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高松塚古墳の保守点検中に生じた事故の公表をめぐって、批判がおき、高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会座長の渡辺明義氏が辞任を表明し、事故の原因などを調査する調査委員会が作られ、石沢良昭・上智大学長以下、河上邦彦・神戸山手大教授、川村恒明・神奈川県立外語短大学長、高鳥浩介・国立医薬品食品衛生研究所衛生微生物部長、永井順国・女子美術大教授が委員に任命されたという。
委員の人選に当たっては文化庁OB等の官僚を排除するという方針が予め文部科学大臣から出され、その意向に添って委員が選ばれたという。果たして今回の委員が適役かどうかはいろいろ議論もあるところだろうが、ひとまずこの間の高松塚をめぐるゴタゴタの暗部の一つが整理されたと考えるべきだろう。
高松塚古墳の壁画をどのように維持していくべきかについては極めて困難な問題が横たわっているように思う。今日の既定路線である解体して室内保管する問題も、本当にそうしなければ壁画の保持が困難なのかどうかの資料が、ほとんど私達の前に提示されないだけに、意見の述べようがないのが現実である。
基本的に古墳を解体することに私は反対であるが、しかし伝えられるように現状ではカビが蔓延し壁画を損なうというのなら仕方がないとも思うのである。ところが今回の事態を見ていると、高松塚古墳の壁画を今日のような状態にしたのは「人間」なのではないかという疑念が浮かび上がってくる。無責任の誹りを免れないかも知れないが、これ以上「人間」の手を加えない方がよほどいいのではないかと思えてくるのである。
だれもが責任を負わないために(特に官僚は「責任」という言葉をもっとも嫌う)、秘密裏に保存方針を決定したことの付けがここに来て出てきているのではなかろうか。責任をとらなくていいようなシステムにしておくからその本当の原因がきちんと分析されず、ミスがミスを生んでいったように思うのである。
もう一方、あれほど「恒久的保存設備」と豪語されたシステムがわずか30余年で機能を麻痺させた根本的な原因が、機械神話、理系保存科学者達の「過信」にあるように思えるのである。元々機械で維持することなど無理があったのではないだろうか。高松塚古墳の壁画は少なくとも人間の手で開けられるまで1300年近く現状(以上)に維持されてきたのである。キトラ古墳を見ても同じである。ひょっとすると、盗掘がおこなわれたときにはもっと素晴らしい状態で残っていたのかもしれない。要するに、自然に馴染んだものを無理矢理に人間の手で「同じ」状態に維持しようとしたことに問題があったのである(実は木簡なども発見当初が最も状態が良く、日が経つにつれて墨が薄くなるという事実がある)。発掘調査後にそのまま基の状態(に近く)戻しておくべきだったのではなかろうか。だとすると今更遅いのかも知れないが、自然に帰すのが一番のようにも思える。
どちらにしろ、高松塚発見当時の設備の設置にしても、ごく一部の人々の意見によって決定されたことが最大の問題ではなかったかと思うのである。当時の委員が誰か存じ上げないが、恐らく文化庁の官僚や奈良文化財研究所を中心とした研究者なのだろう。今更その方々の責任を問うつもりは全くない。しかし、もっとオープンに意見を聞き、議論をした上で結論を出しておけば、その後に問題が起こっても議論に加わった全員が再度新しい事態を分析し直して対策を練ることができるはずだし、苦い経験を後世に生かすことができたように思うのである。例えば、カビが生えたことを直ぐに報告し、何故当初の予想とは反した事態に陥ったのかを、オープンに議論しておけば、今回の事態は少なくとも防げたのではないかと思うのである。
実は以前、こんな話を聞いたことがある。
「ねつ造事件で誰も責任をとろうとしないのはどうしてなの?」
「誰かが責任をとると芋づる式にその当時の官僚に責任が及び、文化庁を足がかり に出世コースを歩んでいるキャリアに傷が付くから!」と。
今回の事態と実に多くの点で重なる話である。渡辺座長が辞意を漏らしても直ぐには辞められない事情もここにあるのではないだろうか。
しかしどう考えても特別史籍を損傷させたり、史跡指定遺跡の根拠がねつ造資料であったとしたら、それぞれの事態が起こった時の関係者・責任者は当然責任をとるべきであろう。それが社会の常識というものである。常識が通用しないのは、官僚という非常識な存在が「委員会」の中枢にいるからに他ならない。
では官僚を排除(したとは言えないが)したはずの今回の調査委員会は責任ある結論を出すことができるのだろうか。将来に責任の持てる保存を進めるためには、事故の原因や調査公表の事情を調べるだけではなく、解体保存の方針決定の全資料を公表し、国民全体を巻き込んだ討論の場を設定すべきだと思うのだがいかがであろう。議論の論点や論理をきちんと公表しておけば、後世の事態を前代に立ち返って検証し、新たな方策を打ち出すことができるはずだ。日本考古学界には二つの巨大学会が存在する。両組織から代表者を出して共同でシンポジウムを開催し、議論するという方法もあろう。いつまでも「偉い先生」にお頼りするほど日本考古学は未熟なのだろうか?
