yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

【独り言 6】最悪!の事態の条

2006-01-28 03:06:42 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
女性記者と長く話したせい?か、はたまた風呂なんぞに入ったせいか、とうとうインフルエンザになり、七転八倒最悪!何とかできたと思ったレジュメもデーターが重すぎて送れず、ちょっと寝てから再挑戦と思いきや、以前から風前の灯火のこのパソコンがいよいよご臨終の時期に来ているらしく、立ち上がらない!この間の余りに多くの経験からなんとか復活したのが一時間後の今。アーア。

でも本当に危ない!だからデーターはほとんど移してあるのだが、メールリストはまだこの中。大急ぎで移動させて、レジュメは明日CDでおくることに。

本当に済みません、Mさん。

なお、初めてインフルエンザなるものにかかったが、これはひどい。やはりタミフルヲ買っておくべきだったかも・・・・。

初めて体温が38度5分まで上がり、腰やら膝やら、足の指の関節まで痛い。鼻はかんでもかんでも同じ、垂れ流し状態。喘息の発作も手伝って、咳は止まらず。頭は痛いし。これが人間かと思う惨状。早く山田博士にうつして治ろう!!

こんなので明日分布調査に行けるかしら???

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【拝啓 2】ごめんなさい!そして仰天!の条

2006-01-27 01:42:48 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都

 やっぱり原始人はお風呂にはいるべきではありませんでした。
 今、娘が津に来ているので、官舎に帰ってもお風呂を沸かしてくれるもので、珍しく冬なのにたった三日で風呂に入ってしまいました。

 それがいけなかった!朝から鼻水ずるずる、咳がゴホンゴホン、やばー・・・・
それでも午前中の授業は何とかレジュメも無事作って、鼻声ながら、大してしんどくもなく完了!!

 午後からボロ車(ホント!!だって、信じられない話なんですが、窓際の塗装がぼろぼろはげてくるんです。走行距離も間もなく10万㎞、もちろん4年前に中古車で買ったんです)の車検がいよいよ明後日、なので、いろいろ悩んだが、資金不足もあって、買い換えは諦め、このまま乗ることに。その車引き取りがあって、車検には納税証明がいるとか、そんなのも知らず、件の税務課巡り。

 帰って、大切なお客様との打ち合わせ。その後もう一つの打ち合わせ。その頃から少しおかしいな??帰ってきて少し休憩すれば何とか復活!という淡い期待も裏切られ、とうとう熱が出てきた。やばい!やばい!

 ごめんなさい!Mさん!!必ず後二三時間後には復活し、原稿を送りますので、今しばらく、お待ち下さい。アー情けない。とうとう丸一日遅れそう。

 そんなこんなでブログなんてとんでもないのに、開けてびっくり玉手箱!!

 エエッツ!嘘ー!!

 ほ た て せ ん せ い ?!!!!!!!!!!!

 目を疑うことしばし。おそるおそるコメントを開けると紛れもなく!ご本人。ひょんなことでお知り合いにならせていただいて(もちろん御名前は存じてますし、御高論は何本も読んでますよ!!)、存じ上げてはいるんですが、まさか・・・(青ざめー)。

 この頃、賛同人のくせに醍醐先生にご返事もせず会の進行をただ眺めているだけの不良賛同人。だというのに・・・、あほなことをしてるのがばれちゃった!

 どうかお許しを!醍醐先生と廊下ですれ違っても、まかり間違っても、絶対に私のことを話題になさらないように!お願いします。
(これまたほとんどの人には分からない隠語でした。)

 そして高尾さんが四日市の宿の高尾さん!なにこれ!?世間は狭い!!赤い糸でつながりあっている!(げー、きもちわるー。サイゴンでお釜に誘われたとはいえ、私にはそんな気はありませんからね。)
 実は四日市市史担当の行政の窓口だった森さんが久留倍遺跡を考える会の世話役の一人なんです。間もなくお会いしますので、公害資料一式、聞いてみます。

 やはりやばいので、少し寝ます!また後で。

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【独り言 5】 久しぶりの放談?の条

2006-01-26 01:50:43 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都

 本当はこんなことしてちゃいけないんです。ごめんなさいM町教育委員会のMRさん。でも少し先が見えてきたのでちょっと休憩させて下さい。朝には送りますので・・・。レ ジ ュ メ !(アーこの間いくつのレジュメを作ったことか・・・)

 別に大した内容じゃないんです。
 実は今日珍しくNHKの地元の記者が来たのです。新聞記者の方は時々来られるし、こちらから電話することもしばしばあるのですが。何故か放送局の記者はあまり長い時間話すことを嫌う傾向があって(当然かもっしれませんよね、彼等のニュース原稿なんて話し言葉ですからどうしても短い原稿でいいんですもの)、そのせいかほとんど親しい人がいないんです。もちろんコロコロ異動するし、文化財関係だけを追う人はほとんどいませんから。

 ところが数日前、突然電話がかかってきて、
「NHKのYDと申しますが、ちょっと斎宮のことなどお話を伺いたいのですが・・・。」という、電話の響きが悪かったのか最初、男性の記者の方かと思っていたらびっくり!若い女性の記者だった。こちらが時間を少し変更してもらったせいもあって、予定より少し遅れて「放談」は始まった。良く聞くと津にいる記者ではなくて伊勢支局?に配属なのだという。さらに驚いたことに(でもないか、こんな取材を申し込むなんて確かに変だものね)、彼女は東京の有名KO大学の文学部で日本史を勉強したという。そう聞けばこちらも俄然ファイトが湧いてくる。

