4日目、2011年3月22日(火)にはローマ郊外約30キロの所にあるハドリアヌスの別荘とチボリの丘にある噴水のある別荘を訪れた。今回はその前半のハドリアヌスの別荘をご紹介する。
ハドリアヌスと言えば大半を国外で過ごし、現在の西ヨーロッパの範囲を定めたと言ってもいい皇帝である。かつて3回にわたってイギリスの城壁探査を行ったがその最初の二回を費やしたThe Hadrian's Wallの築造者でもある。そんな彼が別荘でゆっくりすることなどあったのだろうかと思ったら、やはりそうだったらしく、この別荘を使用したのは数年に過ぎなかったという。
この日はガイドのKNさんがいてくれたので安心であった。バス(160番)に乗って約20分、地下鉄Ponte Mammolo駅へ。そこで長距離バスに乗り換えて10時前に別荘跡に着いた。AD118年に着工され、完成したのは133年であったというハドリアヌス皇帝の別荘である。日本人は余り見かけなかったが、2~3組の元気そうな若者達のグループにあった。入館料はどこも高く日本円にすると1000円近くする。

遺跡を入って直ぐのところに模型を展示した部屋がある。これである程度のイメージを抱いて遺跡を見学することができる。

「玄関」と和訳した施設の入り口をに入ると、細い長方形の池が眼前に広がる。これ自身は復元らしいが、この場所からローマが一望できるという。

釣り堀も兼ねていたというこの池のある空間の奥に広がるのが競技場らしい。

こんな円形劇場もあるらしいのだが、時間の都合で見ることはできなかった。それにしてもローマ人というのは本当に円形劇場と風呂が好きだな!!と今回も再認識した。


競技場の横の神殿跡。

正面にクローバーのように半円を三つ並べた変わった形の神殿の正面である。

ここが玄関そのものだというのだが、も一つピンとこなかった。

やはりあった!!大きな浴場跡!大きな方が男性用、小さな方が女性用というのだが、どこが堺かよく判らなかった。ここは後でじっくり見学した。
ちょっと長くなりそうなのでトイレへ。

とにかくイタリアは落書きが酷く、その上ゴミをそこら中に散らかすので汚い限りなのだが、トイレは比較的きれいなのである。そして驚くことに男性用とありながら小便器のないところが圧倒的に多いのである。

皇帝の夏の食堂と呼ばれる施設である。細長い池が真ん中にあり、両側には大理石の柱に囲まれた様々なデザインの彫刻が置かれている。



池のつきあたりに位置する2-3階とおもわれる建物の横から上まで登ることができ、この美しい施設を上から見ることができる。

これを進むと軍団兵士の宿舎を横目に見て、再び浴場(の裏)にでる。



想定復原図である。イタリアのほとんどの遺跡でこうした復原図と現状写真を重ねて示す図録が売られている。1000円くらいである。
大浴場の温浴場や冷浴場である(最も豪華で室内の両側に浴槽が置かれていた)

ついでその隣に運動場があり、釣り堀もあったらしくまわりには地下通路まで設けられていた。

さらに冬の宮殿跡を訪れ、黄金の広場(PIAZZA D’ORD)へ。

桜花形の建物遺跡からはティヴォリ(山の中腹にある町)を見渡すことができる。とても景色のいい空間である。
さらに進むと、皇帝の私的に使用していた浴場(床暖房室や図書室も附属していた)。



「海の劇場」という、建築構造は劇場型を呈したは皇帝個人が思索に耽るときに使うという空間である。
となりには「哲学の間(sala dei filosofi)」が附属している。
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ハドリアヌスと言えば大半を国外で過ごし、現在の西ヨーロッパの範囲を定めたと言ってもいい皇帝である。かつて3回にわたってイギリスの城壁探査を行ったがその最初の二回を費やしたThe Hadrian's Wallの築造者でもある。そんな彼が別荘でゆっくりすることなどあったのだろうかと思ったら、やはりそうだったらしく、この別荘を使用したのは数年に過ぎなかったという。
この日はガイドのKNさんがいてくれたので安心であった。バス(160番)に乗って約20分、地下鉄Ponte Mammolo駅へ。そこで長距離バスに乗り換えて10時前に別荘跡に着いた。AD118年に着工され、完成したのは133年であったというハドリアヌス皇帝の別荘である。日本人は余り見かけなかったが、2~3組の元気そうな若者達のグループにあった。入館料はどこも高く日本円にすると1000円近くする。

遺跡を入って直ぐのところに模型を展示した部屋がある。これである程度のイメージを抱いて遺跡を見学することができる。

「玄関」と和訳した施設の入り口をに入ると、細い長方形の池が眼前に広がる。これ自身は復元らしいが、この場所からローマが一望できるという。

釣り堀も兼ねていたというこの池のある空間の奥に広がるのが競技場らしい。

こんな円形劇場もあるらしいのだが、時間の都合で見ることはできなかった。それにしてもローマ人というのは本当に円形劇場と風呂が好きだな!!と今回も再認識した。


競技場の横の神殿跡。

正面にクローバーのように半円を三つ並べた変わった形の神殿の正面である。

ここが玄関そのものだというのだが、も一つピンとこなかった。

やはりあった!!大きな浴場跡!大きな方が男性用、小さな方が女性用というのだが、どこが堺かよく判らなかった。ここは後でじっくり見学した。
ちょっと長くなりそうなのでトイレへ。

とにかくイタリアは落書きが酷く、その上ゴミをそこら中に散らかすので汚い限りなのだが、トイレは比較的きれいなのである。そして驚くことに男性用とありながら小便器のないところが圧倒的に多いのである。

皇帝の夏の食堂と呼ばれる施設である。細長い池が真ん中にあり、両側には大理石の柱に囲まれた様々なデザインの彫刻が置かれている。



池のつきあたりに位置する2-3階とおもわれる建物の横から上まで登ることができ、この美しい施設を上から見ることができる。

これを進むと軍団兵士の宿舎を横目に見て、再び浴場(の裏)にでる。



想定復原図である。イタリアのほとんどの遺跡でこうした復原図と現状写真を重ねて示す図録が売られている。1000円くらいである。
大浴場の温浴場や冷浴場である(最も豪華で室内の両側に浴槽が置かれていた)

ついでその隣に運動場があり、釣り堀もあったらしくまわりには地下通路まで設けられていた。

さらに冬の宮殿跡を訪れ、黄金の広場(PIAZZA D’ORD)へ。

桜花形の建物遺跡からはティヴォリ(山の中腹にある町)を見渡すことができる。とても景色のいい空間である。
さらに進むと、皇帝の私的に使用していた浴場(床暖房室や図書室も附属していた)。



「海の劇場」という、建築構造は劇場型を呈したは皇帝個人が思索に耽るときに使うという空間である。
となりには「哲学の間(sala dei filosofi)」が附属している。
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