1月7日「田舎暮らし」やエネルギーについて考えてみました
大晦日にガス給湯器が壊れ年末そして新年も不自由な生活をした。帰省中の孫達は銭湯を楽しんでいる様子ですが、朝蛇口からお湯が出ないのにはとまどっているようです。
迅速な対応をしていただき今日7日復旧、お風呂も台所等の給湯もされました。
こんな光景を前にして「文明に供しない生活」<かなりオーバーかも>について考えてみました。
私の描く憧れの「田舎暮らし」は、“雪の降らない比較的温暖な土地、眺望の良い少し小高い丘に平屋のあまり大きくない家、農作業用の納屋は大きく確保。水道・電気・ガス(LPGを含め)の供給がされているのはもちろん。家には薪ストーブがあり台所とリビングはかなりのスペースがとってある。少しの米と麦と雑穀と野菜を栽培し自家製の味噌等の保存食を作る。
野菜は自家製でほぼ賄い、できれば車や農機具の給油・買い物ができる場所が20分程度”
……ハッハッ…そんなの都合のいい「田舎暮らし」はありませんよネ……わかっていますョ。薪の確保・マキ割りは大変な作業ですし保存食を作るには手間も時間もかかる…だからこれは、憧れ・願望なのですヨ…
不便さを前にしない限り「便利・文明」のありがたさを感覚できなくなっている自分であった。それでもこのままエネルギーを原発に頼っていては地球が壊れてしまう、不便な事、生産性が落ちても自然エネルギーに代替えをしなければならない。
物を捨てない生活の話
物を捨てない・捨てられない生活をしている(ただの貧乏性ですが)武蔵村山の借家は未処分の家電・ストーブ・図書・布団etsでいっぱいである。その最たるものは石油ストーブである、あっちこっち壊れているが便利に使用している。限界にきている替え芯等販売されていることはWEBで確認済みですが壊れたツマミ(ネジ)がないのでプライヤーで回しています、2月までは使用予定。もともと笠間クラインガルテン在村中の生活用品をそっくり武蔵村山の借家に持ち込んでしまった。「その内片付ける」と思って早や5年。ダブっている家電も多くあり昨年一部リサイクル施設に持ち込んだが結構費用が掛かった。