 どうしてかって?そりゃ話を理解してくれる人が目の前にいてくれれば元気が出るでしょう!この間たくさんの新聞記者の方と親しくなったが、その大半はこちらが一生懸命お話しすることを真剣に聞いてくれた人なんです。
 半年ほど前にも作家の永井路子さんから手紙が来て、「山中さんを知ってる朝日の記者から取材を受けたわよ」という。誰だろうと送られてきた新聞記事に目をやると確かに極めて印象深い女性記者の名前があった。

 何故印象深いかって?あんまり暴露すると彼女の名誉にかかわるかも知れないから想像に任せますが、とにかく豪傑なんです!別にそんなのジェンダーからすれば、どうってことないことなんだから、ことさら言うことでもないんだけれど、とにかくハイパワーの人だった。それも僕の前にいたのはほんの数ヶ月のことで、直ぐどこかへ転勤していったから、向こうが憶えているなんて思いもしなかったのです。でも永井さんの口から長岡京の話が出ると直ぐに思い出して懐かしそうに話したというのです。

 正直、嬉しかったです。熱心さだけは当時から人に負けないと思っていたから、それがちゃんと彼女のような豪快な人にも伝わっていたことを知って。

 今日の方はその上、歴史の専門教育を受けてきたんです。そりゃーファイトが湧かないはずがないではないですか!延々3時間半、誰もいない研究室の一角で、コーヒーを最初一杯出しただけで、お代わりを作ることもなく、喋りまくりました。口角泡を飛ばす、状態でした。全く時間の過ぎることを知りませんでした。聞くところによると伊勢市に職場があるとか・・・。恐らく帰社したら8時でしょうね。申し訳ない。

 内容は昨夏の斎宮の発掘調査の件、今後の期待度、四日市の久留倍遺跡のこと、鈴鹿の関のこと等々、伊勢国の文化財全てを喋りまくりました。どれもこれもすごく喜んで帰ってくれました(と自己満足?してます)。この取材をどう活かすのかは彼女の意志、意欲次第でしょうが、新しい記者の友人ができたような予感がしています。以前から温めているアイデアがあるので少し相談してみようかな?等とさっきから思い始めました(初対面の人にいきなりこんなこと考えてるんですけど・・・なんてさすがの僕も言えませんしね)。

 まだそのアイデアは ひ み つ なのですが、もし放送されることがあったら紹介しますね。

 とにかくそんなこんなで、院生がサボったお陰で、午前中からの授業の疲れもすっ飛ばし、できた貴重な時間を最大限に使わせていただきました。久しぶりに官舎で風呂にも入り(研究室に戻るとまだ学生が二人いて、「あら、先生綺麗じゃん!髪がフカフカしてる!??」なんて褒められ??ました。)、気分一新、レジュメに取りかかり、さ、これから最後の追い込みです。よく考えたら明日の授業のレジュメもまだだった。えらいこっちゃ!

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【拝啓】 山田博士の奥様 リスニングとドッグフードの条

2006-01-22 02:47:48 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都

 新年早々ご自宅を襲い、桐箱入りに超高級日本酒をいただき、おせちを平らげた上に、愛犬のドックフード対策までご教示いただいた山中章でございます。

 実はあの後直ぐに夜中に実践したのですが、余りに寒かったので、直ぐに効果があったかどうか確かめないままに10日間の研究室籠城生活に入り、すっかり犬の餌とは縁のない生活をしておりました。それが一昨日やっと京都に帰り、お風呂に入り、美味しい魚を食べたことについてはご報告した通りであります。

 その際、ふと、元旦の会話を思い出し、
 「そういえば博士の奥さんがこんなことをおっしゃていたよ。やってみたら!」
 「博士んちのマックもドッグフードが嫌いらしい。でも電子レンジでチンすると 食べるらしいよ!」
 「なるほど、そうすれば臭いがするもんね、やってみよう」

 ということで実践しました。
初日は熱くし過ぎたせいか、直ぐには食べませんでした。ところが5分もせぬうちに全部平らげたのです。
一日ではたまたま腹が減っていたからかも知れない(内の犬は少々腹が減ってもドッグフードは食べないのです。最低二日、長ければ三日は断食します。)、と奥様のご教示をこともあろうに疑ったのでした。

 翌日同じようにチンしました。
 「食べた!!」
 家中大騒ぎでした。

 有り難うございました。

 そして我が家の犬にも謝らねば・・・・。
人間は目で見ればそれがどんな食べ物か分かるし、字で書いてもあるのだけれど、犬は確かに臭いで判断するのかも知れませんね。

 いつも餌を食べない犬に向かって、この犬変わってるな-今日で何日目や・・・。とか言いながらほっておいたのです。実に人間勝手な発想でした。反省!!

というわけで本当に有り難うございました。博士には何も言うことはないのだけれど、奥様にはホントにホントに厚く御礼申し上げます。

アーそうそう思い出した!
リスニング!うまくいった?文句言った受験生おらなんだ?
僕なんか真面目にお勉強したお陰で、今日のリスニングの試験は替わってもらったものね。

日頃フレンチも食べず、研究室に籠もり、チンする毎日が見事にお礼してくれました。
センター試験の初日は楽しく考古学研究会関西例会で報告させてもらい、その後思いっきり呑みました。美味しかった!
これで、花園で大事件が起こって、リスニング試験に失敗し、残された生徒が博士の部屋に乱入するなんて事件があったら良かったのに、どうもインターネットにのニュースでは何もなかったみたい!
わたしはなにもない明日だもんね。
取り急ぎ御礼まで

やっぱり博士と違って奥様の知識はためになるわ!!!

