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河本「おかん」の生活保護問題における「程度の問題」

 お笑いコンビ次長・課長の河本準一氏の「おかん」が生活保護を受給していたことが話題になっている。扶養義務者である息子の河本氏に十分な収入があるのに、彼の母親が生活保護を受給していたことは不適当ではないか、という問題だ。
 あるところに書いた原稿で、この問題について三点述べた。
(1)生活保護の不正受給は悪い、
(2)しかし、国会議員の一部がことさら河本氏を取り上げて問題にしていることには違和感がある、
(3)生活保護の制度には大いに問題があり年金制度と一体で見直す必要がある、の三点だ。三点目については、具体案としてベーシック・インカムに触れた。

 すると、議論としてむしろ傍流の話なのだが(2)について、意外に多くの反応が、賛否両方から集まった(ツイッター等への反応もあれば、テレビ番組からのコメント取材もあった)。

 (2)について、私が言いたかったのは、以下のようなことだ。
・ 河本・母が不正受給していたのなら、それは悪い。返納等、然るべき対応が必要だ。
・ しかし、「河本氏は公人なのだから、説明責任を果たせ」と言って、いつまでも河本氏を引っ張り出そうとする国会議員のやり口は、些か「やり過ぎ」ではないか。
・ 河本・母の問題については、経緯と解決の方向が確認できれば、国会議員には十分ではないか。
・ 「やり過ぎ」だと思う理由は、以下の通りだ。
・ 受給としては認められていたので現段階ではっきり違法とまで言い切れず、また金額についてもそれほどの多額ではない(伝えられる河本氏の年収の一年分にもならない)微妙で少額な河本・母の問題の追求によって、河本氏が受けると予想されるダメージが大変大きいこと。
・ 国会議員の仕事は人に「説明責任」を要求するメディアの仕事ではないこと(メディアが「説明責任」を強調するなら、彼らの仕事から考えて、気持ちは分かる。但し、やり過ぎがいけないのは、同様だ)。
・ 国会議員は不正受給者を処罰する立場の人でもないこと。
・ また、国会議員に期待されるのは、個別のケースの糾弾ではなく、生活保護制度の見直しに関する議論や具体案を出すことではないかということ。
・ 率直にいって、河本氏を追求している国会議員は、有名人である河本氏を引っ張り出そうとすることによって、彼(彼女)自身が目立とうとしているのではないか、という「あざとさ」を感じた。

 意外な賛成としては、国会議員(複数なのか、一人が問題なのかは確認していない)に対する批判・反発の声が多いので、このポイントについてコメントが欲しいという依頼があった。私としては、積極的に論じたいと思う重要度の問題ではないのだが、思うところを述べた(どう編集されたかは確認していない)。
 他方、ツイッターなどには、生活保護の不正受給は大問題であり、これを追求しようとしている議員を批判するのはとんでもない不見識だという意見が少なからず寄せられた。中には、私が不正受給は悪いといっていることがなかなか認識できない興奮した(そうでなければ「理解がご不自由な」)反応があったし、ネットでよくある単純な罵倒もあった。
 ちなみに、いわゆるSNSが嫌になってしまう人は、たぶん、こういうものを「まあ、賑わっているのだから、無反応よりはずっといいではないか」とやり過ごせないのだろう。対等の意見として受け止めると重いし、さりとて、「上から目線」で処理しようとすると墓穴を掘る。基本的人権への敬意と、人の感じ方に対する興味を持って、「横から眺めて」、反応する時には「怒らない」のがいいと思う。

 さて、批判側の意見についてあらためて考えると、議員さん達のやり方が、「程度の問題」として過剰であったか否かが問題なのであって、彼らが「間違っている」とは言いにくいことが分かる。
 確かに不正受給は悪いのだ(それは、私も、何度もそう書いている)。議員さん達が出来るだけ大きく取り上げることで、それがより広く世間に周知されることにプラス効果もあるだろう。
 そこで、河本氏個人をそれほど引っ張らなくてもいいのではないか、というのは「程度の問題」への判断であり、感じ方の問題でもある。
 前回取り上げた入れ墨の問題にも、「それはまずかろう」という立場と、「その程度に対しては寛容であっていいのではないか」という立場の「程度の問題」の側面がある。
 尚、河本・母の生活保護受給額が多額だったか否かについても、「程度の問題」に関する判断が絡む。数年、十数年といった年数までカウントすると、生活実感として必ずしも小さい金額ではないという意見にも頷けるし、他方、合法ではあっても、高級官僚の天下りや、悪いビジネスの儲けなど、河本・母よりも腹の立つケースは幾らでもある、と私は思う。
 また、制度としての生活保護には、多くの問題がある。時に国民年金よりも受給額が大きくなるような金額の問題もあるし、不正受給も勿論問題だが、それ以上に、本来生活保護支給を受けられる人が十分にカバーされていないことの問題もある。さらに、行政に於ける手間とコストと過大な裁量の問題があるし、「年金からこぼれた人」が生活保護に向かう年金との兼ね合いの問題もある。件の「おかん」と息子に一切問題が無いとはいわないが、論じるべき問題は、もっと別の問題ではないかと思う。これらも、「程度の問題」に関する判断だ。

