懐かしい人からのメール、嬉しいよねと思ったら、よろしくお願いします。
5月はろくでもない月だった!!
GWがDWだったことは既に書いたとおりだが、その後怒り心頭に発するような手紙やメールが来たり、理屈の通らない会議があったりで、ほとんど毎日胃薬を飲まなければ過ごせないほど人間不信に陥る毎日が続いた。久しぶりに偏頭痛が起こり、このまま何とかなってしまうのかと思ったほどである。
しかし、神様はやはり優しい!!ちゃんと見て下さっている!
教育者失格!!の強烈なメールに対して、全く逆の評価のお便りを次々といただいて、やっと心が平穏になりつつある。
その一つが、もう今から10数年前のことだ。まだ前の職場にいた頃、故佐原真さんとある大学の先生のご紹介で、東京にあるO茶大の考古学研究会の学生を3~4年間お世話したことがある。同大学には考古学の常勤の先生がいらっしゃらなかったので、あくまで考古学は研究会活動でしかなかった。最初の年は3週間に渡って現場から周辺部の遺跡から日常生活から家族ぐるみでお世話した。それが高じて、とうとう考古学の道に進んだ学生もい、そのご立派に山形のTGK大学の先生にまでなった人がいるくらいだ。考古学の道に行った頃は私が道を誤らせたのでは・・・、と心配だったが、今や押しも押されぬ研究者である。この時の学生(今や立派な職業人や主婦研究者)とは今も年賀状のやりとりが続く。
3年目の年だったろうか、確か、阪急西向日駅近くの八百屋さんの改築現場を一緒にやった学生さんの一人ともなぜか毎年年賀状をやりとりしていた。彼女は歴史でもなく、心理学の学生さんなんだが、とても熱心で、惜しいな、と思っていたからかも知れない。
その彼女から5月中旬に転居通知が来た。ナナナント、千葉県の某女子大学で4月から教えることになったというのである。とても嬉しかった!考古学とは全く違う分野だが、その後も研究を続け、その道のプロになったというのだから、僕の目に狂いはなかったと言うことだ(もちろんご本人の努力と能力であることは言うまでもない)。
早速大学に電話してみた。しかし、残念ながら留守だった。そこでメールを出してみることにした。しかし待てど暮らせど何の返事もない。
「ウーン、ちょっとメールまで出すのは失礼だったかな?如何にかつて現場で教えたとはいえ、今や違う道の先生、そんな人に・・・」後悔の気持ちが少し頭をもたげつつあった先週末。丁度親友の誕生日に贈ったお花の嬉しい顛末があった直後だった。
メールが来たのである。いいことは続くものだ。
もっとも差出人がローマ字で書いてあったもので、もう少しで迷惑メールで削除するところだった。大慌てで読んだ。あの頃の元気な姿が活き活きと甦る文面だった。とっても嬉しかった。しばらく学生を連れての合宿研修だったらしい。
調子に乗ってすぐに返事をした。すると今度はすぐに返事が来た。
今でも考古学のことが忘れられず、新任校でも考古学の先生と意気投合して、いつか校内の発掘があるときには一緒にやろうと言うことになったらしい。まるであの頃の彼女そのものだった。今でも遺跡や博物館巡りは欠かさないと言うから、少しは僕の現場「教育」?も効果があったのかも知れない。いつか千葉で会おうということにまでなった。
そんなメールが来た翌日、今度はこんなメールが届いた。
OEMです。先日はありがとうございました。
あれから、M先生にもタンロンの昆虫見て頂いたのですが、ミズギワゴミムシ属で大丈夫だそうです。あと、同層から出ていた種子も見て頂いたのですが、カンガレイだそうです。そしてその層と、南側の運河でとった黒色土層の珪藻をざっと見て頂いたところ、いくつか珪藻(乾燥地由来?)やプラント.オパール(イネ、キビのようなものもあるそうです)がみつかり、本格的な分析を行えば同定できそうだよ、ということです。ちなみに、不確定ですが運河の層からは、火山灰のようなものが見えるそうです。色々分析を組み合わせればおもしろそうだね~、とM先生と盛り上がりました。また何か分かれば報告させて頂きます。
1ヶ月間本当に苦労に苦労を重ね、奴隷のようにこき使われ、人権も無視されて自分の研究も十分にできない中で体調を崩しながら睡眠時間を惜しんでやった成果がやっと出てきたのだ。折角実体顕微鏡まで持ち込んだのに、ほとんど覗くことさえできなかったんだが、執念が実った!!
これでヴェトナム側にもこの研究の成果を示すことができるし、展望も開けてきた。
まだ見付かった昆虫は1個体に過ぎない。しかしこの1個体がきっと燎原を炎で埋め尽くすに違いない。そして最も嬉しかったのはそんな彼女が今の道を選んだのは三重大学での4年間があったからだという。
5月の私の心を暗く暗くさせた手紙やメールでは「教育者・研究者失格」とまで言われただけに、その教育を受けた学生がこんな便りをくれることほど嬉しいことはない。
去年の6月は最悪だったが、今年はいい月にしたいと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/54/c02bd843e56e220fc8493b2dc07504e8.jpg)
(左:ミズギワゴミムシ属の遺体 右:カンガレイの種子)
ミズギワゴミムシ君のように小さくても存在感のある虫になれ!と思ったらよろしくね
(今週のバックは東龍山漢墓一帯に咲き誇っていた桃の花。季節外れだけれど、ちょっと明るい気分に変更!)
