yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

緑釉羊形硯をどう考える!の条

2011-05-29 12:49:59 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 ソフトバンクの孫さん、楽天の三木谷さん、両社長が相次いで興味深い発言をしている。

 孫さんは「電田」、三木谷さんは経団連脱退。

 もちろん二人とも名うての商売人だから、決して「清い心」だけで動いているわけではないことは明白だ。しかし、商売人が商売を考えるのは当たり前じゃないですか。死の商人として武器や原発を売るくらいなら、クリーンエネルギーを売ってどんどん儲けてもラッテ、それで雇用を創出し、海外に売り込み、改めて日本のクリーンな商売を世界中にやっていけばそれのどこが悪いというのですか。

 経済が麻痺するからといって、とんでもない事故が起こっているというのに、原発を容認し、未だに推進するといっている経団連の会長なんて即刻クビですよね。なんでもこの時期に関西経済連の会長が関電の社長になるとか?信じられない無神経!!三木谷さん、こんな金儲けしか考えない経済人の集まりなんかやめっちまえ!!


 とここで一息。


 例の斎宮で見付かったもう一つの資料。緑釉羊形硯について一言。

 これも発表者の評価が全く伝わってこないので、何とも言い難いのだが、私は今与えられている資料で思うことはこんなところだ。

 まず時期の問題だが、新聞では8世紀中頃のものだとされている。

 ホント??

 8世紀中頃に緑釉陶器なんて普通にあったっけ?なんでそれが8世紀後半に建設された方格地割の中から出るの?

 僕の常識では

 緑釉陶器は8世紀後半に作られた新型の土器。早ければ光仁朝、確実なのは桓武朝にそれまでの奈良三彩とは異なる思想の下に作り出された土器。だから方格地割から出たというのと何ら矛盾しない!

 ま、こうした私の「常識」は斎宮の伝統的研究者?に受け入れられていないことくらいよく知ってますから、別にどうでもいいことなんですが、しかし、それならこの矛盾をどう説明するんですかね。

 またぞろ、方格地割は8世紀中頃にできたとでも言い出すんですかね。まさか?

 そしてこれが出たところ、方格地割の東から四ブロック目、北から二ブロック目だとか。私は三ブロック目が斎宮寮の中枢部だと主張していますので、その直ぐ西隣ということになる(ちなみに斎宮歴史博物館では「神殿」のある空間だとか?)。だからこそこんな珍しい硯が出てくるのだ。

 ちなみにこの羊形件というのが、平城京や参河国府、地方官衙跡から出土している。珍しいことは珍しいのだが、先の唐三彩の陶枕のような超高級品ではないのだ。つまり地方の役人のトップクラスでも持てる品物なのだ。つまり斎宮で2個も出てもなんの不思議でもない資料ということになる。とはいっても初めての緑釉である。それはそれで注目しなければならない。当然斎宮寮の長官クラスだろう。

 そこで想像をたくましくして8世紀後半から9世紀初めくらいまでの斎宮寮の長官などを調べ見ると、

『続日本紀』によると天平18年8月23日に
壬寅。《廿三》置齋宮寮。以從五位下路眞人野上爲長官。

と出てくるから、長官は従五位下クラスということになる。ギリギリ貴族である。

また、天応元年正月朔日に斎宮寮の主典以上他に二階級を上げているから、長官のランクも正五位下に上がった可能性がある。

そして延暦四(785)年4月「丁亥《廿三》從五位上紀朝臣作良爲造齋宮長官。」と、造営の専門官である従五以上紀作良が方格地割の建設をする担当大臣に指名されるのである。紀作良は長岡京造営にも関わっており、斎宮の方格地割が長岡京の設計と大変よく似ているのは彼の設計によるのではないかと考えている。斎宮建設大臣がどこで指揮を執ったのか、完成後直ぐに都へ戻ったのかいずれも決め手がないが、三ヶ月後の7月には新しい斎宮寮長官従五位下賀茂朝臣人麻呂が任命されているので、別に住んでいたのであろう。賀茂朝臣人麻呂は延暦十(791)年までは長官を務めていた。

 その後は『日本後紀』なので史料に欠けることが多く、斎宮寮の長官の人事はほとんど判らない。
 『類聚国史』によれば、桓武天皇の斎王として派遣していた朝原内親王を急遽帰京させたのが平安京遷都直後の延暦十五(796)年で、おそらく安殿皇太子に嫁がせるためだと推定できる。この混乱を収めるためか、急ぎ伊勢太神宮に使者が使わされ、弁明に努めたらしい。続いて翌十六年、四月十八日、新たな斎王布勢内親王がト定されている。この時の斎宮寮の長官が残念ながら判らないのだが、緑釉羊形硯はこの頃の長官クラスが持ち込んだものではなかろうか。

 いずれにしろ、この硯の出土した辺りは当時8世紀後半から9世紀前半までの斎宮寮の長官クラスが執務した空間に違いない。


 こんな事を思う今日この頃である。

 緑釉羊形硯も重要なんだなと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ




藤波心さんのこころの条

2011-05-27 06:32:21 | yaasan随想
 藤波心さんというアイドルがいることを偶然知った。yaasanとち狂ったか!と思われるかも知れませんが、ご心配なく!

 14歳の中学生だそうです。

 やっぱりおかしいぞ!!

 いえいえご心配なく!とにかくこのブログを覗きにいってみて下さい。

 「ここっぴーの★へそっぴー」
 http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html
 
 なななんだ!やっぱりおじんが突然発情した!!

 ま、そう言わずに開けてみなさいよ。もちろん表紙には突然14歳の可愛い子がにっこり笑って出てきます。
 しかし、ここで引いてはいけません!!思い切って下へスクロールする。絵文字やら女の子の写真やら次々と出てくる。
 でも、その行間に並ぶ文字はとてもとても14歳の中学生の文章とは思えない(ゴメン!!こういう言い方は以後慎みますね!反省!!これで絵文字でも出せればやっぱり!となるのだが・・・(笑))素敵な文章なのだ。

 彼女のそのブログ少し引用させてもらいますね(実際の文章は行間が適度に空いている。これもおじさんには真似の出来ない新感覚文章!)。

2011年03月23日 23時04分13秒の記事から。

先日、
救援物資+義援金募金行ってきました。
安室奈美恵さん達のように
多額の寄付は
稼ぎの少ない
下っ端芸能人の私には
とうてい無理な金額ですが、
私の出来る範囲で
少額ですが少しでも被災地のみなさんに
役立ててもらえるよう、
物資+義援金送らせていただきました。
毎日、被災地から届くニュース映像は
涙なくしては見れません。しょぼんあせる
私も、芸能人のはしくれとして、
出来ることを、
これから色々考えて行きたいと
思っています・・・。



こんな感じで始まる。いかにも若者のブログといった感じでおそらく同年代の人々にはなんの違和感もないのだろう。しかし次のセンテンスで口調は変わらないものの内容はとても冷静に、きちんと分析し、しかし若者の生の雰囲気はそのままに語り続けられる。


ところで・・・
汚染が広がっているようですねしょぼん
原発で懸命に冷却作業にあたっているみなさん、
被災者のみなさん、
折角育ててきた野菜を捨てなければならなくなった農家のみなさん・・・
テレビで見ていて、それぞれ本当に大変な状況だなと思います。
そして、今日に入って、都内の水道水にも放射性物質が・・・・。
一体汚染はどこまで広がるのでしょうか。
そして、いつまで続くのでしょうか・・・。



ここまでは普通の反応かも知れません。しかしこの後、


テレビでは、やたらと「安全性」ばかり強調しています。
「風評被害」に惑わされないで、
「冷静」に対応してと・・・。
汚染された野菜を食べ続けても安心です・・・。
汚染された水を飲み続けても安心です・・・。
個別の数値は低くても、
ただちに健康を害することはない? 量だったとしても、
微量とはいえ空気中の放射性物質を吸い続け、
微量とはいえ、汚染された野菜を食べ続け、
微量とはいえ、汚染された水を採り続ければ・・・
微量+微量+微量 
イコール→ はてなマークはてなマーク
しかも、そういう生活が1週間続くのか、
1カ月なのか、
1年なのか・・・・
3年なのか・・・
計算私あまり得意じゃないけど・・・・( ̄_ ̄ i)
影響があることくらい、
バカな厨房2年の私でも分かるのに!!
テレビは「冷静に対応してください」
しか言わない。
あまりにも大丈夫すぎて、心配・・・・。



その通りです。「微量+微量+微量=??」「??×1週間?1ヶ月?1年?3年?・・・」こんな式が出てくるところはさすが現役中学生ですよね。彼女、本依存症だそうですが、きっといろんな本を一杯一杯読んでいるんでしょうね。ブログによると、いろんなニュースも見ているらしい。


挙句の果てには、
ラドン温泉などもあるように、少量の放射線なら体に良い?(笑)
とか、
「想定外」の
1000年に一度の大津波に、これだけ原発は耐えたのだから、
やはり日本の原発はすばらしい・・・???
とか、意味不明の原発絶賛???
訳の分からないコメントを言う専門家とかww
想定外だった、想定外だったって
みんな口をそろえて言うけど、
原発は、事故った時 甚大な被害がでるから、
「想定外」はあってはならないと思うんですケド…
私言ってること間違ってますかね・・・。


「専門家」というお方の履歴をみれば判る。元東電社員だの、東京大学の先生で、政府の原子力○○委員会の委員だの。そんな方が原発の悪口言うはずがない。最近の朝日新聞にあった安斎育郎さんの記事によると、彼は東京大学工学部で原子力工学を専門とした最初の研究者グループの一人だったらしいが、原子力制御の困難性を知り、その危険性を訴えたとたんグループから村八分にされ、口も聞いてもらえず、もちろん予算も回してもらえないどころか、ある時派遣されてきた東電社員に監視までされていたという。
 聞く所によると、原子力発電を擁護する立場なら、各電力会社から億単位の金が大学に寄付され、「寄付講座」なるものができるという。東海地方の三重県というところにある某大学でも、事件前に中電からお金をもらうことができ、「寄付講座」を開設しようとしていたらこの事件!!どないして処理しようかとドタバタしているとか。恥ずかしい!!そんな方々ばかりがテレビに出て、「安全」「安全」と言っている姿を見事に見抜いている。もちろん電力会社はテレビや新聞の有力な広告主なのである。

 もう少し心さんの発言に耳を傾けてみよう。


しかも、最近は、原発の危険性を言う人は、
危険をあおっていると、世の中は叩く傾向にあるようで、
これは何かおかしい流れだと思うのは私だけでしょうか??
風評被害を辞書で調べてみました。
→風評被害(ふうひょうひがい)とは、
災害、事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、
生産物の品質やサービスの低下を懸念して消費が減退し、
本来は直接関係のないほかの業者・従事者までが損害を受けること・・・。
実際は大したことないのに、
大げさに報道する・・・ガーン
→風評被害を生む報道
実際は大変深刻なのに、
大丈夫なように軽く報道する・・・ガーン
→ これは何て言うんですか???




