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「新しい株式投資論」の修正

 「新しい株式投資論」の増刷が決まりました。発売一週間での増刷なので、まずは順調です。皆様のご支援の御蔭です。ありがとうございます。
 著者としては、取りあえず増刷が決まると、5回をリードして投げ終えた先発投手のように、最低限の責任を果たしたような少しホッとした気分になります。(出版社と担当編集者に、損はさせなかったかな、という感じです)
 
 さて、第1刷の読者にはまことに申し訳ないことなのですが、三箇所ほど修正すべきミスを発見しました。これらは第2刷から修正されます。私が見つけたものが一つありますが、残りの二つは、当ブログにご来訪いただいている<作業員>さんのご指摘によるものです。特に、下記の(3)は内容に関わる私のミスです(たぶん不注意によるものだと思いますが、言い訳のできない誤りです。スミマセン)。著者として責任を感じると共に、<作業員>さんに大いに感謝するものです。
 
 拙著には、今後も要訂正箇所が出てくる可能性があります。要修正箇所があった場合には、当面、このエントリーに掲載してご連絡することと致します。

<第2刷での修正箇所>

(1)5ページ7行目  「第四章」→「第4章」 (表記不統一)
(2)167ページ9行目  「脳を、傷つける」→「脳を傷つける」 (不要な読点)
(3)185ページ9行目  「円高」→「円安」 (意味上の誤り)

<第2刷りでは反映し切れていない修正>

(4)69ページ9行目  「TOPIXでベンチマークである」→「TOPIXがベンチマークだからその構成銘柄」
(分の続き具合の修正。この段落は最終行に余裕があるので行を動かさずに言葉を補うことができます)
(5)117ページ9行目  「企業年金基金連合会」→「企業年金連合会」(固有名詞のミス)

(4)は<ZEN>さま、(5)は<ぴょん>さまのご指摘を受けての修正です。ありがとうございます。

(6)173ページ8行目 「form」→「from」

(6)は、泣く子も黙る<作業員>さんのご指摘です。ありがとうございます。

(7)117ページ9行目  「期待値ターン」→「期待リターン」
(8)158ページ9行目  「上昇修正」→「上方修正」

これらも<作業員>さんのご指摘です。
有り難いことに3刷りが決まったので、(4)~(8)の修正を3刷りに反映します(2007.11.15)。

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上司の暴言による自殺の事例に思うこと

 日研化学の社員が、「給料泥棒」、「目障りだから消えてくれ」といった数重なる上司の暴言の後に自殺したケースについて、東京地裁は自殺を労災と認める判決を下した。

 何はともあれ、自殺に至ったことは、ご本人とご遺族に対してお気の毒と申し上げたい。自殺の原因の全てが分かるわけではないのだが、自殺することは普通ではない。特に、ご家族の苦しみは、想像するに余りある。

 さて、このケースで一番印象的なのは「給料泥棒」という台詞だ。正直なところ、私は、この言葉を何度か使ったことがある。部下や同僚にではなく、上司に、それも直接本人にに言っているはずだが、当時は(十年以上前だ)、まあ、強くはあるけれども、普通の表現だと思って使っていた。

 「給料泥棒!」と言うにも、気を遣わなければならない世の中なのかと思うと、窮屈な感じもするのだが、かつて、私があまりに無神経だったのかも知れないし、ともかく、どんな言葉でも、相手の様子を見て言うか言わないかを考えなければいけないのだということなのだろう。相手を追いつめる暴言が、場合によっては、手足を使った暴力以上に相手を傷つけることになる、ということは、良く分かる。言葉だけなら、許されるというものではない。

 ただ、近年、私は「給料泥棒」という言葉を、少なくとも誰かを非難する上で、直接使うことは無い。世の中を良く見ると、給料泥棒がそれほど悪いことだは思わなくなったからだ。

 給料泥棒とは、どのくらい盗むと泥棒なのだろうか。たとえば、年収500万円の社員が、400万円しか粗利を稼がなければ、泥棒なのだろうか。仮に、1000万円稼いだとすれば、それは、会社が「労働泥棒」を働いたことにならないのか。これらは、たぶん、どちらも「泥棒」呼ばわりするには不適当なのだろうと思う。どちらも、合意の上の契約の後に生じた事態だし、仕方がないではないか。