5月はろくでもない月だった!!
GWがDWだったことは既に書いたとおりだが、その後怒り心頭に発するような手紙やメールが来たり、理屈の通らない会議があったりで、ほとんど毎日胃薬を飲まなければ過ごせないほど人間不信に陥る毎日が続いた。久しぶりに偏頭痛が起こり、このまま何とかなってしまうのかと思ったほどである。
しかし、神様はやはり優しい!!ちゃんと見て下さっている!
教育者失格!!の強烈なメールに対して、全く逆の評価のお便りを次々といただいて、やっと心が平穏になりつつある。
その一つが、もう今から10数年前のことだ。まだ前の職場にいた頃、故佐原真さんとある大学の先生のご紹介で、東京にあるO茶大の考古学研究会の学生を3~4年間お世話したことがある。同大学には考古学の常勤の先生がいらっしゃらなかったので、あくまで考古学は研究会活動でしかなかった。最初の年は3週間に渡って現場から周辺部の遺跡から日常生活から家族ぐるみでお世話した。それが高じて、とうとう考古学の道に進んだ学生もい、そのご立派に山形のTGK大学の先生にまでなった人がいるくらいだ。考古学の道に行った頃は私が道を誤らせたのでは・・・、と心配だったが、今や押しも押されぬ研究者である。この時の学生(今や立派な職業人や主婦研究者)とは今も年賀状のやりとりが続く。
3年目の年だったろうか、確か、阪急西向日駅近くの八百屋さんの改築現場を一緒にやった学生さんの一人ともなぜか毎年年賀状をやりとりしていた。彼女は歴史でもなく、心理学の学生さんなんだが、とても熱心で、惜しいな、と思っていたからかも知れない。
その彼女から5月中旬に転居通知が来た。ナナナント、千葉県の某女子大学で4月から教えることになったというのである。とても嬉しかった!考古学とは全く違う分野だが、その後も研究を続け、その道のプロになったというのだから、僕の目に狂いはなかったと言うことだ(もちろんご本人の努力と能力であることは言うまでもない)。
早速大学に電話してみた。しかし、残念ながら留守だった。そこでメールを出してみることにした。しかし待てど暮らせど何の返事もない。
「ウーン、ちょっとメールまで出すのは失礼だったかな?如何にかつて現場で教えたとはいえ、今や違う道の先生、そんな人に・・・」後悔の気持ちが少し頭をもたげつつあった先週末。丁度親友の誕生日に贈ったお花の嬉しい顛末があった直後だった。
メールが来たのである。いいことは続くものだ。
もっとも差出人がローマ字で書いてあったもので、もう少しで迷惑メールで削除するところだった。大慌てで読んだ。あの頃の元気な姿が活き活きと甦る文面だった。とっても嬉しかった。しばらく学生を連れての合宿研修だったらしい。
調子に乗ってすぐに返事をした。すると今度はすぐに返事が来た。
今でも考古学のことが忘れられず、新任校でも考古学の先生と意気投合して、いつか校内の発掘があるときには一緒にやろうと言うことになったらしい。まるであの頃の彼女そのものだった。今でも遺跡や博物館巡りは欠かさないと言うから、少しは僕の現場「教育」?も効果があったのかも知れない。いつか千葉で会おうということにまでなった。
そんなメールが来た翌日、今度はこんなメールが届いた。
OEMです。先日はありがとうございました。
あれから、M先生にもタンロンの昆虫見て頂いたのですが、ミズギワゴミムシ属で大丈夫だそうです。あと、同層から出ていた種子も見て頂いたのですが、カンガレイだそうです。そしてその層と、南側の運河でとった黒色土層の珪藻をざっと見て頂いたところ、いくつか珪藻(乾燥地由来?)やプラント.オパール(イネ、キビのようなものもあるそうです)がみつかり、本格的な分析を行えば同定できそうだよ、ということです。ちなみに、不確定ですが運河の層からは、火山灰のようなものが見えるそうです。色々分析を組み合わせればおもしろそうだね~、とM先生と盛り上がりました。また何か分かれば報告させて頂きます。
1ヶ月間本当に苦労に苦労を重ね、奴隷のようにこき使われ、人権も無視されて自分の研究も十分にできない中で体調を崩しながら睡眠時間を惜しんでやった成果がやっと出てきたのだ。折角実体顕微鏡まで持ち込んだのに、ほとんど覗くことさえできなかったんだが、執念が実った!!
これでヴェトナム側にもこの研究の成果を示すことができるし、展望も開けてきた。
まだ見付かった昆虫は1個体に過ぎない。しかしこの1個体がきっと燎原を炎で埋め尽くすに違いない。そして最も嬉しかったのはそんな彼女が今の道を選んだのは三重大学での4年間があったからだという。
5月の私の心を暗く暗くさせた手紙やメールでは「教育者・研究者失格」とまで言われただけに、その教育を受けた学生がこんな便りをくれることほど嬉しいことはない。
去年の6月は最悪だったが、今年はいい月にしたいと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/54/c02bd843e56e220fc8493b2dc07504e8.jpg)
(左:ミズギワゴミムシ属の遺体 右:カンガレイの種子)
ミズギワゴミムシ君のように小さくても存在感のある虫になれ!と思ったらよろしくね
(今週のバックは東龍山漢墓一帯に咲き誇っていた桃の花。季節外れだけれど、ちょっと明るい気分に変更!)