yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

年賀状の条

2013-01-05 15:06:26 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
謹賀新年

1月学生による企画展示「江戸浮き浮きウオッチング」開催。
2月第23回壬申の乱ウオークで恭仁京へ。
3月珍しく日本にいたが『伊勢湾岸地震履歴の総合的研究』の刊行に忙殺。31日をもって定年退職。
4月不治の病と7年闘った親友・安藤栄里子さんが逝く。まだ42歳。直後に私が肺炎で入院。入院中に山田博士が倒れ,ショックの連続
5月官舎を引き上げてホッとする間もなく、生年月日が同じ元京都府技師久保さんが他界。
6月宇陀路をウオーク。
7月瀬戸市、伊賀市で講演。地元の方のご案内で尾張徳川藩主義直菩提寺定光寺見学。
8月初めての河西回廊。麦積山石窟に734年開元地震の痕跡を確認し仰天。天平群発地震と連動かと資料調査。
9月「地震考古学事始め」と題して3回の公開ゼミ。
10月鬼が塩屋遺跡第3次発掘調査開始。1944年昭和東南海地震の痕跡や大学の地形形成の歴史が判明。
11月薬師寺発掘現場見学と正倉院展。
12月「伊勢国と東海道」と題して久留倍講演会。

本年は地震づくしの一年でした。昨年は最後までろくな年ではなかった。今年こそよい年でありますように。なお、
長女玲は大型バイクでツーリング。道代は孫が唯一の楽しみ。今年も宜しく。  2013年正月朔日

という年賀状にもあるように昨年は最悪の年でした。賀状には書けませんでしたが、1月には尊敬する先輩広瀬和雄さんの奥様がお亡くなりになり、私より年下かおない歳の親しい方3人が亡くなるというショッキングな年でした。

そんなこともあったのか、単にずぼらだったのか、よくわからないのですが、本当ならこの春には刊行できるはずだった著書ができず、歴博の研究報告も流し、結局一年間、何も形にできなかった年でもありました。このブログも、始まって以来の不作で、数えてみると一年間でたったの41回しか更新できていませんでした。一年間何もしていなかったわけではないのですが、なぜかパソコンのキーb-どを叩く気になれなかったのです。せめて年末には、と思っていたのですが、部屋の片付けに追われ、気がついてみれば除夜の鐘直前。これも昨年の引っ越しの後遺症というところでしょうか。

だからといって今年何か元気の出せることがあるかというと、ほとんどありません。
政治は最悪の事態になってしまいました。あんなのが総理大臣になって、建設業界と軍事費に税金をジャブジャブつぎ込み、借金を膨大に増やして、消費税は8%どころの騒ぎじゃない状況になってまた政権をおっぽり出し、その尻ぬぐいを次の政権がするのでしょうね。原発を減らすどころか増やし続けることが判っているのに、選んだ国民という集団の気持ちがさっぱりわかりません(もっとも選べる人間がいなかった!!)。

昨年4月に亡くなった安藤栄里子さん。私の不調の第一の原因です。実は彼女の死は放射能汚染と深く関わっています。
彼女は、高校時代にアメリで一年間ホームステイしたそうです。ところがその地が、アメリカの各実験等で出た放射能廃棄物処理工場の近くであるとは知らされていませんでした。滞在中に起こった火災のことも、ずっと秘密にされていました。ところが発病してから、当時工場で大規模な火災が起こっていたことが判明したのです。火災によって漏れ出した放射能に被爆し(低線量被爆)ていたのです。

彼女の煩った多発性骨髄腫は、未だに完治した型はおられないのですが、一般的に35歳という若さで発病することはないのです。60歳前後の高齢者に多いのです。だから当初みんな「どうして?」と不思議がったのです。でもこの情報が判って原因が氷解しました。
しかし、こうした事実がわかっても、加害者(これから加害者になる日本政府も同じ)は「明確な因果関係」が証明できないからといって、この事態を放置しgているんどえす。それどころか、放射能汚染物質を出し続ける原発を止めるどころか増やすというのです。

なぜか?「尖閣を護るために」、核武装が必要で、そのためにはいつでも核兵器を作れる(プルトニウムを大量に出し続ける)原発が不可欠なのです。
軍国主義者にとって、末端の国民などどうでもいいのです。直ぐに症状が出て、マスコミが騒ぎさえしなければ「低線量被爆」なんてとるにたりないことなのです。被爆者が20年後に発症して死のうが、彼らは、今がよければいいのです。そして多くの国民もそうなのでしょうか。自らには降りかからないと勝手に信じて、放射能汚染よりも「景気」だと抜かす奴らの言葉にすがろうとしているようです。

所詮あぶく銭でしかない「景気」によって浮いた金なんて、バブルの時のあの散財を思い出せば、判ることなのに、「のど元過ぎれば・・・」のようですね。
薪を割って火を熾し、農地を耕して食べ物を育てればいいじゃないですか。そうしてこの美しい国土は数千年にわたって護られてきたのですもの。これを破壊し、多くの人の命を奪ったものこそ彼らであり、彼らのご先祖様ではないですか。あ~悲しい!!

