yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

第17回壬申の乱ウオーク出発~石占頓宮をめざせ!~の条

2010-04-20 08:26:47 | 三重大学考古学研究室情報
 春はいろいろな行事が目白押しなのである。
 これも大学の使命~能動型授業や地域連携の実践~なのである、とかってに思っている。

 〔1〕5月1日(土)三重大学考古学研究室春の遺跡めぐり~纒向遺跡から藤原京へ~



 藤原宮朱雀門から耳成山を見る。実際に歩くのはこの逆で、纒向遺跡や箸墓古墳をみた後、藤原京の北東部から南下して大極殿、朱雀門から大官大寺へと行きます。

日時 2010年5月1日(土)
 第1集合場所 近鉄津駅7:48発急行の一番前の車両(津からの人はこの電車に乗るのが一番安くて早い!!)
 第2集合場所 伊勢中川発8:04の急行一番前の車両 (伊勢方面の人はこの電車で合流して下さい)
 第3集合場所 JR桜井駅(近鉄桜井駅と接続)改札口9:30〔関西方面の方はここか、次の巻向駅で会いましょう。私は京都から行きますのでここから学生と合流します。〕
 第4集合場所 JR巻向駅(JR桜井線)9:44 〔要するに現地へこの時までに来て下さいね〕

解散予定 近鉄津駅 19:21

主な見学場所(予定コース)

巻向駅9:45→纒向遺跡(邪馬台国の都?)→箸墓古墳(卑弥呼の墓??)→渋谷向山古墳(景行天皇陵???)→巻向駅11:04→11:13JR香久山駅→ 吉備池廃寺(百済大寺)→藤原宮跡大極殿・昼食)13:00→朱雀門・朱雀大路→日高山古墳群・横穴群→大官大寺14:30→15:30本薬師寺→畝傍御陵前駅16:00→大和八木経由津

持参するもの
弁当、水筒、雨具、筆記具、カメラ、タオル(服装や靴は軽装で)

雨天決行
連絡 山中 章 Mail: yaa@human.mie-u.ac.jp

 そしてもう17回になりました、壬申の乱ウオーク。毎年欠かさず4回やっていますので、5年目に入ったと言うことですね。目標は50回なんですが命がもつかしら(笑)。

〔2〕 5月8日〔土〕 第17回壬申の乱ウオーク~石占頓宮をめざして~


 今回は聖武天皇が740年11月24日に宿泊した朝明頓宮から、翌日に入った桑名郡石占頓宮に至るコースを見学し、歩きます。
 
 石占頓宮の場所は未だに判ってはいませんが、この間の探訪でおおよその見当がついてきました。今回も訪れる予定になっている「尾津」神社!この名称の由来は東海道伊勢国北端の「榎撫(えなつ)駅」ではないかと考えられています。聖武天皇の伊勢行幸は、基本的に国郡レベルの地方官衙が利用されていることが判明してきました。榎撫駅家はまさにそうした施設の一部だったのではないでしょうか。




 日本で初めて発見された木簡の出土地、柚井遺跡から多度神社を歩きます。

 柚井遺跡の木簡は今から82年も前に地元の熱心な教員・鈴木敏雄氏他によって発見された資料です。発見場所は当時の三重県桑名郡多度町一番割ですが書かれている内容は「v桜樹郷□頭守部穎代籾一石□五百□v」(皇學館大学史料編纂所『皇學館大学史料編纂所蔵 鈴木敏雄氏遺稿・旧蔵資料目録』(1991年)解説)等、かつての美濃国石津郡桜樹郷から守部が穎稲籾1石を送ってきた荷に付けられていた荷札木簡です。石津郡桜樹郷とは現在の大垣市上石津町付近と推定されますから小河川から揖斐川に出て舟運で籾を運んできたものでしょうか。柚井遺跡の南には戸津という地名もあり、榎撫駅の名称などからこの辺りに揖斐川の港(津が置かれていたことが判りますから、まさに水陸交通の要所だったのです。さらに興味深いのはこの地は伊勢国と美濃国の国境にも近いと言うことです。駅家設置のあり方とも一致します。