 ちなみに、トラブルシューティングとしては、河本氏は、彼のビジネスを考えると、もっと早く盛大に謝ってしまう方が良かったのではないか。ただし、これは、私の感想であり、批判や、まして要求ではない。彼の所属事務所の広報は、本件に関して、対応が下手だったのではないだろうか。
 尚、私は、河本氏にお目に掛かったことはないし、彼のフルネームを今回の件で初めて知った。「次長・課長」というユニット名は名前として聞いたことがあっても、テレビ等で見かけたこともない。個人的な縁で彼に同情しているのではないし、よく読んで頂けると分かると思うが、彼を「擁護」しているのでもない。
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入れ墨は、本人の自由でいいのではないか

 故鶴田浩二さんの博打打ちシリーズの一作に「博打打ち 一匹竜」という作品があり、最近WOWOWで観た。入れ墨の彫り師の老名人が登場するストーリーだが、クライマックスに入れ墨品評会のシーンがあり、裸に褌一丁で入れ墨を入れた男が数十人ぞろぞろと登場する。怖いというよりも、笑いがこみ上げて来かねないシーンなのだが、もうこんな映画は撮れないのだろうなあ、という思いで観た。
 さる自治体の首長さんが、職員の入れ墨を禁止した上に、さらに入れ墨の有無を調査する意向を示して話題になったが、入れ墨は、それほどに悪いことなのだろうか。
 「入れ墨のある人=怖い人」という先入観があるので、温泉の大浴場などで彫り物のある人に会うと緊張することはあるが、たいていの場合は、その人が特に凶暴に振る舞うわけではない。問題は、入れ墨を見る側の心の中にあり、入れ墨自体が悪さをするわけではないし、印象の有利・不利(社会生活には不利が多そうだが)は、入れている本人の問題だ。
 はっきり言って本人の自由だろうし、これを規制すべき根拠があるようには思えない。
 私は、自分自身が入れ墨を入れたいとは思わない。端的に言って、入れ墨は、私の趣味に合わない。自分に似合う良い絵が思いつかないし、いったん入れ墨を入れてしまうと、自分のカラダがいつまでの同じ漫画の画面が映っているテレビのようになるのは気が進まない。
 先般、フロイド・メイウェザーに(一方的に)破れたミゲール・コットのように、外国のスポーツ選手はしばしば入れ墨を入れているが、「これはカッコイイ!」と思うケースは稀だ。
 しかし、彼らは、自分のカラダに入れ墨を入れることに何らかの意味を感じているのだろうし、ファッションとしての主張がある場合もあるのだろう。他人がどう思うかは、二次的な問題だ。
 日本人でも、たとえば、息子の名前を腕に彫った女性歌手もいる。彼女は、温泉に行っても、「入れ墨のある方はお断り」ということで、大浴場に入浴できないのか。小さい入れ墨はいいけれども、大きな入れ墨はダメ、という区別も奇妙だ。
 どう考えても、入れ墨を入れること自体を非難する理由はない。
 日本人もそれでいいのではないか。
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東電とNHKの兼職はまずい

東京電力の新しい経営陣の1人に、NHKの数土文夫経営委員長の起用が決まった。社外取締役になるという。既に、方々で指摘されていることだが、さすがに、これは拙いのではないか。そもそも、東電は、失われた信用を回復することが最優先であるべき会社だ。その東電が、メディアとの癒着を疑われるような人選をするのは阿呆というしかない。

もちろん任命した側にも問題はあるが、受けた側の見識もいかがなものなのか。

「好色男」なら、時には愛嬌があるが、見境無く役職に就きたがる「好職男」には困ったものだというしかない。
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中小年金基金、連合会で共同運用との厚労省方針に違和感

中小の厚生年金基金の資産運用を企業年金連合会で「共同運用」できるようにするとの厚労省の方針(5月12日土曜日の日経1面の記事)には、馬鹿馬鹿しさに目が回りそうになります。

厚生年金基金という不細工な制度を作り、運用体制が整っていないことなど、昔から分かっていたのに、基金の財政がここまで悪化するところまで運用を続けさせてきた、即ち厚生年金基金問題(=企業年金行政の失敗)の主犯と言うべき厚労省と共犯者の連合会が今更何を言うのか、というのが率直な感想ですが、たぶん、彼らなりの善意のアイデアなのでしょう。

間接的にですが、これまでのやり方の拙さを認めることになるのですから、まあ、よく考えたと褒めるべきなのかも知れません。

しかし、たとえば代行割れになっているような厚生年金基金に対して必要なのは、先ずリスクを取った運用を中止させることであり、次いで、基金の修復・再建(現実的な予定利率で)ないし、解散を指導すべきでしょう。

借金にまみれた貧乏ギャンブラーに対する本当の親切は、「博打の負けは博打で取り返すなんて頑張らずに、荷物をまとめてお家に帰りなさい」と声を掛けることであって、「私が代打ちしてあげるから、もうしばらく残りなさい」と彼を引きとめることではないはずです。
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