 ここで思うのは、社員は会社のために、貰っているもの以上に貢献しなければ「恥」だとする、会社への過剰な従属意識の弊害だ。会社は(正確には会社の誰か個人が、だが)、たかだか自分の都合と判断で人を雇っただけで、それが功を奏するか否かは、会社の問題だ。会社に多く貢いでいる社員が居てもいいし、逆に会社を喰い物にしている社員が居ても、それは普通のことではないだろうか。
 
 もちろん、同じ会社で働きの悪い社員に対して、同じ会社の別の社員が不利益を被ることはある。しかし、これは、不満なら、会社がその社員に対して減俸や解雇も含む条件の変更を行おうとすればいいことで、たかだか仕事のパフォーマンスが悪いことをもって、「泥棒」といった倫理的・人格的な非難が出来ると思うのは、会社に過剰に飼い慣らされた会社員たちの思い違いだろう。

 「会社なんて、べつに、偉いものではない」ということや、仕事だけが人間の価値ではないということを、皆で大らかに認める方が、多くの人が、健康的に、気分良く暮らすことにつながるのではなかろうか。

 「たかが会社のことだし・・・」と誰でも言えるような社会がいい。
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女流棋士の将棋の商品価値

 友人が紹介してくれた若手棋士が女流棋戦の設立記念パーティーに招待してくれた(マイナビ女子オープン前夜祭。19日、金曜日、ホテル・グランパシフィック・メリディアン)。大学時代に将棋部でもあり、将棋は長らく大切な趣味の一つなのだが、私は、この種の将棋関係の催しに出掛けたことがなかった。せっかくの機会だから、女流の将棋の商品価値について考えてみたい。
 将棋の商品価値はどの程度「強さ」と関係しているのだろうか。スポーツでもゲームでも、勝負事を商品にするためには、普通の素人が達成できないレベルで競技をするのでなければならない。
 この点で参考になるのは女子ゴルフだろう。私はゴルフに詳しくないが、女子プロゴルファーのレベルは男子のプロよりも弱いのだろうが、アマチュア男子のトップ層くらい(以上?)のレベルにはあるのだろう。ここで興味深いことに、どうもメディア的には女子プロのゴルフの方が、男子プロのゴルフよりも人気がある、つまり、商品価値がある。男子ゴルフは、世界レベルと較べるとタイガーと猫ほどの埋めがたい差があるようだし、画面的にもきれいでないし(真剣味はちきどき伝わってくるが、何だかむさ苦しい)、物語性の魅力が上手く演出できているようでもなさそうだ。
 他方、女子のゴルフは、テレビ画面に映っていると、つい見てしまうし、その時に気に入った誰かを応援してしまう。そして、近年、女子プロゴルファーは容姿のレベルが顕著に上がってきた。
 テレビの歌番組が多かった頃は、歌手は方々の番組で約3分間アップの映像が映って人々の印象に刻み込まれたが、最近は、アップの映像放映時間が長いのは、もっぱらスポーツ選手だ。現実的には、競技の能力と容姿やキャラクターが綜合されてプロ・スポーツ選手の商品価値が出来ている。容姿に自信があってゴルフも上手い女性の女子プロゴルフ進出は今後も続くだろう。
 一方、将棋の見せる競技としての性格はどのようなものだろうか。