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【主張】 日本橋は移せばいいの?の条

2006-01-21 00:17:24 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 先ほどのasahicomにこんなニュースが載っていた。


 東京名物「日本橋」を覆い隠している首都高速道路について、東京都の石原慎太郎知事は20日の記者会見で、「つまらん金かけるより、日本橋をどこか近くの川に移したらいい」と語り、首都高移設を唱えた小泉首相の提案をひっくり返すアイデアを披露した。
 現在の日本橋の景観については「ナンセンスで非常に野蛮な街の造形」としながら、「首都高を造り直すとか、ビルの中を通すとかは大変。あの場所になくても、あの橋そのものがあればいい」と断言。東海道などの起点として栄えた橋の移転を大胆に主張し、「こういう発想をするのが小説家なんだよ」と小泉首相との違いを強調した。
 日本橋を覆う高速道路の高架は、64年の東京五輪開催を控えて整備されたもので、小泉首相は昨年末、景観を損ねているとして「日本橋の上を思い切って空に向かって広げてみよう」と主張。発言を受けた国土交通省は、都が五輪招致を目指す2016年をめどに、首都高移設の検討を進めている。


 古墳の保存問題などが起こると良く出てくるのがこの「移設」案。歴史や文化の理解できない奴に限ってこんな案を出す!

 私は石原の発言に怒っているのではない。所詮あんなのが東京都知事にいるのが日本の現実なんだから。今更あんな人間に文句を言ったところで通じるわけでもなし、怒るだけ損だから!(もちろん私が東京都民ならどうしてこんな奴を知事に選ぶのかと訴えるのだけれど)。

 文句を言いたいのはこの記事を書いた記者の感性である。

 「首都高移設を唱えた小泉首相の提案をひっくり返すアイデアを披露した。」

 これが立派な「アイデア」だという。今の4大紙の新聞記者が権力に媚びを売る御用記者であることは今更言うまでもない。特に東京都の番記者は質が悪いと聞いていたが、ここまで地に堕ちていたとは思わなかった。本当にどうしようもない記者ばかりなのだなーと実感させられた。

 これが「アイデア」で、「小説家ならでは」だというのなら、最早彼は文筆業を辞めるべきであろう(もっとも私は石原慎太郎の小説なんてくそ食らえだけれど)。まだ小泉の方がましだ(もちろん目くそ鼻くその類だが・・・)。
文化は本物があってこそ人々の心を奪うのである。日本橋は今の日本橋にあってこそ(日本橋が移動したことがあるのかないのか正確な研究史は知らない。是非とも「江戸時代研究の休み時間」の高尾善希さんにご登場いただいてご教示願いたいのだが・・・)、日本橋なのではなかろうか。

 高松塚古墳の解体やら、キトラ古墳の剥ぎ取りやら、文化財の保存に関しては問題の多い今日この頃であるが、これほど安易に移転を唱え、それをマスコミが支えるとは、本当に情けない!!

 一昨年の暮れに韓国ソウルを訪れた時に一番驚いたのは「遺跡整備のために首都高速道路を移転したことだ」ということは以前に書いたことがある。宮城の堀を利用して建てられていた高速道路の橋脚を(つまり高速道路そのものを)移設し、美しい堀を再現する!と公約して立候補したソウル市長が当選し、実際に移設にかかっているのである。そのため、現在のソウル市内は交通大渋滞!でも市民はソウル市長を支持し続けている。

 まさに石原と正反対。でも東京都知事選でソウル市長みたいなことを言ったらきっと落選するでしょうね。今の日本のマスコミはもちろんのこと、首都民の文化程度の低さからみれば・・・。

 実はおとついの昼に四日市の久留倍遺跡の保存整備検討委員会が開かれた。出てくる話は「史跡」を勝ち取った成果ばかり。両山中(私と奈文研の)以外、遺跡のど真ん中を高架道が走ることに異を唱えない。もう諦めているのだ。
 その上で、久留倍遺跡と高架をどのようにマッチさせて市民に親しまれる遺跡公園として守り、活用していくかを考えろと言う。

 そんなことできるわけがない。しばらくは物珍しさも手伝って、来る人もいるだろうが、そのうち、暴走族のたまり場、不良の夜遊びの格好の場と化すに決まっている。本当にこの遺跡を市民のものとするつもりなら、もっともっと周辺の環境、歴史的・自然的・文化的環境を総合的に考慮した復原整備案としなければならない、と主張した。

 県の偉いさんもいらっしゃっていたので、県として、四日市に任せるのではなく桑名頓宮の有力候補地・縄生廃寺から四日市の久留倍遺跡、鈴鹿の国府・国分寺、関の鈴鹿関、伊賀国府・国分寺・石山古墳・城越遺跡・美旗古墳群等々・・・と歴史街道全体をどのように整備活用するのかを考えるべきではないのかと申し上げた。今や歴史遺産の保存は遺跡そのものをポツンと孤立的に残すのではなく、周辺の環境を含めて総合的な対策を立て、市民生活を人間らしくするために活用する時代になっていると思うからだ。

 日本橋が高速道路の下にあるのなら(行ったことがないので現状は知らないが:今度東京に行ったら訪ねてみよう!)、東海道を行き交った旅人の気持ちを思い起こせる保存、整備を心がけるべきだし、少なくとも新聞記者は、これを否定する発言をした知事をたしなめ、対案を書くくらいの度量があってしかるべきなのではないだろうか。

 まだ明日の口頭用原稿が途中なんだけれどつい覗いてしまったasahicomの体たらくに怒り、またまた貴重な時間を割いてしまった。アー明日大丈夫かしら?

