗因でしょう。選手を能力で選ぶなら、監督も能力で選ぶべきで、日本のプロ野球にしばしばある「監督は客寄せが出来る人がいい」という雰囲気はいいことだとは思えません。プロ野球も興行の一つなので、人気は重要でしょうが、真剣勝負でベストを尽くすという点から少しでも逸脱すると、長い間には、人気も失うことになるように思います(相撲の八百長と少し似ています)。
 また、「日本経済新聞」が(23日と25日に二度も)報じていましたが、準決勝の試合後に岩瀬投手の起用について質問した韓国人記者に向かって「それがわたしのやり方。あなた方にとってはよかったじゃないか」と答えたのは、「暴言」でしょうし「スポーツマンシップを欠く」恥ずかしい態度だと思います(二つとも日経の表現です。たまにはいいぞ、日経!)。品位の点でも、星野氏が監督を務める姿を国際戦で二度と見たくないと思います。
 ところが、その後のメディアの報道を見ると、星野氏が、来年行われるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の監督に就任するかもしれないという、妙な可能性があるようです。
 星野氏は、五輪の直後に全く余計な言及だと思いますが、帰国時の記者会見で、NPB(日本プロ野球機構)からWBC監督の依頼を受けていることを「最終的にはおれが決める問題だが、今は考えていない」という何とも微妙な留保付きで明かしました。「週刊現代」にも書きましたが、この野球は下手でも、世渡りだけは上手い人物は、依頼を受けていることを既成事実化しながら、世間の風を観測しようとしているかに見えます。
 「日刊ゲンダイ」(27日売り、28日号)によると「星野クンにも欠点があるかもしれんし失敗したかもしらん。しかし、星野監督以上の人物が、オレにはいるとは思えない」とナベツネこと渡辺恒夫読売巨人軍会長が彼を弁護したことで、雰囲気が星野監督「続投」に傾いているのだそうです。本当なら、「悪い冗談」としか言いようのない状況です。
 星野氏は、本来なら自分の采配の失敗を厳しく批判しなければならなかったはずの敗因分析を、「敗軍の将兵を語らず」、「全ては私の責任」と、潔く責任を取ったような顔をしながら回避しました。自己批判を逃れる巧みな話のすり替えで、世渡りの上手さには舌を巻きますが、さすがに「続投」はまずいでしょう。腹を切れとか、土下座せよ、というようなバカなことは言いたくありませんが、「責任」の一部として、せめてWBCの監督就任を辞退するくらいのことはして貰いたい(残りの責任は詳細な敗因分析の公開でしょう)。辞退が一番スマートだと思います。男なら(女でも)、こんなところで様子を見るな。オリンピックの試合のVTRを見ると、さすがの星野氏でも、自分は監督に不向きだと思うのではないでしょうか。
 星野氏には星野氏の生活やビジネスの都合があるかも知れませんし、場合によっては、プロ野球機構なり、巨人軍なりにも、星野氏に監督としてもう一度チャンスを与えたい事情があるのかも知れませんが(23日から25日の新聞六紙を読み比べると確かにそんな気がしてきます)、私は、星野氏のWBC監督への就任には反対したいと思います。
 さすがに星野氏に食い込んでいる読売新聞の報道では、星野氏は、高血圧症で、今回も医師が同行し点滴を受けていたのだそうです。体調的にも無理でしょう。反対論の根拠の一つにありがたく加えておきましょう。

「星野さん。何はともあれ、お疲れ様。どこか人目につかないところで、ゆっくりお休み下さい。さようなら」
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アメリカに於ける死刑制度の現状

 「週刊ダイヤモンド」の8月23日号にアメリカの死刑情報センター(ワシントンに本拠を置く、非営利組織)のエグゼクティブ・ディレクターであるリチャード・ディーター氏へのインタビューが載っていた。興味深いので要点をご紹介する。