 これは、ある程度将棋を知っている人(アマ5級ぐらいから上)が見るなら、雰囲気は格闘技に近い。基本的に、勝ち負けはKOだ。格闘技だとすると、これまた、現在、結構な人気を持っている。「頭脳のK1」のような感じで、スリリングに見せることが出来れば、人気を博するのではないだろうか。
 たとえば、10月14日に放映された羽生二冠対中川八七段の対局は、何ともスリリングで残酷な逆転KO的な決着であった。あのような勝負を、もっとドラマチックに見せることが出来れば、将棋の人気は現在よりももっと拡大できるのではなかろうか。女流の将棋も十分スリリングなはずだ。男性プロよりもやや棋力が落ちる分、大逆転は多いはずだ。
 女流の将棋に限らないが、テレビの将棋は、見せ方があまりに素朴すぎる。テンポが余りに緩いし、聞き手も、解説者も、余程はっきりした状況以外は、殆ど当たり障りのないことを言うので、見ている方は先の手を自分で読まないとワクワクできない。
 もちろん、上級者向けに、ある程度の持ち時間のある将棋をじっくり見せることは必要だろうが、テレビの将棋は、多少レベルが落ちても、たとえば、一〇秒将棋(一手を一〇秒以内に指す)で先に二勝した方が勝ちといったテンポが必要かも知れない。また、聞き手には実況中継のアナウンサー的な(古舘一郎さんを知的にしたような感じが理想)ノリの良さと思い切りが必要だし、解説者もテレビ向けの喋りができる人を使うべきだろう。もちろん、対局者には息づかいまで拾えるようなマイクを着ける。
 また、解説は人間だけでなくとも良い。パソコンの将棋ソフトが次の一手として何を推奨しているか、さらには、終盤に詰みを見つけたかどうか、といった情報も、画面を切り替えながら見せると面白い。
 もう一つ、将棋には、駒落ちというハンディキャップの付け方があり、これが使えそうだ。たとえば、一〇秒将棋で一定の時間内に、相手をどこまで指し込むか、といった戦いを見せるとスリリングであるだろう。指し込んだレベルに応じて、得点が変わるような仕組みでもいいだろう。同格のプロが駒落ちで負けることはかなり屈辱的だが、起こりえないことではない。また、女子プロと男子プロ、あるいはプロとアマチュアといった対決が可能になるので、アマチュアの中からハニカミ王子的なスターが出るかも知れないし、女子プロが男子プロを駒落ちで負かすようなことが起こると(確率的には十分起こりうると思う)話題にもなるだろう。カラダを張った格闘技ではないので、アマチュアもプロと戦うことが出来るし、いろいろなレベルの人間同士を戦わせることで、プロの本当の強さを誰にでも分かるように見せることが出来る。
 私はここ数年の将棋界事情に疎いが(戦型的には、横歩取らせ8五飛戦法、ごきげん中飛車の辺りからサッパリ分からない)、女流プロのトップ層は、ときたま男子に勝てる程度にレベルアップしており、アマチュアの並みの県代表クラスではなかなか勝てないレベルだろうと思われる。もちろん、短時間の雑な将棋ばかりを見せるのではない方がいいが、見せ方を考えると、女流の将棋は、なかなか魅力的な商品になる可能性があるのではなかろうか。
 尚、見せ方・売り方が問題なのは、女流の将棋に限らない。男性プロの将棋も、カリスマ性のある羽生善治二冠の力とやる気が衰えないうちに、商品としてもっと魅力のあるものにしていかないと、将棋界は経済的にも苦しくなるのではないだろうか。
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凡戦だったがほっとした内藤・亀田戦

