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松岡農相自殺の新聞6紙の扱い

 後世には、おそらく「ナントカ還元水」という言葉と共に思い出されることになるだろう松岡農水相が自殺した。
 自殺自体は、何とも痛ましいこととしか言いようがない。62歳という彼の年齢を考えると、まだまだ元気と、そろそろ弱気、が交錯する微妙な時期だったのだろうし、政治資金問題で矢面に立つような悪そうなイメージとは裏腹に、意外にデリケートな性格だったのだろうなどとも、推察する。私のような凡人は、「何も死ぬことはないではないか。全て放り出して、別の人生をやってみるといいのに」というようなことを思うが、方々との利害の絡む人間関係や立場というものを離れて生きる、ということは、人間にとって難しいことなのだろう(思い詰めると、凡人だって・・)。
 何度か書いたと思うが、政治家はなかなか自分の意思で引退できないことがあるし、政治家が急死した場合に、凡そ政治家向きでない奥さんなどが、代わりに立候補するように、一人の政治家の周辺に巡らされた利害の網の目から、逃れることは、簡単ではないにちがいない。政治家個人は、一つのビジネスモデルの部品になっている。朝日新聞によると、松岡氏は、2日前には、地元の元県会議長らとの会合で、日本酒の杯を重ねながら、「スパっと辞められたらなあ」と洩らしていたという。
 さて、ここでは彼の功罪は論じない。今回は、彼の死が、どのようなイメージで伝わり、どのように作用するかを見てみたい。
 
 昨日、NHKのニュースを見ていて、たとえば社民党の福島代表のコメントには、はらはらした。言葉が正確に思い出せなくて恐縮だが、彼女は、「ご冥福をお祈りするが、(松岡農相には)説明責任をきちんと果たして欲しかった」というようなことを言った。説明責任を求めること自体は間違いではないと思うが、社民党は、松岡氏を追求する側の立場だったから、正論ではあっても、松岡氏を責めるようなことを言うと、世間は「死者に鞭打った」というような捉え方をして、ひいては、彼を追求した側が、反感を買うことになる。
 この点は、野党側で気がついているようであり、”ただ、野党内には、「最終的に『安倍さんのせいだ』という世論の受け止めになればいいが、しばらく喪に服さないと」(民主党国対幹部)という空気も強い。”、”世論の反応を測りかねているのが実情だ”と、29日の毎日新聞朝刊も報じている。
 世論の、特に感情に関わる部分を作るのは、新聞よりもテレビだろうが、新聞の扱いはどうか。各紙は、どのような印象を読者に与えようとしているのか。拙宅に来た、朝刊6紙を見てみた。以下、「」内は、ことわりのない限り、新聞の見出し。()内は、何面の見出しかを示す。

・<読売新聞>
「松岡農相 国民へ『迷惑かけた』」「宿舎に遺書など8通」(1面)、「強気答弁、深まった孤立」(3面)、「安倍政権に衝撃 松岡農相自殺」「『2か月後』影響読めず」「野党は首相の責任追及」(4面)。社説の中では、「参院選を念頭に置いた政争の具などにしてはなるまい」と述べている。

・<朝日新聞>
「参院選前 政権に打撃」「強気運営から一点・・・焦り」「封書6通と便箋に遺書」(何れも1面。同面に、「政治の深い闇払え」と題するコラムや、「内閣支持率最低の36%」の見出しの記事もある)、「疑惑の山残して絶つ」「かわし続けた8カ月(3面)、「かばった末 首相沈痛」「『任命責任重さ感じる』政権への影響『大きい』」「民主、世論見極め攻勢」(2面)。「政治とカネ幕引き不安」「『説明不足』与党からも」(4面)。社説では、死者にムチ打つつもりはない、とことわりつつも、事実を明らかにし、責任があれば、これを認めるべきだったと述べて、「その後、スキャンダルが噴出しても、首相はかばい続けた。昨年末の佐田行革担当相の辞任に続く閣僚辞任となれば、政権への打撃が大きすぎるとの思惑もあったのではないか」と書いている。

・<日本経済新聞>
「揺れる政権収拾急ぐ」「政治資金・年金 参院選争点に」「軽視できない政治不信」(1面)、「首相かじ取り厳しく」「反攻機運崩れ守勢に」「かばい続け交代機逃がす」(3面)。社説タイトルは「農相自殺『政治とカネ』うやむやにするな」、文中に「こうした首相の対応が適切であったかどうかが今後厳しく問われることになろう」。

・<毎日新聞>
「遺書『迷惑かけた』」、「自殺の松岡農相 自筆で 首相らに計8通」、「首相『責任感じる』」「参院選戦略に打撃」(1面)、「首相の擁護裏目」「恐れた『辞任ドミノ』」(2面)、「疑惑を自ら封印」「検察のターゲット」(3面)。社説のタイトルは「安倍政権の状況は深刻だ」。

・<産経新聞>
「松岡農水相が自殺」「林道談合追求の渦中」「裏目に出た首相の決断」「早期ダメージ回復、参院選へ命運」(1面)、「首相に『重責』残し」「現職閣僚の自殺は戦後初」(2面)、「標的失い野党困惑」「民主、2、3日喪に」(3面、「政府与党に衝撃 議員ら多くを語らず」(4面)。社説では、柳沢厚相も残したことに触れた後、「閣僚を更迭した場合のメリットとデメリットを計算し、批判を受けることも承知の上で、あえて政治判断をしたのだろう。結果的には、政権運営上の失策といわれても仕方がない」。

・<東京新聞>
「松岡農相の死亡確認」「首相『任命責任感じる』」「『迷惑かけおわび』遺書8通謝罪も」(1面)、「守り続けた首相衝撃」「『献金』釈明の道失う」「危機意識欠如の見方も」(3面)、「参院選に影響必至」「政権イメージに傷」(2面)。社説のタイトルは「かばった首相の胸中は」、「潔く更迭に踏み切っておれば、農相の死はなかったのではなかろうか」、「『厳しく追及されていたが専門分野で頑張っていた』との首相コメントにも異議がある。異様な出来事を人ごとのように語っていては、政権の前途を危ぶまれても仕方がない」。

 読売は政権の責任というニュアンスを避けたがっているように見え、朝日は、安倍首相の責任と結びつける印象を与えたがっているように見える。毎日も基本的には朝日的立場で、安倍政権を後押しをしそうな産経が意外に首相に批判的な伝え方なのは、少し意外だ。東京新聞もかなり厳しい。日経は、無難な見出しだが、安倍首相の責任というニュアンスは他紙(読売を除く)より弱く感じる。
 どうやら、今のところ、この問題は、松岡農相は、安倍首相の都合に振り回されて追いつめられた(=可哀想だ)、というニュアンスで、安倍首相に不利に伝わっているようだ。ダーティーなイメージだった松岡氏の記憶が参院選まで残ることも含めて、与党にとって、有利な材料ではなさそうだが、野党側の対応が下手だと、一転して、野党に国民の反感が向かうこともあり得ると思う。
 たぶん、野党側としては、「深く哀悼の意」を評し続け、松岡問題の存在を有権者に忘れさせない一方で、「このような犠牲者がもう出ないような政治にして行きたい」と述べるだけにとどめるのが上策だろう。