虚偽報道



というのですよね。こうした報道によって、5年後、10年後にたくさんの子供達が癌になっても平気で報道するんでしょうね。

 「ここ東北地方では近年若年層の癌の発生数が増加傾向にあるといわれます。専門家によると『原発事故の影響かどうか、その因果関係は判らない』ということです。」

 水俣病の時もそう!,イタイイタイ病も同じ!!原爆訴訟でも同じ!B型肝炎訴訟も一緒!!状況証拠ではダメだ!という。みんなみんな官僚達の責任逃れ。誰かが責任を認めると、芋づる式に先輩方に迷惑がかかる。先輩を心配しているのではなく、先輩方が辿った道に自分が行けなくなるから絶対に責任は認めない。こうして被害は拡大し続ける。

 『発言を認めれば科学者として末代の恥だから辞めない!』と言ってのけた政府の原子力問題の責任者M氏。発言を言ったかどうかばかりを取り上げるマスコミ!!その前にもっと徹底的に批判しろよ!こんな事態も想定できなかった、こんな事態を訴えてきた人の発言に一切耳を傾けてこなかった『専門家』M氏を!問題なのは末代まで多くの国民に癌の危険性をばらまいたことばらまいたことが問題なのだ。 


 私は冷静ですよ・・・。
危険をあおっているわけでもありません。
テレビはこんだけ安全・大丈夫って言い続けているので
そのうち、
「放射能を跳ね返す!! スーパー健康法」
とか
「放射能にも負けない!! 体質改善・げんき体力づくり」
特集とかやりだすんじゃないでスカ???・・・( ̄ー ̄;
そんなの、いくら頑張っても
跳ね返したり、勝ったり出来ませんから。
なんてったって、相手は放射能ですからね。
今の現状、私が思うのは・・・
テレビが言う、安全・大丈夫ではなく、
やっぱり「危険」なのだとおもいます。
どーんと爆発したり、急に明日何万人何十万人が
死ぬということはないかもしれないけど、
5年、10年の歳月を経て、じわじわ私たちを蝕むとおもいます。
原発のリスクとリターンを考えたら、
あきらかに、リスクが高すぎる。
原発のデメリットに比べたら火力や水力のデメリットなんて可愛いもんだと思う。
でも、日本ではいまだに、原発見直しの声はそれほど上がってこない。
むしろ、よく聞かれるのは「原発はやっぱり必要」という声。
おとなしい国民性なんでしょうか・・・。
それとも・・・・。
前回の記事で、私が原発について否定的なことを書いたら、
コメント・メールだけでなく、
事務所にまで抗議・意見のメールがきました・・・・。
どんだけ、原発をかばうんだよぉ。
どんだけ、日本て、平和なんだよぉ。
どんだけ、日本て、良い人(人が良い)が多いんだよぉ・・・。
まだ自分自身が被害に遭ってなくて、
直接危険が迫ってないから
そんなことが言えるのかな??
私なんて、ズルイ性格だから、
こんな現状を見ると、
もう、これっぽっちも信用できないけど・・・。


斎藤さんの替え歌の時もそうだったけど、『事務所』に圧力をかけて止めさせる。実に姑息な人間共だ。(こんな事を書いている私にもそのうち、イヤ、今密かに圧力がかけられつつあるのかも知れないね。『知事抹殺』を読んでいるとこの裏社会で行われている暴力の恐ろしさを実感することができる。)

 彼女は原発をなくしてどうするかもきちんと書いている。


じゃあ、原発廃止したら、足らない分の電力は
どうするんだ!!って、言うけど、
それの答えは簡単。
今の原子力に頼らない電力の生活に
社会全体のシステムを変えればいいのです。
変えれますよ。
電力を絞れば、変わらざる得なくなる・・・。
初めは不便でも、やがて人間はそれに順応していく。
そんなことで、経済が落ち込んだりしても、
生活水準が下がっても、全然OK!!
原子力の事故で世の中がごちゃごちゃになるより
はるかに、リーズナブルで経済的。(*゜ー゜*)
私の家の近くに、数年前、大きな病院が出来たんです。
駐車場少なくて、いつも満車だったので、
駐車場の「混雑解消」のために、
更に、駐車場増やしたんですよ。
そしたら、どうなったとおもいますか???
駐車場不足が解消したのは
ほんの数カ月だけで、
駐車場が増えたら、
その分、みんな車で来る人の数が増えた!!
結局、駐車場増やしたのに、
駐車場不足は
今も、全然解消されていない。
電力もこれと似ていると思う。
ただ単に、容量増やせば、良いんじゃない。
人間の欲望ははてしないから。


昨年、台湾に行ったとき、満員バスの中で、立っていたら、杖を持ったお爺さんが席を替わってくれようとした。私達が外国人と判ったからだろう。もちろん『とんでもない!結構です』と断ったが、これって、「気持ち」ですよね。心にゆとりがあれば、少々の自分の肉体的な負担なんて我慢ができる。これが本当の人間なのですよね。相手を思いやるとき、自分のことを忘れて行動する。実はこの後直ぐに起こったこと。別のところにいた若いカップルが席を譲ってくれたのです。もちろんこれも直ぐ断ったのですが、あっという間にどこか別のところへ移動してしまったので座らせてもらったのだが。これって、国民みんなが当たり前に持っている心なのだと思いました。だから、それまでの台湾観を棄てて、今は台湾大好き!になりました。(笑)


(中略)住み慣れたふるさとを、
先祖代々受け継いだ、家や田畑や牧場を、放射能で汚されて、
福島県のみなさん本当にかわいそうだと思います。
これだけの状態になって、
それでも、原子力が必要だって言ってる人は、
失礼かもしれないけど、ある意味
もう、麻薬中毒みたいなもんだと思う。
あと、自分の意見だと思い込んでいるだけで、
実は、原子力は世の中に必要なんだという
だれかのPR 刷り込みだということを
気がついてないんじゃない?
よく麻薬中毒だった人が、インタビューとかで、
少量の麻薬なら、自分の仕事の効率上げるためには
必要悪なんだみたいな風に、自分に言い訳していた・・・。
とか言ってたの思い出します。
自分がどんどん蝕まれているのに
まったく気がつかない・・・。
いや、気づいているんだけど、やめられない。
薬やり始めた以上、
やめたら、
禁断症状でて、
もう、後には戻れないwwみたいなww
しょーもない、B級アイドルの私が
偉そうなこと言えた立場ではないことは、
よくわかってる。
電力関係・原発推進関係に携わっている人も多いから、
アイドルとしての立場の私は、賛成か反対かは
あまり明確にしない方が、本当は良いのかも知れない。
ラブ&ピース がんばろう日本!
みたいなことだけ言ってた方が、
アイドルとしては活動しやすいのかもしれない。
こういうこと書くと、ファン減るかもね。
でも、減ってもいいや。べーっだ!
私は中途半端なことは言いたくない。
人にどう言われようが、叩かれようが、
はっきりと、自分はこう思っているんだって
言うことを言いたい。
その結果、ファンが減っても、
私は仕方ないと思ってます。
原子力
それはまさにパンドラの箱です。
檻から解き放たれた 猛獣・・・。
いつ襲いかかるか分からない猛獣と
同居出来るほど 私は神経太くない・・・。
あなたはそれでも、
便利と引き換えに
これからも、
パンドラの箱を開きつづけますか???
今、日本は、色んな面で
考え直さないといけない時に来てるんじゃないですか?
私には、福島原発の煙が、
不謹慎かもしれませんが、
そんなパンドラの箱を開けてしまった私たちを死滅させる
巨大なバルサンか、ゴキジェットに見えます…。
藤波心



 まだまだ一杯あるのだけれど、それは皆さんご自分で心さんのブログに行って読んでみて下さい。そして会員になって応援メッセージを送ってあげて下さい。もちろん私も慣れない手つきで、「Ameba」になってコメントしときましたよ。

 そうだ、僕も彼女に負けないくらい「もう原発はいらない!!」を発信しなければ。


 藤波心頼もしいねと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ


斎宮出土唐三彩陶枕と緑釉羊形硯の意味を問うの条

2011-05-25 07:21:41 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 唐三彩の陶枕・緑の硯出土 

2011年05月21日



 復元された陶枕(左)と羊の形をした硯

■斎宮歴史博物館が復元

 斎宮歴史博物館(明和町)は20日、国史跡の斎宮跡から、全国的にも珍しい唐三彩の陶枕(とうちん)と、緑色のうわぐすりが塗られた羊形硯(すずり)の一部が出土したと発表した。「斎宮が都と結びつきの深い重要な場所だったことをいっそう裏付ける資料だ」と説明している。

 見つかったのは、9世紀中頃から10世紀初めにかけて、唐王朝の時代に作られたとみられる陶磁器製の枕の一部と、8世紀中頃に奈良の平城京周辺で作られた可能性がある羊の形をした硯。県が進める歴史公園整備事業に先立つ発掘調査で2008年8~10月にかけて見つかり、これまでに出土した陶枕や硯などをもとに、同館が復元した。

 同館によると、これまでに見つかった唐から持ち込まれたとみられる陶枕は、箱形のものが一般的。動物の姿を立体的に模して、その上に皿状の板を乗せた今回の出土品のような形は珍しく、国内で見つかるのは京都市に次いで2例目。羊形硯の出土は8例目だが、これまでの出土品は墨が付着しているものが多く、緑色のうわぐすりが塗られた角の部分が見つかったのは初めてという。

 2点の鑑定に携わった愛知県陶磁資料館の井上喜久男さん(61)は「どちらも実用性は低いのではないか。陶枕は唐からの舶来品に対するあこがれ、硯は斎宮内で行われた何らかの儀式で使われた可能性がある」と指摘する。

 三重大の山中章教授(歴史考古学)は「伊勢神宮に仕えるために都から赴いた斎王の誰かが持参したのだろう。当時の斎王の様子を知る手がかりになるかもしれない貴重な資料だ」と評価している。

 斎宮跡の出土品2661点は、09年度に国の重要文化財に指定されている。同博物館は「今回の2点はいずれも文化財クラス。今後も発掘を進める中で、ある程度の形がはっきりしてから追加指定をめざしたい」としている。

 2点は21日~6月12日まで展示される。問い合わせは同館(0596・52・3800)へ。
(井上翔太)