 最近の米国の死刑に関する世論には相反する二つの要素があるらしい。
 一つは、DNA鑑定によって多くの犯罪の潔白が証明されており、死刑判決とその執行が減っているらしい。
 他方、連邦最高裁が今年の四月に、ある死刑囚からの「注射による死刑執行は肉体的苦痛を与えている」との訴えを退けたことで、現在、死刑の執行が通常よりも早まっているという。
 ただ、時間の経過と共に米国全体の大まかな動向を見ると、1990年代には毎年300人以上が死刑判決を受けていたが、現在、死刑判決が毎年110人から120人に減り、死刑執行も99年には100件あったのが、一昨年は53件、昨年は42件に減ったという。アメリカでは、判決・執行の両面でずいぶん死刑が減っている。
 この背景をディーター氏は、「死刑執行に至る司法システムの随所で関係者が注意深くなり、過程が長引いている」からだと語っている。過程が長引くと、新しい証拠を探したり、優れた弁護人を雇ったりすることが出来て、死刑を免れるケースがあるのだという。
 一方、人道的な理由で死刑に反対する人は約20%に過ぎないという。しかし、現在の司法システムが非効率的・非生産的だと見なすゆえに死刑に反対する人が増えているようだ。現在、陪審員も、死刑か否かではなく、死刑か終身刑かを問われるようになっていて、終身刑が選択される場合が多くなっているらしい。
 「極刑として死刑がふさわしいかどうか」は現在の論点ではなく、それ以前の【コスト】が問題にされているとディーター氏は語っている。
 端的にいって、囚人を40年間拘置するコストの方が、死刑よりも安いのだという。死刑執行までには様々な司法過程を経る必要があり、高いコストが掛かるのだという。この理由から、昨年末、ニュージャージー州は死刑廃止を決めたという(現在、50州中36州が死刑を存置しているという)。
 尚、死刑制度によって犯罪が抑止されるかどうかという点に対しては、「犯罪が抑えられるから死刑制度を支持する」という国民は13%しかいないのだという。犯罪の抑止効果は目下主要な論点になっていないようだ。

 もちろん、上記は、死刑制度に関して倫理面も含めた決定的な答えを出すものではない。ただ、死刑の社会的「コスト」に関しては考えやすい事例になっているだろう。
 ディーター氏の言うコストは、死刑制度を存置した場合と廃止した場合で社会が使う費用全体の差に注目したコストだ。制度の存否を問う上のコスト論としてはオーソドックスなものの一つだが、もちろん、この点のコストの議論だけで、死刑制度を存置すべきか否かの最終的な答えが出るものではない。一つのご参考としてお知らせする。
 死刑制度の可否については、過去に当ブログで賛否両方の立場から多くのコメントを頂いた。しかし、たとえば、「コスト」を理由に死刑制度の存置を支持する意見があり、他方でこの意見の持ち主は、自分の言っているコストに関して自分で説明することができずに終わるなど、議論が中途半端なままであった。
 死刑制度存置の可否について、根拠のあるご意見があれば、是非拝聴したい。

 尚、コメントは歓迎しますが、単なる好き嫌いや、意見として意味をなしていない叫びのようなもの、あるいはコメントの内容を自分で説明できない方のコメントは、読者の参考にならないので、ご遠慮いただけると助かります。

(あまりにレベルの低いコメントは削除した方がいいというご意見を複数頂き、基本的にそうだとも思うのですが、なるべくなら、そのような野暮なことをせずに済むと有り難いと思っています)
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民主党は前原誠司氏に離党を勧告すべきかも知れない