(注:ご指摘により、本文中「勘定」→「感情」と変換ミスを修正いたしました。)
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「消えた年金記録問題」の本質的解決策

 対象者が分からない年金記録が5千万件強あることが露見して、問題になっている。この問題は、7月の参議院議員選挙の争点になる可能性があり、たとえば新聞各紙の報道ぶりは、各紙の政権・与党に対する距離感によって、大幅に違っている(この点に関しては、来週発売の「週刊現代」の「新聞の通信簿」に書いたので、ご参照下さい)。尚、直近に発表された安倍政権への支持率急落を見ると、この問題は、案外、大きな影響力を持っていそうだ。民主党は、この問題に絞ったメディア戦略を考える価値があるのではないか。
 新聞各紙は、トーンはちがっても、社会保険庁を非難しており、この点には、異議はない。当然だろう。ついでに言えば、件数は5095万件と出てきたが、金額は幾らなのか。少なくとも概算を把握していない訳はないし、金額が把握できていないとすると、それはそれで杜撰な管理として新たな大問題だ。この件については、まだまだ、隠し事がある筈だから、国民は、気長に怒りを持続させなければならない。
 ところで、今のところ、新聞6紙何れを見ても、過去の話の批判と、徹底的な救済策の必要性(民間の生損保でもやったのだから、という論調が多い)を強調していても、どうしたらよいか、どうして欲しいのか、については、何も語っていない。もちろん、「客観報道」が建前だから、ということはあろうが、社説を見ても、何も無いのは、少々物足りない(特に読売新聞は、この問題の参院選の争点化を嫌ったものか、社説で取り上げてもいないし、記事の見出しも「不明年金支給時効無し」「証拠、領収書以外も」といった、読者を”いたずらに安心させかねない”ものが多い)。
 
 では、どうすればいいのだろうか。
 思うに、基礎年金は、財源を全額税方式にすればよく、二階部分以上は、完全積立の個人勘定にすればいい。基本的には、それで解決すると思う。

 基礎年金(国民年金)は、現在も1/3強を一般会計で負担し、これが1/2になることになっているが、これを100%一般会計負担にするといい。
 財源が、何の税金かは、年金問題と切り離して論じるべきだ。何の税金にしたところで、本来、年金保険料として徴収するものを取らずに、税金を取るだけなので、経済全体に対しては「増税」ではない。
 これまで、①税で負担するといっても財源を提示しないのは無責任だ、②取りやすそうなのは現実的には消費税だろう、③しかし、消費税増税は政治的に不人気だ、という出口の無い議論になることが多かったが、財源は、消費税でも、所得税でもいいし、歳出削減によるのでもいい。手間が掛かって現実的ではないが、所得分配への影響を嫌うなら、当面は、今の年金保険料と同じ額を同じ対象に対して課税する「年金税」でもいいが、格差是正の意味合いからも、単に、現在の一般会計から支出することだけを決めるといい。
 消費税引き上げに積極的な財務省、あるいは、消費税を引き上げて法人税を引き下げたい一部財界などが、税金の年金財源投入と消費税増税が現実的には不可分一体であるかのような前提を忍び込ませて来たために、たとえば民主党の年金改革案のように「年金目的の消費税」といった、税金としては使途を制限するので筋が悪く、政治的にも不人気な提案になって、沈没してきた。議論の仕方が下手だったと思う。
 基礎年金の財源を全て税金で賄うことにすると、高額納税者の年金に対する負担が増える理屈だから、現在、所得に対してかなり逆進的な徴収となっている国民年金保険料の所得配分に与える影響が、「富」→「貧」の方向に修正される。これは、政治的にも、たぶん、社会的にもいいことではないか。
 また、税金を財源にするのだから、年金保険料の未納問題は存在しなくなり、徴収のコストも節約できる。
 現在、さまざまな事情で加入期間が25年に満たずに年金が受給できないとか、ごく少額しか年金が受給できないといった事情が、むしろ、高齢で、かつ貧しい、本来なら、年金に頼るニーズの大きな人に生じている(多くの年金未納者の将来像だ)。財源を全て税金にすると、未納問題が発生しないわけであるから、このような「年金難民」は発生しない。社会的には、これが最大のメリットだろう。
 また、現在、たとえば年金保険料を払った人の年金受給額よりも、過去に年金未納で現在生活保護を受けている人の受取額の方が多いといった、直観的には納得しにくい状況が生じることがあるが、税金を基礎年金の財源とすることで、こうしたことも起こらない(別途、年金保険料を納める/納めない、という問題が無くなるから)。

