yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

中国江南の踏査-4~長沙銅官窯を歩く写真編~の条

2010-08-15 08:08:38 | 歴史・考古情報《東アジア》-1 中国
 8月3日に現地から文章だけをアップした長沙銅官窯。
今回は写真でご紹介することにする。



このお兄ちゃんが案内してやるというのだが・・・。丘の仲にある細い道を何度もくねくね行ったり来たり迷いに迷って、途中、民家で尋ねたりしながら、やっとの事で辿り着いた。結局このお兄ちゃんは人に聞いて判ったようなものなのだが。





やっと辿り着いた遺跡なのだが、この地を管理している地元の管理人が、上の許可がないと開けられないという。そこでUさんの人間関係が最大限に生きた。あちこち電話がつながって待つこと30分。ようやく開場となった。









窯の保存施設へ向かう道には無造作に灰原の資料なのだろうか道に埋め込まれていた。







巨大な登り窯が保存されていた。





丁寧な解説板もあり、地元は熱心なようなのだが、ほとんど人には知られていないようだ。だから一々上に通さないと開けてくれないのである。





発掘調査も日常的にされいるらしい。



一郭には粘土採掘坑もあり保存されていた。

 



 湘江の中流、望城県に設けられた長沙銅官窯はその名「銅官窯」から官窯のように思っていたが、長沙も銅官もいずれも地名だという。もっとも銅官という地名は意味深で、長沙銅官窯の製品のあの独特の色は胎土にあるわけで、元々鉱物資源の豊かな地域であったことによるのでは無かろうか。その地の利を活かして湘江の水運とうまく連動して開窯されたらしい。それにしても揚子江のこんなに奥まった地からハルバル日本へ,あの長岡京の港として設けられた山崎津までやってきているのです。どういういきさつで,どんな径路で運ばれてきたのだろうか。それを思うだけでワクワクする遺跡だった。

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