こんな記事が新聞各紙の地方版(三重県版)に載ったらしい。私はネットでこの記事を読んだ(後日新聞の記事も切り抜きをもらった)。前日の夕方、朝日新聞の記者から電話があり、その価値を問われたので、どんな扱いになるのか少しだけ気にしていた。予想通り、地方版にしか出なかったらしい。もっとも共同通信が取材したのだろう、全国の地方紙には全国ニュースとして載ったらしい事をネットの検索で知った。

予想通りというのはどういう事かというと、私が今居住している東海地方というのは新聞各紙の文化財ニュースの取扱が極めて冷淡なのである。ほとんど無関心としか言いようがないほど文化財関係の記事の掲載率が低いのである。その原因の第1は「デスク」にあるらしい。私はデスクというのがどんな仕事なのか、どんな立場なのかよくは知らないが、記事の取扱について相当の「権力」を持っているらしい。

度々文化財のとても重要な調査成果を身近に聞くことがあるが、東海地方の新聞各紙は大抵地方版しか扱わない。酷いのになると県民版のさらにその下の市町村版という惨状である。
もっとも情報を出す方にも責任があるのであって、果たしてその価値が解ってないのではないかと思える発信者も多々いるのではないだろうか。今回の報道もどうもそうした感じを強く受ける。新聞報道によれば、今回の二点は「文化財クラス」だと評価しているらしい。既に出土している羊形硯が重要文化財に指定されていることからの評価らしい。もちろんその通りなのだが、私はこうした遺物を、遺跡から切り離して指定する事には反対だ。遺跡とセットで評価すべきと強く思っている。

ところが今回の資料については、新聞記者に配られた説明資料ではこれらが出土した遺跡(遺構)が斎宮を管理する斎宮寮の長官クラスと関連づけて説明したらしい。発見された場所は方格地割と言って、南北4ブロック、東西7ブロックの28ブロック(実際は北西部が分割されていないので、24ブロック+1だが)からなる役所群の一角だ。桓武天皇が現在史跡となっている遺跡の南東部一帯に造らせた1ブロック120m四方の区画の西部から発見されたらしい。ということはこの資料が廃棄されていたブロックの近くにこれを所有していた人物あるいは役所があるということになる。

それは誰か?どこか?というのが次に出てくる疑問であるが、これほどの貴重な資料を持っていた人物(役所)は相当高位の人物(役所)ということになるはずだ。

当然そうした対象物は限られてくる。にもかかわらず説明では斎宮の役所のトップクラスが持っていたことになっていたらしい。

ホント??

そこで私も別の視点からこの資料を分析することにした。

まず対象としたのは唐三彩の陶枕だ。
これまでに同タイプ(頭部を受ける部分が皿状になっていること)の陶枕は1点しか出土していないという。平安京右京三条三坊九町である。これは大きな条件である。年間3万件近い発掘調査が40年近く実施されてきた日本である。その中のたったの1点である。今回もう一点が増えて120万分の2となった。極めて低い確率である。当然これらの資料を出した遺跡(所有していた人物あるいは施設)は相当特殊であると言えよう。ではどう特殊なのだろうか。

 まず平安京右京三条三坊九町という宅地を検討してみよう。
 この宅地は都のメインストリート・二条大路に面した町である。東へ三町いったところは右京三条二坊十五町だが、この宅地からは「斎宮」と墨書した土器が出土している。伴に出土した瓦が元宮殿用であったこと、優雅な池を備えた邸宅であること、そして「斎宮」と記載された墨書土器が出土したことなどから、この宅地は平安京の中でも天皇との深い関係にあった人物の邸宅であった可能性が指摘できるのである。
 そして九町からは唐三彩の皿の付くタイプの陶枕が出土している。まさにこの界隈は超高級住宅街なのだ。

 一方陶枕の時代(9世紀後半前後か)に斎王に任命されたのは光孝天皇の時が繁子内親王、宇太天皇の時が元子女王、醍醐天皇の時が柔子内親王、朱雀天皇が雅子内親王であった。女王が当時の最高級品を入手する可能性は極めて低い。天皇・皇后及びその子供達(親王や内親王)こそ入手可能な品物なのである。
 仮に陶枕を入手した可能性のある人物として10世紀前後の内親王であった斎王を候補とすると、それは繁子から雅子までの三人に絞られてくる。その中で、繁子は短期間しか斎宮におらず、光孝天皇の立場からもこうした高級品との接触は少なかったと思われる。すると柔子か雅子となる。供伴した他の資料との関係が問題になるが、可能性が高いのは醍醐天皇の斎王として派遣された柔子内親王ではなかろうか。

 その当否は置いておくとしても、この陶枕を所持したのは内親王クラスの斎王である可能性が極めて高いと言えよう。そしてそれが出土した場所とは、9世紀後半から10世紀初めにかけて斎王が居住した場所つまり内院と言うことができるのではなかろうか。

 唐三彩陶枕はこれまで不明だった離宮院から還宮後の斎宮の内院を探る有力な材料なのである。これほどまでの資料が三重県版では余りに悲しすぎる!!緑釉羊形硯についての分析は後日紹介することにする。

 唐三彩陶枕面白いねと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ

伊勢の石築地の条

2011-05-22 22:15:26 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 先に大原野勝持寺の子院跡から発見された石垣や石築地を紹介した。



 北畠館跡は三重県津市の最奥部、旧美杉村に所在する室町時代の「都市」遺跡である。

 この件で、現場でも担当者の京都市埋蔵文化財研究所のMさんにお伝えしたのだが、三重県津市(旧美杉村)の北畠館跡で、2008年度の発掘調査で、石築地とよく似た構造の幅80センチの石組みの中に石を充填した遺構が発見されている。



 報告書の巻頭カラー図版より。私も現場で写真を一杯撮ったのだが、三年前のHD破損により消えてしまった!!アー残念、悔しい!!



 Mさん!報告書がそちらに届いてなかったら、スキャンしたデーターを送りますよ!!

 時期は15世紀後半前後と考えられ、今回のものとかなり近い時期と思われる。

発掘調査されたときもこの遺構を石組みの溝とする意見と築地とする意見に分かれた。もちろん私は「間違いなく築地!」と主張したのだが、オブザーバーとして指導委員会にご出席の某県の幹部は「こんな狭い築地があるわけがない!」と断言された。ま、こんな方に「指導」を仰がねばならない市町村は可愛そうだとつくづく思ったのだが、その某県からは完全に外されている私の意見など見向きもされなかった(市町村出身の私は某県からすると指導する相手らしいのだ(笑)。いつも素敵なご指導有り難うございます。)。

 もちろん私はその時に「石築地」なるものを知らなかったので、「築地の基礎」だと主張した。この途中から土を積み上げ、築地とすると考えたのだ。今でも、あちこちの寺の築地塀などによく見かける構造だ。



 勝持寺子院・阿弥陀坊と正行坊の境界施設としての石築地



 だから、今回勝持寺で「石築地を見て驚いた。石の美しさは北畠が勝っており、上級武士の拠点都市の遮蔽施設と、京近郊とはいえ、山際の寺院の子院の遮蔽物の格差なのだろうか、勝持寺の方はやや乱雑な印象を否めない。もちろん時期差があるのかも知れない。現場ではこの石築地は上部まで(とはいってもあまり高くは積んでいなかったと推定している)石のままだったと聞いたが、本当に途中から土の可能性はないのか、もう少し事例を探してみないといけない。もっとも、上部に土を用いた築地があったとすると、当然上部には瓦が用いられていたであろうから、そうした遺物の出土状況も気になるところである。

 石築地面白いなと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ

佐紀盾列古墳群・松林苑を歩くの条

2011-05-21 12:31:30 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 22日日曜日には恒例の考古学研究室の遺跡巡りで平城京の北部、佐紀盾列古墳群とこれと重なってある平城京の禁苑、松林苑一帯を探索する。

 津発7:48の普通で伊勢中川へ8:02着、8:04発の急行で大和八木へ9:18着、9:33発の普通で大和西大寺へ10:01着、10:11発の普通で平城へ、10:12着というのが学生達の予定である。

 特急を使えば、8:22発で平城に9:54に着くのだが、学生達は倹約家ばかりなので、時間をかけてやってくる。偉い!

 もしよろしければ飛び入り参加も歓迎なので、10:15までに平城の駅に来て頂ければ結構です。

 今回の見学コースは

10:15近鉄平城駅→10:30秋篠寺→10:45神功皇后陵(五社神古墳)→11:15成務天皇陵(佐紀石塚山古墳)→11:30称徳天皇陵→12:00日葉酢媛陵(佐紀陵山古墳)→12:15昼食→13:00松林苑→13:45平城天皇陵(市庭古墳)→14:15平城宮東院→14;45大極殿・朝堂→15:15平城宮資料館→16:15大和西大寺解散

 これまでなら飛鳥に行くのだが、先日壬申の乱ウオークでほぼ全員が飛鳥南西部の古墳群を歩いたばかりなので、少し趣向を変えて初めて佐紀盾列古墳群を歩くことにしたのだ。予定では上記の通り西から東に向かって古墳群を見ながら歩くことにしている。ただし、最初と最後に古代の遺跡がある。秋篠寺と平城宮東院・楊梅宮~大極殿であるこれらを横断して西大寺に戻る。

 学生達は主に古墳群と松林苑を調べて資料を作ってくるはずなので、ここでは最後に廻る(予定)の平城宮東院の北に所在したと考えられる楊梅宮に関係する資料を少し紹介しておこう。 

 今大学院の授業で『続日本紀』の宝亀年間を読んでいるが、丁度宝亀四年に楊梅宮の造営がでてきた。その造営担当官人高麗朝臣福信の話題である。

 『続日本紀』巻卅二宝亀四年(七七三)二月壬申《廿七》。
 初造宮卿從三位高麗朝臣福信専知造作楊梅宮。至是宮成。授其男石麻呂從五位下。是日。天皇徙居楊梅宮。

 造営担当者高麗朝臣福信(709-789)はなかなか数奇な運命を辿った人物だ。

 その出身地武蔵国高麗郡とは現在の埼玉県日高市高麗本郷町辺りとされる。『続日本紀』によれば
 
 霊亀二年(七一六)五月辛夘。《十六》以駿河。甲斐。相摸。上総。下総。常陸。下野七國高麗人千七百九十九人。遷于武藏國。始置高麗郡焉。

 と、奈良時代の初めに東国諸国(上野国、陸奥国を除く七国の高麗人1799人を集めて造られた郡だと判る。

 まず彼の出自だが、高句麗王族の背奈(せな)福徳の孫とされている。父は背奈福光。
 
 同族には「万葉歌人」として知られる背奈行文(甥)がいる。『万葉集』巻16には次の様な歌がある。

  侫人(ねぢけびと)を謗(そし)れる歌一首
 奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも侫人の徒(とも)
  右の歌一首は、博士消奈(せな)公行文の大夫がよめる。
                   (『万葉集』(巻16-3836))
 