近年地方への権限委譲が叫ばれながら、考古学の世界では、逆に厳しい地方統制が進んでいるように思えてならない。特に権限を委譲された都道府県が、ある時は文化庁の威を借り、ある時は自らの権力で、市町村を監視下に置こうとする動向である。いずれも学問とは無縁な行政権力を利用した強制や指導である。私はこれもまた、無責任体制を生み出す温床であると考えている。特に問題なのは様々な遺跡の調査や保存・活用のために立ち上げられる「指導委員会」の存在である。
自らの方針に異論を挟まない学者を取り込んだ責任転嫁の組織を作っておいて、都合のいい時には自らの成果に、都合の悪い時には委員会の責任に転嫁するシステムである。委員となる学者も学者であるが、姑息なことを考える官僚(と化した「発掘調査技師」も近年増加している)の存在こそ問題である。遺跡の調査がきちんと行われているか否かは考古学という学問の基本的資料が正確に提供されているかどうかを評価する極めて重要な問題である。史跡指定された遺跡が国民に活用されているかどうかも「指定」の意義を問う物差しにもなる。しかし現実には官僚が責任を転嫁するための装置と化し、官僚が思うままに調査を動かし、官僚の息のかかった「業者」に任せるための道具として利用されている場合が多々あるのである(もちろんそうでない都道府県、委員会もあるのだが・・・)。
高松塚だけではなく、全国の「指導委員会」からも、「偉い先生」と官僚の排除を今こそ強く求めたい。
今私には、四日市市の久留倍遺跡の整備が当面の課題として横たわっている。全国の史跡整備地の惨憺たる状況を見るにつけ、責任ある整備はどうすればいいのかを考えないといけないのである。教育委員会でもそうした事態を憂慮して、市民からの整備案を募集しようという意向を持っているという。しかしこれも「市民」という名を借りているだけで、中味の議論に責任を持とうという姿勢ではない。
私は、委員会で秘密に議論するのではなく、「久留倍遺跡フォーラム」等を開催し、市民の前で議論すべきと考えるのである。議論を共有することによって、市民にも責任を持ってもらうことができるはずだ。責任の押し付け合いではなく、きちんと責任の所在をはっきりさせて物事を決定していく、このことこそ日本社会の全ての場面において求められていることではないかと考えるのである。
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高松塚古墳の保守点検中に生じた事故の公表をめぐって、批判がおき、高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会座長の渡辺明義氏が辞任を表明し、事故の原因などを調査する調査委員会が作られ、石沢良昭・上智大学長以下、河上邦彦・神戸山手大教授、川村恒明・神奈川県立外語短大学長、高鳥浩介・国立医薬品食品衛生研究所衛生微生物部長、永井順国・女子美術大教授が委員に任命されたという。
委員の人選に当たっては文化庁OB等の官僚を排除するという方針が予め文部科学大臣から出され、その意向に添って委員が選ばれたという。果たして今回の委員が適役かどうかはいろいろ議論もあるところだろうが、ひとまずこの間の高松塚をめぐるゴタゴタの暗部の一つが整理されたと考えるべきだろう。
高松塚古墳の壁画をどのように維持していくべきかについては極めて困難な問題が横たわっているように思う。今日の既定路線である解体して室内保管する問題も、本当にそうしなければ壁画の保持が困難なのかどうかの資料が、ほとんど私達の前に提示されないだけに、意見の述べようがないのが現実である。
基本的に古墳を解体することに私は反対であるが、しかし伝えられるように現状ではカビが蔓延し壁画を損なうというのなら仕方がないとも思うのである。ところが今回の事態を見ていると、高松塚古墳の壁画を今日のような状態にしたのは「人間」なのではないかという疑念が浮かび上がってくる。無責任の誹りを免れないかも知れないが、これ以上「人間」の手を加えない方がよほどいいのではないかと思えてくるのである。
だれもが責任を負わないために(特に官僚は「責任」という言葉をもっとも嫌う)、秘密裏に保存方針を決定したことの付けがここに来て出てきているのではなかろうか。責任をとらなくていいようなシステムにしておくからその本当の原因がきちんと分析されず、ミスがミスを生んでいったように思うのである。
もう一方、あれほど「恒久的保存設備」と豪語されたシステムがわずか30余年で機能を麻痺させた根本的な原因が、機械神話、理系保存科学者達の「過信」にあるように思えるのである。元々機械で維持することなど無理があったのではないだろうか。高松塚古墳の壁画は少なくとも人間の手で開けられるまで1300年近く現状(以上)に維持されてきたのである。キトラ古墳を見ても同じである。ひょっとすると、盗掘がおこなわれたときにはもっと素晴らしい状態で残っていたのかもしれない。要するに、自然に馴染んだものを無理矢理に人間の手で「同じ」状態に維持しようとしたことに問題があったのである(実は木簡なども発見当初が最も状態が良く、日が経つにつれて墨が薄くなるという事実がある)。発掘調査後にそのまま基の状態(に近く)戻しておくべきだったのではなかろうか。だとすると今更遅いのかも知れないが、自然に帰すのが一番のようにも思える。
