11月27日は恒例の三校交流会であった。
三重大学と奈良女子大学、京都府立大学の考古学研究室の学生が集まってその一年の研究成果を報告しあう行事である。今年は京都府立大学で開催され、以下のような報告があった。
1 奈良女子大学 院生 「古墳出現期大和・河内と吉備・山陰の地域間交流~土器を中心に~」
2 三重大学 院生 「伊賀国における焼塩の生産・流通・消費における一考察」
3 京都府立大学 院生 「古墳時代後期の武装とその意義-大須二子塚古墳出土甲冑セット・副葬状況の解明を中心として-」
いずれも院生の報告なので、例年よりしまった内容であったが、課題も多く見受けられた。
第一報告は大和・河内に搬入された土器を通してみた古墳時代初期の地域間交流がテーマであった。近年、纏向遺跡に関する研究が進んでおり、その延長線上に位置づけるものなのだろうが、少々掘り下げに疑問を抱く内容であった。「土器を中心に」とわざわざ副題が付いている割にはその土器の分析が従来の分析のままであり、新しい分析成果や新しい型式編年など資料に基づく分析ではなかったために地域間交流の中身がありきたりのものになってしまっていた。昨年度、伊勢湾西岸中央部地域の土器の再検討を通して、纏向遺跡と「東海」地方との関係を再検討した報告があったが、その内容の方が新しいデーターを用いて分析していただけに興味深かった。
第二報告は三重大学の院生のもので、私はこの間何度も聞いているので、ほかの学生の反応に興味があったのだが、ああまり芳しい反応はなかった。伊賀という限られて地域の研究であったために意見を表明しづらかったのかもしれない。ただ、報告後、府立大学のH先生から個別に意見をお伺いすることができ、「伊賀と塩と東大寺の関係が証明できればいい論文になりますね」という「評価」を頂いた。もっともこの間この点に腐心し続けているので、なかなか展望は見えていたいのだが、少なくとも限られた遺跡の限られた時期の遺物の動きに関する報告で、まとまって当たり前とは思うが、可能性のあることは認めても良さそうである。もう一踏ん張り、がんばってほしい。
第三報告はさすがドクター3年の院生の報告だけあって、極めて緻密で、実物に即して実物の再検討から導きだされた結論だけに説得力のあるものだった。明らかにされた事実の持つ意味はとても大きいと思う。ただ、今回は中間報告だったのか、表題の「武装とその意義」についてはほとんど触れられなかった。分析結果の持つ意味はとても大きいと思うので、怯むことなく、導き出された事実が古墳時代後期の武具埋葬の意味(思想的背景)について語ってほしく思った。先生の指導があるようだし、これからきちんとまとめて世に出ることだろう。発表の仕方もとても手際よく、大いに期待したい。
久しぶりに若い研究者の卵達から刺激をもらい、その後の懇親会では彼らの後輩達から今の研究状況について語ってもらうことができた。来年は奈良女子大学での開催である。おそらくこれが私の三校交流会最後の研究会である。是非いい発表をお願いしたい。
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1 奈良女子大学 院生 「古墳出現期大和・河内と吉備・山陰の地域間交流~土器を中心に~」
2 三重大学 院生 「伊賀国における焼塩の生産・流通・消費における一考察」
3 京都府立大学 院生 「古墳時代後期の武装とその意義-大須二子塚古墳出土甲冑セット・副葬状況の解明を中心として-」
いずれも院生の報告なので、例年よりしまった内容であったが、課題も多く見受けられた。
第一報告は大和・河内に搬入された土器を通してみた古墳時代初期の地域間交流がテーマであった。近年、纏向遺跡に関する研究が進んでおり、その延長線上に位置づけるものなのだろうが、少々掘り下げに疑問を抱く内容であった。「土器を中心に」とわざわざ副題が付いている割にはその土器の分析が従来の分析のままであり、新しい分析成果や新しい型式編年など資料に基づく分析ではなかったために地域間交流の中身がありきたりのものになってしまっていた。昨年度、伊勢湾西岸中央部地域の土器の再検討を通して、纏向遺跡と「東海」地方との関係を再検討した報告があったが、その内容の方が新しいデーターを用いて分析していただけに興味深かった。
第二報告は三重大学の院生のもので、私はこの間何度も聞いているので、ほかの学生の反応に興味があったのだが、ああまり芳しい反応はなかった。伊賀という限られて地域の研究であったために意見を表明しづらかったのかもしれない。ただ、報告後、府立大学のH先生から個別に意見をお伺いすることができ、「伊賀と塩と東大寺の関係が証明できればいい論文になりますね」という「評価」を頂いた。もっともこの間この点に腐心し続けているので、なかなか展望は見えていたいのだが、少なくとも限られた遺跡の限られた時期の遺物の動きに関する報告で、まとまって当たり前とは思うが、可能性のあることは認めても良さそうである。もう一踏ん張り、がんばってほしい。
第三報告はさすがドクター3年の院生の報告だけあって、極めて緻密で、実物に即して実物の再検討から導きだされた結論だけに説得力のあるものだった。明らかにされた事実の持つ意味はとても大きいと思う。ただ、今回は中間報告だったのか、表題の「武装とその意義」についてはほとんど触れられなかった。分析結果の持つ意味はとても大きいと思うので、怯むことなく、導き出された事実が古墳時代後期の武具埋葬の意味(思想的背景)について語ってほしく思った。先生の指導があるようだし、これからきちんとまとめて世に出ることだろう。発表の仕方もとても手際よく、大いに期待したい。
久しぶりに若い研究者の卵達から刺激をもらい、その後の懇親会では彼らの後輩達から今の研究状況について語ってもらうことができた。来年は奈良女子大学での開催である。おそらくこれが私の三校交流会最後の研究会である。是非いい発表をお願いしたい。
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