 福信は延暦八(789)年に亡くなるが、その薨伝には詳しくその生い立ちが記されている。

 『続日本紀』延暦八年(七八九)十月乙酉《十七》。
 散位從三位高倉朝臣福信薨。福信武藏國高麗郡人也。本姓背奈。
 
 (3位の従三位高蔵朝臣福信が亡くなった。福信は武蔵国高麗郡の人である。元の生は背奈という。))

 其祖福徳属唐將李勣拔平壤城。來歸國家。居武藏焉。福信即福徳之孫也。

 (彼の祖先は背奈福徳で、(660年)唐の将軍・李勣により高句麗の平壌城が陥落させられると、福徳は日本に帰化し、武蔵国に居住した。)

 小年隨伯父背奈行文入都。時与同輩。晩頭往石上衢。遊戯相撲。巧用其力。能勝其敵。
 (その後伯父の背奈行文に従って都に行き、ある時同輩達と石上の衢で相撲を取ったところその技や力が素晴らしく次々と相手を倒した。) 

 遂聞内裏。召令侍内竪所。自是著名。初任右衛士大志。稍遷。天平中授外從五位下。任春宮亮。聖武皇帝甚加恩幸。

 (この噂はたちまち内裏にまで聞こえ、天皇の身の回りの世話をする内竪所の役人に取り立てられた。これ以来めきめきと名を挙げ、宮中の警護に当たる右衛士大志を筆頭に出世を重ね、天平中には地方の出身者としては最高位の外從五位下を授けられた。さらに皇太子の家政機関である春宮坊の次官である亮に任じられ、聖武皇帝からは大変な恩幸を受けた。)

 勝寳初。至從四位紫微少弼。改本姓賜高麗朝臣。遷信部大輔。神護元年。授從三位。拜造宮卿。兼歴武藏近江守。

 (天平勝宝年間の初めに藤原仲麻呂が設けた光明皇太后のための家政機関・紫微中台の次官である少弼に任じられ、政権の中枢部に入ることなる。この時姓を高麗朝臣と改めその後も政権が次々と交替したにも関わらず出世を重ね、天平神護元年(765)には從三位を授けられ、造宮卿となった他、出身地である武藏国の国司の長官や近江国の長官となった。この前後には主に天皇の葬事の重責を担い、造営関係の仕事を多くこなすようになる。)

 寳龜十年上書言。臣自投聖化。年歳已深。但雖新姓之榮朝臣過分。而舊俗之号高麗未除。伏乞。改高麗以爲高倉。詔許之。

 (宝亀十年(779)には上奏してその姓から高麗の文字を除き高倉の姓を給うよう願い出て許可される。)

 天鷹元年。遷彈正尹兼武藏守。延暦四年。上表乞身。以散位歸第焉。薨時八十一。

 (天応元年(781)綱紀を正す弾正台の長官になり、再び武蔵国の守となるが、その後延暦四年(785)、引退を申し出、許可される。延暦八年(789)81歳の生涯を閉じる。)

 高句麗の王族の末裔とはいえ、地方に置かれながら孝謙(称徳)天皇の側近として、橘諸兄・藤原仲麻呂・道鏡の各政権で要職を占め田。にも関わらず失脚することなく桓武天皇の時代まで活躍した異色の人物であった。子の石麻呂も武蔵介・美作介などを務めたという。

 高麗朝臣福信の造った楊梅宮はその後長岡遷都に伴い長岡京に移され、平城宮と同じ宮城の南東部に「山桃院」として再建された。致仕直前の福信も関与したのであろうか。とても興味深い。

 楊梅宮奥が深いねと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ



原発はもういらない-5 腸が煮えくりかえって仕方ない!!の条

2011-05-17 23:07:14 | yaasan随想
 盗っ人猛々しい!とはこのことを言うのだろう。
 年収7000万円にも上る報酬を得ている人間達のためになぜ国民は負担を強いられるのか?
 こんな奴らのためになぜ国民は増税され、給与をカットされ、職を失い、悲惨な生活を強いられるのか?13日の国会での参考人招致での清水東電社長の発言によると、東電の現経営責任者共は、東電職員の負担に一切応じないという(職員の老後の生活があるからという理由で)。ならばずさんな原発管理の全責任を取らせ,全ての補償を済ませた上で東電を解体すればいいのではないか。

*********************************
asahicom 
 東京電力:退職金と企業年金の減額を…官房長官

 枝野幸男官房長官は16日午前の記者会見で、東京電力の清水正孝社長が退職金や企業年金の減額に否定的な考えを示したことについて「東電の置かれている社会的状況をあまり理解されていない、と改めて感じた」と述べ、減額の実施などを促す考えを示した。さらに「第三者委員会を設けて(東電の)内部の状況について政府として把握し、国民的にも情報は共有する」とも語った。

 清水社長は13日の参院予算委員会で、退職金や企業年金の減額について「老後の生活に直結する」として、現時点で検討していない考えを示していた。

 また枝野氏は、玄葉光一郎国家戦略担当相(民主党政調会長)が東電の発電・送電部門の分離など事業形態の再編可能性に言及したことについて「選択肢としては十分あり得る」と述べた。【影山哲也】


*********************************
 
 昨日、NHKのETVは、放射能に汚染された飯舘村の人々の今を伝えた。豊かな自然を最大限に活かして農業で生計を立てていた人々の苦悩を真正面から伝えようとする番組であった。放射能で汚染された土地で作物を育てることができず、土地を離れ、ハローワークで慣れない仕事を探し、家族全員で命を繋ごうと必死で耐えている人々の姿だった。
 
 その人間の生活基盤を全部奪った張本人達が、7000万円の年収があるという。周囲の批判を浴びてやっと半分だけ減額するという。それが3600万円!!信じられない神経の持ち主達だ。
 彼らがウソをつき、安全対策を怠り、のうのうと高額給料をもらってきたツケをこの際払ってもらおうではないか。彼らが負わなければならない責任とは、年収半分のの放棄どころか、この間蓄財した私財の全てを被害者への補償に提供することだろう。歴代の会長も社長も、全財産を被害者のために差し出し、ハローワークで仕事を探して少しでも被害者にお返しする、これこそやるべきことだろう。

 かつて日航は会社倒産に際し、過去の退職者に遡って年金の減額を決め、ローンを抱えていた退職職員の生活を激しく圧迫した。退職職員に一体どれだけの「罪」があるというのだろうか。無能な経営者の放漫経営によって膨らんだ借金の肩代わりを負わされたのが彼らなのだ。少なくとも彼らは国民の誰の生活も冒すことはなかった。それでも年金を減額されたのである。

 ところがである!東電は「安全・安心」とウソをつき、騙した挙げ句が周辺住民の何十万人という人々の生活を奪ったのである。当然東電職員全員が代償を払うべきであろう。もちろん歴代の経営責任者も全ての財産を被災者のために投げ出すべきであろう。

 ヌケヌケと報酬をもらい続け、放射能をばらまき続けていながら、職員にはなんの負担も求めない,こんなことは絶対に許されない。
 なぜ彼らが職員に負担を求めないのか?

 私達考古学関係者は「旧石器ねつ造事件」という苦い経験を持っている。その時、私は官僚達が見事に、実に巧妙に責任逃れを完成させた姿を目撃した。誰かが責任を取ると、芋づる式に責任のドミノ現象が起こることを官僚達は一番畏れるのである。だから、どの責任も明確にはしないのである。日本列島が今陥っている一番の悲劇かも知れまい。

 社長が職員に負担を求めれば、さらに大きな負担が,責任が、我が身に降りかかるからなのである。

 加害者がのうのうと生き延び、被害者が地獄の苦しみを味わう。日本で何回も繰り返された光景だ。日本列島全体の生死に関わる大事件であるだけに、今度こそ、逃げ得を許してはいけないのだ。本事件の全容をきちんと明らかにした上で、東電および歴代政権の採ってきた原発推進政策を総括し、その責任をきちんと取らさなければならない。


 東電も官僚も責任を取れ!と思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ

大原野勝持寺子院の発掘現場を訪ねるの条

2011-05-17 12:31:54 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 5月9日には久しぶりに調査中の現場を訪ねた。



 現場は大原野神社鳥居前を少し北西へ進んだ、「ぶへい」という料亭の直ぐ裏にある。



 花の寺(勝持寺)の山門を入って直ぐ左手(西側の竹藪がその場所でもあった。

 元の私の『故郷』でもある大原野の中心部に位置している。我が子供達はみんな創立130年を超える地元の大原野小学校の卒業だ。

 先にOI大学のN 教授のお誘いで「15世紀の立派な石垣がでているから見に行こう!」と、集団で見学する機会があったのだが、あいにくその時は他に出張する用事が先にあり、行けなかった。
 しかし、慣れ親しんだ一角での遺跡、それも、少しばかりはその遺跡発掘調査の原因となった外環状線の建設工事反対運動に関わってきた者としては行かないわけにはいかなかった。



 私は工学部の土木工学の連中が一番性に合わない!!大体彼らは歴史というものに全く興味をもっていない!だから、道路を造るときにその土地の歴史など全く無視し、その路線を自分達の都合のいいように線を引いて決めるのだ。

 今回の原発事件にしても同じである。彼らが東北の歴史を少しでも学ぼうとする意志があれば、過去にあの地域にどれだけ大きな地震が度々起こっているかがわかったはずだ。もちろん判っていても、彼らは己の「技術」を過信しているから、過去の地震規模ならなんとでも避けられる!と軽く見ていくかも知れない。ただし、さらに質が悪いのは、神戸の時もそうだったが、何かが起こると「想定外」と逃げるのである。そもそも想定する能力すらないことをこの間の災害が証明している。ついでに言っておくが、今リニア新幹線が具体化しようとしているが、地震だらけの日本列島の背骨にあんなものを通して本当に災害に耐えられると思っているのだろうか?誰も問題にしようとはしないが私は「ノー!」だと思う。あれこそ事故が起こったら何千人という人が全員即死である。何兆円ものお金をかけて一体あんなものがなんになると言うのだろうか。新幹線も、飛行機があるじゃないか。あんなの工学屋の趣味に過ぎない!!