 今のところ「産経新聞」の8月14日号の報道のみが根拠なので、「除名すべきだ」とまでは断定しない。報道の要旨は以下の通りだ。

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 先般、東京地検特捜部に所得税法違反などの容疑で再逮捕された秋山直紀容疑者が、前原氏の政治資金パーティー券の購入を、同氏が専務理事を務めていた「日米平和・文化交流協会」の会員企業に割り振って斡旋していたことが分かったという。斡旋額は、数年前から毎年100万円前後に上ったとのことで、特捜部は秋山容疑者の家宅捜索でこの件に関する記録を押収したもようだ。
 秋山容疑者は逮捕前に産経新聞の取材に、複数の国会議員のパーティー券の仲介販売を依頼されていたことを認めていて、「総額で毎年250万円前後」、時期については「5,6年前から昨年ごろまで」と答えたという。
 前原氏は、昨年まで、日米平和・文化交流協会に事務局を置く安全保障議員協議会の理事を務めていて、協議会の事務局長は秋山容疑者だった。昨年11月に3日間の日程で開かれた協議会の国際会議では、前原氏が初日に基調講演を行い、2日目、3日目にはパネルディスカッションに参加していた。
 産経新聞は、7月下旬以降、前原氏の事務所に再三取材を申し込んだが、事務所側は、「担当者が不在」などと対応を先延ばしし、ファックスやメール、手紙での取材申し込みにも回答を拒み続けたという。(産経新聞、8月14日朝刊一面から山崎が要約)
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 産経新聞の報道が事実なら、前原氏は、民主党に所属しているものの、実質的には秋山容疑者に連なる防衛族議員の一人ということなのではなかろうか。パーティー券斡旋ベースで見て、年間の総額250万円の中の100万円が前原氏の分だということなら、浅からぬ縁といっていいだろう。但し、この点は、まだ断定は出来ない。
 どう考えても拙いと思うのは、前原氏の事務所が産経新聞の取材に応じていないことだ。やましい点がないなら、なぜ、取材に応じて、事実を説明しないのか。少なくとも、こうした対応だけで国民の民主党への信頼を大いに損なっている。この対応の拙さは、どうしても例の偽メール事件への対応の甘さを思い起こさせる。
 もちろん、秋山容疑者との深い関係が報道の通りなら、よほど納得の行く説明をしてもらわないと、彼が民主党に留まることは、民主党にとって大きなダメージになるだろう(どう説明してもらうと納得できるのか、想像も出来ないが、現時点ではまだ悪いとは断定しない)。
 来るべき総選挙にあって、当選が有力視される前原氏の離党は民主党にとって痛手かも知れないが、この問題が報道の通りなら、民主党は、前原氏に少なくとも自主的な離党を勧告すべきではないだろうか。
 明白な弱点を抱えたまま総選挙に臨むのは、いかにも拙い。

 尚、このエントリーの文章の前提として、現在の私の政治的立場は、「政権交代に賛成なので、民主党支持だ」と申し上げておく。民主党に、長期的に政権を任せていいかどうかは、民主党の政策がまだ良く分からないこともあって、自信がない(経済政策はかなり心許ない印象だ・・・)。しかし、何はともあれ、次の総選挙では、民主党が過半数を取って政権交代を実現して欲しいと思っている。
 ただ、たぶん支持政党に関係なく、多くの国民が、「前原さん、あなたは一体何者なのですか?」という思いでいるのではないだろうか。
 また、今後、秋山容疑者による前原氏のパーティーのパーティー券斡旋の事実がなかったことが明らかになった場合には、誠意をもってこのエントリーの訂正を行うことを約束する。

 何はともあれ、この問題に対する前原氏の対応に注目したい。
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総理大臣のオーラとは何か?

 「文藝春秋」の9月号が拙宅に送られてきた。芥川賞作品の全文が載っているお得な号だが、それ以外にも、読み甲斐のある記事が多かった。
 記事全体として、一番印象に残ったのは物理学者の戸塚洋二さんの癌闘病の記録である「あと三カ月 死への準備日記」だったが、その他にも岡田克也民主党副代表の「小沢さんと私は違う」や通称”霞ヶ関埋蔵金男”高橋洋一さんの「新『霞ヶ関埋蔵金』50兆円リスト」など、幾つも読み所がある。ちなみに、岡田氏の手記のサブタイトルは「『一度裏切った人間は二度裏切る』ことを私は学んだ」である(小沢代表を党代表として尊重するが、人間としては信用していないということだ、と山崎は読んだ)。

 さて、この号の記事の中で、部分的に一番印象に残っているのは、佐藤優氏の「インテリジェンス交渉術」の中で、佐藤氏が橋本龍太郎元首相に「ある種の信念をもって」関与したことの説明で、橋本氏が通訳の米原万里さん(作家・ロシア語通訳。故人である)をホテルで襲おうとしたエピソードが長期間なぜか記憶として意識に上らなかった理由について説明することになる以下の下りだ。
「内閣総理大臣には独特のオーラ(後光)がある。そして、総理官邸には、何とも形容しがたい見えない渦巻きがある。ある限度を超えて、権力の中心である総理官邸に近づくと、この渦巻きに呑まれ、思想が変容してしまうのである。鈴木宗男氏、東郷和彦欧亜局長、筆者達もこの渦巻きに呑まれてしまったのだ。
 渦巻きに呑まれた経験を持つ筆者には、別の状況で渦巻きに呑まれた人たちの内在的な論理を追体験することができる。小泉純一郎氏に使えた飯島勲秘書官、安倍晋三氏に仕えた井上義行秘書官はいずれも渦巻きに呑まれた人たちで、彼らには一般人に理解できない独自の思考回路が出来る。そして、その回路は、渦巻きから離れても閉じないのである。従って、平均的日本人とは異なった世界観をもつようになる」(「文藝春秋」9月号、349ページ)