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【独り言 4】 たらふく魚と貝を食べる!の条

2006-01-20 01:15:58 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都


(宮内庁が管理する現在の桓武天皇柏原陵。桓武教創設の折りにはこれをどうしようか思案中!?) 

10日ぶりに京都の家へ帰ってきた。明後日の考古学研究会関西例会で報告するためだ。明日でも良かったのだが、研究室に籠城して電子レンジでチンする生活がほとほとイヤになって、片づけも適当に夕方の五時に車で出て7時半に家に着いた。

 着いて直ぐ、生きのいい魚の刺身とアサリのすまし汁を食った!

 久しぶりにお代わりまでして、大好物のアサリの汁は2杯も飲んだ。
美味かった!

 そこで大発見!!本当に久しぶりに魚やすまし汁を食べたので、汁を飲むと鰹の香りを感じるのである。信じれなかった!!これほど日本に生まれて良かったと思ったことはなかった(ちょっとオーバーかな)。

 その後足を伸ばしてゆったりとお風呂へ!

 そうなんですよ、言うときますが私は風呂が嫌いなのではなくて、風呂に入る時間がもったいないから我慢!しているだけなんですよ(O先生聞いてくれてますよね)。そこに温泉があればうまい酒と肴をつまみ、湯に入り闇の向こうでひときわ大きく光る月を眺めながら瞑想にふける!!私のイメージにぴったりじゃないですか。

 食事の際には余りに魚が美味くて、ビールも呑まなかった。これがまた大正解。飯のうまかったこと!
 でもさすがに風呂上がりに一杯!これがまた応えた。昨夜の睡眠不足もあって、ついパソコンの前でうたた寝・・・。少し寒くなって目が覚めたところ。

 大急ぎで報告時に補助として使うパワーポイントを作り始めたのだが、資料不足に悩みあれこれ考えている内にまたうたた寝・・・。目が覚めて、さらにここでチョンボに気付く。1冊本を持って帰るのを忘れたらしい。家でスキャナーで読み取ろうと思っていたのだが・・・。残念。というわけで浮気をしてブログに取りかかった次第。

 そうこうする内にKF大学のH先生からメールが届き、報告者全員のレジュメが添付されている。実に手際がいい。さすが!

 明後日(もう明日)の主旨は古代宮都の周辺地域がいかに変化していくのかを検討するもの。これまでにも山田博士はもちろんのこと、K埋文研のUさんや、AO大学のKさんが度々論じられているテーマなので、あまり代わり映えがしないのだが、これまで深く考えたことのなかった山崎の変遷に着目してみることにする。山崎が「周辺都市」の萌芽であるという主張である。

 最近山田博士の顔を思い浮かべながら考えている「深草論」もちょっと披瀝してみようかな、と思っている。とは言っても、博士の手の中で踊るだけで、陵寺を核にした「深草宗教都市」の妄想である。嵯峨、宇治、醍醐などの原形をこの辺りに求められないだろうかという思いである。稲荷社が勢力を伸ばす背景に嘉祥寺、貞観寺、極楽寺と展開する深草郷への北家の基盤形成があるのではないかという思いつきもある。

 別に私は深草生まれでも、藤原北家教(ホッケキョウ)?信者でも何でもないのだが、毎日(でもないが)犬の散歩に行かされて、何となく西山や北山を眺めていると桓武の思いが伝わってくるのである。

「俺はここに眠ってるんだゾーッ。みんながここに墓を作ったのは俺の亡霊が呼び寄せたんだゾッ」て。

(石清水のロープウエーからみた長岡京域)

 私がこの地に引っ越してきたのもきっと桓武の亡霊が呼び寄せたのに違いない・・・、なんてことを考えている(山田博士の大根教=大根を食べてはならないという教義を守る信仰らしい-に対抗して「桓武教」でもたちあげようかしら。)。

 やっぱり京都は歴史的で、文化的でいいな!早く定年になって、深草山の一角に庵でも建てて、長岡京を眺めながら文学に耽る・・・、後五年!待ち遠しいな。

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【独り言 3】 風呂に入った!!

2006-01-19 00:59:38 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都

久しぶりに風呂に入った!

こんな出だしで独り言を書き終わったとたん、何故か原稿が消えてしまった。一昨日の深夜のことである。未だに何が原因なのかよくわからない。このため暫く書く時間も気力もなく再び次の仕事に追われていた。第二の難関を今日ようやくクリアーし少し時間ができたので、「風呂ネタ」を思い出しながら書き始めたところ。

原稿が消えたのは、風呂を馬鹿にしたからに違いない。

どうして風呂にはいるのがそんなに珍しいかって?実は官舎に帰ったのが何週間ぶりだったのだ。

去年の夏頃、四国のTB大学のO先生と風呂の話で盛り上がった。
YA「風呂なんて3日くらい入らなくても平気ですよね?」
OT「当然ですよ」
YA「でしょう!僕なんて冬だったら1週間くらい平気ですよ」
OT「エッ、??まさか、今の話じゃないでしょう???」
YA「今ですよ!」
OT「・・・・・・・・・・」

それ以来彼は僕の顔を汚そうにのぞき込む。会うたびに
「何日入ってません?」だ。
「風呂にはいらなくったて死にゃーせんじゃん!」ぼくの口癖である。

そのさすがの僕もちょっと気持ち悪くなって、年末来の大懸案の仕事が片づいたのを期に風呂に入りに帰ったのである。ついでにたまった洗濯物も!