だからといって今更何ができるというのですか?もちろん、こうした「諦め」が彼らの思うつぼであることも判っているのです。でも体が動きません。心が動きません。情けないことです。

卑怯ですが、私は、淡々と、考古学を通じて、日本列島という国土が刻んできた、平和で落ちついた、優れた文化や技術、暮らし方を伝え続けていこうと思います。せめて昨年よりは多くの情報を発信し続けようと思います。

今年こそ宜しくお願いします(もう空約束はしません!できたこと、直ぐできることをきちんとお伝えしようと思います。



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2013年初にあたって・・・の条

2013-01-03 23:53:53 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 憂鬱な2013年が始まりました。

 昨年は最悪の年でありました!が、今年もまたさらに憂鬱な年が続く予感がします。悲しい!!

 だから昨年はブログの更新もたったの41回。もう止めようかと何度も思ったのですが、・・・・。

 年末の「喧噪」の結果を見ているととても黙ってはいられない、となりました。

 日本の軍国主義化、排外主義化、ますますの独占資本主義化、放射能ばらまき国家化を本当に日本国民は願っているのですか?信じられん!!

 それぞれの分野で、さまざまな角度からこの悲しい政治状況をストップしていかなければならないと思いなおしたので、もうしばらく書き進めることにします。

 ネット社会を覆う組織的世論形成に対抗するために。ささやかなつぶやきを書き続けることにします。

 といいつつも今年最初の記事は等持院の庭です。



 なぜか?

 年末に、親父の命日でもあるので、お墓の掃除にいったのです。

 亡くなったのは1969年12月27日。父49歳、私20歳のことでした。今ならきっと医療訴訟で勝っていたことでしょう。胃潰瘍(手術の結果胃癌だというのですが・・・怪しいかも)の手術後、麻酔が覚める前に階段を看護師達が担架に乗せて動かしたために、心臓発作を起こして急逝したのでした。



 簡単な手術だと聞いていたので、私は手術にも立ち会わず、当時いた広島からのんびり帰ってきて、いつものように従姉妹の家で雑談していたのでした。当時、携帯もないので、重篤に陥った父のことを知らせようとあちこちに電話をしていた母から従姉妹の家に電話があった時にはもう既に父は旅立っていました。

 そんな[思い出]のある年末にお墓の掃除にいったのでした。我が山中家の檀家寺は三条木屋町の瑞泉寺なのですが、なぜかお墓が二つもあるのです。だからいつも、瑞泉寺と等持院に参らねばならないのです。

 そうそう瑞泉寺といえば、豊臣秀次一族が虐殺された三条河原の直ぐ側にあり、角倉了以が彼らの菩提を弔うために建てた寺なのですが、最近、京都市が、秀次のいた聚楽第の石垣を発見して大きな話題になりましたよね。あれ、残らないのですかね。是非残してほしいですよね。


 氷雨の降るとても寒い日でした。

 お墓参りに来る時に等持院にお墓の「管理料」というのを払うことになっているので、その支払いに等持院の方丈まで出向いたのでした。いつもなら任せっきりなのですが、昨年はとんでもないことばかりだったのでそのお祓いの気持ちもあったのでしょうか。

 すると、お庭を見学なさいますか?という。拝観料500円だから、「管理料」の1/20なのだが、それでもなかなかいつもは見学している暇もなかったので、珍しく、拝見することにした。



 年末のとても寒い日だったから、当然観光客などいるはずもない。雨も降っているし、直ぐに帰ろうかと思ったのだが、ふと前を見ると傘とスリッパが置いてある。誰もいない庭を見学する機会もそう無いだろうと思い直し、少しだけ歩いてみることに。

 ちょうど「苑池」の資料を集めて駄文を書いているところだったので、中・近世の苑池でも参考になるのでは、と思ったのかもしれない。

 回遊式なのでぶらぶら歩いているうちにはまってしまった!

 静かで、落ちついていて、雨の音だけが聞こえるなかなか神秘的な空間を独占することができた。

   冬雨の 池面に映ゆる 南天の実



等と駄句を思い浮かべながら歩きました。

  等持院 池面にはねる 氷雨の音





  尊氏が 心の池に 寒椿



東西に並ぶ二つの池がとても印象的で、これまでほとんど注目することもなかった導水施設なども確認することができ、とても有意義でした。


導水路


中島に渡る橋


方丈と池を挟んで対峙する茶室







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 ま、今年は、ボチボチやります。宜しく!!