団塊の世代は死ぬまでこき使われそうだねと思ったらよろしくお願いします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/54/2140068de6cf87b99d0e45a9baf82978.jpg)
(現場には山田博士の厳しい目が光る!!「ウーン、こりゃ何や!?ようわからん掘りかたやなー)
とうとう一人になってしまった!
さすがに初めての海外が東南アジアなどという学生もいるのでそのせいかもしれないが、下痢やら風邪やらいろんな症状が出て病院との往復にてんやわんやの3日間であった。保険をかけていてホッとした。それにしてもNご夫妻のお陰でどの病院が藪でどの病院がいいのかが判りとてもよかった。適切な処置が直ぐにできたことが救いだった感謝!!
第5日目(27日)は地層の分層結果を調査員同士で認識を一致させるための検討会をやり、基本的な認識を再確認した。その結果を図面に記載していく途中で終わってしまった。また南端に遺されている高まりを確認するため一部断ち割を広げて地層の再確認を行いながら掘削を進めた。その結果3層までの堆積を確認し、第2層に植物質が大量に堆積していることが判明した。残念ながら加工遺物は認められなさそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/88/bcd1f1174a5364508825db65d7e0c26b.jpg)
(真剣な眼差しで聞く嘱託職員の皆さん。地区割りの説明。)
また、現場の嘱託職員を中心とした専門家の卵達に調査地の遺物の取り上げ方法などについて認識を一致させるための現場会議を開いた。
タンロン座標と呼ばれる敬天殿を基準とした5度ほど傾いた独自座標系に基づくタンロン王城遺跡全体の地区割り方法を再確認し、現場の地区名を説明して遺物の取り上げ方法を説明した。何しろまだ座標による地区割りや実測が始まったばかりなのでその点が徹底できていないようなのだ。
それでも皆さん全員とても素直で、物わかりがよく、判らないことは直ぐに聞いてくれるのでとても説明のしがいがある。日本の学生だと「
何か質問は?」と聞いてもたいていの場合
「シーン!」だ。子供の頃からの教育が違うのだろうか。
この調査地D3区はタンロン座標系の「TNWABH~R、87~92」に当たることが判明したのでこれを基準にこれから確定していく遺構名称(略号)と合わせて全ての情報を標記することができることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/09/41d485b6706714fa9bfd33e514736fd4.jpg)
(東壁の精査)
第6日(28日)は東断面の写真撮影と図面準備のための断面壁の精査を行った。いろいろな認識の違いがあって、結局完成できないまま、おまけに終わりかけに大雨が来てまた明日!ということになってしまった。
その間現場では調査方法について調査担当者が激論を交わし、その上で認識を一致させて調査を進めることができた。議論をしておかないと後で困ることになるので少々激しいやりとりも必要だと改めて実感した。
調査地の南西隅から見付かった磚積みの溝の所属時期を決めるために周辺の精査を行ったところ、これだけは古い時期の物である可能性が高くなった。その遺構の下に植物質の物を大量に含む黒色の層が認められ、これが安南都護府形成直前の地層ではないかと考えられた。
第7日目(29日)は昨日のやり残した写真と図面作業である。これから食事をしていってきます。今日は全員元気になって参加できそうである。誰かさんのお祓いとお清めが効いたかも、有り難う!!
(写真はまた帰ってからアップしますね)
ちょっと寒いハノイですが頑張れよと思ったらもよろしくね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/54/2140068de6cf87b99d0e45a9baf82978.jpg)
(現場には山田博士の厳しい目が光る!!「ウーン、こりゃ何や!?ようわからん掘りかたやなー)
とうとう一人になってしまった!
さすがに初めての海外が東南アジアなどという学生もいるのでそのせいかもしれないが、下痢やら風邪やらいろんな症状が出て病院との往復にてんやわんやの3日間であった。保険をかけていてホッとした。それにしてもNご夫妻のお陰でどの病院が藪でどの病院がいいのかが判りとてもよかった。適切な処置が直ぐにできたことが救いだった感謝!!
第5日目(27日)は地層の分層結果を調査員同士で認識を一致させるための検討会をやり、基本的な認識を再確認した。その結果を図面に記載していく途中で終わってしまった。また南端に遺されている高まりを確認するため一部断ち割を広げて地層の再確認を行いながら掘削を進めた。その結果3層までの堆積を確認し、第2層に植物質が大量に堆積していることが判明した。残念ながら加工遺物は認められなさそうだ。
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(真剣な眼差しで聞く嘱託職員の皆さん。地区割りの説明。)
また、現場の嘱託職員を中心とした専門家の卵達に調査地の遺物の取り上げ方法などについて認識を一致させるための現場会議を開いた。
タンロン座標と呼ばれる敬天殿を基準とした5度ほど傾いた独自座標系に基づくタンロン王城遺跡全体の地区割り方法を再確認し、現場の地区名を説明して遺物の取り上げ方法を説明した。何しろまだ座標による地区割りや実測が始まったばかりなのでその点が徹底できていないようなのだ。
それでも皆さん全員とても素直で、物わかりがよく、判らないことは直ぐに聞いてくれるのでとても説明のしがいがある。日本の学生だと「
何か質問は?」と聞いてもたいていの場合
「シーン!」だ。子供の頃からの教育が違うのだろうか。
この調査地D3区はタンロン座標系の「TNWABH~R、87~92」に当たることが判明したのでこれを基準にこれから確定していく遺構名称(略号)と合わせて全ての情報を標記することができることになった。
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(東壁の精査)
第6日(28日)は東断面の写真撮影と図面準備のための断面壁の精査を行った。いろいろな認識の違いがあって、結局完成できないまま、おまけに終わりかけに大雨が来てまた明日!ということになってしまった。
その間現場では調査方法について調査担当者が激論を交わし、その上で認識を一致させて調査を進めることができた。議論をしておかないと後で困ることになるので少々激しいやりとりも必要だと改めて実感した。
調査地の南西隅から見付かった磚積みの溝の所属時期を決めるために周辺の精査を行ったところ、これだけは古い時期の物である可能性が高くなった。その遺構の下に植物質の物を大量に含む黒色の層が認められ、これが安南都護府形成直前の地層ではないかと考えられた。
第7日目(29日)は昨日のやり残した写真と図面作業である。これから食事をしていってきます。今日は全員元気になって参加できそうである。誰かさんのお祓いとお清めが効いたかも、有り難う!!
(写真はまた帰ってからアップしますね)
ちょっと寒いハノイですが頑張れよと思ったらもよろしくね