余りに久しぶり過ぎて、官舎の風呂の沸かし方を忘れてしまい(だって、京都の家では沸かすのではなく、スイッチを入れておけば湯がたまるんだもの・・・、世の中ホント楽になりすぎ!)、何度も種火を付けては消し消しては付けを繰り返し、ひょっとして、ガス代の未払いで止められてるのかしら(前科あり!)とまで思い、あれこれ試行錯誤を繰り返し、結局単に手順を間違えていただけだと気付くのに10分はかかった。

悪い時には悪いことが重なるもので、溜まった洗濯物を入れた洗濯機がおかしい。音がしないのである?
「エッ、壊れた?」
いえいえ、全自動の洗濯機の水道の栓を開放するのを忘れていただけなのです。これまた長く官舎に帰らなかったから。

そんなこんなして夜中に(ゴメンね、下の住人の方、また夜中に洗濯してしまいました。五月蠅かったでしょうね)ゴソゴソしてまた研究室に戻りちょっと気晴らしに、と思って、書いたのが消えたブログ。なかなかうまく書けたので、アップ!次の仕事に!と思った瞬間の出来事であった。

その後再びソファーに座り、次のレジュメ作成に二日間かかった。やっとさっき京都のKF大学のK先生のところにメールで原稿を送ったところ。本当に済みませんでした、こんなに遅くなってしまって(お詫び)。

その後、大学院の授業。夜の20時過ぎまで。今日は社会人入学の某市教委の院生の発表。中世城館の比較検討ということで、市内の有名城館を分析。それなりに面白かった。やはり丁寧に一つ一つを比較していくといろいろ面白いことがわかるものだ。

さてやっと飯!と思いきや、学生が血相を変えてやってきた。来週末に予定している関町での分布調査に私は絶対に行かないから!というのだ。
「なんでや?」
「その日朝からお父さんに車の運転を教えてもらうから」だという。免許を取ってから車に乗ったことがなく、4月に就職すると自分で運転しなければならないからだという。3月から研修があるから今やらないといけないし、お父さんも土日でないと教えてくれないから・・・。

近年の「民営化」路線はあらゆる場面で効率を求める。学生の就労についても最近は3月に「研修」と称して本来企業が正規の時間帯(つまり4月以降に)職務として仕事内容の研修をすべきなのに、学生の弱みにつけ込んで、「研修」という名の安価労働をさせるのだ。
「どうして?まだ学生じゃないの!!あんた等まだ卒業もしてない学生をこき使う権利がどこにあるの?」
3月25日(卒業式)まで学生の教育は私達の責任なんですよ。それを勝手に取らないでよ!明らかな教育に対する妨害である。

とにかく何でも効率、何でも金、何でも効果!こんなもので人間が人間らしく生きれるはずがない!「錬金術」で大もうけした奴が今地に堕ちているじゃない。金があればいいといってた奴を称えたのは誰?いいかげんにしてほしい!

先の学生に言ってやった。
「君に事情があるのは分かるが、一方的にまくし立てたその拒否の理由が、社会で本当に通用すると思う?」
僕なんか練習のために造成途中の団地の中を夜中に何回も走りましたよ。バックしたり、縦列駐車したり、世の中にたようなことを思いつく人はいるもんで、同じ人によく会いましたよ。

なんだか寂しいですよね。こういう子供達が社会に出て行くなんて。どこが間違っているんですかね。私は半分以上親の責任だと思いますよ。何で成人した子供に大学の教官が社会教育の基礎を教えなければならんのかね?

そんなこんなでとうとう飯にあぶれてカップラーメン!
ところがまたここでも一難。ポットが空っぽ!アー情けない!今日、三隣亡?
ホント、今の学生さんは自己中心的!後の人のことなんかどうでも好いらしい。

虚しい食事をイライラしながら食べて身体にいいはずがないがこれも宿命かも・・・。アーまた今日も学問的な話が書けなかった。
これから土曜日の発表の原稿づくり(レジュメはできたが話の仕方がまだも一つうまくいってないから口述用の原稿を作らないといけない)と明日の授業の準備。もちろん今日も風呂には入らない。入れない。

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【独り言 其の2】 これで人間ですかね

2006-01-16 01:26:27 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
昨日(14日(土))三重県津市周辺は大雨と大風でした。そんなことも知らず(ブラインドの降りた研究室に座っていると外の空気も伝わらないのです)夕食を食べようと1階までエレベーターを降りた。何故かアスファルトが濡れている。手をかざすと冷たいものが触れる。
「雨か?!」
再びエレベーターに乗り5階まで上がる。いつものところに傘は置いてあった。でも、再びエレベーターに乗る気力がなかった。

「もういいや!」

冷蔵庫に冷凍してあるおにぎりを二個、解凍し、買い置きのカレーをかけてチンした。

もうこんな日が何日続いていることだろうか?

友人の掲示板を読むと娘が読んでいた「東京タワー」なるベストセラーが話題になっていた、何とかという多種多芸なカタカナ名前の作家らしい。もちろんそんなものが世の中で話題になっていることすら知らない。最近は生協の書籍部にも行かない。

買う本といえばインターネットの古本市場の論文集ばかり。別に勉強しているわけでもないが、必要に迫られて買うだけ。一部を拾い読みして終わり。

さっきも小川洋子の「・・・の数式」という映画化された小説?が話題になっていた。そういえばいつから映画も見ていないことだろう?「ラストサムライ」が最後かな。
恐らく最後に読んだ小説は「蛇にピアス」ではなかったろうか。

アー、これで人間だろうか。

いつも何してるのかって、?もちろん し ご と !