 現在、サラリー・パーソン(←何となく調子の出ない言葉ですね)は厚生年金、公務員は共済年金に加入していて、将来は、いわゆる二階部分の年金を受け取る。さらに恵まれた会社に勤めていたり、公務員であったりすると、独自の加算部分(しばしば「三階部分」と称せられる。純然たる企業年金はこの部分だ)が存在する場合もある。これらは、「年金一元化」の掛け声の下に、一本化されることになっているが、公務員の三階部分の新規部分(既裁定部分は別途管理されることになっている)をどのようにするか、など、この部分の制度も流動的だ。
 加えて、二階部分、三階部分に相当する年金を、確定拠出年金で運用して、将来受け取る形の年金の加入者も存在するなど、日本の年金制度は、相当に複雑だ。
 これは、最終的に、個人の年金勘定の形で統合してしまえばいいのではないだろうか。たとえば、会社員Aさんの年金は、①税で負担されていて高齢になれば受け取れる基礎年金、②(たとえば)積立金に対して国が一定の付利をしてくれる厚生年金、③自分で運用する確定拠出年金、で構成される。②と③は、対象となる資産運用の勘定を税務当局が一元的に管理していて、掛け金の所得控除、運用益への課税の繰り越しなどを、現状通り認める。以前、「年金情報」という専門紙のご意見コラムに書いたことがあるのだが、公務員の三階部分の未裁定部分(新・三階)も、民間と同じように確定拠出年金にするといい。官民同条件になって、年金一元化の趣旨にも沿うし、官と民の人材交流もやりやすくなる筈だ。
 自営業者Bさんの場合はどうなるか。①は共通で、②と③を合わせた額を個人型の確定拠出年金に積み立てるような形が普通になるだろうか(現在の確定拠出年金の個人型の自営業バージョンに近い)。或いは、②に相当する金額については、国に預けて、国に付利して貰うような制度を作ってもいいかも知れない。
 二階・三階部分を完全積立方式に移行しようとすると、多額のお金(300兆円以上と聞いたことがある)が必要で、現実的でない、という議論がよく出てくるのだが、これに関しては、個々人に対して国が債務を認識して、券面が無く、市場性もない、主に年金満期にしか換金できない国債を、個人の勘定に振り込むといい。将来の年金を踏み倒そうという意図が国にないなら、そのための必要積立資産に相当する債務が現在国にあるのと同じことだから、国家財政は、現状以上に悪くなるわけではないし、この非市場性国債は実際には途中で売却されることはないから、国債市場を直接的に圧迫する効果は少ないだろう(個人のポートフォリオ選択を通じた国債市場への影響はあるかも知れないが)。
 加入者は、その時々の自分の年金資産の積立具合を常に知ることができるから、老後の計画も立てやすいし、事務のミスなどがあっても、気付きやすいだろう。個人単位で管理されるので、転職や結婚でデータが混乱することもないはずだ。
 会社員の③は、確定拠出年金一本にすると単純だろうが、会社単位で確定給付の年金運用を用意することを可能にする形もあり得るだろう。ただし、事業会社が、同時に、実質的には何千億円、何兆円もの年金資産の運用会社でもあるといった、現在の企業の年金基金のようなものは、本来、必要ないのではないだろうか。
 企業の人事政策を反映した福利厚生制度に影響が出る可能性もあるが、たとえば、企業が年金を質に取るようにして、長期勤続を奨励するがごとき現在の制度は、年金(免税のメリットがあるのだからが公的な存在だ)が、企業経営のツールに流用されている、といえる状態だ。企業の経営には、別の手を使って貰おう。
 年金資産が個人単位で管理されると、個人が企業年金を通じて企業に縛り付けられるようなことはない(受給権の保護もハッキリしている)。
 たとえば、某銀行の企業年金(三階部分)は、「20年勤続」ではじめて受給権を得ると言うし、某商社の同じく企業年金は、50歳の誕生日に一日でも欠けて退職すると受給はゼロだ(共に、少なくとも数年前まではそうだった)。こうした企業年金制度の下では、野球選手に喩えると、FA権を待っているうちに、チャンスを逃がしたり、力が落ちてしまったりするような、年金を理由とした中高年サラリー・パーソンの悲劇が起こる。これらが、完全にポータブル(持ち運び可能)な個人勘定に移行すると、このようなことは、もう起きない。
 ③の部分をどの程度の大きさに設計するかは、税制上の考慮と共に、民間の資産運用業をどの程度の規模に育てようとするかによるだろう。
 私の商売を考えると、「大きくして下さい!」と言うべきところだろうが、本音のところは、まあ、どうでもいい。ただ、年金制度全体が、もう少しスッキリした理屈の通る、合理的なものになると嬉しいと思う。
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大相撲の八百長問題をメディアもファンも直視すべきだ

 「週刊現代」の6月2日号に、白鵬の師匠である宮城野親方の愛人と名乗る坂本直子氏が、宮城野親方と八百長の舞台裏について語った会話の録音が公開されている。
 先ず、結果的には、白鵬が横綱に昇り損ねた昨年の名古屋場所の取り組みについて、詳しく生々しく語られている。上位とのやりとりでいえば、朝青龍に300万円、魁皇、千代大海、琴欧州に200万円ずつを、宮城野親方が渡し、決まり手に関する打ち合わせをして白鵬は取り組みに臨んだ。記事によると、朝青龍は、土俵上で投げられて背中に砂が付く負け方を嫌い結果は寄り倒しで白鵬の勝ち、三大関は何れも投げられる決まり手で破れている。特に、千代大海(一度突っ張らせて貰ってから、投げられる)と魁皇(投げに大きく飛ぶ)は、年期の入った名演技であったようだ。
 宮城野氏のものとされる声は、女性の「魁皇ってインチキ慣れてるの?」という問いかけに、「考えてみろ。(八百長をしないと)34歳で大関なんて守れないって」と答えている。魁皇の取り口を見ていると、申し訳ないが、このコメントは頷ける。

 録音の真偽については、宮城野親方の声を声紋鑑定すれば分かることだ。かつて相撲の八百長を告発しようとした元力士が、不自然とも思える急死をしたことがあったが、記事を読むと、録音は「週刊現代」の手元にあるようだから、坂本氏の安全は大丈夫だろう(記事の広告を見たときに、真っ先に心配だったのは、この点だった)。相撲協会は、弁護士との相談を隠れ蓑に、正式なコメントさえ発表できていない。この状況から見て、録音は真正なものだろうし、内容も概ね当たっているのだろうと、推察される。
 スティーブン・D・レビット「ヤバい経済学」(望月衛訳、東洋経済新報社)には、千秋楽の7勝7敗力士が異常な高勝率であることが書かれているが、相撲の八百長は、「ときに、ある」と私は考えている。狭い社会での繰り返しゲームそのものだから、ゲーム論でいうところの「協調」をしたくなるインセンティブは豊富にあり、また、怪我を避けたいという事情もあるのだろう。
 但し、朝青龍も白鵬も、実力的には圧倒的に強いのだと思う(ガチンコ力士を物差しにして測ればいい)。彼らは強いからこそ八百長を受けて貰えるし、収入で保険を買う余裕もある。

 異様に思えるのは、NHKや大新聞をはじめとして、多くのメディアが、この問題を全く無視していることだ(朝日新聞は、週刊誌に記事が出たことを小さく報じているが)。競馬やサッカーのように一般大衆のお金は絡まないが、大相撲をスポーツとして報じている以上、八百長があるか無いかは重大な問題だろう。相撲協会との関係が大切なのか、それとも、他メディア(「週刊現代」)の手柄を際立たせたくないのか、理由は分からないが、ここまで白々しい報道ぶりは、疑問を通り越して、不愉快でさえある。
 ついでに言えば、場所前、朝青龍が稽古場で豊ノ島に怪我をさせた件については、傷害として警察沙汰にしてもよかったのではなかろうか。
 私は、幕内力士では、白鵬、朝青龍が一、二に好きだし(後の楽しみは把留都だ)、異国のハンディキャップを跳ね返すモンゴル勢の活躍を素晴らしいと思って見ているが、稽古場での乱暴(恐怖心を植え付けて本場所の取り組みを有利にする。今場所は豊真将が朝青龍に精神的に呑まれていた)や、八百長は、よろしくない。
 大相撲協会は、八百長を一度事実として認めて、今後そのようなことが起こらないような対策を発表すべきだろう。「なかったことにする」アプローチでは、ますます信用が低下するし、今後の八百長に対して根本的な対策が出来ない。実際に八百長の問題があった、ということを認めなければ、たとえば、「八百長は両者廃業」というようなルールを定める上で説得力がない。