 
 参道の横には今も子院の土台を支えた石垣があちこちに残っている。



 そんな奴らが設計したのが京都市の周りを一周する予定の道路「第二外環状線」である。そして西側は、あろう事か、最景勝地のど真ん中をぶった切るというものなのだ。最終的には流石に高架で横切るという無粋なことはしなかったが、トンネルをけちったために、花の寺の旧境内の南半部にトンネルの入口が置かれ、このためにその多くが失われることになったのである。

 事前に連絡方法を尋ねていたので現場にお電話をかけ、参った。申し訳なかったのは調度現場の細部写真を撮られる時間帯に当たったらしく、現場の担当者である京都市埋蔵文化税研究所のMさんは、写真の指示をしながらのご説明であった。申し訳ないので、


 懐かしい写真担当のMさんの声が現場中に響き渡っていた。ホント、済みませんでした。

「どうぞそれを済ませてからで結構ですので、」と、何度もお願いしたのだが、
「いえ、大丈夫!」と言って実に丁寧に御案内下さった。

 本当に有り難うございました!!
 さて発掘現場は、大原野神社参道の南側の竹藪の中であった。



 見事な土留め用の石垣である。15世紀のものだという。まだ城郭に石垣が用いられない頃のことである。少々歪んでいたり、前に支えの補助石垣があったり、不細工なのだが、全然壊れていないのである。





 このMさんの前にある石列が石垣を支えるために設けられた転倒を防ぐための補助石垣である。



 さらに興味深かったのが石垣の延長上で発見された石だけでできた「石築地」である。



 これを見てピンときた!!以前北畠氏館跡遺跡で発見された幅80センチの石組みの二列の溝状の施設であった。この時も県の偉いさんと若干の議論になった。私は築地説だったのだが、彼は強く否定した。ま、今回のこの事例が、時期も15世紀後半ととてもうまく合い、築地説を補強することになった。






 この竹藪の奥にもまだまだ当時の関連施設が点在しているはずだ。

 勝持寺ってとても大切なお寺だったんだね、とおもったら、こいつを
ポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ
 
 




第21回壬申の乱ウオーク 飛鳥へ天武・持統合葬野口王墓を訪ねるの条

2011-05-15 17:01:35 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 14日(土)はバス二台で飛鳥西部に展開する天武・持統合葬陵(野口王墓古墳)→中尾山古墳→高松塚古墳→欽明天皇陵(梅山古墳)→吉備姫王墓→岩屋山古墳→牽牛子塚古墳→越塚御門古墳
と見て回った。

 今回も盛況で、バス二台100人の定員があっという間に埋まった。



 学生は補助椅子というちょっと可愛そうな旅ではあったがみんな元気に飛鳥へ辿り着いた。総勢102人の大部隊での飛鳥巡りであったが、前日までの大雨が打って変わって五月晴れ。暑いくらいの好天であった。これも日頃の行いがとてもいいからである。ホント??少なくとも最近の私の好天率は極めて高く、かつての雨男は完全に払拭したのである。

 今回は壬申の乱墓参りツアーであった。



 まず主人公である天武・持統合葬陵の見学。



 鬼の雪隠。いつものポーズね。


 ちょっと遅れ気味だったので先に昼食をして中尾山古墳へ



 壁画館を見た後元高松塚古墳「跡」へ。しらなんだこんなになっていることを。



 続いて「欽明天皇陵」(梅山古墳)へ



 そして直ぐ横の吉備姫王墓の中に置かれた石像群へ。吉備姫王は欽明天皇の孫で、斉明天皇や孝徳天皇の母(父は茅渟王)でもある。つまり天武天皇にとっては祖母に当たるのである。







 齊明天皇陵との説もあった岩屋山古墳へ



 そしてこの日の最終目的地、齊明天皇陵との評価のほぼ固まった牽牛子塚古墳へ。



 石室へ。



 この辺りが太田皇女(大津皇子・大伯皇女の母)の墓である越塚御門古墳だという。



 足下が悪くみんなで見ることができなかったのが残念だった。





 アーちょっと疲れた!!またね

欽明天皇→(桜井皇子)→吉備姫王→皇極・斉明天皇、孝徳天皇→天智天皇、天武天皇→持統天皇,太田皇女→(草壁皇子)→文武天皇とほぼ天武にまつわる人々の陵墓を見学することができた。

次の壬申の乱ウオークは9月18日斎宮を巡ります。天武天皇は即位して直ぐに斎王制度を創出します。その初代斎王が大来(伯)皇女でした。彼女は祖母(お母さんの太田皇女は天智の娘でもあるのでそちらから見ると曾祖母ともなる。ややこしいね)に当たる斉明天皇が朝鮮出兵のために大船団を組んで九州に向かう途中の邑久湾辺りで生まれたためこの名前を付けられた言います。その母親が今回行った越塚御門古墳に葬られていたわけです。ちなみに弟は天武に可愛がられていたにも関わらずその死後、謀反の罪を着せられて処刑された大津皇子であることは言うまでもありません。持統が天武との間に儲けた息子・草壁皇子に跡を継がせようと,でっち上げた陰謀でした。恐ろしいですね。いつか大津皇子の葬られている二上山にも行ってみたいですね。

 9月、また来て下さいね。

 墓参りよかったねと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ

 牽牛子に 寄り添う墓前 鶯の声
 
 母子孫 居並ぶ陵墓 若葉映ゆ

原発はもういらない-4 やっぱりみんなウソだったの条

2011-05-13 20:51:48 | yaasan随想
 とっくの昔にメルトダウンし、海には高濃度の放射能が垂れ流されていた!!にもかかわらず、お人好しの日本人はこの事態に大した抗議の声も上げられない。世界に対して恥ずかしい!!

 おそらく当分(何百年??)太平洋の日本近海の魚は食えないだろう.貝類に至っては永遠にかも知れない!!縄文時代以来の日本人の貝食はこれで廃るのではないだろうか。

 極めて深刻な事態がとっくの昔に起こっていたにも関わらずこれが隠され続けていたのだ。風評の心配ではなく、超高濃度に汚染された海で採られた海産物の心配こそ大事なのではないのか。私ならここの魚貝類は絶対に食べるわけには行かない。にもかかわらず、新聞もテレビも

 「東北地方の海産物は極めて危険です。食べないで下さい!」とは言わないのである。「風評」という極めて曖昧な言葉で追究されるのを畏れて。本当に風評だったなら補償を払えばいいのである。しかし、それが風評ではなく、事実だったときに失われるかも知れない命の補償は誰にもできないのである。

 どこぞの大学の「先生」が因果関係なんか判るわけがない!と居直って、「だから安全なのだ!」ととんでもない発言をして東北の子供達を危険にさらしてきたが、その無責任な発言によって、メルトダウンで海中、空気中に大量に拡散した放射能によって東北・関東の子供達は極めて危険な状態に落とされているのだ。

 にもかかわらずasahicom は相変わらず暢気なのである。

 「燃料の大量溶融、東電認める 福島第一1号機(2011年5月13日3時1分
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105120751.html)

 東日本大震災で爆発事故を起こした東京電力福島第一原発1号機で、大量の燃料が溶融し、圧力容器の底部にたまる「メルトダウン」が起きていたことを12日、東電が認めた。東電は4月、「燃料の一部損傷」を前提とした事故収束の工程表を発表したが、予想を上回る厳しい燃料の状態がわかり、作業日程への影響は避けられそうにない。」

 この記事では工程表の見直しが問題にされているだけで、メルトダウンによって発生した放射能拡散の健康被害は全く触れられていないのだ。メルトダウンの本当の恐ろしさを伝えれば「風評被害」でも起こると思っているのだろうか。そんな心配より、危険地帯にいる子供達の命の方が大事なことなのではないのか!!

 記事は続けて言う。
 「東電によると、圧力容器の水位は現在、底部から約4メートルの位置より下にあると考えられる。高さ20メートルの圧力容器全体の体積の2割以下しか水がたまっていない計算だ。底部には、合計すると直径数センチ程度の大きさに相当する複数の穴があいているとみられるという。これまで1万トンを超える水を圧力容器に注入しているが、3千トンの水が行方不明になっており、格納容器から漏れ出ているとみられる。」穴の大きさが問題なのではないz!!穴が空いてしまい、そこから放射能の塊である燃料棒にどっぷりつかった超高濃度の汚染水が推定でも3000トンも海へ流れ出しているのである。その上数日前の記事ではこれらが拡散することを防ぐ??(本当に防げるとはとても思えないのだが)ネットの設置が間に合わず、既に拡散しているというのだ。

 間違いなく福島県沖から東北地方沿岸部にかけての海水はとんでもない事態になっているのである。この海水は日本の問題だけではない!!海流によって世界中に運ばれるのである。なぜこのことを記事は書かないのか?少なくともその危険性を調べ、調べた経過を記事とすべきではないのか?私にはもう既に政府はその危険な数値を握っていると思う。これを出せば国民全てが国会に押しかけるかも知れないから、ほとぼりが冷めるまで隠しているに違いない。そしてこっそり、彼らだけが安全な食べ物を食べられるよう、何気なくしているに違いない。

 「東電は燃料の上部まで格納容器内を水で満たすことを目指して「冠水」作業を続けているが、「作業の見直しが必要」としている。冷却が長期化して注水量が増えれば、圧力容器の底から原子炉建屋やタービン建屋、地下坑道へもれる放射能汚染水が増える。東電は汚染水を浄化して冷却に再利用する設備をつくっているが、処理すべき量や濃度が増えて計画見直しが求められる可能性もある。」超高濃度の汚染水を浄化する術などあるのだろうか?その事をきちんと取材してほしいのだ。浄化もできなければその水を再冷却に仕えるはずがない。

 「東電によると、溶けた燃料が圧力容器の外に漏れている可能性が否定できないといい、汚染水の発生量はさらに増える恐れがある。汚染された格納容器そのものの処分も、格段に難しくなる。(坪谷英紀、小宮山亮磨)」なんと「冷静」な記事だろう?この事実が何を引き起こすか、彼らは知っているに違いない。

 既に関東地方以北がとんでもない事態(チェルノブイリ周辺と同じ事態)になっていないことを祈るばかりだ。

 先日の会議で、うちの学生が東北へボランテアに行くという報告があった。とても立派な志だ。しかし、本当に今のあちらの事態を判っていくのだろうか。彼らの身体に将来異変が起こらないことをただひたすら祈るばかりである。

 メルトダウンで放射能はどんどん拡散していると思う人はこいつをポチッと押して下さいね→</f</a>人気ブログランキングへ

 こんな記事ばかりが続くので、なかなかイタリアレポートに戻れないのである。

原発はもういらない-3 朝日新聞が脅迫する電力不足の条

2011-05-11 07:22:23 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 朝日新聞電子版(asahicom)は5月10日の記事で「夏の電力切迫の恐れ 全国の原発54基中42基停止も」と題して詳細な記事を掲載した。(http://www.asahi.com/national/update/0510/TKY201105100461.html