 日時 5月8日8時40分養老鉄道多度駅〔桑名発8時24分→多度着8時37分)集合

 主な見学地 尾津神社→ヤマトタケル歌碑→宇賀神社(柚井遺跡説明)→愛宕中世墓群→多度大社→多度駅12時解散予定

 案内 桑名市教育委員会石神教親氏 & 山中 章 

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2週間のご無沙汰の条

2010-04-19 10:27:30 | yaasan随想
 あっと言う間に2週間が過ぎてしまいました。
 その前も飛び飛びでしたので1ヶ月近く、つまりレバノン報告が途切れてからずっとまともにブログの更新ができていませんでした。やはり新学期が始まり、次々と押し寄せる仕事に身動きできなくなっています。以前ならまだなんとかこなせたのですが、やはり還暦というのは恐ろしいですね。仕事のスピードがとても遅くなりました。

 4月の予定表を見直してみると、
3日 若狭弘毅古墳群現地見学
4日 伯母法事・名古屋古代史研究会
5日 大阪出張
8日 入学式・新院生受け入れガイダンス
9日 亀山市史・久留倍遺跡を考える会協議
11日 研究室旅行・近江大津宮見学
12日 新学期の開始(非常勤開始)
   本年度は院生が入ったので授業がさらに増えた。月曜日・非常勤、火曜日学部授業3コマ、大学院授業1コマ、水曜日共通教育授業1コマ、木曜日学部授業3コマ、大学院授業1コマ、金曜日学部授業1コマ
   『延喜式』研究会縫殿寮年料御服条報告
13日 大学院授業開始
14日 愛知県協議
15日 研究室会議
16日 新ゼミ生歓迎会
17・18日 考古学研究会

こんな具合だからどんどん掲載したいものは増えているのだが、なかなかアップできないでいるのだ。

 この後も日常的なものを除けば、
24日  久留倍遺跡を考える回総会での講演
5月1日 考古学研究室春の飛鳥めぐり
8日  第17回壬申の乱ウオーク多度
14日 北畠館指導委員会
15日 レバノン報告会
19日 出前授業

と続く。

 ま、言い訳は見苦しく、私の倍以上も日常業務と講演会で全国を走り回っていらっしゃる知人もいるので、文句は言えない。

 そんな中でとても嬉しいことが二つ。

 一つは長らく放置していた考古学研究室のホームページのリニューアルに着手したこと。
 もう廃止しようかと思っていたのだが、院生になった学生が「私がやる!!」と言って現在奮闘中なのだ。一応の目標は4月末なので、ゴールデンウイークには模様替えしたHPをお披露目することができるかも知れない。期待せずに待っていて下さい(失礼!)。

 二つ目は、ある受験生からのメールだ。
 ある日突然来年受験するという若者からメールが届いた。
 三重大学の考古学研究室に入りたいのだが、調べたところ、山中は定年間近だという、もっと延びて私を指導してもらえないか、駄目ならどうすればいいかなどといった内容だった。

 とてもしっかりした文章で、「最近の学生はまともに手紙が書けないのか!!・・・」などとつい最近もうちの学生に文句を言っていたものだから、その落差に驚くばかりだった。と共に、しばらく考え込んでしまった。

 私は定年まであと3年と確定した(正規には二年だが1年延びた)。来年入学すると私と接触する機会は二年しかない。そして二年と言っても1年生では教養の授業が大半だからなかなか考古学を勉強する機会がない。とすると実質的には1年しかない。もちろん後任が来てくれればその先生に託せばいいので、いらぬ心配は無用なのだが、自分自身の経験からどうしても変わり目の学生とはぎくしゃくする。とすると、三重大に来なくても別の大学の考古学研究室へ行った方がいいのでは、と考えた。