 例えば、昨日の朝青龍・魁皇戦で、私がゲストなら次のように解説するだろう。先ず、取り組み前には、こんな感じだ。「普通なら、魁皇に勝機は無いと思いますが、今場所の朝青龍が、『もう、今場所はダヴァ(白鵬のこと)の優勝で決まっているのだから』と割り切っていれば、魁皇に、星の借りを返す可能性がありますよ」。取り組み後には、「魁皇は、切れた上手を、もう一度取らせて貰えたのが勝因ですね。いつもなら、朝青龍が、体を振って、速い動きで、有利な体勢を作ります。朝青龍は背中に砂が付くのは嫌いらしいですから、無理に残さずに、前から軽く落ちましたね。予定通りじゃないでしょうか。昨日の千代大海との相撲もそうでしたが、今日は、魁皇らしい決まり方の相撲を作ることが出来たので、いい記念になったのではないでしょうか。大関が引退するときの回顧のVTRに含まれる一番ですね」。
 正しい解説であるのかどうかは分からない。しかし、相撲界が降りかかる火の粉を払おうとさえしないのだから、こうした見方が許されていいと思う。ついでに言えば、「週刊現代」の記事の通り、朝青龍は、負け方が下手くそだ。

 「週刊現代」の記事には次のようなやりとりがある。
宮城野親方「ダヴァが(夏場所で横綱に)上がっちゃったら、もう(坂本氏と)どこにも行けなくなっちゃうでしょう。(今場所直後の5月30日の)水曜日に(横綱昇進)伝達式があってさ」
女性(坂本氏)「えっ、それももう決まっているの?(おカネを)配ってるの?
宮城野親方「いや、それは知らない。(白鵬)本人に聞いてくれっちゅうの。オレはそういう(八百長の)パイプを作ってあげたんだよ。あとは自分でできるだろうっていうの。子供じゃねえんだから」

 白鵬は、間違いなく強いし、まだまだ強くなる素質を持っていると思う。大関昇進時に北の湖理事長は、(素質的には)「悪くても、横綱になるだろう」と言ったが、その通りだ。取り口としては、立ち会いの後、時に、右手で相手を引き込むようにいなす悪い癖があったのと、勝負を急いで土俵際の詰めが甘くなるところが欠点だったが、これらは矯正可能だ。ガチンコでも十分綱を張って行けると思う。
 問題があるとすれば、彼の場合、緊張しやすい性格だろう(だから、初日の負けが多い)。これに関しては、今場所は、中盤以降に「大人」になったようだ。落ち着いた取り口で、危なげが無くなった。確かに、「子供じゃない」!
 宮城野親方の言う通り、30日には、宮城野親方と白鵬の所に使者が来そうな状況になって来た。横綱になる以上、白鵬には、これまで以上にいい相撲を取って欲しい。ファンとしては、ガチンコの相撲を見分けつつ、その強さと成長を見守ることを楽しみにしている。
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会社は2年で辞めてもいい

 5月19日の土曜日に、日本経済新聞グループが主催する「転職フェア」で1時間ほどスピーチをしてきました。会場は、六本木ヒルズのアカデミーヒルズで、11時30分から12時30分までの1知時間でした。このイベントには多数の参加者(主に20代の若者)があり、講演会場の椅子は満席で、後ろに立ち見の聴衆が多数いる、という講演しやすい環境でした(講演のノウハウ本によると、人と人の間が空くような状況は、講演がやりにくいそうです)。

 話の内容は、「時間は貴重なので、20代の転職は、躊躇するな」という転職を後押しするメッセージと、「28歳までに自分の『職』を決めて、35歳までに自分の『人材価値を』確立しよう」という、大まかなキャリア戦略の考え方でした。人材価値は、ある仕事の能力があって、その能力が実際の仕事で証明されているという条件があれば、確立します。ビジネスパーソンの能力的な全盛期は、たぶん30代の前半であり、また転職もその時期までなら容易なので、30代の前半までに、ある程度仕事を覚えて、この期間を仕事の実績を作る時期として有効に使おう、というのが、基本的な考え方です。
 「転職哲学」(かんき出版)などで、何度か書いたことがある内容なので、論理に迷いはありませんが、文章を書くのではなく一時間話すとなると、それなりに準備が必要なので、下のようなメモを作りました。実際に手元で使ったメモは、ワードで文字が修飾されていて、さらに、手書きの書き込みがありましたが、何を言ったかは、大雑把には、以下のメモ原稿のテキストを見ると、分かっていただけるのではないでしょうか。

 城繁幸「若者はなぜ3年で辞めるのか?」(光文社新書)という、よく売れている本がありますが(新卒就職者の1/3以上、36%が、就職後3年以内に会社を辞めるのだそうです)、合わない会社/仕事だ、と思った場合には、3年も待つ必要はありません(城さんも、もちろん、待て、などと言っていません)。業種を大きく超えた試行錯誤が可能な28歳くらいまでの期間を有効に使って、自分がこれから時間と努力を「投資」して行く「自分の職」を早く見つけることが重要でしょう。
 尚、この講演の準備のために、城氏の上記の本を読みました。日本の企業にまだ残る年功序列の気風や習慣を徹底的に批判しており、成果主義に反対し、年功序列制を支持する人が、同年代間の格差には敏感でも、世代間の不公平に対しては、いかに鈍感であったかがよく分かる、なかなか面白い本でした。
 私の話は、現在の日本企業の人事のあり方に対する批判には共感するとして、それでは、現在、個人の立場で、特に若者が、何を考えて、どうしたらよいかを考えてみる、という位置づけのものでした。せっかくなので、若者にターゲットを絞って内容をまとめて、単行本化できるといいなと思っています。(タイトルは「会社は2年で辞めてもいい」で、サブタイトルで、若者向けの本であることを説明するということで、どうでしょうか)

 働き方やキャリアの作り方は、人それぞれでしょうが、何れにしても、会社などというものは当てにならないので、特定の会社に依存せずに済むような職業人生計画を作って、実行することが重要でしょう。

●<以下、講演で使ったメモのテキスト部分です>
=============================

「20代ビジネスパーソンのためのキャリア戦略と転職の考え方」

★ 20代の会社員が「適職」に就いている可能性は小さい

「最初の仕事はくじ引きである。最初から適した仕事に就く確率は高くない」(P.F.ドラッカー)
学生の情報収集には限界がある
実際に働いてみて、自分に合うかどうかが分かる
「適職」は恋愛と同じく「出会う」もの。計画的に手に入れることは難しい
しかも、不況時に就職した人は納得の行く選択が難しかった

★ 仕事のやり甲斐の二要素(最低一つは必要)

①他人(顧客でも、同僚でも)の役に立っていて、評価されているという実感
②自分の仕事が進歩/成長しているという実感
自分の「価値観」に合わない仕事は続けても上手く行かない

★ 急に訪れた「売り手市場」は「適職選択のチャンス」!