 「東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、定期検査の終了予定を過ぎてもなお、営業運転再開を延期している原発が7基にのぼっている。安全対策や地元の理解が求められているためだ。今夏までに6基が定期検査に入る。再開できなければ国内の商用原子炉54基のうち、停止要請を受けた浜岡原発をはじめ42基が止まる事態になり得る。火力や水力も含めた全電源の約2割で、夏の電力供給が各地で切迫する恐れもある。」

 この記事の目的はどこにあるのだろうか。私にはまるで電力不足の原因が原発の定期点検後に再開に同意をしない(かもしれない)市町村にあるかのように決めつけ、これを非難している記事の様に見える。
 
 朝日新聞には今回の原発が引き起こした未曾有の災害(これは佐藤栄佐久前福島県知事の意見の通り、明らかな東電の怠慢による人災であると思われる。※ 私は佐藤前知事が原発稼働に反対したから策略により「汚職」をでっち上げられて辞任-逮捕-起訴されたことを全く知らなかった。この佐藤前知事の辞任を受けて、原発建設を積極的に推し進める政策を掲げて当選したのが現佐藤知事なのである。その知事がマスコミの前でえらそうに東電をなじり、政府をなじり、福島を返せといっているこの陳腐な姿!腹が立って仕方がない。いずれ日を改めてこの二人の佐藤知事の対照的な姿についても触れることにしよう。それにしても原発推進派は、これほどまでの陰謀をでっち上げることができるという事実に、背筋が寒くなってくる思いである。佐藤栄佐久さんの著作『知事抹殺』(平凡社 2009年 1680円)是非読んでみて下さい。)を検証しようとする意志、能力がないのではないか?こんな疑問が頭をよぎる。

 新聞記事によれば、「福島第一原発など被災地で停止中の原子炉を除き、ほぼ年に1回運転を止める定期検査に入っているのは全国で14基。うち7基は4月下旬までに営業運転を再開する計画だったが、10日現在で実現していない。」という。「定期検査後の運転再開には地元の了解は法手続き上、必要ない。しかし各社とも県や市町村と安全協定を結んでおり地元の了解がなければ再稼働は難しい。」つまり市町村が再開の鍵を握っているというのである。原発が危険極まりない施設であり、その運転に関して原発そのものがある市町村が稼働の可否を左右できるのは当然のことと思う。ところが記事はさらに続けて、
「緊急安全対策については、すでに保安院が、電源車の配備など各原発ごとの短期的な取り組みは妥当だと結論。政府は先に運転停止を求めた浜岡原発以外は運転を続けても問題ないという姿勢を示している。」とする。つまり、国家は、浜岡以外は安全と言っているにも関わらず、未だに再開の同意をしない市町村があることを暗に批判しているかにも読めるのである。実はその事こそを最も問題にしなければならないのではないかと思うのである。なぜ?

 あれだけ「安心、安全!!」と声を大にしてきた原発なのである。しかしそれは斉藤和義さんの替え歌ではないけれど、「みんなうそだった!」のである。
 そのウソに保証を出してきたのも実は保安院なのである。経産省、保安院。東電総ぐるみでウソばかりをついてきたのである。ウソをついたばかりか、様々な予兆、不安視せざるを得ない事態が事前に起きていたにもかかわらずそれを放置し、とんでもない被害(関東の人々に末代まで影響を及ぼす可能性のあるとんでもない被害)を与えたのである。だから、そう簡単に「安全」を信じられないのだ。だからいずれの市町村も、万が一自分のところで同じ事態が起こったらどうしようと、あたりまえに思った(思う)に違いないのである。この反応の方が正常であるにも関わらず、記事はまるで反対の内容になっているのである。不安を払拭できない保安院の「保証」をこそ問題にすべきではないだろうか。 

 ところが記事はさらに追い打ちをかける。

 「しかし福島の事故が長引き、政府も抜本的な対策が示せないなか、原発が立地する地域では住民の理解を得る難しさが増しつつある。四国電力は、毎年秋に伊方原発付近の2万1千戸を戸別訪問し、原発に理解を求めているが、今年は対象を半径20キロに拡大したうえ前倒しして、11日から訪問することにした。」

 一体四国電力の方々はこれまでの「ウソ」をどれだけの資料でもって弁解し、今後の安全を「保証」する資料を持って訪問するのだろうか?まさか金一封まで持っていくわけではないだろうな!と一本釘を刺しておきたいのである。イヤこの記事を書いた記者にはしっかりとどんな資料を持って訪問するのか、取材して頂きたいのである。

 さて、記事の目的が透けて見えてくるのがこの最後の一文である。
 
 「運転中の原発のうち、関西電力美浜3号機が数日中に定期検査に入る。8月までにさらに5基が定期検査で止まる見込み。中部電力浜岡4、5号機は政府の要請で停止するが、検査中の原発が運転再開できない場合、被災地の原子炉を除く39基のうち夏までに浜岡原発を含め27基が止まる。被災地の15基を加えれば停止中は42基で、全原発の発電能力の8割を占める。 中部電は、7月の電力需要に供給が追いつかない見通しとなり東電への融通をやめることにした。九州電力も玄海原発での運転再開の見通しがたたず、8月の需要ピーク時に電力が20~25%不足すると見込む。関電も「停止が長引けば電力の安定供給に支障が出る恐れがある」(本店広報室)という。(吉田晋) 」

 朝日新聞よ、君らはどこを向いてるのか?もちろん君たちが良心面をして、実は典型的な保身主義者であることは判っている。それにしてもこの記事は酷すぎるだろう。これはまるで現地の市町村に対する脅迫である。

 「お前らが同意しなかったら日本列島がこの夏大変な電力不足に陥る.ささと同意しろ!」と迫っている記事にしか見えないのである。
 唯一この記事を読んでよかったことは、今が原発全面停止の絶好の機会であることが証明されたことなのだ。
 腰抜け総理大臣は「浜岡稼働停止」の要請をしたとたんあちこちから矢が飛んでくるとトーンダウンし、「他は考えてません!」と抜かす体たらく。

 しかし、今こそ原発のある市町村を全面的に応援して、「再開拒否!!」の運動を盛り上げようではありませんか。そのチャンスが到来していることをこの朝日の記事は教えてくれました。

 朝日よ!もっと市民の側に立って記事を書け!!と思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ

原発はもういらない-2 なぜ浜岡原発停止に中電も御前崎市長も異を唱えるのかの条

2011-05-10 09:30:51 | yaasan随想
 未曾有の大災害と原発事故という大事件が起こって、日本列島の全ての原発に根本的な疑問符が投げかけられている真っ最中の5月6日、総理大臣の記者会見で静岡県御前崎にある浜岡原発の稼働停止が求められた。

 なぜ日本列島の全原発の停止ではないのか?、なぜ浜岡原発の廃炉ではないのか?などの疑問はつきまとう。相変わらずの中途半端な総理大臣だなと思うのだが、たとえ支持率狙いのパフォーマンスにしろ、悪い決断でないことだけは事実であろう。我々東海地方に住む人間にとって、最も近くにある原発が浜岡なのだから。

 ところが、呆れたのが、この声明に対する御前崎市長の発言と中部電力の反応であった。

 「なんで地元に相談しないのか?」
 「原発を停止した後の電力需給に対する見通しがない!」
 「ねまわしもなくきめたのはけしからん!」

等等の批判がゾロ出ている。

 この国のマスコミも、政治家も、本当に開いた口が塞がらない!というのが正直な感想だ。
 日頃、菅総理大臣のことを「決断力がない!」「原発事故対応がなってない!!」などと批判していたマスコミなのだが、いざ思い切って??決断したらこの反応なのである。
 要するにアー言えばこういう、こう言えばアー言うというどこぞの宗教団体の代表のような揚げ足取りの典型なのである。本来、新聞やテレビこそ、今回の震災を検証して、他の原発は問題ないのか?一基一基検証すべき立場であるはずなのである。

 浜岡が危険な地点に立地していることは建設候補として上がったときから言い尽くされている。にもかかわらず、金をばらまき作ったのが浜岡なのだ。福島原発がそうであった通り、もちろん浜岡も今回の地震の規模、津波の規模など想定していない。ならば一度止めて、(止めたからと言って安全なわけではないことは福島が証明しているのだが)東日本大震災以上の地震や津波が来たらどうなるかをシュミレーションして対策を立てるのが普通の考え方なのではないだろうか。その普通ができないのである。いやそれどころか、今のマスコミや政治家、経済人は、その決定の裏を読んで批判を展開しているのである。本当に呆れてものが言えない(イヤ、ここで物を言わなくなったら、日本列島が放射能で汚染され住めなくなる道を拓くことになるから黙ってはいけないのだ)!

 もちろん私は地震国の日本が原発を造ること自体が間違っていると思っている。こんなことを言ったら電気が不足するではないかという輩が必ず出てくる。そんなもん私が考えることではないが、巷には様々な方法が示されている。太陽光パネル、風力発電、地熱発電等等なんぼでもある!
 原発に注ぎ込む無駄!!(全国の原発立地市町村を廻って御覧よ、不似合いなレクレーション施設、めったに車の通らないバカ広い道、市民が全員はいれてしまうのでは?と思える文化施設、ナイター設備の完備したグラウンド等等全部これ、原発を売ったお金でできた施設だ。)こんな金があるのなら、様々な発電に金をかければいいではないか。全国の家屋に太陽光パネルを義務づけその設置に政府が金を出せば原発なんていらないのだ。危険な原発の海に役に立つかどうかもわからない緊急の防波堤を造る金があるのなら、その海に風力発電機を建てればいいではないか!これなら仮に地震が来て壊れてもまた建て替えれば済むことだ。その理屈がどうして判らないのか?