 内藤が勝つだろうなと思いつつも、勝負はやってみなければ分からない。亀田・次男が勝って、またあの一家の下品なパフォーマンスを見せられるかとも思い、はらはらしながらテレビのスイッチを入れた。内藤のボクシングを見るのは初めてだが、基本的に内藤応援の視点で見ていた。
 1R目は、実は嫌な感じがした。ガードを固めて押す亀田選手に対して、内藤選手が長いパンチを頭に当てるが、内藤選手の右のガードが下がるのが気になって方がない。内藤選手は変則的なパンチの打ち方で、パンチがどこら出てくるか見えにくいタイプの選手なのだろうが、どこを打とうか右手が考えているような感じで、グローブが下がる。これでは亀田選手の左のロングフックが当たってしまうのではないかと心配だった。
 結局、左のパンチは何発かいい角度で内藤選手の右頬を捉えたのだが、亀田・次男がガードに力を入れすぎているせいか、パンチにキレがなかった。あとは内藤の手数をジャッジが評価してくれるかどうかだが、4Rに中間集計が発表されて、39-37、ないしは40-36で内藤が勝っていることが分かり、勝敗については、ほぼこの段階で安心した。
 それにしても、亀田・次男は手が出ない。挑戦者があんなに固くなってしまっては、面白くないし、タイトルは取れない。リングに上がった本人でないと分からない怖さがあるのだろうから、非難しようとは思わないが、あの試合運びでは勝ちようがない。体格はもう二、三階級上の骨格ではないか。若いからフライ級でできていても、もう少し肉を付けて上のクラスでやる方がいいのではないだろうか。しかし、曲がりなりというか曲がりっぱなしだったが、一応12R保つスタミナがあったし、内藤のパンチをマトモに喰って「効いた!」というシーンは一度もなかった。相当に練習しているのだろうし、体力はある。それにしても、もっとパンチがあるのかと思ったが、そうでもない。長男と同様、実はパンチがない方なのかも知れない。
 内藤選手のボクシングは、もともと上手く見えにくいタイプなのだろうが、世界のトップレベルにはとても見えなかった。個人としては本当に応援したいが、今後の防衛は、誰とやっても相当に苦しいのではないだろうか。
 フライ級では、何と言っても、IBFの新チャンピオンであるフィリピンのノニト・ドネアの次の試合を早く見たい。あのクラス最強と言われたビック・ダルチニャンのパンチを恐れずに、相手の欠点を突いて試合を組み立て、見事にノックアウトしたタイトル奪取の試合は、軽量級では今年のベストだ。
 次は亀田の長男が出てくるのだろうか。内藤とだとパンチのない同士でいい勝負だろうが、賭けるなら、亀田の長男に一票か。技術は亀兄の方が上ではないか。ランダエタとの二戦目のようなボクシングをすると兄貴は判定勝ちできそうだ。
 ただし、内藤は前チャンピオンが次の試合の興行権を持っているはずだから、亀田・長男は一戦別のだれかとやることになるのだろうか。今まで、パンチの無さそうな相手を慎重に選んでマッチメークしているから、今度も安全な相手を探してくるのだろうか。たまには、KO率が50%を超えるようなスリルのある相手と戦う試合が観たい。まあ、そうは言っても、戦うのは本人だし、亀田家にも、テレビ局にも、いろいろ都合があるのだろうから、気長に待つことにしよう。
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女性の会社選びの考え方