新卒市場の加熱、第二新卒採用の活発化、転職も容易
雇用は景気の遅行指標
バブル崩壊期の若年採用抑制の反動
明らかに企業の人材政策失敗の結果
日本の人材採用は、将来の必要性よりも現在の利益の関数(半導体の設備投資と同じ)
若年採用の抑制は、企業の「未来のリストラ」だった
現在の採用計画を見て、企業に先を見通す能力など無いことを知れ!
企業に人生を委ねるな!
現在は、職業再選択のチャンス。早く自分の「職」で商品価値を持て。

★ 人材価値の構成要素(両方が必要)

何らかの仕事を遂行する「能力を持っていること」
能力が、「現実の仕事を通じて証明されていること」
キャリア戦略上はどうやって「経験者」になるかが重要
「資格」はそれほど有効ではない(多くの場合、回り道)
MBA?
国内(社会人)大学院修士/MBA??
証券アナリスト、FP、・・・???
最終的に個人の「資産」は、一に顧客、二に能力

★ キャリア戦略のポイントは28歳と35歳

 遅くとも28歳までに自分の職に就き、35歳までに「人材価値」を確立することが基本戦略。

★ 28歳までの転職は業種/職種を大きく変えることが可能

「試行錯誤」が出来る数年間
「石の上にも三年」は有害なアドバイス。正しいアドバイスは「時は金なり」
※私の場合は25歳の時点で「ファンドマネジャー」という「職」を選択した
28歳迄の根拠は二つ
①35歳-5年(実績を作る期間)―2年(仕事を覚える期間)
②新しい事への適応能力の変化(?)

★ 35歳までの30代前半で「人材価値」を確立する

仕事が出来るということが、実際の仕事の経験を通じて説明できるような履歴を作る
たぶん30代前半が、最も仕事が出来るビジネス・パーソンの全盛期
「転職年齢35歳限界説」は緩和されたがまだ残っている
次の不況で復活の可能性も
自分の人材価値を確立した人は40代でも多数転職している

★ 転職は、自分でする人事異動である

転職は、単なる「職場の引っ越し」
「引っ越し貧乏」的な費用は掛かる
引っ越しで友達が増える
自分と会社は基本的に対等と考えよ
交渉の相手は会社ではなく人間である
「あと二回で決める!」というくらいの気楽な気持ちで

★ 転職の最重要ポイントは「仕事の内容」

仕事の内容を事前に確認せよ
人材価値を創る/守る
2年先の自分をイメージせよ
仕事の内容がぶれていなければ失敗しても、やり直しは利く
キャリア上のダメージは小さい
転職には不確実性がつきもの

★ 重要なのは、仕事>人>給料

お金に関して若い頃の損は取り返しが利く
自分の人材価値を確立することが重要

★ 転職活動は「猿の枝渡り」だ

先に辞めてから職を探すのは不利
キャリアの空白による人材価値の下落
精神的焦り
面接でも不利
給与交渉その他も不利
入社後の処遇にもマイナス
契約のリスク管理はしっかりと

★ 履歴書はデートの申し込み、面接は自分を売る商談だ

相手が必要とする情報に絞ってきちんと説明する
転職面接で回答を準備すべき質問は4つ
①これまでの勉強と仕事の内容
②応募先の志望理由
③入ってから具体的にどんなことがしたいか
④今の(多重転職者の場合過去も)会社を辞める理由

★(結論)転職のある人生も悪くない

転職は、職業人生の自由度を拡大する手段だ
結果的に不要ならしなくてもいいが、用意は常に必要
転職の失敗は取り返しが利く
転職の快感!
自分のことを自分で決めるスリルと満足感

<補足>
転職には、いろいろあるが、どれもあり!

1.自分の職を選ぶための転職
20代の転職、初期の転職は、主にコレ

2.仕事をより良く覚えるための転職
お金は仕事に付いてくる

3.覚えた仕事を活かす場を得るための転職
主に30代の転職

4.経済的条件を改善するための転職
プロとして自分のお金(報酬)には拘っていい。
難しいかも知れないけれど、他人と較べないこと

5.自分の自由度を改善するための転職
個人としての活動(趣味も、副業も、発言も)の自由度拡大
将来の暮らし方を考える

6.価値観に合わない仕事を避ける転職
気分は仕事のパフォーマンスに影響する

7.自分の時間を確保するための転職
自分のペースで働くことも重要

8.人間関係を変えるための転職
人同士の「相性」はある。「逃げ」を後ろめたく思うな。

 以上
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(注:当初のエントリーで、「城繁幸」さんのお名前を、「城重幸」と誤記していました。失礼いたしました。コメント欄のご指摘により、修正しました)
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時計と時間と私の合理性

 4月から朝型(といっても通常人の普通型です)に変えて、1月が経過した。何とか継続できているのは、家族のおかげだが、正直なところ、まだ、調子が出ない。ものの本によると(たとえば、築山節「脳が冴える15の習慣」NHK新書)、午前中から仕事をする方が調子がいいはずなのだが、原稿を書いても、本や資料を読んでも、午前中、もっと言えば、日の高い間は能率が上がらない。眠い、というわけではないのだが、昼間は、空気の分子がわさわさ動いているような感じがして、落ち着かない。気がつくと、時間だけが進んでいる。
 もっとも、意識的な生活リズムとして夜型を30年くらい続けてきたわけだから、急に昼間の人になるのは、無理なのだろう。焦るまい。
 時間については、実は、もう一つ悩みがあった。時間が非常に重要な仕事(講演やテレビなど)は事前に余裕を持たせるので遅れないが、取材を受けるといった、5分、10分遅れても、その場では困らない仕事で、しばしばアポイントメントに数分遅れるのだ(取材にお見えになった皆様、「まことに、申し訳ありません!」)。決して時間を軽視している積もりはないし、地下鉄の乗り継ぎでは半ば走るし、「すみません・・・」と謝りもするのだが、約束の時間に遅れていいはずがない。特に、私のように、個人商店的な仕事をしている場合、個人的な信用の上で時間厳守は重要だし、時間に遅れて、相手を軽視しているような印象を与えることは、非常に拙い。
 待ち合わせの時間に遅れる理由を分析すると、出がけに思ったよりも時間を喰ってその遅れが取り返せないことが多く、交通機関の乗り継ぎ不具合等の外生要因を大きく上回っている。出がけに、メールの返事を余計に一本書いて、慌てて出ようとして、会社のIDカードを忘れて、玄関からもう一度部屋に戻って、出かけたら、計算上のリミットから5分遅れていた、というような状況が典型的だ。意地汚くメールなど書かずに、半強制的に、間に合う時刻には家を出るといいのに、と思うのだが、命令し、監視するのが、自分とあっては、なかなか上手く行かない。
 そこで、原始的だが、時計の針を5分進めてみることにした。具体的には、腕時計と、机上に置いている時計の二つの針を5分進めてみることにした。デジタル電波時計の目覚まし時計も机上にあって、この時計をベースに、他の時計の針を合わせていたのだが、こいつは、「あっち向いてホイ」のように、右か、左を向けて、時刻が直ぐには見えないような方向に置くことにした。
 まだ3週間ほどしか経っていないが、効果は現れている。「しまった、行かなくては!」と思ってから出かけても、待ち合わせ時間ピッタリに目的地に着くケースが、明らかに増えた。また、デジタル時計の文字盤を見えない方向に向けたことも良かったようだ。これまでは、原稿書きをしていても、時計を見るともなく見ていて、11時11分11秒とか12時34分56秒ような時刻になる瞬間を見て喜んだりして、ただでさえ不足気味の脳力リソースを、余計に事に使っていたことが分かった。何と馬鹿な!
 しかし、思い出してみると、「時計の針を○分進める」という行為は、私が、非合理的な行動として、大いに軽蔑していたやり方だった。真実を隠して、しかも、隠したことを知っていて、何になるというのだ。本人は正しい時刻の計算方法を知っているのだから、時計の針をずらしても、何の意味もなかろうし、意味があるとすれば、それは、その人物が非合理的であり、且つ自分をコントロールする意志が弱いということに、外ならない、と思っていた。
 この意見は、今も変わっていない。つまり、私は、非合理的で、意志が弱いのだ。自分がそうだから、他人もそうだろうというような、失礼で乱暴な断定をするつもりはないが、身近なサンプル(=自分)が一つ加わったことで、人間の非合理性を事実として認めて分析の中心に据える、行動経済学的なアプローチに、また一歩、親近感が深まった。
 尚、腕時計は、ときたま気分や目的で変えることがあるが、写真の時計を着けていることが多い。できれば機械式で、誤差は必ず進み方向で日差10秒未満、10気圧以上の防水(風呂にも着けたまま入るから)、日付表示があること(時刻と同じくらい見る事が多い)、材質はステンレスかチタン、といったところが選択条件だ。但し、いかにもダイバー用、海洋スポーツ用の大きなもの(たとえばパネライの時計)は、スーツに合わないし、私は、スポーツマン的な太い腕をしていないので、似合わないと思っている。腕時計は(革ベルトや防水が弱いものを除いて)、寝るときも、風呂にはいるときも、そのまま着けているので、愛用しているとも言えそうだし、酷使しているとも言える。
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新聞の将来像は?