授業の準備や卒論指導、レポートのチェックや会議の資料。
そしてどこかから舞い込んできた「期日限定!厳守!!の依頼仕事」。

来週末には考古学研究会関西例会での報告があるというのに其のレジュメすらできていない。こちらも読まなきゃいけない論文がいっぱいあるのにまだ手もついていない。さらに同じ日が締め切りのシンポジウムの原稿がまだ手つかずだ。

もちろん毎日毎日あっちこっちの本屋さんから原稿の催促が来る。
とっくの昔に書かなかった私が悪いのだから愚痴は言うまい。結局のところいつになったら小説を暖かい日差しの注ぎ込む窓辺でロッキングチェアーに揺られながら読む日が来るのだろうか。

その日のためにたくさんの本は買ってあるのだけれど・・・。棺桶に入りきらない本が・・・。

人間らしく生きたい!でもやっぱり今夜もおにぎりをチンして遅い遅い夕食が今終わったところ。今日のおかず?は永谷園のお茶づけ海苔。笑ってしまう・・・・

世界考古学大会?が盛況の内に終わったとか。そんなものがあることすら知らなかった。金関大先生が大成功に大満足であったとか。

でも、今の日本考古学の課題は一体何なんですかね。世界中の人々と共同研究すべきテーマとは何ですかね。わからない!

近現代史の戦争、中世史の異界・周縁、資料学のアーカイブズ、ジェンダーやディスアスポラ・・・・、歴史学の各分野で様々な共通課題があるというのに、日本の考古学は何を求めているんですかね。

わからん。

【独り言】博物館の再生~博物館の博物館でいいのか~

2006-01-14 01:14:19 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 昨年4月から国立歴史民俗博物館の展示プロジェクト「桓武の野望と挫折」(仮題)の委員を務めている。関東で初めて本格的な古代の都に関する展示会である。2007年秋開催予定で、現在各分野から集まった委員の間で展示企画を立てている。先日も委員が持ち寄った企画案を検討したばかりである。
 実は通称「歴博」も参観者の減少に頭を悩ませている。展示会は多種多様なものを数多く開催するのだが、一向に人は足を運ばないのである。思い切った改革をしなければいずれ国民から忘れ去られてしまう。そこで、普通は「桓武(天皇)」などという個人をテーマにすることはないのだが、タイトルにまで個人名を入れて展示してもいいのではないかという意見でまとまりつつある。
 桓武こそが奈良時代から平安時代という時代の転換点を創り出したのだという主張である。

 先の日韓ワールドカップ開催時に現天皇は「祖先である桓武天皇は朝鮮人の血をひき、両国は強いつながりをもっている親しい関係にある民族同士だ」という歴史を認識の上で共催の意義を語ったと伝えられる。四大紙各紙は社会面辺りに小さく記事を載せただけで詳細は不明だが、私には強烈な印象を与えた。以来、講演会などでは必ずこの発言を紹介し、偏った民族主義を諫めることにしている。

 桓武こそ、現天皇にまで強い印象を残し、その明確な祖先として認識されている天皇なのである。桓武さんのお力で、果たして観客動員数の減少に歯止めがかかるか、私達に科せられた課題は極めて重い。

 ところで三重県内にはユニークな博物館、資料館が多数存在する。しかしいずれも「歴博」と同じ悩みを抱えている。特に県立博物館(津市)と斎宮歴史博物館(明和町)の抱える問題は深刻だ。
 先日久しぶりに学生を連れて県立博物館に行った。相変わらず参観者は少くなく、やはり先生に連れてこられたらしい数人の子供達が見学していただけだった。受付の職員に尋ねると、平日はいつもこんなもんだという。すっかり諦め気味である。

 驚いたのは展示内容が以前と少し変わり、自然系中心になっていたことである。入り口ロビーに伊勢型紙のコーナーはあったが、後の2室はいずれも自然関係であった。
 鳥羽で恐竜の化石が見つかり、「鳥羽竜」と命名され一時博物館の見学者を増やしたことは記憶に新しい。その最新成果を生かして、自然系にしたのであろう。全国でも人気の科学博物館を意識してのことであろうか。
 但し展示品のほとんどは、これまでも並んでいた動物の標本や鉱石、化石であった。もちろん、予算と人員に限りがある以上、常に大規模な展示ができないことは承知の上である。学芸員の方々の心境を思いやると忸怩たるものがある。しかしそれでもなお、少し寂しかったのは、折角の資料が、ただ置いてあるに等しい展示であった点である。

 例えば鉱物のコーナーには「水銀」と書いて、数個の原石が展示してあった。説明は何もない。もちろん岩石学の展示としてはこれで十分なのかも知れない。しかし、「三重県立」を名乗る以上どうしてこの岩石をこの空間に並べる必要があったのかくらいの説明があってもいいのではないかと思った。

 学生には素直な感想を求めたかったのだが(一応来週レポートが出ることになっている)、ついたまらず言ってしまった。
 「ちょっとこれではネ・・・、実はね、この水銀の標本を見て思い出したんだけれど、伊勢国は古代から水銀の特産地なんだよ。あの有名な東大寺の大仏を金色に光り輝かせたのは伊勢の水銀だったんだよ。・・・・」
 博物館の説明板にはそんなことはどこにも触れられていなかった。もし少しでも触れてあったら、訪れた人々の地域に対する関心は一挙に高まったはずだ。ひょっとして、口コミでこんな話が伝われば、「博物館が変わったんだ!もう一度行ってみよう!」と思う人が増えるかも知れない。こんなことを一人ごちながら展示を見て回った。化石のコーナーでも、動物のコーナーでも、いろんなアイデアが、次々と脳裏に浮かんだ。一番寂しかったのは「鳥居古墳」への案内であった。まるで「トイレこっち」の案内のように、矢印が廊下に貼ってあるだけなのだ。
 立派な家形石棺を持つ三重県下有数の横穴式石室を持つ後期古墳は裏庭の駐車場に寂しく鎮座するだけだった。
 