どちらにしろ、高松塚発見当時の設備の設置にしても、ごく一部の人々の意見によって決定されたことが最大の問題ではなかったかと思うのである。当時の委員が誰か存じ上げないが、恐らく文化庁の官僚や奈良文化財研究所を中心とした研究者なのだろう。今更その方々の責任を問うつもりは全くない。しかし、もっとオープンに意見を聞き、議論をした上で結論を出しておけば、その後に問題が起こっても議論に加わった全員が再度新しい事態を分析し直して対策を練ることができるはずだし、苦い経験を後世に生かすことができたように思うのである。例えば、カビが生えたことを直ぐに報告し、何故当初の予想とは反した事態に陥ったのかを、オープンに議論しておけば、今回の事態は少なくとも防げたのではないかと思うのである。
実は以前、こんな話を聞いたことがある。
「ねつ造事件で誰も責任をとろうとしないのはどうしてなの?」
「誰かが責任をとると芋づる式にその当時の官僚に責任が及び、文化庁を足がかり に出世コースを歩んでいるキャリアに傷が付くから!」と。
今回の事態と実に多くの点で重なる話である。渡辺座長が辞意を漏らしても直ぐには辞められない事情もここにあるのではないだろうか。
しかしどう考えても特別史籍を損傷させたり、史跡指定遺跡の根拠がねつ造資料であったとしたら、それぞれの事態が起こった時の関係者・責任者は当然責任をとるべきであろう。それが社会の常識というものである。常識が通用しないのは、官僚という非常識な存在が「委員会」の中枢にいるからに他ならない。
では官僚を排除(したとは言えないが)したはずの今回の調査委員会は責任ある結論を出すことができるのだろうか。将来に責任の持てる保存を進めるためには、事故の原因や調査公表の事情を調べるだけではなく、解体保存の方針決定の全資料を公表し、国民全体を巻き込んだ討論の場を設定すべきだと思うのだがいかがであろう。議論の論点や論理をきちんと公表しておけば、後世の事態を前代に立ち返って検証し、新たな方策を打ち出すことができるはずだ。日本考古学界には二つの巨大学会が存在する。両組織から代表者を出して共同でシンポジウムを開催し、議論するという方法もあろう。いつまでも「偉い先生」にお頼りするほど日本考古学は未熟なのだろうか?
近年地方への権限委譲が叫ばれながら、考古学の世界では、逆に厳しい地方統制が進んでいるように思えてならない。特に権限を委譲された都道府県が、ある時は文化庁の威を借り、ある時は自らの権力で、市町村を監視下に置こうとする動向である。いずれも学問とは無縁な行政権力を利用した強制や指導である。私はこれもまた、無責任体制を生み出す温床であると考えている。特に問題なのは様々な遺跡の調査や保存・活用のために立ち上げられる「指導委員会」の存在である。
自らの方針に異論を挟まない学者を取り込んだ責任転嫁の組織を作っておいて、都合のいい時には自らの成果に、都合の悪い時には委員会の責任に転嫁するシステムである。委員となる学者も学者であるが、姑息なことを考える官僚(と化した「発掘調査技師」も近年増加している)の存在こそ問題である。遺跡の調査がきちんと行われているか否かは考古学という学問の基本的資料が正確に提供されているかどうかを評価する極めて重要な問題である。史跡指定された遺跡が国民に活用されているかどうかも「指定」の意義を問う物差しにもなる。しかし現実には官僚が責任を転嫁するための装置と化し、官僚が思うままに調査を動かし、官僚の息のかかった「業者」に任せるための道具として利用されている場合が多々あるのである(もちろんそうでない都道府県、委員会もあるのだが・・・)。
高松塚だけではなく、全国の「指導委員会」からも、「偉い先生」と官僚の排除を今こそ強く求めたい。
今私には、四日市市の久留倍遺跡の整備が当面の課題として横たわっている。全国の史跡整備地の惨憺たる状況を見るにつけ、責任ある整備はどうすればいいのかを考えないといけないのである。教育委員会でもそうした事態を憂慮して、市民からの整備案を募集しようという意向を持っているという。しかしこれも「市民」という名を借りているだけで、中味の議論に責任を持とうという姿勢ではない。
私は、委員会で秘密に議論するのではなく、「久留倍遺跡フォーラム」等を開催し、市民の前で議論すべきと考えるのである。議論を共有することによって、市民にも責任を持ってもらうことができるはずだ。責任の押し付け合いではなく、きちんと責任の所在をはっきりさせて物事を決定していく、このことこそ日本社会の全ての場面において求められていることではないかと考えるのである。
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