 総理大臣のオーラとは一体何なのだろうか。これは本当にあるのか。誰が総理大臣でもあるのか。
 佐藤優氏には何度かお会いしたことがあり、直接お話を伺う機会があった。筆者とは考え方にちがう点があるが(筆者はアンチ・ナショナリストだし、キリスト教徒でもない)、博識で頭が良くユーモアを解する魅力的な方だと思うし、権威に屈して物の見方が歪むような人だという印象はない。でまかせを書いているわけではない筈だ、と思う。
 一方、私が、常々不思議に思っているのは、今月号の「文藝春秋」にも登場されていて、最近多方面に売れている高橋洋一さんが、ご著書で安倍晋三氏のことを少しも悪く書いていないことだ。かなり前のことになるが高橋氏にもお会いしたことがある。佐藤氏とはタイプが異なるが(大雑把には文系アタマと理系アタマのちがいだ)、高橋氏も頭脳明晰な自信家で経済政策の職人である。権力におもねるとも思えないし、物事への理解力が乏しい人物には容赦と遠慮のない人に見えるのだが、なぜか安倍氏を批判しない。彼も、「ある限度を超えて」政策に関わった人だが、安倍氏にも、彼を感服させるようなオーラがあったということなのだろうか。率直にいって、信じられない。
 ご本人は後悔していないのかもしれないが、高橋氏は、総理としての安倍氏の甲斐性がなかったことで多大な迷惑を被っているはずだ。「尽くしたが、仕え甲斐がなかった」という事情は、佐藤優氏と橋本龍太郎氏の関係に少し似ている。

 総理大臣の「オーラ」といわれるものは、確かにどこかに存在するのだろう。想像するに(想像するしかないのは、残念でもあり、幸いでもある)、それは、周囲の人間の振る舞いと、これに呼応した本人(総理大臣)の振る舞いが共振して醸し出す雰囲気なのだろう。確かに、1日24時間ずっと佐藤氏のいう「渦の中」にいると、社会的動物である人間の現実認識を変える力を持っていてもおかしくはない。この雰囲気と一体化して、自分の意思が総理やこの集団に混じり込む実感の中に「権力の魔性」のメカニズムの中心があるのかも知れない。
 しかし、一方で、佐藤優氏や高橋洋一氏のような知性を持った方々であれば、総理大臣を近くで見て、これを「一匹の生物」として等身大に眺め、バカにもすれば、同情もする、というような見方をしてもいいのではないかと思うのだが、どうなのだろうか。
 それにしても、福田康夫現総理にも「オーラ」を感じている人がいるのだろうか。いるとすれば心配なことだが、いないとすると別の意味で心配だ。
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毒入り餃子事件の情報を隠蔽した日本政府

 8月6日、「読売新聞」(朝刊)は、中国生冷凍餃子中毒事件で、製造元の「天洋食品」(中国河北省石家荘)が「事件後に中国国内で回収した餃子が流通し、この餃子を食べた中国人が有機リン系殺虫剤メタミドホスによる中毒被害を起こして、重大な健康被害が出ていたことが分かった」と一面トップで報じた。朝刊時点では他紙にはないニュースなので、読売新聞の「抜き」である。
 これまで、日中両国の警察当局が自国内でのメタミドホス混入を否定してきたが、中国で混入があった可能性が高まった。
 回収した餃子が再び国内で流通して人間の口に入るところに、現在の中国の底知れない奥の深さ(とでも言っておこう)を感じるが、この点は、現状ではこんな国なのだろうと思うしかない。北京オリンピック観戦で中国に行く人は、食べ物に気を付けるべきだ。