 ところで斎宮歴史博物館もリニューアルをした割には観客の足が伸びないらしい。聞くところによると三重大学の先生に委託して博物館活性化の対策を検討するらしい。専門化をあえてはずして検討するところに期待感はにじむのだが・・・・。

 世界に一つしかない斎王にテーマを絞った資料館である。どうして訪れる人が少ないのだろう。私の思いつきの不活性化原因の分析はこうだ。

 毎年行われる発掘調査の成果が余りに表現されていないのではないかと思うのである。例えば、昨秋、せっかく他府県では見ることのできない壮大な塀で囲われた施設(初代斎王・大来皇女の暮らした斎宮内院跡の可能性があることは既に本ブログでも述べたことがある。)を発見しても、地方版に小さく紹介されただけなのである。
 私なら直ぐに復原図を作り、日本のみならず世界中の皇帝の離宮の資料を集め、「世界最古の皇族女性の離宮か?!」と報道機関に発表する。
 もちろん、木簡などの文字資料がまとまって出ない限り断定はできない。しかしだからといって「アーかも知れないがこうかも知れない、アーでもないし、こうでもない」では何のための発掘調査かと言うことになりはしないだろうか。私は何もねつ造しろとは言っていない。発見された資料の可能性としていくつかのヒントを提示すればいいと言っているだけなのだ。

 情報をできるだけたくさん提供し、参観者と一緒に考えてもらう、そんな姿勢が必要なのではないだろうか。推理小説を読む読者が通勤電車の中で、次の頁に出てくる答えを読む前に必死で考える姿、こんな形が資料館や博物館にあってもいいのではないだろうか。

 資料館活性化の第一条件は、人々の関心を得ることである。それでなくとも情報の溢れかえる社会である。並の情報では人々は気付いてくれない。新鮮な情報こそが人々の目を奪い、興味を引き起こすのである。

 なぜ女子フィギアースケートの放映が高視聴率を得たのか、なぜ女子プロゴルフが人気を盛り返し、男子はだめになったのか。
 次々と登場する新しく、魅力的な選手達のプレー、そのきびきびした、刺激的な姿にスケートの採点方法を知らなくとも、引き込まれてしまう。まるでサイボーグのように正確に打ち込まれるショット、次々とカップに吸い込まれるボール、いろんなスタイルの、いろんな個性がぶつかり合うゲームほど楽しいものはない。次に彼女はどんなスパーショットを見せてくれるのか、ワクワクしながら見ていると時間の経つのも忘れてしまう。日本シリーズで見せてくれたロッテの選手達の意外性、これほど野球が新鮮に見えた年はなかった。

 こんなスポーツの姿を博物館活性化に参照できないだろうか。
 
 博物館が博物館の展示対象となってもいいというのは過去の話であろう。新しいプレーヤーは新しい遺跡や遺物、研究成果に対応する。きびきびしたスケート、意外性のあるプレーは学芸員の優れた解説や展示パネルに匹敵しよう。

 常に世界一新鮮な情報を世界のどの博物館にも負けないくらい積極的に発信する、この姿勢があれば、いずれ人々は博物館に足を運んでくれるのではないだろうか。スポーツのように世界選手権はないが、世界一の資料や展示の技は今ならブログやホームページを使っていくらでも提示することができる。少なくとも地下から発見される資料は世界に二つと無いものばかりである。調査員には当たり前で、見飽きたものであっても、一般市民にはどうして1200年も前のお茶碗が地面から出るのか、そもそもどうして1200年前と解るのか、疑問だらけなのである。
 
 老若男女を問わず、発掘調査体験をしてもらうと必ずと言っていいほど人々は無言になりスコップの先に集中する。この新鮮な情報こそ博物館は一番大切にしなければならないのである。

 博物館もまた、最新の「情報」でリニューアルし続けなければならないのではないだろうか。もちろん情報の用い方は様々であろう。古い展示品でも、新しい研究成果によって蘇る可能性はいくらでもある。イヤそれこそ学芸員の真骨頂ではないだろうか。常に最前線の情報、研究成果や調査資料に耳をすまし、目を凝らし、食いついて展示に活かしていく、こんな姿勢があれば、「活性化」の道は自ずと開けると思うのだが・・・。さて、我が先生方がどんな風に活性化してくれるか、楽しみである。

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近況報告

2006-01-13 13:15:00 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
新年の挨拶をしてから早くも二週間が経とうとしています。ブログを書こう、書こうと思いながらなかなか時間がとれず、ずるずる今日に至ってしまいました。

山田博士のブログでおわかりの通り、あちこちに出没しており、死んだわけではないのですが、死にそうなくらい忙しい上に、年末にひいた風邪がなかなか完治せず、「余裕」のほとんど無い毎日を過ごしています。

正月早々山田博士のご自宅を襲ったのは5・6日に山口であった研究会の報告「日本古代宮都と陵墓・葬地」のためであることは既に申しましたが、その直後に千葉の歴博での展示プロジェクト会議「桓武の野望と挫折」(仮題)に出席し(これも博士の記載通り)、そのまま津に戻りました。ここまではほぼ予定通りで、その会議の中味などをブログにアップしようと張り切っていたのですが。大学に戻ってみると大変な二日間が待っていました。

三重大学人文学部の卒業論文締め切りは今年は土日の関係で例年より遅く、1月23日です。これが悪かった!!