 「週刊現代」で「新聞の通信簿」という持ち回りの連載を担当しているため、拙宅には、毎日、6紙の新聞(読売、朝日、日経、毎日、産経、東京)が届く。集合住宅に住んでいるので、郵便受けが一杯にならないように、こまめに新聞を取りに行かねばならない。
 郵便受けが並ぶ一角には、大きめのゴミ箱が置いてある。ホンの少し申し訳ないと思いつつ(新聞の代理店に)、しかし、何ら惜しいとは思わずに、各紙に挟まれた新聞広告を捨てて、本紙だけを持って、私は、家に戻る。この作業をする際に、別の住人が、同様に広告を捨てて、手に新聞だけを持って、出勤していくことも多い(注:4月から、私は、人並みの時間に起床している)。何が言いたいかというと、新聞の折り込み広告は読まれていないということだ。
 「新聞」という媒体の将来については、興味を持っているので、毎日新聞社の常務取締役だった河内孝氏が書いた「新聞社 破綻したビジネスモデル」(新潮新書)を読んでみた。2006年にご退任されたばかりなので、まだかなりの程度、毎日新聞社の視点から書かれているが、紙媒体を主に宅配で売る日本の新聞のビジネスモデルが、どう見ても先細りで、しかも、そのスピードがかなり速そうなことが、良く分かる。
 全体的な部数の低落傾向、大量の「押し紙」(印刷されて、販売店に届けられていても、配達されていない、実売を伴わない新聞)の存在とこれによる広告費の水増し(広告主から見ると詐欺的だ)、異様に高い販売コスト(売上の4-5割!)、ネットと競合しているのに新聞社の側では儲からないインターネット・ビジネス、ビジネス音痴の編集出身が経営トップに就くことの弊害など、新聞社が直面する問題が多数書かれている。また、詳しくは、同書を読んでみていただきたいが、読売、朝日に対抗して残るには、産経新聞、毎日新聞、中日新聞(東京新聞が傘下にある)の経営統合による「第三極」が必要だ、という河内氏の私案が載っているのも、興味深い。
 もっとも、仮に「第三極」が完成して、印刷や販売のコスト、更には取材のコストがセーブできるようになることがあるとしても(新聞各紙の名前と紙面は別々に残る形の統合を提案されている)、その頃には「紙」の新聞全体が、今よりも大きく落ち込むので、根本的な解決にはならないような気がする。
 尚、第三者的には、「明らかに問題だ!」と思う、再販価格維持制度(新聞に談合を批判する資格無し)、記者クラブ制(新規参入者の排除と、情報源との癒着に伴う官製情報の垂れ流しが問題)の二点については、河内氏は、重大な問題意識をお持ちのようには読めなかった。私個人としては、新聞社の経営問題よりも、これら二点の不正義の方が余程重大な問題だと思うが、ここでは、これ以上論じない。
 これまでに何度か書いたが、私が、仮に今年会社に入ったビジネスマンなら、宅配の新聞は無しで済ませるかも知れない。仕事によっては、日経は購読するかも知れないが、一般紙は、まず宅配では読まないと思う。ニュースはネットで集める方が、早くて、便利で、低コストだ。
 河内氏の著作によると、アメリカの新聞では、ウォール・ストリート・ジャーナルが有料購読モデルを何とか形にしつつあるが、ニューヨーク・タイムスの無料の速報ニュースとコラムニストの原稿を有料化するアプローチはそれほど上手く行っていないし、ワシントンポストはネットの記事を無料化して広告費を稼ぐアプローチだが、これも大した稼ぎにはなっていないという。
 媒体の主力を紙からネットに移さなければならないことは明らかだと思う。ただ、現在のように、ポータルサイト(Yahoo!やGoogleニュースなど)の中で、無料で新聞同士が競争しなければならない形だと、記事の質をあまり落とすわけには行かない一方で(ユーザー側にはメリットがあるが)、ページビューや広告費の多くがポータルサイトのものになってしまう。かといって、たとえば、記事の前半だけ無料で読ませて、後半は有料というような、ネット的にはいかにも「うざったい」アプローチが、多数の支持を得られるとも思えない。ネットの情報にお金を払うことが、今よりもずっと気楽になって、有料モデルが広く機能するようになるのかも知れないが、スマートではない。
 結局のところ、記事やコラムの本文の中に(たとえば段落と段落の間に、一画面に一個くらい)個々に広告を織り込むようにして、ネットには無料で載せるというようなアプローチになるのだろうか。これなら、ポータルサイト経由で読まれても、広告には読み手の目が届くし、広告料は新聞社のものだ。新聞社・書き手・記事の内容などによって、広告の内容が変化し、広告のクリック数や読み手がどこから来たかによって広告料が変わるようなイメージだろうか。実は、そうなると、広告スポンサーが、たとえばGoogleのような仕組みを介して広告を狙いの記事に入れるような格好になるので、広告代理店が中抜きされることになるのかも知れない。
 このような形になると、タレントやアナウンサーの「潜在視聴率」のような評価で、書き手個人の評価や報酬が左右されるようになるかもしれない。
 紙の新聞にもそれなりの良さはあるが、かさばる紙の不便さと、販売コストが価格に乗っていることを思うと、何はともあれ、新聞各社には、早く安価なネット購読版を出して欲しい。テキストのみ、画面PDF版、過去記事の検索機能付き、携帯版、など、幾つかのバーションが出来るだろうし、簡単な動画・音声付きの新聞も出来るだろう。現在、産経新聞がネット版を用意しているが、他紙は消極的だ。しかし、地上波デジタルが普及するころには、PCとテレビの隔たりが、今よりももっと小さくなっているだろうから、新聞のネット化は、相当に急ぐ必要があると思う。
 ところで、ネット版が普及すると、宅配の紙版を圧迫し、これは、新聞販売店の折り込み広告収入などにも影響するから、どこかで、紙媒体の営業サイドから待ったが掛かるだろう。これは、かつて、投信会社が、直接販売のルートを拡大しようとしたときに、親会社である証券会社の支店との喰い合いが起こって、結局「直販」が育たなかった事態を思い起こさせる(現在の投信の好調は、銀行窓販という新しいマーケットが突然開けたことによるもので、運用会社の販路確保にとって根本的な問題解決ではない)。
 新聞がネットで成立するようなローコストのビジネスになれば、先鋭的なものも含めて、多様な意見を持ったジャーナリズムが、もっと登場しやすくなるだろう。新聞も、放送も、新規参入に対する障壁を撤廃することが重要だと思う。読売、朝日以外の「第三極」を作るよりも、寡占を解体して、意見と情報の競争がもっと働くようにすることが大事ではなかろうか。巨大な紙ビジネスの制約が外れると、優秀な仕事をする人については、ジャーナリスト個人の知名度と収入はもっと上がるようになるだろう。
 何はともあれ、日々、新聞6紙の紙の山を見つつ、「こんなビジネスは、長続きしないだろうなあ」という気持ちが深まっている。
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ボクシング二題