 11月発売を目指している幻冬舎新書「会社は2年で辞めてもいい!」(仮タイトル)の原稿を先週末に編集者に送り、ゲラが出来る週末まで、執行猶予のような余裕のある気分で居たところ、「女性のキャリアプランについて少々加筆した方がいいと思います」と言われて、新書で16ページほど追加で原稿を書いた。男女差を意識して書いたわけではないのだが、他の章は、男の若者に説いて聞かせるような調子の内容と文章なので、女性向けの考え方を別項目を立てて書いて置いた方がいいと判断した。
 女性の場合に、どうしても出産の前後に仕事を離れたり、仕事に専念できない時期が出来たりするので、この点の仕事上のマイナスをどうやって小さくコントロールするかという問題がポイントになる。以下は、その加筆原稿の一部だ。現実問題として、女性のどの点が不利なのかを説明した後に続く、女性の会社の選び方の項目だ。

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 女性が会社を選ぶ際のポイントとしては、特に、出産・育児関係の制度を会社がどう設計しているかをチェックするといい。出産・育児の休暇をどのくらいの期間取ることができるか、経済的条件はどうか、たとえば復職後に時間短縮勤務のような選択肢があるか、さらに出産・育児の休暇を終えた女性がどのように扱われているか、具体例を聞き、またできれば、実際に休暇から復帰した女性社員に会って話を聞いてみるといい。
 職場に先例があるのと無いのとでは大違いだ。実例がない場合や歴史が浅い場合、制度に不備があるケースも少なくない。たとえば、時間短縮勤務が可能な年限が短い場合、保育園に子供を預けてフルタイムで働くことが現実的でない、といった事例がある。すべての職場で女性が不利を感じないで子供を生むことが出来るように、先例を作って欲しいという期待はあるが、就職ガイドとしては、先例のある職場の方がずっと楽だと書いておく。
 尚、出産に際して、絶対に自分から会社を辞めてはならない。いったん正社員を離れると、正社員で復職することが非常に難しい。「ウチの会社では、長く休むのは難しい」などと言って、上司は辞表を書かせようとするかも知れないが、それは、会社の方が悪いのだから、自分からは辞めないことだ。会社側から解雇して貰えば、失業保険も早く貰えるし、退職金も多い筈だ。何とか自己都合退職に持ち込みたい上司や人事部は「解雇は経歴の傷になるよ」というような嘘をつくかも知れないが、そんなことはない。そんな解雇で「傷」が残るのはむしろ会社の方だ。会社を教育するつもりで、また、後に続く女性達のためにも、妥協せずに頑張って欲しい。
 特に総合職を目指す場合は、既にある程度女性の総合職が働いている会社の方が気が楽なはずだ。何割くらいいるといいのか、根拠を持った基準を提示することは難しいが、敢えて断定すると「二割」が一つの目処だ。中途採用者について筆者が感じたことでもあるが、特定のカテゴリーの仲間が集団内で二割(感覚的にはもう少し小さい数字なのだが)を超えると、たとえ少数派ではあっても、自分を異端とは意識せずに済むようになる。随分、気持ちが楽になる。
 人事・報酬の制度については、基本的に「短期勝負」で「成果主義的」な会社の方が、女性の損は小さい筈だ。過去の評価の累積で徐々に将来の差が拡がって、後年の地位や年収、さらには年金で差が付くというような会社の場合、出産の度に一年程度仕事から離れることが、将来に亘って不利として影響する可能性が大きい。
 成果を上げたときに、直ぐにその貢献に対する報酬を貰うことが出来る仕組みの方が、先の計算が立たない女性の立場としては、「取りっぱぐれ」がなくていい。また、実績に対してストレートに報酬が払われる仕組みの方が、上司の主観的な評価のウェイトが大きい仕組みよりも、女性社員には有利だろう。男性社員の方が長く使える氏使いやすいという意識を上司が持つ場合が多いし、この場合、優秀で上司が気に入った男性社員がいた場合にはどうしてもその男性社員には高い点が付きがちだ。
 このように考えると、個々のケースをよく調べる必要はあるが、外資系の会社の方が女性の不利は小さい場合が多いのではなかろうか。出産に関する社内制度のサポートなどは、本国の制度をそのまま日本法人でも適用している場合があって、日系の大企業ではとても得られないような好条件を持っている会社もあるので、よく調べてみよう。女性の活躍は、どちらかというと、外資系の会社で目に付くような印象があるが、外資系の会社が、優秀な女性を採用しやすい条件を備えていることの効果が大きいのだろう。
 但し、外資系の会社の日本法人ないしは支社は、会社によって本当に大きな差がある。商品や社名は世界的なブランド企業であっても、日本法人の運営は、ワンマン社長の中小企業以下という場合がある。著者が聞いたことがある例でも、女性社員が、総務部長のセクシュアルハラスメントを人事部に訴えたところ、検討の結果、その女性のあら探しをして、女性の方を解雇に持っていったという酷いケースがある。女性は部全体が時間にルーズな営業部署に属していたのだが、課長三人が交代で、の女性の出社時間や昼休みの時間をこっそり記録して、データが一ヶ月溜まったところで、勤務態度不良で解雇を通告したのだという。著者は、その女性の時間記録をこっそり付けていた当時の課長の一人から話を聞いた。
 また、出産などで仕事の現場を離れる時期が出来る可能性が大きいということや夫の勤務地などの都合で転職するかも知れないという事情を考えると、女性の場合、仕事の経験が特定の会社の中だけで生きるような職種ではなく、他の会社でも通用する一般性を持った、何らかの専門職を狙う方が得な場合が多いだろう。たとえば、法律関係の資格を持って、コンプライアンス(法令遵守)の専門家を目指すというようなイメージだ。
 尚、ついでに書いておくが、独身でまだ生活状況が流動的な時にマンションを買わないように、強く注意したい。ローンの負担は重いし、転売するのも大変で、多くの場合損が大きい。また、二十年、三十年後の資産価値はごく僅かだ。ローンの存在とマンションの物理的制約両方に人生選択を制約されてしまう。
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 その他、なるべく若いうちに(28歳までに)自分の職を決めて、35歳くらいまでに人材価値を完成させるという基本戦略には、男女のちがいはないのだが、女性の場合、コース選択を前倒しする方がいいかも知れなしし、機会費用を考えると、なるべく早くに(たとえば20代半ばで)子供を生んでおくのが得ではないか、というような話を書いた。
 もちろん、私自身は女ではないし、女性の事情に詳しいわけではないから、編集者(キビシイ女性である)が読んでみて、「山崎先生、これ、ボツです!」とダメ出しするかも知れない。その場合には、本に載らないので悪しからず。
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日本の保険が心配