 研究だけではなく教育にも熱心な国公立大学の先生は・・・、と頭の中でいろんな先生の顔を思い起こしてみた。予断と偏見によれば、結構いないものである。もちろん私自身が合格するとも思えないのだが、地元だと言うことで一応入れてくれているのだろう。私自身の事情を説明し、数人の名前を挙げ、様々なパターンを紹介した。また、あまりに熱心なので院生にもメールを見てもらい、意見を聞いた。するとこんなアイデアを出してくれた。

「三重大に2年生までいて、3年次編入で先生の推薦する学校へ行ってもらえばいいじゃないですか」

なるほど妙案だ!!この案も追加して返事したところ直ぐに返事が来た。とにかく一度来たいというのだ。もちろん快く了解して、会うことにした。私の一方的な話しでは実態が判らないだろうから院生や学部生にも来てもらって、私のいないところで「実態」を聞いてもらおうと考えた。

 びっくりした!

 もう「今時の・・・」等と言ってはいけないと実感した。とても清々しい、しっかりしたいい若者だった。その後一緒に雑談したり、食事をした院生からメールが届いた。

 「是非三重大の考古学研究室にに来て欲しい!!」

だった。私も二年間頑張ろうという気持ちになった。とても嬉しい、気持ちに張りのできる一日だった。こんな若者が他の分野でも増えていることを願うばかりだ。

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若狭路と文楽に刺激されての条

2010-04-06 21:31:36 | yaasan随想
 四月三日には福井県美浜町の松葉さんのご案内で若狭路に残る後期古墳の横穴式石室の主なものを見て回った。

 若狭の古墳を本格的に訪ねるのは初めてだっただけに大いに刺激になった。特に最近興味を持って勉強している伊勢・志摩の古墳との違いを思い知らされ、新たな発想を得ることができた。感謝。古墳群探訪の様子は次回にお知らせするとして、今回は久しぶりに駄句を少し。

[若狭路を訪ねて]

 若狭路に 訪ねし石室 桜花の笠
(わかさじにたずねしせきしつおうかのかさ)

 桜花道 潮汲む女ぞ なに思ふ
(おうかみちしおくむひとぞなにおもう)

 鶯が 報せし花が 石室に
(うぐいすがしらせしはながいしむろに)

 若狭路の 石積む墓に 桜花の影
(わかさじのいしつむはかにおうかのかげ)

 塩作る 海部により添う 桜花 
(しおつくるひとによりそうさくらばな)

 広瀬の海 孤独な室に 鶯が
(ひろせのみこだおくなむろにうぐいすが)


[文楽・通し狂言 妹背山婦女庭訓に接して]

 雛鳥と 花見を夢見 吉野川
(ひなどりとはなみをゆめみよしのがわ)

 妹背山 蕾のままに 落ちし花
(いもせやまつぼみのままにおちしはな)

 吉野川 妹が花割く 瀬ぞ深し 
(よしのがわいもがはなさくせぞふかし)

 文楽の 悲しい花見 妹背山
(ぶんらくのかなしいはなみいもせやま)

 人形が 涙を誘う 花見川
(にんぎょうがなみだをさそうはなみがわ)

大学も丁度入学式の頃桜が咲き誇っていそうだ。それにしても若狭は面白い!!そろそろ新学期モード突入だ。



四日は伯母(父の姉)の五年祭だった。伯母の嫁ぎ先が神道なので京大病院の東、聖護院の南東にある須賀神社へ行った。見事な桜だった。
 これまではこうした法事は皆母が参列していた。しかしこれからは全部私が参らねばならない。



 大学は明日が入学式。我が研究室にも新しい大学院生が入学してくる。ピカピカの一年生を迎えるに相応しい桜満開の津である。

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4月1日の嬉しい知らせの条

2010-04-02 13:08:05 | 三重大学考古学研究室情報
 4月1日はエープリルフールだとか、しかし、こんなの日本でどれくらい浸透しているのだろうか。
 そんな欧米のブラックユーモアはどうでもいいのであって、そんなものを気にしていては一日が無駄になる。
 要するにこの日は新年度である。つまり1週間前に卒業した学生達の社会人最初の日である。特に公務員となった連中がどこに配属されたのかは大いに気になるところである。もちろん今年の考古学からは就職者がいないので新卒については無関係なのだが、同じ歴史の学生はほぼ全員就職したのでその行き先が心配だったのである。

