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7月
① 昨日の検診は期待通りには行かなかった。まだ血小板は106000で足踏みしてしまっていた。だから6錠30mgにはしてもらえず、1錠だけ減らしてもらった。まだまだ先は遠そうである。
でも元気を出して屋上から眺めていたときから行くぞ!と決めていた東福寺探検の散歩に出かけました。今回はまずアウトラインをたどる散策です。中心伽藍はまたいつか。退耕庵から南明院までと、そのまま伏見稲荷の大鳥居まで、裏道をブラブラ
歩きました。
(退耕庵に最初に出会いました。こじんまりした玄関に桃山時代という客殿が見事でした)
② やっと自由な時間がもて、昨日、朝早くに家を出て、大阪府堺市に行ってきました。
堺市役所の隣の総合福祉会館で開かれている「堺原爆展」に参加するためです。
(土曜日の朝早くにも関わらず沢山の人々が見学に訪れていました)
8月
病気も落ち着いてきてまたまた活動開始です。
① 今回で第8回目になる壬申の乱ウオーク。でもここのところ続く猛暑の中どれだけの方が来て下さるのか心配だったのですが、加太駅についてびっくり!150人の参加者でびっしり。
(加太駅は無人駅。柘植と加太の間は9キロ近くある長い長い駅間。その間がクネクネ曲がる険しい山沿いのコース。鉄道マニアには有名なスポットだとも聞く。)
今日のコースは特に健脚向きで、余り文化遺産がないのです。にもかかわらずこの沢山の参加者、有り難いことです。とは言っても今日のコースは私が案内するのではなく、亀山市教育委員会の亀山さんが全行程説明して下さることになっていて、私は参加者の一人として聞いていればいいのです。こんな楽なことはありません。
(大和街道を占拠?したウオーキングの一行)
② 17日から今日22日まで中国河南省の洛陽に滞在し、洛陽を堪能しました。
本当はもっと早く書き込みたかったのですが、連日歩き回って、帰ってきたら20時過ぎ、風呂も入らずに(一寝入りしてから入ってますからご心配なく!!!)バタンキュウ。そんなのでなかなか書き込めませんでした。これから間もなく西安に向かって汽車で移動します。洛陽の本格的なレポートは西安に着いてから書きますが、少しだけエッセンスをお伝えしておきます。
とにかく、5日間はとってもとっても充実していました。洛陽がこんなによく遺っているとは想像もしていませんでした。もちろん中国社会科学院の隋唐洛陽調査隊の方々が隅から隅まで案内下さったから充実していたことは言うまでもありません。しかし、今回は初めて自分の足で半日宮城内をあちこち歩き回り、私の頭に洛陽の地図を作ることができました。これが一番の成果です。今度皆さんを御案内することができるに違いありません??ホントかな?
(三度目の応天門も自分で歩くとよくわかります。この日は掃除もされていて全体がよく見えました)
9月
記事にはできなかったのですが、橋本科研で難波・飛鳥・藤原を歩きました。
① 9月8日から14日まで橋本さんの科研で難波・飛鳥・藤原などいろいろなところを歩きました。専門家だけでの宮都再訪はなかなか意義深いものがありました。
(発掘調査中の藤原宮大極殿南門を見学しました。ちなみにその後、この施設の周囲で「地鎮」の跡が出たそうですが、私はこれを藤原宮造営の地鎮とする考えには反対です。余りに規模も内容も宮都の地鎮とは違いすぎているからです。)
(本薬師寺にも久しぶりに参りました。いろんな仕掛けがなされていました。)
7月
① 昨日の検診は期待通りには行かなかった。まだ血小板は106000で足踏みしてしまっていた。だから6錠30mgにはしてもらえず、1錠だけ減らしてもらった。まだまだ先は遠そうである。
でも元気を出して屋上から眺めていたときから行くぞ!と決めていた東福寺探検の散歩に出かけました。今回はまずアウトラインをたどる散策です。中心伽藍はまたいつか。退耕庵から南明院までと、そのまま伏見稲荷の大鳥居まで、裏道をブラブラ
歩きました。
(退耕庵に最初に出会いました。こじんまりした玄関に桃山時代という客殿が見事でした)
② やっと自由な時間がもて、昨日、朝早くに家を出て、大阪府堺市に行ってきました。
堺市役所の隣の総合福祉会館で開かれている「堺原爆展」に参加するためです。
(土曜日の朝早くにも関わらず沢山の人々が見学に訪れていました)
8月
病気も落ち着いてきてまたまた活動開始です。
① 今回で第8回目になる壬申の乱ウオーク。でもここのところ続く猛暑の中どれだけの方が来て下さるのか心配だったのですが、加太駅についてびっくり!150人の参加者でびっしり。
(加太駅は無人駅。柘植と加太の間は9キロ近くある長い長い駅間。その間がクネクネ曲がる険しい山沿いのコース。鉄道マニアには有名なスポットだとも聞く。)
今日のコースは特に健脚向きで、余り文化遺産がないのです。にもかかわらずこの沢山の参加者、有り難いことです。とは言っても今日のコースは私が案内するのではなく、亀山市教育委員会の亀山さんが全行程説明して下さることになっていて、私は参加者の一人として聞いていればいいのです。こんな楽なことはありません。
(大和街道を占拠?したウオーキングの一行)
② 17日から今日22日まで中国河南省の洛陽に滞在し、洛陽を堪能しました。
本当はもっと早く書き込みたかったのですが、連日歩き回って、帰ってきたら20時過ぎ、風呂も入らずに(一寝入りしてから入ってますからご心配なく!!!)バタンキュウ。そんなのでなかなか書き込めませんでした。これから間もなく西安に向かって汽車で移動します。洛陽の本格的なレポートは西安に着いてから書きますが、少しだけエッセンスをお伝えしておきます。
とにかく、5日間はとってもとっても充実していました。洛陽がこんなによく遺っているとは想像もしていませんでした。もちろん中国社会科学院の隋唐洛陽調査隊の方々が隅から隅まで案内下さったから充実していたことは言うまでもありません。しかし、今回は初めて自分の足で半日宮城内をあちこち歩き回り、私の頭に洛陽の地図を作ることができました。これが一番の成果です。今度皆さんを御案内することができるに違いありません??ホントかな?
(三度目の応天門も自分で歩くとよくわかります。この日は掃除もされていて全体がよく見えました)
9月
記事にはできなかったのですが、橋本科研で難波・飛鳥・藤原を歩きました。
① 9月8日から14日まで橋本さんの科研で難波・飛鳥・藤原などいろいろなところを歩きました。専門家だけでの宮都再訪はなかなか意義深いものがありました。
(発掘調査中の藤原宮大極殿南門を見学しました。ちなみにその後、この施設の周囲で「地鎮」の跡が出たそうですが、私はこれを藤原宮造営の地鎮とする考えには反対です。余りに規模も内容も宮都の地鎮とは違いすぎているからです。)
(本薬師寺にも久しぶりに参りました。いろんな仕掛けがなされていました。)