正月を過ぎてもまだ「はじめに」を書いてうろちょろしている学生がいるのです。もちろんそんな学生が全てだめなわけではなく、資料もきちんと調べているし、11月頃から大学に籠城して頑張っているし、文句の付け用はないのです。

ところが天は二物を与えず。これがなかなかうまく言葉にならないのです。「はじめに」で行ったり来たり、第1章に進んでははじめに戻り、2章を書き始めてははじめに戻り、これを繰り返す内に正月は過ぎ、残り1週間に迫ったわけです。

もう緊張のあまり顔は引きつり、言葉もままならず、このままほっておくとどうなることやら、仕方なく助け船を出したのが運の尽き。ほぼ二日間この学生のために缶詰状態。やっと解放されたと思ったら、一日おいてまた別の学生の指導・・・。家にも帰れず、風呂にも入れず、そりゃ風邪もひきますわね。ひいてた風邪が良くなるはずがない!!

そんなこんなで今日まで来た。昨夜は本当にこのまま死ぬかと思うほど苦しくて、ソファーの上でのたうち回っていた。ところがどうしたことか。朝起きてみるとえらくすっきり!やはり神は私に死ぬ直前まで働け!とご命令のようで、朝から再び卒論指導!やっと先ほど何とか納得のいきそうな雰囲気まで持てこれて、学生もようやく退散。ところがその最中に留学生の研究生が大変な難題を持ち込んで再び混乱。

結局これはどうしようもないと判明、気の毒だが本人の致命的なミスだから諦めてもらって終了。やっとやっと一息ついたところ。もちろん実はもう一つ絶対に17日までにやり終えないといけない難題の仕事が残っている。もちろんそのことは解っていたので以前から準備は進めているのだが、いよいよお尻に火がついてきた。恐らく今日明日は徹夜!!また風邪がぶり返すこと間違いなし。

きっとこのままではブログを忘れ去られるに違いない。本当はこんな愚痴を書くつもりはないのですが、実情を訴えて、決してyaaがブログから撤退したと思われないためにほんの少しの、昼飯を食べる時間を割いて書き込んだ次第。

忘れないで下さいねー。まだ生きてますから・・・。

なお、今年から毎日必ず論文を読む!と決めているのです(本当は山田博士の前で3本は読む!と宣言したのですが、早くもそれは挫折)。何とか昨日読んだのが塚田孝「都市における社会=文化構造史のために」(『都市文化研究』1号 2003年)。研究会の報告なので大変読みやすい内容なので、本当はもう1論文読まないといけないのだが、風邪でダウン!

吉田伸之氏が提唱する社会=空間構造の分節的把握とは何かを学ぶ。私の研究する古代宮都、彼らの言うところの伝統都市を分節構造論で研究するにはいかにあるべきなのかを考える。もちろん既にそのような方法論に触れて、『新体系日本史6都市社会史』(山川出版2001)で不十分な理解で試みたことはあるのだが、改めて必要に迫られて読んだ次第。

古代宮都の資料の不十分な中で(それゆえ仁藤氏の批判もある)どれだけそれが可能かは分からないものの、現在進めている古代宮都の町毎のデーターを収集し、各町の社会=空間構造を比較する作業は、そのような概念を使ってはいないが、同様の主旨であると確信した。

『藤原京』(場合によっては『飛鳥京』)以来の京の基礎単位である町の社会=空間構造を明確にしていくことは少しづつ可能になりつつあるし、そのような視点を持たないと日本古代宮都を都市としてその前後(周辺地域)の都市と比較研究することが困難だというのは現在の私の研究方向としても間違っていないのではないかと思った。むしろ一刻も早くそのデーターを世に出し、研究の基盤を創るべく努力すべきと再認識した次第(風邪の頭には少々こたえたが成果あり)。

そろそろ生協のランチが無くなるのでこれから昼食。ではまた後で・・・。

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明けましておめでとうございます。今年もよろしく

2006-01-02 00:00:08 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
一年の計は元旦にありということで一言。

昨年は思いがけずモブログなるものに遭遇し、いろいろな話題に自分自身が収集つかない羽目に陥ることもありましたが、全国の皆様といろいろな情報を交わすことができ大変有意義な一年でした。
しかし、その一方で、地に足のついた仕事が少しも進まない一年でもありました。もちろんそれは私自身のずぼらな性格故です。
そこで今年はもう少し、初心に立ち返り、中身の濃い、一つ一つが自分の中に残る仕事をしようと新年早々(きっと山田博士-特に奥様にー葉ご迷惑なことに違いなかったですが)博士のご自宅を急襲いたしました。この穏やかな、かつきりりと締まったお姿を見れば、いかに私達が京都のぼんぼんか解るでしょう?!


(彼の有名な検非違使庁の跡にある山田博士の豪邸。さすが京都の若旦那の着物姿は決まってる!)


(そうです!この私がなでなでしているのが検非違使庁の石碑、その横の壁にあるのが説明板です。私は山奥から都へ逃げてきたよそ門ですから、着物はありません)

もちろん二人は昨年の12月28日の手打ち式で仲直り??してますからこんなニコニコした姿になれるのです。アーもうすぐ二日。では取り急ぎこれにてご挨拶を終わります。・・・とここまで書いて直ぐにアップしたのにブログの時計は既に2日。相変わらず適当なyaaでした。今年もよろしく)


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