 楽しみにしていた、オスカー・デラホーヤ対フロイド・メイウェザーの試合をテレビ観戦しました(WOWOW「エキサイトマッチ」。6日の10:30~)。結果は2-1の僅差判定でメイウェザーの勝ちでした。115-113でそれぞれに割れた採点と、116-112でメイウェザー有利の判定が一人です。私の印象はドローないし、115-113でメイウェザーだったので、採点結果には納得です。ちなみに、ジョー小泉さんの採点は115-113でデラホーヤ。彼の解説によると、ラスベガスのジャッジは、軽くてもジャブを出していないと点をくれない傾向がある、とのことでした。
 前半、デラホーヤがメイウェザーのスピードをパワーで圧倒して、よく考えた作戦で、主導権を取りましたが、攻勢が些か雑になった5R辺りから、メイウェザーの左右のストレートパンチが当たるようになり、終盤は、デラホーヤがスタミナ切れを起こしたか、手数が減って、メイウェザーのペース、という流れでした。デラホーヤのプレッシャー&まとめ打ち作戦が功を奏していたのですが、これを続けるには、体力がさらに必要だったということでしょう。
 デラホーヤ側から見ると、もう少しスタミナ配分を考えたら、押し切れたのではないか、という非常に惜しい試合でしたが、得意のパンチ(左フックが強烈)は当てさせて貰えなかったので、相手が上手かったということでしょう。また、どのパンチか分かりませんでしたが、デラホーヤはボディーに受けたパンチが効いていたのかも知れません。7Rくらいから、デラホーヤが妙に顔を前に出して(要は腰を引き気味に)前進するようになり、パンチの打ち終わりを狙い打ちされるようになりました。
 単純に今日の出来から類推すると、メイウェザーは現在が全盛期ですが、デラホーヤがもう少し若ければ勝てたのではないか、との印象を持ちました。今や大プロモーターであり、ビジネスマンでもあるデラホーヤとしては、晩年(といっても34歳か・・)に、これだけの試合が出来れば、もう十分ではないでしょうか。
 メイウェザーは、「もうやることが残っていないから、引退だ」というようなことを口走っていましたが、モチベーションを維持するのが難しいかも知れませんが、シェーン・モズレー(対デラホーヤ、2戦2勝)と一戦やって見せて欲しいところです。これは、プロモーターとしてのデラホーヤが作ってくれそうなカードなので、期待しましょう。
 
 ●
 
 ボクシングといえば、先週「ロッキー・ザ・ファイナル」を観てきました。相手役が、あのロイ・ジョーンズを電信柱が倒れるように一発で倒したライト・ヘビー級のアントニオ・ターバーだったので、彼を見たかったということと、薬で作り上げたと言われているスタローンのボディーを見たかった、という二点が動機でした。
 ターバーは、若いチャンピオンの役を上手にこなしていて、なかなかの役者振りでした。実年齢は映画撮影時に既に37歳くらいの筈ですが、さすがに現役だけあって、きれいな体をしていて「若い」に無理がありませんでした。もっとも、ボクサーは映画に出るとダメになる、というジンクスは生きているようで、その後のターバーはリングで冴えません。
 一方、スタローンの見せ所は、リングに上がってガウンを脱いだ瞬間の見事に作られたボディーで、今までのシリーズを全部見たわけではありませんが、シリーズ中最高の出来栄えかもしれません。還暦にしてよくぞ、とも言えるし、薬の威力とも言えるし、「よくやった」という気持ちと、「気持ち悪い」という気持ちが、観ていて半々でした。
 映画自体は駄作です。初老のロッキーの日常の様子がだらだらと描かれ、後半のファイトシーンも雑です。ロッキーの第一作目を讃えるために作ったような映画で、たぶん、その後に続けてきたシリーズの出来が悪すぎて、最後に口直しをして、シリーズを終えたかったのでしょう。
 それにしても、あれがスタローン流の演出なのかも知れませんが、プロのボクシングの映画で、山手線の外側から振り回すようなフックでラッシュするロッキーと、それにたじたじとしてロープに下がるチャンピオンというのは、あまりに非現実的で、見苦しい。チャンバラ映画の殺陣を参考にするなり、もっとやりようがあると思うのですが、これも、第一作のままです。
 結局、ロッキーのテーマソング(あれは名曲ですね!)をもう一度映画館で聞いておきたい、という超ロッキー・ファン以外には、とてもお勧めできません。
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ラフロイグ試飲会

 昨日、ラフロイグだけの試飲会という珍しい催しが、日頃シングルモルトの教えを受けているM師のBAR(神保町交差点キムラヤのナナメ裏のB1にある「Bar polka dots & MOONBEAMS」です)であって、これに行ってきました。

 ラフロイグばかりを7杯飲むということなので、飽きるのではないか、個々のインパクトが薄れるのではないか、という心配もしましたが、全くの杞憂でした。個々の完成度が高いことに加えて、度数の低い上品なもの→度数の高いインパクトの強いもの→味の濃いもの→バランスのいいもの→長期熟成の逸品→セメダインのような刺激の強いもの→フルーティーで甘いもの、といったいわば「配球」がよく考えられていて、お互いに引き立て合って個性を主張するような、いい組み合わせになっていました。