 特に気にしていた「化け物研究」のOIさんはなんといきなり「文化スポーツ部生涯学習課」で読書推進の係をすることになったという。本人はできれば同じ部の博物館に行きたかったようだが、近年の傾向としてなかなか新人は配属してくれない。読書担当でも十分やりがいのある職だろう。めでたしめでたしである。

 そんな中もう一人日本文学の大学院生からも連絡があった。何で文学の学生がお前に連絡するんや?という疑問はもっともである。話せば長いので端折ると、彼女、昨年末に突然現れて

「遺物の実測の仕方を教えて下さい!」という。
「??どうしたん?」
「三重県で学芸員を募集しているのですが、その実技試験で実測があるらしいのです。だから」というのである。
(フーム、どうせうからんだろうが、一年生の頃から僕の授業をよく受けている真面目な学生だし、教えてやるか)、ということで、手ほどきをした。するとどうだろうか、実測の実際を示した内の学生よりうまいのである。驚いた。元々実測というのは「センス」だというのが考古学一般的意見である。だから仕方がないとはいえ、ちょっとがっかりした。

「もし仕事がなかったら内で実測のバイトしない??」などと実に失礼なことも言ったくらいだ。

 その彼女がわざわざ訪ねてきてくれて、県庁は駄目だったのですが地元のS市役所に受かりました。先日配属先が判り「博物館」になりましたというのである。もちろん内の学生ならもっと喜んだに違いないのだが、しかし、彼女とて、少しは私達のやったことが役に立ったのである、嬉しくないはずがないのである。

「あそこには僕の後輩もいるし、困ったことがあったら彼に相談するといいよ。また展示会で何か企画したりすることがあったら気軽に声をかけてくれたらいいからな」

 こう励まして帰した。ホント、三重大の学生はとても優秀でとにかく真面目だから、雇う側がしっかり仕事をさせる環境さえ作ってやればいくらでもいい仕事をすると確信している。がんばれ!!YRさん。

 そして夜も更けた23時頃携帯が鳴った。卒業生からだ。

「どうしたん?生まれた?」
彼は昨年夏に結婚し間もなくお子さんが生まれると聞いていたのでてっきりその報告かと思ったら違っていた。

「教育委員会に配属になりました。文化財担当です。」

彼は役所に入って3年になるがこれまで市民課にいて住民票やら年金やらをやっていた。結婚式の時に上司の方も沢山いらしたのでそこを意識して彼の埋蔵文化財技師としての素晴らしさを強調しておいた。果たしてそれが功を奏したのかどうかは解らないが、結果として希望する部署に配属されたという。

「よかったな!!おめでとう!!頑張れよ。」

眠気も吹っ飛ぶ嬉しいニュースであった。ここのところいろいろな事情があってこれまでの卒業生の進路を調べることがあった。大体の傾向は判っていたのだが、いざ数字に出してみてびっくりした。私が来て12年が過ぎたが、その間約70人の卒業生を送り出し、そのうちの30人弱が文化財関係、公務員、教師として働いているのだ。40%の高率だ。もちろん彼がそうだったように未だに文化財と無関係な部局にいる卒業生もいるのだが、見る目のある上司さえいればいずれ関係部局に異動させてくれるものだ。

 これは大いに自慢して言い数字だと思う。新卒が何人就職したかなんてどうでもいい数字だ。三重大生のようにじっくり型の学生は直ぐには結果は出ないが、いずれ本人の希望を叶え、社会に大いに貢献できるのだと思っている。いいかげん、三年生の内から就活するのをやめさせて欲しい!!みんながみんな、卒業して就活を同時スタートすれば学生生活も堪能できるし、一定の研究もこなせるのである。一刻も早く在学中の就活を禁止すべきと思う。

 新しい職場で新しい部署で張り切っているみなさん、思う存分やって下さいね。

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