 生命保険会社の不払いが910億円に拡大したという(以下、この件、日本経済新聞10月6日朝刊による)。金融庁の命令による調査報告だが、4月の中間報告から件数で2.7倍、金額で2.5倍に拡大した。予想通りの順調な拡大だが、払われるべき保険金が順当に払われていないケースの金額としては、たぶん氷山の一角の一隅くらいのものなのだろう。
 相変わらず特約の支払い漏れが多いようだ。要は、特約上、契約者が請求すれば支払うべき保険金を、請求がないから支払わないという種類の不払いだ。一応違法行為ではないので、積極的な詐欺や泥棒とまでいかないから、これを「ネコババ型不払い」とでも名付けておこう。
 ネコババ型の不払いは、年金(正式には年金保険であり保険の一種だ)の世界にも蔓延している。かの公的年金の宙に浮いた5000万件の中にも既に相当の不払いが存在するはずだし、転職者の企業年金を運用・給付する企業年金連合会でも相当額の不払いがあったことが明らかにされた。企業年金連合会の件では、加藤理事長が「請求主義の立場に立つ限り違法行為はなかった」とコメントしたが、ネコババ型の不払いに関しては、この「請求主義」(契約者が申請しなければ、支払うための行動をしなくていい)が諸悪の根源だ。この企業年金連合会の無請求の年金に関しては、10年くらい前から、関係者に「これで連合会(当時は厚生年金基金連合会)の年金財政が保つかも知れないという話があるくらいです」という話を聞いたことがある。
 生命保険は、商品が他社と横比較されないようにということと、付加保険料を膨らませるために特約がたっぷり付いた複雑な商品を売りつけているし、年金の方では、年金制度側から加入者に十分な案内をしていないことに対して法的な責任が問われていない。現実的に、保険者側の義務をどのくらいに設定するかは難しいところかも知れないが、この「請求主義」を野放しにしておいては、顧客にとって安心できる保険にはならない。
 もう一つの保険不払いの形は、「審判買収型不払い」とでも呼ぶべき、こちらはもっと詐欺性の強い悪質なものだ。
 マイケル・ムーア監督の映画「SICKO」に登場したアメリカの保険会社の医療保険の様子を見ると、保険会社に雇われた医師や弁護士は、契約者である患者の保険契約上のあら探しをして、告知義務に関する小さなキズや、医療内容と保険契約の不一致を見つけて、保険金の支払いを止めために仕事をしている。彼らは、不払い率の目標を作り、この達成を目指す。また、保険会社は、左はヒラリー・クリントン、右はジョージ・ブッシュに至るまで幅広く政治献金をばらまいて、便利な公的健康保険の設立を阻むロビー活動をしている。
 日本の保険会社もこの種のことをしていないという保証はない。また、医療保険などのいわゆる第三分野の保険は、外資系の保険会社が先に参入し先行者メリットを持っている分野だが、今後、日本の保険会社との競合が予想される。
 現段階では、厚労省の官僚が日本の健康保険制度をずたずたにして、米国の保険会社にマーケットを提供しようという意図で諸々の政策を進めているという証拠はないが、今後、医療費削減の流れに乗じて、米国の保険会社が日本の保険市場を食い物にするべく、本格的な工作に動かないとも限らない。最近の報道でも、医療費に成果主義導入を検討とか(医者が自分で診て、自分で評価するのだろうか?グルになった医者が評価するなら、自己採点と実質は同じだが)、治療実績の公表を考えるとか(これも危ない!)、どうも健康保険制度をボロボロにして、自由診療の範囲を拡げて、民間の医療保険に市場を作ることにつながりそうな、嫌な予感がする。
 ちなみに、成果主義と保険は、経済的な性質がよく似ている。共に、対象の「評価」が曖昧になったり、逆選択が出来たり、契約内容を後から変えたりできると、上手く行かない。病院の治療実績公表(たとえば疾病毎の5年生存率の公表)というような試みにしても、これはわれわれが知りたい情報であるが、病院がデータを改竄したり、予後の悪そうな患者の診療を拒否したり、あるいは、軽度の患者を症例にできるところまで悪化させてから治したり、といった、さまざまな不正操作のインセンティブが発生しかねない。基本的には、公的データの公表を、第三者(病院格付会社)が秘密に調査を行うようなサービスで補完するような工夫が必要だろう。
 「SICKO」の報告する各国事情を取りあえずだが鵜呑みにすると、カナダも、キューバも、イギリスも、フランスも、アメリカよりも国民が満足する公的な健康保険・医療制度を持っている。
 強欲なアメリカの保険会社が、新たなマーケットを求めるとすると、アメリカの準植民地(かつては物を作り、現在はお金を出す、優良植民地だ)というべき日本の保険市場を狙わない訳がないと、映画を見ながら、嫌な感じがしたのを思い出した。厚生労働省は、かつて事務次官(岡光氏)が収賄で逮捕・有罪となったような役所であるからして、政治屋たちも含めて、アメリカの保険会社に本気で工作されたら、ひとたまりもないだろう。
 ともあれ、日本のあらゆる「保険」に心配事が多い。
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株式投資の本が完成しました