 問題は、この情報の伝達プロセスだ。
 読売の記事を引用すると「関係筋によると、中国側は7月初め、北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)の直前に、外交ルートを通じて、日本側にこの新事実を通告、中国での混入の可能性を示唆したという」ということだから、洞爺湖サミットの前にこの事実は日本政府に伝わっていた。日本政府はこの情報をなぜ国民に発表しなかったのだろうか。

 考えられる理由はいくつかある。
(1)洞爺湖サミットを前に中国に気を遣った
(2)北京オリンピックに気を遣った
(3)捜査上の守秘の必要性

 政府の対応として国民が納得できる可能性が多少なりともあるのは(3)だけだろう。
 福田首相は「わが国の捜査当局と情報交換している状況だ。どういう状況か今申し上げるわけにはいかない」(「毎日新聞」6日夕刊)と述べた。あるいは、「朝日新聞」(6日夕刊も)は政府高官(たぶん町村官房長官?)の談話として、公表しなかった理由を「まだ中国の捜査当局が捜査している」と報じた。
 政府に最大限好意的に推測した場合、日中の捜査当局が情報交換しているが、日本で情報を公開すると中国国内での捜査に影響を与えるので、これまで情報を伏せてきた、という理屈だろうか。
 しかし、そもそも中国国内で中毒症状を起こした人がいて、犯人がこれを知らないということは考えにくい。捜査に影響する、ということの状況が納得しにくい。また、仮に本当に捜査上、日本国内で情報を秘する必要があるなら、今の時点で新聞社に抜かれることは、日本政府の情報管理上大きな失態だ。
 もちろん、(1)、(2)は理由として話にならない。(1)は中国に対してあまりに気を遣いすぎだし、(2)で中国に対する気遣いに加えてオリンピックの商売に水を差してはいけないと思っていたのだとしても、物事の重要性からいって、国民に対して早急に情報を公開すべきだった。
 また、(1)や(2)が重要なら、そもそも中国当局が日本政府に情報を伝える時期を後送りしそうなものだが、中国政府は、案外(?)真面目に情報を伝えてきた。日本政府の方が情報を隠蔽するのはなぜなのか。

 「読売新聞」は取材源を明かさないだろうが、この種の報道を読む常道として、政府からのリークの可能性を疑う必要がある。仮に政府のリークであるとした場合に考えられる意図の可能性は、(A)日本人ジャーナリストへの中国警官の暴行事件への意趣返し、(B)中国で日本人観光客が食中毒などの被害に遭った場合に情報隠蔽の責任が重くなることを恐れた事前の情報リークなどがあろう。リークとした場合、8日からの北京オリンピック報道でこのニュースの印象が霞む時期を狙った、ということもあり得るだろう。
 もちろん、役人や政治家の裁量で(A)のような駆け引きを行うのは行き過ぎだし、この情報をそのように使うことは適切でない。もちろん、(B)の意図のリークも公僕失格だ。

 この事件に関しては、中国製食品や中国政府の気持ちの悪さもさることながら、日本政府の対応が何とも不自然で納得しがたい。不適切な情報隠蔽又は情報管理の何れかがなかったかどうかについて物事の経緯と政府の対応について質す必要があろう。経緯によっては閣僚級の責任問題ということもあるだろう。もっとも、町村官房長官が引責辞任した場合、福田内閣の人気と支持率が上昇する可能性もあるから、民主党としては、痛し痒しかも知れない。
 残念ながら、今は国会が開かれていないが、次の臨時国会で、野党は政府を追及すべきだろう。日本国民の生活にとっては、オリンピックの競技などよりも遙かに重大な問題なので、メディアもこの問題を真面目に追って欲しい。

<続報>
 その後、7日に高村外相が、「情報提供者が公表しないでほしいと言っている以上、公表しない。捜査のことだからということにも一定の合理性がある」(時事ドットコム。http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008080700688&m=rss#header)と述べて、公表しないよう中国側から要請があったことを明らかにした、という報道があった。
 これは、中国政府の意向への配慮だから、実質的には上記の(1)、(2)に近いが、この場合も、このような重要情報を日本政府が隠蔽していて良かったのかどうか、本当に捜査上の問題があるなら情報が公開されたことに情報管理上の問題はないのか(今ならどうしていいのかな?)、あるいは中国政府から今になってOKが出たのか、という点が不明だ。
 高村外相は中国が情報を提供したことに「われわれとしては一定の評価をした」とも述べているが、いかにも弱腰であると同時に、現状は中途半端だ。
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改造内閣の話でも