 イヤ、きっと判っているに違いないのだ。なぜ原発に拘るのか?その根底にあるのが「核武装」だ。いま表だってはいえないが(近年声を大にして言う輩が出てきて地ならしが行われつつあるが)いざそういう世論の形成に成功したときに直ぐにできるようにしているのが原発だ(北朝鮮の動向を見れば判ることでしょ!)。だから原発がなければ日本の電力は足りなくなるとウソの宣伝をしているのだ。そんなことに騙されていてはいけないのだ。

 シミュレーションの結果は全原発の稼働不可!!となると思っている。即廃炉が最も正しい方針である。しかし、流石にこれまで、安全だ!安全だ!と宣伝に荷担してきたマスコミが直ぐに論調を変えられないことは明白だ。だから、あくまで彼らの立場で発言するなら、という前提なのだが。

 たった一箇所の原発の停止を求めた総理大臣の応援くらいしてやってよと言いたくなる。あんな中途半端な政治家にこれ以上の決断ができるはずがないのだから。それすらなぜマスコミはできないのか?その答えも明白だ。

 国民の声のドミノ現象が怖いのだ。総理大臣はダメ人間でも、国民は騙せない。当然「なぜ浜岡だけなの?」となる。すると他の原発の危険性も次々と暴露されていく。当然全原発の危険性が白日の下にさらされる。こうなれば国民も目が覚めて「エッ??」と言うことになる。これが怖いからできないのである。

 たった一基を、期限付きで止めた総理大臣を批判する先頭に新聞やテレビが立っているのをみていると、本当にこの国のジャーナリズムは腐っているなと思う。

 そしてもっともっと腹立たしいのが、地元市長の反応であった。

 このお方、御前崎に同じ規模の地震が起こって今回のような被害が発生したときにどれだけの責任がとれるんですかね。御前崎には当面巨大地震など来ないと確信してるんですかね。それだけの根拠をお持ちで、発言しているんですかね。大体こういう輩に限って、反対運動者などには根拠を言えとか、証拠を見せろとか、できもしないことを沢山要求するくせに、自分の発言はこの体たらく。あなたこそ、原発の稼働を進める事ができる理由をはっきりしろよ!といいたいのである。

 その背景に補助金の減額があると言うからちゃんちゃらおかしいのだ。大体金で地域を売った人間に今回の震災を語る資格などどこにもないのだが、この期におよんでも金金金・・・!ホント情けない。

 この間の各地の選挙結果を見てもなぜか原発推進者が当選しているのである。その典型が敦賀市長であろう。堂々??と原発推進を主張して見事??当選したのである。

 これほど悲しい結果は日本でしか見られない光景ではないだろうか?普通の感覚のある人間なら、

 「もし私達の町の原発が福島と同じになったらどうしよう??」と考えるのが当たり前だろう。敦賀にはそれこそ事故が起こったら人類滅亡のその時まで処理に当たらねばならない「もんじゅ」(この名前も不遜だよな)という原発のお化けが設置されているのである。このために地元に投下された国民の税金は、本来の市税によって賄われるべき予算を遙かにオーバーする額であった。

 予算が足りないなら足りないだけのお金で支出を抑えれば済むことである。原発の事故が起こってしまえば、人々はその地には住めなくなるのだから。それを思えば停止で予算が減ることくらいどうと言うことはないはずなのである。

 中電の社長達にしても同じである。もし事故が起こったらどうせ「想定外」だの「知らなかった」だのを連発するに違いないのである。そして挙げ句の果ては補償費が足りないから電気代値上げをするなどと言う愚かなことしか考えられないのである。

 そもそも、この地が地震多発地帯で、こんな所に原発を造ること自体が間違っているのに、絶対安全だと言い切ってきた手前、今さら引き下がれないと言うだけなのである。

 こんな輩の言動に左右さえることなく、今こそ声を大にして「原発はもういらない!!」を連呼し、一基一基確実に世界中の原発を廃炉に追い込んでいこうではありませんか。その第一歩が開始されようとしています。浜岡の次はあなたの県の、あなたの町の原発です。それと並行してクリーンエネルギーへの転換を全面的に迫っていこうではありませんか。

 浜岡どころか全国の原発を停止しろ!というべきだと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ

原発はもういらない!-1 勇気を持って発言し、行動しようの条

2011-05-08 11:34:24 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 私の友人にAEさんがいる。10年会といって10歳ずつ歳の離れた仲間が時々日を会わせて語らう会だ。その最年少メンバーが彼女だ。彼女のことは時々このブログでも紹介しているので、あるいは記憶に残っている方もいらっしゃるかもしれない。

 その彼女、最年少にして不治の病にかかってしまった。血液の癌である。余命3年、といわれながら本人の不屈の闘いと様々な工夫で限界を突破し、信じられない精神力で、「命」を充実させている。

 その彼女が3.11以後連日のように私達にメッセージを発信し続けている。病身の彼女が取材に出向くことはできないが、この間、様々な形で培ってきたネット仲間からの情報を自らのコメント共に発信しているのである。中でも、フリーライター、守田敏也さん(51)からのレポートを転載し、福島が、日本列島全体がチェルノブイリの二の舞にならないようにするにはどうすればいいのかを告発し続けているのである。

 イタリアレポートも大事な情報発信で、これからもまだまだ続けないといけないのだが、もっと深刻な問題が密かに(密かにさせられて)進行している。福島原発問題である。政府は安全だ、安全だと言いふらし、直ぐに自分達に火の粉が降りかかるのを必死で食い止めようとしている。あるいはチェルノブイリの放射能被害を過小に評価し、多くの村人達、とりわけ子供達を甲状腺癌や小児白血病に追いやった日本の学者共を政府の委員に入れて「安全・安心」をばらまいている。

 日本の子供達、つまり日本の未来を破壊するこうした輩の言動を排除し、一刻も早く日本の全原発を停止、廃棄させるための運動を起こしていかなければならないのである。その第一歩として「原発はもういらない!」シリーズを彼女と守田さんのレポートを下に展開することにする。
このレポートをどんどん広め、日本列島全体の原発を廃棄させるための取組を始めようではありませんか。
 
 まず広河隆一さんのチェルノブイリ原発事故後の周辺村々に起こった悲惨な事態をまとめたムービーを見て頂きたい。YouTubeにはこの他にもたくさんの広河さんのレポートが紹介されている。このレポートが放射能の影響を過小に評価し安全宣言を出した委員長重松逸造の報告がいかにいいかげんであった,を証明してくれている。そして今、その弟子である長崎大学医学部の山下俊一教授が、まるで師の跡を辿るようにして、「健康アドバイザー」として福島原発事故の影響を過小評価し、安全だと言い切って東北地方を「巡業」して廻っている。放射能にさらされている子供達が数年後に発症しても、そんなものは原発事故との関係など立証できないと言い切って。

http://www.youtube.com/watch?v=sneTSJqcR28&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=D0E2IDCDRI8&NR=1

まず最初に、守田さんの活動を伝える毎日新聞京都版の記事から見て頂こう。

再考のとき:“3・11”後の京都で/2 防災/下 /京都
 ◇「放射能に県境はない」 市民が情報収集・交換も
 「ここらの人は逃げられん」。福井県高浜町の関西電力高浜原発から直線で
約6キロの舞鶴市田井地区。住民で府漁協職員、倉内智さん(36)は不安を
募らせている。隣接の成生地区と合わせ約300人が暮らすが、避難するには
険しい山道を通らねばならず、同原発にいったん近づく形になる。「漁業被害も
心配だが、それ以前にどう避難するのか」。歴代市長に陳情してきたトンネル
整備は実現していない。

 同原発から約8キロの同市朝来中の農業、林茂義さん(82)は約1ヘク
タールの水田を営む。東京電力福島第1原発事故で避難生活を送る農家の
姿が他人事に思えない。「あのようになれば逃げるしかないが、先祖代々の
土地を離れ作物をあきらめるのは大変つらい」

 福島の事故では高齢者福祉施設などで高齢者が置き去りにされたり、避難
するバスの中で死亡する悲劇が起きた。高浜原発から約7キロの特別養護老人
ホームやすらぎ苑には70人の入所者がいる。大半が自力で歩けない高齢者だ。

 「認知症の人も多く、環境の変化でパニックを起こす危険がある」と大橋裕子
施設長(56)は懸念する。そばに同様の福祉施設と障害者支援施設もある。
「原発から離れた地域の福祉施設と事前に連携し、万一の場合に入所者を
受け入れてもらう体制が必要」

 舞鶴市は同原発から20キロ圏内に人口の9割以上の約8万6000人が
暮らす。4月8日、関電幹部らが市役所を訪れて原発の健全性を強調したが、
市は放射線のモニタリングポスト(現在市内7カ所。うち2カ所が関電)の増設を
求めた。

 市議会も同14日、初めて関電幹部を参考人として招へいし、住民説明会を
要求した。関電は福島での事故を受け、安全対策への対応状況を説明するビラを
福井県内で配布していたが、舞鶴市内では一度も無かった。議員らは「放射能
に県境はない。高浜原発から10キロ圏内だけでも住民は1万2000人。一番
多いのは舞鶴市だ」と不満をぶつけた。関電は20日付の新聞各紙に安全対策
などを説明する広告を掲載。ビラ配布や住民説明会も検討するという。

 多々見良三市長は言う。「8万6000人を緊急に避難させることは物理的に
不可能。市に出来るのは、逃げ方を考え、放射線量計で正確な情報を入手
することぐらいだ」

  ◇  ◇  ◇

 行政や専門家に任せず、個々の市民が主体的に情報を収集・交換する動きも
芽生えている。京都市左京区のフリーライター、守田敏也さん(51)は震災発生
当日から、東電・政府機関の「当局発表」や国内外の報道、原子力資料情報室
など在野の研究機関・研究者らの分析を比較検証してインターネットで発信。
当局の過小評価が報道にも表れていた当初から事故の深刻さを見通し、
訴えてきた。

 電子メールなどで意見交換するのは医療関係者や計測・分析機器技術者、
農家、報道関係者ら。複数の市民団体を経由して情報の受け手は1000人を
超え、ネット接続が困難だった被災地でも印刷されて届けられた。

 事態は結果的に警告通りの展開に。「そもそも当局が否定してきた原発事故が
現実に起きた。市民一人一人が自ら、互いに守り合うことが必要と気付く
転換点になった」と守田さんは言う。【岡崎英遠、太田裕之】

原発はもういらないと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ

イタリア比較都市研究-10 コロッセオ到着の条

2011-05-06 16:16:16 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 これだけ歩いてもちろんまだ昼食を済ませていないのである。
 予定ではコロッセオを見学し、国立博物館を訪れる前にファーストフードでピザでも食べようか・・・、ということなのである。


 皆さん遺跡を食べるのは大好きで、そのためか、腹が減らないのである。(笑)もちろん私も!!



 もう一度テイトウスの凱旋門を通ってコロッセオへ向かう。









 コンスタンティヌスの凱旋門がコロッセオのすぐ前にある。


 コロッセオは10年程前にイタリアの主な遺跡をざっと廻ったときにその外側だけを見て回ったのだが、中に入ることはできなかった。なんでも中に入るツアーは特別なのだそうだ。もちろん私達は初めから中に入ることを前提に計画を練った。コロッセオが著名な遺跡であるからではあるが、それ以上に、観客席および各階の連絡通路-競技「グラウンド」-待機場の全容を確認したかったからでもある。



 初めて中に入った。



 なんと、エレベーターがあるのである。しらなんだ!



