yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

吉田晶先生を偲ぶ会の条

2013-06-02 17:05:53 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 昨日は今年の1月15日にお亡くなりになった日本古代史の吉田晶先生を偲ぶ会であった。

 縁の深い難波宮の一角にある大阪歴史博物館のレストランで行われた。

 

 吉田先生は1925年、兵庫県のお生まれだという。お亡くなりになったtきが87歳。会に集まられた皆さんのお話によると、その直前の年末に開かれた都城制研究会にお出になっておられ、とてもお元気だったという。ところが、1月13日に体調を崩されていたという奥様が亡くなられ、そのわずか二日後の死だったという。

 先生は陸軍士官学校を出られた職業軍人であった。ところが、1945年8月15日をもって大きく変わった体制の中で京都大学文学部に入られ、史学科で日本古代史を学ばれたという。



会場に張り出された在りし日の吉田先生。



 出席者のほとんどは私にとっては大先輩の先生方ばかりであった。会を準備下さったのが帝塚山学院大学名誉教授の中尾芳治先生、大阪大学名誉教授の都出比呂志先生、奈良大学元学長の水野正好先生等々、そうそうたるメンバーであった。

 会場には大阪歴史博物館の館長をなさっている脇田修先生もお出でになり、ご挨拶をなさったが、その合間に先生と親しくお話しさせていただくと、何でも吉田先生とは大学院の同級生だったという。戦後直ぐの京都大学はたくさんの復員兵で溢れており、故門脇禎二先生のそのお一人で、「門脇はなー、二等兵やったんや!苦労したらしいわ」等とその頃の大学の雰囲気を懐かしそうにお話し下さった。そういえば、長岡京研究の創始者中山修一先生も門脇先生と10歳違いの同級生だったとか。戦時中の暗黒の世界から解き放たれた当時の大学の自由な雰囲気が伝わってくる話でもあった。

 吉田先生は『日本古代社会構成史論』(塙書房1968年)や『日本古代国家成立史論』(東京大学出版会1973年)などで知られる日本の古代国家成立に関するきっての理論家であった。それと合わせて1975年には難波宮跡の保存運動の先頭に立たれるなど、様々な遺跡の保存運動の先頭に立ってこられた方でもあった。

 そんな吉田先生との接点など私にあろうはずがなかったのだが、25年ほど前に泉佐野市であった製塩に関するシンポジウムで、講演をなさった折、資料の読みに関するわすかな解釈の違いについて会場から質問をしたことがある。すると、どうであろうか、会が終わって直ぐに私のところまでお出でになって、「あなたの言う通りです。私が間違っていました」と仰る。田舎の埋文センターの若造の些細な史料の解釈である。無視することなど簡単なことなのである。私の方こそ恐縮してしまって言葉も出なかったのを覚えている。その後都城制研究会や木簡学会などでお顔を合わせる度に声をかけて下さって、とても優しく接して下さった。私が三重に行ってから、調査していた鈴鹿関の成果が上がり、案内を差し上げるとわざわざ現地にお出でになって丁寧にご覧になったことも印象的であった。

 吉田先生は常々、「研究と文化財の保存」は平行してやらなければならないと仰ってきた。学者が研究室に閉じこもっていてはダメなのだと言うことだ。私が大学に行くことになった時、まず肝に銘じたことがこのことだった。「大学教授」という肩書きであちこちの遺跡の委員をしても,結局行政の整えた資料を承認するだけの委員にだけはなるまいと思った。行政は自分たちの都合の悪い資料はまず出さないからだ。自分の足で歩き、自分で遺跡の評価をし、その遺跡の価値が判ればあらゆる手段を使ってその遺跡を護るための手段を講じる。吉田先生から学んだ基本姿勢である。

 その吉田先生が亡くなって、何とも言えない寂しい思いがする。会場となった大坂歴史博物館の北側には、大阪府庁がある。かつての主であった橋下徹は単に無教養であることをさらけだすだけでなく、人々を再び軍靴の響く国へ導こうと安倍晋三の先兵となって、戦争のできる国作りへ邁進しようとしている。戦争を経験したからこそ、二度とその道へ進まないために様々な経験を下に生きてこられた貴重な先人がまた亡くなってしまった。その遺志を継いで、私たちこそしっかりしなければならないのだと改めて思った一日でもあった。

 6月12日には4月にお亡くなりになった佐々木高明先生のお別れ会もある。次々と気骨のある先生方が亡くなり、国家にもの申すことのできる先生が無くなっていくことに危機感を感じる今日この頃である。

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1 コメント

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背筋をしゃんと伸ばす思い (御在所ミドリシジミ)
2013-06-04 16:48:01
学ぶのは知識、方法、技能、技術は抜きには語れないけれど、本当に学ぶを知るとは何か?改めて知らされました。
難波宮の壬申の乱ウォークでは、大阪歴史博物館、隣接の史跡公園で何か力強いものを感じましたが、山中先生に伝わった気骨ある先生方の持つ何ものかを知らずに感じたのでしょうか。微力ながら、四日市市民の名誉にかけて、久留倍官衙遺跡の後世の判断に答える、世界一の保存活用方法を目指したいと思います。
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