こんなニュースが飛び込んできた。
「日本の半分の県から国立大学が姿を消しかねない――。国立大への国の運営費交付金の配分方法について、経済財政諮問会議の民間議員が「競争原理の導入」を提言したのに対し、文部科学省がこんな試算をまとめた。国立大の危機感を背景に一定の前提を置いて計算したもので、諮問会議側を牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。発端は、日本経団連の御手洗冨士夫会長ら民間議員4人が2月末の諮問会議に出した提言。運営費交付金が、学生数や設備などに連動して配分されている現状に疑問を投げかけ、配分ルールについて「大学の努力と成果に応じたものに」などとの改革案を示した。
3月上旬に都内であった国立大学協会の総会では、学長らから悲鳴に近い訴えが相次いだ。「日本の大学教育がほろびかねない」「地方の大学は抹殺される」
このため文科省は、競争原理を導入した際の各大学の交付金の増減を試算した。研究の内容や成果に従って配分されている科学研究費補助金(科研費)の05年度獲得実績に基づいて計算すると、全87校のうち70校で交付金が減り、うち47校は半分以下となって「経営が成り立たなくなる」(文科省)との結果が出た。国立大がなくなるとされたのは秋田や三重、島根、佐賀など24県。私立大も少ない地方が多く、地元大学への道が狭まりかねないとする。
文科省は最近、国立大に対する補助金に「競争的資金」を増やしてきた。科研費のほか、世界的な研究拠点を目指す大学に対する「21世紀COE」などがある。その文科省も運営費交付金については「人件費や光熱費などをまかなう、人間で言えば三度の食事のようなもの」として、大幅な見直しには否定的だ。
諮問会議の民間議員は改革案を6月ごろに閣議決定される「骨太の方針」に盛り込みたい考えだ。今後、国立大側が反発を強めるのは必至で、議論は紛糾しそうだ。asahi.com 2007年03月18日19時06分」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/2b/08f1c2359f80887c7558566edd149579.jpg)
(なぜ真冬の寒い中分布調査に協力するのか?もちろん自らの学問研究の基礎資料を得る方法として大切だからである。しかし、今なぜいなべ市なのか?それは三重県にある大学として協力しなければならない責務があると考えるからなのです。)
経済財政諮問会議の民間委員である御手洗冨士夫キヤノン会長は国立大学へのより強固な競争的原理の導入を主張したというのである。もし提案通り財源配分を実施すれば、全国の国立大学の半分は消えるという。特に私立大学の少ない三重、島根、秋田、佐賀などの大学はその洗礼を最も受けやすい大学だというのである。
学問が経済論理によって左右される悲しい事態である。とりわけ人文学において何を「競争」するのか?という疑問は常にある。
だから三重大学の構成員、とりわけ我が人文学部文化学科の多くが、こんなものは「狼が来た!」という脅迫に過ぎないと考えているらしい。もちろんそうあって欲しい。しかし国立大学が簡単に独立法人化したように、この流れを本当に「狼」の一言で片付けることができるのだろうか?
試算の根拠になっているのが、科学研究費の取得率だという。研究にお金がいるのだというなら、自ら計画を立てて申請しろ!というのである。もちろんいくつかの分野においては「科研費」を申請しにくいものもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/55/dd1c7310d75fe4470d4c60472fe2e2bd.jpg)
(科研費も毎年取って、地域にも出かけて、こんな活動をしている研究者もいるのだということを財界人も理解すべきだろう。人間、経済だけでは生きていけませんよ!!ね、御手洗さん。伊賀・名張宇流富志彌神社にて、壬申の乱ウオーク2月12日)
「科研費で試算するのがおかしい!」という主張の根拠である。
これも一理あるのかもしれない。しかし、そうとばかり言えない側面も多々あるのではないだろうか。
「面倒だ!」
「今のままでいい」
こんな声が何処かから聞こえてくるのである。
つまりあらゆることが「今のままでいい」という考え方である。
それはそうだろう、今のままということはこれまでの「平穏な」大学ということなのだから、誰も自ら火中の栗など拾いたくはない。
だから、今回の事態も「狼が来た!」と誰かが脅しているに過ぎないんだ、と考える人が多いらしい。
でもそうなんだろうか?私も「狼」なんか来て欲しくない!しかし、来ない保証はどこにもないのである。だから、「備え」くらいは必要ではないだろうか。そう考えるからこそ、面倒な科研費の書類やら、いろんな競争的資金の申請書を作るのである。ここのところほとんど大学に籠城状態の理由は実はここにある。春休み中で多くの教官があちこちに研究に出かけたり、書斎に籠もって研究している真っ最中に、私は事務書類と頸ッぴきで、どうしたらこのお金を獲得できるのかと文章と奮闘中なのである。虚しいことは虚しいが、自分たちの存立基盤が脅かされている以上その「備え」のために誰かが行わなければならないからだ。いやおそらく全員がやらなければならないはずなのだが、「誰かがやってくれるだろう」と高をくくっている。
それでもやったことを感謝でもされるならまだ救われるのだが、大学教官というのは実に傲慢で(そうでない人も沢山いるんですがね)、「誰某は嫌いだからそんな奴のやったことに誰が感謝なんぞするものか、きっとええカッコするために違いない」などと考えて、足を引っ張る。
悲しい世界である。だから私はこの世界に未練は無いのだが、学生がかわいそうだし、真面目な若い研究者も少しはいるわけで、彼らが気の毒だと思うから、老体に鞭打って書類と奮闘しているのである。
明日もまた、そんな人達の「狼なんか来る訳が無い!」論理一色で埋まる会議に出席しなければならない。今最も備えが無くて危険なのは私の属する人文学部文化学科なのに!
虚しい!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/ee/18b21c2defde79c00478335e5dcc6648.jpg)
(不破関へ抜ける旧道沿いにひっそりたたずむ村社。私はこの「旧道」を歴史ウオークの場として都市計画課と一緒になって整備すべきだと主張している。この先には岐阜県大垣市となった旧上石津町がある。もちろん、大垣市と調整してさらにその先を不破関へ繋ぐべきだ、さらにさらにその先は福井県の愛発関だ。そしていうまでもなく逆をたどれば鈴鹿の関、平城京と繋がっていく。人が車で通っていくのではなく、地に足をつけて歩いていくことこそ、地域の活力源となるはずだ。)
せめて、私の学問の場が消えないように、地域に出かけていって、地域の人々の財産を護るため、発掘調査や分布調査をこなす。また、時には地域にとってかけがえのない遺跡の保護のために苦言も呈さなければならない。研究室に閉じこもっているだけでは誰も護ってくれない。自ら外に出て行って、切り開いていこうと思っての行動である。昨日も夕方から分布調査の成果を評価するため津市の埋蔵文化財センターまで出かけた。疲れたが、これも大学に求められている責務だと思うと足を止めるわけにはいかない。
山田博士はそんな大変な大学教官をまとめて
「花園大学改革」を置きみやげにした。素晴らしいことだ。あれだけ精力的に全国を飛び回りながら、これだけの任務をこなしてもらった大学は大いに感謝すべきだろう。後は託された次の研究者達がいかに内実を作っていくかだろう。
私の作成する書類も間もなく完成する。これが数年後の置きみやげになればいいのだが・・・。少なくとも考古学の火を消さないために、まだまだやらなければならないことがたくさんある。なかなか原稿が進まない理由でもある。
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