 福田改造内閣が今日2日に発足しました。改造内閣と政治の今後について、四方山話をするコーナーを作ることにしました。

 昨夜、都内某所でラーメンを食べた後に街をぶらぶら歩いていたら(要は、飲みに行くまでの途中でしたが)「朝日新聞」から取材の電話が掛かって来ました。今日の朝刊の記事に、私の話は以下のようにまとめられています。

「新鮮みがない。この顔ぶれで本当に衆院選が戦えるのか」というのは経済評論家の山崎元さん。「支持率上がりそうな要素はない。伊吹さんと谷垣さん、与謝野さんの処遇に注目していたが、消費税の増税と財政再建を急ぐのだとはっきりした。経済や株にとってはプラスではない。選挙前だから直ぐに増税するとは言わないと思うが、『今度こそやる』という布陣なので『(選挙終わったら)消費税増税内閣』」(朝刊、35面)

 携帯電話で20分くらい話しました。その後、お酒を飲んでいたら確認の電話が入りました。取材は十分丁寧でしたし、上記は、私が電話で聞いて確認した内容ですが、もちろん、字数的に言い足りないこともありますし、その後に、あれやこれやと思ったこともあります。

(1)麻生幹事長の起用
 報道的には今回の目玉とされていますが、さて、ご当人にはどんな利害得失があったのでしょうか。麻生氏の場合、もともと大人数の派閥を抱えている人ではないので、今回も入閣か党執行部を断ると存在感が薄くなってしまうという利害を抱えているということはあるでしょう。
 一方、幹事長は次回の総選挙の責任を取らされるポジションなので、次に負けると麻生総裁の目はないし、勝ったとすると福田政権が続いてしまう、という意味で、「ポスト福田」を狙うには、どう転んでもダメなポジションに嵌ってしまったという説もあります。
 私としては、半分この説に頷きつつも、麻生氏がそこまで割の悪い話なのにこのポストを受けるのはなぜか、とも考えてみたくなります。たとえば、福田氏の支持率低迷に不満を漏らす公明党と福田氏・麻生氏との間で、「改造してしばらくしても、支持率が○○%(35%くらい?)を回復しない場合、福田氏は解散をせずに辞職し、次に麻生氏に総裁を渡して総選挙を戦う」というような合意があるとすれば、何となく分かるような気がします。
 麻生氏も年齢的にこの1,2年が勝負所でしょうが、私の個人的評価としては、彼には総理を期待していません。

(2)伊吹財務相、与謝野経財相
 消費税増税と財政再建を急ぐ内閣だと判断した根拠は、このお二人(特に与謝野氏の)処遇です。国交相というピンと来ないポジションでもありましたが、谷垣氏も入閣しました。常識的には、この内閣で総選挙を行い、勝ったら「国民の信認を受けた」ということで、消費税率引き上げに向かうのでしょう。この点、今回の改造内閣の意味付けは明快だと思います。
 福田内閣発足当時から、消費税増税に全力を尽くすという姿勢を霞ヶ関(主に財務省に、でしょうか)に見せることで、やっと政権を維持しているという印象を持っていましたが、今回もその延長線上にあると感じます。
 景気・株式市場的には、(1)増税するのか?、(2)金融政策は緩和寄りか引き締め寄りか、(3)規制緩和に積極的か?、という辺りに改造内閣の評価を求めるでしょうが、与謝野氏が経財相で経済財政諮問会議を取り仕切るということは、(1)、(2)、(3)何れのポイントでも期待薄ということでしょう。
 しかし、理由は詳しく述べませんが、当面、消費税率を引き上げることは不要で且つ不適切でしょう(理由が気になる人は、ダイヤモンドオンラインやJMMの拙文を読んで下さい)。
 景気も株式市場も、内閣の顔ぶれよりはアメリカの経済次第だとはいえ、今回の顔ぶれは前途多難を予想させます。