 白い部分が当時はこのまま全体に広がっていたのである。その上に砂を撒いて闘いが繰り広げられた。



 「グランド」の下に選手や猛獣の控える通路などがある。





 この部分が最もよく残っている最上階である。



 三階の通路部分である。



 1階の選手控えの通路から全体を見たところである。先の復元されたグランドはこの先にある。

 ローマのチルコマッシモはまだ復元されていないが、レバノンTyreのヒッポロドームは一部観客席が復元され、その背後に設けられたブルー・グリーンの両チームのクラブハウスの存在も明らかになっている。昨年九月の調査では附属の風呂もそれぞれ確認でき、その設備の充実ぶりに感嘆したものである。

 ここまで書いて、その当時のブログを見ると、ナナナント、レバノン報告がないではないか!そういえばあの頃は超忙しくてレバノン報告どころではなかった(ホントは今も!)。早い内に書いておかないと忘れてしまう!!




 その細部である。



 なかなか複雑な構造である。



 再び外に出て国立博物館へ向かう



 地下鉄でテルミニ駅まで移動する。駅地下のファーストフードでサンドイッチを食べる。



 この先がローマ国立博物館

 というわけで、皆さんにはいずれヒッポロドームの3Dも含めてお知らせしますが、とにかく、よく調った施設群なのです。だから、コロッセオのそうした施設が見たかったのですが、少し時間が足りなくて、とてもそこまで手が回りませんでした。残念。きっとどこかに剣闘士の部屋や猛獣の小屋などがあったに違いない。その死体処理場もあるはずである。風呂もないと困るであろう。そんなところが見たかったのだが・・・。

 とにかく上の階から順番に降りて一階まで見ることになった。

 コロッセオ、細部まで見たいねと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ




イタリア比較都市研究-9 パラテイーノの丘とアウグストゥス邸宅の条

2011-05-05 09:53:41 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 ヴェスタ神殿から巫女達の館を見学した後,パンテオンの丘に登る途中の建物群を見ながら進むこととなった。



 巫女達の館は、斎宮との比較可能な施設という意味でとても興味深かったのでお名残惜しいのだが、仕方ない。ローマでは複数の巫女達、30人ともいわれる、が仕えていた点が日本とは異なる。彼女達は小さな部屋をあてがわれて集団生活していたらしい。尼寺の僧房のような感じであろうか。

 館を出て直ぐ右手にある施設がドムス・プブリカ(大神祇官公邸)である。カエサルも暗殺の直前までこの施設にいたという。さらに歩を進めるとその正面に大規模な修復工事中の施設が見えてくる。アントニヌス・ピウス帝と妻ファウステイーナの神殿である。もちろん当時の施設が後に
サン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会に転用されたお蔭で今日もその偉容を残してくれているのだ。







 入口を入って直ぐ左手の工事中の建物がそれだった。じっくり修復工事を見学した後、丘に向かって緩やかな聖道の坂(石畳)を登っていくと、その途中左手に瀟洒な建物が見える。



 マクセンテウス帝の息子ロムルスの神殿と通称される建物であるが、近年ではユピテル・スタトル神殿という説も出されているという。



 さらに進むと右手にヴァッコスの神殿、左手の小高いところにきれいなアーチの並ぶマクセンテイウスとコンスタンテイヌスのバシリカが確認できる。



 向こう側のアーチがバシリカ、手前の遺跡が神殿である。



 さらに進むと正面に見えてくるのがテイトウスの凱旋門である。



 ようやくパラティーノの丘に辿り着いた。

 アウグストゥスの家はBC2C~AD2Cにわたって使用された邸宅で、その跡が厳重に管理され、公開されている。公開は人数を限って行われ、見学時間も限られている。大急ぎで見学である。
 それもそのはず、見事な壁画で飾られていたのだから。フラッシュはダメだが写真はOKということで撮りまくっていたら「時間です!」と追い出されてしまった。(笑)









 アウグストゥス夫人の居住空間等を大急ぎで見学して外へ。


 展望台からローマ市全体を見下ろすことができる。私達のホテルHotel47も眼下に見える。



 写真手前左側に窓が二列並んで写っているのがホテルの4・5階である。要するにホテルはパンテオンの丘の直ぐ下にあるということである。ホテルの向こうがティベレ川である。








 フォロロマーノの元老院も見える。



 アントニヌス・ピウス帝と妻ファウステイーナの神殿の工事現場も見ることができる。

 ところがこの展望台で事件が。同行者の一人が「親切なスリ」???にあったのである。

 展望台を後に次なる神殿へ向かう途中一人のおじさんが何かを同行者に渡すのである。

 「????」
 「エッ!!!」
 「エ、エーッ?!」

何とも言えない奇声が発せられたのである。見るとそれはパスポートではないか!
 「いつ落としたのだろう??」
 「拾ってくれて届けてくれたのだろうか?お礼を言わなければ!」
でも待てよ、どうして落ちたのだろう??ナナナント鞄のチャックがみんな空いているではないか。

 「アー!!」絶望的な声だ。
 「お金?サイフ?・・・・ある!!助かった!!」
さっきの人は??まさか?
 「ス  リ  !」

噂では、スリの中にはその発見を遅らせるために意図的に中味を抜いて鞄に戻し、チャックも閉めておく者もいるという。だがしかし、今回の場合はどうもスリ本人が返してくれたのである。なぜ?全員が狐につままれたのだが、とにかく無事であったことにホッとして、その後の見学を続けた。



 16世紀パルネーテ貴族の家やフラウィウス宮の迎賓館、0競技場(馬場?)を見学して丘の上の宮殿群は終わり。コンスタンティヌスの凱旋門を横目に見ながらやっとコロッセオに向かうことになる。






 実測に励む学生??

 その学生の描く床のモザイク。

 パンテオンの邸宅、見事だねと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ

イタリア比較都市研究-8 フォロロマーノ探索の条

2011-05-03 17:36:43 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 5日目、2011年3月23日(水)はローマ市内の主な遺跡を概観することになった。後日自分達で廻る下準備のようなものである。

 主な探訪地は次の様なところである。
 ①フォーロ・ロマーノ,②パラテイーノの丘、③コロッセオ、④ローマ国立博物館、⑤パンテオン

 朝ホテルを出るとまず少し北にいったところにある統一記念堂(イタリアは1861年統一され、今年が統一150年の記念すべき年なのだ)の横を通って市役所下へ行った。



 市役所の階段を上り、カンピドリオの丘に登るとそこが市役所の庁舎前広場で、ブロンズの騎馬像が置かれている。





 ローマ市役所(は1500年前の建物だという)正面壁に手に棒を持つアテネ(戦争と智慧のメガミ)の彫刻像が置かれる由緒ある建物だ。直ぐ隣がサンタマリア教会(8世紀の教会で、建築物としては最古のものだという)である。
 

 ローマ最古の教会建築

 この教会と市役所建物の横(北側)を降りていくとその先にフォロロマーノが見えてくる。フォロロマーノの入口はさらに下に降りてコロッセオを横目に見ながら入るのだが、この段の上から内部の施設の概要を聞いたうえで中に入るとよく理解できる。
 
 市役所の建物そのものも古代の公文書館だったというから全てが時代物である。どこぞの國のように簡単に歴史的建造物を破壊してしまうのと大違いである。そんなことで観光なんていうのがおこがましい!!

 丘の端からまず目につくのがサートゥルヌス神殿である。8本の柱が立ち並んでおり、最も目につく施設である。その前にコンコルディア神殿と三本柱の目立つウェスパシアヌスとティトゥス神殿がある。





 視線を左の方に回すと眼下にセヴェルス凱旋門がみえる。凱旋門は現在一部を発掘調査中で透明ビニールで囲われた現場に目を凝らすとなんとか基礎部分を見ることができる。

 凱旋門の直ぐ横にある薄茶色の建物が元老院の建物である。この日は残念ながら公開されておらず、中に入ることはできなかった。



元老院

 現在はフォロロマーノは真ん中を走る道路によって分断されているが、本来は一体のものだったらしい。なんでもムッソリーニが自らの執務空間とコロッセオを繋ごうと道路を付けたために分断されたのだという。いいかげんな権力者がとりそうな思考である。



 あちらにコロッセオ。この道がムッソリーニがフォロロマーノの中を埋め立てて造った道。

 カエサルのフォーロ、トラヤヌスのフォロ、アウグストゥスのフォロ、ネルヴァのフォロが連続してある。
 その一郭トラヤヌスのフォーロに建てられたのがフォカスの勝利記念柱である。この後訪れた地域でも見られたが、戦勝を記念して、市民にその様子を知らせるために彫られた絵物語だという。こうしたフォーロ群はどこで途切れているのか、後で解説書を見ないとさっぱり判らないのだが、フォーロ群のさらに向こう(北)にあるアーチ建物が並ぶのが商店街である。これらについては後日しっかりと内部を見学したので後で報告する。



 フォロロマーノ北のフォーロ群



 記念柱



 向こうに見えるアーチ群が市場


 
 切符売り場。コロッセオと共通で12ユーロ。こちらなら並ばなくても済む。



全体図.事前によくよく勉強しておかないとどこにどの神殿があるのかさっぱり判らない。

 さて、いよいよフォーロ・ロマーノの内部に入るのだが、コロッセオとは共通券で入れる。皆さんはコロッセオで券を買うことが多いようなのだが、ここは大混雑で、行列をしないと買えない(12ユーロ)。しかし、フォロロマーノならガラガラなのだ。この辺りの妙はガイドさんでないと判らない。

 入口を入って直ぐ右手に柱跡などの建物が見えてくる。これは多目的ホールだったという。さらに右の奥に元老院の建物が見える。左手は現在は教会であるが、かつては宮殿のあったところである。現在その正面を修復中で全容を見ることができなかったが、正面の階段は仔細に観察することができた。





 轍の残る凱旋門への道





 発掘調査中

 まず右へ曲がり、聖なる道を通ってセヴェルス凱旋門に向かう。石敷きの路面にはくっきりと轍の跡が残っていた。続いてフォーロの中の施設を順番に見学して廻るのだが、竈の神様ヴェスタを祀るウェスタ神殿が最もよく整備されていた。ヴェスタの神に仕えさせられた巫女の館跡であった。どこの世界にも未婚女性を神に捧げる(遣えさせる)というのはあるのだな、と驚いた。巫女の館は実によく整備されており、彼女達が日常生活を送った空間は、まるで日本の古代寺院のように細かく区切られた僧房のようであった。台所や浴場跡も認められ、大変興味深い施設であった。



 ヴェスタ神殿



巫女の館細部図面





中央の広い広場を挟んで両側に巫女達の部屋が展開する。



巫女達の厨房



巫女達の浴場

この後ドラマテイック事件も交えたパラティーノの丘からのレポートです。

 フォロロマーノ面白いねと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