 PHP新書から出る、株式投資の本の見本が出来上がった。書店に並ぶのは、10月16日くらいからになる予定だ。

 タイトルは、「新しい株式投資論 『合理的へそまがり』のすすめ」に決まった。編集者とぎりぎりまで悩んだ末、「運を頼まず株で勝つ」というタイトルがいいということになって(七五調ですっきりしているし、アクティブ運用で「勝つ」ことをテーマにしている本の内容にも合っている)、これで決めたつもりになっていたのだが、PHP研究所の何段階かの管理職の承認を得たものの、最後に社長に却下されて、このタイトルになった。「株」という単語と「勝つ」という単語の組み合わせが良くなかったらしいが、通らないものは、通らない、ということらしいので、上記のタイトルにした。著者としては、これでもいい。

 補足的報告をもう一つ。担当編集の横田紀彦氏によると、私の文章は、「読点が縦書きとしてはやや多すぎる」ということだった。氏によると、横書きの文章、特にネットの文章は、読点が多い方が読みやすいが、縦書きの文章の場合、論理的に筋が通った文章なら、読点が横書きよりも少ない方が読みやすいのだという。確かに、テキストファイルの横書きで書いて渡した原稿が、ゲラの形になって戻って来たときに、小さいが違和感を感じた。もともとの読点のポリシーは、意味を確定したり、論理的な関係をハッキリさせたい場合には付けるが、意味が一つに通場合にはなるべく付けない、というものだったのだが、ここのところ増えていたようだ。横書きと縦書きでは、最適な読点の数が変わる、という傾向は一般的なものらしいので、読者もご参考にされたい。してみると、原稿を読み直して校正するときには、印刷する方向と合わせてみるべきだ、ということなのだろう。幸い、筆者が原稿書きに使っているWZエディターは縦書きでも書ける。

 本屋さんに並ぶのはもう少し後だが、横田氏が、「ブログに載せて下さい」と前書きのテキストファイルを送ってきたので、以下に全文を貼り付ける。立ち読みの時間が、何秒か節約できるのではなかろうか。
 尚、初版第一刷りには、この前書きの末尾近くの「第4章」と「第四章」の混在のミスが、そのまま残る予定だ。