(3)舛添厚労相留任
 年金、医療、労働行政、何れも重みのある大臣を一人充てたい重要テーマであり、厚労省を副総理格の元締めとして大臣クラスにそれぞれを担当させるという構想がしばらく前に報道されましたが、そうした形にはならないようです。
 率直に言って、目下の状況は、舛添氏の行政能力を超えているように思いますが、役所が一つなので大臣も一人、ということなのでしょうか。
 総選挙が後ズレして、来年度の予算案通過後ということになり、次期通常国会に今回の改造内閣で臨むことになると、ここがウィークポイントになりそうな感じです。

(4)高村外相留任
 最近の新聞報道によると、「竹島」について、米政府がこれを韓国領と認めるような態度を取っていますが、日本は外交的に何の手も打てないようです。洞爺湖サミットも、十分な成果が出たとは言い難いように思えます。
「米国の属国的な日本のポジションを考えると、誰が外務大臣でも、こんなものだよ」ということなのかも知れませんが、日本の国家的ステイタスを重視する人々は、ここしばらくの外交に納得しているのでしょうか。
 高村氏の留任は少し意外でした。
 
(5)町村官房長官留任
 留任人事で最も大きなサプライズは町村氏でした。党内力学的にはこういうことなのかもしれませんが、彼が留任すると、内閣の印象は刷新されません。「これで本当に衆院選が戦えるのか」という私のコメントの半分以上は町村氏の留任人事が背景です。

(6)「上げ潮派」あるいは小泉改革派の不採用
 与謝野氏と共に去就が注目されたのは、いわゆる「上げ潮派」の中川秀直元幹事長でした。入閣した場合、国会で女性スキャンダルを突かれる可能性が大きいだろうとの世評だったので、バランス上政調会長くらいで処遇するのかと思っていましたが、彼は、今回、閣僚からも党執行部からも外れました。これも福田内閣の増税による大きな政府路線を示す人事の一つでしょう。
 中川氏以外にも、いわゆる小泉チルドレンと称されるような男性・女性議員(政治家としてはそこそこにベテランですが、小池百合子氏も「オールド・チャイルド」とでも呼ぶべき同類のタレントでしょう)や、小泉内閣の「構造改革」に熱心だった議員が今回は全て外れているように見えます。
 さすがにこれだけはっきり外されると、民主党の前原氏のような人との連携も含めて、この集団が総選挙の前後に政界再編(要は分党活動のことですが)に動く可能性が大きくなってきたのではないでしょうか。
 今後民主党に何らかの失点(たとえば幹部の金銭絡みのスキャンダルなど)があって、同党が動揺した場合、小泉氏とその周辺が「チャンス有り」と見て、再編に動く可能性があるように思えます。彼らとしては、ある意味では、身軽で動きやすい状況になったのではないでしょうか。

(7)野田科学技術・消費者行政担当大臣
 郵政民営化反対論者だった野田氏が、「あらたな規制官庁」である消費者庁の担当大臣になったというのは、象徴的です。
 ところで、彼女は、郵政民営化について、現状ではどう考えているのでしょうか。福田内閣の方針も含めて、少し気になるところです。
 近い将来、上の(5)で述べたような政界再編になると、「私が自民党だ」と言っていた彼女の言葉が正しかったことになるのかも知れません。

(8)民主党の今後
 「次の総選挙は勝てそうだ」という見通しが支配的な間は、自民党の一部と連携した分党を辞さずと思う人も、政治交渉上の自分の価値を上げるために、しばらくおとなしくしていることでしょう。9月の代表選は、常識的に考えると、そう揉めることはないでしょう。
 また、今回の福田内閣の顔ぶれと総選挙で戦うことを考えると、民主党は、自然にアンチ増税・アンチ官僚の立場を取ることが出来るので、まずまず有利な立場に立っていると考えていいのではないでしょうか。もっとも、私も含めてですが、現時点での民主党の支持層は「取りあえず政権交代の支持者」であって、「継続的な民主党の支持者」ではないように思えます。
 但し、かつてのメール事件ほど無様でなくても、幹部のスキャンダルなど、ネガティブな事件が起きたときには、かなり脆い状態になることが予想されます。

 閣僚の一人一人について、私は詳しく知っている訳ではありませんし、政局通でもありません。コメント欄での、読者の皆さまからのご教示をお待ちしています。
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