 ラフロイグは、アードベッグと双璧をなすヨード臭(というだけではないのですが、あの古い病院の消毒液のような臭い)とピート(泥炭)の香りを強く持った個性的なアイラ・モルトですが、アードベッグがやや金属的な土臭さ(これがまたいいのですが)を時に感じさせるのに対して、ラフロイグの方は麦の香ばしさのような、敢えていえば「太い」「健康的な」感じがします。もちろん、年数や樽、個々の樽の個体差などでいろいろなバリエーションが出来るのですが、ベースにあるお酒の質が強いので、「へたった」感じの「外れ!」には当たりにくく、アイラ好きには常に無難で魅力的な選択肢です。(ポートエレンでは「外れ」が時々ありますし、ボウモアは「当たり」でないと美味しくありません。平均的に高い水準で満足なのはラガヴァリンでしょうか)

 写真でお分かり頂けると思いますが、テーブルクロス代わりの紙に、ラフロイグ蒸留所の写真をバックに、グラス置き場用の円が七つ書いてあって、それぞれにボトル名の略称と度数が書いてありました。これは大変便利で、味と名前が印象に残りやすいし、メモを取りたいタイプの人も(私は、メモを取りませんが)、紙を持って帰ればいいので、お酒に集中できます。試飲会以外にも、「シングルモルト入門コース」とか、「アイラ島蒸留所巡り」とか、裏に一杯一杯の解説も書いて常時用意しておくと、モルトの啓蒙にいいかも知れません。

 特にいいなと思ったのはオフィシャルもので、4番目に出てきたVintage1987と表示された(主にフランス向けだったとのことです)ボトルのもので、ラフロイグの刺激を十分残しつつもバランスが良く、何杯でも続けて飲みたくなるようなお酒でした。当初の期待度ナンバーワンは、7番のキングスベリーというボトラーの1980年物で、これは、かつて何度か飲んだことがあって、パパイヤのような香りが口の中一杯に拡がり、味も芯がしっかりしている、という非現実的なまでに素晴らしい美酒だったのですが、この日は、まだ開栓後日が浅いこともあって、そこまでの香りと味の開き方はありませんでした。後日、丁度良さそうなタイミングで再訪して、また飲んでみたいと思っています。

 尚、写真は、RicohのCAPLIO 100という最近出たコンパクトカメラで撮りました。酔っぱらいの手持ちでシャッタースピードが1/2.5秒ですが、セルフタイマーを使って(2秒で)シャッターを切ったら、あまりブレずに写ってくれました。
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株本の構成案

前のエントリーでは、取り上げるべき項目と、本のタイトルについて、多くのアイデアを頂き、まことにありがとうございました(引き続き募集中ですが)。

これから書くべき株本の、仮の構成案がまとまりました。項目を、追加したり、削除したり、順番を入れ替えたり、ということが、これから相当に起こるとは思いますが、一応、この程度の構造が出来たら、書き始めても良さそうです。仮のタイトルは「株式投資は不美人投票」にしておきますが、これは、いつ変わってもおかしくありません。また、現在の項目数は48個ですが、半端なような丁度いいような数ですが、これも増減の可能性があります。項目名は、何れも、否定ないし、批判ないし、少なくとも全面的には正しくないと指摘されるはずの、ネガティブな意味からラベリングしたものです。

さてさて、具体的には、こんな感じです。

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●「株式投資は不美人投票」構成案

<まえがき>

<第一章:株式投資はどんなゲームか>

・株式投資は美人投票だ
・株式投資は博打ではない
・株式投資は情報が勝負だ
・株式投資は頭脳の勝負だ
・株式投資は金持ちが勝つゲームだ
・株式投資は売買のタイミングが勝負だ
・マクロの見通しを踏まえて投資せよ
・エコノミストの逆に張れ
・下げ相場やボックス相場ではアクティブ運用がいい
・機関投資家は運用のプロだ

<第二章:その常識こそが危うい>

・株式市場は効率的だ
・長期投資でリスクが縮小する
・売買タイミングはチャートで判断する
・β値の高い銘柄は期待リターンが高い
・ドルコスト平均法は有利な投資法だ
・インデックス運用はポートフォリオ理論の応用例だ
・行動ファイナンスは投資家が儲けるための理論だ
・インフレに勝つには株式投資だ
・バブルは後にならないと見分けられない

<第三章:その方法では儲からない>

・利食いの目標株価を決めておけ
・株式投資は損切りが大事
・機関投資家が買う株を買え
・分散投資は非効率的
・銘柄数が多すぎると管理ができない
・アナリストの情報を活用しよう
・上方修正続きの銘柄に投資しよう
・業界トップ銘柄を買え
・デイトレードでは堅実に利喰え
・明日の高成長企業に投資しよう
・身近なところから投資のヒントを探せ
・システム運用は相場観に左右されない
・ナンピン買いで平均コストを下げよ
・「100-年齢」だけ株を持て
・掲示板やブログで情報を探せ
・信頼できる証券マンを見つけよう

<第四章:銘柄評価の考え方>

・優れたビジョンを持つ経営者に投資しよう
・配当こそ株主還元だ
・株主優待を楽しもう
・不祥事を起こした会社は売り
・決算発表では増益「率」に注目しよう
・M&Aは成長戦略だ
・IRに熱心な会社の株を買え
・CSRが優れた企業に投資しよう

<第五章:天は投資家の上に投資家を作らず>

・実力は運用結果に表れる
・プロとアマには大差がある
・株式投資は女には向かない
・株式投資はシニアには向かない
・株式投資は努力すると上達する

<あとがき>
=======================

章立てを作り、項目を分類するのは、いかにも煩雑で、結構気の重い作業だったのですが、項目をノート(A4のノートの見開き2ページ)に書き取り、次に、このノートを持って、注文してから出来上がるまでに50分くらいかかる鰻屋に行って(11:35分入店でしたが、相席で最後の席に座れました)、ビールを飲みながら、章立てを考え、それに合わせて項目を分類して、鰻を食べて元気を付けて、家に帰ってからエディター(原稿は主にWZエディターで書いています)で清書する、というような手順でまとめました。

次は、この構成案のファイルをコピーしたものにテキストを書き加える形で、原稿を書くことになります。この程度項目がまとまると、ライターを使う場合なら(私の場合、ライターさんに下書きして貰った場合は、後書きにその旨が分かるように書いてあります)、2時間×4回くらい話して、原稿を作って貰って、これに徹底的に手を加える、といった手順になりますが、今回は、自分で書くことにします。

大衆受けしようなどと気を遣わずに(きっと無理なのだし)、喋るのと変わらない気分で、言いたいことを書く、というような調子で進めようと思っていますが、(1)十分なやる気が出るか、(2)書きやすい文の調子が見つかるか(私の場合、「文体」なんて大それたものは持っていないので)、(3)書いているうちに飽きないか、といったことが、次の心配です。最初の数項目で調子が出るといいのです・・・。
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