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<まえがき>

 株式投資は、不思議な世界だ。
 プロのファンドマネジャーの運用実績の平均は、ならして見ると、株式市場の平均に勝てない。内外両方で、そういった実証研究が多い。ということは、プロの残りは素人なのだから、プロは素人の平均に勝っていないのかもしれない。しかし、公平に見てプロのほうが、知識も情報も豊富だろう。それなのに、プロが勝てない株式投資とは、一体どのような性格のゲームなのか。彼らの努力や勉強が報われないのは、なぜか。
 先の現象の説明として、これまで最もポピュラーな議論は、株式市場が「効率的だ」と称する「効率的市場仮説」だった。しかし、この理論が語っている、つねに正しい株価が形成されていて、したがって市場にはチャンスが少ないという状況は、明らかに現実の株式市場の姿ではない。プロの投資家も素人も、どちらもが理論が期待するほどには、たいした情報も判断力も持っていないというのが市場の現実なのだ。それでは、「効率的ではないけれども、勝ちにくい」株式市場は、一体どんな仕組みになっているのか。この点を、本一冊かけて、納得のいくように説明してみたい。これが本書執筆の動機だ。
 本書は、手取り足取り、株式投資の方法を説明するような本ではないが、一貫して、株式投資に参加するプレーヤーが、株式市場で他の参加者よりも有利に儲けるにはどうしたらいいのだろうか、という視点から書いた。株式投資というゲームの仕組みと戦略を考える上で、そうするのが分かりやすいから、ということが主な理由だったのだが、結果的に、株式投資の正しい(得な)やり方について、従来十分整理できていなかったいくつかの点が、明快な理由とともに整理できたと思う。
 また、これまで投資について書かれた啓蒙書の多くが、モダン・ポートフォリオ理論や、金融工学と呼ばれる伝統的なファイナンス理論の入門書だったが、本書は、著者なりの理解の下に、行動ファイナンスや、さらにその後に続くファイナンス研究の成果を、いくつか取り入れて、新しい理解に基づく株式市場像を説明している。著者は、行動ファイナンスの研究以降、ファイナンスの基礎は完全に書き替えられたと考えている。理論にご興味のある方は、この点について考えながら読んでほしい。もっとも、本書は抽象的な議論や、まして数式を並べるような不必要に難しい本ではない。
 全体の構成をご紹介しよう。
 第1章は、「株式投資はギャンブルか?」といった素朴な疑問も含めて、ゲームとしての株式投資について説明している。第2章では、「損切り目標の設定は必要か」といった具体的だが誤解の多い、投資の方法のあれこれについて、理由つきで、著者が正しいと考える常識を紹介した。第3章は、投資の理論的研究を、現実の投資を考える上での実用性に絞って選び、やさしく紹介している。第4章では、著者が愛する「合理的なへそ曲がり」の投資の考え方を再確認する。場合によっては、第四章から先に読んでもらってもいい。分かる人には、それで著者の言いたいことが十分分かるだろう。
 本文にも書いたように、株式投資は努力で上達するものではない。無駄な努力はやめよう。あえて言えば、大切なのは「センス」だけなのだが、本書が、読者の「株式投資センス」にとって、効果的な刺激と栄養になることを、心から願っている。
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「沖縄集会」に関する新聞六紙報道の比較

 特別に誰のためということではないが、印象的なケースなので、簡単にご報告する。
 写真は、9月30日(日曜日)の、左から、朝日・東京・毎日・日経・読売・産経の各紙の紙面だ。携帯についているカメラで撮ったものなので、見づらいかも知れないが、朝日新聞の見出しで言うと「沖縄11万人抗議」のニュースに注目して並べたものだ。沖縄での民間人の集団自決に関する日本軍の関与を教科書から削除する教科書検定意見に反対して、29日に沖縄で大規模な集会が行われたというニュースだ。
 ニュースそのものには深く立ち入らないが、各紙の扱いが、あまりにも違う。
 「朝日」と「東京」は、一面トップの記事だ。特に、「朝日」の記事は、写真の出来も良いし、11万人(主催者発表)の集会を「島ぐるみ」と伝えるなど、力が入っている(入りすぎているかも知れない)。「毎日」は、ミャンマーのデモ弾圧問題に次ぐ扱いで、一面の二番手記事だ。これら3紙は、一面以外にも関連記事がある。
 これが、「日経」「読売」になると、それぞれ、社会面の記事になる。モノクロの写真が載っているが、そう大きな記事ではない。さらに、「産経」となると、私は、危うく見落とすところだった。社会面の右ページに小さな記事が載っていて、写真もない。
 ともあれ、家庭でどの新聞を購読しているかによって、9月30日、日曜日のニュースに対する印象は、随分異なったであろうことは間違いない。
 ニュースの大きさに関する判断は、各紙それぞれであっていいが、記事の取捨や載せる大きさもメッセージであり、不偏不党とか、客観報道というものは、はじめからあり得ないことが実感として分かる。
 個人的な感想を言うと、「朝日」「東京」の扱いはいささか大きすぎて、「えっ、ミャンマーよりも大きいのか」と驚いた。この扱いの大きさ自体が、雄弁な社説だ(朝日は、社説でも取り上げている)。新聞社は、意見を持ってもいいが、ここまで露骨な出し方をすると、却って逆効果だろう(と、政治的にはハト傾向の私でさえ、少し不愉快に思う)。
 記事まで詳しく読んでいないので、点数は付けられないが、「毎日」くらいが妥当なバランスだろうか。「日経」「読売」も、沖縄で起こっていることの感じは分かる。
 「産経」の場合は、かえって不自然に思える。同紙の読者は、「朝日」とは違う方向からではあっても、教科書問題には関心が高いのではなかろうか。都合の悪いイベントを視野に入れないようにすると、かの「美しい日本」が見えるようになるのだろうか。
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